電話不通と博物館学芸員募集のお知らせ

No.7133

 昨日の『吾妻鏡』講読会。ちょうど仕事を手伝いに来て貰っていた長村君に顔を出して頂いたおかげで、院宣と院庁下文についての説明をお願いする事が出来ました。また、『玉葉』における「切腹」の用例も知ることが出来、とても勉強になりました。

 現在、当家の固定電話(FAX兼用)が不通になっています。原因はよく分かりませんが、リモート・ステーション(NEC Aterm Rs20)が機能しなくなっているようです。PCのネット接続やE・メールの送受信は問題ありません。
 鈴木君に対応方法を問いあわせたいと思いますが、さし当たり、私への御連絡はE・メールかケータイ電話(すぐには出ませんが)にお願い致します。

 ◎ 私の古巣の一つ京都府京都文化博物館で、歴史担当(主に近世史)の学芸員を募集するとのことです。
              ↓
       http://www.bunpaku.or.jp/info_bosyu.html
 この博物館は、来年7月のリニューアルオープンを目指して作業を進めているところで、やり甲斐のある職場だと思います。
 当ゼミメンバーの専攻は主に中世史ですから該当者はいないと思いますが、周囲に適任者がいたら、ぜひ紹介してあげて下さい。

 ☆ 日本大学の川合康先生より、御高論「鎌倉街道上道と東国武士団」(『府中市郷土の森博物館紀要』23)を御恵送頂きました。
 川合先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ※ 『日本歴史』744(5月号)昨日に到着致しました。   

電話復旧のお知らせ

No.7134

 この時期、数年前までは、ゼミの恒例行事として神護寺の虫払いに出掛けていたことが思い出されます。

 電話の件ですが、鈴木君に早速対応して頂き、リモート・ステーションの故障によるものと判明しました。
 とりあえず、直接接続で通話可能になりましたので、お知らせ致します。

『紫苑』&『日本歴史』・『鎌倉遺文研究』

No.7127

 昨日の『小右記』講読会。Ⅲ講時なのにⅣ講時と間違えて、御迷惑をお掛けしました。
 
 卒論ゼミの時間について、宮本さん・濱千代さん・赤坂さんには水曜のⅡ・Ⅳ講時をⅡ・Ⅲ講時の誤りだと申しましたが、やはりもとのままでお願い致します。
 このところ、いろいろなことがあり、混乱しておりまして申し訳ありません。


 「昭和は遠くなりにけり」を実感する今日この頃です。

 『紫苑』の発送が遅れています。学会誌など、どのような順序で送られるのでしょうか。機関優先とか五十音順なのでしょうか。あるいはまた、会費の納入状況というのもあるのでしょう。
 『日本歴史』の5月号。ご近所の岩田君の所には火曜日に届いたそうですが、当方には未着。購読料の納入が4月になってしまったからだと思います。
 しかし、そういうときに限って早く読みたい。なぜならば、長村祥知君の承久の乱に関する力作が掲載されているからです。そこで、昨日、大学図書館でコピーを取って参りました。タイトルは「承久三年五月十五日付の院宣と官宣旨」。
 この論文によって院宣の発給が証明されました。これによって乱の評価も変わってくるではずですが、私が興味を持っているのは、その対象となった御家人です。
 それにしても、政治思想史にも明るい長村君は承久の乱研究の最前線に躍り出た観があります。5月15日の中世戦記研究会(於、学習院大学)における御報告はこの論文をベースにしているとのこと。鎌倉幕府論に一石を投じる岩田慎平君の報告とともに、「乞うご期待!」と言ったところです。

 長村君とともに京大元木研究室の若手ホープの一人である坂口太郎君から、いろいろ御教示を頂いたおかげでまとめることが出来たのが、『鎌倉遺文研究』第25号に載せて頂いた拙稿「東国出身僧の在京活動と入宋・渡元-武士論の視点から-」です。論点はバラバラで、文字通りの「拙」論ですが、千葉氏一族出身で千葉寺の住僧から九条堂の堂僧として法印にまでのぼりつめた了行に関する新知見と西園寺実兼の援助で元に渡って数多の経典を将来した「鹿島浄行千葉道源」の素性とバックグラウンドを、東国武士論研究の視角から明らかにしようとしたものです。

 道源については、坂口君の御教示で新たな知見を得たにも拘わらず、書き尽くせなかった部分があるのですが、鎌倉時代を研究対象とされている史学・国文を研究されている方や、千葉・茨城県の中世史に関心をお持ちの皆様にお読み頂き、御教示・御批判を頂ければ有り難いと考えております。
 執筆に当たってお世話になった方々には抜刷をお送りしなければならないのですが、それはかなり先のことになりそうですので(『紫苑』第8号も上記の通りです)、その点お詫び申し上げる次第です。 

複数年契約であります

No.7128

 『日本歴史』の5月号は今週月曜日に届きました。この雑誌は確か複数年契約にしていたと思いますから、それで早々に届けていただけたのでしょうか?あるいは五十音の「い」と「の」差が出たのでしょうか?

