出られずに、帰れなくなりそうになった話。

No.7073

 今日もまた、お寒うございます。
 異動の季節。たくさんの御挨拶を頂きましたが、気になるのは博物館や文化財保護関係から他セクションへの配置転換の多いことです。
 それでも、新天地での充実した日々を祈念するばかりです。

 本日の『吾妻鏡』講読会には久々に新規参加の方がお二人。前川さんや八木(山下)さんに土屋君、滑川さんや大根田君の後輩です。
 また、「一所傍輩のネットワーク」が広がりました。どんな活躍を見せてくれるか、楽しみです。

 本学A校舎脇の教職員駐車場は、一台分のスペースが狭くて出し入れに苦労するのですが、とりわけ、入れてしまったら、周囲の車が出てくれないと、相当に高度な運転テクニックを持たない限り脱出不能な駐車スペースが数台分あります。
 火曜日は『吾妻鏡』の講読会で遅くなるので、いつもはそこに入れても問題はないのですが、今日は年度末のせいか、帰ろうとしたときにも車がいっぱい。岩田君に誘導してもらって頑張ったのですが、如何ともし難く、また研究室に戻って周囲の車のいなくなるのを待つしかないとあきらめていたところ、折良く私の車より出しやすい隣の車の持ち主の先生がお帰りになられて(岩田君が誘導)、何とか脱出がかないました。
       出られずば、空くまで待とう駐車場

 ☆ 今春、同志社大学大学院から都内の某有名出版社に就職された雨野弥生さんから、御高論「<翻刻>実相院蔵『扶桑蒙求私注』第六」(『同志社国文学』71)を御恵送頂きました。
 雨野さんにあつく御礼を申し上げます。
 お仕事での御活躍と、御研究の継続を期待申し上げる次第です。 

吹雪を見た桜の桜吹雪はいつ見られるか?

No.7072

 お寒うございます。
 せっかく咲いた桜に、吹雪の襲来。なんとも痛ましい光景です。
 しかし、愛車での帰途、石田大山の交差点を越えた辺りから、運転席から見えてきた日野の山々は、うっすらと雪化粧をして、なかなかの風情でした。

 本日届いた『古代文化』第61巻第4号は「日本古代山城の調査成果と研究展望」という特輯号ですが、当ゼミとして紹介したいのは、藪本勝治君による佐伯真一著『建礼門院という悲劇』の新刊紹介です。

 早くも、紀要共同論文抜刷に対する御礼状やE・メールを頂いて恐縮致しております。
 一方、転居先不明で戻ってきたものも数通。
 進学・就職などで転居の多い時期ですが、その場合は必ず郵便局に転居届をお忘れなく。
 今どき、E・メールさえあれば、というのは考えが浅い。やはり、大事な情報は書類で届くものですよ。

 ☆ 立命館大学の桃崎有一郎先生より、新刊の御高著『中世京都の空間構造と礼節体系』(思文閣出版)を御恵送頂きました。
 中世京都都市論に大きな一石を投じた論文集だと思います。
 桃崎先生に、あつく御礼を申し上げます。

新年度に向けて

No.7070

 明後日30日のゼミですが、新年度の計画やゼミ開催の曜日(とりあえずは暫定?)なども決めておきたいので、『吾妻鏡』講読会参加者のみならず、広くメンバー・関係者の御出席をお願い致します。また、あらたに参加したいという方もどうぞ。

 ○ 2010年度の活動で確実に日程が決まっているのは、6月26日(土)の公開講座(>>No.7052)です。例年のようにお手伝いをお願いしますし、講師の先生方との懇親会も予定しておりますので、この日は必ず空けておいて下さい。
 >山本さん 懇親会会場の予約をお願いします。

