お願い&御紹介

No.737

小口雅史先生からいただいた御高論「延久蝦夷合戦をめぐる覚書」(中野栄夫編『日本中世の政治と社会』吉川弘文館)において、応徳三年五月五日付「前陸奥守源頼俊申文」の従来『平安遺文』などで「清原貞衡」と判読していたものを、先生は「清原真衡」と読むべきものと断定されています。小生は、この文書の存在を清原真衡とは別に鎮守府将軍に任じた清原貞衡なる人物が存在したことの一つの根拠にしています(拙著『武家の棟梁の条件』118ページ以下参照)。この文書は入間田宣夫・豊見山和行『日本の中世5 北の平泉、南の琉球』(中央公論新社)17ページに鮮明なカラー写真が掲出されていますが、私には「貞衡」と読め、写真のキャプションからこの部分の執筆をされた入間田先生も「貞衡」と判読されたことが明らかです。古文書の判読に精通された方に、ぜひこの写真を御覧いただき、御意見をうかがいたくお願いいたします。

この度刊行された『古代文化』55-11に、中原俊章先生御執筆の拙著『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館)への書評が掲載されました。小生が追究することの出来なかった、秀郷伝説の中に示される「竜」の問題についての御見解が示されており、武士に関する伝承・説話に関心をお持ちの国文学専攻の方々に有益なものと思います。

なお、本日(7日)夕刻、東北大学柳原敏昭先生・佐藤健治先生、山形県埋蔵文化財センター山口博之先生が研究室に来訪され、お迎えした滑川さん・長村・山本両君とともに歓談刻をうつしました。東北へのお招きを受けましたので、ぜひそのうち、仙台・平泉へのゼミ旅行も計画したいものです。
柳原先生が山田先生や美川先生とのクラシック談義を期待されていたのを、ついぞ忘れていました。次回御上洛のおりには、是非とも。

Re: お願い&御紹介

滑川敦子
No.738

野口先生、昨日は貴重な機会を設けて下さりありがとうございました。そして、色々なお話をして下さいました柳原先生、佐藤先生、山口先生にこの場をお借りしてお礼申し上げます。

野口先生が気にされている例の史料の判読ですが、筆の入り方で読みが決まると思われます。縦から入っていれば「貞」、横から入っていれば「真」と考えられるのですが(あくまでも個人的なかつ勝手な意見ですが)。

ここは、古文書判読のエキスパート(?)である阪大院M1の大根田康介氏に是非ともご意見を伺いたいところですが…。

Re: お願い&御紹介

滑川敦子
No.739

再度失礼致します。
この掲示板を見て大根田氏よりレスがあったのですが、
読みとしては「貞」ではないかと思われます。下の横
棒がないですし。『くずし字事典』を見ても「真」は
このようには書かないでしょうし。
字としては「貞」になるのでしょうか??

Re: お願い&御紹介

No.741

滑川さん、大根田君、ありがとうございました。
小口先生は、上記御高論に、このように述べておられます。「該当箇所の一画目の横線は、明らかに二画目の縦線の左から入っており、また最下部の筆法が「大」につくられている。この写本全体の筆法を検討してみるに、これらは「真」字に共通するものであって、本写本の「貞」字とは異なっている」。
美川先生、如何なものでしょうか?

Re: お願い&御紹介

美川圭
No.744

いやー、野口先生、私のいちばん苦手な話題です。
文脈で判断できるところならまだしも、
人名はいちばん読みの「確定」が困難な部分です。
日本の中世のその巻は、大学の研究室にあるはずで、
現在自宅にはないので、すぐは見ることができません。
見ても、私では、たぶんどうのこうの言えないかな、と思います。
こういうときは、ぜひ山口芸術短大の田中倫子先生に聞いてみたいところです。
実は毎月、冷泉家でやっている明月記の紙背文書解読会で、
お会いするのですが、今月、来月ともに、私が所用で、
出席できません。なんでしたら、
私が、田中先生にお手紙でも出しましょうか。
文書読みについては「猫にマタタビ」とおっしゃる先生なので、よろこんで読んでくださると思いますが。

Re: お願い&御紹介

No.745

美川先生、御返信ありがとうございました。清原貞衡は小生の紹介した「桓武平氏諸流系図」以外の確実な史料では、この文書(『平安遺文』の文書番号は4652)にしか出てこない人名とされてきましたので、小口先生の御指摘が正解となると、これは今後の研究に大きな影響を与えることになると思います。もし、御迷惑でなければ、田中先生の御意見をうかがっていただければ幸いです。こればかりは、多数決というわけには行かないとは思いますが。

Re: お願い&御紹介

No.746

問題の文書の写真は『青森県史』資料編古代1の36ページに掲載されています。この写真内に貞、真の字はほかにありませんので比較の仕様がありませんが、問題の人名の次行に「鎮守府将軍」と言う記述があり、鎮の字の旁を見ると、上の部分は横棒を大きく明記しており、明らかに書き方が違います。しかし、下の部分は頁の字の下と同じ書き方をしており、下に横線がないのは決め手にはなりません。微妙なところですが、全体的な印象から判断すると貞と見るべきではないでしょうか。ご参考までに。
なお、12月23日の件、滑川さん、ではなくなめかわあつこ。さんに幹事を引き受けてもらい、助かりました。23日は13時ころに山陽電鉄須磨浦公園駅集合にしたいと思います。
当日は、その付近を中心に見学し、元町の多国籍料理?で懇親会です。近藤先生は逆落としの跡を実見したいとのことです。
ロバを背負って降りてみては如何でしょうか。一の谷古戦場付近の情報をご提供いただければ幸いです。参加ご希望の方は、なめかわさんに御連絡ください。

なるほど!

No.747

元木先生、ありがとうございました。「鎮」の金を除けば「真」で、その字体と比較すればよかった訳ですね。なるほど。
自説は「貞」と判読する見方に立脚しておりますので、元木先生のご判断はありがたいところです。しかし、もしこれが「真」と読めるにしても、中条家文書「桓武平氏諸流系図」に実平(真衡)とは別に鎮守府将軍として貞衡の名が記載されており、この系図の史料的価値がすこぶる高い(小生の指摘のみならず、最近、井原今朝男氏・高橋一樹氏の調査成果が歴博の研究報告に掲載されました)ことをふまえるならば、真衡=貞衡を主張される場合、この系図に虚構が加えられた意図について十分納得のいく説明が必要になろうかと思います。
一ノ谷合戦については、その説話が誇張に満ちて、地理的誤謬の甚だしいことは古く喜田貞吉氏の指摘するところであり、近年では、国文学の早川厚一先生や鈴木彰先生が、『平家物語』と史実との乖離、文学的虚構のあり方について論及されています。歴史学の方では元木先生の御研究や『兵庫県史』がありますが、詳しくは先般の平家物語研究会における小生の報告「平家の本拠をめぐって」レジュメの参考文献欄に掲げてございますので、ご利用いただければ幸いです。
安徳天皇の内裏跡伝説地などを歩かれるのなら、村井康彦先生の『平家物語の世界』(『改訂平家物語の世界』徳間書店)は必読・必携だと思います。行けない人にも御一読を勧めます。
近藤先生がロバかポニーを背負って須磨浦の背後の山から浜辺に降り立つという実験をされるのであれば、小生も万難を排してでも参加したいところです。だんだん、近藤先生が畠山重忠とオーバーラップしてきました。

