地震に遭遇

野口 実
No.8019

 本日、千葉におります。
 交通の回復を待って帰洛するつもりです。
 ご迷惑をおかけしますが宜しくお願い申し上げます。
 

京都に戻りました。

No.8020

 東京まで出るのが少し大変でしたが、東海道新幹線は平常運転がされており、京都に戻ってくることが出来ました。

 千葉で体験した地震の実感は、大波に翻弄される小舟に乗っているというようなもので、近くの柱につかまって身を守るのがやっとという有様でした。これまで経験した程度で収まるだろうと思った揺れが、さらに強くなっていったのには肝を冷やしました。千葉でこれですから、東北ではまさに激震であったものと察せられます。その後の、コンビナート火災の煙や工場の爆発による衝撃音も大変なものでした。
 東日本で、この掲示板を御覧下さっている方々の中には、この地震やそれに伴う津波で被害を受けた方もおられると思います。心よりお見舞いを申し上げる次第です。
 研究面の不都合に対処する上で何かお役に立てることがありましたら、遠慮無く御連絡ください。

 なお、元木先生や岩田君・高田さん、また新潟の田中さんをはじめ多くの方々から、御心配のメールをいただき恐縮致しております。ありがとうございました。

Re: 地震に遭遇

No.8021

 このたび被災された皆さんを心よりご案じ申し上げますとともに、一刻も早い救助・救援が届きますようお祈り申し上げます。

>野口先生
 恐ろしい事態に遭遇されたようで、私たちも案じておりましたが、ご無事で何よりでした。

Re: 地震に遭遇

山本みなみ
No.8022

  野口先生、無事に京都にお帰りになられたとのこと、安心致しました。

  テレビの報道等で、余震が続いている様子や工場の爆発を知り、大変心配していました。
恐ろしい事態に遭遇されて、お疲れのことと存じます。くれぐれもご自愛ください。

  

Re: 地震に遭遇

雨野弥生
No.8024

野口先生,雨野です.
あの日,千葉にいらしていたのですね. ご無事で何よりです. お怪我はありませんでしたか…?

私は東京の会社内におりました.それにしても今回は長い地震でしたね.よく「地震は,どんなに長く感じても続くのは1分だけ」と言われており,今回は私も「1分だけ 1分だけ…」と念じていました.が,今回は,野口先生も書かれていたように「大波に翻弄される小舟に乗っている」ような非常に強い揺れが2分以上にわたって続き,その異常さで,より恐怖感を感じました.私の中の地震言説というか地震伝承(?)を見直す機会となりました.これまでの私が地震に対して無知だったのかもしれませんが…

また,2度目の地震が1度目同様に大きかったのも,衝撃でした.これまで地震のイメージとしては「本震(強い)→その後,余震(本震より少し弱い)→その後数回余震(弱い)が続く」という時間経過を想像しておりました.が,今回は1回目のあと,ひっくり返った本棚などを片づけていたら,一回目並みの揺れが来ました.

いろいろな意味で地震に対する常識がひっくりかえった経験でした.掲示板関係者の方でもっと大変な思いをされた方も多いはずで,ここで私ごときが個人経験を書くのは恐縮なのですが,とはいえ今後,この記憶がどこかでちょっとでも参考に生きることがあればと思い,まずは書きこみをさせて頂きます.

なお,千代田区にある私の会社は,ビルの一部の壁に亀裂が入り,一部の本棚がひっくり返って窓ガラスが割れたりしました.余震(いままた揺れています)には,引き続き気を引き締めなければなりませんね.

研究会で知り合った東北地方の皆さまのこと,案じています.
被災された皆さまにお見舞い申し上げます.先生もどうかご自愛下さいね.

