「紫苑」第二号について

No.784

遅くなりましたが、「紫苑」第二号の編集にあたって、原稿の依頼、規定などを書かせていただきます。
原稿を依頼した方々、お忙しいとは思いますが、何卒よろしくお願いいたします。

今回、原稿の締め切りは編集などの段取りもございますので、12月17日(水)とさせていただきます。(もちろんこれより前に出していただいても結構です。)
17日に提出していただけたら、その次の日のゼミですぐに推敲作業をさせていただきます。手直しなどの必要があれば、その次の週の25日(よりによってクリスマスですね☆)に再度提出していただきます。
年内に原稿がそろえば、冬休み中に私が責任を持って編集作業をさせていただき、年明けのゼミあたりでは原稿の下地が完成しているという状態でみなさんにお見せできればと考えております。
そして、そこから印刷業者に委託し、印刷、製本をして、晴れて二号完成!!という予定です。
ちょっとハードスケジュールですが、よろしくお願いいたします。

<原稿規定>
・字数は8000字程度とさせていただきます。

・原稿は、word、またはメモ帳で提出してください。wordで作成される場合はフォントや文字飾り、記号などの機能を使用なさらないよう、お願いいたします。(「」や『』などはOKです。でも☆や①などの機種依存文字は使わないでください。機種依存文字や、フォントにばらつきがあると後の編集作業がスムーズに進みません。)

・註をつける場合は、wordの編集機能を使って註つけるのではなく、お手数ですが手書きでその箇所に印または番号をつけておいてください。

・提出は直接永富に手渡していただいても、またはメールの添付ファイルでもどちらでもかまいません。

・段落、改行などはわかるようにはっきりさせておいてください。

何か不明な点があれば永富までご質問ください
よろしくお願いいたします。

京都と平泉

No.779

本日午前、ようやく京博の「金色のかざり」展を見てきました。一言で言って「圧巻」でした。新聞社などがかんでいないので、あまり宣伝はされていないようですが、日本史をやっておられる方は必見です。とくに京都法住寺殿跡と平泉志羅山遺跡出土の同時代の鏡轡が並べて展示してあったのには感激しました。この比較は、拙論「列島ネットワークの中の平泉」(入間田・本澤編『平泉の世界』)において図面で試みてはあるのですが、実物でそれがなされていました(もっともこの二つの轡について、両者の比較や製作者の推定に至るまでの御研究は京博の久保智康先生がされたことです→志羅山遺跡の報告書「岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告312集」参照)。これを見れば、すくなくとも12世紀段階における、京都と平泉の文化的関係は一目瞭然だと思います。「京都の研究者は、常に京都を地方の上位において、水が高いところから低いところに落ちるのと同じように文化を評価する」だとか、「『首都論』ですか、どうせ京都の話でしょ」などと仰っておられる(関東の)研究者の方の気持ちも分かるのですが(一部同意します)、これを御覧になれば、すこしはお考えが変わるかも知れません。日本史研究会で御上洛のさいに、ぜひ御覧頂きたいと思います。幸い24日までです。なお、NO.697で御案内申し上げた、小生主催の「法住寺殿跡見学会」は目下、参加者ゼロのようです。文字通り「余計なお世話」だったのかも知れません。
ちなみに、「金色のかざり」には、春日大社の国宝「金地螺鈿毛抜形太刀」が出ていましたが、これには螺鈿で猫が描かれており、たしか『台記』に頼長が猫を飼っていた話があったのを思い出しました(間違いでしたら、御指摘下さい)。それ以上の思いつきは申しません。
ほかにも、中尊寺経・平家納経などが出品されており、12世紀末のことしか頭にない小生にも存分に楽しめました。
それにしましても、常設展の方にも「一遍上人絵伝」やら美福門院寄進の阿弥陀経やらが盛りだくさんで、こんな具合ですから、小生は、徒歩5分のところに職場があるのだから、月に一度は必ず京博に行かなければいけないのだという義務感にさいなまれるのです。
これを称して「キョウハクカンネン」と申します。お後がよろしいようで。

