友とするに悪き者は、病なく身強き人。

No.7890

 ここ数年、体調を崩しても発熱にまで及ぶことは無かったのですが、ついにダウンしてしまいました。
 お医者さんの診断を受け、回復を図っておりますが、夜間に咳がとまらないので、十分に睡眠をとれないのが辛いところです。 しかし、新型インフルエンザ騒動の際に、学習院の伊藤さんが送って下さったマスクがおおいに役に立っております。
 それから、医院で診察を待つ間、文庫本の『徒然草』を読んでいたのですが、いくつか重要な発見がありました。「禍を転じて福と成す」というやつでしょうか。

 こんな時に限って、いろいろ差し迫った仕事が舞い込みます。『芬陀利華』の連載原稿も明日が締切。これは先ほどなんとか脱稿できましたが、形ばかりで新鮮な内容ではありません。別に校正もありますが、少しばかりお時間をいただきたいところです。
 なお、そんな状態なので、E・メールの御返信など出来ないままになっているものも多く、お詫び申し上げる次第です。

 いよいよ師走と言うことで、ゼミの日程も普段の月とは異なります。史料講読会の予定(年末最終日)はトップページでよく御確認下さい。

 なお、今週の授業ですが、火曜日のキャンパスプラザでは「木曾義仲」、水曜日の基礎・教養科目では「武家社会の女性」をテーマにお話しする予定です。

師走の幻想-次回の『吾妻鏡』-

No.7892

 ご案内が遅くなりまして申し訳ありませんでした。12月の『吾妻鏡』は7日、14日に開催予定です。

 日時:2010年12月7日(火)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:正元二年(文応元年、1260年)八月十六日・十七日、九月五日、十月十五日、十一月十一日・十八日・二十一日・二十二日・二十六日・二十七日・二十八日、十二月一日・二日・十六日・二十日・二十一日・二十三日・二十五日・二十六日・二十九日
 文応二年(弘長元年、1261年)正月四日・十日・二十五日・二十六日、二月二十日・二十五日・二十九日、三月五日・十三日・二十日・二十五日、四月二十一日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日、五月一日・十三日、六月一日・三日・六日・十日・十八日・二十二日・二十三日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、七月二日・九日・十七日・十八日・二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、冬に向けて何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

京都文化博物館現歴史展示室との別れ

No.7885

 諸事錯綜しているせいか、はたまた老化現象の一環によるものか、このところ非生産的な行動がしばしばです。火曜日はゼミの後、研究室の鍵を門衛さんに渡すのを忘れて帰宅してしまい、また「出勤」。それから、水曜日には、まだ度数が800以上ものこっていたコピーカードの紛失に気づき、前日にコピーをとった際に忘れたのだと思って図書館の新聞・雑誌室に行ったのですが、届けられておりませんでした。
 こんな具合ですから、気を引き締めなければならないのですが、風邪をひいてしまって体調不良(のどの痛み・鼻づまり・頭痛・微熱・・・)。これは医者にかからなければならなくなるかと思って健康保険証を見ると先月末で有効期限が切れていて、更新に行かなければならなかったりと、次から次へと「不幸」が重なっております。
 さらに追い打ちをかけているのが1時間半後の胃部検診。バリウムを飲んで検査をするので、前日の22時から食物はおろか水も摂取してはいけないというのです。風邪の症状が出ているときに水が飲めないというのは辛い話です。

 不幸と言っても極めて小規模なつまらない愚痴を書いてしまいましたが、昨日は身体の不調をおして古巣の京都文化博物館でギャラリートークなるものをして参りました。
 平日の昼間なので、あまりお客さんはいませんでしたが、もと同僚の植山先生や中世を担当しておられる横山先生、それに新任の学芸員の西山先生、その昔、平安時代史事典の編集室におられた大森さんの妹さん、それに、なんと山本みなみさんの妹さんともお目にかかる機会を得ることが出来たのは幸いでした。副館長さんにも御挨拶を頂いて恐縮いたしました。
 どんな話をしたのか、ということで、以下にメモ書きを貼り付けておこうと思います。だいたい、こんな内容の話を致しました。タイトルは大げさでしたね。
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          ◇ 歴史展示「武者の世に」の構想 ◇  