 ○ 5月8日(土)に学習院大学で開催予定の中世戦記研究会では、岩田君と長村君が報告されますので、国文専攻の方も含めて、関東に出かけるよいチャンスだと思います。
 
 ○ 奈良女子大学の前川先生に御案内をお願いして、前期の早いうちに、安土を中心とした近江方面の「日帰り見学会」もぜひ実現したいと思います。

 ○ ゼミ旅行は「平泉」が候補に挙がっています。

 ※ 院生以上の方は、場所は問わず、機会があれば研究報告を積極的に行って下さい。

長村君の誕生日に「元木プロジェクト」始動

No.7068

 昨日は、ある研究上の「仕事」の打ち合わせということで、ホテルグランヴィア京都の「浮橋」で、この仕事の主宰者となる元木泰雄先生と、参加を快諾して下さった大阪大学の平雅行先生、それに某出版社の方とで会食。ご馳走になりました。

 この「仕事」とは、NO.7007で紹介した「元木プロジェクト」にほかなりません。中世前期の政治史と宗教史の権威である、お二人の先生と御一緒に「仕事」を進めることができることになれたのは、大変光栄なことであり、研究者冥利に尽きるというものです。

 この「仕事」の遂行にあたっては、多くの方たちに御助力をお願いすることになると思いますが、その節は何卒宜しくお願い申しあげます。


 ※ 本日は、紀要共同論文抜刷の発送作業を共著者の長村祥知君とともに行いました。長村君は昨日がお誕生日だった由。おめでとうございます。前途洋々で羨ましい限りです。
 
 なお、私の作成した送付先名簿が杜撰なため、お送りすべき方にお送りしていないことも考えられます。宛名書きの誤りもあるかも知れませんが、その節は何卒ご寛恕下さい 

青年は荒野を目指し、老人は時頼を嫌う

No.7064

 昨日は出産のために帰郷される山田夫人(平田さん)が、わざわざ研究室に挨拶に来て下さいました。ほんとうに、もうすぐお母さんですね。
 何年か前、史学科の授業で「歴史学研究会の大会に行く人は?」との問いかけに、学部3回生だった平田さんが、ただ一人応じてくれたことが思い出されます。
 『吾妻鏡』講読会に参加するメンバーにケーキのお土産を頂戴しました。ご馳走様でした。

 新年度をひかえて、ゼミの古参メンバーから、異動・就職はもとより、新居購入(高級住宅地です)・学振採用などの情報が次々ともたらされております。
 こんな御時世だというのに、みんななかなか良くやっていると思います。あるいは、マスコミが騒ぎ立てるほど、世の中、そんなに悪い状態ではないのかも知れません。
 人生の新たな展開を期して、欧州(けっして「奧州」の誤りではありません)への旅立ちを決意した方もおられます。

 昨日の『吾妻鏡』講読会では、とても身につまされる記事に遭遇。建長六年閏五月一日条。私がこの場にいた御家人ならば「逐電、或令固辞」めていた一人。お酒で調子づいた北条時頼にはついていけませんね。
 今でも、このようなタイプの人が、いろいろな組織や集団で幅をきかせているケースが多いように思えます。

 なお、『紫苑』第8号、めでたく校了となりました。編集長の山本さんご苦労様でした。
 来月早々にも発送作業を開始したいと思います。お楽しみに!

 ☆ 成城大学の後藤昭雄先生より、科学研究費研究成果中間報告書『真言密教寺院に伝わる典籍の学際的研究-金剛寺本を中心に-』を御恵送頂きました。
 後藤先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 京都造形芸大の野村朋弘先生より、御高論「史料紹介『綱光公記』自文安五年八月一日至九月二十九日」(『史学研究集録』35)を御恵送頂きました。
 野村先生に、あつく御礼を申し上げます。

『紫苑』第8号校了&御家人はつらいよ

山本みなみ
No.7065

 昨日、無事『紫苑』第8号を校了することができました。あとは、来月初めの納品を待つばかりです。
 これも野口先生と執筆者の皆様のご協力のおかげです。お忙しい中、ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
 私も納品を楽しみにしております。

 ところで野口先生も触れておられました建長六年閏五月一日条。読むにはとてもおもしろい記事でしたが、当の御家人たちは大変だったろうなと思いました。いきなり相撲をとらされ、勝者及び引き分けの者には褒美、敗者にはしっかり罰ゲーム?が用意されておりました。六試合中三試合が引き分けなのは互いに示し合わせていたからでしょうか?何れにせよ、御家人もいろいろと大変ですね。
 特に『吾妻鏡』第四巻は新しい発見や考えさせられることが多々あり、読んでいて楽しいです。

