「年賀状」放談

No.6508

 「研究者に正月はない」などと気取って、年末年始は家でPCに向かってほとんど原稿執筆。ワープロソフトは一太郎ですが、一息入れるとインターネットの方に気が向いてしまいます。

 今年もたくさんの年賀状をいただきました。ありがとうございました。
 その中には、貴重な情報が盛りだくさん。

 まず、思いもかけない方から、この掲示板を見ているとのメッセージ。こんなことを書くと、また若い人の書き込みが減ってしまうかも知れませんが、たとえば、学界の重鎮のお一人である某大学の名誉教授の先生など・・・。恐縮の極みでした。

 次に、「なるほど、そう言えば」という情報。
 大の義経ファンの女性(ただし、前川さんではありません)からは、「今年は牛若丸生誕850年」。
 だとすると、「平治の乱勃発850年」の年ということでもあります。中世武士論の研究者にとって、平治の乱は重要なメルクマールであり、これは小規模でも何かイベントを企画しなければならないと思います。たとえば「信西顕彰の夕べ」とか。 

 一方、昨年「篤姫」ブームで湧いた鹿児島からは、「島津斉彬生誕200年」とのお知らせ。
 人気の「篤姫館」も3月まで開館延長とのことなので、「幕末の薩摩」ブームは暫く継続することでしょう。それにしても、昨年は鹿児島の博物館の学芸員の皆様は大変だったことと思います。お疲れ様でした。ちなみに、島津氏成立期の話は大河ドラマにはならないでしょうか。

 大河ドラマの呼び込みといえば、横須賀市の「三浦一族研究会」の活動を思い出します。その関係の方からの年賀状によると、来年、この会が十五周年を迎えるのを記念して、三浦義村に関するシンポジウムを企画する案が浮上している由。これは楽しみです。

 大学・大学院の後輩には博物館で活躍されている方たちが多いのですが、北陸にいる後輩からの年賀状には、ついに「館長」に就任された由。
 ゼミ旅行は、木曾義仲の戦跡を訪ねるという目的にして北陸にしましょうか?
 
 著名な同業の研究者からの年賀状で<厳しかった>のは、「この冬、野口さんの御論をいくつか拝読中です」というもの。
 結果が気になります・・・が、ありがとうございます。

 和歌文学の研究者の方からの年賀状には、藤原良経の和歌が記されていました。

    見ぬよまでおもひのこさぬながめより
         むかしにかすむ春のあけぼの

 夕刻、年賀状を出しにポスト(御蔵山中央のバス停前-岩田君だけが知っている)に行ったところ、比叡山の方に大きな虹が立っていました。「こいつぁ、陰陽師の出番だぜ!」と思ってしまうのは、『吾妻鏡』講読会(上級)のせいに違いありません。
 ちなみに、陰陽師と言えば、元日のテレビ大阪の特集番組に、山下克明先生が出ておられました。新年早々にお目にかかれて嬉しい限りでした。

 >山岡さん・尻池さん・満田さん 修論、もう一息がんばってください。

 >江波さん 大晦日からの御奉仕、お疲れ様でした。これから六波羅に戻られるなぞ、「厳島内侍」さながらの御活躍ですね。

「年賀状」放談二丁目

No.6509

 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

 お正月は初詣。そんなわけで今年も三が日は初詣客で賑わう八坂神社門前でバイトしておりました。今年は昨年と比べどことなくお客様の財布のヒモも固めのご様子でしたが、なによりもの大きな違いは、アジア(中国系)からの外国人旅行客の姿が激減したことでしょうか。昨年は、北京オリンピックを前にした空前の好景気に沸く(?)中国からの観光客の方々が京都土産のタンブラーを盛んに大人買いしていたのですが、今年はそんな方々の姿は気配すら漂いません。

 以上、頂戴した年賀状のお返事が遅れた言い訳でした。ただいま鋭意作成中につき、このあと野口先生と同じポスト(御蔵山中央のバス停前)まで投函しに行ってこようと思います。

「たらふくまんま」との再会

No.6505

 新年、明けましておめでとうございます。
 本年も、京都女子大学宗教・文化研究所ゼミナールを宜しくお願い申しあげます。

 元木先生には、過分なお言葉と、年頭を飾るに相応しい素晴らしい御挨拶をいただき、恐縮いたしますとともに、たいへん有り難く存じました。
 御提言は、歴史学に携わる者、志す者すべてが肝に銘ずべきことだと思います。
 本年もまた、よろしく御教導の程、お願い申しあげる次第です。

