軍記物語として読む『吾妻鏡』

No.8241

28日(木)に下記の公開研究会を開きます

  報告者:藪本勝治氏(神戸大学非常勤講師・中世文学)
  テーマ:「軍記物語として読む『吾妻鏡』野木宮合戦記事」
   時間 :午後5時~7時(予定)
  会場 :本学L校舎3F 宗教・文化研究所共同研究室

 『平家物語』を専攻されている方はもとより、中世前期政治史・武士論専攻の方、鎌倉幕府成立期の歴史に関心のある方など、多くの皆様の御来会をお待ち致しております。
*****************************************
 もう締切はとっくに過ぎているのですが、ある論集に掲載予定の原稿がようやく形になってきました。それにしても、最近は頭の回転が以前に増してぎごちなくなり、まったく満足のいかない内容です。

 昨夜、NHKで祇園祭の宵山が中継されていました。菊水鉾に上がってから、もう二十余年。猛暑の中、ちょっと出掛けるのが億劫になってきました。お祭に行くのも若いうちです。

 東京の大学の中には、もう授業が終わったという所もあるようですね。ゴールデン・ウィーク後に前期授業開始という所もあったようですが。
 私の授業は今月の最終週まであります。

 月末には昨年度前期「基礎演習Ⅰ」のコンパ。参加者は有志のみと思っていたら、全員とのこと。みんな一年で、どう変わったのか、楽しみです。

 ☆ 国立歴史民俗博物館の髙橋一樹先生より、御高論「中世成立期における王権の宝蔵とその歴史的性格-蓮華王院宝蔵を中心に-」収載の小野正敏・五味文彦・萩原三雄編『中世人のたからもの 蔵があらわす権力と富』( 高志書院)を御恵送頂きました。
 髙橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

真夏の『吾妻鏡』

No.8242

 ほんとうに暑い日が続いていますが、みなさまどうぞお大事にお過ごし下さい。
 次回の『吾妻鏡』(文永年間)のご案内です。

 日時:2011年7月21日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文永三年(1266年)六月五日・十九日・二十日・二十三日・二十四日・二十六日、七月一日・三日・四日・二十日の各条
    建久十年(正治元年、1199年)二月六日、三月二日・五日・六日・十二日・二十三日、四月一日・十二日・二十日、五月七日・八日・十三日、六月八日・二十五日・二十六日・三十日、七月十日・十六日・二十日・二十五日・二十六日、八月十八日・十九日・二十日、九月二十六日、十月七日・二十四日・二十五日・二十七日・二十八日、十一月七日・八日・十日・十二日・十三日・十八日、十二月九日・十八日・二十九日の各条

 7月は21日、28日に開催予定です。
 文永年間の『吾妻鏡』は、頼家将軍期の建久十年(正治元年)に戻っていきたいと思います。一気に70年近く遡りますが、よろしくお願いいたします。

 木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

稲毛の浅間神社はすぐ下が海でした。

No.8240

 毎年、同じことを書いている気がしますが、今日七月十五日は私の郷里の千葉では稲毛の浅間神社でお祭りのある日。子どもの時、地味な色だった京成電車に乗って出掛けたことが思い出されます。
 あれから半世紀。三条通りにある博物館での会議の後、御池の駅を目指して歩いていると、イカを焼く美味しそうなにおいが漂ってくる。それに、浴衣姿の歩行者が多い。そういえば、今日は祇園祭の宵々山の日でもあったのでした。
 
 今年の日本史研究会大会の会場は本学に決まったようです。
   → http://www.nihonshiken.jp/general-meeting.html
 よい機会ですから、土曜日の午後あたり、法住寺殿跡を中心にした史跡見学会でも致しましょうか?
 いずれにしても、しばらくお会いすることの出来なかった同学の諸姉兄にお目にかかる機会を得られるのは嬉しいことです。

後世の史家に評価は委ねる?

