安芸宮島から帰洛の御報告

No.6359

 昨晩、一足先に、古代史サマーセミナーの開かれている安芸宮島から京都に戻りました。
 実行委員会を受け持たれた広島大学の皆様(とくに院生の方たちのチームワークの良さには感心致しました)にはたいへんお世話になりました。あつく御礼を申し上げます。

  中世前期と時期区分してもよい内容の報告も多く、大変勉強になりました。
 私の参加した分科会の報告の範囲での意見ですが、やはり自分が年寄りになったからかも知れませんが、先行研究の継承という点で不安を感じたところもありました。また、事実の解明の成果は素晴らしいのですが(PCを存分に活用して、昔なら作成に相当の時間を要するようなデータが、報告資料に添付されていることなども)、それを政治過程の中にどう位置付けられるかが不明確であるのが、気になるところでした。

 そもそも「歴史学」というものにたいするスタンスが、1960~70年代に学生生活を送った私たちの世代と今の院生世代の方たちと異なる部分がある。当たり前なのかも知れませんが、そんなことを考えさせられました。

 何れにしましても、全国各地から集まった様々な立場の方々に、自分の研究成果を発表し、批判を受けると言うことはとても大切なことだと思います。
 尻池さんも着実に実力を蓄えられているようで、たいへん嬉しく思った次第です。

 なお、昨日午後は、建築史の三浦正幸先生の御案内で厳島神社社殿をじっくりと見学する機会を得て、これは宇治・法住寺殿を考える上で大収穫でした。

 ゼミ関係者では、広島大院に進学された尻池さん、尻池さんに続くべく頑張っている地元出身の江波さん、それに前夜12時まで祇園で労働の後、ほとんど徹夜で尻池さんの報告前(午前9時)に宮島に到着するという離れ業を成し遂げた岩田君が参加。ゼミ旅行の観なきにしもあらずといったところでした。

 ちなみに、私は一昨年9月初めに、ゼミメンバーと宮島に出かけたときに利用した宮島口のホテルに宿泊致しました。あれからもう2年が経過したとは、本当に時の流れの速さを感じます。

古代史サマーセミナー参加記

No.6363

 野口先生と一日違いで参加してきました【第36回古代史サマーセミナーin広島県宮島】から先ほど帰洛しました。非常に濃密な二日間で、私にとっても大変貴重な機会でした。

 事務局として運営を担われました広島大学の皆様にはしっかりした「チームワークの機能美」を見せていただきました。院生・研究生として、かくありたいものです。
 分科会には少し遅刻してしまったのですが、普段とは違う場所でいろいろな方のお話を伺うのはそれだけで勉強になりますが、それゆえに、もっと自分から動いて視点や意見の異なる方々とさらに意見交換する必要を痛感しました。それから、もっとゆっくり喋らなければと反省しました。
 「宇治における摂関家の儀礼」というテーマでご発表された尻池さん(ゼミの広島支部長?)のお話からは、ちょうど最近の『吾妻鏡』の講読会で読んでいた嘉禎四年の九条頼経上洛にまつわる重要な情報をいただくこともできました。ヒントはいろんなところに転がっていますね。

 厳島神社は一年半ほど前にも一度訪れたことがあるのですが、今回、三浦正幸先生のご案内で見学できたことで「先達はあらまほしき」を実感しました。懇切なご案内に対する乱暴な理解ではありますが、平清盛は海の上に壮麗な寝殿造の殿舎を造ってしまったということのようですね。それから、「景観破壊」も数百年続けるとそれなりに馴染んでしまうというちょっと危険なことも知りました。
 また、ご家族の出身の大学が私と同じという縁で、厳島の大願寺をご住職のご案内で(こっそりと)見学させていただくという貴重な経験もできました。

 サマーセミナーでは、晩ご飯の席がすごい先生のお隣だったり、すごい先生と同部屋だったりといったことが起こると聞いており、人見知りする私としては甚だ不安だったのですが、その点も案外に楽しむことができました。それから、ある程度の出費(泣)を覚悟すれば、前夜にクローズ作業をしても翌朝9時前には宮島に着けることがわかりました。ちょっとだけ、「24時間戦」ったような気持ちになりました。
 

Re: 安芸宮島から帰洛の御報告

尻池由佳
No.6364

野口先生、孝子先生、岩田さん、江波さん、サマーセミナーへのご参加ありがとうござました。久しぶりにお会いすることができ、その上、貴重なご意見もたくさんうかがうことができ、たいへん嬉しかったです。そして、発表の前日、緊張のあまり旅館の部屋をウロウロ歩きまわっていた私に激励のメールをくださった長村さん、ありがとうござました。
今回の発表では、下向井先生をはじめ、大学の様々な方々にご迷惑をかけてしまいましたが、サマーセミナーで発表の機会をいただけたことは、私にとってとても良い経験になりました。やりたいことも課題もたくさん見えてきました!(ただ解決できるかは別ですが…)
これからも発表の度にまわりの方々にご迷惑をおかけしてしまうと思いますが、ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
この度はお忙しいなか、広島まで足を運んでくださり、本当にありがとうござました。次回、お会いできるのを楽しみにしております。それでは。

『吾妻鏡必携』の見本本が届きました。

No.6353

 本日、『吾妻鏡必携』〔吉川弘文館刊、価格(税込)3,780円 、ISBN: 978-4-642-07991-4〕の見本本が届きました。
 当方の分担範囲で執筆をお願いしたゼミ関係の諸姉兄にあつく御礼を申し上げます。
 とくに岩田君には、まとめ役として多大な御助力をいただきました。ありがとうございました。
 公式の刊行予定は9月10日のようですので、その頃には執筆者の方々にも送付されると思います。暫しお待ち下さい。

 >田中さん 「鈴木夫妻結婚お祝い会」の告知、ありがとうございました。ちなみに、「メールを送付した方のお名前」というのが、挙がっていないようですが・・・。

 >尻池さん 御報告、いよいよ明後日ですね。楽しみにしています(私にも大変なお役目がありますが)。
  お天気がすこし心配です。

 >長村君 資料の郵送、ありがとうございました。たいへん助かりました。

備前・備中・備後の旅

No.6362

>野口先生
 『吾妻鏡必携』〔吉川弘文館刊、価格(税込)3,780円 、ISBN: 978-4-642-07991-4〕の見本本到着の由、祝着に存じます。みなさんの力作が世に出るのは喜ばしいですね。

 ところで、先週の8/20(水)~8/22(金)に元木泰雄先生よりお誘いをいただきまして岡山旅行へ行って参りました。遅くなりましたが、以下、少しご報告します。

 初日は岡山駅に集合しまして、閑谷学校、真光寺、備前長船刀剣博物館、福岡の市跡、本蓮寺、西大寺などおもに備前国方面を見学しました。閑谷学校は文字通り閑かな谷間にあり、日が照りつけていたにも関わらず程良い涼さが印象的でした。いまは刀剣博物館もある備前福岡は、吉井川と山陽道がちょうど交差する非常にわかりやすい水陸交通の要衝であることが実感できました。また、西大寺はその吉井川のさらに河口近くに存在し、山門がはっきりと河口(海)の方向を向いていたことから、瀬戸内水系と密接な関係にあったことが伺えました。
 夜は岡山市内の「紅燈家」にて地元のお料理をいろいろと堪能させていただきましたが、当地の名物・ままかりが品切れであったのは少々(かなり?)残念でした。

