元木先生による詳細な旅行記のあとではなんとも書きづらいところですが、ご一緒させていただきました伊予旅行と高野山での中世史サマーセミナーのことなどを少しご報告します。
20日の古文書学会見学会(於、京都府立総合資料館)には私も参加させていただきました。国宝・東寺百合文書の実物と上島先生のご解説はもちろん、それを多くの高名な先生方と並んで見学させていただけましたことは大変貴重な経験となりました。
21日からが伊予旅行。昨年の「ゴール地点」がちょうど今年の「スタート地点」となるという奇縁もあり、福山を訪れるのはこの四年ほどの間で三度目となりました。はじめて当地を訪れたのは2006年3月頃で、広島県立歴史博物館や鞆の浦などを見学し「次はいつ来られるかな…」などと思っていたのですが、どっこいすっかりなじみの街になった気がします。
しまなみ海道では橋の上から静かな海や、そこに浮かぶ島々、船などを見ることができ、いかにも瀬戸内の風情であると思いました。村上水軍資料館で解説していただいた水軍のことは、交通・流通の拠点を押さえる中世武士の研究と関わる点も非常に多く、大いに学ばせていただきました。また、資料館からの眺めも、学芸員の方がおすすめしてくださった来島海峡からの夕景も本当に見事でした。
今治市での宿(今治プラザホテル)では、喫煙室が上階にあったためそこからは今治城の勇姿が眺められたそうです。が、参加者の大多数は禁煙室に宿泊していたのでした…。焼き鳥「世渡」ではおかみさん(?)がやたらとサービスして下さったのが印象的でした。四国のおかみさんはみなさんサービス精神旺盛なんでしょうか。
翌朝、私は宿のすぐ近くにあった第五十五番札所である南光坊や港のほうを少し散歩してから朝食(バイキング形式)に向かいました。南光坊は山門に迎え鐘(?)があり、静かな境内に鐘の音が低く響きました。朝食は元木先生・近藤先生とご一緒させていただきました。
今治市から松山市の移動は一般道を桜三里を経由して向かいました。浄土寺門前では天からチャリンと落ちてきたものを拾った人がいたかと思えば、私は物理的にも精神的にも「ヘコむ」事態を引き起こしました…。とほほ
湯築城跡は公園として整備され住民の皆さんの憩いの場となっているようでした。ただ、「ヘコ」んだ直後にあの駐車場から出庫するのには困りましたが…(泣)松山では軽自動車がスタンダードなのでしょうか。
松山市での宿(チェックイン松山)には奥道後温泉引湯という浴場があり、夜遅くまで入れるということなのでじっくり浸かりました。夜はわからなかったのですが、浴場からは松山城を眺めることもできました。
最終日の23日も大宝寺・太山寺など鎌倉・南北朝期に遡る史跡を見学しました。帰路のしまなみ海道では、海側から尾道の浄土寺などを眺めることもできました。昨年の岡山旅行でも実感したのですが、瀬戸内地域は本当に多くの中世遺構が残っており、またそのどれもが壮麗であることにとても驚きました。貴重な見学の機会を共有させていただき、元木先生や諸先生方に深く御礼申し上げます。
その翌日は、第47回中世史サマーセミナー二日目のシンポジウム「鎌倉幕府と地域社会」(於:高野山大学201教室)を拝聴するため高野山へ参りました。パネラーの生駒孝臣さんらとともに南海高野線とケーブルを乗り継いでの「登山」となったのですが、木幡を出てから三時間ほどで高野山頂に辿り着き、思いのほか近いことを知りました。シンポジウムでは生駒さんが畿内、田中大喜氏が九州、七海雅人氏が東北をそれぞれ取り上げ、鎌倉幕府体制下における地域社会の動向が分析・比較されました。近年の武士論研究の成果は鎌倉幕府研究にとっても重要な鍵になると思われます。
ところで高野山は世界遺産に登録されていることもあってか外国人旅行者の方が多く見受けられました。山頂は夕暮れ時になると少し肌寒いくらいでしたが、昼間歩き回るにはちょうど良い気候と思われ(実際に歩き回っていないでわかりませんが…)、図らずも良好な季節に訪れることができて良かったと思います。また、会場では茨城(
>>No.6032、
>>No.6475)で大変お世話になった前川さん・額賀さんや、今年度・昨年度の公開講座でお会いした下村さんといった関東の方々にもお会いすることができました。みなさんはシンポジウムにどのような感想をお持ちだったでしょうか。
高野山から日帰りした翌日は、京都もすっかり秋を思わせる気候になっていました。またそろそろ火曜日の『吾妻鏡』も再開の準備に入らねばと思います。日程は未定ですが、ひとまず範囲は以下のとおりです。
範囲:宝治二年(1248年)正月三日・七日・二十五日、二月五日・十八日、三月十八日、四月七日・二十九日・三十日、五月十五日・十六日・十八日・二十日・二十八日、六月五日・九日・十日・十一日・二十一日、七月三日・七日・九日・十日、八月一日・十日、九月七日・九日・十九日・二十日・二十二日・二十六日、十月六日・二十四日・二十五日・二十七日、十一月十三日・十五日・十六日・十八日・二十三日、十二月五日・十二日・二十日、閏十二月十日・十六日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日・二十八日
建長二年(1250年)二月五日・二十六日、三月一日・三日・五日・十三日・十六日・二十日・二十六日、四月二日・四日・五日・十六日・二十日・二十五日・二十九日、五月十四日・二十日・二十七日・二十八日、六月三日・十日・十五日・二十四日、七月一日・五日・八日・二十二日、八月七日・十八日・二十六日、九月十日・十八日、十月七日、十一月十一日・二十八日・二十九日、十二月三日・五日・七日・九日・十一日・十五日・二十日・二十三日・二十七日・二十八日・二十九日の各条
毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、夏が明けたら何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。