HPのリニューアルについて

No.7022

 本日の京都は、陽射しの中に雪がちらつくという気象状況です。しかし、寒いですね。
 
 昨日は、小野さんが神戸大学に提出した修士論文を持ってきて下さいました。関東申次をテーマにしたものです。ぜひ、何らかの形で公表して頂きたいと思います。

 その後、久しぶりに鈴木夫人(もと永富さん)が来室され、小野さんが帰られた後、御夫君もお出でになられましたので、掲示板以外はず~っと更新されていない当HPのリニューアルについて相談をさせていただきました。
 私のプロフィールのところにも著書・論文など書き加えなくてはならないのですが、とくに「宗教・文化研究所ゼミについて」は情報が古すぎるので、ゼミメンバーないし関係者から、広く御意見をうかがった上で、書き改めることになりました。
 
  つきましては、新たに書き加えたり、改めるべき点、その他アイデア等がありましたら、来週中くらいまでに野口までメールでお知らせ下さいますようにお願い致します。
 なお、史料講読会の中心メンバーである方々には、直接原案を求める場合もあるかも知れませんが、その節はどうぞ宜しく。

 小野さんと鈴木夫人から、それぞれケーキのお土産をいただきました。ありがとうございました。9日の史料講読会のときに賞味させていただきましょう。

 私はちょうど一週間後、また調査に出掛けます。それまでに、校正を終わらせ、新しい論文を軌道に乗せなければなりません。せわしない話です。

 >山本さん 移転の作業は無事に済みましたか?

収穫の多かった岡山調査旅行

No.7021

 3~4日、共同研究関連の調査で岡山に行ってきました。2日間とも共同研究員の畠山誠先生に御案内を頂きました。

 3日は県立博物館を中心に、岡山城跡・後楽園などを見学。あいにく林原美術館が休館であったため、オリエント美術館に行きました。岡山県は律令制の行政区分でいえば備前・備中・美作の三ヵ国にまたがっており、歴史研究の材料は豊富です。しかし、古代の吉備、戦国の宇喜多氏、近世の池田藩などに隠れて、中世はやや影が薄い。しかし、平家の有力家人難波経遠や妹尾兼康、日本臨済宗の宗祖栄西、水墨画の雪舟など、人物だけを取り上げても興味深い存在が輩出しています。かくして初日は、岡山県中世史の概論を学びました。

 4日は畠山先生の3ナンバーの愛車に乗せていただいて、まず吉備津彦神社へ。そこから藤原成親が流され、殺害された有木別所の辺りを通って、吉備津神社へ。
 吉備には学生時代以来の訪問です。あの時は造山古墳がメインの目的地だったと思います。今回は、妹尾兼康のものと思われる頭骨の発見された吉野口遺跡。現在、鯉山小学校の敷地になっているのですが、移設された墓所の位置が分からず、地元の方に尋ねると親切にその場所まで足を運んで下さいました。
 ちなみに、今回の旅行で出会った岡山の方々は、皆さんとても親切に接して下さいました。

 妹尾兼康については、用水の開発に関する伝承なども残されており、ちょっと再評価してみる必要を感じました。研究ノート1本分くらいを書くことの出来る情報を今回の旅行で得ることが出来ました。
 妹尾兼康の墓からほんの50メートルほどの所には、栄西の誕生地の石碑があり。この吉備津神社周辺が中世において、政治・文化的に大変重要な地点であったことが理解できました。

 豊臣秀吉の毛利攻めで有名な備中高松城跡も、ここから至近です。城跡に立って、 自分の命と引き替えに家臣の助命をはかった清水宗治の心中を思いました。当時の殿様は、家族を人質に出したり、なかなか大変で、政治判断の失策は全て自身に降り懸かりましたから、近代の軍事指揮官や最近の企業経営者とは精神性において大きな相違があったのではないかと想像されます。
 少年の頃、大河ドラマで緒形拳主演の『太閤記』を見た時は、ここに来てみたくて仕方がなかったのですが、ようやく実現することが出来ました。しかし、あの時、来ることが出来たら感動は数十倍だったと思います。どこかに出掛けるのなら、無理をしてでも若いうちがよい。歳をとると感動する能力を喪失します。
 昼食は、前日の節分会の喧噪とはうってかわって人の数もまばらな最上稲荷にて。