京博でも刊行物セール

No.780

NO.774に京都文化博物館の図録が半額で売られているという情報を書き込みましたが、京博でも一日だけ昭和41年から平成14年1月までに刊行した刊行物の中から完売分を除く61点を半額または30%引きで販売するとのことです。その一日というのは11月22日(土)で、この日は常設展の無料観覧日にあたります。来館者のみが対象とのことです。
博物館に勤務する研究者の血と涙と汗の結晶である刊行物の安売りとは、京都文博といい、どうしたのでしようか。まさか、阪神タイガースのリーグ優勝記念ではないとは思うのですが。

春日大社蔵 沃懸地螺鈿毛抜形太刀

前川佳代
No.782

再び、前川です。こちらこそよろしくお願いいたします。
京博に展示されている春日大社蔵国宝「金地螺鈿毛抜形太刀」は、「沃懸地螺鈿毛抜形太刀」でしょうか?雀が宿る竹林でリボンをつけたが猫が雀を捕まえている情景が施されているもの。これについては、猪熊兼樹氏が「春日大社の沃懸地螺鈿毛抜形太刀の意匠」と題して『佛教芸術』266号(2003.1)に詳細な研究を展開されています。それによると、従来、和様工芸意匠の代表をされてきたこの太刀の装飾文はわが国独自の発想によるものではなく、当時請来されていた宋画の、それも流行していた画題をわが国の絵師や工人が学習し作成したものであることを論証されています。12世紀における和様といわれる工芸の見直しを迫るものであり、また当時どれだけの文物が中国から入ってきたかというネットワークについて、東アジア世界を見据える必要性を喚起するものと思います。ご存じかとは思いますが、ご参考までに。
猫といえば、奥州平泉館の焼け残った倉には銀造猫があったといいますし、その数年前に頼朝と西行が歓談したのちに頼朝が銀造猫を西行に渡していますよね。これらも中国からきたものなのでしょうか。どんな猫の意匠だったのでしょう?
猪熊氏の論文に目を通したばかりだったので、ぜひとも観覧にまいりたく存じます。

別ものです。

No.783

前川さんのタイトルに掲げられた太刀と、小生の紹介した太刀とは、すくなくとも呼称については別物です。その名称の太刀も隣りに出展されていました。
太刀の装飾意匠について、小生はまったくの素人ですが、当時の摂関家の家長は内裏の指図まで自ら作製するくらいですから、その方面の知識を持っており、工人に指示するくらいのことはあったと考えた方がよいのではないでしょうか。とりわけ、氏神へ奉献するほどのものですから。

Re: 京都と平泉

No.786

横レス失礼します。春日大社の金地螺鈿毛抜型太刀と沃懸地螺鈿毛抜型太刀は同じ物です。金地と指定名称ではありますが、技法は沃懸地です。また、野口さんがいう、その隣の太刀というのは、沃懸地螺鈿金装餝剱で、春日大社の遺品ではありませんし、太刀の様式も違います。念のため。

Re: 京都と平泉

No.788

すみません。同じのが2回入っちゃいました。ひとつ消去して下さい。

訂正。

No.789

近藤先生、御指摘ありがとうございました。
もう一度、図録で確認しますと、前川さんのおっしゃっている太刀は、この展示では「金地螺鈿毛抜形太刀」の名称で出展されています。ですから、指定名称と技法呼称の相違ということで、小生がNO.779で述べた太刀と同じ物ということになります(春日大社所蔵)。そして、その隣に展示してあったのは「沃懸地螺鈿金装飾剣」という名称で、東京国立博物館のものでした。
それにしても、指定名称と技法による名称とが専門家によって混用されるのは、研究上それなりの理由があるにせよ、社会還元・教育の場では、小生も含めた素人には迷惑な話であります。小生の専攻する「武士論」にも、こういうことがあるかも知れません。当事者は気づきにくい事なので、御指摘下さい。
「沃懸地」というのはよく分かりませんが、図録の解説文によると、金粉を密に蒔くという技法のようです。 