 次回の火曜日の『吾妻鏡』も、引き続き源実朝夫人(西八条禅尼、本覚尼)の置文を読んでみたいと思います。 

 日時:2010年5月11日(火)15:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:「本覚尼置文」(『中世法制史料集 第6巻 公家法 公家家法 寺社法』)

 ちなみに、次回以降の火曜日の『吾妻鏡』の範囲は以下の通りです。
 康元二年(正嘉元年、1257年)八月十二日・十四日・十五日・十七日・十八日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日、九月十六日・二十四日・三十日、十月一日・十三日・十六日・二十六日、十一月八日・十六日・十七日・二十三日、十二月六日・二十四日・二十九日、
 正嘉二年(1258年)正月一日・二日・六日・十七日・二十日、二月十三日・十九日・二十八日、三月二十日、四月十九日・二十五日・二十六日、五月二日・六日・八日・九日・十日・十四日・二十九日、六月一日・二日・三日・九日、七月十日・十五日・二十二日・二十三日・二十九日、八月五日・六日・八日・十六日・十七日・十八日・十九日・二十日・二十八日、九月二日・二十一日・二十九日、十月十二日、十二月十日・十九日
の各条

 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。『紫苑』第8号も『吾妻鏡』講読会の成果が大きく反映されております。

Re: 『紫苑』&『日本歴史』・『鎌倉遺文研究』

鈴木小太郎
No.7139

野口先生

「東国出身僧の在京活動と入宋・渡元」を拝読し、道源の出自については今回の御論文で完璧に解明されたものと感じました。
ところで、『鎌倉遺文研究』の同じ号に大塚紀弘氏の「宋版一切経の輸入と受容」という論文が載っていますが、p60には「入元僧による請来としては、先の大吉寺の他に、延慶二年(一三〇九)に道眼坊が一切福州版カ)を請来し、京都東山・焼野の那蘭陀寺に安置した」、「『千葉』出身と伝えられる道眼房は、御家人の千葉氏から支援を受けていた可能性がある」とあります。
那蘭陀寺といえば『徒然草』第179段と第238段に登場する「道眼上人」が開いた寺であり、「道眼上人」は今まで出自不明とされていましたが、仮に「道眼上人」と千葉氏の関係がきちんと根拠づけられるのであれば、「道眼上人」は明らかに千葉道源と同一人物ではないでしょうか。
大塚氏が注に挙げている落合博志氏の「『徒然草』に関する考察二題」(『法政大学教養部紀要』九〇、一九九四年)という論文を見れば根拠を確認できるでしょうが、連休中のため当該論文を入手するのに時間がかかりそうです。
既にこの点も解明済みであれば、ご教示をお願いいたします。
興奮を禁じえず、場違いを承知で投稿させていただきましたが、ご迷惑であれば削除してください。

千葉道源は「道眼上人」その人と考えます。

No.7141

 鈴木小太郎様

 拙文をお読み下さり、ありがとうございました。
 落合博志氏の論文のことですが、上に「坂口君の御教示で新たな知見を得たにも拘わらず、書き尽くせなかった部分がある」と書きましたのは、まさにそのことで、千葉道源こそ那蘭陀寺を開いた「道眼上人」にほかならないと考えております。
 京都大学の坂口太郎君から落合氏の論文の存在をうかがったのが、拙論の再校段階でありましたので、新稿を期したいと考えた次第です。
 那蘭陀寺はおそらく私の研究室から見渡せる範囲に存在したと思われ、私も思わぬ奇遇に驚かされました。
 かくして、道源は金沢称名寺との接点もうかがえることとなり、もはや「<草深い東国>認識に立脚した領主制論」による東国武士社会に対する理解は、克服されるべき段階に至ったように考えております。