 それから、五重塔の美しい備中国分寺(『男はつらいよ 』シリーズの32作目「口笛を吹く寅次郎」のロケ地)、総社市の惣社(沼田神社)と市の郷土館、妹尾兼康関連の史跡を回り、最後は雪舟が涙で鼠の絵を描いたという話で有名な禅寺宝福寺を訪れ、それから岡山駅に向かいました。
 車で案内していただいたお陰で、短時間で多くの情報を得ることが出来ました。畠山先生にはほんとうにお世話になりました。

 倉敷や高梁、それに源平の古戦場である藤戸や水島も近いので、ここはゼミ旅行にも相応しいところだと思いました。
 いずれにしても、また近々訪れてみたいと思っています。
 
 ☆ 広島なぎさ中・高等学校の加栗貴夫先生より、御高論「参加記 地方史研究協議会研究例会「美作学と吉備学-地域の成果と課題-」」掲載の『岡山地方史研究』119を御恵送いただきました。
 岡山から帰ったところにグッドタイミングでした。
 ちなみに、本誌掲載の渡邊大門氏の論文「美作地域における奉公衆の研究」で取り上げられている角田氏はもともと上総国の御家人で、拙稿「中世東国武士社会における苗字の継承と再生産」(拙編『千葉氏の研究』収録)で触れたことがあります。
 加栗先生に、あつく御礼を申し上げます。

Re: 収穫の多かった岡山調査旅行

No.7023

 はじめまして。渡邊大門と申します。拙稿をお読みいただき、ありがとうございました。また、角田氏のことは、不勉強で失礼いたしました。今、同論文は論文集に収録予定で校正中ですので、先生のご本を読ませていただき、追記いたしたく存じます。今後ともよろしくお願い申しあげます。

その後の室町幕府奉公衆角田氏

No.7025

渡邊大門先生
 書き込みを頂き、恐縮に存じます。

 東国からの西遷武士に関する研究は、移住先と本貫地の研究に断絶があるので、それを埋めていくことが、中世武士理解のひとつの方法と考えております。

 なお、室町幕府奉公衆の角田氏は、近世にいたり、熊本藩の重臣松井家に仕えています(福原透「松井家研究余録 角田因幡入道宗伊・細川陸奥守入道宗賢の事蹟について」『熊本史学』74・75)。

Re: 収穫の多かった岡山調査旅行

No.7026

野口実先生
 さらにご教示を賜って、恐縮です。本当に勉強になりました。私のつまらない論文集も多少充実したものになりそうです(笑)。イメージは「うつけもの」で。今後ともよろしくお願い申しあげます。

『紫苑』第8号入稿

山本みなみ
No.7018

   本日、無事『紫苑』第8号を入稿することができました。目次は以下の通りです。

    〔論文〕
     「判官びいき」と義経観・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藪本勝治
      
     藤原道長の法華三十講・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大谷久美子
      
     小鹿島橘氏の治承・寿永内乱-鎌倉幕府成立史に寄せて-・・・岩田慎平
      
    〔研究ノート〕
     鎌倉幕府成立期における文士-二階堂氏を中心に-・・・・・・山本みなみ

     初校の完成は2月16日(火)の予定です。今から完成が楽しみです。

  以降の予定は追ってご連絡致します。執筆者の皆様、よろしくお願い申し上げます。

Re: 『紫苑』第8号入稿

大谷久美子
No.7019

立春とは名ばかり、まだまだ寒い日が続きそうですが、いかがお過ごしでしょうか。

山本さん、『紫苑』無事入稿とのこと、ありがとうございます。
以後の予定連絡というのは、掲示板にて、ということですね、承知したしました。
こちらこそどうぞよろしくお取り計らいくださいますよう
改めてお願い申し上げます。

