明日の授業やゼミのことなど

No.7201

 今日の京都は大雨。夜、労働学校の講義があるので電車で出勤しようと駅に出ると、(案の定)僅かとはいえ奈良線は遅れを出しておりました。
 京都駅八条口では、ちょうどバスの出てしまったところで、骨の折れた傘を差して待つこと十数分。ようやく大学に到着。
 出張報告を書いて提出。入学センターからの回答依頼の書類を作って添付ファイルにて送信。注文しておいた書籍の受け取り。事務的な郵送一件。それから、A地下の混雑が緩和した時刻を見計らって昼食。
 自転車操業はよくありませんが、さて、これから明日の授業の準備です。
 そういえば、仏教学の講話はちょうど一週間後ということになりました。これは、自転車操業というわけには参りません。はて、如何したものか?

 明日のⅢ講時の「基礎演習Ⅰ」は、高田さんの御報告で、テーマは「ファーストフード」。どのような切り口で迫られるのでしょうか、楽しみです。ひょっとしたら、試食もあるかも?

 15時からの『吾妻鏡』講読会は、岩田君の告知(>>No.7191)の通りですが、少しの時間、歴史学研究会大会の様子をうかがおうと思っております。

 Ⅴ講時の「基礎・教養科目B25 女性の視点から日本中世の歴史を考える」は、第6回目の講義で、テーマは「老人と女性-日本史に見る老人像」。女性問題と老人問題は同根の部分が大きいので、「老人と女性」をテーマにしたお話を2回に分けて行います。

 ◎ 卒論指導対象の現社4回生のみなさんは、卒論を早々に進め、不明な点はどしどし訊きに来て下さい。

関東往還記

No.7200

 風雨のなか、先ほど関東からヨロヨロと戻ってまいりました。
 例によって、出張先では多くの方々のお世話になりました。あつく御礼を申し上げます。

 年度末の2月・3月に研究調査が集中したことの反省から、今年度は早めに調査出張を設定したのですが、御承知のように年度当初からやたらと忙しく、毎週のように何処かへ出掛ける羽目に陥っております。

 今回の調査地は千葉で、前回3月の調査で回ることの出来なかった猪鼻城跡と東禅寺・高徳寺とその周辺を精査するとともに、近年における中世千葉に関する文献・考古の両サイドの研究成果を集約したとも評される千葉市立郷土博物館の企画展示「千葉市の戦国時代城館跡」を見学してまいりました。
  →http://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/shogaigakushu/kyodo/tenji.html

 千葉氏居館跡に比定されている千葉地方裁判所の周辺も歩き回りましたが、街並みの変貌ぶりには、まさに浦島太郎状態の驚き様でした。昭和の風情は完全に根絶されてしまい、当地を故郷とする私にとっては、とても残念な事態です。

 >小学生時代の同輩諸兄  ついにあの「コドモヤ模型店」も消滅してしまいましたよ。

 それにしても、鎌倉・京都・肥前小城などとの比較の観点からする中世千葉に関する研究は面白く、今後、美術や宗教の視角も取り入れて考察を深めていきたいと考えておりますので、博雅の御教導をお願い申しあげる次第です。

 なお、この土日には専修大学で歴史学研究会の大会があり、岩田君をはじめ、若い方たちはそちらに行かれたことと思います。どんな様子だったか、火曜日にでもお話しをお聞かせ下さい。
 
 さて、京都に戻っても一段落というわけにはいかず、明日は京都労働学校(ラボール学園)の日本史講座で「源頼朝と京都-なぜ鎌倉を去らなかったのか-」というテーマのお話しをさせて頂くことになっています。話の趣旨は、奇を衒うようですが「頼朝は本当は在京するつもりだった」ということに尽きます。さて、どうなることでしょうか?