 さて、私の近況ですが、久方ぶりに、少しばかり正月気分を味わっていたところ、どうやら過食と運動不足の相乗効果が現れてきたようで、今朝、鏡を見たところ、むかし、むかーし、どこかで出会ったことのあるような、太ったむさ苦しいオジサンの姿がそこにありました。
 記憶の糸をたぐると・・・
 私が小学生の頃、学校を通じて定期購読していた学研の雑誌に『○年の学習』というのがあり、それに馬場のぼる作の漫画が連載されていました。タイトルは「たらふくまんま」。主人公の名前です。「たらふくまんま」は、肥満で、髪の毛ぼうぼうの原始人。幼かった妹が大好きだったキャラクターでした。
 今朝、鏡に映った私の姿はまさに彼そのものだったのです。

 なつかしい人との再会といえば、小学校低学年の時に彼が転校して以来、会うことのなかった幼稚園時代のいちばんの友達から年賀状が届き、この三月頃再会が叶うことになりそうです。なんという偶然か、専攻こそ異なりますが、彼も現在、大学の教授をしています。
 人生というのは本当に不可思議なものであります。

ゼミ、この一年

No.6499

 大つごもり。帰省中の方々は、巫女さんをされていたり、お餅つきをされていたり、楽しく過ごされているようで、何よりだと思います。

 さて、なにごとも最後は必ずやってくる。今年最後の日にあたり、ゼミの活動を中心に、この一年を振り返ってみたいと思います(※は野口)。

【1月】
 科研報告書の作成(ゼミ関係者の援助)・『紫苑』第6号の編集作業(山岡編集長の活躍)
※ 27日、中世戦記研究会(都立九段中等教育学校)で『曽我物語』巻八の輪読担当(佐伯君・伊藤さん参加)
【2月】
 『紫苑』第6号入稿
※ 拙稿「執権体制下の三浦氏」収録の峰岸純夫編『三浦氏の研究』(名著出版)刊行
 ※ 17日、隼人文化研究会(鹿児島市黎明館)で報告(「地域史研究における京都認識-閑院内裏・宇治と南九州・奥羽-」)。
【3月】
   研究所『研究紀要』第21号刊行(野口実・佐伯智広・田中裕紀・大原瞳「摂関家の空間における政治と文化(中世前期の宇治に関する総合的研究Ⅱ)」収録)。
1日 米谷豊之祐先生逝去(92歳)
3日・10日 ゼミ史料講読会
9日 神戸大学高橋昌明教授最終講義
13日 国際日本文化研究センター 千田稔教授・今谷明教授退任記念講演会
※ 14日 『台記』研究会(京都大学)で報告(「平家の坂東支配に関する新知見」)
23日 鈴木潤君・永富絵里子さん結婚式(同志社高校チャペル)
26日 ゼミ見学会(宇治市歴史資料館・浄瑠璃寺・般若寺など)
29日 上横手雅敬先生喜寿記念会(ウェスティン都ホテル)
ゼミ機関誌『紫苑』第6号刊行
 ※ 科学研究費成果報告書『閑院内裏の政治史的研究』刊行(資料は佐伯君・長村君・坂口君が分担、作成協力は山岡さん)  
【4月】
3日 ゼミ・ 9日 ゼミ(1回生5名参加)
11日 吉田泉殿跡現地説明会(京都大学構内)
12日 千葉乗隆先生逝去(86歳)
17日 新たに『小右記』と『吾妻鏡』(治承四年)の史料講読会を開始
19日 ゼミ史跡見学会(木幡~宇治)
24日 ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』) 26・29日(『吾妻鏡』)
【5月】
8・15・22・29日 ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』)
10・13・20・27日  ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
14日 角田文衞先生逝去(95歳)
18日 歴史学研究会大会(早稲田大学、岩田君・佐伯君・伊藤さん参加)
24日 日本研究会例会(機関紙会館)
 ※ 「書評と紹介 落合義明著『中世東国の「都市的な場」と武士』」掲載の『古文書研究』第65号刊行
【6月】
 ※ 2日 京都労働学校出講(テーマ「京都と鎌倉-王権の行方-」)
3・17・24日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
5・12・19日  ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』) 
13日 愛知より野口洋平君上洛
16日 東大史料編纂所高橋慎一朗先生とゼミの懇親会(市場小路寺町)
22日 中世戦記研究会(学習院大学、伊藤さん・長村君出席)
28日 研究所公開講座・懇談会・懇親会(里)
 ※ 「書評 村井章介著『中世の国家と在地社会』」掲載の『史学雑誌』第117編第6号刊行
【7月】
3・10・17日 ゼミ史料講読会(『小右記』・『吾妻鏡』) 