あきらかに「貞衡」でしょう

美川圭
No.769

野口先生、やっと研究室で、例の写真を中公の日本の中世で見ました。一見して「貞衡」と読めます。「真衡」の読みは無理でしょう。田中先生にお聞きするまでもないと思いますが、一応お聞きしましょうか。ちょっと私の言い方は強引かな。
入間田先生は「貞衡」と読んだうえで「真衡の誤記」とキャプションに記しておられますね。

やはりそうでしょう。

No.770

そうなのです。『平安遺文』編纂者の竹内理三氏も入間田先生も、みんな貞衡と読んでいる。でも、その貞衡(鎮守府将軍)は他の史料に所見しない。だったら、『奥州後三年記』の真衡(鎮守府将軍とは見えない)の誤記なのだろう。鎮守府将軍に任命されるような実力者は真衡しかいないだろうし。・・・というのが、従来の一般的認識でした。
それにたいして小生が、いやいや中条家文書に「桓武平氏諸流系図」というものがあり、実に『尊卑分脈』以上の史料価値がある(と考証した上で)。そこに鎮守府将軍として貞衡という人が記載されているのだから、どうも貞衡と真衡とは別人のようですよ。しかも、この系図では貞衡は真衡が後継者とした成衡同様に海道平氏の出自とされている。真衡が成衡を後継者に選んだ事情もこれで説明がつきますよ。・・・という説を提示したのです。
しかし、小口先生は、そもそもこの文書(頼俊申状)の貞衡は、竹内・入間田両碩学以下の誤読だと断ぜられたという次第なのです。
美川先生も、「貞」と判読されたとなると、やはり貞衡とすべきかと思います。ただ、小口先生はこの文書以外の同筆の筆跡も踏まえて論じられているので、そこがポイントとなると思います。
しかしながら、元木先生の御見解に照らしても、「真」と断定されている小口先生説が100%確実であるとは、どうもいえないように思えます。
美川先生。上記のような次第ですが、ついでの折にでも、ぜひ田中先生の御意見をうかがっていただければ幸いです。

一の谷見学会、付若干の不満

No.728

一の谷見学会
近藤氏の書き込みにあるとおり、一の谷合戦史跡の見学会を予定しています。日時は、12月23、24両日で、23日昼頃集合予定です。参加希望者を募ります。ただし、当方も老化と多用(生易しいレベルじゃないぞ・・毎年本を出してみろ)で、参加者を把握し、懇親会を予約し、案内を出すと言ったことがかなり負担です。正直にいえば、4日の件もいろいろ大変でした(そのことについてどなたも触れてもくれないが)。どなたか参加者を取りまとめる幹事役をお願いします。

呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!!

なめかわあつこ。
No.724

初っぱなからついつい悪ふざけをしてしまいました…。
すみません。「なめかわあつこ」久々の登場です。

先日は、薗田さんの書き込みにもありましたように、元木先生の主催で野口先生をはじめ研究会の皆様方と共に近藤先生の歓迎会に参加させて頂きました。近藤先生にお会いするのは多田見学会以来です。
今回は、四条烏丸を少し下がったところにある「台北城」という台湾料理のお店で食事を致しました。美川先生オススメのお店だそうです(先生は二次会のサントリーバーから参加されました)。ここは、以前私は知り合いの社会人の方に連れられて来たことがあるお店でもあります。
メニューはコースメニューを中心に食べました(あとのオーダーは近藤先生におまかせ致しました)。棒々鶏に餃子に春巻、
焼売、唐揚、炒め物などなど(←今、この掲示板を読んでいるアナタ!きっとヨダレが…)沢山出てきて終始喜色満面でした。お腹も空かせてきたのでおいしく食べることが出来ました。ただ残念だったのが、コースメニューの最後に「ご飯」が出たのですが、炒飯ではなく「白飯」でした。最初におかずばかり出て、最後に何でご飯を食べるのか…??
私は結局ビールでご飯を食べてました(笑)。昔(永富さんくらいの頃だから3回生)は、大福モチを片手にビールを飲むと
いうこともしてましたので、懐かしいやら悲しいやら…。
近藤先生の食べっぷりには、前回同様圧倒されました。
ですが私自身、食べるのは大好き(←だからいつまで経っても痩せられない…)ですので、見ていて気持ちのいいものでした。「しじみの醤油漬け」、注文しておけばよかった…。
二次会はサントリーバーへ行きました。場所は四条河原町です。ここでは能楽の井上先生、美川先生が合流されました。
ここでは、お酒を楽しみつつ楽しいお話を聞かせて頂きました。先生方以外の皆様は11時前に帰られたのですが、私のみ30分延長して留まっておりました(理由はお酒を残すのは勿体なかったので…)。
下で書き込みされている薗田さんは、日本史研中世支部会の例会にて初めてお会いして以来、親しくさせて頂いております。
又、宗教・文化研究所ゼミの皆様にもご紹介出来ればと思っております。
「タイトル」を聞いて思い当たる方は、年齢詐称のケがありますよ。だいぶ古いネタですから。
4日をもちまして私は、24歳に相成りました!!
より一層、精進を重ね、自分を磨いていきたいと思う今日この頃であります。

Re: 呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!!