No.8236

 暑いですね。
 そろそろ洗車をしないと水アカが落ちなくなってしまいそうなのですが、あまりの暑さに外に出る気がしません。
 それにしても、この夏は小さい子どもたちが可愛そう。放射能が心配ですから、思う存分にトンボを追いかけることも出来ません。
 この小さな子どもたちや後世の人たちから、私たちが厳しい指弾を受けることは覚悟しておかなければなりません。 

☆ 学科は異なりますが大学の後輩にあたる清水眞澄先生より、後高論「法会と歌詠-源経信から藤原俊成へ-」(阿部泰郎・錦仁編『聖なる声 和歌にひそむ力』三弥井書店)を御恵送頂きました。
 清水先生に、あつく御礼を申し上げます。

全ては節電のために・・・

No.8235

 当方の研究室前の廊下の蛍光灯(蛍光管)2本が取り外されていました。節電のためだということです。
 昼間はいささか、夜はかなり暗くなると思いますので、十分にお気をつけ下さい。

 京女の周辺でもせみの鳴き声が聞こえるようになりました。

明日12日の演習と講義

No.8233

 Ⅲ講時「基礎演習Ⅰ」の担当は戸田さん。
 報告のテーマは「脳と愛の関係性について」。
 私はコメントのしようがなさそうです。

 Ⅴ講時の「基礎・教養科目」の講義テーマは「中世の仏教と女性」。
 これまた、難しい話です。

 ◎ 後期に学部生(所属大学、学部学科を問いません)を主体とした史料講読会あるいは勉強会などを週一回のペースで開催することを考えています。
 とくに今まで、授業などの都合で参加できなかった皆さんで、何か希望する企画(読みたい史料など)がありましたら、遠慮なくお知らせ下さい(上の赤い字で書かれた私の名前をクリックすると、メールを送信できます)。
 今のところ、『百錬抄』、『玉葉』、『明月記』などが候補に挙がっています。

 以前、ある2回生から、よその大学では卒論に向けで学部生はどんな段階を踏んで勉強を進めているのかという御質問を受けました。
 私の卒業した大学(青山学院大学文学部史学科貫達人ゼミ)と前任の大学(聖徳大学人文学部日本文化学科野口実ゼミ)での例のお話を致しましたが、上智大学について、ここに適切な紹介がありました。
   →http://sophia1942.exblog.jp/16247937/

 ☆ NHK出版の石浜哲士さんから、編集を担当された新刊のNHKブックス・池田譲『イカの心を探る 知の世界に生きる海の霊長類』を御恵送頂きました。
  イカのイメージが一変。私の大好物なのですが・・・。
  石浜さんに、あつく御礼を申し上げます。 

今朝の『京都新聞』から。

No.8231

 今日の京都新聞には面白い記事が沢山載っていました。

 まず、3面の「点眼」欄には、宗教学者の山折哲雄氏が「金色堂と鳳凰堂」というエッセーを書いておられます。平泉が世界遺産に選ばれたことに触れて、その文化の独自性を指摘した内容ですが、平泉藤原氏の遺体が金色堂に葬られたことをもって、平安貴族との文化的相違を論じておられる点に違和感を感じました。
 山折氏は平泉藤原氏と藤原道長・頼通を比較の対象としておられますが、時代が異なります。平泉藤原氏の時代なら、白河や鳥羽・法住寺殿を比較の対象としなければならないでしょう。これらの空間が平安京外に設定されたことは押さえておかなければなりませんが、鳥羽・法住寺殿ともに院の墓所(法華堂)を取り囲む形で造営されています。また、平家の六波羅は、平正盛の墳墓堂をとりこんだ泉殿を中心に一門と家人の居住空間が形成されていました。
 平泉はこれら同時代の京都周辺の「権門都市」をモデルプランとして造営されたと見るべきでしょう。

