“悪の華”は平安京の夜に開く

山田邦和(同志社女子大学)
No.7964

みなさん、こんばんは。
NHKの『歴史秘話ヒストリア』「“悪の華”は平安京の夜に開く~キケンな貴公子、藤原頼長~」を見ました。出てこられるか出てこられるかと待っていましたら、元木先生登場! 大活躍でしたね。

歌舞伎俳優の市川春猿さんが演じられる頼長、「天子摂関御影」の頼長像とはだいぶイメージが違っていましたが、大きな目をまばたきもせずに見開いてこちらを見つめている表情、異様な迫力でした。それにひきかえ、関白忠通はまったく貧相なオッちゃんでしたね。いいのかな~?

一応はちゃんと甲冑を着た武士たちが都の庶民相手に乱暴狼藉をくりかえしていましたが、あれ、どこの兵士なのかな? 

http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/74.html
なお,みのがした方の為には1月26日(水)8:15~8:58にBS2で再放送があるそうです。

Re: “悪の華”は平安京の夜に開く

No.7969

 山田先生、お知らせ、ありがとうございました。

 視聴した人(一般の方ですが)から放送の内容をうかがったところによれば、

 「貴族たちが武士を恐れて犯罪者も処罰できなくなり、それを克服すべく頼長が私刑を事とした。なにしろ、貴族政治は何でもだらしがないので、武士が新しい世の中を作ってゆく。そのはじまりが保元の乱で、藤原頼長は対立していた兄の忠通らに陥れられて、反乱者となってしまい、悲劇的な死を遂げた。」

 というようなお話だったそうですね。その方は、「武士が悪くて貴族政治がうまく行かないのに、その武士が新しい世の中を作ってゆくという話は腑に落ちなかった」と仰っておられました。

 それにしても、院政期を卒論に書こうという史学科の学生さんの多くが、もっとも関心を持っているのが「頼長の男色」であるという現状を前提に、このようなテーマが設定されたのだろうと想像しています。

 しかし、『台記』をちゃんと読むのは大変です。「日本一の大学生」が書いた日記は、二十一世紀の大学生どころか研究者にもなかなか歯が立ちませんから。

『紫苑』第9号のラインナップのお知らせ。

No.7962

 昨日、キャンパスプラザの授業が終わり、来週は筆記試験。今日は今年度最後の『小右記』講読会、そして基礎・教養科目の期末試験です。
 火曜の『吾妻鏡』講読会は来週(25日)も行います。昨日は、岩田君が『中世法制史料集』からピックアップしてくれた『吾妻鏡』関連記事に、みんなで検討を加えました。これが面白かったので、次週もその続きということになりそうです。

 ◇ 『紫苑』第9号(2011.3刊行予定)の主な構成は以下のとおりです。

 〔論文〕
  「『平家物語』における中宮平徳子の御産-変成男子の法をめぐって-」   
      大谷久美子(京都女子大学大学院文学研究科研修者・日本文学)
  「『平家物語』不思議考-覚一本・百二十句本・屋代本の比較を通して-」
      粟村亜矢(京都女子大学大学院文学研究科博士前期課程・日本文学)

 〔研究ノート〕
  「舞女微妙とその周辺」
      岩田慎平(関西学院大学大学院研究員,京都女子大学宗教・文化研究所共同研究員・日本史学)
  「近衛宰子論-宗尊親王御息所としての立場から-」
      山本みなみ(京都女子大学文学部史学科3回生・日本史学)

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  >>No.7959で御紹介した佐々木紀一先生の御高論ですが、国立情報学研究所の GeNii(学術コンテンツ・ポータル)で検索してみてください。PDFで読むことが出来るはずです。

鎌倉幕府のOLさん

No.7963

 前回はご案内を掲出するのを忘れておりまして、失礼致しました。
 野口先生からもご案内いただきましたように、次回も引き続き弘長元年の新制を読んでみたいと思います。条文の続きは以下の通りです。

 日時:2011年1月25日(火)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:文応二年(弘長元年、1261年)三月五日・十三日・二十日・二十五日、四月二十一日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日、五月一日・十三日、六月一日・三日・六日・十日・十八日・二十二日・二十三日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、七月二日・九日・十七日・十八日・二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新しい歳に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

センター試験と源為義、そしてガラパゴス

No.7959

 お寒うございます。宇治の山々にも雪がちらついております。

 大学センター試験の国語に『保元物語』が出題されたとのこと。今朝の新聞で確かめてみたら、親切なことに為義を義家の子とした源氏の系図まで掲げられておりました。

 通説によれば、為義の実父は義家の子の義親だが、義家の養子となって河内源氏の嫡流を継いだということになっています。ところが、最近、やはり義家の実子だという説が米沢女子短大の佐々木紀一先生から提出されていて(「源義忠の暗殺と源義光」『山形県立米沢女子短期大学紀要』45)、これは説得力があるように思います。