指定名称

No.790

文化財の指定名称は、指定する際に調査に関わった文化庁の担当官の見識で決まります。ですから、同じ技法や様式であっても、名称が異なることがよくあります。専門外や一般の方々はもちろん、われわれ専門に扱っている者でも混乱します。困ったものですが、文化庁は一向に改善する気がありません。ですから、私は論文などでは自分の見識で名称を変えますが、そうすると、所蔵者からクレームが付くこともあります。逆にいうと、文化庁の担当官には、私のように、遺品の名称(歴史的名称)に拘る人はいないということです。

遅ればせながら「源頼俊申文」について

前川佳代
No.771

初めて書き込みいたします。野口先生から小口氏が「源頼俊申文」について御高論を書かれたとお知らせを受け、掲示板を拝見いたしましたところ、議論されているようなので、実際に本文書を見た人間として一言書かせていただこうかと思いたった次第です。
私は2000年12月に宮内庁書陵部へいき『御堂摂政別記』柳原旧蔵本におさめてある「源頼俊申文」を実見させていただきました。
さて、本掲示板で問題になっている「貞衡」か「真衡」かであります。私が実見いたしたところ、大方のご意見のとおり「貞」であると思いました。ただ私はそれほど古文書に精通しているわけではありませんので、書体の特徴をメモ書きしてきた程度ですが、書陵部においでの石田実洋氏と検討させていただいた結果、「貞」でいいのではないかという結論でした。小口氏がご指摘のとおり一画目は横に短く入り、二画目の縦線の左に入ります。また下を「大」の字に作るのもそのとおりです。が、「大」の字の一筆目は短く止まりやや筆をうかして左と右にはらっています。元木先生のご指摘のように横線が突き抜けてないことは比較の対象にはできませんが、私のメモにはその次の行の9文字目にある「勧賞」の「賞」の字の「貝」のヶ所も同じく「大」の字に作ってありました。ゆえに「大」の字が根拠にはならないと考えます。ただし、小口氏が写本全体を検討され、柳原の特長であるなら考えなおさなければなりません。
そもそも本文書は江戸期に柳原紀光が書写したものです。現在は御堂関白記の抄出部の次に「裏ノ反古」と注書きされて申文が数通並ぶという冊子本であります。おそらくはこの形態のものを借り受け書写したと考えられます。申文群の年代から御堂は藤原師実本であろうかと推測されますが、柳原が書写するまで数回の書写があった可能性があることを考慮したうえで文書を使用する必要があると考えます。よく「貞」は「真」の誤記か?との指摘を見受けます。柳原が誤記した可能性は少ないと思いますが、柳原までの書写で誤記が生じた可能性は捨てきれない。しかしそれをいってしまったら、現在伝来している文書の多くは誤記だらけという危惧をいだかざるをえないわけです。したがって本文書の「字つら」のみを信用すると、やはり「貞」としか読めないかと思います。さらに野口先生のご研究で「貞衡」なる人物が実在した可能性があるのであれば、なおさらのことと思うのですが、いかがなものでしょうか?
なお、福原の情報はありがたかったです。私は神戸大学病院校内を治承4年11月11日に安徳天皇が移られた「新内裏」と考えております。おもしろくなってまいりましたね。

論文をよろしく。

No.772

前川さん、ありがとうございました。小口先生の御判読は、相当な確信的事実に裏打ちされているようなのですが、これまでの先生方の御意見によれば、どうも小生の説を再検討するほどのことはないようですね。それにしましても、この文書をズバリ、タイトルに掲げた前川さんの蝦夷研究会(盛岡、2000年12月)における御報告の早期論文化を小口先生は求めておられますが(別掲御高論注4)、この点については小生も同意見ですので、家事・育児・博士論文等々たいへんだと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。
なお、前川佳代さんのことはすでにご存じの方も多いかと思いますが(歴史学を志す女子学生諸姉にとっては、神話的というか、あるいは伝説的とでもいうべき御経歴)、御紹介させていただきます。現在、奈良女子大学大学院博士課程に御在籍ですが、御出産と育児のために休学中。当ゼミ創設期にはいろいろ御助力いただいた方であります。そうです、滑川さんの先輩でもありますね。滑川さんを当ゼミに誘ってくださった八木さんを紹介してくれたのも前川さんでした。
前川さん、これからもしばしば御登場下さりたく、よろしくお願い申しあげます。