 翌日は、吉備津神社、妹尾兼康墓、高松城跡、高松城水攻め築堤跡、備中国分寺、宝福寺、藤戸寺(通りすがりに佐々木盛綱像)、鷲羽山など、おもに備中国の史跡を見学したのちに宿舎のある福山へ移動しました。吉備津神社では壮大な社殿に圧倒されました。また、境内では弓道が行われており、地元の高校生のみなさんが技を競い合っていた(諸国一宮神事への武芸謹仕?)ほか、釜鳴神事に使用する釜殿を見学させていただくことができたなど、とても印象的な場所でした。高松城跡および高松城水攻め築堤跡では、天正十年の高松城水攻めについていろいろなことがわかりましたが、とりわけ印象的であったのは、二十年ほど前の水害で足守川が増水した際にあたかも水攻めのごとく付近一帯が水没したときの様子を写した写真を見たことでした。備中国分寺はその周辺も史跡公園として整備されており、のどかな田園風景のなかに浮かぶ五重塔が非常に美しかったです。
 夜は福山駅前の宿舎に併設されていた「酒呑童子」にて、瀬戸内産の魚介類を中心として、各種お造り、各種お茶漬け、ネブト(そういう名前の小魚)の唐揚げなど、小技の利いたお料理たちをたくさんいただきました。

 最終日は、明王院、鞆浦、福禅寺対潮楼、安国寺、沼名前神社から尾道へ移動して浄土寺、西國寺など、おもに備後国の史跡を見学しました。福禅寺対潮楼の堂内から対岸の弁財天福寿堂を眺めたときは、心地よい風が吹き渡り、しばし時間を忘れてのんびりとした心地になってしまいました。浄土寺では本堂などを詳しく紹介していただきながら見学することができました。
 三日間の備前・備中・備後にまたがる旅行で印象的だったのは、いくつもの寺院でそれぞれ立派な五重塔を拝見できたことだったと思います。この地方の文化的・経済的な豊かさを静かに物語っていたような気がします。また、三日間を通してほとんど雨が降ることもなく、美しい景色を楽しみたい場所(閑谷学校、備中国分寺、鷲羽山、鞆浦、など)でことごとく晴天に恵まれたことは僥倖と言うべきでありましょう。
 本年も旅行にお誘いいただきました元木先生に、あらためて御礼申し上げます。

吉備路旅行

元木泰雄
No.6369

 岩田君がお書きのように、今年も漆原先生らと見学旅行にまいりました。
 今年は東京からの参加者が、漆原、佐藤秀成両先生のお二人で、少しさびしかったのですが、関西からは小林基伸先生はじめ6名、そして高知県の池内先生にもご参加いただき、総勢9名となりました。
 今年も好天に恵まれ、充実した旅行となりました。具体的な見学先、コースは岩田君が書き込んでくれたとおりです。
 それにしても、吉備、山陽路には中世の国宝建築が目白押しですね。
 吉備津神社、明王院、浄土寺のいずれも南北朝、室町時代の建築で、当時の山陽地域の繁栄の産物でしょうが、戦乱の中でよく無事であったと思わざるを得ません。
 その多くが、やや薄めの朱色と白壁というのも興味深いところです。
 また、牛窓、下津井、鞆、尾道と、中世の重要港湾を見学できたのも興味深いところでした。対岸に島嶼、背後に山岳、狭く細長い地形が共通するのも、古い港湾に共通する特色でしょう。
 沼地に囲まれた備中高松城の地形が明確に認識できたのも収穫でした。何となく山奥のように思っていたのですが、それでは水攻めはできませんよね。
 高松城のすぐ近くに高さ27メートルもある最上稲荷の大鳥居があったのも印象的でした。倒れたらどうするんだろうと思ってしまいます。
 総社市の、雪舟ゆかりの宝福寺も、室町の三重塔などをもつ森閑とした寺院でした。

 昨年の足摺岬の豪快で爽快な景色も素晴らしかったですが、鷲羽山の穏やかで紺碧の海と木々の緑、それに瀬戸大橋があいまった景色も、見事なものでした。その直前に訪れた藤戸の藤戸寺には鎌倉期の五重の石塔があり、合戦の逸話の真偽はともかく、この地の由緒を物語っておりました。すぐ近くに、最近作られた佐々木盛綱?の像がありましたが、地元にとってはあまり芳しい人物ではないと思うのですがねえ。
 夕食はもちろん充実していましたが、たまたま訪れた備中国分寺横のラーメン屋の冷麺、尾道の港近くの中華料理など、大当たりでした。

 それはともかく、今回、運転をご担当いただいた岩田君、花田君には深く感謝申し上げます。とくに、狭い大変な道を運転していただき、本当にご負担をかけたことと存じます。厚く御礼申し上げます。
 鞆の浦、尾道は車を止めてゆっくり歩くべきところかもしれません。

 昨年に続き、今回も3日間晴天。晴れ男は土佐の豪快先生こと、池内敏彰先生でした。先生が所用で3日目のお昼にお帰りになるや、突如雲行きが怪しくなってしまいました。来年は最後までご一緒していただきたいものです。
 ちなみに、先生は昨年の「21発発言」に続き、今年は39度発言。「いまどき気温は39度くらいないといかん」。いつも話題を提供してくださいます。

 来年の見学先は伊予が候補です。たぶん修論を終えた山岡さんにもご参加いただけると思うのですが、地元ではどうもと言われそうですね。
 野口ゼミ関係者の積極的なご参加を期待しています。
 

映画『男はつらいよ』から

No.6375

 備中国分寺や建設直後の因島大橋は、『男はつらいよ 』シリーズの32作目「口笛を吹く寅次郎」(1983年公開)に登場します。

 ☆ 文教大学の中村修也先生より、新刊の御高著『謎解き 古代飛鳥の真相』(学研M文庫)を御恵送いただきました。
 中村先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 京都大学大学院生の辻浩和君より、御高論「天理図書館蔵『蹴鞠記』抄出-『順徳院御記』逸文と成通説話-」(『日本史研究』552)を御恵送いただきました。
 辻君に、あつく御礼を申し上げます。

鈴木夫妻結婚お祝い会のお知らせ

No.6350

難航しておりました日程の調整が終わりました。
古参メンバーには、昨日メールでお知らせしましたが、メールのやりとりだけでは不安なので、こちらにも掲載いたします。

今年3月にご結婚された鈴木くんと永富さん(旧姓)のお祝い会を、10月上旬に行いたいと思います。この数年で、野口ゼミのメンバーも色々と事情の変わったことと思いますが、出来るだけ日程調整のうえ、参加していただけると嬉しく思います。