 ちなみに、通説を確認しようと『平安時代史事典』を広げてみたら、「源為義」の項目の執筆者は私のとてもよく知った人物でした。ただし、インターネット上の情報よりは、正確だと思います。

 そのインターネット上の情報ですが、歴史上の人物の解説などに、時として小説を拠り所に書いたと思われるものがあります。歴史学あるいは歴史教育の立場からすると、こんなことが平気で行われるのは大問題です。

 大河ドラマのストーリーの方が、研究者の共通理解よりも通説化してしまうというのも困ったものだと思っていたのですが、どうもそれは日本文化のガラパゴス的現象によるものらしい。昨日の『朝日新聞』に、日本文学研究者のキース・ビンセントさんが「アメリカでは、フィクションとドキュメンタリーには厳然とした区別があって、架空の物語を事実と装って出版すれば、それだけで社会的な非難を浴びます」と書いています。オタク文化が栄えるのも、このような文脈上に理解されるとのこと。なんだか、すこし分かったような気が致しました。
 いずれにしても、日本で歴史学をやるのは大変なことのようです。

 本日、バーゲンセールを狙って久しぶりにズボンを買いに出掛け、またしてもウェストサイズの拡大を確認して参りました。これは大問題!。
 まったく、緊縮財政下の「太っ腹」ではサマになりません。

甘葛煎の復元報告

No.7955

 奈良女子大学の前川佳代です。
 野口先生、甘葛煎復元成功の報告をしていただき、ありがとうございました。

 今回で奈良女のツタを使用してしまうと次に復元するのは20年後くらいになるというプレッシャーの中、奈良で甘葛煎を作るのが夢で年齢的にこれが最後の復元と覚悟された石橋顕先生のご指導を受けて、採取した5本のツタから460ccの樹液(これが芋粥を煮る時に使う味煎(みせん))を吹き出し、糖度75度を目標に煮詰め、史料にみる「箸にかけると糸を引く」状態で復元終了となりました。

 大変な労力でたったの50cc強と思われるかもしれませんが、樹液が460ccも集まり、煮詰めたら糖度が75度になったということだけでも感動でした。
 初めての、甘葛煎、おそらく日本でも数百人くらいしか味わったことのないお味は、非常に甘く、口の中ですぐにその甘さがなくなる「はかない」もので、これが「あてなるもの」と表現されたお味かと本当に感動しました。義経もきっと味わったに違いないと別の感慨も加わって・・・
 参加者の中にはその存在を知っていたけれど、一生味わえないと思っていたとおっしゃる奈良食文化研究会の方もおいででした。
 採取してから構内のラウンジで樹液採取を行ったため、余計な外皮やゴミを取り除くことができたので、薄い琥珀色の大変上質な甘葛煎となりました。
 またその前日の報告会も盛況で院生たちは菓子の歴史を塗り替える報告をしてくれました。

 この掲示板を見て参加してくださった方もいらっしゃいました。皆様のおかげで成功できました。本当にありがとうございました。
 急ぎご報告とお礼まで。
 なお、甘葛煎に関する資料は大学にございますので、ご興味ある方は前川までご一報くださいませ。

Re: 甘葛煎の復元報告

No.7956

前回の書き込みから、結果がどうなったのか大変気になっていました。
文章だけでも、甘さが伝わってきました。バレンタインのチョコとは違う、歴史的な重みのある甘さですね。

>「Web情報実習」で高校生向けのHPを作成中です。
とありましたが、本物の高校生に評価させたりというのをお考えでしょうか?

甘葛煎は義経のような味。

No.7958

 前川先生によると、甘葛煎の味は、
   一口なめると濃厚な甘さが一瞬のうちに口に広がり、消える。
  「はかない」ものでした。日本人好みなんでしょうね・・・
そして、
   大好きな義経にたとえて、義経のような味。
  奥州藤原氏のような一瞬の栄華を極めた味といってもいいでしょう!
とのことでした。
 ちなみに、この実験については新聞各紙も報じております。
  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20110114-OYT8T01107.htm
  http://www.nara-np.co.jp/20110114094907.html

 ところで、昨日で今年度金曜日の『吾妻鏡』の講読会は終了。
 出席の粟村さん・尾田さん・井草さんから和洋取り混ぜた美味しいお土産を頂きました。
 こういうときに、折良くやってくるのが長村君です。みんなでヨシトモ談義に花を咲かせました。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の西岡芳文先生より、御高論「富士山をめぐる中世の信仰」(『興風』22号)を御恵送頂きました。
 西岡先生にあつく御礼を申し上げます。