ぜひともご挨拶に

田中裕紀
No.778

 前川さん、はじめまして。同志社大学国文学専攻院生の田中裕紀と申します。以前から野口先生に前川さんのお話を聞いていましたので(史料編纂所にいらっしゃる岡さんからも聞きましたが)、ぜひともお会いしたいと思っていました☆掲示板の上ででもお会いできてとても嬉しいです(*^o^*)書き込みも前々から始まっていた先生方の議論と共にとても勉強になりました。野口先生から「これからは国文の研究者も古文書の勉強もしないと」と言われてもいることもあって、文書に書かれた文字の分析の仕方など、とても面白く拝見致しました。専門の国文も、そして歴史学は尚更、まだまだ不勉強の身ですが、いつか実際にお会いしたいと思います。ぜひゼミにもおいで下さいませ。

7日のこと。

No.766

久々に書き込みします。そのわりにはタイトルもシンプルなんですが・・。
7日の京都歴史資料館の「平安京模型」の展示はすごく面白かったです。二条付近にある閑院内裏や東三条院や保元の乱舞台である高松殿などから八条付近の八条院町や西八条院などいつも史料講読や本を読んでいて出てくる場所が平安京の大きさと比較して、またどの位置を占めるのかがビジュアルに分かるのでとても勉強になりました(気分はデイタラボッチ)。個人的には平清盛が死んだ「平盛国邸」がよかったです。できることなら常設展示して欲しいです!どうしてかあういう「模型」ものはワクワクしながら真剣に見てしまいますね。江戸東京博物館や歴博の模型も他の展示物より時間をかけて見た気がします。またあの「平安京模型」の何分の一かに縮小したプラモデルが欲しいとも思ってしまいました。田宮かバンダイからでないかな。坊ごとに発売して全部集めたら平安京完成!みたいなシリーズもので。金閣寺の模型もあるので発売してもおかしくないと思うんですが。
そのあと先生の研究室で柳原先生、佐藤先生、山口先生の諸先生方にお会い出来ました。自分も平泉と福井との関係について実際に東北に住んでいる方からお聞きできたことは大変勉強になりました。ありがとうございました。

福原京、平頼盛邸の(?)櫓の発掘

山田邦和(花園大学・考古学)
No.759

 今日、神戸の兵庫県埋蔵文化財事務所に行ってきました。仕事を終えて帰ろうとして、事務所の玄関の脇の小さな展示ケースに気がつき、覗き込むと・・・
 なんと、福原京跡の新しい発掘調査成果が紹介されていました。他地域にはほとんど報道されていないようですが、神戸大学附属病院構内の楠・荒田遺跡でこの夏に調査がおこなわれ、大量の土師器皿(京都系のものばかり!)を投棄した土坑と、それを切り込むようにして建てられた1間×2間(2.7×3.6m)の建物が検出されました。建物の柱穴は大きく、かつ深く、底には丁寧に加工された礎盤石が入れられていました。兵庫県埋蔵文化財事務所では、平面規模に比べて柱穴の深さが深いことから、この建物は高床建築であり、中世武家居館に付属する「櫓」ではないかと推定しています。
発掘地点の西側には荒田八幡神社があり、そこは安徳天皇の行宮ともなった平頼盛邸の伝承地です。もしかするとこの櫓は、頼盛邸そのものか、もしくはそれに隣接した平家の武家邸宅のものであったかもしれません。
 「幻」の福原京の調査の進展の様子、興味深々で眺めております。