 平安時代の京都というと、研究者の間でも、すぐに平安京の条坊図と『源氏物語』や『枕草子』に描かれた世界が想起されてしまうようで、このあたりが中世前期の武士論研究の障害にもなっているように常々思っているところです。

  24面(山城版)には、城陽市歴史民俗資料館で「あの世・妖怪」、府立山城郷土資料館で「中世やきもの風土記」という企画展がはじまったという記事がありました。

 そして私の興味を一番そそったのは、25面(地域版)の京都神田明神で例大祭が行われたという記事。15年ほど以前、山田邦和先生に京都でただ一つ平将門を祀った祠があるというので案内して頂いた所だと思いますが、今は移設されて鳥居の立つ立派な神社になったようです。将門を祀った社が京都にあるというのは極めて興味深い事実ですが、「天下を夢見た平安期の豪族に思いをはせた」という、この記事の結びの文言も、研究と通説的理解の大きな乖離を示すものといえましょうか。

『吾妻鏡』の輪舞曲-次回の木曜『吾妻鏡』Ⅱ-

No.8232

 文永年間の『吾妻鏡』は、頼家将軍期の建久十年(正治元年)に戻っていきたいと思います。一気に70年近く遡りますが、よろしくお願いいたします。
 次回の『吾妻鏡』(文永年間)のご案内です。

 日時:2011年7月14日(木)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文永三年(1266年)二月十日・二十日、三月五日・六日・十一日・十三日・二十七日・二十八日・二十九日、四月七日・十五日・二十一日、六月五日・十九日・二十日・二十三日・二十四日・二十六日、七月一日・三日・四日・二十日の各条
    建久十年(正治元年、1199年)二月六日、三月二日・五日・六日・十二日・二十三日、四月一日・十二日・二十日、五月七日・八日・十三日、六月八日・二十五日・二十六日・三十日、七月十日・十六日・二十日・二十五日・二十六日、八月十八日・十九日・二十日、九月二十六日、十月七日・二十四日・二十五日・二十七日・二十八日、十一月七日・八日・十日・十二日・十三日・十八日、十二月九日・十八日・二十九日の各条

 7月は14日、21日、28日に開催予定です。
 今年度から木曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

「七夕」よりも「棚ぼた」。

No.8230

 明日は長村君の日本歴史学会賞の授賞式。おめでとうございます。

 ちなみに、長村君の最新の論文「木曽義仲の畿内近国支配と王朝権威」(『古代文化』掲載)のコピーは、研究室ドア脇のボックスの中にあります。
 読んでみようという方はお持ち帰り下さい。

 昨日は七夕でしたが、京都は蒸し暑い梅雨空。笹に願い事を書いた短冊を吊す光景に出会うことはありませんでした。
 「七夕」を思わず、「棚ぼた」を頼む浮世。致し方なきことか。
 
 一昨日、さきに平先生から頂いた『歴史のなかに見る親鸞』(法蔵館)を読了。学ぶところ多大。長年の疑問も氷解。歴史学者の著書はかくありたい。
 今年最高の一冊でした。

我ながら呆れ果てる日々。

No.8227

 鬼門のお役所。雨の中、一番乗りで行ってきました。
 さて一段落かと思いきや、帰宅して後、この件に関連して郵送してもらった大切な書類の処理でちょっとした大失敗。一歩進んだのに、また一歩後退。
 まことにお粗末。

 今日から『吾妻鏡』はダブルヘッダー。さすがに二試合の登板は無理なようです。
 岩田君、よろしく。
 
 ☆ 國學院大学の菱沼一憲先生より、新刊の御高著『中世地域社会と将軍権力』(汲古書院)を御恵送頂きました。
 菱沼先生に、あつく御礼を申し上げます。

いつまで経っても「おそ松くん」

No.8226

 数年後からの生活のかかった問題を処理するために、鬼門のごとき存在である、かのお役所にいよいよ出頭しなければならないかと覚悟を決めたのですが、明日の天気は雨という口実が発生。傘を差してまで出掛けるかどうか。つまらぬ心配で消耗しております。いい歳をして、まことに「お粗末」。

