ありがとうございました&頑張ります!
山本陽一郎
No.6630
昨日は、自分の激励会を催していただきありがとうございました。
また同じ古参のゼミメンバーである鈴木夫妻、田中さんにまで駆けつけてもらって本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
このたび四月から地元の福井県で中学校の非常勤を勤めることになり、長らく住んでいた京都から離れることになりました。史跡好きの自分にとっては、少し残念です(泣)。
もともと京都に来たのが、浪人をするために、1994年の3月頃の今ぐらいだったと思います。また一年間受験勉強かという暗澹たる気持ちと、憧れの京都に住めるという期待の気持ちで、上洛したのを今でも憶えています。今から考えると奇遇なのですが、その浪人生用の寮の場所が、京都女子大の近くの馬町にある河井寛次郎記念館辺りでした。今だから言えるのですが、息抜きと称して、友達と京都女子大の学園祭に遊びに行ったなどりしてました(もちろん大学生と称して・だから二浪したのかもしれませんが・その頃から京都女子大学とは縁があったのかもしれませんね)。その寮では、現在の野口ゼミのように、様々な地域から、様々な個性を持った学生が集まって、いろいろ大学受験の事はもちろん、人生や将来の夢、恋愛のことなど、語り合ったりして、ある意味、受験勉強以外の勉強をしていました。
それから大学に入って、様々な方に出会いましたが、やはり一番劇的な出会いは、大学を卒業してからだと思います。シラバスで野口先生の講義内容を読んで、「面白そうだ」という気持ちで、院生の授業にもぐらせてもらったのが、そもそも野口ゼミ、そして神戸大学という、後の人生を決めた上で、本当にターニングポイントだったと思います。またお会いした当初、先生に名刺を渡されて、京都女子大学と聞いた時は、自分の京都生活の出発点だったので、何か運命めいたものを感じました。
自分は、中公文庫の『日本の歴史』や他の歴史書などを読んで、石井進や土田直鎮、網野善彦、石母田正、永原慶二、上横手先生など、名前は知っていたのですが、その有名な先生方が研究史上、どういう位置を占めるのかが、先生の講義を聞いて、点と点がつながって、自分の中で氷解したのを憶えています。また当時の『吾妻鏡』講読会は、右も左も分からない状態で参加したのを憶えています。その内先生の紹介される本や論文を読むうちに、ますます中世、『大鏡』や吉川英治の『新平家物語』を読んでいたせいか、特に平安後期から鎌倉時代までの事に興味を持ち始め、結果的には大学院まで行き、歴史学を学ばさせてもらい、また野口ゼミでは、いろんな人達に出会い刺激を受け、在籍していた大学の五年間より、本当に濃密な時間を野口ゼミと神戸大学で過ごさせてもらいました。そして伊勢や鎌倉、熊野、九州、伊豆など各地の有名な史跡を巡るゼミ旅行も、本当にいい思い出です(熊野旅行では有名な遅刻事件をおこしましたが)。ただ惜しむらくは、もっと早く野口先生にお会いしたかったことです。多分学部の2回生で出会っていたら、迷わず日本中世史を専攻していたと思います。だから今の『『吾妻鏡』講読会や『小右記』講読会などにでている京都女子大の二回生さんが本当に羨ましい限りです。とにかくこの野口ゼミで学んだことを忘れず、四月からは頑張りたいと思います。
もう一つ京都を去るのに残念なのが、京都みなみ会館や京都シネマのようなミニシアター系の映画館が福井には無いということです。特に京都みなみ会館などのような、過去の名作をリバイバル上映してくれる映画館も当然ありません(泣)。また関西の深夜では、たまに『キッズ・リターン』(北野武監督)や『魔界転生』(深作欣二監督)、『フルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック監督)、『機動戦士ガンダム・逆襲のシャア』、『さらばわが愛・覇王別姫』、『麦の穂をゆらす風』(両方の作品ともに、カンヌでパルムドール賞獲得)などの、過去の名作映画が普通に流れていて、それも見る事が出来なくなるかと思うと映画ファンとしてはかなり残念です(泣)。
最後に余談ですが、現在『レッド・クリフ』とかいうわけの分からない映画が一応ヒットしているようですが、同じ中国映画なら、上に書いた『さらばわが愛・覇王別姫』は是非みてください。中国映画のナンバー1です。舞台は清朝末期から文化大革命までで、中国の伝統芸能である京劇の劇団員の愛憎劇と時代に翻弄される姿を描いた希に見る傑作映画です(ちなみにこれも大津会館でリバイバルでみました)。
最後の最後に、おそらく先生が学生時代から愛用されていると思われる大事な研究史料である『吾妻鏡』を破ってしまうという大失態を犯してしまいました。本当に最後の最後まで御迷惑をおかけしてすいません。