8・15・22日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
17日 ゼミ例会報告(小野翠さん「鎌倉将軍家の女房について-源家将軍期を中心に-」)
24日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
 29日  ゼミ公開講座事後勉強会・ 史料講読会(『吾妻鏡』)
【8月】
2日 平安京八条三坊四・五町現地説明会
27・28日 古代史サマーセミナー(広島県宮島、28日 尻池さん報告、岩田君・江波さん参加)
【9月】
    関幸彦・野口実編『吾妻鏡必携』(吉川弘文館)刊行
   (野口担当部分は、岩田君・佐伯君・長村君・坂口君・山本君・山岡さん執筆、岩田君が統括)
4日 学習院大学兵藤ゼミを案内(法住寺殿跡・清閑寺など)    
6・7日 中世都市研究会(東大武田先端知ビル)
※19日 唐津東高校にて出張講義(テーマ「武士の都としての平安京・京都」)
22日 ゼミ(一回生)
※24日 京都SKY大学講演「平安京・京都の歴史」(京都新聞社文化ホール)
29日  ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
30日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
【10月】
2・9・16・30日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
4日 鈴木夫妻結婚祝賀会(ル・デッサン、幹事田中さん)
6・20・27日 ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
7・14・21・28日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
21日 ゼミ例会報告(岩田慎平君「泰時政権下の鎌倉幕府について」)
【11月】
4・11・18・25日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
10・17・24日 ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
13・20・27日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
 ※  26日 『台記』研究会(京大、元木研究室)で研究報告(テーマ「渡宋僧了行と渡元僧道源」
 ※ 「書評 牧野和夫著『延慶本『平家物語』の説話と学問』」掲載の『日本宗教文化史研究』第12巻第2号刊行
【12月】
1日 『紫苑』第7号原稿締切(新編集長は国文4回生の江波曜子さん)
1・8日 ゼミ史料講読会(一回生『吾妻鏡』治承四年)
2・9日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)
4日 ゼミ史料講読会(『小右記』)
14日 茨城大学シンポ「北関東の武士たち」(岩田君・長村君)
15日 筑波山南麓史跡見学(岩田君・長村君・伊藤さん)
※ 20日 鎌倉遺文研究会例会報告「東国出身僧の在京活動と渡宋・渡元」
22日 ゼミ(一回生 昼食会)
23日 ゼミ史料講読会(『吾妻鏡』)

 ☆ 高知大学の市村高男先生より、新刊の御高著『戦争の日本史10 東国の戦国合戦』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 戦国期の千葉氏や里見氏の動向が詳述されていて、千葉の中世史から歴史を志した私には、たまらない内容。少年時代のワクワクした気持ちが甦りそうです。
 四国にありながらも、郷里・東国の歴史を継続して研究されている市村先生に敬意を表したいと思います。
 これに励まされて、私も、来年から、中世前期の東国の歴史について、新たな角度から再チャレンジをはかりたいと考えています。
 市村先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 平泉町世界遺産推進室の千葉信胤先生より、御高論「菅江真澄と平泉」(『真澄学』第4号)を御恵送頂きました。
 千葉先生にあつく御礼を申し上げます。

ゆくゼミ、くるゼミ

No.6500

>野口先生
 この一年の詳細な振り返り、ありがとうございます。
 今年もゼミでの活動を通じて、実に多くの方々と出会う機会を得ることができました。もともと出不精の私にとってはそれは大変ありがたいことでありまして、今年も「あぁ、野口ゼミの…」とお声を掛けて下さいました皆様に深く御礼申し上げます。