Anti-Climax-そして『吾妻鏡』も続く-

No.7191

 FIFAワールドカップ(TM)の開幕を来月に控え、近頃またサッカー関連の書籍・雑誌の発刊が相次いでおります。サッカー好きとしてはなかなか嬉しい状況です。
 以前(4年前や8年前)は選手の内面に迫るようなノンフィクション系のものが多かったように思いますが、今回はそういったものに加えて、「戦術」にフォーカスしたものが増えたことが特色かと思います。多様なテーマの本の刊行は、ワールドカップ本戦での代表チームの成績に対する悲観的な観測に反して、日本サッカーの成熟の一端を見るような気がします。
 そんななか、『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理(サイモン・クーパー,ステファン・シマンスキー 共著,森田浩之 訳、日本放送出版協会、2010年)は、さまざまな数値を分析してサッカーを読み解いていくという好著で、最近読んだなかでも出色の一冊だと思います。物事が動いている中心から離れれば離れるほど、その物事の動きについていく上では不利である(※つまり、現代サッカーは西ヨーロッパを中心に動いているから、そこから遠くにある日本はすでに大きなハンディを負っている)といったような指摘は、サッカーの世界に留まらずいろいろと考えさせられました。
 自分もちょっとは成長したかな…と思ったら、周りはもっと成長していたというようなことはよくありますね。怠けていないで、いろいろなものを学ぶため積極的に出かけて行きたいと思います。

 次回の『吾妻鏡』の予定です。

 日時:2010年5月25日(火)15:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:康元二年(正嘉元年、1257年)十月十三日・十六日・二十六日、十一月八日・十六日・十七日・二十三日、十二月六日・二十四日・二十九日、
 正嘉二年(1258年)正月一日・二日・六日・十七日・二十日、二月十三日・十九日・二十八日、三月二十日、四月十九日・二十五日・二十六日、五月二日・六日・八日・九日・十日・十四日・二十九日、六月一日・二日・三日・九日、七月十日・十五日・二十二日・二十三日・二十九日、八月五日・六日・八日・十六日・十七日・十八日・十九日・二十日・二十八日、九月二日・二十一日・二十九日、十月十二日、十二月十日・十九日
の各条

 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。『紫苑』第8号も『吾妻鏡』講読会の成果が大きく反映されております。

入間田先生編『兵たちの時代』が出ました

No.7186

 昨日は朝から、卒論演習のことで宮本さん、また、広島から江波さんが御来室。広島土産の「川通り餅」を頂きました。

 Ⅲ講時の高津さんの報告は、「男脳と女脳」をテーマにした報告で、診断テストまであって大変面白い内容でした。動物行動学も前提にして、この問題を深めて行かれることを期待します。
 それにしても、野坂昭如氏のいうごとく、「男と女の間には深くて暗い川」がありますね。

 『吾妻鏡』講読会は、正嘉元年の大慈寺供養のところ。恩師貫達人先生の執筆された『鎌倉廃寺事典』の当該項が役に立ちました。
 それにしても、『吾妻鏡』のこの辺りの記事は、東国武家政権の記録というよりも、もはや権門貴族の家政機関の記録の観がつよい。登場する御家人の顔ぶれも、源氏将軍期とはだいぶ変わっています。

 Ⅴ講時の「基礎・教養科目」では、先週、ざっと流した『吾妻鏡』の記事を精読。史料の面白さに気づいてくれた人が一人でも居れば幸いであります。

 授業後、また『吾妻鏡』講読会に復帰して20時まで。

 かくして、火曜日はとてもハードです。

 ◎ 拙稿「京都七条町から列島諸地域へ-武士と生産・流通-」収録の、入間田宣夫編『兵たちの時代Ⅱ 兵たちの生活文化』(高志書院)が、同編『兵たちの時代Ⅰ 兵たちの登場』とともに刊行されました。『兵たちの時代Ⅲ 兵たちの極楽浄土』は来月刊行予定とのことです。
 各巻2500円というのは安い。高志書院の努力に敬意を表したいと思います。
     http://www.koshi-s.jp/

臨時?東京ゼミ旅行の報告と今週の予定

No.7182

 昨日の中世戦記研究会には、学習院大学大学院の伊藤さんのみならず、九州旅行から越後に帰着したばかりの田中さん(丸山夫人)までが駆けつけてくださり、藪本君も含めて、京都勢の一大集結(ちょっとしたゼミ旅行の気分)の機会となりました。

 ちょうど、歴研大会の準備報告と重なったために、歴史ジャンルの関東の若手研究者の参加がすくなかったのが残念でしたが、鈴木先生の徳大寺氏に関する御報告も興味深く(佐伯君の参加があれば・・・と思いました)、懇親会も大いに盛り上がりました。
 また、ミュージアム知覧の絵巻について、いろいろなジャンルの先生方から御意見をうかがうことが出来たのも大きな収穫でした。