 ※ 『紫苑』第8号もお読み頂ければ幸いです。宜しければお送り致しますので、私の名前をクリックして送付先をお知らせ下さい。 

やはり同一人物なんですね。

鈴木小太郎
No.7142

野口先生

ありがとうございます。
新しい御論文は『徒然草』研究者にとっても大変な刺激になりそうですね。
今は外出先からなので、後でメールを送らせていただきます。

基礎ゼミ・卒論ゼミ・研究所ゼミ

No.7126

 元木先生、クゲにお悔やみのお言葉を有り難うございました。
 クゲは荼毘に付しましたが、親ネコは急にいなくなったクゲをさがして落ち着きません。

 昨日の基礎演習Ⅰ。竹村さんが要領良く内容の濃い報告をしてくれて、初回にしてはなかなかうまく行ったと思います。
 Ⅴ講時の基礎・教養科目も出席率良好の上、とても熱心に受講してくれるので、やり甲斐があります。これからも、マイクなしでの講義を続けたいと思います。

 研究所ゼミは出席者が少なかったのですが、いつものように、岩田君持参の美味しいコーヒーを頂きながら、本覚尼(源実朝の後家)の置文をじっくり読みました。次回はその後半。彼女が京都と鎌倉の間でどのような役回りを演じていたのか、興味は尽きません。
 
 本日、現社卒論ゼミがスタート。メンバーは7人です。

 ☆ 千葉県立佐倉高校の外山信司先生より、御高論「佐倉藩の釈奠について-二つの「釈奠儀略」と堀田正睦-」掲載の『佐倉市史研究』23を御恵送頂きました。
 外山先生にあつく御礼を申し上げます。
 ちなみに、同誌掲載の菱沼一憲「下総国印東庄の領主と百姓・沙汰人」は、中世東国武士団研究における欠落を補う意義深い研究だと思います。

明日の授業&鎌倉幕府守護制度の新刊

No.7124

 明日(27日)Ⅲ講時の基礎演習Ⅰは、いよいよ第一回目の報告。トップバッターは竹村さんがつとめます。
 報告テーマは、当初の予定を変更して「テレビの視聴率について」です。活発な議論の展開を期待します。

 Ⅴ講時の基礎・教養科目は3回目の講義。「日本女性史概説」と題して、古代から近代に至る女性の社会的位相について概観します。
 先週はプリントが2~3枚不足しましたので、今回は75部に増刷致しました。

 ☆ 東京都立産業技術高等専門学校の伊藤邦彦先生より、新刊の御高著『鎌倉幕府守護制度の基礎的研究』(岩田書院)を御恵送頂きました。
 国別考証編と論考編の二冊からなる大著です。今後、鎌倉幕府守護制度研究の基本文献として、鎌倉時代研究には必備の文献となると思います。
 伊藤先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 大阪工業大学の大村拓生先生より、御高論「中世京都のクラと土倉」(千田嘉博ほか編『都市と城館の中世-学融合研究の試み-』 高志書院)を御恵送頂きました。
 大村先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 滋賀県立琵琶湖博物館の橋本道範先生より、御高論「日本中世における水辺の環境と生業-河川と湖沼の漁撈から-」(『史林』92-1)・「「環境史」研究の可能性について-佐野静代氏の業績の検討から-」(『歴史科学』196)を御恵送頂きました。
 橋本先生にあつく御礼を申し上げます。

卒論演習担当のお知らせと当家ネコの訃報。

No.7122

 今年度、現代社会学部の卒論ゼミを急遽担当することになりました。
 ピンチヒッターなので、どこまでお役に立てるか分かりませんが、御縁を得た学生さんたちの大学生活の集大成作りの助力を果たしたいと思っています。
 
 すでに、研究室に来られた方もおられますが、28日のⅡ講時に全員で集まる予定です。

 ◆ 本日の朝、当家の飼い猫クゲ(愛称おクゲ・白の雌)が息を引き取りました。
 クゲは1997年3月8日、土浦の博物館で網野善彦氏の講演を聴いて千葉の自宅に帰ったとき、ちょうど母ネコが出産しており、そのときに生まれた4匹のうちの一匹です。とても慎重な性格ながら賢いネコでしたが、数ヶ月前から脳の病となり要介護の状態でした。
 昨日から食べず動かなくなり、今朝、いつものように家の者が餌を与えに行くのを待っていたかのように、息を引き取りました。すでに、何も分からなくなっていたはずなのに、吐血していたので、これが最後だろうと別れの声をかけると、身体を起こして、返事をかえそうとしているようでした。
 千葉と宇治で可愛がって下さった皆様に御礼を申し上げます。
 なお、母ネコのペンはいたって元気でおります。 

Re: 卒論演習担当のお知らせと当家ネコの訃報。

元木泰雄
No.7125

このたびは愛猫ご逝去のよし、心よりお悔やみ申し上げます。
 こころより、クゲちゃんのご冥福をお祈り申し上げます。
 ペットも家族の一員、13年も一緒にお暮しになっただけに、ご悲嘆のほど拝察申し上げる次第でございます。
 また長期にわたるご介護、大変だったことと存じます。本当にお疲れ様でした。