Re: 地震に遭遇

No.8027

 雨野さん、御連絡有り難うございました。
 ゼミの関係者では、私以外にも大森さんが東京に行っておられ、浅草寺境内で地震に遇われたとのことです。

 東京に勤務している人から話を聞くと、結構多くのビルに亀裂が走るなどの被害があったようですね。東京タワーの先端が曲がっているのは新幹線の車中からも視認できました。
 東北の被害は想像を絶するもののようで、心痛に耐えません。

 首都圏でも計画停電や節電などの影響で大変だと思いますが、なによりも健康に気をつけて頂きたいと思います。

世界遺産と悪戯書きだらけの国

No.8015

 先ほど関空に帰着致しました。
 岩田君、留守居役をありがとうございました。

 一週間ほどの間に、ミラノ→ヴェローナ→フィレンツェ→ヴェネツィア→ナポリ→ローマの順にイタリアをほぼ南北に縦断する駆け足の旅でした。

 近代日本史学における古代から中世への転換は、西洋史学におけるローマ帝国の衰亡過程を前提に論じられるので、一度イタリアを見ておかなければならないと思っていたところ、ひょっとしたきっかけで、それが実現したという次第です。もちろん、ポンペイの遺跡にも行きました。

 数々の失敗談を含め、詳細をいろいろ報告したいところなのですが、締切日の迫った原稿などもあり、すぐに頭を切り換えなければなりません。メモ代わりのデジカメも途中で電池切れになったりして、記憶の確保が心配なところですが、それは後日を期したいと思います。

 不在中に、ふだん大変お世話になっている先学の方々から、たくさんの研究成果を御恵送頂きました。内容にまで触れることが出来ず恐縮ですが、謝辞を記させて頂きたいと思います。

 ☆ 東北大学の佐倉由泰先生より、新刊の御高著『軍記物語の機構』(汲古書院)を御恵送頂きました。
 佐倉先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 当方の共同研究員をお願いしたこともある神戸大学の樋口健太郎先生より、博士論文をもとに構成された新刊の御高著『中世摂関家の家と権力』(校倉書房)を御恵送頂きました。
 樋口先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 早稲田大学名誉教授の瀬野精一郎先生より、新刊の御高著『松浦党研究とその軌跡』(青史出版)と、同じく『鎌倉幕府と鎮西』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 瀬野先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 國學院大學の松尾葦江先生より、先生の御編になる『「文化現象としての源平盛衰記」研究-文芸・絵画・言語・歴史を総合して-』第一集(科学研究費補助金基盤研究(B)平成二十二年度報告書)を御恵送頂きました。
 松尾先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 國學院大學の細川重男先生より、新刊の御高著『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 細川先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 千葉県立佐倉高校の外山信司先生より、先生の御高論「「原文書」と戦国期の海上氏」の収録された佐藤博信編『中世東国史の総合的研究(人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 第162集)』(千葉大学大学院人文社会科学研究科)を御恵送頂きました。
 外山先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 東京大学史料編纂所の髙橋典幸先生より、御高論「肥前の武士と鎌倉幕府-長嶋荘を中心に-」(高橋慎一朗編『列島の鎌倉時代 地域を動かす武士と寺社』 高志書院)を御恵送頂きました。
 高橋先生にあつく御礼を申し上げます。 

 ☆ 國學院大學の藤本正行先生より、先生の御高論「信長は南蛮甲冑を身に着けたのか?」掲載の『歴史REAL』Vol.2(洋泉社)を御恵送頂きました。
 藤本先生にあつく御礼を申し上げます。

【追記】
 ☆ 昨秋、日本史研究会で部会報告をされた小原嘉記先生より、御高論「中世初期の地方支配と国衙官人編成」(『日本史研究』582)を御恵送頂きました。
 小原先生にあつく御礼を申し上げます。 

梅干しが流行りつつある国

No.8016

 野口先生、無事のご帰国、何よりでございました。

 野口先生が旅された都市のうち、ミラノ、フィレンツェ、ベネツィア、ローマは日本人ジョカトーレが活躍したか、現在も活躍中ですね(長友佑都、中田英寿、名波浩)。
 ご記憶の整理かたがた、ご当地での先生のご活躍ぶり(?)のお話などもまた改めてお伺いしたいと思います。