名ばかりの立春

No.7020

 『紫苑』のこと、宜しくお願い致します。完成が楽しみです。

 「鬼は~外」の声に怖れをなして、備前・備中国まで落ちのびましたが、その地の福の神に助けられて、大いなる収穫を得て、さきほど帰洛させて頂きました。
 道中の詳細は、追って御報告させて頂きたいと思います。

 京都・東京に続き、広島と神戸からも「修士論文」提出の御報告を頂きました。

 ☆ 髙橋昌明先生より、御高論「平家都落ちの諸相」(『文化史学』65)を御恵送頂きました。
  髙橋先生に、あつく御礼を申し上げます。

「平安京・京都」&「女性史」研究会案内

No.7015

 2月・3月に開催される研究会2件の御案内です。

 ◆ 平安京・京都研究集会 第19回 御案内 ◆
 平安京・京都研究集会では、「検証 考古学が明らかにした古代・中世の京都像」と題する一連の企画を催すこととしました。近年刊行された、京都の考古学にかかわる3冊の論集を順次とりあげ、連続書評会をおこないます。これらの研究集会によって、考古学を中心とする京都研究の成果を確認するとともに、今後の研究の課題を見出すことができれば幸いです。
 第19回は、そのうちの第1回として、鋤柄俊夫著『中世京都の軌跡』(雄山閣、2008年)をとりあげます。同書で鋤柄氏は、11世紀から16世紀までの京都内外のさまざまな歴史事象に注目し、多角的、学際的に都市京都の特色を解明しようとしておられます。研究集会では、権門都市論、室町幕府論などの視角や、考古学の方法論をめぐって議論したいと考えています。

  日時:2010年2月28日(日) 13:00~17:00
  会場:機関紙会館 5F大会議室(京都市上京区新町通丸太町上ル東側。日本史研究会事務所の建物)(市バス「府庁前」バス停すぐ。地下鉄「丸太町」駅下車、2番出口より西へ、2筋目を北へ。徒歩6分。http://homepage2.nifty.com/kikanshi-keiji/kaizyou.html
  報告(評者);美川 圭氏(摂南大学、日本中世史)
          桃崎有一郎氏(立命館大学、日本中世史)
          山本雅和氏((財)京都市埋蔵文化財研究所、日本考古学)
 コーディネート;仁木 宏氏(大阪市立大学、日本中世史) 
 著者・鋤柄俊夫氏(同志社大学、考古学・文化史学)も参加されます。

*事前の申込不要。一般来聴歓迎。    *当日、資料代をいただきます。
主催)平安京・京都研究集会  後援)日本史研究会

 本シリーズの第2回では、堀内明博『日本古代都市史研究』(思文閣出版)、第3回では、山田邦和『京都都市史の研究』(吉川弘文館)をとりあげる予定です。


◆ 女性史総合研究会3月(第152回)例会の予定 ◆

 日 時: 3月13日(土) 13:30~17:00

 場 所: 滋賀大学大津サテライトプラザ
 
 報 告: 伊藤麻祐子氏「近世後期の上層商家における妻役割」
  
      水田ひろみ氏「王朝物語における「細殿」―「細殿」に生きる女性たち―」
===========================================================

  ※ 残念ながら「平安京・京都研究集会」の方はゼミ旅行の日程と重なってしまいますので、参加できません。ただし、先月15日に開催された準備会で意見を申し上げてきました。
 女性史総合研究会の方は、国文のみならず建築史の方も行ってみると良いのではないでしょうか。