No.725

滑川さん、先日はお疲れ様でした。また、懇親会報告、ありがとうございます。懇親会報告は、やはり滑川さんが一番適任のような・・・(笑)。失礼しました。別にも書き込みましたが、来月には一ノ谷ツアーもありますから、またよろしく。

お誕生日おめでとうございます。

No.726

「なめかわあつこ。」さん、呼び出しにお応え下さりありがとうございました。さてまた、滑川敦子様、お誕生日おめでとうございます。学問が一番身につく時期だと思います。おおいにお励み下さい。50を過ぎた小生など、右目はド近眼、左目は老眼という有様で、本日、法政大学の小口雅史先生からいただいた御高論の抜刷から山形大学付属図書館のHPで「中条家文書」が公開されていることを知り、早速アクセスしたのですが、画面に両目のピントがなかなか合わず・・・といった有様でした。若いうちに「見るべきものは、見ておくべし」という次第です(ご存じのように平知盛も、そうしました・・?)。

薩摩の座頭をめぐる田中さんと新地さんのやりとりは、勉強になりますね。お二人とも守備範囲が広いのに感心させられます。この議論には、門屋君をはじめ、学習院の兵藤先生のゼミの皆さんの参入を期待したいところです。

7日は京女で会議の後、13時45分集合の予定で、同志社の授業の一環として京都市歴史資料館へ行き、平安京の模型を見学します。それから、また京女に戻って、東北大の柳原先生の御一行をお迎えいたします。すなわち、鴨川の両岸の南北を右往左往という次第です。日記からうかがえる平安時代の下級貴族の一日によくある日常のパターンに似てきました。

むかしは・・・

田中裕紀
No.727

なめかわさん、お誕生日おめでとう~~~!!!
やっと同い年になってくれたのね☆今度お誕生日会を開きましょう・・・って、滑川さんが研究会に来ればの話です。
 さて、わたしも昔は細くて小さくて「あくびちゃん」みたいだと言われたものでした。あぁぁ、懐かしい・・・。ちなみに、年齢詐称ではありません。私の幼少のみぎりには「●くしょん大魔王」は再放送を重ねておりましたので。
 

お誕生日おめでとうございます。

門屋 敦
No.729

久々に登場致しました。なめかわさんお誕生日おめでとうございます。わたくしはまだあと少し23歳が残されております。
が、眼球は年齢とは無関係で右目は野口先生と同様にド近眼で左目はド乱視(医者が驚く)という有様です。近眼が老眼で治ればなぁ・・・なんて考える次第です。
確かに幼少のころ「●くしょん大魔王」は再放送してました。
見てはいませんでしたが・・・。
遥か遠い昔ですねぇ・・・。

無題

No.733

なめかわさん、お誕生日おめでとうございます!!
またまた報告を読んで、よだれたらたらです☆
よし、今日のお昼は中華にしよう・・・!(←影響うけまくり)

しかも私と同じぐらいの年の頃に大福もち片手にビールなんてやってらっしゃったなんて・・・すごいです。さすがですね~尊敬です
私はおこちゃまなのでビールがまだおいしくかんじられません。ああ~「目指せ大人のオンナ計画」が・・・☆
まだまだ道は遠いようです。(泣)

よばれてとびでてじゃじゃじゃ~ん・・・聞いたことあります!たしか夏休みとかの朝九時ぐらいからやってる「子供アニメ大会」とかで再放送してるのを見たことがあるような気がします♪


田中さん>湖東三山って結局いつ行くことになったんですか?教えてください

幹事がいい。

No.734

今日は朝から反省ばかりです。
ところで、永富さん、お土産をいただけるとのこと、楽しみにしています。当ゼミでは、昨年度の鎌倉は平田さんと田中さんが、熊野では永富さんが幹事役で大活躍をしてくれました。このところは、野口君の京都市史跡巡りツアーや永富さんの陰陽師ツアーも開かれて、企画から実施に至るまで、もうメンバー主導の態勢が整っていて一安心です。
しかし、「湖東三山」の今月中の実施は、なにしろ忙しいので暇がとれないと思いますが、如何でしょうか。一ノ谷は9月15日に平家物語研究会の実地踏査に当ゼミメンバーはほぼ全員が参加させていただいたところですが、さらに元木先生・近藤先生と御一緒して政治的背景と合戦の具体像を学ぶことが出来れば、これはおおいに得るところありかと思います。小生は、この時期の参加は本務の研究調査日程設定等の都合で難しいのですが、当ゼミメンバーに限らず、日頃元木先生の御指導をいただいている院生・学生さんのどなたか、幹事役に立候補されたら如何でしょうか。こういう経験は後で役立ちますよ。
それから、HP管理人の鈴木君・永富さん 今月の予定欄の更新をよろしく。また、熊野や竹生島旅行の写真掲載も楽しみにしています。

HappyBirthday!!

No.740

誕生日おめでとうございます☆
中華料理万歳です!!
中華料理を食べようの会とかがあれば、是非呼んでください。
さすがに、ビールとご飯は無理ですが...

ところで、「なめかわあつこ。」さんのグルメガイドと、野口くんの観光案内をページとして独立させましょうか?
そんな感じで、定番になってきていますね。

気がつけば800件に近づきそうな書き込みですが、調べてみると5月はじめに開設でした。今年中には1000件に届きそうですね。記録されたログで1つ、冊子ができそうなくらいな気がします。

満員御礼。

滑川敦子
No.742

沢山のレスありがとうございました!!
そろそろ「宗教・文化研究所ゼミの胃袋」とかいう異名
が付きそうですね(笑)。鈴木君、ページ独立しないで
ね☆ますます私の人格がヤバくなってきますので。

かの「ハクション大●王」をご存じの方が多いのは嬉し
いことです。でもリアルタイムで見た方は私達の世代に
はまさかいないですよね…。

「なめかわあつこ」と「滑川敦子」の使い分けは意味も
なくやっている訳ではなく、ピーター/池端慎之介のま
ねなのですよ。その証拠に上記の野口先生の書き込みの
レスには「滑川敦子」を使用しておりますので。

間違えました。

なめかわあつこ。
No.743

すみません、ここは「滑川敦子」ではなく「なめかわあつこ。」でした。たいした間違いではないのですが。

おめでとうございます!!

平田樹理
No.752

こんにちは。ちょっと遅くなりましたが、なめかわあつこさん。お誕生日おめでとうございます!!
最近お会いしてませんが、日本史研の時お会いできれば、と思います(きっとお忙しいでしょうけど)。

Re: 呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!!

No.755

上の平田さんと同じく遅くなりましたが、お誕生日おめでとう
ございます。まだ24歳ですか・・・。ふう(溜息)。
年を取るたびに喜んでいられるのは今のうちなので、
大いに喜んでおきましょう(笑)。
今の自分は後何年で30!といういいようもない重圧が・・。

はじめまして

No.711

はじめまして、京都府立大学M1の薗田です。
元木先生主催の台記研究会に出入りしている関係で、こちらのHPを教えていただきました。今年の四月に鹿児島大学から上洛したばかりです。どうぞよろしくお願いいたします。

野口先生、昨晩は楽しいお話をありがとうございました。噂に違わぬ近藤先生の食べっぷりに圧倒され、忘れられない一夜となりました。
今日は午前中に京博の特別展を見に行きました。時間が合わなかったようで、残念ながら近藤先生にお目にかかれませんでしたが、昨晩伺ったお話のおかげで楽しく観覧することができました。