「要塞都市福原」

No.762

山田先生。すごい情報をありがとうございました。
タイトルのようなことを、すぐ言いたくなってしまいますが、すると必ずどこからかクレームの声が聞こえてきそうです。
しかし、先年、元木先生の御案内で荒田神社に行ったとき、まさにここは城郭の立地にふさわしい場所だと思いました。また、神戸大学付属病院の立地も北高南低の傾斜地で、京都の鴨東を90度傾けた観がありました。しかし、櫓というのはインパクトがありますね。マスコミは兵庫県内だけしか報道しなかったのでしょうか。きわめつきの認識不足ですね。史学・考古学の鎌倉や平泉の研究者ばかりか、国文学の研究者も大いに関心を寄せるものと思います。福原の軍事的性格については他との比較の視点で、勤務先の紀要に山田先生と共同執筆した「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」という論文に関説しましたが、いよいよ自説の裏付けを得た思いです。内乱期に長く平家が本拠を置いた屋島の内裏跡伝承地など、ぜひ考古学的調査を行って欲しいとつくづく思います。山田先生、平家の本拠の研究、これからもしばらくお付き合い下さい。頼りにしています。

顧問だなんて…

No.758

レスがおそくなってしまいました。(というか、すすむ
のが早すぎる。または、忙しくて、返事を出す余裕もあ
りませんでした。)HPにアップされた写真、拝見。お
恥ずかしい限りです。顧問など滅相もない。小姓ぐらい
にしておいてください。それにしても、楽しかったです。
またお伺いします。できれば、写真をいただければ、嬉
しいです。
ところで、東北大学の柳原先生、ご無沙汰しております。
その後、どんな感じでしょうか。取り急ぎ、ということ
で、こんなところで失礼いたしました。

Re: 顧問だなんて…

No.763

いえいえ、天下のNHK出版の編集者を顧問にお迎えできれば、これほどの光栄はありませんから。
ゼミ関係の旅行の写真は目下、HPを管理している鈴木君・永富さんのところに集約されているはずで、いずれ何らかの形でお送りできると思います。
この掲示板はアクセスいよいよ10000件に迫りつつあります。当初はゼミのほか、講義受講者への連絡にも使わせて貰えれば便利だくらいに考えておりましたが、かくのごとく予想以上の成長をとげ、学問的情報も満載。かと思えば、「お誕生日おめでとう」のメッセージといった有様で、とても面白くなって参りました。伝聞によれば、書き込みのセンスの良さから、某著名研究者のアイドル化している某女性ゼミメンバーも出現しているとのことです。今後とも、何卒ご贔屓に。
柳原先生、先日は仙台のお土産をありがとうございました。NHKブックス、楽しみに致しておりますので・・・。

京都文化博物館の見学

No.757

こちらは、年末でも年始でもなく、明日のことですが、大学コンソーシアムの「中世の京都」の授業で京都文化博物館歴史展示の見学を行います。履修生以外で、参加希望の方があれば歓迎致します。集合時間、その他についてはNO.604とNO.664をご覧下さい。『平治物語』信西首渡しの場面を立体化した模型や京博企画展「金色のかざり」出展の法住寺殿武将墓出土鍬形の復元されたものなどが展示されています。
ちなみに、この歴史展示の「武者の世に」と「えがかれた京」のコーナーの展示担当は不肖野口でございました。

京都文博企画展図録セール

No.774

本日、京都文博に見学に行きましたが、そのさい、受付の方から、これまでの企画展の図録を3Fで(たしか)半額で販売していると教えていただきました。野口君や平田さんは早速駆けつけたようでしたが、如何でしたか?すでに会期中に売り切れになってしまったものもあるのですが(山田先生や小生が執筆を担当したもの等)、耳よりな話であろうかと、書き込みました。
それにいたしましても、2Fの歴史展示は、そろそろリニューアルの時期だと今回はつくづく思いました。

Re: 京都文化博物館の見学

平田樹理
No.775

今日は本当にありがとうございました(飛び入りにもかかわらず)。
野口先生の詳細なご解説が、とても分かりやすく、充実した時間を過ごせました。
法住寺殿武将墓出土鍬形の復元は、実際もこうであったのかと、大きく立派な細工のものでした。早く京博に本物を見に行かなければ…順番逆ですね(近すぎるせいか、逆に足が遠のいています)。
企画展の図録は、思ったよりありませんでしたが、「北条時宗とその時代展」を手に入れました。半額ですから、とりあえず何でも買っておかねば損です!
 では、新幹線の時間があるので、失礼します(博多は遠いです~)。