冬の『吾妻鏡』

No.7017

 雨が降ったり雪が降ったりして寒い日が続きますが、次回2月9日の火曜日『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2010年2月9日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建長四年(1252年)十一月二十日、
    建長五年(1253年)正月二日・三日、二月三日・二十五日、四月二十日・二十六日、五月四日・十三日、六月三日、七月八日・九日、八月十五日・二十九日、九月十四日・十六日・二十六日、十月一日・十一日・十三日、十一月二十五日・二十九日、十二月八日・九日・二十一日・二十二日、
    建長六年(1254年)正月十日、二月十二日・二十日・二十四日、三月十二日・十六日・二十日、四月十八日・二十七日・二十九日、五月一日・五日、閏五月一日・五日・十一日、六月三日・十五日・二十五日、十月二日・六日・十日・十二日・十七日、十一月十六日・十七日・二十一日、十二月一日・十二日・十七日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日の各条

採用試験・入学試験に関する私見など。

No.7014

 一つのポストを争う採用試験に行ったら、いつものお友達が沢山。という局面はしばしば発生するものですが、当ゼミ関係者も、目下その渦中にあるようです。
 今は心中複雑でも、きっと後日の語りぐさになると思います。

 京都女子大学も、目下、一般入試前期の入学試験が行われています。入試業務は何かと気疲れの多いものですが、優秀な受験生が集まってくれるので、たいへんやり甲斐があります。これは幸せなことだと思います。

 入試前に、ある学会から、この4月に発行される会報のようなものに、短文の執筆を依頼されました。そこで、「法住寺殿の武将墓」の被葬者についての新見解を提示してみました。
 以前、私は被葬者を平重盛に比定する説を出したのですが、考古学者の間で、墓の構築が13世紀に下ることが確実視されるようになってきた情況を踏まえて、再考してみた次第です。
 細かな論証を加えるほどの字数が用意されていないので、結論じみたことだけを先に述べておくつもりで書いたのですが、残念なことに、編集サイドの事情で次号送りとなってしまいました。
 有り難いことに、残念がってくれる方が多いので、締切も夏まで延びましたし、勿体ぶって、この原稿は筐底にしまいこみ、別の原稿に差し替えるかも知れません。

 2月は、度重なる調査出張やゼミ旅行の合間に、肥前千葉氏の本拠「小城」について考えてみたいと思っています。何か御教示を頂けれは幸いです。

 >山田先生  「ふ~ん・・・ なるほど・・・ へ~ぇ・・・」
  ここで、お出ましになられたら、正体が丸見えではありませんか!

 ☆ 宮田敬三先生より、御高論「承久の乱における京方の軍事動員」(季刊『古代文化』第61巻第3号)を御恵送いただきました。
 最近、承久の乱における京方武力の分析が進んでいて、興味津々です。
 宮田先生に、あつく御礼を申し上げます。

鎌倉は東京ディズニーランドより面白いか?

No.7010

 天気予報で少し暖かくなるようなことを言っていたので期待していたのですが、今週も寒いですねぇ。

 >ゼミの皆さんへ 研究室に『史料綜覧』の平安時代から鎌倉時代までの巻を揃えましたので御活用下さい。

 岩田君からの報告によると、ゼミ旅行の参加希望者は2ケタに達したようです。「海外でホームステイの経験はあるけれども、滋賀県より東は行ったことがない」※とか、「ディズニーランドは行ったけど、鎌倉は未だ」という大学生が京都には沢山います。
 日本中世史・中世文学を専攻している人は「それじゃ、だめじゃん」です。
 関東在住の方々も、ぜひ御参加下さい。

 昨日、徳島県阿南市の高校から出張講義の御依頼を頂きました。2月~3月は、岡山・静岡・茨城・神奈川(2回)、そして徳島県にも出掛けることになりそうです。
 まさに内乱期です。「不為事衰老、凌風波」ぎ、頑張ります。

 京都女子大学「平成22年度 一般入試前期」の志願者は、前年度に比べてだいぶ増加したようです。数字の詳細は、京都女子大学のHPを御覧下さい。

 ※ むか~し、むかし、あるところの博物館に、「関東での公募に応募したら」と助言したところ、「逢坂の関の向こうは恐いのです」と、こたえた若い研究者がおられましたとさ。
  ・・・・・というエピソードを思い出してしまいました。

Re: 鎌倉は東京ディズニーランドより面白いか?