開催日:10月4日(土) 夕方より
 場所は京都市内のレストランを予定。
 詳細は9月上旬に、参加者のみお知らせ致します。

現在、メールを送付した方のお名前を挙げておきます。「メールが来てないよ!」という方は、参加・不参加の確認をしたいので、上記メールアドレスより直接ご連絡くださいませ。また、その際メール本文にお名前を入れて頂きますよう、お願いいたします。

Re: 鈴木夫妻結婚お祝い会のお知らせ

田中裕紀
No.6354

野口先生、ご指摘ありがとうございました。ご案内を送りました方は、以下の通りです。
有村、岩田、佐伯、薗田、高木、田中、長村、滑川、野口先生ご夫妻、野口、平田、広政、山内、山岡、山田、山本(敬称略)
9月5日を、出欠確認の〆切にしたいと思いますので、必ずご返信いただきますよう、お願い致します。また、迷惑メール対策をとられている方もおられるかと思いますので、上記の方のメールアドレスをご存知の方は、周りへのお声かけも重ねてお願い申し上げます。

鈴木夫妻結婚お祝い会 追記

田中裕紀
No.6391

ご連絡が遅れており、申し訳ありません。
ただいま、レストランと打ち合わせ中です。今週中には、出席者の方へ詳細を送信させて頂きますので、しばしお待ちください。

いよいよ中世サマーセミナー開催。

No.6348

 鹿児島で15年ぶりの中世史サマーセミナー、本日(22日)から始まります。お天気が心配ですが、参加の方々はきっと充実した三日間をお過ごしになられることと思います。
 当ゼミからは、神戸大学院生の小野翠さんが参加します。鹿児島の皆様、どうぞ宜しくお願い申しあげます。小野さんには沢山の土産話を持ち帰ってもらいたいと期待しています。
 一方、27日からは古代史サマーセミナー。こちらでは、私は、研究報告の聴講と見学というお客さんのつもりでおりましたところ、思いもかけず大切なお役目を仰せつかってしまいました。何卒宜しくお願い申しあげる次第です。
 尻池さん、ともに頑張りましょう。

 仰せつかったと言えば、昨日、京都「七条町」に関する論文の執筆の御依頼を頂くことがありました。
 様々なテーマで沢山書きたいことがあるのですが、材料を集めるのが面白くなってしまって、結局一本も書き進められない。いろいろなことに関心がおもむいて、集めた資料の整理が追いつかない。その上、耄碌のために記憶力もままならず。
 私は目下、そのような状況にあるわけです。

 ※ 研究所紀要に掲載する宇治共同研究の成果報告は、今年度は私が単著論文の形で纏めさせていただくことになりました。共同研究員の方で、論文・研究ノートを執筆したいという方には『紫苑』第7号に発表の場を用意したいと思います。投稿を希望される方は、早めに御連絡下さい。

 ☆ 本学にも御出講いただいている西山美香先生より、『仏教タイムス』に10回にわたって連載された「舎利信仰と王権」を御恵送頂きました。
 秋には金沢文庫で「武家政権と舎利信仰」というテーマで御講演の由です。
 西山先生にあつく御礼を申し上げます。

中世史サマーセミナーに関して御礼

岩川拓夫
No.6358

中世史サマーセミナーの事務局の岩川です。
鹿児島でのサマーセミナーは22~24日にかけて総勢80名を超える参加者がありました。
京都大学をはじめ関西の方々も10名程参加してくださっていました。
途中豪雨に悩まされる場面もありましたが、その他は大きな問題も起こらず大盛況のうちに終わりました。

サマーセミナーの広報に関しましてはこちらの掲示板を活用させていただき、大変感謝しております。ありがとうございました。
来年の事務局は和歌山とのこと、来年も大勢の方々が参加されることを祈っています。

鹿児島の皆様へ

No.6360

 岩川さん、御丁寧なメッセージをありがとうございます。
 大盛況であったとのこと、日隈先生・新名先生・岩川さんをはじめとする実行委員会の皆様方の御努力が実を結ばれたものと思います。本当にお疲れ様でございました。

 天候が心配だったのですが、さほどの影響もなかったようで幸いに存じました。
 全国各地から訪れた方々は、錦江湾に浮かぶ桜島の勇姿に感動されたことと思います。
 私は参加が叶わず、つくづく残念に存じております。

 中世前期の南九州にたいする研究はライフワークの一環として継続して参る所存です。鹿児島の皆様には、今後とも宜しくお願い申しあげる次第です。

8.17「東国反平家デー」

No.6342

 言わずと知れた「山木攻め」。
 旧暦ですから、本当はもっと後の時期になりますが。
 頼朝自身が攻撃に加わっていない点が気になるところです。
 それにしても、伊豆目代の雑色男君、君はじつに間の悪いときに北条館に忍び込んでしまったものですね。

 今夏は結局、所用が重なったこともあって、鹿児島で15年ぶりに開催される中世史サマーセミナーへの出席を断念いたしました。興味津々の研究発表を聴けず、またとない機会である見学会に参加できないことのみならず、柳原先生をはじめとする前回の企画・運営に携わった方々や、懐かしい鹿児島の皆様と旧交を温めることが叶わなくなったのは残念至極です。失礼をお詫び申し上げるとともに、御盛会を祈念する次第です。

 そんな中、鹿児島大学で1996年12月に集中講義を行ったときの受講生の方から残暑見舞いが届きました。鹿児島との絆はこれからも大切にしていきたいと思います。

 仕事の方は、まったく不本意な内容ながら、長い間書けないでいた書評に「形」をつけることが出来ました。けれども、プリントアウトして読みなおすのが恐ろしい。

 続いて、共同研究の成果報告として、院政期に於ける宇治の軍事機能に関する論文に取り組んでいます。まず、最近の当該期宇治に関する都市史研究を概括しようとしたのですが、そこで一番役に立った先行研究は、ほかならぬ尻池由佳さんの労作「「権門都市」宇治の形成-摂関家別業を中心に-」(『紫苑』第5号)でありました。『紫苑』掲載の時、拝読したのですが、今回再読して、実に要を得た内容であることに感心してしまいました。
 尻池さんには、古代史サマーセミナーでの御報告、おおいに自信を持って臨んでいただきたいと思います。
 そして、院政期の摂関家の武力の問題については、言うまでもなく元木先生の御研究に学ぶばかり。『藤原忠実』や『保元・平治の乱を読みなおす』は付箋で埋め尽くされております。

 ところで、昨夜は「大文字の送り火」。洛中に新居を構えられた元木先生は、ビールのジョッキを片手に格別な一時を過ごされたのではないでしょうか?
 当方は「都の辰巳鹿ぞすむ」(まだ鹿は見たことがありませんが、現在も時々お猿さんが住宅地に出没します)、宇治の北方にあって「大文字送り火」をテレビ中継で見るような有様ですが、しかし、ここで俄に面白くなってきたのが木幡観音寺の存在です。まことに幻の寺。九条家所縁の寺。廻心房真空(源実朝の妻の開いた遍照心院の開山)のいた寺であります。所在比定地は当家から散歩で行ける範囲。岩田君はさらに近くにお住まいです。
 「郷土史家」始めましょう。