それでは、とりいそぎご報告までにて失礼いたします。

Re: はじめまして

No.712

野口先生、元木先生、美川先生、昨日はお忙しいところを、私のためにありがとうございました。いつもながら、とても楽しい一時でした。

薗田さん、昨日はお疲れ様でした。色々とお恥ずかしいところをお見せしたようで恐縮です。でも、私の食べっぷりならば、あんなものではないですよ(笑)。まだまだです。ところで、京博にいらしてたんですね。私は、10時から11時15分くらいまで会場にいました。おいでになっているかなあと思っていましたが、すれ違いだったようですね。時間を打ち合わせて行けば良かったですね。

その特別展ですが、連休明けの平日の午前中ということもあり、ガラガラで、主催者は困るでしょうが、こちらとしては好都合でした。仏像や絵画や漆工と違って、やはり金工というのは一般には馴染みがないのでしょうか。それにしても、キャプションが金工の技法論に終始していたのが気になりました。あれでは一般受けしないでしょう。ミクロではなく、もう少し、その遺品全体についてのマクロの解説はできないものかと思いました。

さて、昨日集まっていただいた、滑川さん、佐古さん、長村君、また、改めて薗田さん、そして、この掲示板を見てないかも知れませんが、横沢君、吉田君、昨日は楽しい一夜でした。来月には、一ノ谷ツアーもありますから、良かったら、またご一緒しましょう。

忘れられない一夜

No.714

近藤先生、昨晩は本当に楽しい一時をありがとうございました。さすがに、二次会までは体力がもたず、失礼いたしました。それにしましても、薗田さんに「忘れられない一夜」を提供されたのは、食べっぷりばかりでなく、そのお人柄によるところ多大だと思います。元木先生も「教室では厳しいが宴席では実に楽しい・・・」と、誰か?が言っていました。昨夜の楽しさはお二人の相乗効果ですね。
それにしても、滑川さんに薗田さんが加わり、擬制的鹿児島県人会が作れそうで、うれしい限りです。少なくとも、お互いに話が見える。「騎射場」なんていったってヨソの人(鹿児島でいう「県外人」)には通じない。鹿大が郡元にあることもみんな知らない。どうしたって知ってる者同士、話が盛り上がりますよね。さて、幕末の薩摩人の如く、京都で一暴れいたしますか・・・。でも、年齢というか、イメージからすれば、私は島津久光がお似合い。久光といえば久光製薬・・・→サロンパス。やっぱり、老体にはお似合いでした(悪乗り、お詫び申しあげます)。
さて、新地さんにも参加して貰って、ときに掲示板で「薩摩特集」でもいたしましょう。柳原先生もでてきてくださ~い!それから、薗田さん、ぜひ機会がありましたら京女の方にもおいで下さって御指導をお願いいたします。
そういえば、柳原先生は7日午後4時に私の研究室にお見えになるのでした。薗田さん、滑川さん御都合がよろしければ元鹿児島大学教官とお話をしに来られませんか?

近藤先生の魅力

美川圭
No.716

近藤先生、一昨日は2次会しかご一緒できず、失礼しました。
サントリーバーで、こじんまり飲んでいるのかと思いきや、あの人数。あらためて、その「人気」に驚嘆しました。

私などは、自分の学問に、ああここがだめだ、あそこもだめだといつも自信がないのですが、近藤先生のあの自らの学問を「語る熱情」をうらやましく思います。まさに「オンリーワン」の人ですから、当然のことでしょうが。しかも人柄もいいし。体力もとうぜん抜群。

こんなことを書くと、また野口先生にご迷惑かもしれないですが(この前はほんとうに失礼しました)、なんでこんな近藤先生が常勤職をえられないのか、と考えると、学界のありかたにあらためて怒りを感じてしまいます。

それと結婚相手も出てこない。いったい日本の女性は、どこに目をつけているんだ。・・・・・まことに失礼しました。

自分の道

No.718

美川先生、ご心配ありがとうございます。まあ、結婚の話はともかく、就職の方は、もう年齢的に四捨五入すれば五〇ですので、自分でも何とかならないものかと思います。しかし、こればかりは自分で思っていても何ともし難いですから。ただ、希望は捨てず、自分の道を進むしかないと思っています。

なつかしの騎射場

No.730

野口先生、お誘いありがとうございます。柳原先生にはまだお目にかかったことがございませんので、ぜひともお会いしたいのですが、残念ながら先約がありまして、今回は泣く泣く失礼させていただきます…すみません。まだ「ご指導」と呼べるほどのことは出来ませんが、京女には近いうちにぜひお邪魔させていただきたいと思います。
鹿児島には変わった地名がたくさんありますよね。離れてみて初めて「どうしてあんな地名が?」と思えるようになりました。住んでいたときは唐湊は学生街、騎射場は安くで飲み食いするところ、ぐらいの認識でしたから。地名の由来がわかったら、風景も違って見えるかもしれませんね。こんど帰省する時が楽しみです。
近藤先生、私は十一時ぐらいから特別展を観覧しておりました。展示品の解説は、おっしゃる様にちょっとわかりにくかったです。彫金の技法名とか、様式名とか、なじみの無い言葉(「魚々子」はどれなんだろう?)が多かったので、解説文とにらめっこでした。展示品よりもプレートを見ている時間が多かったのではないかと、少し反省してます。また見学会などご一緒させてください。
美川先生、先日の二次会では当方の時間の都合であまりお話できませんでしたが、また次回の台記研究会でお顔をあわせるかと思いますので、そのときはどうぞよろしくお願いします。


サントリーバー

長村祥知
No.735

何日かぶりにHP見ましたが、凄まじい数ですね・・・
全部の話題読むのに時間がかかる・・・
さて、
ご多忙の元木先生が予約して下さった台北城で近藤先生をはじめとする院生の先輩方との初めての会食(おいしかったです。なめかわあつこ。さんのレポートに詳細あり)の後、サントリーバーに連れて行って頂きました。

そこで能楽太鼓方の井上先生とお会いすることが出来ました。
僕が早い内に失礼したので(すいません。でもあの時間で終電なのです・・・)あまりお話は出来ませんでしたが、違う世界の先生とああいった場でお話できたのは不思議な感じでした。(私がクラブで狂言を習っているので毎年の舞台発表の時などにお世話になっているのです)

はじめまして

No.710

はじめまして、歴史グループ早雲の山口です。
野口先生、過日はお忙しい中私たちの例会に来ていただきましてありがとうございました。娘に先生の掲示板のことを聞きましたので開いてみましたら、お世話になっている美川先生、京楽先生が書込みをされているので驚きました。
私が書き込みをしていいのかと思いながら現在書き込みをしています。
私の勤める叡山電鉄沿線の催しを紹介させていただきます。
11月7日~23日の間、貴船神社、貴船口駅、紅葉のトンネル(市原~二ノ瀬)で今年初めてライトアップが行われます。それに関連して、11月9日に「水の奏」という白拍子舞が奉納されます。よかったらお出掛け下さい。
日時は 11月9日(日)14時~  17時~ の二回
場所は 貴船神社境内龍船閣
興味のある方はお越しいただければと思います。
これからもお邪魔するかもしれませんが、よろしくお願いします。