参拝だけなら拝観料は必要なし

No.756

お邪魔します。
私は叡山電車の山口と申します。
京都の神社では初詣の時期であっても拝観料は必要ありません。念のために、野口先生の紹介された京都市観光協会に確認したところ、観光協会でも拝観料の件については、聞いたことがないという返事でした。

山口さん、ありがとうございます。

No.765

山口さんから情報をいただけると大変助かります。今後とも何卒よろしくお願い申しあげます。
貴船の方は如何ですか。いよいよ観光シーズンで、文字通り千客万来のことと思います。なかなか行く機会が得られず、残念です。

Re: 参拝だけなら拝観料は必要なし

山口博史
No.767

野口先生
貴船のライトアップを土曜日に見に行ってきましたが、思っていたより多くの方が参拝されていて驚きました。京都新聞、朝日新聞に記事として載せてもらいましたが、近々日本経済新聞とNHKが取材に来る予定です。紅葉は今一ですが、ライトアップするとなぜあんなに綺麗に見えるのでしょうか?
野口先生をはじめ、この掲示板をご覧になっている皆様是非貴船のライトアップへお越しください。

お久しぶりです&お尋ねですが

No.751

毎回毎回歴史に何の関係も無いカキコで申し訳ございません。
今回も、それほど関係の無い話題ですが(・・;)…

実は、今年の年末を京都で過ごそうと計画しておりまして、
初詣も京都で、と思っております。
ところが「平安神宮他、京都の大きな神社では
今年の初詣にはお賽銭代りに特別拝観料をもらうところがある。
ただ料金を取るだけでなく、何かを見学できるらしい。」
といううわさを耳にしました。
インターネット等で調べてみたのですが、どこもまだ紅葉特集で
年末年始に関しては情報を得ることができませんでした。
どなたか、この噂が本当なのかどうかご存知ですか?
もしも本当であれば、どこでどういうものを見ることができて
拝観料が幾らぐらいなのかを知りたいのですが・・・。
勝手なお願いで申し訳ございません。
遠隔地からいろいろ検索するよりも、ご当地にいらっしゃる方に伺うほうが
信憑性も高かろうと思いましたので。
よろしくお願い致しますm(_ _)m

お久しぶり。

No.753

笠さんお元気ですか。京都の情報ですが、京都市観光協会のHPはごらんになりましたか。まあ、この手の情報は野口君が詳しいとは思いますが、とりあえずお知らせまで。なお、上洛期間にもよりますが、京女にも遊びにおいで下さい。

Re: お久しぶりです&お尋ねですが

No.761

笠さん、こんばんは~♪おひさしぶりです!
京都へ来られるんですね~もしかして彼氏とですか?キャッ♪(失礼しました)
初詣、私も毎年行っていますが、特別拝観料を払ったことはありませんね。お賽銭だけです。
ちなみにうちは31日の晩に地元の山国神社、正月明けてからは毎年家族で北野の天神さんへ行っています。

Re: お久しぶりです&お尋ねですが

No.768

初めまして。掲示板の管理人です。
我が家は京女の近所ですので、定番コースで
大晦日は八坂神社へおけら参り、元旦は伏見稲荷にいきます。

1月の成人の日には、京都泉涌寺七福神巡りがあります。
泉涌寺周辺の寺院は無料で拝観できます。経路の途中の伝那須与一墓所も見ることができます。

↑うわさの件、>>No.756にも書かれていますが、僕の方でもいろいろと調べてみます。

Re: お久しぶりです&お尋ねですが

野口洋平
No.773

笠さんお久しぶりです。最近観光ガイドマンと化してしまった野口です。
神社の特別拝観料の件ですが、山口さんはじめ皆さん書いておられるとおり基本的には必要ないです。ただ例外的にいくつかの神社で建物内部や庭園、宝物館の拝観を有料で行っている神社もあります。僕がわかる分だけいくつか挙げておきますのでよかったら参考にしてください。

