志方正和『九州古代中世史論集』入手
No.6703
刀伊の入寇の際に活躍した大宰府府官に関する研究や肥後菊池氏の系譜を解明し、鎮西における武士成立史の実証的研究に先鞭をつけたことで知られる志方正和氏の論文集『九州古代中世史論集』(志方正和遺稿集刊行会、1972年)をようやく入手することが叶いました。巻頭の序は志方氏の恩師である平泉澄氏が寄せられています。
この論集には「大宰府府官の武士化について」という未読の論文(1960年、西日本史学会秋季大会における発表の原稿などによるもの)が収められており、拙稿「鎮西における平氏系武士団の系譜的考察」(『鹿児島経大社会学部論集』10-1、1991年)で触れた点の一部がすでに解明されていたことを知ることが出来ました。志方氏の経歴については全く存じませんでしたが、この本の末尾に付されている年譜で1966年に44歳の若さで早世されたことを知りました。
志方氏の研究の意義は大きく、その先駆的な業績は、研究史上に明確に位置づけられなければなりません。
武士成立史の研究というと、どうしても東にばかり目が注がれがちです。近年は畿内周辺の武士にも関心が集まっているようですが、東国武士と対比する意味からも鎮西武士の研究は重要だと思います。これまで、志方氏を始め、正木喜三郎・外山幹夫・工藤敬一・渡辺澄夫・五味克夫・江平望氏ら先学によって、地域ごとに積み上げられてきた、東国武士西遷以前の鎮西における武士研究の総合化が要請される段階に来ているのではないでしょうか。
若手の取り組みに期待するところです。
ちなみに、東国武士の研究においても、旧態依然とした理解が息を吹き返しつつある一方で、根本的な事実関係の再検討をせまる問題提起が行われている状況もあり、新たな局面の展開が予想されるところです。傍観はしていられそうにありません。
この論集には「大宰府府官の武士化について」という未読の論文(1960年、西日本史学会秋季大会における発表の原稿などによるもの)が収められており、拙稿「鎮西における平氏系武士団の系譜的考察」(『鹿児島経大社会学部論集』10-1、1991年)で触れた点の一部がすでに解明されていたことを知ることが出来ました。志方氏の経歴については全く存じませんでしたが、この本の末尾に付されている年譜で1966年に44歳の若さで早世されたことを知りました。
志方氏の研究の意義は大きく、その先駆的な業績は、研究史上に明確に位置づけられなければなりません。
武士成立史の研究というと、どうしても東にばかり目が注がれがちです。近年は畿内周辺の武士にも関心が集まっているようですが、東国武士と対比する意味からも鎮西武士の研究は重要だと思います。これまで、志方氏を始め、正木喜三郎・外山幹夫・工藤敬一・渡辺澄夫・五味克夫・江平望氏ら先学によって、地域ごとに積み上げられてきた、東国武士西遷以前の鎮西における武士研究の総合化が要請される段階に来ているのではないでしょうか。
若手の取り組みに期待するところです。
ちなみに、東国武士の研究においても、旧態依然とした理解が息を吹き返しつつある一方で、根本的な事実関係の再検討をせまる問題提起が行われている状況もあり、新たな局面の展開が予想されるところです。傍観はしていられそうにありません。