新年度目前の『吾妻鏡』

No.7066

 慌ただしく2009年度が暮れようとしておりますが、その仕上げとなる『紫苑』第8号は出来上がりがとても楽しみです。
 その『紫苑』第8号はまだ出来上がりませんが、次回の火曜日の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2010年3月30日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建長六年(1254年)十一月十六日・十七日・二十一日、十二月一日・十二日・十七日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日の各条
    建長八年(康元元年、1256年)正月四日・五日・十日・十二日・十四日・十六日・十七日、三月十一日・十六日・二十七日・三十日、四月十日・十三日・十四日・二十七日・二十九日、六月二日・五日・七日・二十七日、七月六日・十七日・二十六日、八月十一日・十五日・十六日・二十日・二十三日、九月三十日、十月二日・三日・九日、十一月二日・二十二日・二十三日・二十四日・二十六日・二十八日、十二月十一日・二十日・二十五日、
    康元二年(正嘉元年、1257年)正月十三日・二十五日、二月二日・二十六日、三月二日、閏三月二日、四月七日・九日・十四日・十五日、五月二十二日、六月十四日・二十三日・二十四日、七月十日・十二日、八月十二日・十四日・十五日・十七日・十八日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日、九月十六日・二十四日・三十日、十月一日・十三日・十六日・二十六日、十一月八日・十六日・十七日・二十三日、十二月六日・二十四日・二十九日、の各条

ああせい、校正。そうさ、黄砂。

No.7057

 天気予報では晴なのに、ちっとも日が差さないではないかと思っていたら、原因は黄砂でした。車は汚れるし、洗車も大変です。
 もっとも、私は鹿児島の「はい」ソサエティーで暮らした経験がありますから、こんな程度では驚きません。
 そんなことを言っていたら、なにやら桜島が懐かしくなって参りました。

 昨日は、「ちょっと」という気分で奈良に出掛けたのですが、国道24号線は大渋滞。それもそのはず、三連休の初日で、平城京はブームですし、初夏のような陽気。「ちょっと」という訳にはいかなかったのですが、久方ぶりに東大寺を歩き、柿の葉寿司を買って帰りました。

 東大寺は高校の修学旅行以来、大学の研修旅行など、何度も訪れているのですが、南大門から大仏殿に向かう参道の喧噪はいつもどうり。しかし、ここを楽しそうに歩いている人たちのほとんどは、あの修学旅行の頃には影も形もなかったのだと思うと、実に不思議な気持ちになります。
 まさに「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」。
 このところ、諸行無常を実感すること、ただならぬものがございます。

 私は疲れ果てて、そんな感懐にばかりふけっておりますが、50歳になっても未だ若々しいある先生は、こんなお写真を添えたメッセージをのこして欧州に旅立たれ、
   http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2010/03/post-226c.html
また、ある若手研究者は長年の研鑽を経て、ついに博士論文を提出されたとのこと。
 充実した春を過ごされているようで、羨ましい限りであります。

 ☆ 身延山大学の長又高夫先生より、御高論「鎌倉幕府成立論」(『身延論叢』14)を御恵送頂きました。法制史の立場から鎌倉幕府の成立について研究史を整理され、適切なコメント(卓見)を加えられた好論です。ゼミメンバーにも一読をお勧めいたします。
 長又先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 駒場東邦中学・高校の田中大喜先生より、御高論「惣領職の成立と「職」の変質」(『歴史学研究』851)・「入間河公方府と武蔵国一揆」(『南北朝遺文』月報3)・「鎌倉~南北朝期の在地領主組織における被官の位相」(『鎌倉遺文研究』24)・「偽文書に記された「惣領職」」(『日本歴史』742)を御恵送頂きました。
 惣領職の出現は、武士社会における嫡家正統説話の形成と時期的にオーバーラップするように思え、武士論のみならず、軍記研究の側面からも見逃せない御研究だと思いました。
 田中先生にあつく御礼を申し上げます。 

