肥後・薩摩巡見の御報告(一部追記あり)
No.6902
昨日の講義。話の力点は異なるものの、両方とも「院政の成立」だけで時間を使い切ってしまいました。
待賢門院が出てくると角田文衞先生のことを話したくなる、というように、話題が拡散して収拾がつかなくなってしまうのが原因です。
本題の後白河院や法住寺殿は次回回しと相成りました。
ちなみに、来週は祝日(京女は学園祭)ですから、次の講義は11月10日になります。
京博の特展を見学するために広島から上洛された江波さんを囲んで、ゼミ参加者と女坂の「里」で夕食。昨今、研究者を目指す若者たちには過酷な情況ですが、みんな素晴らしい才能を持っている。面白ければ突き進んで欲しいと思います。一度しかない人生の旬をたいせつに。
熊本のお話ですが、23日は夕刻に藤崎八幡宮や夏目漱石の旧居(豪邸です)などを訪ねて街中を歩き回りました。
前回来た時、ぐうぜん阿蘇品保夫先生と出会うことの出来たバス停やら、行ってみて思い出す場所も多く、また、店先にとても礼儀正しい御主人のおられる天正年間創立という朝鮮飴屋さんや、工藤敬一先生の論文集や普及版『吾妻鏡』の配架された格調高い古本屋さん等、なかなか楽しいお店が並んでいて、面白がっているうちに結構な距離を歩いてしまいました。
人もみな親切。愛知学院大学の松薗先生や鹿児島大学の日隈先生の御出身地であることは、「さもありなん」と思われます。
夕食は呉服町・東急イン地下の「雑魚屋」にて。私は、このところ本物のビールを飲むと後で気分が悪くなりますので、ノンアルコールのビールを頂きました。
24日は、出張講義終了後、鹿児島に向かいました。鹿児島中央~新八代間に新幹線が開通したおかげで僅か一時間で到着。しかし、トンネルばかりで、情緒も何もありません。
ちょうどこの日は、鹿児島県歴史資料センター黎明館で「熊襲・隼人の時代を語る」というシンポジウムが開かれており、それには間に合いませんでしたが、終了後の懇親会に合流させて頂きました。
ラサール学園の永山修一先生や隼人研究の第一人者である中村明蔵先生と久しぶりにお目にかかることが出来ました。
また、近年、南九州おける古墳時代研究に新風を巻き起こしておられる鹿児島大学総合研究博物館の橋本達也先生にも初めてお目にかかることが出来ました。
橋本先生は、学部は青山学院大学史学科の御出身の由。すばらしい後輩との邂逅でした。
25日は地元新聞社の編集局長や鹿児島国際大学の講師をつとめられた旧知の先生の車(プリウス)に乗せて頂いてミュージアム知覧へ。おりしも小雨模様。
先年のゼミ旅行の時も大雨でした。その時は、夏祭りか何かで駐車場が満杯で苦労したので、「まさか」とは思ったのですが、その「まさか」が現実となり、今回も「農業祭」というのが開かれていて、あの時入れた駐車場にも入れないという有様。
でも、運転して下さったのは地元の通人ですから、何とかなったという次第でした。
いきなり押しかけたにも拘わらず、学芸員の上田耕先生は農業祭の会場から駆けつけて下さり、また小学生時代に上田先生の企画した博物館のイベントに参加したことを切っ掛けに考古学に志し、ついにはこの博物館の学芸員になったという好青年・坂元恒太先生にもお目にかかることが出来ました。
先年のゼミ旅行の際に大変お世話になった新地先生は、あいにくお休みでした。
ここでは、展示資料の中に、ひょっとすると、とんでもない価値を有する絵巻を発見(稚拙な表現ながら、流鏑馬・犬追物・相撲・巻狩等の様子が描かれており、製作年代が何時であろうと武士論研究には間違いなく貴重な史料)。坂元先生に、学界への紹介をお願いしてまいりました。
この日、新幹線を乗り継いで宇治に戻ったのは深夜。怠け者の私にしては、良く動(「働」ではありませんね)いた三日間でした。エライ・エライ!(誰もほめてくれないので)。
☆ 大阪工業大学の大村拓生先生より、御高論「鎌倉後期の尼崎-長洲荘「悪党」教念・教性の活動を通じて-」(尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第39巻第1号)を御恵送頂きました。
大村先生に、あつく御礼を申し上げます。
☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、新刊の御高著『北条高時と金沢貞顕』(日本史リブレット人035、山川出版社)を御恵送頂きました。
永井先生に、あつく御礼を申し上げます。