三月は三回の『吾妻鏡』

No.8014

 歯の話ばかりになってしまうのですが、抜糸して縫合した状態では何を食べるときも気になって仕方がありません。これは「何も食べるな」という啓示かもしれず、地味に減量に励んでおります(それでもあまり減りませんが)。

 イタリア視察中の野口先生もそろそろ帰国の途に就かれる頃だと思いますが、ご帰国の暁にはいろいろと現地の情報を伺ってみたいものです。私のもとへは現地から写メを一枚お送りいただいたきりですので、どのあたりをどのように見て回っておられるのかよくわからないのです…。

 なお、3/9(水)は『紫苑』二校の提出日となっておりますので、執筆者のみなさんはどうぞよろしくお願い致します。
 もう少し先のことですが、次回の火曜日の『吾妻鏡』のご案内です。 

 日時:2011年3月16日(水)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:遣欧使節団報告と、弘長三年(1263年)正月一日・十日・十一日・十四日・十八日・二十三日・二十五日、二月五日・八日・九日・十日、三月十日・十三日・十七日・十八日・二十一日、四月七日・十四日、五月九日・十七日、六月二日・二十三日・二十五日・二十六日・三十日、七月五日・十三日・十六日・十八日・二十三日・二十七日、八月一日・四日・六日・七日・八日・九日・十日・十一日・十二日・十三日・十四日・十五日・二十五日・二十六日・二十七日、九月十日・十二日・十三日・二十六日、十月八日・十日・十四日・十七日・二十五日・二十八日、十一月二日・八日・九日・十三日・十六日・十九日・二十二日・二十三日・二十四日、十二月九日・十日・十一日・十六日・二十四日・二十八日・二十九日の各条

 火曜日の『吾妻鏡』は、今月は22日(火)、28日(月)と開催予定です。

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、春を感じさせるこの時期に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

三月の雪、『紫苑』二校

No.8010

 三月になったというのに、また少し寒い日が続いておりますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 昨日は日東印刷の黒澤さんにA地下までおいでいただき、『紫苑』9号の二校を受領致しました(山本さん、すみません)。修正期間は一週間、3/9(水)にはまた黒澤さんへお返ししますので、執筆者の皆さんはよろしくお願いいたします(私もきちんとやります)。

 火曜日の『吾妻鏡』がお休みの間、私は歯の治療に行ってまいりました。口の中を縫合されてしまい満足に噛めなくなってしまいましたので、この数日は流動食(?)中心の生活を送っております。
 美食でも有名な彼の国で、野口先生は本場のイタリアンを楽しんでおられるのかな…と思うと、少し羨ましい気も致します。

行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って

No.8008

 近畿地方は朝から強めの雨が降っていましたが、遣欧使節団は関西空港から無事にご出発されたようです。ちょうど一年前はゼミ旅行で鎌倉に行きましたが、そういえばあのときも雨が降っていました。特異日なのでしょうか。
 使節団の渡欧中、ゼミの予定などは特にありませんが、留守番の私岩田が随時つぶやきたいと思います。

 遣欧使節(ようするに野口先生)はフィンランド経由でイタリアに渡られる由。今頃はロシア上空あたりを飛んでおられるかもしれません。機内食など写真に撮っておいていただくようお願いしておくべきでした。
 フライト時間は相当長いようですから、機内ではこれからはじまる旅についていろいろと思いを巡らしておられるかもしれません。
 私も初めての飛行機ではいろいろと考えごとをして、けっこうあっという間に過ぎたものでした。でも機内から出ると考えていたことはすっかり抜けてしまい、これぞ「機上の空論」…なんてな(※留守番役にはダジャレも含まれるのです)。