 この博物館には開館の準備段階から携わり、開館の翌年の平成元年(1989)3月まで主任学芸員として勤務させて頂きました。

 私が主に担当したのは通史展示のうち「武者の世に」のコーナー、集中展示のうち「えがかれた京」、それから展示図録の作成でした。

 私は千葉県の出身で、もともと東国の武士を研究対象としておりましたから、千葉の高校の教員をやめて京都に来るまでは、京都に関する知識で専門的な部分というのは、中世前期における東国武士との関係という極めて狭い部分でありました。ですから、中世(「武者の世に」と「描かれた京」のコーナー)を担当するといっても殆ど一からの勉強となりました。
 展示案そのものは既に有識者によって既に策定されており、私たちの仕事は展示業者(トータル・メディアという佐倉の歴博を担当した業者)を指導しながら、それを形にしていくという仕事でした。

 この博物館の歴史展示のコンセプトは、藤原道長とか平清盛のような個人の名前は出さず、古代から現代にまで連綿と再生を続けてきた希有の都市として京都の歴史を通史的に解説する場をつくり、その展示を踏まえて、外に出て、今でもそこかしこに史跡に満ち満ちている京都を楽しんでもらうというものでした。京都には美術品の展示施設や資料館はあっても、通史を語ることを一義的な目的とした施設はほかにありませんので、おおいにやり甲斐を感じたものでした。環境に関わる都市問題の発生を取り上げた部分など、当時としては先鋭的な展示であったと思います。

  しかし、思うに任せないところもありました。場所が京都であるということで、今日、京都に残されている伝統工芸の技術を宣伝する目的が展示形態に反映されており、それによって、歴史情報として伝えるべき内容が曖昧なものになったことは否めないと思います。
 たとえば朝廷の警察機関である検非違使の行列を描いた『平治物語絵巻』の「信西首渡し」の場面を人形によって立体的に復元したのはよいのですが、首渡しの場面なのに、首を取り払って、武士の時代の到来を印象づける目的で展示するなど、イメージ先行の展示でありましたから、そこに(かっこよく言えば)「研究者としての良心」を注ぎ込むのに苦労するところがありました。首をつけて展示するようになったのは、数年前からのことです。

  ほかに、私が担当したことによって、特色が出せたと思われるのは(これはむしろマイナス面かも知れませんが)、「ひろがる京文化」の地図で、中世後期に京都の文化人が地方に出掛けていったルートを示したのですが、それが、やたらと関東、それも房総半島に集まっているのは、私が千葉の出身であるからです。
 それから、今はもう無くなってしまいましたが、以前、歴史情報サービスというコーナーがあり、京都の歴史に関するキーワードから情報を得ることが出来るモニターが置いてあったのですが、そこで「京女」ということばを入力すると、一般の方たちがイメージする優美な京都の女性とは対照的な、自ら金融業を営んで莫大な富を築き、美食が昂じて肥満し、下女の助けを借りなければ歩行も困難になった、ある意味でたくましい女性の姿が現れるようにしたりもいたしました。これこそ本来の自立した京都の女性に近い姿だと考えたからです。

 しかし、とくに文化・芸術の面で東夷(あずえびす)の私など到底には分からないところも多く、コンパニオンさんに教えて頂いたりしたことも多くございました。ちなみに、茶道具の展示のさいに重いガラスケースを持ち上げて、無理なカッコウで中に入ろうとした事が原因でギックリ腰におそわれたという苦い思い出もございます。山村美紗原作の2時間ドラマに出てくる博物館学芸員はみんな優雅に仕事をしておられますが(時には死体になったり致しますが)、学芸員の実態は「雑芸員」で、なかなか大変な側面があるのです。

 それにしても、京都という所は、NHKの大河ドラマが何を取り上げても必ず主な舞台として登場することになることからも分かるように、一つの時代について巨大な博物館が一つずつ造られてもおかしくないようなところです。
 京都は世界的にも文献史料が圧倒的に豊富な所でありますから、考古学的な調査で検出された遺構・遺物を文献史学の立場から評価することが可能なので、考古・文献双方からの実証作業という、ほかでは経験の出来ない歴史学の醍醐味を味わうことが出来るところです。
 今ふりかえって見ますと、京都文化博物館の歴史展示の仕事というのは、過渡期の大変な職場環境の中で、多くの方々の御助力に頼りながら、暗中模索で行ったものではありましたが、そうした恩恵に与ることの出来た、得難い経験の機会であったと思っております。