甲斐源氏・木曾義仲と鎌倉幕府の成立

No.7954

 昨秋、山梨県立博物館で開催された甲斐源氏をテーマにしたシンポジウムに参加させて頂いたことを契機にして、鎌倉幕府成立過程における甲斐源氏をどのように評価すべきか考えています。

 安田義定については、以前、「稲荷社を造営した二人の東国武士」(『朱』第43号、伏見稲荷大社、2000年)で触れたことがあるのですが、そこでは義定の武士社会におけるステイタスの高さや頼朝に対する独立性を主張しました。

 彦由一太氏の研究でも、甲斐源氏の独立性と軍事的役割の大きさが評価されているのですが、最近、私は、頼朝の作り上げた政権について、その画期性を従来のようには評価できなくなり、その一方で、『玉葉』などをよく読んでみると、東国叛乱勢力の中で頼朝の存在がきわめて高く評価されていることに気がついて、いささか混乱するところがありました。彦由氏の研究からは学ぶべき所が多いのですが、甲斐源氏と頼朝を同等の政治勢力としてに捉えるような見方には違和感を感じてしまうのです。

 今日は、関連する先行研究を読んでいたのですが、松井茂氏の「源頼朝と甲斐源氏」(『文化』第42巻第1・2号、1978年)を読んで大いに腑に落ちるところがありました。当然、以前読んでいるはずなのですが、その時には納得できなかったのだと思います。
 最近、私は各地に挙兵した勢力の中で頼朝が一頭地を抜いた存在であったことを「「東国武士」の実像」(高橋修編『実像の中世武士団』 高志書院)の中で述べたのですが、それを補強してくれるような内容でした。松井先生に感謝です。

  結局、彦由氏の説も踏まえつつ、最近の政治史研究の成果に基づいて、それを相対化するという形で、私の甲斐源氏にたいする認識は落ち着きそうですが、それは木曾義仲や源行家の評価、ひいては鎌倉幕府論にも関わる問題だと思います。目下、「木曾義仲論」の最前線にいる長村君などの御意見をうかがいたいものです。

 昨日頂いた髙橋昌明先生からのお手紙によると、最近の武士論研究は在地武士団の見直し、再構築に議論が向けられているようですが、そうした研究が進行する中で、上記のような問題についても、新しい見解が示されるようになるものと期待したいところです。
  いろいろ御教示いただければ幸いです。

 【追記】 本日、朝日放送の18時台のニュースで、先日奈良女子大の前川佳代先生が紹介して下さった(>>No.7925)イベントの様子が放映されました。
  http://www.nara-wu.ac.jp/news/H22news/110112.pdf
 実験は大成功だったようで、甘葛煎はとても美味しそうでした。 

 『紫苑』第9号の原稿集まる。

No.7953

 昨日は『吾妻鏡』、本日は『小右記』。ゼミの講読会が再開されました。昨日は久しぶりに小野さんが参加。お土産にたね屋のカステラを頂きました。『紫苑』第9号原稿の締め切り日でしたので、ちょうどやって来られた大谷さんも加わって、御馳走になりました。

 その『紫苑』ですが、メインとなる論文・研究ノートの原稿以下、すべて集まりました。今号は国文2編(ともに『平家物語』関連)と史学2編(ともに鎌倉時代政治史関連)の4編を中心に構成されます。乞うご期待!
 編集長の山本さんの御尽力により、本日、見積もりの依頼書を事務方に提出することが出来ました。 
 おりしも、先代の編集長である江波さんから、Eメールにて、広島から修士論文提出の報告が届きました。お疲れ様でした。

 みなさん御立派!。一方、この私はと言えば、先月締切の原稿をいつ出すつもりだという督促(叱責)のEメールを編集者の方から頂いて、すっかり落ち込んでしまっております。

 ☆ 髙橋昌明先生より、御高論「比較武人政権論」(荒野泰典ほか編『日本の対外関係3 通交・通商圏の拡大』吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 髙橋先生に、あつく御礼を申し上げます。
 ただ、私には「平家の六波羅幕府」というのが、どうしてもしっくりいきません。

進取の精神、学の独立

No.7951

 昨日は大河ドラマは見ませんでしたが、昼にラグビーをテレビ観戦しました。そこでインパクトを得たのは試合そのものよりも、試合開始前に歌われた早稲田大学の校歌。「学の独立」というフレーズに、あらためて感動を覚えた次第です。「大学」にとっては当たり前のことなのですが。

 年末年始に執筆する予定の2本の原稿のうち、ようやく1本を脱稿し、添付ファイルで送信致しました。これは科研がらみなので優先しました。もう1本の原稿は、元木先生や近藤先生もお書きになる論文集のものです。両先生は、きっともう提出されてしまったことでしょう。設計図は出来ているので即着工いたします。
 さて、昨年末に届いた原稿依頼への回答をどうするか、ここが思案のしどころです。