 ※ 当掲示板のアクセスカウンターの数字がとうとう50万を超えました。植木等(ハナ肇とクレージーキャッツ)のヒット曲に「五万節」というのがありましたが、50万というのはスゴイ数字です。
 書き込んだり御覧いただいた皆様、そして管理人の鈴木御夫妻に感謝します。
 2003年5月に開設した最初の書き込みは以下のようなものでした。
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神護寺見学。 野口実 - 2003/05/03(Sat) 11:22
 昨日の神護寺見学は好天に恵まれ、実に爽快でした。しかし、文覚さんのお墓に昇る道はきつかった。また、年齢を感じてしまいました。もっとも、それほどの年寄りでもないのに、お爺さん扱いされた方もおられましたが。
 永冨さんの御努力でホームページか充実して、うれしい限りですが、このゼミそのものが存続しなければ、宝の持ち腐れになってしまいます。京都女子大の学生に存在をアピールし、意欲的なメンバーの参加を期待したいものです。
 最初なので、まじめな投稿を致しました。
                     ・
初レスです 永富絵里子 - 2003/05/07(Wed) 01:12
神護寺見学お疲れさまでした。(o^^o)
近くに住んでいながらもなかなか見ることの出来なかった政子の書状や伝頼朝像、また空海のマンダラを間近で見ることが出来、とてもよかったです。

HP充実・・・完成までもう少しお待ちくださいね(汗)
鈴木君とともに作成中です。
~~~~~~~~~~
 5年数ヶ月の月日が流れ、レスを書いてくれた永富さんは、すっかり「鈴木夫人」。幸せな人生を「鈴木君とともに作成中です」。
 それにしても、この掲示板そのものも、「歴史」の対象になってきたようです。ゼミ掲示板『秘話』あるいは『哀話』は、いずれ『紫苑』にでも書くことに致しましょう。

一カ所で三十三所

No.6344

 残暑お見舞い申し上げます。この暑さにもかかわらず「権藤さん」の連投が続いているので、たまには「板東さん」もリリーフしてみたいと思います。

 暑さのなかあまり出歩く元気もないのですが、8月1日(金)~9月28日(日)まで奈良国立博物館にて開催中の『特別展 西国三十三所-観音霊場の祈りと美-』を見学してきました。西国三十三所の観音信仰の広がりや、それを様々な形で取り込もうとした人々の様子が、仏像、絵巻、文書などを通じていろいろな角度から知ることのできる貴重な機会であったと思います。展示図録の写真も、とても美しいものでした。

 観音信仰といえば、『吾妻鏡』の天福元年五月二十七日条に智定房(下河辺行秀)が補陀落渡海を行ったという記事があり、講読会でも読んでみたことがありますね。この日の条の「彼の乗船は屋形に入るの後、外より釘を以て皆打ち付け、一つの扉も無し。日月の光を観ること能わず。ただ燈に憑るべし。三十箇日の程の食物並びに油等僅かに用意す。」という記述は、補陀落渡海の様子を知るための基本的な史料ですが、今回の特別展にも「十一面観音来迎図(京都・海住山寺、展示番号131)」や「那智参詣曼荼羅(和歌山・補陀落山寺、展示番号164)」など、補陀落山や補陀落渡海船の描かれたものが出展されており、図像からその様子を知ることができます。また、渡海船(らしきもの)の描き方がそれぞれ若干異なっているのも興味深かったです。

 博物館のすぐ外には鹿もたくさん歩いていますし、動物ともふれあえる博物館(?)ということでご家族でも楽しめるのではないでしょうか。

 西国三十三所にも含まれる粉河寺、紀三井寺や、根来寺・道成寺といった和歌山のお寺巡りもしてみたい…たびたびつぶやくのですが、具体的なご提案をしなくてすみません。また機会があればお寺巡りもしましょう。

特別展はたしかにお徳!

No.6345

残暑お見舞い申し上げます。
学校はもうすぐ2学期というところですが、みなさんはいかがですか?

部活の試合会場で、暇つぶしに書き込みします。

8月初旬に、熊野本宮大社→川湯温泉→熊野那智大社→熊野速玉大社→十津川→吉野→法隆寺→奈良国立博物館
という旅行をしてきました。
ゼミ旅行で行けなかった本宮に行くのが目的でしたが、ついでに…たくさん寄り道して帰りました。ガソリンが高騰しているにもかかわらず、車で近畿を縦断しました。

前回は世界遺産登録前でしたが、かなり整備が進み観光がしやすくなっていました、もっとも大昔からな観光地?ですので、歩いても周りやすいところですが…。

奈良博の特別展は参詣曼荼羅が特に楽しかったです。あまり詳しくはわからないのですが、登場している建物や人物など、知らない土地のものもおもしろいですし、行ったことのある所なら、さらに楽しめました。
紀三井寺、賛成です。みんなして行かないとなかなか行けないですしね。
次は二番札所へ!!

野口先生>
過去ログの0001で夏休みあたりは。かなりの盛り上がりでしたね。
とても懐かしい気持ちになりました。

次は二番札所へ!!

田中裕紀
No.6347

皆様、お久しぶりです。
奈良博は、行きたいと思いながら、なかなか時間が作れずにいます。
会期が終わってしまう~(涙)
博物館もいいけれど、やっぱり本物が見たいところです。2番札所!ぜひぜひ、行きましょう!

さて、>>No.6337で野口先生から告知がありました鈴木夫妻のお祝い会ですが、日程の調整に少々手間取っております。9月末は少し難しいかも・・・
また、詳細決まり次第、こちらに掲載させていただきます。

②番札所!!

鈴木絵里子
No.6349

過去ログなつかしぃ~♪
神護寺も随分ご無沙汰です(前だけは実家に帰る時にとおるのですが・・・)
神護寺といえば最近文博で鳥獣戯画スタンプを全種類オトナ買いしたので嬉しくってどこにでもぺたぺた押しまくってます。
(生徒には「リアルで気持ち悪い」と不評☆)

熊野旅行@本宮リベンジはとても良かったです。
「あのときあそこで写真撮ったね~」とか
「山本さんが電車乗り遅れかけたね~」とか
「高木さんのお母さんに山ほどミカンもらったね~」とかとか・・・
なつかしい思い出もよみがえりました


奈良博はとても見応えがありました。
展示自体は言うまでもなく見応えがあり、展示替えもあるのでぜひもう一度足を運びたいと思っています。
ちなみに関係ないですが奈良博からの帰りに私は結婚指輪を紛失し、京都から引き返すという大失態をおかしてしまい・・・早くも「幸せな人生を「鈴木君とともに作成」」できなくなるかもしれないという危機を経験しました。

観音様の御利益のお陰で運良く見つけることができたので良かったですが、気をつけないといけないなと思いました。

②番札所へ行く時は気をつけます☆


ここ数日急に涼しくなりましたね。
残り少ない夏休み、みなさまも体調に気をつけてお過ごしくださいね♪


田中さん>お祝い会の件、日程調整等お手数をおかけしますがよろしくお願いします。楽しみにしています

岩田さん>参詣曼荼羅の素敵なハガキをありがとうございました

懸賞論文募集のお知らせ

No.6341

 「第23回 宗教・文化研究所懸賞論文募集要項」から、その大要を抜粋します(詳しくは学内の掲示を御覧下さい)。

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 テーマ 親鸞の思想、仏教思想や宗教思想等あるいは現代社会の直面しているさまざまな問題について、宗教の視点も加えて論評したもの。たとえば性差別や生命倫理の問題、地球環境、ITの普及、少年犯罪やカルト宗教をめぐる問題に関するもの。題は自由。また、エッセイの形式でも可。

1 応募資格 京都女子大学・京都女子大学短期大学部学生および京都女子大学大学院学生
2 応募締切日 平成20年10月1日(水)正午
3 原稿枚数 原稿用紙使用の場合⇒400字詰、A4・縦書き15枚程度
        パソコン使用の場合⇒40字×30行、A4・縦書き5枚程度    
4 原稿提出先 宗教・文化研究所(大学宗教教育センター内)
5 入選発表・表彰式 平成20年12月5日(金)「心の学園記念式」
   ◎ 審査の上、入選者には下記の賞金と賞状を差し上げます。
     特選 10万円  優秀作 7万円  秀作 5万円  佳作 3万円  
   また、入賞作品は平成20年度「宗教・文化研究所だより」第48号(平成21年2月下旬発行予定)に掲載される他、学園内の広報誌に氏名・表彰風景等が掲載されます。
~~~~~~~~~~~