 当方も三年前に震災をともに生き抜いた猫をなくしました。そのおり、野口先生からご丁重なご弔意をいただきました。改めて御礼を申し上げます。
 その猫も奇しくも13歳でした。獣医によると、13歳は猫の厄年だそうで、この年を越えた猫は長生きをするとのことです。
 ネコは犬より長寿で、なかには三十歳を超える例もあるとのこと、残された母ネコペンちゃんのご長寿をお祈り申し上げます。

 余談ですが、当方の飼い猫「悪サブ」ことワルオは、三歳、悪さに磨きがかかり、部屋中にスプレーをしまくってにおいを充満させ、おまけに毎晩寝ている母親の足をめがけて急降下、母を不眠症にしてしまいました。子分のハナオは、当家に来てから三年近くになるのに、一向に当方になつかず、顔を見ると脱兎のごとく逃げてしまいます。
 こんなネコと暮す羽目になったのは、何かの祟りでしょうか?

愛知の野口君が久しぶりに上洛しました。

No.7118

 このところの寒さのせいか、鼻はつまるし胃腸の具合も悪い。耄碌は著しさを増すばかりです。ご同輩の諸姉兄、くれぐれも健康管理に気をつけて下さい。
 
 今日は朝から書類作り。急ぎ『芬陀利華』掲載の「通学路の歴史探索 2 八条院の御所」」の校正を済ませ、ようやく日曜日の出張報告書を提出。

 午後は、1時から基礎演習Ⅰで報告のトップバッターを務める竹村さんの相談に乗り、Ⅳ講時はゼミ。
 野木宮合戦の論功行賞で、小山朝光は戦わずして新恩所領を拝領。墨俣合戦で義経の同母兄の義円は討死。

 それから、代休で上洛中に研究室を訪ねてくれた野口洋平君と久しぶりの「会見」。今年度は一年生のクラス担任とのこと。とても充実した日々を過ごされているようで、安心致しました。
 そして、名古屋名産のお土産に感謝。荷物になったろうに、ありがとうございました。

 ☆ NHK出版の石浜哲士さんから、編集を担当された新刊の草野厚『ODAの現場で考えたこと 日本外交の現在と未来』(NHKブックス)を御恵送頂きました。
 同書「あとがき」によると、著者の草野氏は、石浜さんを5年以上待たせたとのことですが、私はすでにその2倍以上。まったく面目がありません。

結婚シーズンに続いてベビーブーム到来。

No.7116

 昨日は京都大学で元木先生主宰の研究会に出席。
 第一線で活躍している若い研究者の報告は、精緻で緊張感かあって良い。私はちょっと体調が悪かったので聞き漏らした部分がありましたが、大変勉強になりました。
 
 今回、特筆すべきは生後6ヶ月の赤ちゃんを抱っこした若いお母さん(もちろん研究者です)が出席されたこと。とてもおとなしくて、親孝行の赤ちゃんです。ちょうど、カバンの中にデジカメがあったので、みんなで記念写真を撮りました。この研究会出席の最年少記録は、おそらく未来永劫破られることはないと思われます。
 
 ちなみに、今回の報告者も来月末頃には「お父さん」になる予定です。お母さんは当ゼミ出身。

 ところで、岩田君からの案内にもあるように、次回火曜日の『吾妻鏡』講読会では、源実朝の妻だった本覚尼(西八条禅尼・坊門信清の娘)の置文2通を読むことにしました。普段のメンバーに加えて、先年、大通寺の見学に参加された方など、関心のある方は是非ご出席ください。
 
☆ 千葉大学の久保勇先生より、久保先生の参加された科研費による研究「「もの」とイメージを介した文化伝播に関する研究-日本中世の文学・絵巻から-」(研究代表者 池田忍)の成果報告書を御恵送頂きました。
 久保先生は「「もの」とイメージの文化伝播に関する一考察-「虎皮の尻鞘」をめぐって-」という論文を執筆されています。
 久保先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 青山学院大学の佐伯真一先生より、御高論「「武士道」研究の現在-歴史的語彙と概念をめぐって-」(小島道裕編『武士と騎士 日欧比較中近世史の研究』思文閣出版)を御恵送頂きました。
 佐伯先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 和田琢磨先生より、御高論「「末代記録」としての『明徳記』-生成と享受-」(『国文学研究』160)を御恵送頂きました。
 和田先生にあつく御礼を申し上げます。