『草燃える』で『今夜は最高』

No.7056

 本日、『紫苑』の三校ゲラが届きました。さっそく、山本編集長が執筆者宛に速達で送付してくれましたので、明日には必ず到着するはずです。執筆者は御確認の上、早々にお戻し下さい。23日(火)に印刷屋さんに渡します。これで、責了としたいので宜しく。
 
 『紫苑』も順調に進んでいる。某論文集に掲載する拙論の初校ゲラの控のコピーをとって、やれやれと思って帰宅してみると、別の論文集掲載の再校ゲラが届いておりました。
 いつまで続く校正の日々・・・。

 そのむかし、日本テレビでタモリ出演の『今夜は最高』という番組がありましたが、そのようなわけで、「今夜は再校」なのであります。
 しかし、このゲラは編集者の内校がしっかりなされていて有り難い。 

 ちなみに、前者の論文集には、短いものながら、長村君と岩田君の論文も掲載されることになっています。
 御両人、校正は済まされましたかな?

 『草燃える』のDVDは山本さんにもお貸ししましたが、あまりに面白いので、石橋山の合戦からの5話を一挙に視聴してしまったそうです。
 岩田君、23日にDVDを交換してあげて下さいね。

 『草燃える』。芸能通の元木先生のお話しを、是非とも伺いたいものであります。

Re: 『草燃える』で『今夜は最高』

元木泰雄
No.7058

 お久しぶりです。野口先生のお招きに応じて出てまいりました。

 年度末の繁忙に加え、学内で都合6種類の委員をこなし、神戸市史の中世編全体の校正(監修)、さらには三田市史等々の業務に加え、連日の飲み会をこなすうちに、風邪をこじらせ、ひどい咳で声が出なくなり、委細かまわず業務を続けた(そうせざるを得なかったのですが)ら、肺炎になり、おまけに左肩が動かなくなり、それでも仕事をし続けたら、薬の効果もあって快方に向かったのですが、今でも依然37度前後の微熱(電子体温計の誤作動?)と全身倦怠が続く毎日です。
 それでもビールがうまく感じるのですから、まあ死にはしないでしょう(笑)。

 それはともかく、『草燃える』は、1979年の大河ドラマ、あの年はまだ当方も25歳!そんな年があったのですな。「平安後期の侍所」と題した修論執筆に励んでいたのが懐かしく思い起こされます。
 岩下志麻の政子、のちの「ゴクツマ」を彷彿とさせる貫禄の演技でした。当時まだ30代ですから、さすが大物です。ちなみに彼女は10代のころ、世界の小津安二郎監督や大スターを待たせて、悠然と撮影所に乗り込んだとか。大物ぶりは本性かも知れません。
 石坂浩二の頼朝、いかにも頼りなく、少し好色な感じ(これは地でしょうか)で、『源義経』(66年)の芥川比呂志、『新平家』(72年)の高橋幸治といった、それまでの怖い頼朝像を一変させた感がありました。それでも、「だんだん神護寺の絵に似てきたやないか」と上横手先生がおっしゃられたことが思い出されます。

 一番印象に残るのは、やはり時政の金田龍之介ですね。巨漢で、コミカルな一方で迫力もあり、まさに時政像を定着させた感があります。しかし、本来の時政役には、東映時代劇の悪役山形勲が予定されていたのですが、彼の急病で、清盛役の金田と交代したはずです。山形も名優で、吉良上野介等貫禄がある悪役を得意とする(どういうわけかもう70が来ているのに『水戸黄門』で、長いこと憎たらしい柳沢容保を演じておりました)一方、映画『不毛地帯』で近畿商事の社長を少しコミカルに演じていましたから、金田よりやや堅めですがそれなりの時政を演じたのではないでしょうか。
 ちなみに清盛役は、金子信雄に変更でした。これはやくざの親分みたいな清盛でした。
 もう一人印象に残るのは、冷徹で知的に描かれた梶原景時。幕府創設の影の主役という役割を与えられておりました。インテリ役を得意とした名優江原真二郎が見事に演じておりました。亡くなられた熱田公先生が「あれは立派やね」と絶賛しておられたのが思い出されます。滅亡の時の鬼気迫る演技は見ものです。
 その景時に切り殺される上総介広常は、悪役の小松方正。石母田流の解釈による「バーバリアン」として描かれていましたが、ちょっとやりすぎの演出ではないかと思いました。いかがでしょうか?