Re: はじめまして

No.713

山口さん、先日は自宅近くまでお送り下さってありがとうございました。それにしても、お嬢様の夏子さんが永富さんや鈴木君と同窓生だったとは驚きました。何か深い御縁を感じずにはおられません。夏子さんは1日の「陰陽師ツアー」に参加してくださったようですが、これからも面白そうな企画がありましたら、どんどん御参加下さいますよう、お願いします。
貴船神社のイベントの御案内もありがとうございました。貴船関係の本は、この掲示板でも探してくれるように、みなさんにお願いしたのですが、あまり見当たらないようです。和泉式部に関連した説話は有名ですが。これについては、山中裕先生の『和泉式部』(吉川弘文館、人物叢書)187ページ以下に出ています。
また、いつでも御遠慮なく書き込みをお願いいたします。「歴史グループ早雲」の学習会や史跡のハイキングは院生や学生さんたちにとっても、おおいに為になると思います。叡電の情報とともに御案内いただければ幸いです。そういえば、先週の「京都迷宮案内」というテレビドラマでは、叡電が舞台になっていましたね。「引っ越しのサカイ」のCMに出てくるのも貴船口の駅ではありませんか?

来年度もよろしくお願いします

美川圭
No.717

山口さん、こんばんわ。美川です。

先日は歴史グループ「早雲」にお招きいただき、お話をする機会をあたえてくださいまして、ありがとうございました。
いま、あの話「崇徳院の生誕」についての原稿を書いています。もう少しで完成する予定です。発刊されました折りには、ご感想などいただければ幸いです。

昨晩は、来年度の京都労働学校http://www.labor.or.jp/gakuen/ACT_PAGES/act_1.html
についての会議に行ってきました。来年度は全体テーマを「京都をめぐる人と文化」とする予定です。これから年末にかけて、講師の人選に入ります。文化や京都と関わりのある人物をいろいろとりあげるつもりです。来年度も、諸先生方の協力をえて、ご満足のいく講座にしたいと思っております。よろしくお願いいたします。

崇徳院の父

No.719

美川先生、4日はお目にかかれず残念でした。一番ゆっくりと学問にいそしむべき時期なのに、本当に雑務が多くて大変ですね。
ところで、角田先生からの御依頼の例の論文、早速御執筆中とのこと、大変楽しみに致しております。この論文の掲載される『古代文化』は売り切れ確実でしょう。『古代文化』には、あの有名な「平安博物館研究員諸氏との対話」掲載の32巻12号のように、時々、売れ行きの凄まじい号があります。そうだ!そろそろ原稿を集めなければならない段階の『紫苑』第2号に、「ゼミメンバー諸姉兄との対話」を載せるのも面白いかも知れませんね。
それはともかく、編集作業の方の段取り、永富さん・平田さん、なにとぞよろしくお願い致します。

Re: はじめまして

No.721

野口先生返信ありがとうございました。御指摘いただきました『和泉式部』の本は丁度持っておりますので改めて読み直してみたいと思っております。明日から貴船のライトアップが始まります。今日は京都新聞社と朝日新聞社が取材に来ますのでその対応のために夕方現地へ行ってまいります。宜しかったらライトアップを見に一度お越しください。来られるとき御一報いただければ配慮させていただきます。

美川先生返信ありがとうございました。お話いただきました『崇徳院の生誕』の御本、ぜひ読ませていただきたく思います。楽しみにしております。美川先生も貴船のライトアップ是非お越しください。今後ともよろしくお願いいたします。

日本宗教文化史学会大会のお知らせ

No.709

日本宗教文化史学会の第七回大会が京女で開かれます。同学会会長の逵日出典先生より、院生・学生のみなさんに対する参加の呼びかけの御依頼をいただきましたので、ここにご案内いたします。
 
期日 平成15年11月29日(土)・30日(日)
 開会9:30 会場 京都女子大J校舎5F大教室
一 研究発表・総会・記念講演 総合司会 京都府立大教授 上田純一氏
◇ 開会の辞9:30  大阪工大教授 井上寛司氏
◇ 研究発表 午前の部9:40~11:25 座長 帝塚山学院大教授 森郁夫氏
 「東大寺二月堂本尊光背に関する一考察」 早大院 児島大輔氏
 「古代文学における『穢』と『けがれ』・『けがらひ』」 京女大院 檜垣泰代氏
 「契丹遼の神門について-鳥居の起源に関する一資料-」 東海女子大教授 今井秀周氏
◇総会12:30~13:10
◇研究発表 午後の部13:20~15:05 座長 愛知教育大名誉教授 三宅正彦氏
 「水無瀬御影堂と臨済宗法燈派」京都橘女子大(非)講師 徳永誓子氏
 「宝満山玉依姫考」 西南学院大(非)講師 森弘子氏
 「近世後期におけるまじない・信心-宮津藩を例として-」 天理おやさと研究所 幡鎌一弘氏
◇記念講演15:15~17:00
「神仏造像のイコノロジーと象徴」慶大教授 紺野敏文氏
◇閉会の辞17:05 岐阜聖徳学園大教授 逵日出典氏
二 懇親会 17:50~19:50 会場 ホテル東山閣地階「パティオ・マジョル」
三 見学会 11月30日(日)
 見学対象 南禅寺(臨済宗南禅寺派大本山) 方丈庭園・金地院を中心に 
  解説・案内 京都府立大教授 上田純一氏
 集合時刻 9:50
 集合場所 南禅寺山門
 解散 12:30頃
※必要費用 大会参加費2000円 懇親会費 5000円 見学費 1000円
※当日参加、入会も受付け
※機関誌『日本宗教文化史研究』を受付に用意
 詳細は日本宗教文化史学会事務局℡058-279-6715へ

なお、小生(野口)は埼玉県飯能市にて講演の予定があるため、出席できません。
  

陰陽師ツアー報告

No.704

おそくなりましたが陰陽師ツアーに参加された皆様、お疲れ様でした。イベント初参加三人を含む計九人の参加ということでなかなか盛況だったとおもいます。

映画「陰陽師Ⅱ」の感想を述べると・・・まさに見どころは野村萬斎の女装でしょう!!ヒロイン役のフカキョンよりもよっぽど美しく、色気がありました。笑
私はあれが見れただけで大満足です!!

