お願い&御紹介
No.737
小口雅史先生からいただいた御高論「延久蝦夷合戦をめぐる覚書」(中野栄夫編『日本中世の政治と社会』吉川弘文館)において、応徳三年五月五日付「前陸奥守源頼俊申文」の従来『平安遺文』などで「清原貞衡」と判読していたものを、先生は「清原真衡」と読むべきものと断定されています。小生は、この文書の存在を清原真衡とは別に鎮守府将軍に任じた清原貞衡なる人物が存在したことの一つの根拠にしています(拙著『武家の棟梁の条件』118ページ以下参照)。この文書は入間田宣夫・豊見山和行『日本の中世5 北の平泉、南の琉球』(中央公論新社)17ページに鮮明なカラー写真が掲出されていますが、私には「貞衡」と読め、写真のキャプションからこの部分の執筆をされた入間田先生も「貞衡」と判読されたことが明らかです。古文書の判読に精通された方に、ぜひこの写真を御覧いただき、御意見をうかがいたくお願いいたします。
この度刊行された『古代文化』55-11に、中原俊章先生御執筆の拙著『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館)への書評が掲載されました。小生が追究することの出来なかった、秀郷伝説の中に示される「竜」の問題についての御見解が示されており、武士に関する伝承・説話に関心をお持ちの国文学専攻の方々に有益なものと思います。
なお、本日(7日)夕刻、東北大学柳原敏昭先生・佐藤健治先生、山形県埋蔵文化財センター山口博之先生が研究室に来訪され、お迎えした滑川さん・長村・山本両君とともに歓談刻をうつしました。東北へのお招きを受けましたので、ぜひそのうち、仙台・平泉へのゼミ旅行も計画したいものです。
柳原先生が山田先生や美川先生とのクラシック談義を期待されていたのを、ついぞ忘れていました。次回御上洛のおりには、是非とも。
この度刊行された『古代文化』55-11に、中原俊章先生御執筆の拙著『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館)への書評が掲載されました。小生が追究することの出来なかった、秀郷伝説の中に示される「竜」の問題についての御見解が示されており、武士に関する伝承・説話に関心をお持ちの国文学専攻の方々に有益なものと思います。
なお、本日(7日)夕刻、東北大学柳原敏昭先生・佐藤健治先生、山形県埋蔵文化財センター山口博之先生が研究室に来訪され、お迎えした滑川さん・長村・山本両君とともに歓談刻をうつしました。東北へのお招きを受けましたので、ぜひそのうち、仙台・平泉へのゼミ旅行も計画したいものです。
柳原先生が山田先生や美川先生とのクラシック談義を期待されていたのを、ついぞ忘れていました。次回御上洛のおりには、是非とも。