 後半では、頼家の郷ひろみもなかなかの名演。岩下志麻の夫篠田正浩監督が、彼を『瀬戸内少年野球団』などの大作の主人公に起用したのもむべなるかな。また「実朝像」を見て、よく似ているとひそかに思っていた篠田三郎が、まさにその役に起用されたのには笑いました。誰しも同じことを考えるようです。

 今では考えられないのは、後白河・後鳥羽院の描き方です。歌舞伎の大スター尾上松緑演ずる後白河は、当たり障りない描き方に終始したこの前の『義経』異なり、いかにも「都の大天狗」と呼ばれるにふさわしい権謀術数の主と描かれていました。松緑の子辰之助演じる後鳥羽は、奇怪な人物をはべらせ、亀菊(役の上では違う名前になっていましたが)の色香に迷う愚かな帝王として描かれておりました。その後鳥羽を演じた辰之助は、1987年に父松緑に先立って40歳の若さで夭折しております(大酒が原因とか。他人事ではありません)。『太平記』で後醍醐天皇を演じた片岡孝夫も出演後、重い肺の疾患にかかっており、あたかも不幸な天皇を演じると祟りがあるような感がありました。もっとも、『新平家』で崇徳を演じた田村正和はいたって元気ですから、あまり関係はないようですな。
 亀菊役は美人女優として絶頂期にあった松坂慶子。確かに魅力的ではありました。後鳥羽がうつつを抜かすのもやむを得ないか?ちなみに彼女は、ドラマの前半では伊藤祐親の娘で、義時に愛されながら頼朝の落胤をもうけ、平家の女官となって壇ノ浦で死ぬという役も演じておりました。どういうわけか、その落胤を義時が養育し、泰時になるという設定だったと思います。
 真野響子の阿波局が、現代語で喋りまくって違和感があったこと、間抜けな藤原定家が登場し、冷泉家から抗議が出そうな気がしたことなど、懐かしく思い起こされます。

 あの頃は、天皇制タブーを打破り、最新の学説を踏まえた演出が行われ、俳優の名演技と相まって、本当に風格のあるドラマになっていましたね。
 大河ドラマの質も、日本の品格も、当方の体力もみんなどん底に転がり落ちたようで・・・

大河ドラマにおける「東国武士」の評価

No.7059

 元木先生、御寄稿ありがとうございました。
 昨日は、関学の方たちを引率して神戸の平家関連の史跡を回られたとのこと。お疲れのところ、恐縮に存じました。

 元木先生の強靱な体力にはいつも驚かされておりますが、鶴岡八幡宮の大銀杏のようなこともありますから(例として相応しいか疑問ですが、私が「柳」であるとすれば)、くれぐれも御身お大事に、お願い申しあげます。

 さて、『草燃える』でありますが、松坂慶子は全編を通して二人の役を演じており、はじめは大庭景親の娘として登場していました。ドラマの設定では中宮の徳子に仕えておりましたが、これは、当時の東国武士の子弟のみならず、子女も京都に出仕していた事実と整合しております。一方、最近の大河ドラマ『義経』では、政子の一人称が「おれ」であるなど、北条氏も京都文化から隔絶した「土豪」的イメージで描かれていました。大河ドラマの質の低下と、一般の歴史理解の劣化との相関がよく理解できる一例かとも思われます。

 ともあれ、この『草燃える』は、日頃『吾妻鏡』や『玉葉』・『明月記』に親しんでいる者にとっては、古くからの知己がテレビの画面に登場する趣があって、面白くてたまらないと思います。

