木曾義仲の父、帯刀先生義賢について
No.6497
>>No.6477と>>No.6493で『木曾義仲のすべて』を紹介させて頂きましたが、これに関連して、義仲の父義賢について書いた本はあるのかという御質問の声が届きました。
拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』所収の「城外の乱逆」や『源氏と坂東武士』でも触れておりますが、いちばん読んで頂きたいのは、上横手雅敬先生の「院政期の源氏」(御家人制研究会編『御家人制の研究』吉川弘文館、1981)です。
義賢が甥の義平に討たれた久寿2年(1155)の武蔵国大蔵合戦を保元の乱の前哨戦と捉え、また頼朝の挙兵の背後に後白河院の意志の存在したことを明確に指摘した点においても、僭越な申し様で恐縮ですが、もっと評価されるべき論文だと思います。
◇ 『古代文化』第60巻第3号が刊行されました。辻浩和君の「後白河と〈都市民〉」が掲載されています。
史学・国文などのジャンルを問わず、平安末~鎌倉初期を研究対象としている方すべてに裨益多い論文です。
☆ 宮田敬三先生から、御高論「屋島・壇ノ浦合戦と源義経」(川合康編『平家物語を読む』吉川弘文館)を御恵送頂きました。
宮田先生に、あつく御礼を申し上げます。
拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』所収の「城外の乱逆」や『源氏と坂東武士』でも触れておりますが、いちばん読んで頂きたいのは、上横手雅敬先生の「院政期の源氏」(御家人制研究会編『御家人制の研究』吉川弘文館、1981)です。
義賢が甥の義平に討たれた久寿2年(1155)の武蔵国大蔵合戦を保元の乱の前哨戦と捉え、また頼朝の挙兵の背後に後白河院の意志の存在したことを明確に指摘した点においても、僭越な申し様で恐縮ですが、もっと評価されるべき論文だと思います。
◇ 『古代文化』第60巻第3号が刊行されました。辻浩和君の「後白河と〈都市民〉」が掲載されています。
史学・国文などのジャンルを問わず、平安末~鎌倉初期を研究対象としている方すべてに裨益多い論文です。
☆ 宮田敬三先生から、御高論「屋島・壇ノ浦合戦と源義経」(川合康編『平家物語を読む』吉川弘文館)を御恵送頂きました。
宮田先生に、あつく御礼を申し上げます。