 この歴史展示室のリニューアルがいよいよ実現することになりました。これまでの展示には思い出深いものがあり、それが失われてしまうのは、些か寂しいというのが、私の個人的な感想です。しかし、開館以来、すでに20年以上が経過し、展示内容も現在の研究どころか教育現場の水準をも反映しないものになっていましたから、これはたいへん喜ばしいことであります。

 最後に、この消えゆく歴史展示の制作に関係した者からの遺言のようなことになりますが、このたびのリニューアルについて一つ注文をつけたいと思います。

 今回のリニューアルでは、「ほんまもん」の展示が志向されているようですが、何が「ほんまもん」なのかよく吟味する必要があると思います。マスコミで喧伝されているような通俗的な京都のイメージに合致した「実物」を並べて「京都文化はこんな素晴らしい」というのでは、悪い表現ですが、成金の骨董趣味のようなことになってしまわないかという懸念がもたれます。観光客がたくさん足を運ぶことを一義的に考えて、かえって教育目的にも観光目的にも施設として中途半端なものになってしまわないように願うものです。ステレオタイプの京都像を再生産するのではなく、きちんとした学術的背景をもった京都の歴史を通史的に語る施設として再生してほしいと願うものです。
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 ※ 京都文化博物館の歴史展示室は5日まで無料で公開されています。まだ、行ったことのない方は是非この機会に見ておいていただきたいと思います。二度と見ることが出来なくなります。

千葉氏と桜田北条氏の関係は如何に

No.7876

 本日(27日)の研究会。大田壮一郎さんの御報告は文献史料による実証のお手本のようなお話で、大いに得心。鎌倉後期の千葉氏について新たな課題も見出すことが出来ました。
 大田さんに感謝申し上げる次第です。 
 参会者の方々からはたくさんのお土産を頂きました(大田さんからも)。ありがとうございました。
 懇親会はお土産(佐伯君の広島土産など)のお菓子(山岡さん・長村君等からも)を頂きながら、楽しい一時を過ごすことが出来ました。ちなみに、岩田君からは私宛にお赤飯を頂きました。
 それにしても、研究会と懇親会、あわせて約5時間。終わってみたらアッという間でした。

 ☆ 広島大学特別研究員の渡邊誠先生より、御高論「俸料官符追考」(『史学研究』第269号)・「後白河法皇の阿育王山舎利殿建立と重源・栄西」(『日本史研究』579号)を御恵送頂きました。
 渡邊先生にあつく御礼を申し上げます。 

 ☆ 2004年夏のゼミ旅行の際に大変お世話になった佐賀県小城市、村岡総本舗の村岡安廣社長(全国銘産菓子工業協同組合理事長)より、同組合創立60周年を記念して刊行された『日本の菓子 全国銘菓』を御恵送頂きました。
 村岡社長にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 学習院大学史料館客員研究員の木村真美子先生より、御高論「慈照院所蔵『大徳院領地文書』」収録の『東京大学史料編纂所研究成果報告2009-6 分散した禅院文書群をもちいた情報復元の研究』(研究代表者 山家浩樹)を御恵送頂きました。 
 木村先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 福島大学の伊藤喜良先生より、新刊の御高著『足利義満 法皇の夢を追った華麗な生涯』(山川出版社)を御恵送頂きました。
 伊藤先生にあつく御礼を申し上げます。

十二月も近い『吾妻鏡』

No.7878

 昨日例会にてご報告いただきました大田さん、ありがとうございました。知識不足から、理解できた点はごく僅かでしたが、興味深く拝聴させていただきました。

 十一月は諸般の都合で火曜日の『吾妻鏡』はあまり開催できませんでしたが、次回のご案内です。あっというまに十二月です。

 日時:2010年11月30日(火)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:正元二年(文応元年、1260年)八月十六日・十七日、九月五日、十月十五日、十一月十一日・十八日・二十一日・二十二日・二十六日・二十七日・二十八日、十二月一日・二日・十六日・二十日・二十一日・二十三日・二十五日・二十六日・二十九日
 文応二年(弘長元年、1261年)正月四日・十日・二十五日・二十六日、二月二十日・二十五日・二十九日、三月五日・十三日・二十日・二十五日、四月二十一日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日、五月一日・十三日、六月一日・三日・六日・十日・十八日・二十二日・二十三日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、七月二日・九日・十七日・十八日・二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、冬に向けて何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