 さて、今週の授業とゼミの予定です。

 18日(火)。Ⅲ講時の「基礎演習Ⅰ」は高津さんの御報告で、テーマは「男と女の考え方、とらえ方」。
 15時からの『吾妻鏡』講読会は、いつも通り。
 Ⅴ講時の「基礎・教養科目B25 女性の視点から日本中世の歴史を考える」は、第5回目の講義で、テーマは「日本中世の女性(2)-離婚と遊女・女商人-」です。
 なお、この日の午前には、京都文化博物館で開催中の冷泉家展見学のために上洛される広島大学大学院の江波さんが御来室の予定です。

 19日(水)Ⅲ講時の『小右記』講読会は先週の続き。この日は卒論指導も。

 金曜の『吾妻鏡』講読会は休会です。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、同館の企画展図録『武家の都 鎌倉の茶』を御恵送頂きました。
 永井先生に、あつく御礼を申し上げます。 

いよいよ明日ですね。「中世戦記研究会」

No.7179

 諸事重なり、天候不順も影響して衰老ことに甚だしき有様で、諸方に御迷惑をおかけしております。
 ところで、「中世戦記研究会」がいよいよ明日に迫りました。

 日時:2010年5月15日(土) 13:30~18:00
 場所:学習院大学 北二号館10階 大会議室
 輪読『慈光寺本承久記』:
   長村祥知氏 「北条義時追討計画と伝奏葉室光親―承久三年五月十五日付の院宣と官宣旨―」
 研究発表:
   鈴木啓子氏 「『平家物語』における徳大寺実定説話と〈家〉―徳大寺家と説話の生成をめぐって」
   岩田慎平氏 「小鹿島橘氏の治承・寿永内乱」

 * 会員以外で参加希望の方は、事前に当方にお知らせ下さい。事務局の先生に連絡させて頂きます。

【追記】 本日は関東より上洛中の遠藤明子さんが来室され、「大いちょうサブレー」を頂きました。
 さっそく、『吾妻鏡』講読会で賞味。まだ、火曜日の分もありますよ。
 遠藤さん、ご馳走様でした。

 なお、来週は広島の江波さんも上洛されます。

まだまだつづくよ-次回の『吾妻鏡』-

No.7175

 二週ほど『吾妻鏡』のほうは中断して「本覚尼置文」を読みました。この人を取り巻く人々というものも、当時の公武関係史に照らしながら再考する必要がありそうです。
 火曜日の『吾妻鏡』はまた来週から宗尊親王の時代を読んでいきたいと思います。

 日時:2010年5月18日(火)15:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:康元二年(正嘉元年、1257年)八月十二日・十四日・十五日・十七日・十八日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日、九月十六日・二十四日・三十日、十月一日・十三日・十六日・二十六日、十一月八日・十六日・十七日・二十三日、十二月六日・二十四日・二十九日、
 正嘉二年(1258年)正月一日・二日・六日・十七日・二十日、二月十三日・十九日・二十八日、三月二十日、四月十九日・二十五日・二十六日、五月二日・六日・八日・九日・十日・十四日・二十九日、六月一日・二日・三日・九日、七月十日・十五日・二十二日・二十三日・二十九日、八月五日・六日・八日・十六日・十七日・十八日・十九日・二十日・二十八日、九月二日・二十一日・二十九日、十月十二日、十二月十日・十九日
の各条

 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。『紫苑』第8号も『吾妻鏡』講読会の成果が大きく反映されております。

本日の授業・ゼミと拝受の御礼

No.7174

 昨日は久しぶりに満田さんが来室され、御高論掲載の科研報告書(研究代表者は学長の川本先生)とお土産のお菓子を頂きました。
 京大院に進学された方たちの御活躍は、さすがに目覚ましいものがあると思いました。