とにかく来年度は、京都で学んだ経験を活かして、また地元の福井で、自分を鍛える覚悟で頑張りたいと思います。
また同じ古参のゼミメンバーである鈴木夫妻、田中さんにまで駆けつけてもらって本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
このたび四月から地元の福井県で中学校の非常勤を勤めることになり、長らく住んでいた京都から離れることになりました。史跡好きの自分にとっては、少し残念です(泣)。
もともと京都に来たのが、浪人をするために、1994年の3月頃の今ぐらいだったと思います。また一年間受験勉強かという暗澹たる気持ちと、憧れの京都に住めるという期待の気持ちで、上洛したのを今でも憶えています。今から考えると奇遇なのですが、その浪人生用の寮の場所が、京都女子大の近くの馬町にある河井寛次郎記念館辺りでした。今だから言えるのですが、息抜きと称して、友達と京都女子大の学園祭に遊びに行ったなどりしてました(もちろん大学生と称して・だから二浪したのかもしれませんが・その頃から京都女子大学とは縁があったのかもしれませんね)。その寮では、現在の野口ゼミのように、様々な地域から、様々な個性を持った学生が集まって、いろいろ大学受験の事はもちろん、人生や将来の夢、恋愛のことなど、語り合ったりして、ある意味、受験勉強以外の勉強をしていました。
それから大学に入って、様々な方に出会いましたが、やはり一番劇的な出会いは、大学を卒業してからだと思います。シラバスで野口先生の講義内容を読んで、「面白そうだ」という気持ちで、院生の授業にもぐらせてもらったのが、そもそも野口ゼミ、そして神戸大学という、後の人生を決めた上で、本当にターニングポイントだったと思います。またお会いした当初、先生に名刺を渡されて、京都女子大学と聞いた時は、自分の京都生活の出発点だったので、何か運命めいたものを感じました。
自分は、中公文庫の『日本の歴史』や他の歴史書などを読んで、石井進や土田直鎮、網野善彦、石母田正、永原慶二、上横手先生など、名前は知っていたのですが、その有名な先生方が研究史上、どういう位置を占めるのかが、先生の講義を聞いて、点と点がつながって、自分の中で氷解したのを憶えています。また当時の『吾妻鏡』講読会は、右も左も分からない状態で参加したのを憶えています。その内先生の紹介される本や論文を読むうちに、ますます中世、『大鏡』や吉川英治の『新平家物語』を読んでいたせいか、特に平安後期から鎌倉時代までの事に興味を持ち始め、結果的には大学院まで行き、歴史学を学ばさせてもらい、また野口ゼミでは、いろんな人達に出会い刺激を受け、在籍していた大学の五年間より、本当に濃密な時間を野口ゼミと神戸大学で過ごさせてもらいました。そして伊勢や鎌倉、熊野、九州、伊豆など各地の有名な史跡を巡るゼミ旅行も、本当にいい思い出です(熊野旅行では有名な遅刻事件をおこしましたが)。ただ惜しむらくは、もっと早く野口先生にお会いしたかったことです。多分学部の2回生で出会っていたら、迷わず日本中世史を専攻していたと思います。だから今の『『吾妻鏡』講読会や『小右記』講読会などにでている京都女子大の二回生さんが本当に羨ましい限りです。とにかくこの野口ゼミで学んだことを忘れず、四月からは頑張りたいと思います。
もう一つ京都を去るのに残念なのが、京都みなみ会館や京都シネマのようなミニシアター系の映画館が福井には無いということです。特に京都みなみ会館などのような、過去の名作をリバイバル上映してくれる映画館も当然ありません(泣)。また関西の深夜では、たまに『キッズ・リターン』(北野武監督)や『魔界転生』(深作欣二監督)、『フルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック監督)、『機動戦士ガンダム・逆襲のシャア』、『さらばわが愛・覇王別姫』、『麦の穂をゆらす風』(両方の作品ともに、カンヌでパルムドール賞獲得)などの、過去の名作映画が普通に流れていて、それも見る事が出来なくなるかと思うと映画ファンとしてはかなり残念です(泣)。
最後に余談ですが、現在『レッド・クリフ』とかいうわけの分からない映画が一応ヒットしているようですが、同じ中国映画なら、上に書いた『さらばわが愛・覇王別姫』は是非みてください。中国映画のナンバー1です。舞台は清朝末期から文化大革命までで、中国の伝統芸能である京劇の劇団員の愛憎劇と時代に翻弄される姿を描いた希に見る傑作映画です(ちなみにこれも大津会館でリバイバルでみました)。
最後の最後に、おそらく先生が学生時代から愛用されていると思われる大事な研究史料である『吾妻鏡』を破ってしまうという大失態を犯してしまいました。本当に最後の最後まで御迷惑をおかけしてすいません。
とにかく来年度は、京都で学んだ経験を活かして、また地元の福井で、自分を鍛える覚悟で頑張りたいと思います。