 歴史学や国文学の視角から、こうした課題に取り組んでみるのも面白いかと思います。ゼミメンバーをはじめ、諸姉の積極的な応募を期待しています。結果が良ければ、アルバイトと研究を両立させるより、時間的にも経済的にも有効だと思います。

◆ HP管理人さんにお願いして、トップページの「今月の予定」とコンテンツの一つである「講演予定」の入力システムを改めて、臨機応変に更新できるように致しました。こちらの方も御覧いただければ幸いです。

☆ 東北芸術工科大学の入間田宣夫先生より、御高論「奥六郡から奥羽両国へ-平泉の政権の成り立ちをふりかえって-」掲載の『季刊東北学』第16号を御恵送頂きました。
 入間田先生に、あつく御礼を申し上げます。
 考えてみると、こうしたジャンルでの地域からの<学問的な発信力>は、思いの外、京都は弱いように思えます。

☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、永井先生が編集・執筆を担当された企画展展示図録『徒然草をいろどる人々』を御恵送頂きました。同名のタイトルの企画展は9月28日(日)までの会期で開催中。これは、ぜひ見学に行かなければなりません。
 永井先生にあつく御礼を申し上げます。

暑中お見舞い申し上げます。

No.6337

 猛烈な暑さはこれからが本番という有様ですが、暦の上では早くも明日が立秋。
 今年も諸事に追われ、且つ耄碌に苛まれてきちんと「暑中見舞い」の葉書を出すことが出来ませんでした。そこで、略儀ながら、この場をお借りして御挨拶申し上げる次第です。

 ゼミメンバーのうち、寮生の皆さんはすでに帰郷されたでしょうか?
 9月に院試、年末に卒論提出、年明けに修論提出をひかえた諸君は、とりわけ暑さにめげずに頑張ってください。希望と目標のあることは最も幸福なことだと思います。

 「通販生活」ならぬ「通院生活」を余儀なくされるようなことにならないように、皆様、くれぐれも健康に留意してお過ごし下さい。

 ◎ 近々、幹事をお願いしている田中さんから御案内を頂けることと思いますが、鈴木君・旧姓永富さん御夫妻のお祝いの会が9月末の土・日頃(昼)に開催される予定です。
 とくに、ゼミ(古参)メンバーは予定を空けておいて下さい。

 ☆ 新人物往来社の大出俊幸さんから賀名生岳『風歯』(新人物往来社主催・平成19年度「第32回歴史文学賞」受賞作)、NHK出版の石浜哲士さんから中尾知代『日本人はなぜ謝りつづけるのか 日英〈戦後和解〉の失敗に学ぶ』(生活人新書 最新刊)を御恵送頂きました。
 大出さん、石浜さんにあつく御礼を申し上げます。

平頼盛邸(八条池殿)跡の発掘調査

No.6336

 今日は午前中、(財)京都市埋蔵文化財研究所(http://www.kyoto-arc.or.jp/)が発掘調査中の平安京左京八条三坊四・五町跡の現地説明会に行ってきました。

 場所は近鉄京都駅の北側。ホームにそう形で東西220メートル、南北6メートルの東西に長い範囲で、ちょうど平安京左京八条三坊四・五町の真ん中を東西で分断したような位置関係になります。

 想像以上に幅の広い町尻小路の遺構もしっかりと検出されています。この道を北に延ばすと、そこは七条町の中心部。あの、『病草紙』に描かれた当代を代表する京女(きょうおんな)「七条わたりの借上」が活躍したところです。なお、拙稿『京都七条町の中世的展開』(京都文化博物館紀要『朱雀』1)を参照のこと。

 四町の地は12世紀に関白藤原忠実が阿弥陀堂を建立したところで、それに関係のありそうな建物遺構が検出されていました。

 五町は平清盛の弟で八条院庁の別当でもあった頼盛(池殿)の邸宅のあったところ。
 八条院は後白河院の妹の暲子内親王。彼女は当時最大の荘園領主で、私の生まれ故郷の千葉(千葉庄)もその一つでした。12世紀末期、現在の京都駅周辺一帯は八条院の院庁や御所・御倉町で占有されていたのです。
 ここからは、邸内の池に水を供給したと思われる礫敷をともなう泉の遺構が検出されていました。また、大宰大弐をつとめ日宋貿易に積極的に関与した平頼盛の邸宅跡だけに、とても珍しい舶載陶磁器も出土していました。

 それにしても、この連日の猛暑の中で発掘調査に従事されている方々の御苦労が察せられます。
 いつも思うのですが、考古学者は本当に偉いのです。
 プリンセスラインの京都駅八条口の停留所のすぐ近くなので、学期中ならば、京女(きょうじょ)の学生のみなさんにも見学に行って貰いたかったのですが。時期がはずれて実に残念でした。