 ◆3/2(水)は『紫苑』の二校が出来です。執筆者のみなさんは編集の山本さんからのご連絡にご注意下さい。

二人の樋口先生から御著書を頂く。

No.8004

 「春は名のみの風の寒さや」あるいは「三寒四温」といった言葉が想起される天候が続いています。それにしても、今日の関東はだいぶ暖かかったようですね。 

 ☆ 神戸大学の樋口大祐先生より、新刊の御高著『変貌する清盛  『平家物語』を書きかえる』(吉川弘文館 歴史文化ライブラリー)を御恵送頂きました。
 プロローグに、「『平家』における清盛のイメージはどのような論理に支えられているのか、後世の読者は清盛の「悪行」をどう受け取り、読みかえてきたのか」が課題として掲げられています。
 引用されたベンヤミンの「歴史をさかなでする」という言葉。 私もイタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグに倣って愛用したくなりました。
 これから平清盛関連の本は次々と出版されることになろうかと思いますが、この時点での本書の刊行は、安直な「大河」便乗本の抑止力になるでしょう。
 僭越な申し様ですが、まさに、歴史学の成果を踏まえた、すぐれた文学研究者による清新な清盛論です。
 樋口大祐先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 岩手大学の樋口知志先生より、先生の博士論文をもとに成された新刊の御著書『前九年・後三年合戦と奥州藤原氏』( 高志書院)を御恵送頂きました。
 前九年・後三年合戦を中心に11世紀の奥羽の政治状況について、次々と旧説を克服して行かれる樋口先生の御研究には目を見張るものがあるのですが、それらが系統的に一書にまとめられたことは、たいへん有り難いことです。
 私は近々、「源義家」に取り組まなければならないので、大いに参考にさせて頂きたいと思います。また、その機会に、拙論に対する御批判にもお応えしていかなければならないと考えています。
 樋口知志先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ★ ところで、上記の御著書は、それぞれ別の大手の宅急便で配送されたのですが、その配達の仕方は対照的なものでした。
 一方は、玄関のチャイムを鳴らして手渡し。これは良心的です。
 しかし、もう一方は、拙宅の門扉脇のポストに載せていくというものでした。今にも雨が降り出しそうな天候のもとで、本を露天に晒すとは、配達した人の無神経ぶりには驚かされました。

ゼミの遣欧使節-来月の『吾妻鏡』-

No.8006

 火曜日の『吾妻鏡』は、諸般の事情によりしばらくお休みをいただきます。「諸般」のなかには、遣欧使節の派遣が一件と私の歯の治療も含まれております。すみません。みなさん、どうぞ歯はお大事に。
 歯みがけよ、アビバノンノ。

 ところで、次回の火曜日の『吾妻鏡』は3月16日(水)の予定で、その後は22日(火)、28日(月)と開催予定です。

 日時:2011年3月16日(水)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:弘長三年(1263年)正月一日・十日・十一日・十四日・十八日・二十三日・二十五日、二月五日・八日・九日・十日、三月十日・十三日・十七日・十八日・二十一日、四月七日・十四日、五月九日・十七日、六月二日・二十三日・二十五日・二十六日・三十日、七月五日・十三日・十六日・十八日・二十三日・二十七日、八月一日・四日・六日・七日・八日・九日・十日・十一日・十二日・十三日・十四日・十五日・二十五日・二十六日・二十七日、九月十日・十二日・十三日・二十六日、十月八日・十日・十四日・十七日・二十五日・二十八日、十一月二日・八日・九日・十三日・十六日・十九日・二十二日・二十三日・二十四日、十二月九日・十日・十一日・十六日・二十四日・二十八日・二十九日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
 基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、春を感じさせるこの時期に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

お誕生日おめでとうございます。

元木泰雄
No.8001

 野口先生、お誕生日おめでとうございます。大きな節目を無事にお迎えになられましたことを心より、お慶び申し上げます。
 ご論文を通してお名前を存じ上げてから30年余り、京都でお目にかかってから四半世紀以上が経過致しました。いろいろなことが懐かしく思い起こされます。
 何より、多大なご教示、ご高配を賜ったことを心から感謝申し上げます。