 本日の「基礎演習Ⅰ」。高田鈴さんの報告は、なかなかよかった。外山 滋比古『思考の整理学』は、私も読み直してみたいと思いました。

「基礎・教養科目」では、『吾妻鏡』の読解も取り入れたかったのですが、時間不足で途中で端折ることとなり、ちょっと残念でした。

 研究所ゼミは、「本覚尼置文」を読了。
 探していた大通寺関係の資料は、やはり自宅の方にありました。

 ☆ 群馬大学の高山利弘先生より、科研報告書『『源平闘諍録』を基軸とした古代中世東国をめぐる軍記文学の基礎的研究』を御恵送頂きました。
 学ぶべき情報が満載のようです。
 高山先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 同志社大学の竹居明男先生より、御高論「天神信仰編年史料集成続編稿(一)-建長二年(一二五〇)~弘長元年(一二六一)-」(『人文学』183)・「同(二)-弘長元年(一二六一)~文永七年-」(『文化学年報』59)・「北野天神縁起絵巻研究の課題-承久本(国宝本)絵巻を中心に-」(『神道史研究』56-2)・「「北野天神」神号考-「天満天神」から「天満大自在天神」へ-」(『文化史学』65)を御恵送頂きました。
 竹居先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 名古屋学院大学の早川厚一先生より、早川厚一・曽我良成・橋本正俊・志立正知「『源平盛衰記』全釈(五-巻二-1)」(『名古屋学院大学論集』人文・自然科学篇46-2)および、早川厚一「源平闘諍録全釈(五-巻一上⑤(八ウ6~九ウ5))」(『名古屋学院大学論集』言語・文化篇21-2)を御恵送頂きました。
 メンバー配布用に複数ずつ頂いております。
 早川先生に、あつく御礼を申し上げます。 

コミュニティ・カフェと明日の授業のご案内

No.7168

 昨日は、ご近所のかかりつけのお医者さんの主宰されているコミュニティ・カフェ「カフェ頼政道」
     →http://www.eonet.ne.jp/~kadosaka-naika/cafe/index.html
で、「頼政道」の由来とともに源頼政や木幡周辺の史跡についてのお話をさせて頂きました。

 近年の新興住宅地というのは、近隣の結合が弱く、また多様な価値観の交錯する時代だけに、他者への迷惑を迷惑と思わない困った住民もおり、またそれを調停・解決しうる地域の尊敬される人物も見当たらなくなっています。
 結局、善良な人々が我慢を強いられるような構造が、日本の全社会に及びつつある中で、閉塞感も生まれるのだろうと思います。
 そうした意味で、こうしたコミュニティの存在は、一つの解決策として大きな意味を持つものと考えます。

 さて、明日の授業ですが、Ⅲ講時の「基礎演習Ⅰ」は、高田鈴さんの報告。テーマは「なぜ忘れるのか、『忘却論』」です。私のためにあるようなテーマ。どんなアプローチをされるのか楽しみです。

 Ⅴ講時の「基礎・教養科目B25 女性の視点から日本中世の歴史を考える」は、第4回目の講義で、テーマは「日本中世の女性-結婚と妻の役割・貞女観-」です。
 『吾妻鏡』など、生の史料を読みながら考えたいと思います。

 ☆ 同志社大学の浜中邦弘先生より、御高論「宇治と藤原摂関家」掲載の増渕徹編『史跡で読む日本の歴史5 平安の都市と文化』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 浜中先生に、あつく御礼を申し上げます。

 > 現社卒論演習(野口担当)の学生さん
  当方が研究室に在室しているときは、遠慮無くお立ち寄り下さい。 

 > 岩田君
  長い間の祇園でのお仕事、お疲れ様でした。
  これから、美味しいコーヒーが飲めなくなるのが残念ですが、引き替えに得た貴重な時間を有効に活用して大きな飛躍を期して下さい。

祇園町南側

No.7169

 野口先生、暖かい労いと励ましのお言葉をありがとうございます。
 先日5月8日、約9年間勤めた(バイトですが)コーヒー屋さんを辞めてまいりました。
 店員として勤めた9年間では、多くのお客様と仲間に恵まれました。特に京都の祇園の一角で働いたことにより、そこに住む人々の懐の深さのようなものを学ぶことが出来たのは、何ものにも代え難い貴重な経験となりました。

 『紫苑』第4号に寄稿した「草創期鎌倉幕府研究の一視点 ―奉行人を中心に―」は、頼家・実朝将軍期における鎌倉幕府の奉行人それぞれの「個性」に応じた「役割分担」に注目して書いたものですが、着想自体はそのバイトで「役割分担」を意識しながら働く経験から得られたものです。
 一方、バイト先でちょっと身だしなみを注意するときに、人前に出るときの身だしなみについて書かれた北条重時家訓の一節(『中世政治社会思想 上』p318・319)を持ち出して『吾妻鏡』講読会の成果を活かした(?)こともありました。北条重時とは750年ほどを隔てて「職場が近所」でした。
 コーヒー屋さんと鎌倉幕府と全く別の分野ではありますが、それぞれ楽しく取り組むことができたと思います。
 そのほか、当ゼミ関係者のみなさんにも何度もご来店いただきました。