映画のあとは晴明神社、一条戻り橋へと向かいました。
晴明神社は、須磨寺並に俗っぽくなっていましたね・・・ただ神社に「ご自由にお持ち帰りください」とおいてあった戻り橋の模型(原寸大。かなり大きい)、その場にトラックさえあれば本当に持って帰って野口先生の研究室のドアの前にぜひぜひ設置したかったです。笑
しかもここでは荒木さんとちょっと悪ノリしてばかなポーズでいっぱい写真撮ってしまいました。うふふ♪
その次にブライトンホテルの駐車場にあるという晴明邸宅跡へも行きましたが、残念ながら石碑なども一切なくホテルの人にきいてみても「よくわからない」とのこと。
次々と寿カーに乗って入ってくる花嫁さんと正装のゲスト達がたくさんいる中、かなりラフな格好のこの大人数の集団は場違い極まりなく、仕方なくそそくさとホテルをあとにしました。
山下先生の論文の地図を照らし合わせてみましたが、道もいまの場所とはちがうでしょうし、ちょっと正直ここだということは分かりづらかったです。残念でした。
そのあとてくてく歩いて大将軍八神社へ。
その途中においしいと評判のメロンパン屋さんの車を発見!!すかさず買いに走りました。よくテレビで紹介されている車で焼きたてのメロンパンを売っているパン屋さんで、こんなところで出会えるなんてラッキーでした。
食べてみると外はさっくり中はふわふわで本当においしかった~♪もうあれ食べたら市販のメロンパンなんかメロンパンと思えなくなっちゃいますね!ホント。(私につきあってメロンパン食べてくれたみんな、ありがとう!!でも、おいしかったでしょ???笑)
寄り道しつつ、やっとたどりつきました大将軍八神社!!ここの方徳殿では、方位の吉凶をつかさどる星神・大将軍を表した衣冠束帯の神像など79体のほか、陰陽道の貴重な史料などが多数展示されておりとてもみごたえがありました。(この前の文化博物館で開かれていた陰陽道展に出ていものも多々ありました。)ここでは野口君の名ガイドっぷりがかなり発揮されていました!
神社を出て、まだ時間があったのでついでに北野天満宮へお参りをし、そして懇親会の会場である「ももじろう」へ行きました。(荒木さんとはここでお別れ、それと入れ替わりに山本長老が加わりました。)
一日たっぷり歩いていたのもあって、お酒もすすむ、箸もすすむ、話もはずむ・・・といった感じでとても楽しい時間が過ごせました。
今回初めてイベントに参加してくれた一回生の谷垣さん、廣瀬さん、そして滋賀県大の山口さん、この一日で少しはうちのゼミメンバーにどんな人がいるのか、またその雰囲気などわかっていただけたでしょうか?
これに懲りずにまた参加していただけると嬉しいです♪
そしてお忙しい中参加してくださった山本くん、野口くん、平田さん荒木さん、鈴木くんにも厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

平安京探偵団

No.706

永富さん、お疲れさまでした。楽しそうで何よりでした。
晴明神社の不要品の戻り橋の模型など小生の研究室の前に置かれたら、それでなくても事務部門の入っているL校舎の異端なのに、いよいよ異界への出入り口みたいなことになって困りますよ。でも、惜しいことをしたような・・・?
大将軍のガイドを野口君がお得意としているのは、このまえ京博でその企画展があり、かれがそこでバイトをしていたからです。でも、バイトをしながらよく勉強していて感心感心。
一回生の皆さんは如何でしたか?ぜひ、永富さんの後継者になって、そのうち襲名披露をしていただきたいと思っています。
なお、ブライトンホテル敷地の安倍晴明邸については、「平安京探偵団」に詳しく掲載されています。これを見て行かなかったのは残念。この辺りのことは、山田夫人の独壇場なのです。

Re: 陰陽師ツアー報告

田中裕紀
No.708

陰陽師ツアーお疲れさまでした。ぜひ行きたかったのですが、残念です。その日は私は浅草~上野ツアーという、もう人生酸いも甘いも知り尽くしたみたいなツアーをしていました。お昼は蕎麦の老舗「藪そば」で軽くすませ、焼きたての人形焼に並び、本堂の前でしっかり煙をかぶり・・・という感じで。巣鴨が入れば本格的に「枯れた生活」に突入するところでした(^^;そんなワケなので、そろそろ学部生の女の子から若さを頂戴しなければ・・・(笑)!!年明けまでは忙しいのですが、また企画してくださいね。

安倍晴明邸の場所

No.715

ツアーから日がたちましたが、やっと身の回りがようやく落ち着いたので書き込みできます(新しいパソコンを買ったもので...)

◆晴明邸の場所のこと
 言い訳になってしまいますが、平安京探偵団の地図と山下先生の地図を頭に入れていたつもりが「ブライトンホテル」というイメージが強すぎて、現地に行ってみるのと地図上でみるのとでだいぶ混乱してしまいました。
 山下先生の昔の平安京の道から、西洞院大路と正親町小路が記載されていました。
 西洞院通は今も道がありますし、正親町小路は、ちょうど中立売通沿いに正親小学校がありますので、そこだろうと推測して、なんとかたどりつきました。
 資料で示された場所は、ツアーで行ったフェンス越しの場所と一致していると思います。
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/seimei9.html
ブライトンホテルからだいぶ南西寄りにあたるので、ホテルの人が知らないのも当然だったかもしれません。

ただ、こうやって歩いてみると、町の感覚というのもなんとなくつかめた気がしました。
実際に確かめられるのが京都の良いところですね。

ブライトンニュース

No.720

せっかく、今大人気の安倍晴明の邸が敷地内にあったことが科学的に明らかにされているのに、それを宣伝材料ともせず、従業員も知らないとは、きっとブライトンホテルの経営状態はそんなことに無頓着でいられるほど安泰なのでしょう・・・?と思っていたら、さすがに企画宣伝部というセクションで出している「ブライトンニュース」2001,7・8・9号に、山下克明先生の御説を紹介した詳しい記事が載っていました。しかし、従業員にたいする教育までは手が回っていないようですね。
京都の歴史の名ガイド、野口君を派遣したいところです。

そういえば

No.732

さすがに「戻り橋」をお土産にすることは断念いたしましたが、そのかわりとってもかわいい(?)お土産を用意しております♪
ちなみになんと京樂先生とオソロです!(山口さんも買ってたから)
中身は何かお楽しみに・・・今度研究室へ持っていきますね。