 現場では、予想通り、山田邦和先生にお目にかかることが出来、書評会の開催について、直接ご同意を頂くことが叶いました。後期に実現をはかりたいと思います。

 ☆ 鹿児島の林匡先生より、御高論「島津一門家の成立-越前(重富)島津家再興を中心に-」(『黎明館調査研究報告』21)・「島津吉貴の時代」(同)を御恵送頂きました。
 近世の島津氏も、京都の近衛家との関係、はたまた琉球支配の問題など、さまざまな方面で興味津々たるものがあります。
 林先生にあつく御礼を申し上げます。 

前期の〆の吾妻鏡と公開講座レビュー

No.6332

 昨日は『吾妻鏡』に続いて、2008年度公開講座レビューを開催致しました。レビューの報告は結局私が担当したのですが、非常に狭隘で偏りのある報告を行いまして、多数の参加者のみなさんにご迷惑をおかけしました。
 しかしながら、当日の両先生のご講演内容を振り返ることでいろいろと再発見もありましたので、それぞれの今後の研究に活かすためにも、これからも(事前学習も含めて)このような催しを開催できればと思います。

 さて、『吾妻鏡』の前期の日程は昨日で終了となり、次回は後期となります。詳しい日程等は、参加者の皆さんのご予定を勘案しつつ、後日に改めてご案内します。

 ちなみに次回以降の範囲は以下の通りです。

 『吾妻鏡』嘉禎四年(暦仁元年、1238年)十月十三日・十四日、十二月七日・十六日・十九日・二十三日・二十四日・二十五日、
         暦仁二年(延応元年、1239年)正月十一日、二月十四日・十六日・三十日、三月十七日・二十九日、四月十三日・十四日・二十四日・二十五日、五月一日・二日・十四日・十五日・二十三日・二十四日・二十六日、六月六日、七月十五日・二十日・二十五日・二十六日、八月八日・二十二日、九月十一日・十六日・二十一日・三十日、十一月一日・二日・五日・九日・二十日・二十一日、十二月五日・十三日・二十一日の各条

 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。

講読会の後期日程の調整について

No.6335

 公開講座の事後勉強会は岩田君の御尽力によって、とても充実したものになりましたが、とりわけ一回生には好評だったようで、「当日は難しかったけれども勉強会のお話ですっきりした!」という声が届いております。

 本日、その一回生のみなさんは、江波さんの御案内で、八坂神社境内・疫神社の夏越祭に行かれた由。大茅輪をくぐって、すっかり厄気をはらった諸姉の今後の御活躍を期待したいところです。
 ちなみに、ふだん早朝から祇園でお仕事をされている大先輩のお姿を見にうかがったのですが、残念なことに御不在だったとのことです。

 後期の『小右記』講読会ですが、どうやら水曜ではなく、木曜日に落ち着きそうです。江波さんに調整して頂いていますが、もしまだ、この件で江波さんに返信をされていない方がおられましたら、早急にお願いいたします。何事もルーズな対応はいけません。

 『吾妻鏡』講読会の日程調整についても、宜しくお願いいたします。

 ☆ 愛知大学の山田邦明先生より、新刊の御高著『全集日本の歴史 第8卷 戦国の活力』を御恵送いただきました。
 小川剛生先生の御著書を拝読して、俄然、戦国期に興味をかきたてられていたところに、大変ありがたい御本を頂戴したと思っております。
  山田先生に、あつく御礼を申し上げます。
  なお、後進の方々のために付言しておきますが、山田邦明先生は同志社女子大学の山田邦和先生の御親戚ではありません。しかし、世上の風聞によれば、盃は交わしておられる由です。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、御高論「本覚大師諡号事件にみる中世国家の意思決定-延慶年間の山門嗷訴の分析から」(『日本仏教綜合研究』6)を御恵送頂きました。
 永井先生の精力的な御研究には脱帽せざるを得ません。あつく御礼を申し上げます。 

井上章一『日本に古代はあったのか』

No.6323

 元木先生および『台記』研究会メンバーの皆様、昨日は急な欠席を致しまして失礼いたしました。予算執行に関する具申の書類を書かなければならなくなり、京大にお邪魔する時間を確保できませんでした。何処も同じようですが、事務仕事に追われて「研究」がなかなか捗りません。

  ところで、先に小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか』という極めて実証的で説得力のある本を紹介させていただきましたが、これとは趣を異にして日本古代・中世史の「学史」に切り込んだ、これまたインパクトに満ちた本を岩田君から紹介していただきました。井上章一『日本に古代はあったのか』(角川選書)です。

 井上氏による「関東史観」批判については、昨年9月の日本史研究会例会報告や12月の茨城大学シンポにおける基調講演でも触れたのですが、それは新聞記事に基づくものでしたが、本書においてその全貌が提示されたわけです。センセーショナルな題名のように見えますが、もともと関東史観の大信奉者で、今は京都学派の立場に近いスタンスでいることを自認せざるを得ない私にとっては、自分の置かれている位置を再確認する上で、とても有り難い内容をもつ本だと思いました。

 これまで、直接・間接にお世話になった諸先生のお名前も続々と登場し、時には一刀両断の体。なるほど、と思えることが山ほどあります。これは、ぜひ京都嫌いの各地の研究者にお読みいただきたい。また、著者には東北出身の角田文衞氏の時代区分論や史観にもぜひ触れて欲しかったと思いました(その意味から、「角田史学」の継承者である〈京都人の〉山田邦和先生には、ぜひ本書をお読み下さり、御感想をお聞かせ願いたいと思っています)。

 今年の歴史学研究会大会に出かけた感想は、まさに京都の研究者と東京の研究者の歴史に対する問題意識、あるいは歴史認識の落差のようなものでありましたので、若い人たちにも是非読んで頂きたい本です。

 当ゼミとしては、近々に本書の書評会を開きたいと思います。参加者は少数の方がよい。録音し、テープを起こして『紫苑』に掲載することを提案します。「我こそ」と思われる参加希望の方はお申し出下さい。こちらからも、直接お願いいたしますが。


 ☆ 東海大学の落合義明先生より、御高論「南北朝期相模守護と鎌倉-河越氏の守護時代を中心に-」(『三浦一族研究』12)・「新刊紹介 峰岸純夫・入間田宣夫・白根靖大編『中世武家系図の史料論 上・下巻』」(『史学雑誌』117-4)を御恵送いただきました。
 落合先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ※ 『吾妻鏡必携』の内容の詳細は、『日本歴史』8月号の吉川弘文館の広告12ページを御覧下さい。
  なお、私は編者として参加させていただいたのみで、担当部分の監修は行いましたが、もとになった原稿の直接的な執筆は致しておりません。

 > 岩田君  そろそろ、29日(火)の「公開講座事後勉強会」についての告知をお願いいたします。 

【公開講座レビュー】のお知らせ

No.6324

◆ ずっと下で予告した『公開講座の「事後勉強会」』ですが、7月29日(火)の『吾妻鏡』の後に開催したいと思います。

 内容としては、事前準備も含めた運営の反省や、ご講演内容の振り返りと今後の課題、などを、みなさんで意見交換したいと思います。

 そこで、「近藤先生のご講演」・「川本先生のご講演」・「当日の雑事」について基調報告(?)して頂ける方を募りたいと思います(どなた様も名乗りでない場合は、指名します)。お引き受けいただける方は岩田までご連絡をお願い致します。