 9年前の5月の連休明けから研修(いわゆる「OJT」)が始まりましたが、まだ店舗は完成しておらず、三条烏丸やカナート洛北にお邪魔しての研修となりました。そのころふと店舗が出来る場所を覗いてみると、全面作業シートに覆われてはいましたが、ここで働くのだという楽しみな気持ちを抑えられませんでした。
 6月1日に新装開店でしたが、オープニングスタッフは一週間前から資材の搬入や陳列、最終的な打ち合わせなどを、少しの緊張と大きな期待を抱きながら繰り返しました。初夏というよりは真夏を思わせる気候だったのを覚えています。
 いろいろと問題の多い店員だったと思うのですが、足繁く通い続けて下さったお客様と常に暖かく接してくれた仲間達にこの場を借りて御礼を申し上げたいと思います。


 さて、明日(5/11)の火曜日の『吾妻鏡』も、引き続き源実朝夫人(西八条禅尼、本覚尼)の置文を読んでみたいと思います。 

 日時:2010年5月11日(火)15:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:「本覚尼置文」(『中世法制史料集 第6巻 公家法 公家家法 寺社法』)

 ちなみに、次回以降の火曜日の『吾妻鏡』の範囲は以下の通りです。
 康元二年(正嘉元年、1257年)八月十二日・十四日・十五日・十七日・十八日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日、九月十六日・二十四日・三十日、十月一日・十三日・十六日・二十六日、十一月八日・十六日・十七日・二十三日、十二月六日・二十四日・二十九日、
 正嘉二年(1258年)正月一日・二日・六日・十七日・二十日、二月十三日・十九日・二十八日、三月二十日、四月十九日・二十五日・二十六日、五月二日・六日・八日・九日・十日・十四日・二十九日、六月一日・二日・三日・九日、七月十日・十五日・二十二日・二十三日・二十九日、八月五日・六日・八日・十六日・十七日・十八日・十九日・二十日・二十八日、九月二日・二十一日・二十九日、十月十二日、十二月十日・十九日
の各条

 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。『紫苑』第8号も『吾妻鏡』講読会の成果が大きく反映されております。

中世成立期の武蔵武士研究に新展開

No.7163

 昨日の『吾妻鏡』講読会。
 連休中に帰省された井草さん・山本さんから美味しいお土産を頂きました。
 大河ドラマ『草燃える』で比企能員を演じた俳優佐藤慶氏逝去の報道があったばかりなので、大河ドラマにも話題がおよびました。私にとって、佐藤慶氏は『太閤記』における明智光秀役のイメージの方がつよくのこっています。
 このところ、昭和の名優の訃報が相次いで、寂しい限りです。

 ☆ 前田育徳会尊経閣文庫の菊池紳一先生より、御高論「武蔵国留守所惣検校職の再検討-「吾妻鏡」を読み直す-」・「財団法人前田育徳会所蔵文書(三)」(ともに『鎌倉遺文研究』25)・「林家往復書簡」(『日本歴史』743)および一部御執筆の図録『国宝万葉集』(前田育徳会)を御恵送いただきました。
 菊池先生にあつく御礼を申し上げます。

 最近、秩父平氏を論点とした平安末~鎌倉時代の武蔵国支配の研究が活況を呈しているように思います。この菊池先生の御研究をはじめ、さきに御紹介した川合康先生の御高論「鎌倉街道上道と東国武士団」(『府中市郷土の森博物館紀要』23)や伊藤邦彦先生の御高著『鎌倉幕府守護制度の基礎的研究 【国別考証編】』(岩田書院)の武蔵の項は、従来の理解に再考をせまる内容をもつものです。

 ちなみに、当該期の秩父平氏を対象とした拙論としては、「中世成立期における武蔵国の武士について-秩父平氏を中心に-」(岡田清一編『河越氏の研究』)・「鎌倉武士と報復-畠山重忠と二俣川合戦-」(『古代文化』54-6)・「鎌倉武士の心性」(五味文彦ほか編『中世都市鎌倉の実像と境界』)・「坂東平氏と『平家物語』-上総広常・『源平闘諍録』・畠山重忠のことなど-」(『軍記と語り物』38)・「武蔵武士団の形成」(横浜市歴史博物館ほか編『兵の時代-古代末期の東国社会-』)などがありました。
 けっこう書いたものです。これらが、新しい研究の踏み台になれば幸いです。