北野天満宮:宝物殿、梅園(入園500円茶菓子つき)
 宝物殿は1月1日12月1日毎月25日と春に公開。国宝の北野天満宮縁起をはじめ、長谷川等伯筆昌俊弁慶相騎図絵馬や源氏の重宝鬼切丸などがみられます。
 梅園は二月初旬から三月中旬までの公開で、50種2000本の梅がみられます。2月25日には菅公の命日にちなみ梅花祭が行われます。

平安神宮:神苑(600円)

松尾大社:
 松尾大社はご祈祷(確か千円ぐらいだったような…)をお願いすれば松尾造の本殿(重文)と神像、神苑が宮司さんの案内つきで拝観ができます。宝物館に収められた御神像三体(男神像二体、女神像一体)は、平安初期の作で、三体とも等身大座像、一木造りで、わが国神像中最古最優良品として重要文化財に指定されています。神苑は昭和の名作庭家重森三玲の作で、上古風の磐座(いわくら)庭、平安風の曲水庭、鎌倉風の蓬莱庭にわかれいずれも見ごたえあります。
ただ宝物殿と神苑だけなら拝観料(500円だったかな…)を払えば普通にみれるはずです。

平岡八幡宮:花天井(拝観料500円)
 平野八幡宮は弘法大師創建の京都最古の八幡宮で、高尾神護寺の守護社とされる。応永年間に焼失するが、義満により再建される。義満がたいへん花を愛でたことより神殿の天井には44枚の極彩色の花の絵が描かれ、毎年春と秋に二月ほど公開している。花の中には当時日本になかったものも描かれている。

 この他にも下賀茂神社では本殿脇の国宝の建物(大炊殿だったかな…)や、二年前は八坂神社で内陣の特別拝観などもやっていました。ただこれらは鎮座何年祭などの行事に関連しての特別公開かもしれません。年末年始にやっているかは不明です。長々と書いておきながらお役にたてなくてすみません。

年末年始にこられるのでしたら八坂神社のおけら詣をはじめ各地でいろいろな行事が行われていると思うので、そちらに行ってみてはいかがでしょうか?

Re: お久しぶりです&お尋ねですが

平田樹理
No.776

笠さん、お久しぶりです!ご無沙汰しております。
年末遊びに来られるのですか?
私のほうは年末年始などあるわけもなく、私も京都で過ごす事になりそうですので(…のわりには急に帰らねばならない時も多いのですが)、ぜひその際にはご連絡下さい。

皆様ありがとうございました

No.777

本当に、毎回毎回サイトの趣旨と外れたカキコですみません。
そして、こんなくだらない質問にたくさんのご回答ありがとうございましたm(_ _)m

私も年末年始を京都で過ごしたときは拝観料など払わなかったのですが、
たまたま今年は何か企画されている神社でもあるのかと
噂を聞いた時に思いましたもので・・・。
ただ、企画をされる神社へ初詣に行くのならば、
普段は見られないものをお金を払って見るのはいいけれど、
普段も見られるものに余計なお金を出すのは嫌だな、と思ったのです。
たとえば1月1日になった途端、“平安神宮の神泉苑は本日のみ千円!”
だったとしたら、絶対行くもんか!なのです(笑)
特別料金を取らないとなると、初詣神社探しは振り出しに戻ります。
伏見稲荷なんか面白そうですねぇ・・・(-。-*)ボソッ

そうそう。時間が許すならば京女にも寄りたいのですが、
私が上洛する頃は冬休みに入っているのではないかと・・・。
27日(土)って、京女はもうお休みでしょうか?