 赤塚不二夫の「おそ松くん」掲載の『少年サンデー』は、小学生時代毎週購入。たしか40円くらいでした。その後は月刊の『ボーイズライフ』。これは200円くらいだったか。面白かったのは戦争物とSF。『丸』もよく買っていました。木を削って零戦52型のかなり精巧な模型も作りました。戦後生まれの軍国少年。

 このところ、とらえどころのない問題で疲れることが多いのですが、今日多かったのは電話。とても嬉しい話もありましたが、仕事の依頼もあり。この夏こそ債務返済、と考えていたのですが、わが国の経済と同じような状況に陥りつつあり。

 原稿で思い出しましたが、そろそろ『紫苑』第10号の原稿執筆希望を受け付けます。すでに、研究ノートで一本、申込みを受けています。編集長の山本さんにも是非また一本。
 節目の第10号ですから、遠く東は越後・上総、近くは越前・近江、西は安芸や讃岐で御活躍の面々にも、何かゼミの思い出話なり、近況報告なり(もちろん大論文でも)お寄せ頂ければ楽しいのになぁ・・・などと考えております。

渋谷 「しぶや」と「しぶたに」

No.8224

 >>>No.8223 佐伯先生、書き込みを頂きありがとうございます。
 『銕仙』掲載の拙文は、先生の御著書をあげさせて頂くことで、話をまとめることが出来ました。
  「青山能」。私が在学していた頃にもあったのでしょうか。

 つまらないことに、私は大学在学中、同志社における「わびすけ」のような場所を大学近くに見いだすことが出来なかったようです。
 しいて言えば、青学会館の地下か。ここでは透明なドアに激突して、鼻をしたたかに打ったという痛い思い出があります。
 あとは、青山通りを隔てて大学正門の向かいにあった古書店巽堂くらいでしょうか。

 昔は大学の回りには喫茶店や麻雀屋がたくさんあったものです。今は、喫茶店でゼミをやるなどという話はあまり聴かなくなりましたね。

 若者たちが仲間同士で議論をするという時代ではなくなった。
 社会に矛盾を感じても、空気を読んで順応するか、ひきこもってバーチャルの世界をさまようか、居酒屋で酩酊して、即ストレス発散ということなのでしょうか?
 それもまたよしとすべきなのでしょうが、酒を飲めない私としては、喫茶店の激減は残念なことに違いありません。

 このところ、年寄になったせいか、すぐに「何かの御縁」のようなものを考えてしまうのですが、私は生活の場として「渋谷」という地名に御縁があるようです。  

 青学のアドレスは渋谷区渋谷4-4-25。京都女子大のJ校舎は渋谷通りに面しています。さきほども、この通りを渡って、J校舎にある図書館分館に行ってきました。
 それにしても猛暑ですね。 

竹本処分粉砕

美川圭
No.8225

 渋谷というと、私の高校時代の遊び場所の1つでした。あのころ、野口先生もあのあたりにおられたと思うと、感無量です。

 ところで、最近「マイバックページ」という川本三郎原作の映画を見ました。来年清盛をやるマツケンと私の同年代の女性に絶大な人気のある妻夫木くんが出ています。

 私が京大に入学した1977年、京大時計台には大きく「竹本処分粉砕」のペンキ文字が書かれていました。それと、映画評論家の「川本三郎」、そして「冷泉家」「冷泉家時雨亭叢書」に深い関わりがあることが、この映画と、その原作を読むことではっきりわかりました。もう30年以上前の昔話です。映画はそのどれかと接点がないと、あまり興味をひかなかったらしく、もうほとんどの映画館で上映されていません。が、原作の方は長く売り切れでしたが、映画のおかげで再版です。

 「わびすけ」もその時代背景と関わりがあるのかなあ。