 ※ 『紫苑』の三校のゲラは明日、印刷屋さんにお渡しいたしますので、執筆者は昼過ぎまでに確実に編集長までお届け下さい。 

失礼致しました。

元木泰雄
No.7060

 野口先生、レスを有難うございました。
 松坂慶子の女官は大庭景親の娘でしたか。まったくの記憶違いでした。申し訳ありません。
 東国武士の娘が、京で女官になる、東国武士自身が上洛するという、東国と京の交流が当然のこととして描かれておりましたね。
 ただ、広常の描き方などをみると、貴族と武士を峻別し、武士が京を忌避するという領主制論が強い影響を与えていたこともわかります。
 いずれにせよ、学問に対する敬意が根底にあったのは疑いようもないと思います。
 91年の『太平記』を境に、大河ドラマの制作姿勢が極端に変化したのには、何か裏があったのかもしれません。あの頃からバブルに浮かれて国民の知能が急激に劣化したとか・・・?

 昨日は、不調でダウンし、見学会も延期致しました。
 いよいよ銀杏の木ですな。 

小松方正の演じた上総広常と京都嫌い。

No.7061

 元木先生、お大事になさって下さい。
 銀杏に例えるなら、先生の落とされたギンナンを研究の糧にしているのは私ばかりではございません。
 
 それにしても、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れたのは、鎌倉ゼミ旅行直後のことで驚きました。私は自分の胃腸の方が心配で、あの大銀杏のことは気にもとめていませんでしたが、さすがに初めて鎌倉を訪れた山本みなみさんは、しっかりと写真におさめられておりました。なにか象徴的なことのように思っております。

 ところで、『草燃える』の上総介広常。まったく元木先生の仰せのとおりだと思います。小松方正の演じる広常は、まさに「むくつけき東夷」そのもの。あの、「朝家のことをのみ見苦しく思うぞ、ただ坂東にかくてあらんに、誰かはひきはたらかさん」という『愚管抄』の一節が戦後歴史学では拡大評価されてしまったわけですね。
 『草燃える』放送当時の私も領主制論の信奉者でしたが、あの広常には絶句を余儀なくされたことを覚えております。

 『愚管抄』の記事がそのままには受け取れないことについての私見は、手っ取り早いところで、『源氏と坂東武士』P167以下を御参照下さい。

 しかし、今でも東国武士好きな方の中には、当時の東国武士よりも偏狭な、京都嫌いの「東国独立論者」みたいな方がおられて、閉口することがございます(笑)。
 当時の京都は、今の東京のようなもので、居住者は地方出身者の寄り合い所帯の側面が大きく、それが首都たる所以というものだと思うのですが。

 また、私の昔の話ですが、大学院生の頃に学習塾でアルバイトをしていた千葉県市川市国分には、「小松縫製」という会社があり、バスに乗って「こまつほうせい前」というアナウンスを聞くたびに個性的な俳優である小松方正氏を思い出しておりました。  

公開講座「京・六波羅と鎌倉」の御案内

No.7052

 昨日から本日にかけて、連載原稿一本と校正一件を終わらせることが出来ました(お待たせ続けている原稿はさておき、差し迫った校正は、まだ2件のこっていますが)。
 そこで、ようやく新年度公開講座の御案内を書き込みます。

 *******************************************************************

    ◇ 2010年度宗教・文化研究所公開講座 ◇ 
   「東山から発信する京都の歴史と文化 ⑫ 「京・六波羅と鎌倉」」

  日時   2010年6月26日(土) 13:00~17:00

  会場    京都女子大学 J校舎525教室(予定、変更の可能性あり)

  講演①  「考古学からみた鎌倉北条氏 -伊豆から鎌倉への足跡-」
        池谷初恵(静岡県伊豆の国市教育委員会,考古学)

  講演②  「北条氏一族女性の在京生活-六波羅探題金沢貞顕の周辺-」
        福島金治(愛知学院大学文学部教授,日本中世史)

  司会    野口 実(本学宗教・文化研究所教授)

  *********************************************************************
 2010年度は、北条氏の存在形態を通して、平安末期から鎌倉時代における京都と東国(鎌倉)の関係について考える機会にしたいと思っています。
 これまでと同様、ゼミメンバー・関係者の御協力を御願いいたします。