ちなみに、私もこのシリーズで『源義家』を書かせて頂くことになっております。
待賢門院が出てくると角田文衞先生のことを話したくなる、というように、話題が拡散して収拾がつかなくなってしまうのが原因です。
本題の後白河院や法住寺殿は次回回しと相成りました。
ちなみに、来週は祝日(京女は学園祭)ですから、次の講義は11月10日になります。
京博の特展を見学するために広島から上洛された江波さんを囲んで、ゼミ参加者と女坂の「里」で夕食。昨今、研究者を目指す若者たちには過酷な情況ですが、みんな素晴らしい才能を持っている。面白ければ突き進んで欲しいと思います。一度しかない人生の旬をたいせつに。
熊本のお話ですが、23日は夕刻に藤崎八幡宮や夏目漱石の旧居(豪邸です)などを訪ねて街中を歩き回りました。
前回来た時、ぐうぜん阿蘇品保夫先生と出会うことの出来たバス停やら、行ってみて思い出す場所も多く、また、店先にとても礼儀正しい御主人のおられる天正年間創立という朝鮮飴屋さんや、工藤敬一先生の論文集や普及版『吾妻鏡』の配架された格調高い古本屋さん等、なかなか楽しいお店が並んでいて、面白がっているうちに結構な距離を歩いてしまいました。
人もみな親切。愛知学院大学の松薗先生や鹿児島大学の日隈先生の御出身地であることは、「さもありなん」と思われます。
夕食は呉服町・東急イン地下の「雑魚屋」にて。私は、このところ本物のビールを飲むと後で気分が悪くなりますので、ノンアルコールのビールを頂きました。
24日は、出張講義終了後、鹿児島に向かいました。鹿児島中央~新八代間に新幹線が開通したおかげで僅か一時間で到着。しかし、トンネルばかりで、情緒も何もありません。
ちょうどこの日は、鹿児島県歴史資料センター黎明館で「熊襲・隼人の時代を語る」というシンポジウムが開かれており、それには間に合いませんでしたが、終了後の懇親会に合流させて頂きました。
ラサール学園の永山修一先生や隼人研究の第一人者である中村明蔵先生と久しぶりにお目にかかることが出来ました。
また、近年、南九州おける古墳時代研究に新風を巻き起こしておられる鹿児島大学総合研究博物館の橋本達也先生にも初めてお目にかかることが出来ました。
橋本先生は、学部は青山学院大学史学科の御出身の由。すばらしい後輩との邂逅でした。
25日は地元新聞社の編集局長や鹿児島国際大学の講師をつとめられた旧知の先生の車(プリウス)に乗せて頂いてミュージアム知覧へ。おりしも小雨模様。
先年のゼミ旅行の時も大雨でした。その時は、夏祭りか何かで駐車場が満杯で苦労したので、「まさか」とは思ったのですが、その「まさか」が現実となり、今回も「農業祭」というのが開かれていて、あの時入れた駐車場にも入れないという有様。
でも、運転して下さったのは地元の通人ですから、何とかなったという次第でした。
いきなり押しかけたにも拘わらず、学芸員の上田耕先生は農業祭の会場から駆けつけて下さり、また小学生時代に上田先生の企画した博物館のイベントに参加したことを切っ掛けに考古学に志し、ついにはこの博物館の学芸員になったという好青年・坂元恒太先生にもお目にかかることが出来ました。
先年のゼミ旅行の際に大変お世話になった新地先生は、あいにくお休みでした。
ここでは、展示資料の中に、ひょっとすると、とんでもない価値を有する絵巻を発見(稚拙な表現ながら、流鏑馬・犬追物・相撲・巻狩等の様子が描かれており、製作年代が何時であろうと武士論研究には間違いなく貴重な史料)。坂元先生に、学界への紹介をお願いしてまいりました。
この日、新幹線を乗り継いで宇治に戻ったのは深夜。怠け者の私にしては、良く動(「働」ではありませんね)いた三日間でした。エライ・エライ!(誰もほめてくれないので)。
☆ 大阪工業大学の大村拓生先生より、御高論「鎌倉後期の尼崎-長洲荘「悪党」教念・教性の活動を通じて-」(尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第39巻第1号)を御恵送頂きました。
大村先生に、あつく御礼を申し上げます。
☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、新刊の御高著『北条高時と金沢貞顕』(日本史リブレット人035、山川出版社)を御恵送頂きました。
永井先生に、あつく御礼を申し上げます。
ちなみに、私もこのシリーズで『源義家』を書かせて頂くことになっております。