京都は紅葉で高揚しています。

No.7871

 京都は今、観光客でいっぱいです。今日、研究室を訪ねてくれた現社の学生さんは、嵐山に行ったら人が多くで、人力車にひかれそうになったと言っていました。
 この時期、さすがに修学旅行生の姿は目立ちませんが、40年ほど昔の頃はピークだったのではないでしょうか。私が高二の時、千葉県立千葉東高校の修学旅行団の一員として京都を訪れたのも、ちょうどこの時期だったと思います。しかし、こんなに観光客は多くはありませんでした。
 今から23時間ほど前、今日になったばかりの時刻に二番目の孫が生まれました。私も新米のオジイサンを脱していよいよ中堅の仲間入りと言ったところです。ですから、(いくら国史が専門だからと言って)酷使されませんように!

 今日の『吾妻鏡』は読んだところが面白かった。頼朝は困った人ですが、あんな事を載せる『吾妻鏡』という本も一体・・・。政治思想史的にではない次元で、書いた人の気持ちを推し量ってしまいました。
 次回からは元暦元年に入ります。

 明日の研究所共同研究研究会(兼ゼミ例会)には、前途有望な関西の若手日本中世史研究者が数多く集結する勢い。コネを作って「老後」に備えたいと思っております。

 ☆ 先般、山梨県立博物館で行われた甲斐源氏に関するシンポジウムの際に大変お世話になった山梨郷土研究会理事長清雲俊元先生より、御高著『甲斐源氏安田義定』(山梨日々新聞社)と御共著『真言宗智山派 放光寺』(山梨歴史美術研究会)を御恵送頂きました。前者はかつて、今野慶信先生より御教示頂いていたにもかかわらず、とうとう入手出来ないでいた幻の名著。ほんとうに嬉しい限りです。
 清雲先生にあつく御礼を申し上げます。

27日は共同研究の研究会兼ゼミ例会

No.7865

 本年度研究所共同研究の一環として、下記のように当ゼミの例会を兼ねた形で研究会を開催します。広く、報告テーマに関して関心を持たれる研究者・院生・学生の方たちの参加を募ります。

 ・ 発表テーマ:「北条師頼と伊賀国平等寺の禅院化-得宗一門・守護・禅宗-」(仮)
 ・ 講師: 大田壮一郎氏(本願寺仏教音楽儀礼研究所研究員・龍谷大学等非常勤講師)
 ・ 日時: 11月27日(土)14:00~
 ・ 会場: 本学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)
       http://www.kyoto-wu.ac.jp/access/index.html
       http://www.kyoto-wu.ac.jp/student/campus/map/index.html
( 終了後、ゼミメンバーも交えて、お茶とお菓子での懇親会を計画しています。)

 ※ 共同研究員および当ゼミ関係者以外の方で参加される方は、席数の関係上、当ゼミ関係者を通じて申し込まれるか、私に直接御連絡下さい。
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 23日の「大泉讃 陶展」のオープニング・トーク。多くの方たちが熱心に聴いてくださいました。会場が画廊であったことで、ステージからの講演よりもかえって話がし易かったように思います。内容については、分かりづらかったり、話の進め方の工夫が足りなかったりしたこともあったと反省しています。お出で下さった藪本君が良い評価をしてくださったのが、せめてもの救いです。 

 大泉さんは陶芸家として御活躍の傍ら、長年、平和や環境問題にも取り組んでおられる方です。お目にかかったのは15年ぶりでしたが、ますますお元気な御様子。私は一人で年をとってしまったような錯覚に陥りました。講演の後、大泉さん御夫妻と錦小路に赴き、とても美味しい松花堂弁当を御馳走になりました。