 来年も、ゼミへの変わらぬご指導、ご支援をいただきますようお願い申し上げます。

お世話になりました、本年もよろしくお願いします

元木泰雄
No.6502

 野口先生、野口ゼミのみなさん、明けましておめでとうございます。
 昨年は本当にお世話になりました、厚く御礼申し上げます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
 思えば去年は、研究室と自宅という二度の大移転を経験致しました。
 近衛寮への配流は半年に及び、赦免帰還は去年1月末。この間、研究室没官という非常事態に直面したのですが、野口先生には当方の研究会のために研究室をご提供くださり、危機を救ってくださいました。改めて御礼を申し上げます。
 また、6月の転居に際しましては、岩田君に大変お世話になりました。老母を連れた再度の下見、転居後の荷物整理など多大のご尽力には感謝の言葉もありません。本当に有難うございました。
 また野口先生には、上横手先生の喜寿記念会に際し、お心のこもったお祝辞を頂戴致しました。当方の『台記』研究会では二度もご報告を賜り、主席者を裨益してくださいました。本当に有難うございました。
 野口ゼミには当方の研究室メンバーも参加さえていただいております。正確にいえば、野口ゼミのメンバーが当方の研究室に属すようになったのですが。それはともかく、彼らをご指導くださったことに心より御礼を申し上げます。
 今年も、協力して若い諸君を叱咤、激励してゆきたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。
 
 歴史的な経済危機の中、人文科学は存続すら危ぶまれる事態に直面しております。しかし、経済面でも政治面でも根本的な価値観さえもが大きく動揺するときにこそ、歴史学が重要な意味をもつと存じます。
 過去の危機への対応の具体例を解明するのはもちろん、価値観の転換の中でも変わらない人間のあり方の本質を問い直せるのが、歴史学だからです。極端な言い方をすれば、歴史学をおろそかにし、政治的に歪曲する国は滅亡すると思います。
 こうした時代の中で、歴史学を守り、発展させるにはどうすべきか、学問を志す者は自身にできること、なすべきことを常に意識する必要があると存じます。
 歴史学を志すことの重要性と、意義を認識し、危機に立ち向かいたいと思います。
 何卒、今年もよろしくお願い申し上げます。
 

木曾義仲の父、帯刀先生義賢について

No.6497

 >>No.6477>>No.6493で『木曾義仲のすべて』を紹介させて頂きましたが、これに関連して、義仲の父義賢について書いた本はあるのかという御質問の声が届きました。

 拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』所収の「城外の乱逆」や『源氏と坂東武士』でも触れておりますが、いちばん読んで頂きたいのは、上横手雅敬先生の「院政期の源氏」(御家人制研究会編『御家人制の研究』吉川弘文館、1981)です。
 義賢が甥の義平に討たれた久寿2年(1155)の武蔵国大蔵合戦を保元の乱の前哨戦と捉え、また頼朝の挙兵の背後に後白河院の意志の存在したことを明確に指摘した点においても、僭越な申し様で恐縮ですが、もっと評価されるべき論文だと思います。

 ◇ 『古代文化』第60巻第3号が刊行されました。辻浩和君の「後白河と〈都市民〉」が掲載されています。
 史学・国文などのジャンルを問わず、平安末~鎌倉初期を研究対象としている方すべてに裨益多い論文です。

 ☆ 宮田敬三先生から、御高論「屋島・壇ノ浦合戦と源義経」(川合康編『平家物語を読む』吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 宮田先生に、あつく御礼を申し上げます。  

広島大学大学院 2月の院試案内

No.6495

 当ゼミ出身(今もメンバー)の尻池さんが進学された広島大学大学院の下向井龍彦先生より、2月の院試案内の紹介についての御依頼を頂きましたので、以下に掲載いたします(下向井研究室の組織力・行動力の素晴らしさについては、今夏の「古代史サマーセミナー」で実証済みのことと思います)。
 なお、「尻池さん、がんばっています」とのメッセージも頂きました。嬉しい限りです。