Re: お久しぶりです&お尋ねですが

末松憲子
No.781

笠さん、お久しぶりです。鎌倉ツアーでご一緒した、精華の末松です。
私は今年も年末は十二月二十九日まで。新年は四日くらいから伏見稲荷でバイトしています。(内勤なのでお目にかかることは無いと思いますが・・・)
笠さんはたしか本宮祭のバイトをされてたんでしたよね。
神職の人らに聞くと、元旦は神饌所から一歩も出られないほど忙しいらしいです。昨年私は元旦の四時過ぎに参拝に行ったんですが、その頃には結構人が流れてました。そのままお山に登ったらすぐに日が暮れてしまい、裸電球がぽつんと燈る鳥居群の下をちょっぴりびびりながら下った覚えがあります。夕方から山登る人はあんまりいなかったです(恥)
京阪の乗り放題切符を買ってあの辺巡るのも良いですよねー。

Re:

No.785

27日、学校はお休みですが、笠さんの都合さえよろしければ、どこか別の場所などでも集まったりすることは可能ですよ~
「笠さんを囲む会」、ぜひ開催したいですね~♪

湖東三山

田中裕紀
No.748

だーいぶ前に湖東三山ツアーを提案しましたが、いつ行きましょう???私としては11月23日が空いているのですが、日本史研究会の大会がありますので、11月中はちょっと厳しいかなーとも思われます。が、湖東三山のそれぞれで特別公開があり、特に金剛輪寺は11月30日まで日本最古の大黒天像が公開されているので、ど~~~~しても11月中に行きたい!!!というわけで、とても急ですが15・16・29・30日のどれかで行きませんか?????行きたい!という人はレスをお願いします。
ちなみに詳しい情報はこちら↓http://www.eki.ne.jp/biwako_n/eve_02.html

車担当

No.749

僕自身は、15・16日は大学のイベントがあり行けません。
29・30日は可能です。

Re: 湖東三山

No.750

私も15はバイト、16は山国地域の宝物・文書の特別公開&説明会、22、29は博物館実習のため厳しいです。
23、30なら可能です。

新幹線で。

No.754

田中さん。7日の京都市歴史資料館は結構、楽しめましたよ。長村君などは今後、2階の資料室に入り浸りになりそうです。これまでの展覧会資料もすべて無料配布で、気前の良いこと限りなしの博物館です。京都駅前に建設が予定されている市の歴史博物館構想が不況の影響でストップしているのは実に残念です。文化の停滞は国家的大損失なのに、そんなことを選挙で主張した政治家はいませんでしたね。
ところで、湖東三山ですが、30日あたりで決まりそうですね。
今月はなにしろ忙しい。29日は埼玉県にいますし、30日は千葉から上洛途上です。滋賀県を走る新幹線の車中から、「ああ、あの辺りが金剛輪寺か」てな形で参加させていただくことになりそうです。プレミオの新車は悔しがっておりますが。

京都市歴史資料館

田中裕紀
No.760

野口先生。
 7日の京都市歴史資料館はお休みして申し訳ありませんでした。実は、母と国立博物館に行っておりました。母が私をお供に見に行くと言うので、そちらを優先させてしまいました。最近友人の母が倒れたのを聞いて、にわかに親孝行に目覚めたのでした。親孝行できるのも今のうちですからね。というわけで、歴史資料館は学校からも近いことですから修論の合間に行くことにしました。先生の解説が聞けないのは残念でしたが、入り浸ったナガムラ君でも捕まえることにしましょう。
 京都という町は古いものが当然のように残っているのがいいところですが、その分住んでいる人の意識が低いようです。西陣で閑古鳥がないているというのも良い例です。観光地の整備やライトアップも結構ですが、その前に住んでいる人の意識を高めることが必要です。

その通りです。

No.764

先年、佐賀県小城町のシンポジウムで田中さんの指摘されたことと同じことを話してきました。ほかの地域に比べて、決して京都人の歴史意識は低いとは言えないと思いますが、このところそう思われても仕方の無いような現実に直面することが多すぎますね。小生は1989年に京都を去り、2000年にあたかも流刑を解除されたかの如く戻ってくることを得ましたが、この僅かの間に京都では中世以来の自治の伝統とか都市文化の崩壊がヒドく進行したように思えます。小生にバブルは無縁でしたが、その時期に京都はだいぶ市民文化が荒廃したようです。この間、京都に住んでおられた皆さん、如何でしょうか?