 明日は今年に入って初めての授業とゼミ。  
 キャンパスプラザⅡ講時の授業は「源義経論」(その一)。
 『吾妻鏡』講読のゼミは15時開始ですが、同じ時刻が『紫苑』の原稿の締切ですから、関係者は少しお早めにお出で下さって構いません。

 現代社会学部卒論指導対象の諸姉には、本日、アドバイスの最終便をお送りするつもりです。

すでに来年まで360日を切ってしまった。

No.7949

 そろそろ私立の学校では、新年度に向けて教員の採用面接が始まったようです。
 22年前の正月6日、採用委員会の先生方と面接するために初めて鹿児島の地に降り立ったことを思い出します。翌日、年号が変わりました。その後、学長面接は東京のホテルで。
 当時、京都に住んでいた私にとっては、西へ東へと、なかなかスケールの大きな面接でした。

 年末年始に論文を2本仕上げる予定でおりましたが、未だに1本目の途中にて停滞中です。これは、ひとえに「国外逃亡」を妄想した結果といえましょう。
 そのような私に引きかえ、こちらが原稿を依頼した若い方々からは、執筆完了のお知らせが続々と届いています。頼もしい限りです。

 本日(8日)は、鈴木君御夫妻がPCのメンテナンスに来て下さいました。新しい機能を加え、また一太郎の編集技術も教えて頂きました。多謝!!

京都女子大学は明日から講義再開です。

No.7948

 今日は大学に、今年の初出勤。書類を書いたり、日程の調整をしたりしていたら、もう4時を過ぎてしまいました。仕事が先に進まなくなったので、今思っていることをちょっと記してみたいと思います。

 年賀状というのはよいものである。少年時代に模型作りや切手の蒐集を教えてもらった近所のお兄さんや、園児~児童~生徒~学生時代の友達、高校教員時代の教え子、各地の職場で世話になった同僚たち、大学教員になってからの教え子等々から、多くは年に一度きりの消息である。年賀状のおかけで繋がっていられる。
 私は今年で還暦なので、同学年の友人には3月末で退職する人が多い。私など定年後の人生は真っ暗闇なのだろうが、友人たちは、南国に引っ越してしばらく静養するだとか、県の外郭団体に再就職とか、みんな上手に生きているらしい。
 世間一般ではどうでもよいことかも知れないが、御同業の諸賢にとっては大ニュースも飛び込んでくる。今年のトップは、大手出版社の編集者からもたらされた、1960年代に日本中世史学会で大活躍し、将来を嘱望されていながら学界から忽然と姿を消した研究者が御存命であったという情報である。一方、都内某研究機関に所属する著名な先生からの年賀状には、「年末に執筆したブログに『野口さん』のことを書きました。失礼!」というのもあった。
 年賀状は短い期間に大量に書くものだから大変なのだが、一度出し忘れると、それで縁が切れてしまうことになる場合が多い。縁は人を助けるものである。一瞬の面倒が人生を大きく分けることになるかも知れない。

 謹賀新年   HAPPY NEW YEAR

No.7942

 あらためまして、明けましておめでとうございます。

 年賀状や年賀メールをありがとうございました。略儀ながら、この場を借りて御礼を申し上げます。
 それにしても、年賀状には貴重な情報が満載です。

 当ゼミの今年。就職する人、進級や進学する人、卒論や修論を書く人、博士になる人、大学の教壇に立つ人。結婚する予定の人は今のところおられないようですが(知らぬは私ばかりなのかも?)、様々な一年を送られることと思います。
 みなさんは若いので、決して焦る必要はありませんが、健康にだけは気を付けて充実した毎日をお過ごし下さい。

 今、卒論の草稿に対するコメントを、私が卒論指導を担当している現社4回生に送信している途中です。あとは自力救済。最後の一踏ん張り、頑張ってください。結構、面白くなっているのかも知れませんね。

 『紫苑』執筆の方たちは、そろそろ脱稿の段階でしょうか。11日の締切後、即、印刷経費の見積もりを事務方にお願いしなければなりませんので、宜しくお願い致します。

 ☆ 國學院大学の千々和到先生より、御高論「思いもかけぬめぐりあい-中村直勝旧蔵の牛玉宝印-」掲載の『國學院雑誌』第111巻第10号を御恵送頂きました。
 中村直勝氏はかつて本学の教壇に立たれていたことのある古文書学の泰斗です。昨夏の古文書学会の見学会の際、千々和先生から、このことに関してお話をうかがう機会があり、今回わざわざお送り頂きました。
 千々和先生にあつく御礼を申し上げます。