東京より

田中裕紀
No.701

旅先から掲示板に書き込むことを心がけておりますが、ちょっと見ない間にだいぶ書き込みが増えていて、びっくりしました。
さて、東京に来て何をしているかというと・・・「気分転換」ということで・・・はははははは。それにしても、こちらの博物館・美術館は充実していて、おとといは東京国立博物館の常設展示で3年ぶりに公開された国宝「松林図屏風」を見てきました。国立博物館の常設展示が充実していることは重々知っていますが、それにしても見所満載でした。松林図屏風と同じ作者である長谷川等伯の名和長年像も出ていました。そして、今日は一部の方々には「思い出」もしくは「悪夢」の金沢文庫で「雲に乗る神仏展」という特別展示を見てきました。小規模な展示ながら、称名寺の持つ「覚禅抄」や春日曼荼羅図、荏柄天神社の持つ雲に乗る天神の像などが出ていました。そして、更に東京に戻ってサントリー美術館で開催されている「働く女 遊ぶ女 日本絵画に見る女性の躍動美」展も見てきました。中世から近世に描かれた働く女性の図像を集めたもので、「病草子」の七条町の歩けないほど太ってしまった女性の絵の本物をやっと見ることができました。他にも「大原御幸」の図屏風や阿国を描いた屏風などがたくさん出ていて、女性史の勉強とは関係なく見ごたえのある展示でした。これでまた修論のエネルギーチャージも十分です。というわけで、明日帰りまーす。
>鈴木君
 人のパソコンを借りて書き込みをしていたら、間違って途中のものを投稿してしまいました。No700のジャストさんをゲットしたのでとても嬉しかったのですが、削除してください(ToT)

Re: 東京より

No.702

鈴木じゃないですが削除しておきました。
ちなみに書き込みのところに「暗証キー」というのがあります。ここに英数8字以内で何か好きなキーを入力しておけば自分の書き込みは自分で削除したり修正することが可能ですので利用されることをおすすめします。

金沢文庫・・・あはは☆その悪夢っぷりを陰陽師ツアーの飲み会の時に一回生にちょうど語っておいたばっかりですよ 笑
あれは本当にいつまでも伝説として残りそうですね

エネルギーチャージ、うらやましい限りです。
また今度会ったら色々きかせてくださいね!!楽しみにしています。


驚異の空間移動

No.707

田中さんの空間移動の頻繁さには驚異を感じております。しかし、それだけ吸収するものも多いようで、なかなかです。
エネルギーも十分な御様子、修論がんばってくださいよ!
小生、本日は田中さんと同日に御上洛の近藤好和先生、京大の授業を済ませて駆けつけられる元木先生、はたまた洛中・洛外諸大学に籍を置かれる元木先生の教え子の皆さんと四条烏丸で台湾料理をいただく予定ですが、胃腸の調子が今ひとつ。この宴会のレポートは、グルメ報告のエキスパートたる「なめかわあつこ」さんに久しぶりにお願いしたいものですね。

24日(祝) 法住寺殿跡見学会のご案内

No.697

☆ 日本史研究会大会で上洛される中世前期専攻の皆様およびゼミメンバー諸姉兄へ
11月24日(月)は振替休日ですが、京都女子大では月曜日の授業数確保のため休講ではありません。この日、小生はⅡ・Ⅳ講時に講義がありますが、せっかく多くの研究者の方々が京都に滞在されている機会でもあり、講義の空き時間を利用して京都女子大に近接する法住寺殿(近年、白河・鳥羽に続いて注目されている後白河の院御所・御願寺・鎮守社・陵墓などを中心とした都市空間)跡の急ぎ足での見学会を企画したいと思います。
            記
 実施日時: 11月24日(月)12:30~14:15
 集合:   京都女子大学宗教・文化研究所野口研究室(L校舎3F西隅、門衛さんに用件をお申し出の上お入り下さい)
 見学予定地:   京都女子大より六波羅遠望→馬町十三重塔跡(伝・佐藤継信・忠信墓)→積翠園(伝・平重盛邸庭園跡)→(方広寺大仏殿跡など)→七条殿跡→後白河天皇陵→南殿跡→池庭跡→最勝光院跡→一の橋跡→今熊野神社→新日吉神宮
 解散場所は時間によりますが、いずれも三十三間堂・京都国立博物館から徒歩約10分以内の範囲です。
 参加を希望される方は、野口研究室までメール(赤い文字の名前をクリック)にて20日午前までにお知らせ下さい。資料を用意いたします。

座頭の衣装

新地 浩一郎
No.695

 こんばんは。学園祭の季節ですね。鹿児島大学の学園祭は…自分が酔いつぶれたり、酔いつぶれた人たちの看病に追われた思い出しかありません。私のサークルでは鹿児島名物の「じゃんぼ餅」を売っていました。決して大きい餅、ではなく、2本の棒が刺さっているので「両棒餅」がなまり「じゃんぼ餅」となったそうです。今では磯庭園周辺の名物となっていますが、もともとは南北朝時代に征西将軍宮懐良親王に谷山隆信が作って食べさせたもので谷山名物だったそうです。
 あと、以前書き込みました町内に伝わる永田日送踊りの座頭(ザッツ)の衣装をHPにアップしました。記憶がごちゃごちゃになっていたようで、以前書き込んだ衣装は胡弓と座頭が混ざったものになっていました。
 それと、先日の江戸時代の道の調査ですが、意外とよく残っていました。阿多へ通じる仏坂もきれいに残っています。山頂付近には石垣で整備された田の跡も残っているそうですが、今回は時間的な都合で確認しませんでした。
 山田(勝目)方面への道は実際に踏査しましたが、人工的に掘り込まれた道でした。近世の道が必ずしも中世までさかのぼるか分かりませんが、加世田や阿多から川辺へ通じる道が必ずしも現代の道と一致しないこと、全般的に川沿いよりも台地上を通るパターンが多いことが分かりました。

ザッツ(座頭)・エンターテイメント

No.696

 鹿児島では毎年、学園祭で鹿児島大学と鹿児島経済大(現、国際大)が、急性アルコール中毒をおこした学生のために何回救急車の出動を要請したかを競ってましたね。随分はた迷惑な習慣だったと思います。ゼミのコンパ=「飲ん方」(他地方でいう「飲み会」のこと。ちなみに軍隊用語の「撃ち方はじめ」の「撃ち方」も薩摩弁)で、たいてい指導教授は飲み崩れて天文館の路上にへたりこみ、それを懐抱してタクシーで自宅まで送り届けるのが、ゼミ長の職務であったことが思い出されます。まさしく、師弟関係の醇風美俗。京都の女子大などでは想像を絶する世界がそこにはありました。
 「じゃんぼ餅」は、なぜ「両棒」が「りゃんぼ」でなくて「じゃんぼ」になったのか納得がいかないのですが、息子の通っていた私立鹿児島中学(私立に入ってもらったのは、当時、鹿児島の公立中学は男子丸刈り強制で、親として耐え難かったからです。今はすこしは変わったのでしょうか?)の学園祭で食べたことがあり、なかなか美味しかったことを覚えております。
 新地さんのHP「南九州探訪記」は自然・歴史・民俗の写真満載ですから、みなさん、ぜひ御覧になって下さい。アドレスはNO.595にあります。田中さん、ご感想はいかがでしょうか。
 地方で聞き取りをすると中世に関係する道は尾根づたいが多いような気がいたします。万之瀬川河口から内陸部へのアクセスについては柳原先生の御研究がありますが、薩摩半島の他の港津における事例が明らかになれば、南九州中世史の解明に資するところ大だと思います。