 ◎ 「大泉讃 陶展」は中京区蛸薬師堺町東入るの画廊「ぐれごりお」(地下鉄「四条駅」、阪急「烏丸」駅より徒歩10分、蛸薬師通りに面しています)で、28日まで開催されています。蛇窯で焼かれた南蛮をはじめ、五連房式窯での作品が揃います。
 大泉さんの作品の写真を載せた絵はがき(今回の展覧会の案内)を研究室前のテーブルに置いておきます。必要な方はお持ち帰りください。

 昨日のゼミ史料講読会は、Ⅲ講時に『小右記』、続けてⅣ講時に『平家物語』などに登場する「美女」について大谷さんから報告をいただきました。私はⅣ講時に現代社会学部学生の卒論指導がありましたので後者の方は参加できませんでしたが、山本さん・中村さんは大いに触発されるものがあったのではないかと思います。大谷さんの研究は、歴史学のジャンルに裨益するところが多く、さらなる成果が楽しみです。 

 拙稿「「法住寺殿の武将墓」被葬者再考」掲載の『土車』第120号(財団法人古代学協会)が発行されました。短文ですが、新説を開陳致しましたので、御笑覧頂ければ幸いです。スペースの関係で本文には書けませんでしたが、国文学の研究から大いに示唆をうけるところがありました。

京都文化博物館のラストトークライブ

No.7851

 ◇ 京都文化博物館歴史展示室のお別れイベント ◇

 リニューアル工事のため、京都文化博物館の2階歴史展示室・3階映像ホール&ギャラリーは、いよいよ12月5日(日)で見納めです。
 そこで、12月1日(水)~5日(日)常設展示は無料公開。また、2階歴史展示室内において、学芸員と元学芸員によるラストトークライブが行われます。(無料/事前申込不要/各回約30分)

 開催日程は以下のとおり。
12/1(水) 14:00~ 「平安京と文化財」   藤本孝一(龍谷大学客員教授)
12/2(木) 14:00~ 「歴史展示『武者の世に』の構想」   野口 実(京都女子大学教授)
12/3(金) 14:00~ 「十二単と仮名」   土橋 誠(京都府立総合資料館歴史資料課)
      16:00~ 「埋納銭 中世京都の証言者」   横山和弘(当館学芸員)
12/4(土) 11:00~ 「洛中洛外図屏風に見る商人達」   西山 剛(当館学芸員)
      14:00~ 「法住寺殿跡出土鍬形について」    片岡 肇(元当館学芸第二課長)
       16:00~ 「ぶんぱくの展示はこう変わる! 」   南 博史(当館学芸員)
12/5(日) 11:00~ 「京のまつり」    大塚活美(京都府立総合資料館歴史資料課)
       14:00~ 「歴史展示にみる京都都市史」   山田邦和(同志社女子大学教授)
       16:00~ 「復元模型のたのしみ」   植山 茂(当館学芸員)

 ※ ギャラリートークなどと言うのは初めてなので、私は例によって何を話すべきか考え込んでおります。
  元同僚諸氏のお話はみんな聴いておきたいところなのですが。

  今月23日(火)のオープニングトークも、聴いて頂ける方が、普段と異なると思うので、どうなることかと心配しております。
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◇ 「大泉 讃 陶展」オープニングトーク ◇
 日時 11月23日(火)17:00~
 場所 画廊ぐれごりお(京都市中京区蛸薬師堺町東入ル)烏丸四条駅より徒歩10分
 テーマ「京都の平和と源義経」
 講師 野口 実(京都女子大学宗教・文化研究所教授)
 ※ ちなみに、大泉さんの作品はとても味があります。焼物に興味のある方は是非どうぞ。

いよいよ一週間後に迫りました。

No.7848

◎ 本年度研究所共同研究の一環として、下記のように当ゼミの例会を兼ねた形で研究会を開催します。広く、報告テーマに関して関心を持たれる研究者・院生・学生の方たちの参加を募ります。

 ・ 発表テーマ:「北条師頼と伊賀国平等寺の禅院化-得宗一門・守護・禅宗-」(仮)
 ・ 講師: 大田壮一郎氏(本願寺仏教音楽儀礼研究所研究員・龍谷大学等非常勤講師)
 ・ 日時: 11月27日(土)14:00~
 ・ 会場: 本学宗教・文化研究所共同研究室
( 終了後、お茶とお菓子での懇親会を計画しています。)