山田邦和
No.7012

>むか~し、むかし、あるところの博物館に、

ふ~ん・・・ なるほど・・・ へ~ぇ・・・

東京ディズニーランドと鎌倉四日間の旅

No.7013

 次回は2月2日(火)となる火曜日の『吾妻鏡』です。2月は9日・16日にも開催の予定です。

 日時:2010年2月2日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建長四年(1252年)八月二十一日・二十二日、九月一日・二日・七日・三十日、十月十四日・十六日、十一月三日・十一日・十二日・二十日、
    建長五年(1253年)正月二日・三日、二月三日・二十五日、四月二十日・二十六日、五月四日・十三日、六月三日、七月八日・九日、八月十五日・二十九日、九月十四日・十六日・二十六日、十月一日・十一日・十三日、十一月二十五日・二十九日、十二月八日・九日・二十一日・二十二日、
    建長六年(1254年)正月十日、二月十二日・二十日・二十四日、三月十二日・十六日・二十日、四月十八日・二十七日・二十九日、五月一日・五日、閏五月一日・五日・十一日、六月三日・十五日・二十五日、十月二日・六日・十日・十二日・十七日、十一月十六日・十七日・二十一日、十二月一日・十二日・十七日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日の各条

* 先日予告しました鎌倉旅行の日程は以下の通りです。野口先生のご案内で(!!)鎌倉を歩きましょう。

   日時:2010年2月27日(土)~3月1日(月)(予定)
   場所:鎌倉とその周辺

 関西以西の日本史専攻の学生さんの間では、むしろ鎌倉とディズニーランドはセットにされることも多いようです。鎌倉でも歩き、浦安でも歩く(走る)とは驚くべきフィジカル能力ですね。

  レーニンは、『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。
  私は、選手に『走って、走って、走れ』と言っている。(Ivica Osim)

 我々も鎌倉で『勉強して、走って、勉強して、走り』ましょう。

『紫苑』第8号のラインナップのお知らせ。

No.7009

 『紫苑』第8号(2010.3刊行予定)の構成は以下のとおりです。

 〔論文〕
  「「判官びいき」と義経観」   
      藪本勝治(神戸大学大学院人文学研究科DC・日本文学)

  「藤原道長の法華三十講」
      大谷久美子(京都女子大学大学院文学研究科MC・日本文学)
 
  「小鹿島橘氏の治承・寿永内乱-鎌倉幕府成立史に寄せて-」
      岩田慎平(関西学院大学大学院研究員,京都女子大学宗教・文化研究所共同研究員・日本史学)

 〔研究ノート〕
  「鎌倉幕府成立期における文士-二階堂氏を中心に-」
      山本みなみ(京都女子大学文学部史学科2回生・日本史学)


 ☆ 京都府教育委員会の藤井整先生より御高論「近畿地方弥生時代の親族集団と社会構造」(『考古学研究』第56巻第3号)を御恵送頂きました。

 藤井先生は、私が京都文化財団の研究員をしていた時の、たった1時間程の教え子です。教室は二条城の北にあった仮事務所。藤井先生は、まだ予備校生でした。あれから、もう20年以上が経ち、藤井先生は見事に初志を貫徹されました。

 そういえば、あの仮事務所には、まだ大学に入りたての前川さんも訪ねてきてくれましたね。

 藤井先生に、(論文の内容は難しくて分かりませんが)あつく御礼を申し上げます。
 ますますの御活躍を期待しています。 

水無瀬を見なせぇ。

No.7007

 一昨日、山田邦和先生からもお電話を頂いたのですが、水無瀬が面白くなってきたようです。
                 ↓
 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2010012200212&genre=M2&area=O10
 http://www.asahi.com/culture/update/0122/OSK201001220159.html