丸刈り強制

新地 浩一郎
No.699

 鹿児島の公立中学の丸刈り強制は、もうほとんどないようです。川辺の中学校(一校しかありませんが)でも丸刈りは野球部くらいですね。大学の教養部で野口先生の講義を受けたときにこの丸刈りの話を聞き、中学生は丸刈り、小学生は制服が当たり前だと思っていたのでショックを受けたのを思い出しました。今では茶髪の公務員もいる時代ですし、鹿児島も変わってきたのでしょう。
 昔の道についてですが、狩猟(特にイノシシ猟)をされる方と一緒に行くと、色んな情報を教えてもらえます。幸いにもうちの史談会に狩猟をされる方がいらっしゃり、現在使われていない道や、山頂付近の様子(田畑・石垣・道などの遺構)や目標となる地点(岩や巨木)、山中の地名の由来などを教えていただき、郷土史等に記載されていない情報が多く、大変勉強になりました。
 HPは…独学で試行錯誤しながら作ってますので、見づらい点が多いと思います。内容がどうも中途半端なので、そろそろ生物関係と歴史・民俗関係と分けようかなと。無料HPなのですが、いつの間にか容量が半分を切ってます。
 秋はどうしてもイベントが多くて(今年は選挙も…)、なかなか更新できませんが、もうちょっと見やすいようにしようと思います。それでは。

座頭の衣装

田中裕紀
No.722

新地さんこんにちは。
 遅くなりましたが、HPを拝見させていただきました。
座頭の衣装ですが、小さな琵琶が案外リアルなのに驚きました。琵琶には通常、「乾坤」という太陽と月を表した象嵌が入っているのですが、手描きで太陽と月が入っているのもかなりリアルな表現と言えるのではないでしょうか。ですが、一つ気になるのは両足で色の違う足袋と履物です。黒と白という足袋の色は何を表しているのでしょうか?最初はドイツ児童文学に登場する浮浪児のように、そろっていない着衣を身に着けることは貧しさの表象かと思ったのですが、よく考えてみるとそれらの児童文学に登場する子供たちがいわゆる「異形」であることから、やはり「異形」の表現として捉えるほうが的確ではないかと思います。琵琶法師は決して「貧しい」人々ではなかったはずですから。この辺は門屋くんにご登場いただいてください。門屋くんの師匠のほうがスペシャリストですが。
 鹿児島の習俗についてよくわかりませんが、琵琶のように「陰」と「陽」を表していたりしたら面白いのにな~~~と思っていますが、そう簡単にはいかないでしょう。掲示板をご覧になってる方で、何かご存知でしたら教えていただきたいです<(_ _)>

Re: 座頭の衣装

新地 浩一郎
No.723

田中さん、こんばんは。
 座頭の履物については、盲目の方の足取りを表現するためだと地元の方には聞いたのですが、足袋の色が違うことについては何も情報がありませんでした。
 この踊りの装束は、時代ごとに変わっているようで、座頭の衣装は戦後まもなくの装束だということでした。以前野口先生がおっしゃった吹上町の中島常楽院とならぶ盲僧寺(名前は忘れてしまいました…)が川辺にもあり、廃仏毀釈後にそこの盲僧たちがあんまや祈祷、琵琶演奏などで生計をたてていたということです。「川辺ザッツに 知覧ゴゼ」という言葉が今でも残っています。
 あと、うちの町の郷土資料室にも薩摩琵琶がありますが、おっしゃるとおり太陽と月が象嵌され、白の塗料が塗り込まれています。この琵琶は破損していて使用に耐えられるものではないです。踊りの乾坤は、金と銀の色紙を張ったものでした。
 参考になるかどうかわかりませんが、一応記憶している情報でした。

HP拝見いたしました。

門屋 敦
No.731

新地さんはじめまして。長らく書き込みをしておらず、ご挨拶が遅れました。学習院大(院)の門屋と申します。野口先生にも田中さんにもお呼び頂いたので登場致しました。HPを拝見いたしましたが非常に興味深い写真でした。座頭の足袋の色は非常に興味があります。履物に関しても納得させられました。
座頭はもちろんですが、種まきの存在に非常に興味を抱きました。土から作物を作る過程を表象している存在がやはり恐怖の対象となって一人中央で踊っている風景は新たな文化を持ち込む異形・異人に対するものとして興味深く考えさせられました。
このような行事の写真を見ていると、共同体の周縁に位置する様々な人間に改めて興味をそそられました。
感想みたいになりましたが非常に楽しく拝見致しました。

Re: 座頭の衣装

新地 浩一郎
No.736

 門屋さん、はじめまして。
 座頭の衣装では皆さんから色々なご意見をいただき、大変参考になります。小さな自治体で文化財を担当していると、専門(文献史学)だけではなく、考古学や民俗学、場合によっては生物学まで範囲が広がります。民俗学は学生時代に2・3コマ受講しただけですので、学問的なことはあまり分からず、自分の感じた感想だけで書いています。
 種まきが輪の中心で踊ることについては、南九州の民俗学の第一人者、下野敏見先生が「種まき以外の登場人物は「神」で、種まきの動きを見守っている」と著書「南九州の民俗」で書かれています。ですが、門屋さんのおっしゃるようにとらえるのも面白いと思います。
 私も登場人物については「神」ではなく、この踊りが始まった頃の代表的な職業を表しているのではないかと思っています。
 ナギナタや太鼓のかぶっている帽子は、髷をデフォルメしたような装飾があり、武士を表現しているように見えます。
 一方、シベと呼ばれる「御幣」らしきものを振り回す役の帽子には飾りはなく、見ようによっては坊主頭を表現しているようにも見え、神官や僧侶などの宗教関係者を表現しているように見えるのです。
 分からないのはヒョウタンなのですが、動きは大道芸のジャグリングのようです。胡弓、座頭とともにヒョウタンが芸能民を表現しているのかとも思います。
 種まきは農業民、魚すくいは漁業民、オンガメ(カマキリ)は人以外の異形(神や妖怪、或いは動物)を表現しているのかなと素人考えでは思っているところです。
 他の職業の人々が種まきの動きを見守っているのは、結局農業が産業の基幹であり、豊作・不作によってその他の人々の生活にも影響が出るからなのではと。
 この踊りは、文化庁の「ふるさと文化再興事業」で補助をいただいており、昨年度は用具の整備と後継者育成、今年度は映像記録を作製しています。HPの写真もその立会いをしながら撮影したものです。私もビデオを撮影しておりますので、ダビングが終了し次第、野口先生の研究室にお送りします。皆さんで見ていただいて、感想などをお聞かせ願えればと思います。写真ではなかなか伝わらないのですが、面白い踊りですよ。