 岩田慎平君と長村祥知君が遠征発表される次回の中世戦記研究会ですが、5月8日(土)に開催されることになりました。会場は学習院大学の予定ですが変更の可能性もあるということです。長村君の報告テーマは、
 「北条義時追討計画と伝奏葉室光親―承久三年五月十五日付の院宣と官宣旨―」(仮)
 岩田君は「小鹿島橘氏」に関するものだそうです。
 当ゼミからは常連の藪本君も出席されるはずですので、当ゼミメンバー・関係者で少しでも軍記研究に関心をお持ちの方は、ぜひご参加下さい。
 中世文学の著名な先生方や東京で御活躍の日本中世史の若手研究者とお目にかかることの出来るまたとない機会になると思います。

 ※ 冷泉家展の招待券ですが、続々と申し込みを頂いております(もちろん広島からも)。のこり少々なのでお早めに。

古くて新しい『吾妻鏡』

No.7054

 前回(昨日)のご案内は、なぜか自宅のパソコンから投稿できなかったため掲出できず申し訳ありませんでした。その昨日の『吾妻鏡』の時間は、条文を読みながらいろいろと現代的(現実的)な話題にまで及びました。考えさせられることは多いですね。
 次回の火曜日の『吾妻鏡』は以下の通りです。

 日時:2010年3月23日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建長六年(1254年)正月十日、二月十二日・二十日・二十四日、三月十二日・十六日・二十日、四月十八日・二十七日・二十九日、五月一日・五日、閏五月一日・五日・十一日、六月三日・十五日・二十五日、十月二日・六日・十日・十二日・十七日、十一月十六日・十七日・二十一日、十二月一日・十二日・十七日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日の各条

 *野口先生よりお借りした大河ドラマ『草燃える』のDVDを少し拝見しました。まだ一話だけですが、武田鉄矢さんの藤九郎盛長が妙に印象的でした。このあとの話も楽しみです。

北条政子は岩下志麻。

No.7055

 岩田君の書き込みに【不正投稿です】というような表示が出るようでは、いよいよ私の独占排他的な状態(世の人々の一部は、この掲示板をブログと誤解しています)が継続してしまうのでは、と危惧していたのですが、復旧されたようで幸いでした。


 『草燃える』のDVDは高校以来の親友の寄贈によるものです。
 千葉常胤や上総広常も登場しますから、大喜びだったはずなのですが、放送されたのはちょうど私が高校に就職した年(1979年)でしたから、じっくり視聴する余裕がありませんでした。

 今見てみると、さすがに永井路子氏の原作だけあって、脚本に『吾妻鏡』の文言がそのまま使われていたりしますし、一応今から40年ほど前の日本中世史学界の共通認識(領主制論的な武士論)を前提にして、フィクションを交えつつも丁寧に作られた作品だと思います(監修は近藤好和先生の御師匠である鈴木敬三氏)。
 したがって、『吾妻鏡』講読の教材にも使えます。山本さんをはじめ現2回生は、大いに楽しめることでしょう。

 それにしても、当時のNHKが全作品をビデオとして保存していなかったという話には驚かされました。研究者が「口頭報告でおしまい」みたいな話で、潔いことこの上ありません。
 視聴者の録画したものだから、画質が悪く残念なのですが、よくぞのこしてくれたと感謝すべきでありましょう。

 当然ながら出演者も若い。北条時政は美川先生の御親戚である金田龍之介が演じていて、私はとても気に入っています。ミネルヴァ日本評伝選はこのイメージで書いてしまいそうです。
 北条義時役の松平健も、この頃はまだ痩身の青年で、どことなく米澤君に似たところがある。米澤君もこれから将軍に就任して暴れ回り、やがてレレレのオジさんになるのかも知れませんね(笑)。


 ところで、先に3月12日を出張講義の吉日と書きましたが、それは記憶違いで、島根県立出雲高校にお邪魔したのは、2005年の3月18日のことでありました。訂正致します。

 昨日は一日がかりで校正。
 どうしても書き加えなければならないことがある一方で、編集者の方からの行数削減の要請にお応えしなければならず、なかなか充実した作業でした。