 京中の院御所ではありませんから、政務の場と考えることは出来ないと思いますが、白河・鳥羽・法住寺殿に続く、院の重要拠点として評価が高まることは間違いないと思います。


 今日は午前中、J202演習室でシリコンバレーからの遠隔セミナーを聴講しました。
   http://www.consortium.or.jp/contents_detail.php?co=new&frmId=1573
 来年度後期から、大学コンソーシアムの遠隔授業を担当するので、どんなものかと出掛けてみた次第です。
 大変な技術の進歩だとは思いますが、紙の資料を用いて、教師と学生が同じ空気を吸いながら-というのが、本来の大学における講義のあり方であることは絶対に間違いありません。まぁ、実際にやってみて、どんなことになるか楽しみにしています。


 昨日は、ある研究上の「仕事」の打ち合わせの後、京都駅前ルネサンスビルの「福幸」で、この仕事の主宰者となる元木先生と某出版社の方とで会食。ご馳走になりました。
 この「仕事」(私は勝手に「元木プロジェクト」と名付けました)、これから多くの研究者の方々の御助力を仰ぐことになると思います。その節は、何卒宜しくお願い致します。


 『紫苑』第8号。見積もりを済ませて、入稿の予定が決まりました。
 岩田君から、ある、第一線で御活躍の研究者の方に、一番若い執筆者(誰か分かりますよね?)の原稿を見て頂いたところ、内容に感動されて、早速「完成したら抜刷を下さい」との申し出を頂いたという嬉しいお話が伝わってきております。

 ☆ 東京都足立区立郷土博物館の加増啓二先生より、御高論「金泥と大般若経-中世の縁起と説話から-」掲載の『無為 無為』第11号を御恵送頂きました。
 加増先生の一連の大般若経に対する御研究の成果には、とても興味深いものがあります。
 加増先生に、あつく御礼を申し上げます。 

山田先生より『平安京とその時代』頂戴。

No.7003

 同志社女子大学の山田邦和先生から、御高論「保元の乱の関白忠通」収録の朧谷壽・山中章編『平安京とその時代』(思文閣出版)を御恵送頂きました。
 この本が出版されるに至った経緯や、御高論の趣旨については、山田先生御自身のブログを御覧いただくのが一番良いと思います。↓
http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2010/01/post-7399.html

  山田先生の御高論。結論の一つが「源義朝は軍事的にはドジばかりふんでいる無能力者である」とのこと。
 最近私は、義朝が坂東に構築した地域権力を高く評価した論文を書いたばかりなので、よく読ませて頂いて、反論すべきは反論したいと思っております。
 なお、同書には元木泰雄先生の「平重盛論」が掲載されています。国文学で『平家物語』を専攻されている皆様にとっても必読論文かと存じます。先般、中世戦記研究会(於、都立豊多摩高校)で発表させて頂いた私見も「野口実氏のご教示による」として紹介されております。
 山田先生に、あつく御礼を申し上げます。

 期末試験や入学試験といった慌ただしい時期を迎えております。年度内に済ませる必要のある研究出張も数件。また、2月末締切の原稿も2本。『紫苑』編集長の山本さんやゼミ旅行の幹事をかってでてくれた岩田君らとともに、春に向かって頑張りたいと思います。 