           ☆    ☆    ☆    ☆    ☆
   広島大学大学院教育学研究科下向井研究室(SHIMOKEN塾)で平安時代史の研究しませんか

 大学院博士課程前期課程では第2次募集を行います。
 出願期間 2004年1月5日(月)~9日(金)
 受験日時 2004年2月12日(木)英語
             13日(金)午前:専門科目、              午後:口述試験
 [募集要項]には次のように書かれています。
 学校教育と生涯学習社会のつながり及び生涯発達を視野に収め,各発達段階における地理歴史・社会科学認識の形成過程と論理を,教育現場でのフィールド・リサーチを中心とした科学的手法を用いた研究によって解明し,これらの研究を踏まえて社会認識の教育的意義や教育方法,内容等に関する研究・教育を展開します。
 [募集要項]を読んだだけでは、とてもここで日本史の研究ができるとは思えませんが、「内容等に関する研究」のなかに、実は日本史の研究も含まれているのです。
私の研究室(SHIMOKEN塾)で仲間達と一緒に奈良平安時代史(王朝国家論)の研究をしてみようか、という人、是非、受験してみて下さい。現在、塾生は、教育学部・文学部の院生・学生など10数名。

 院生以上の塾生の研究テーマは、
 「平安時代対外関係史/平安時代国家財政論」(広島大学研究員)
 「平安時代の祭礼と武士」(文・D2)
 「平安時代の勝負儀礼と舞楽」(教・D1)
 「平安時代の受領統制」(教・M2)
 「摂関家と宇治」(教・M2)
 「平安時代の国衙と郡司」(教・M1)

 受験科目
 英語(全専攻共通)。25点に満たないと不合格。英和辞典持ち込み可。
 専門科目
 社会科教育学・日本史
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 下向井龍彦
 広島大学教育学部社会認識教育学講座
 〒739-8524 東広島市鏡山1-1-1
 Tel & Fax 0824-24-7065(直通)
 E-mail shimoken@hiroshima-u.ac.jp
 ======================

 ☆ 上記の御案内を頂いた下向井龍彦先生より、先生が研究代表者である科研研究成果報告書『律令国家・王朝国家の国家軍制に関する総括的研究』と御高論「明経生中原師重の明経得業生進学をめぐって-『小右記』長和三年十月~十二月条から-」(『日本歴史』727号)、御講演要旨「藤原純友の乱の実像」(『伊予史談』350号)を御恵送頂きました。
 下向井先生に、あつく御礼を申し上げます。  

『木曾義仲のすべて』の内容紹介

No.6493

 >山本さん  書き込みをありがとうございました。
         日本中世史に取り組むに素質十分。嬉しい限りです。
         年末年始の休暇の間に、たくさん本を読んでおいて下さい。


 ◎  >>No.6477で刊行をお知らせした『木曾義仲のすべて』の内容(各論テーマと執筆者)について、あらためて紹介させていただきます。

 「木曾義仲-物語と史実」・・・・ 樋口州男(専修大学非常勤講師)
 「木曾義仲の出自」・・・・・・・ 戸川 点(都立松原高校教諭)
 「木曾義仲と北陸合戦」・・・・・ 櫻井 彦(宮内庁書陵部主任研究官)
 「木曾義仲の武士団」・・・・・・ 松井吉昭(都立向丘高校教諭)
 「法住寺合戦」・・・・・・・・・ 長村祥知(日本学術振興会特別研究員・京大院DC)
 「木曾義仲の最期」・・・・・・・ 錦 昭江(鎌倉女学院中・高校教頭)
 「義仲にまつわる女性-史実と物語のあわい」・・・・・源健一郎(四天王寺大学准教授)
 「近世・近代の木曾義仲-『義仲勲功図会』から『木曾義仲勲功記』へ」・・・鈴木彰(明治大学准教授)
 「英雄論のなかの木曾義仲」・・・ 久保 勇(千葉大学助教)
 「木曾義仲関係史蹟を歩く」・・・ 川鶴進一(早大本庄高等学院教諭)・樋口州男・島崎直人(平塚市
                  立旭小学校教諭)・松井吉昭・野口孝子(同志社女子大学嘱託講師)
 「木曾義仲関係人物事典」 ・・・ 石附敏幸(開成高校教諭)・川鶴進一・堀内寛康(都立高校嘱託)
 「木曾義仲関係年譜」・・・・・・ 根本隆一(駒沢学園女子高非常勤講師)
 「木曾義仲文献目録」・・・・・・ 今西康二(愛知県立尾西高校教諭)・羽原 彩(博士〔文学〕)