 人生も半世紀を超えると、肉体的な衰えは隠しようもありません。人文系の学者にとって苦手な学内の管理職的な役割も逃れることができません。何かと思い通りにならないことも多くなりますが、これまで培った経験と、蓄えた知識で何とか乗り切ってまいりましょう。
 今の歴史学界は問題山積で、考えても途方に暮れるばかりです。しかし、だからこそ、我々の世代こそが、あるべき歴史学の方向を示すために、全力を絞って仕事をしてゆかなければならないと存じます。歴史学はすぐに人助けはできない、しかし健全なアカデミズムが崩れたら国家が滅びるということを銘記してまいりたいと思います。そして若い人たちが希望を持ち、歴史学を発展させてゆけるような、学問の世界を作るために尽力してまいりましょう。
 これからもご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

「耳順」には程遠い有様ですが。

No.8003

 元木先生。お言葉、ありがとうございます。

  1951年生まれの私は、小学生の頃、「2000年になったら『始終臭い』だ」などと言ってふざけておりましたが、現実にならないはずのそれが現実となり、さらに10年以上が経過してしまったことになります。
 昔なら、こんな歳になると少しは威厳を持てたのではないかと思いますが、姿は不様になる一方、そして人格は軽さを増すばかりで、お恥ずかしい次第です。
 とうとう「始終臭い」に輪をかけて「胡散臭い」老人になってしまいました。

 拙著『源氏と坂東武士』の「あとがき」にも書かせて頂きましたが、1985年秋の日本史研究会大会、そして1986年から3年間の「在京活動」で元木先生にお近づきになれたことは、私の研究活動、否、人生にとって僥倖とも言うべきものでした。
 今後とも宜しくお願い申しあげます。

人生は苦いが、ケーキの年輪は美味い!

No.7999

 『紫苑』第9号の二度目の入稿も無事終了。また、この一年間で更に実力を蓄えた大谷さんの神戸大学大学院DC合格の報せも届きました。すべて努力の賜物です。

 今日の史料講読会では、某人の節目の前日ということで、岩田君や山本さんが美味しいケーキやお菓子を用意してくれました。山本さんから「御祝」に頂いたバウムクーヘンは本物の木の箱に入った絶品。
 また、東京からわざわざ心のこもったメッセージを書面でお送り下さった方もあり、恐縮の極みとはこのことです。
 少しは新しいことにもチャレンジしながら、あまりにも多い「残務処理」に邁進したいと思います。

☆ 文部科学省の髙橋秀樹先生より、御高論「相模武士河村・三浦氏と地域社会-親族関係の視点から-」(高橋慎一朗編『列島の鎌倉時代 地域を動かす武士と寺社』 高志書院)を御恵送頂きました。
 東国武士社会における同族意識や婚姻関係と、その限界が見事に解明されています。
 髙橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 京都から東京に戻られて出版社で御活躍の雨野弥生さんから、御高論「創生される「名木」-「鶯宿梅」伝承の中世的変容」(堤邦彦・徳田和夫編『遊楽と信仰の文化学』森話社)を御恵送頂きました。
 文学と歴史の接点をさぐった労作です。
 雨野さんにあつく御礼を申し上げます。
 なお、この『遊楽と信仰の文化学』には、かつて当ゼミに参加された末松憲子さんの「はじめに歌枕あり-八橋売茶方厳の三河八橋再興」という論文も収録されています。

>鈴木君 例の「指示書」、24日が近づきましたので、よろしくお願い申しあげます。

2月は31日まであってほしい。

No.7998

 明日は『紫苑』第9号の初校校正の締切日です。午後3時に印刷屋さんにお渡しすることになっていますので、くれぐれも遅れることのないようにお願い致します。
 私も、2月中旬を目途に返送して下さいという論集のゲラをなんとか片付けることが出来ました。それにしても、2月というのは会計処理などで猛烈に忙しい月なので、28日までしかないのが怨めしいところてす。
 
 年金について救援のお願いをしたところ、とても大きな助け船を得られることになり、安堵しています。ほんとうに、ありがとうございます。
 ただ、なかなか、時間が取れないので、動き始めることが出来るのは、すこし先になりそうです。