ブームの最先端(笑)です

No.7120

旧姓薗田あらため黒岩美和です。
先日は研究会にお邪魔させていただきまして、本当にありがとうございました。

元木先生、野口先生はじめ、研究会のみなさまにお会いすることができ、
とても嬉しかったです。久々に勉強してとても刺激になりました。
少々中座はしてしまいましたが、子どもが思いのほかおとなしくて助かりました……。
きっと、研究室の居心地がよかったのでしょうね。

子育て初心者のうえ、実家も南の果てですから、これから
先達&同期のみなさまにアレコレご教示いただけるととても心強いです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっと寄り道の次回『吾妻鏡』

No.7111

 来週はちょっと気分を変えて、源実朝夫人(西八条禅尼、本覚尼)の置文を読んでみたいと思います。 

 日時:2010年4月27日(火)15:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:「本覚尼置文」(『中世法制史料集 第6巻 公家法 公家家法 寺社法』)

 ちなみに、次回以降の火曜日の『吾妻鏡』の範囲は以下の通りです。
 康元二年(正嘉元年、1257年)八月十二日・十四日・十五日・十七日・十八日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日、九月十六日・二十四日・三十日、十月一日・十三日・十六日・二十六日、十一月八日・十六日・十七日・二十三日、十二月六日・二十四日・二十九日、
 正嘉二年(1258年)正月一日・二日・六日・十七日・二十日、二月十三日・十九日・二十八日、三月二十日、四月十九日・二十五日・二十六日、五月二日・六日・八日・九日・十日・十四日・二十九日、六月一日・二日・三日・九日、七月十日・十五日・二十二日・二十三日・二十九日、八月五日・六日・八日・十六日・十七日・十八日・十九日・二十日・二十八日、九月二日・二十一日・二十九日、十月十二日、十二月十日・十九日
の各条

 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。『紫苑』第8号も『吾妻鏡』講読会の成果が大きく反映されております。

20日の「基礎演習」と「基礎・教養科目」

No.7110

 新入生も、そろそろ、大学生活に慣れてきたことでしょう。
 明日、Ⅲ講時の「基礎教養科目Ⅰ」は、履修者それぞれの発表予定のテーマを報告して頂き、その日程(報告の順番)を決めます。テーマは、予定とはいえ、よく考えておいて下さい。

 Ⅴ講時の「基礎・教養科目B25(女性の視点から日本中世の歴史を考える)」は、第2回「多元的社会としての日本」です。千葉-京都-鹿児島を渡り歩いた私の実体験を織り交ぜながら、本論に入る前提として、日本社会の地域的特性についてお話ししたいと思います。

 ☆ 同志社香里高校の吉澤陽先生から、御高論「『多武峯略記』永済本および静胤本所載の増賀伝-『多武峰略記』再検討の視点から-」(『文化史学』62)・「寺院惣社の基礎的研究-平安時代を中心として-(前編)」(同64)・「同(後編)」(同65)を御恵送頂きました。
 吉澤先生に、あつく御礼を申し上げます。
 ちなみに、吉澤先生こと吉澤君は、私が同志社大学大学院の非常勤講師として演習を担当していたときの履修生。いわゆる「教え子」です。
 このところ、私の「教え子」は、どんどん「師」(と、言えるほどではありませんが)を越えていきます。 

気楽ではない出張から帰洛致しました。

No.7109

 先ほど関東から戻って参りました。それにつけても、お江戸は人が多すぎるし、JR東日本の英語による車内アナウンスは多すぎる、と、いつも思うのであります。

 久しぶりに表参道の駅に降り立ちましたが、例の如く「浦島太郎」状態。
 学部入学から博士課程修了まで、それに非常勤講師の2年を含めると、都合14年も青山学院に出入りしていたのですが、そこは別の空間であったようにしか思えませんでした。

 ところで、17日は、宇治でも北側に池庭を配した貴族邸跡の現地説明会があったそうです。木幡も宇治も近いのに、所用があって見に行けなかったのは残念至極でありました。
 それにしても、院政期、王家と摂関家が巨椋池を挟んで、あたかも対峙するかの如く、権門都市を構築していたというのは実に面白いことであります。

 さて、明日はまた(いや、もう今日か)、書類書きの一日になる模様です。

 それから、『吾妻鏡』講読会の創始者である山本陽一郎君から、福井で、今年度は小学校の教員として、元気にやっている旨の情報が届きました。嬉しい限りです。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、先生の御高論「金沢文庫文書に見る唐船派遣資料」掲載の『金澤文庫研究』第324号を御恵送頂きました。
 永井先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 文科省の髙橋秀樹先生より、御高論「古記録と仮名日記」(秋山虔編『平安文学史論考』)を御恵送頂きました。 
 髙橋先生に、あつく御礼を申し上げます。