 ※ 共同研究員および当ゼミ関係者以外の方で参加される方は、席数の関係上、当ゼミ関係者を通じて申し込まれるか、私に直接御連絡下さい。
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☆ 大阪工業大学の大村拓生先生より、御高論「中世京都の治安と防備」(『歴史と地理 日本史の研究』637号)を御恵送頂きました。二つの付図は拙論掲載のものがお役に立てたようです。
 大村先生にあつく御礼を申し上げます。 

無題

No.7845

はじめまして。お電話を差し上げたいと思っています。

Re: 野口先生ありがとう、私も山田邦和先生の京都市史研究の本も買いました。

No.7844

山田先生に協力してほしい。西市の西七條条村誌研究会のホームページを立ち上げています。地名研究会の吉田金彦先生に来ていただきました。これからの発足です。当方83歳ですのであまり時間がありません。村の墓地委員会が母体です。地元の11人の会員がいますが何も進んでいません。20年6月13日に立ち上げた所です。委員の中に西蓮寺の住職は梅谷繁樹先生で、元短大の国文学の教授をしていられました。いまは近所の主婦たちに源氏物語の講義を続けておられます。

Re: 野口先生ありがとう、私も山田邦和...

No.7847

 山田先生の論文集を御購入の由。先般の平安京・京都研究集会にも参加されたのでしょうか。
 山田先生はさすがに生粋の京都人だけあって、京都の歴史は隅から隅まで御存知です。
 本日、お目にかかる機会がありましたが、一条天皇に陸奥に左遷されたという説話で有名な藤原実方が雀になって京都に戻り、そのお墓が四条の某寺にあるのだというお話をうかがいました。
 そういえば以前、同じ四条通り近くにある、京都で唯一平将門を祀っているという祠に案内して頂いたこともありました。

山田邦和先生より御教示.を頂きました

No.7853

山田先生より、藤原実方伝説のあるお寺について、追って以下のような御教示を頂きました。

藤原実方伝説のあるお寺は「更雀寺(きょうじゃくじ)」です。
これは以前には確かに四条大宮にあったのですが、
1977年に市原(京都精華大学の近く)に移転してしまいました。
最近は私も行っていないので、
「ん? あのお寺、どっかに移ったよな?」と思いながらも、
子供の頃の記憶だけに頼ってお話をしてしまいました。
雀になった実方の墓(?)も現存するはずです。
なお、寺伝ではこのお寺はもともとは勧学院の跡地に建てられたとされ、
その由緒から「勧学院」と名乗ることもあるようです。

「暴力装置」で思い出すこと

No.7842

 今はどうしているのか存じませんが、私が在学していた当時、青山学院大学の史学科では卒論の口頭試問に、学生一人に対して専攻を問わず全専任教員があたっていました。専攻を異にしますから、思いもよらぬ質問も飛び出します。
 たとえば、東洋史学の泰斗で当時の学科主任であった三上次男先生からは「豪族的領主層」の「豪族」とは何かを問われ、何とも答えようが無く困っているのを指導教官の貫先生にフォローして頂いたことを記憶しています。
 そのときは、なんでこんな質問をするのだろうと思ったのですが、学問を本業とするようになってから、三上先生が研究上の概念をきちんと把握すべきことを教えて下さったことに気がつきました。
 
 それと、もうひとつが「暴力装置」で、これは私の卒論が武士団をテーマにしたもので、その成立を理論的に論じた先行研究の中で使われていたのを引いてしまっただけなのですが、これについても適切なのかどうか、これは確か日欧交流史が御専門の岡田章雄先生からだったと思いますが、御指摘を頂きました。
 これも、返答に窮しているのを、ドイツ近代史の新進気鋭の研究者であった富永幸生先生が「(学術用語の)訳語です」と助け船を出して下さいました。

 富永先生は、あの大学紛争の渦中にあって、理論面でも行動面でも、とても信頼の置ける研究者でしたが、若くして亡くなられました。
 三上先生も岡田先生も既に世を去られています。

 いまさらながら、あの当時の、信念を持ち、学者然とした、しかし優しい先生方に支えられた青学史学科がとても懐かしく、いとおしく思われる昨今です。