 ☆ 長野工業高専の中澤克昭先生より、新刊の御編著『歴史のなかの動物たち2 人と動物の日本史』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 収録論文のうち、中澤先生の「狩る王の系譜」ならびに中込律子氏の「王朝の馬」は中世前期武士論研究にとっても貴重な研究成果だと思います。
  中澤先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 秋田大学の志立正知先生より、新刊の御高著『〈歴史〉を創った秋田藩 モノガタリが生まれるメカニズム』(笠間書院)を御恵送頂きました。
 秋田藩主佐竹氏が自らを源義家の後裔とするという虚構をつくりだした背景について、歴史学・国文学の枠組みを超えて追究した労作で、これまた武士論研究にとって裨益の大きな労作です。
 志立先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 駒場東邦中・高校の田中大喜先生より、御高論「平家一門の実像と虚像」(川合康編『平家物語を読む』吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 田中先生に、あつく御礼を申し上げます。

京都は初雪。附、御寛恕のお願い二件

No.6486

 今朝の京都は周囲の山に冠雪が見られてなかなかの風情。しかれども、寒いこと尋常ではありません。そろそろ床屋さんに行かなければならないのですが、ここで髪を切ったら風邪を引くこと必定。むさ苦しい姿のままで、年を越すことになりそうです。周囲のみなさまの御寛恕を請う次第です。

 昨夜は四条で、上洛中の近藤好和先生を囲んでの大宴会。上横手先生・元木先生御師弟の間に席をえて、充実の時を過ごすことが出来ました。ついで、長村君と酔い覚ましに祇園に繰り込み、というのは虚言で(長村君はウーロン茶オンリーでした)、ただコーヒーを飲みに岩田君ゆかりのお店に行って歓談。店を出た時間のタイミングが良かったようで、京阪電車の特急、宇治線、京阪宇治バスの最終便と乗り継ぎ順調で、45分ほどで自宅に帰着することができました。
 なお、元木先生・近藤先生ご一行が二次会・→・→・・・へ行かれたことは言うまでもありません。

 寮生の皆さんは既に帰省の途につかれたことと思います。御家族と楽しいお正月をお迎え下さい。

 当方は、昨日、本当は10日締め切りの季刊誌の原稿を、ようやく添付ファイルで送信したという体たらく。これから、本年中に済ませなければならない最低限の「残務処理」にとりかかり、お正月には何とか中断中の原稿に手をつけたいと考えているところです。 そのような次第で、年賀状は三賀日は無理でも、松ノ内にはお届けできるように努力したいと存じますので、これまた御寛恕のほどお願い申し上げます。

前途に希望の見えてきた史料講読会

No.6485

 薗田さん、詳報をいただき恐縮に存じます。
 大河ドラマで「篤姫」が放送された年のサプライズということで、故郷の方々もしっかりと記憶にとどめられることでしょう。
 ちなみに、私が鹿児島に赴任した翌年正月からの大河ドラマは「翔ぶが如く」でした。

 さて、昨日(23日)の『吾妻鏡』講読会は、鈴木さんのお土産のほかに、岩田君が東京のお土産と例の美味しいシュークリーム、いつものコーヒーを持参して下さいましたので、ちょっとしたティ・ーパーテイーならぬコーヒー・パーティーと相成りました。
 嬉しかったのは、前日進路相談に見えた一回生の大倉さんが参加してくれたこと。それから、治承四年の記事に比べて、かなり難しい条文を山本さんがしっかりと読み下してくれたことでした。
 嘉禎年間の南都強訴について、熊谷隆之氏の論文に学びつつ、良い勉強が出来たと思います。
 
 江波さんの卒論(控)は目下拝読中ですが、流石になかなかの出来だと感心しております。

 今年のゼミはこれで終了ですが、私は図書館の開いている26日までは、研究室にいることが多いと思いますので、何か御用のある方は、電話かメールで在室を確認の上、遠慮なくお越し下さい。

 先週から風邪気味なのですが、明日の夜は四条橋のあたりに出没すべく、体調を整えております。

史料講読会のお礼

山本みなみ
No.6487

 野口先生、先輩方、先日の講読会ではお世話になりました。鎌倉遺文と吾妻鏡の両面から南都強訴をみていくのは、とてもおもしろかったです。
 当時と現在の価値観が異なることや文書は動画ではなく静止画(写真)で、個々の政治過程のひとつにすぎないことなど、いろいろと勉強になりました。また、武力が背景にあったとはいえ、文字の力というものを改めて感じ、ますます興味がわきました。条文の読み下しについては、つまらずに読めるよう更に頑張りたいと思います。今後ともご指導の程よろしくお願い致します。