 日時:2008年7月29日(火)18:00~
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 内容:2008年度宗教・文化研究所公開講座の振り返り

 公開講座にご参加下さった方はもちろん、お出でになれなかった方も、この機会に今年度の公開講座を振り返りましょう。

◆また、同じ日にいつものように開催する『吾妻鏡』のご案内です。前回は、「恋は遠い日の花火ではない」ようなお話が出てきましたが、次回はその続きからです。

 日時:2008年7月22日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』嘉禎四年(暦仁元年、1238年)九月二十四日・二十七日、十月三日・四日・十一日・十二日・十三日・十四日、十二月七日・十六日・十九日・二十三日・二十四日・二十五日、
         暦仁二年(延応元年、1239年)正月十一日、二月十四日・十六日・三十日、三月十七日・二十九日、四月十三日・十四日・二十四日・二十五日、五月一日・二日・十四日・十五日・二十三日・二十四日・二十六日、六月六日、七月十五日・二十日・二十五日・二十六日、八月八日・二十二日、九月十一日・十六日・二十一日・三十日、十一月一日・二日・五日・九日・二十日・二十一日、十二月五日・十三日・二十一日の各条

尻池さんの宇治報告の応援に行きます。

No.6325

 「恋は遠い日の花火ではない」ようなお話。残念なことに、碩学のお書きになった当該人物の伝記には取り上げられていないようです。それにしても、『吾妻鏡』というのは、頼朝の浮気の話も書かれていますし、本当におもしろい史料だと思います。

 すでにお知らせしたように、古代史サマーセミナーで、尻池さんが宇治をテーマにした研究発表(「宇治における摂関家の儀礼)をなさいます。その応援に岩田君と出掛けることに致しました。私は27~28日、岩田君は28~29日の参加で、二人がかりで全日程をカバーという次第です。

 29日の「公開講座事後勉強会」には、多くの方の出席を期待しています(講座に参加出来なかった方のために、当日配布した講演資料を用意しております)。報告者の「指名」については岩田君に全権を委任致しました。私はとくに川本先生の御報告に対して私見を申し述べたいと思っています。公開講座の準備の段取りや懇親会のあり方などについても御意見を頂ければ有り難いところです。

 井上章一『日本に古代はあったのか』の書評は、岩田君が立候補して下さいました。
 ちなみに、京都学派の東洋史学者の中国中世史理解については、すでに角田文衞氏が、「日本史における中世の意味」(1979年の講演録。同氏『古代学の展開』山川出版社,2005年 収録)において、井上氏とまったく同様の指摘をされています。
 なお、この論文には「石母田氏を始めとする学者は、マルクスなどが考えた中世の概念を抽出して、その範疇をもって日本の歴史を分析しようとした。そして、日本史の中のどこにマルクスの言う中世史の要素が見出せたかということをもって日本の中世史の概念を設定し、またそれによって日本の中世はいつから始まったのかということを論じるにとどまるのである。これではとても研究という名に値しないと言わざるを得まい」・・・「私たちにとって、いまから100年前のマルクスが何を言おうと関係はない。私たちが忠実でなければならないのは歴史の史料そのものでなければならないのである」・・・「結論的にいうと、これは日本歴史の研究に専念している人々の不勉強と視野の狭さに帰するのである」・・・「現在、関東地方で文化が卓越しているといっても、平安時代の歴史を坂東中心に書いたならば笑い者になるであろう」などと、刺激的な言説が満ち満ちています。要一読。
 
 ☆ 摂南大学の美川圭先生より、先生が専門委員のお一人として編纂にあたられ、その一部を執筆された『寝屋川市史 第十卷 本文編』を御恵送下さいました。先生の執筆部分は畿内古代中世史の最新の成果というべきもので、『台記』研究会で御報告頂いた内容が存分に盛り込まれています。
 美川先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 長野工業高専の中澤克昭先生・長野県歴史館の村石正行先生の御連名で、井原今朝男・牛山佳幸編『論集 東国信濃の古代中世史』(岩田書院)を御恵送頂きました。
 教育県として知られる長野に於ける地域史研究の水準の高さを如実に示した本であると思います。
 中澤先生は「武家の狩猟と矢開の変化」、村石先生は「地方曹洞宗寺院の文書目録作成の歴史的意義」という論文を書かれておられます。
 中澤先生ならびに村石先生に、あつく御礼を申し上げます。

Re: 井上章一『日本に古代はあったのか』

山田邦和(同志社女子大学)
No.6326

野口先生、皆様、おひさしぶりです。
呼ばれたので出てきました。
井上章一氏の『日本に古代はあったのか』、本屋さんではみかけましたが、まだ入手しておりません。パラパラと見た限りでは、刺激的かつ挑発的な議論だとは思ったのですが、かなり旧い説を相手に独り相撲をとっておられるような感を受けた(失礼!)ので、あえて購入しませんでした。野口先生のおっしゃる通り、井上氏が御自分の新発見のように説いておられることを、角田文衞先生は何十年も前から主張し続けておられる、というところもあるように思います。とはいうものの、きちんと読まずにこんな批評をすることはアンフェアですね。野口先生の御指示に従い、近く入手して読んでみたいと思います。

角田先生の「日本史における中世の意味」は、『古代学の展開』の刊行にあたって、ぜひこれを載せようと主張し、私がテープ起こしをしたものです。野口先生に「要一読」と言っていただけて、ちょっと嬉しい・・・

鎌倉時代も古代に時代区分した研究者

No.6327

 山田先生、勝手にお名前をお出しして申し訳ありません。『古代文化』で「角田史学」の特集を組むという企画もありますから、ちょっと議論してみませんか?

 この井上章一氏の著書は、今日の日本社会に蔓延している「関東史観」の成り立ちを明らかにしたものですが、それとオーパーラップするのが近代以降の「武士」認識だと思います。また、京都学派の日本史認識という点では、よく言われる中世国家の理解についての東西研究者の(対立)の問題が想起されます。

 私は中世前期の地方武士の存在形態を考える場合に、これまであまりにも不当な形で「京都」が等閑にされていたと考えておりますので、等閑にされた理由を考え、それを改めてもらうためにも、この辺りの問題を検討する価値があると思っています。

 井上氏の著書は、こうした問題を正面切って論ずるというものではありませんが、研究者の経歴の考察などから、それが却って分かりやすく、また氏がこの方面を本業とされる立場でないことから忌憚なく率直に論じられており、それが有り難いところでした。

 この本をとっかかりにして、中世前期の武士論、権門体制論や東国国家論、王権論などを俎上に載せて議論してみたいと考えるのですが如何でしょうか?
 ちなみに、京大日本史の担い手のお一人である元木先生も、本書を読んで下さるとのこと。御感想が楽しみです。