 先に、元木泰雄先生より御案内頂いた古文書学会の見学会(19日、奈良国立博物館)は東京からお出での方も含め33名の参加者を得て、盛況のうちに終了したとのことです。当ゼミからは岩田君・山本さんが参加。山本さんは、二階堂貞雄の署判が加えられた和与状(元享三年)を生で見ることができたと大変喜んでおられました。
 次回は京都府立総合資料館で来月29日に開催されます(>>No.7971参照)。

 ☆ 慶應義塾大学の小川剛生先生より、先生の訳注による新刊の『正徹物語』(角川ソフィア文庫)を御恵送頂きました。
 小川先生にあつく御礼を申し上げます。

シンポジウム「寝殿造と書院造の間」開催

No.7991

 川本重雄先生(本学学長)より御案内を頂きました。
 伊勢平氏の本拠地、そして平泉・鎌倉・北陸などで発掘調査に関わっておられる第一線の研究者の方々のお話が聴けそうで、たいへん楽しみです。
 中世前期の武士の存在形態を考える上でも、おおいに得るところのあるシンポジウムになりそうです。
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           ◇ シンポジウム開催のお知らせ◇

下記のとおり、シンポジウム「寝殿造と書院造の間~建築史学と考古学の接点を求めて~」(連続シンポジウム『日本建築様式史の再構築』6)を開催いたします。中世考古学の成果の蓄積は、床・棚・書院の成立といったディテールからの書院造成立史とは異なる視点を私たちに与えてくれる段階にあります。今回のシンポジウムでは建築史学・考古学・歴史学のそれぞれの立場から、新しい成果や視点を紹介し、討議します。年度末のお忙しい時期ではございますが、是非ご参加いただけますようご案内申し上げます。

                 記

日時:2011年3月19日(土)午後1時30分~午後5時00分

場所:京都女子大学 B420教室

発表者・発表題目
 川本 重雄 (京都女子大学):寝殿造と総柱建物
 伊藤 裕偉 (三重県埋蔵文化財センター):伊勢・伊賀における古代中世移行期の建物遺構
 水澤 幸一(胎内市教育委員会):北陸の総柱建物-越後国を中心に
 岡 陽一郎 (兵庫大学兼任講師):東国の大型建物をめぐる武士の心性-古代末から中世を例に-
 羽柴 直人 (岩手県文化振興事業団):奥州藤原氏の権力中枢の建物

 司会・コメンテーター 藤田盟児(広島国際大学)

交通・アクセス:京都女子大学ホームページ
http://www.kyoto-wu.ac.jpを御覧ください
参加申し込み不要、参加費無料、ただし、当日資料配布希望の方は印刷部数確認のため、kawamoto@kyoto-wu.ac.jpまたは075-531-7077(FAX)宛て参加を申し込んでください。

      〒605-8501京都市東山区今熊野北日吉町35    京都女子大学 川本重雄

“長岡京”が都だった頃-次回の『吾妻鏡』-

No.7992

 次回の火曜日『吾妻鏡』は2月22日(火)ですが、そのあとはしばらくお休みをいただきまして、その先は3月16日(水)の予定です。

 日時:2011年2月22日(水)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文応二年(弘長元年、1261年)八月十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日。
    弘長三年(1263年)正月一日・十日・十一日・十四日・十八日・二十三日・二十五日、二月五日・八日・九日・十日、三月十日・十三日・十七日・十八日・二十一日、四月七日・十四日、五月九日・十七日、六月二日・二十三日・二十五日・二十六日・三十日、七月五日・十三日・十六日・十八日・二十三日・二十七日、八月一日・四日・六日・七日・八日・九日・十日・十一日・十二日・十三日・十四日・十五日・二十五日・二十六日・二十七日、九月十日・十二日・十三日・二十六日、十月八日・十日・十四日・十七日・二十五日・二十八日、十一月二日・八日・九日・十三日・十六日・十九日・二十二日・二十三日・二十四日、十二月九日・十日・十一日・十六日・二十四日・二十八日・二十九日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新しい歳に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。