 無事帰省の途につき、実家を満喫しています。
 それでは、良いお年をお迎えください。

希望という名の列車

No.6488

 山本さん、書き込みをありがとうございます。
 これは「京都女子大の」掲示板なのですが、それは大学の学生さんが書いてくださればこそなのです。ゼミでは代々「山本さん」が活躍してこられましたので、山本さんの今後のご活躍に期待致します。いろいろな史料を読む楽しさをみなさんと共有できたのは良いことだったと思います。

 来年はまた火曜日に『吾妻鏡』を読んでいきたいと思いますが、再開は1/13(火)を予定しております。
 範囲は以下の通りです。
『吾妻鏡』延応二年(仁治元年、1240年)十一月二十一日・二十三日・二十八日・二十九日・三十日、十二月十二日・十五日・十六日・二十一日
     仁治二年(1241年)正月二日・十四日・十七日・十九日・二十三日・二十四日、二月七日・二十二日・二十三日・二十五日・二十六日、三月十六日・十七日・二十日・二十五日・二十七日、四月二日・三日・五日・十六日・二十五日・二十九日、五月六日・十日・十四日・二十日・二十九日、六月八日・十一日・十六日・十七日・十八日・二十八日、七月八日・二十六日、八月十一日・十五日・二十五日・二十八日、九月三日・七日・十日・十一日・十三日・十四日・二十二日、十月十三日・二十二日、十一月三日・四日・十七日・二十一日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、十二月一日・五日・八日・十三日・二十一日・二十四日・二十七日・二十八日・二十九日・三十日、の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

明日は今年最後の『吾妻鏡』講読会です。

No.6481

 先ずはじめに、「薗田さん、おめでとうございます!!!」。

 明日の『吾妻鏡』講読会は、実質的に今年最後のゼミの集まりと言うことになると思います。新旧を問わず、常には講読会に参加されていない方も含めて、多くのメンバーの御参集を期待しています。
 15:00より 研究所共同研究室にて 

 本日は、午前中、一回生『吾妻鏡』の打ち上げ(昼食会)。専攻領域は異なることになっても、継続して『吾妻鏡』を読み進めることになりました。

 午後、久しぶりに鈴木(旧姓永富)絵里子さんが研究室を訪ねてくれました。来年度からの新しい方向性を模索中の由、常に前進の姿勢は流石です。
 ちょうど、そこに史学科1回生のお二人が進路相談に見えたので、一緒に相談に乗ってもらいました。このお二人にとっても、私にとってもほんとうにグッドタイミングなことでした。
 このお二人にも、明日のゼミへの参加をお誘いしたのですが、如何なる結果となるでしょうか?
 なお、明日のゼミ出席者には、鈴木さんがお土産に持ってきて下さった甘春堂のお菓子が用意されております。鈴木さん、どうもありがとうございました。

 夕刻は、卒論提出を済ませてから、まだちょっと一日を過ごすペースが落ち着かないとおっしゃる江波編集長と『紫苑』編集の相談。

 >江波さん 文庫版(日本古典全集)の『御堂関白記』、見つかりました。明日お持ちしましょう。

 茨城大学の高橋修先生より、2年にわたって茨城大学で開催されたシンポジウム「北関東の武士(もののふ)たち」の成果が出版されることになったとのお知らせがあり、岩田君・長村君にも執筆の御依頼を頂きました。ありがたいお話しだと思います。
 よろしく、お願い申しあげます。

ありがとうございます(ご報告)

No.6483

野口先生、ご祝辞ありがとうございます。

私事で恐れ入りますが、じつは年明け早々に入籍することになりました。
今年のはじめに鈴木さんの披露宴に呼んでいただき、ステキだなぁ~と思っていた矢先、
まさか自分にもこんなサプライズが待っているとは、思いもよりませんでした。

入籍に伴い、苗字が「黒岩」に変わるのですが、職場では「薗田」姓を名乗りますので、
これまでどおり「薗田さん」と呼んでいただいても、支障はございません。
式など諸々の予定は未定ないのですが、そのさいはあらためてご報告させていただきます。

なお、こういった事情がございまして、今月のはじめに転居しました。
一部の方にはお伝え済みなのですが、もしもお知りになりたい方がおいででしたら、
お手数おかけして誠に申し訳ないのですが、ご一報いただきたくお願い申し上げます。