 それにしても、井上氏が、世界史的視野から「古代」を論じ、独自の時代区分を示された〈東北育ちで京大出身、かつ深く貴族文化を憧憬した〉研究者の提唱した学説(「角田史学」)に言及されなかったのは、とても残念なことだと思います。

 * 本日、京都は午後から大雷雨。明日が締め切りだというのにレポートを持ってきた学生さんはたった一人。大丈夫でしょうか。
 落雷による一瞬の停電で、書いたものがスッカリ消えてしまいましたという電話が一本。雷公さんは大変な実害をもたらしているようです。

Re: 井上章一『日本に古代はあったのか』

No.6328

 さっそく昨日、私も読んでみました。おもしろくて、いっきに読めました。

 私も、最近、律令成立期から南北朝ぐらいまでを、一つながりでみるくせがついているので、共感するところが多かったです(拙著『院政』もそうなっているでしょ)。そうか、7世紀から中世と考えるのも、いけるのかも、と今思っています(まだそれほど厳密に考えてはいませんが)。というか、それを全部中世と見ることが可能とは、思ってもみませんでした。京大東洋史の時代区分との関係で見るという視角は新鮮でした。私も昔、学生時代に宮崎市定の中国史を読んだのですが、そうか、宮崎史学では唐は中世だったのか。再読したくなりました。でもはたして邪馬台国までいけるかな。

 それから、鎌倉時代も古代、というので思いだしたのですが、たしか東大史料編纂所の古代史料部門も鎌倉時代まででした。あれはどういう経緯でああなったのでしょう。ご存知の方がおられたら教えていただきたいと思います。

 この議論、野口先生のおっしゃるように、かなりおもしろいと思います。

Re: 井上章一『日本に古代はあったのか』

山田邦和(同志社女子大学)
No.6329

>この本をとっかかりにして、中世前期の武士論、権門体制論や東国国家論、王権論などを俎上に載せて議論してみたいと考えるのですが如何でしょうか?

野口先生、面白いですね。ふだんはあんまりそんなことまで議論がいかないので、結構なご提案だと思います。井上氏の御本、買いに行ってきます。

日本史研究における「京都」と「地域」

No.6330

 美川先生、山田先生、ご賛同ありがとうございます。
 この本は、一般読者よりも日本史研究者が楽しめる?本なのではないかと思います。

 古代と中世の時代区分について私は、以前から自治体史の仕事をしている時、「中世史部会」も「古代史部会」も居心地が悪くて困ることがありました。言うまでもなく、私自身の能力不足が主な理由なのですが、ほとんどの自治体史が鎌倉幕府の成立をもって中世のはじまりとしていることにも原因があるのだと考えています。

 そもそも、ごく最近まで東国武士の研究史料として記録(公家の日記)が使われていなかったことも、考えてみれば不可思議千万なことで、「貴族」と「武士」、「京都」と「東国」(地方)、「都市」と「農村」、さらにいえば「女性」と「男性」といった対立の図式が歴史学者の脳裏をも支配していたからなのではないかと思わざるを得ません。

 最近、建築史を専門とする若い方たちなどと『吾妻鏡』を読んでいて思うのは、以前とはまったく逆に、鎌倉と京都の親近性です。極端な物言いかも知れませんが、東国武士といっても、人生の何分の一かは京都で生活しているのだから、すっかり京都人だというように思えてきました。

 なお、この問題に関連いたしますので、一昨年、東北大学で開催されたシンポジウム「東北像再考-地域へのまなざし、地域からのまなざし」でお話しさせていただいた「日本中世史研究の現状から「地域」を考える-柳原敏昭氏「東北と琉球弧」へのコメント」(『東北文化研究室紀要』通巻第48冊,2007年)の一部を抜粋掲出させていただきます(注は省略)。
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3 地域史研究における今日的課題
 近代の軍国国家日本を席巻し、今日もまた蘇りの気配を見せる「武士道」の概念を創作した新渡戸稲造が、島尾敏雄の両親と同じ東北の出身であることは興味深い。新渡戸は盛岡南部藩士の家に生まれ。彼の「武士道」概念は自らの受けた教育などの体験に基づくと考えられているから、この点は重要である。島尾は「武士道」を「あまり感心しない」ものと捉え、そこに人間の「固い顔つき」を見出しているが、それは彼のルーツである東北に向けられた眼差しであったのかも知れない。 
 島尾がその一部を否定的に評価する武士的なもののルーツが東国にあったとすると、彼は西国の社会や文化をどのようにとらえていたのであろうか。網野善彦も指摘するように、今日においても関東がタテ的で男系の本家分家関係を重視するのに対し、関西の社会はヨコ的で姻族を重視する傾向が強い。島尾は少年期と三十歳代の前半、通算すると十五年ほどの間、神戸で生活している。この体験も彼の思想形成に大きく影響しているのではなかろうか。そのように思うのは、私自身、千葉県で生まれ育ち、三十五歳になって京都に転居した際、地域の文化・社会のあり方の相違に大きな驚きを感じた経験を持つからである。
 西の文化の中心は京都であった。今日、とりわけ各地の中世地域史を研究する人たちから、ある種の「忌避」の目でみられがちな京都である。京都の文化は「雅(みやび)」とか「はんなり」と言った言葉で表現される。これと南島の「人間的なあたたかみ」はまた別種のものであろう。島尾の京都論はどのようなものであったのだろうか。
 最近、京都では観光振興の目的もあいまって、京都の文化こそが日本文化だと言わんばかりのキャンペーンがはられ、それは教育現場にまで及んできている。一方、上述のように歴史が「中央」と「地方」のパラダイムで語られることへの反発も根強く、出来るだけ京都の存在を相対化して歴史を考えようとする傾向が見える。相対化ならまだしも、捨象と受け取らざるを得ないものも見受けられる。
 京都文化を日本文化と同一視することは戦前のような国粋主義に結びつく懸念がもたれるが、その一方で、文書・記録はもとより、地中の遺構や遺物も含めて、京都に遺された歴史資料の量は、日本列島のほかの地域との比較においてのみならず、世界的に見ても圧倒的なものがある。しかも、京都は列島各地との経済・文化交流の結節点としての機能を担っていたのだから、これを踏まえずして各地域の歴史は語れないはずなのである。
 島尾敏雄の「等距離で見渡せるような場所から、日本を見たいものだと思う」という願望は、歴史学の世界において、右のような課題を止揚した上に達成されることだと思う。
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 なお、このコメントの対象とさせていただいた柳原敏昭先生の御報告「東北と琉球弧-島尾敏雄「ヤポネシア論」の視界-」も前記『東北文化研究室紀要』同集に収録されています。

 ☆ 長野県立松本工業高校の塩原浩先生より、御高論「一条高能とその周辺-姻戚関係と政治的役割-」(井原今朝男・牛山佳幸編『論集 東国信濃の古代中世史』(岩田書院)を御恵送頂きました。
  塩原先生に、あつく御礼を申し上げます。