日本史講座・冷泉家展の案内と連絡など

No.7051

 今日は京都女子大学の卒業式の日です。式は3回に分けて行われますが、私は文学部・現代社会学部の式に出席してきました。

 当ゼミ関係では、大谷さんが目出度く大学院博士前期課程を修了。
 その(粋な赤い振り袖姿の)大谷さんから、『紫苑』再校ゲラをお預かりいたしました。修論も40枚程度にまとめ直して活字化をはかられるとのことです。

 ところで、しばし失念いたしておりましたが、2010年度春期ラボール学園日本史講座の受講受付が始まりました。講座内容については、↓を御覧下さい。
 http://www.labor.or.jp/gakuen/kouza_school/school_2010haru.html   
 ひろく受講をお勧めする次第です。

 それから、当ゼミメンバー・関係者のためにということで「冷泉家 王朝の和歌守展」
        http://www.asahi.com/reizei/
の招待券を頂いております。必要な方はお知らせ下さい。もちろん数に限りがありますからお早めに。
 >広島の江波さん お送りしましょうか?

 6月の公開講座の講演テーマなども既に決まっているのですが、お知らせはあらためて。

 ※ なにしろ、原稿やら校正やらで忙しくてたまりません。
 しかし、詳しくは書きませんが、結局徒労となるような仕儀に陥らされるようなこともあり、いささか腹を立てております。
 そのような次第で、本日は、せっかくのお招きにお応えすることが出来ず申し訳ありません。

富岡西高校の出張講義から戻りました。

No.7050

 まず、岩田君からの御連絡です。
 次回の火曜日の『吾妻鏡』。 3/16(火)14:00~共同研究室にて。
 範囲は建長五年九月十六日条より。

 この日は『紫苑』の再校返しも予定されていましたね。

 さきほど、徳島から帰って参りました。高速バスを利用したのですが、始発の段階で15分遅れており、さらに夕刻の渋滞に巻き込まれて高速舞子に30分ほどの延着でした。
 舞子から乗った快速電車がいつもより、とりわけ軽快に感じられた次第です。

 もう昨日のことになってしまいましたが、徳島では、阿南市にある県立富岡西高校で出張講義を行ってきました。たしか数年前には同じ3月12日に島根県立出雲高校で出張講義をしたように記憶します。あの時、私の話を聞いてくれた生徒さん(もう今年で大学4年生になりますが)とは今でも親交があり、そのお友達までがゼミに参加してくれたりしていますから、3月12日は出張講義の吉日なのです。
 「地理・哲学・歴史」に関心を持つ1・2年生が対象で、受講者の数は少なかったのですが、じつに熱心に聴いてくれました。

 この富岡西高校は、地元では知られた名門の学校で、卒業生には政治家の後藤田正晴氏などがいます。また、今から20数年前、関西テレビの「お天気おじさん」として一世を風靡した福井敏雄氏もこの学校の出身だそうです。福井さんの天気予報はほんとうに楽しかった。あの頃、福井さんの天気予報を見ることが出来たのは、京都に引っ越したメリットの一つでした。

 徳島を旅行できたことで、平家の家人田口成良や西光を生んだ阿波の在庁官人近藤氏についての理解が深まりました。山下知之「阿波国における成立と展開」・野中寛文「阿波民部大夫成良」・五味文彦「阿波民部大夫と六条尼御前」といった論文を現地で読むと、よ~く分かる。
 屋島を攻撃すべき源義経が、なぜ阿波の勝浦に上陸したのかということも、よ~く理解することが出来ました。彼はやはり軍略家として素晴らしい才能の持ち主だったと思いました。 
 
 しかし、家に戻ると、たくさんの「催促」ないしは「お誘い」のメールが届いていました。
 15日締切の原稿が間に合うかどうかの瀬戸際という状況ですので、どれだけお応えできるか分かりませんが、可及的速やかに少しずつ対応させて頂きたいと思いますので、御返信は、しばしお待ち頂きたくお願い申しあげる次第です。
 正直、結構疲れております。