転居したばかりで、まだまだむさくるしい状態ですが、一軒家になりましたので、
片付けなどひと段落しましたら、たいしたお構いは皆様あそびにいらしてください。

年の瀬のご報告になってしまい誠に恐縮なのですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

「帰洛な稼業」は「気楽」とは言えない話

No.6480

 先ほど京都に帰って参りました。毎週、離洛しては帰洛する。「帰洛な稼業」とは、こういうことを言うのだと思います。

 さて、昨日は早稲田大学で開かれた鎌倉遺文研究会第147回例会において、「東国出身僧の在京活動と渡宋・渡元」と言うテーマの報告をさせて頂いて参りました。
 会の予告に掲載して頂いた「報告者の一言」は、以下の如しです。

 「鎌倉時代、千葉氏一族の出身で京都権門をパトロンとして宋や元に渡り、経典を日本に将来した了行・道源という二人の僧の存在を紹介する。了行については渡宋を裏付ける新出の史料について検討すると共に、九条家と密着した彼の行動と宝治合戦前後の千葉氏一族の去就を関連づけて考察する。道源については、その出身と周辺の文化環境について明らかにする。これらを踏まえて東国武士の在京活動について再評価してみたい。」

 要するに東国武士の在京活動について考えるための材料を、東国出身の渡宋・渡元僧の活動に探っただけのものなので、タイトルには「東国武士研究の視点から」というような副題をつけておくべきだったと反省しています。

 ほかに多くの日本中世史関連の研究会が開催されていた中、わざわざ御出席下さいました皆様方にあつく御礼申しあげます。拙い話であったにも拘わらず、樋口州男先生に、「来た甲斐があった」と言って頂けたのが救いでした。久保田和彦先生に久しぶりにお目に掛かれ、また、錦昭江先生と鎌倉と京都の女子中・高・大の連携歴史教育についての構想を語る機会を得ることが出来たのは幸いでした。

 いずれにしましても、このような貴重な機会を与えて下さった海老澤衷先生と、いろいろとお世話になった海老澤研究室の院生の皆様に重ねて御礼を申し上げる次第です。

 なお、報告内容は論文化して『鎌倉遺文研究』に投稿させて頂く予定です。

 さて、当ゼミ関係者の次の東国出陣は、岩田慎平君。来年2月、歴史学研究会の部会報告です。ちょうど懇親会の後、早稲田駅に向かう途中でお目に掛かることのできた(しばしば、当家の一族と誤解されて御迷惑をお掛けしている)野口華世さんにも、ぜひ御出席下さるようにお願いしたのですが、中世前期を専攻されている関東の若手研究者の皆様には、挙って御参集下さいますように、お願い申しあげておきたいと思います。
 このところ、中世前期の武士が列島をまたにかけて移動することにより、大きなネットワークを形作っていたのに比べて、それを研究対象にしている我々の方が余程地域的に固まりすぎていることを実感させられることが多く、ぜひ若い方々には交流の機会を増やして頂きたいと考える次第です。

 ところで、20日は大学で卒論提出日の喧噪を「観戦」し(時に、血相を変えて糊とかハサミとかを「貸して下さ~い」と、研究室に飛び込んでくる方がおられますので)、また提出直後の簡単な慰労会を開催したいとも思っていたのですが、不在にてたいへん失礼いたしました。
 江波さんも、ゆっくり休んでひと区切りがついた事と思います。そこで、すぐにこういうことを言うのは酷かとも思いますが、・・・『紫苑』をよろしく!
 
 なお、一回生のゼミメンバーの皆さん、明日の『吾妻鏡』講読会は、今年の打ち上げ(昼食会を含む)ですので、そのおつもりで。

☆ 茨城県立歴史館の宮内教男先生より、当方の共同研究に関わる貴重な情報の御教示を頂くと共に御高論「「開基帳」にみる中世常陸北部の真言宗」(『茨城県立歴史館報』34)および先生御担当の『茨城県立歴史館史料叢書 鹿島神宮文書Ⅰ』を御恵送頂きました。
 御教示頂いた史跡は、ぜひ機会をみて見学にうかがいたいと存じております。
 宮内先生に、あつく御礼を申し上げます。なお、今後とも何卒宜しくお願い申しあげる次第です。