Re: 山田先生より『平安京とその時代』頂戴。

山田邦和
No.7004

>野口先生

『平安京とその時代』のご紹介、ありがとうございます。

源義朝に対する私見、厳しすぎますでしょうか?
ただ、私見はあくまで、義朝の「都での戦」に限定しての話ですので、ご理解賜りますよう、よろしくお願いいたします。彼はおそらく、東国における戦には長けていたのでしょうし、そこでの権力形成の手腕があったことは野口先生のおっしゃる通りなのだと思います。
一方、保元・平治の乱はいうまでもなく、京都の貴族社会を舞台とし、都でおこなわれた戦であります。それは、単なる武力のぶつかりあいなのではなく、貴族社会の政治闘争そのものなのでしょう。その中では、戦は、単に相手を武力で圧倒すればよいのではなく、自分の行動が政治的にどういう結果を生み出すか、それが大事になってくる。義朝の場合、たとえは平治の乱での振る舞いに典型的にみられるように、敵を軍事的に打倒することだけで、貴族社会の大多数からは見放されてしまう結果を生んでいる。このあたりが政治的駆け引きに長けた清盛との違いであり、義朝の「無能力」のゆえんではないかと考えました(あと、義仲なんかもそれに該当するでしょうね)。

いずれにせよ、私にとっては新しい研究テーマとなりました。御指導御鞭撻をよろしくお願いいたします。

市バスは何台? 難題なのはシラバス。

No.7000

 本日は新年度のシラバスの作成を行いました。
 一番の難題は大学コンソーシアム参加大学に授業が配信されるという科目。これは、資料の配付をするわけにはいかないので、テキストが必要。市販されている著書から選ぶとなると中公新書が一番手軽だろうということで、拙著『武家の棟梁の条件』を教科書にして「中世の武士を見なおす」という副題の授業計画(15回)を作成しました。
 いろいろ考えてみると、かなり大変そう。責任は重大。テレビは見るにかぎります。
 なお、シラバスの入力と送信は、意外にも、すんなりと出来ました。

 『小右記』講読会は本日が今年度最後。四月からも大谷さんを中心に開催される事が決まりました。史学・国文学・建築史など、ジャンルを問わず、平安時代専攻者の参加を大いに歓迎します。 

 夕刻、研究室に見えた印刷屋さんと、絶版になった優れた書籍の自主出版の可能性について「雑談」におよびました。

 さて、明日はキャンパスプラザ担当科目の試験です。

 東京の編集者の方から、昨日速達で発送した原稿を受け取りましたというメールが届きました。が、そこには、(昨年11月の初めに送付した別の原稿の)初校ゲラを本日発送しましたとも。
 ああ、無情!!

二月の『吾妻鏡』と鎌倉旅行募集中

No.7001

 来週火曜日の『吾妻鏡』はお休みとさせていただきまして、次回は2月2日(火)です。2月は9日・16日・23日に開催の予定です。

 日時:2010年2月2日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建長四年(1252年)八月二十一日・二十二日、九月一日・二日・七日・三十日、十月十四日・十六日、十一月三日・十一日・十二日・二十日、
    建長五年(1253年)正月二日・三日、二月三日・二十五日、四月二十日・二十六日、五月四日・十三日、六月三日、七月八日・九日、八月十五日・二十九日、九月十四日・十六日・二十六日、十月一日・十一日・十三日、十一月二十五日・二十九日、十二月八日・九日・二十一日・二十二日、
    建長六年(1254年)正月十日、二月十二日・二十日・二十四日、三月十二日・十六日・二十日、四月十八日・二十七日・二十九日、五月一日・五日、閏五月一日・五日・十一日、六月三日・十五日・二十五日、十月二日・六日・十日・十二日・十七日、十一月十六日・十七日・二十一日、十二月一日・十二日・十七日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日の各条

* 先日予告しました鎌倉旅行の日程は以下の通りです。野口先生のご案内で(!!)鎌倉を歩きましょう。

   日時:2010年2月27日(土)~3月1日(月)(予定)
   場所:鎌倉とその周辺

 参加を希望される方は、1月27日(水)までに、岩田か野口先生か火曜日の『吾妻鏡』の参加者のどなたかに参加の意思をお伝えください(野口先生、火曜日のみなさん、そういうことですのでよろしくお願いします)。

 ご質問などのお問い合わせはお気軽にお寄せください。
 詳しいことはまたおいおいご相談して決めていきたいと思いますが、ご予定を調整していただきましてふるってご参加ください。