8.17「東国反平家デー」
No.6342
言わずと知れた「山木攻め」。
旧暦ですから、本当はもっと後の時期になりますが。
頼朝自身が攻撃に加わっていない点が気になるところです。
それにしても、伊豆目代の雑色男君、君はじつに間の悪いときに北条館に忍び込んでしまったものですね。
今夏は結局、所用が重なったこともあって、鹿児島で15年ぶりに開催される中世史サマーセミナーへの出席を断念いたしました。興味津々の研究発表を聴けず、またとない機会である見学会に参加できないことのみならず、柳原先生をはじめとする前回の企画・運営に携わった方々や、懐かしい鹿児島の皆様と旧交を温めることが叶わなくなったのは残念至極です。失礼をお詫び申し上げるとともに、御盛会を祈念する次第です。
そんな中、鹿児島大学で1996年12月に集中講義を行ったときの受講生の方から残暑見舞いが届きました。鹿児島との絆はこれからも大切にしていきたいと思います。
仕事の方は、まったく不本意な内容ながら、長い間書けないでいた書評に「形」をつけることが出来ました。けれども、プリントアウトして読みなおすのが恐ろしい。
続いて、共同研究の成果報告として、院政期に於ける宇治の軍事機能に関する論文に取り組んでいます。まず、最近の当該期宇治に関する都市史研究を概括しようとしたのですが、そこで一番役に立った先行研究は、ほかならぬ尻池由佳さんの労作「「権門都市」宇治の形成-摂関家別業を中心に-」(『紫苑』第5号)でありました。『紫苑』掲載の時、拝読したのですが、今回再読して、実に要を得た内容であることに感心してしまいました。
尻池さんには、古代史サマーセミナーでの御報告、おおいに自信を持って臨んでいただきたいと思います。
そして、院政期の摂関家の武力の問題については、言うまでもなく元木先生の御研究に学ぶばかり。『藤原忠実』や『保元・平治の乱を読みなおす』は付箋で埋め尽くされております。
ところで、昨夜は「大文字の送り火」。洛中に新居を構えられた元木先生は、ビールのジョッキを片手に格別な一時を過ごされたのではないでしょうか?
当方は「都の辰巳鹿ぞすむ」(まだ鹿は見たことがありませんが、現在も時々お猿さんが住宅地に出没します)、宇治の北方にあって「大文字送り火」をテレビ中継で見るような有様ですが、しかし、ここで俄に面白くなってきたのが木幡観音寺の存在です。まことに幻の寺。九条家所縁の寺。廻心房真空(源実朝の妻の開いた遍照心院の開山)のいた寺であります。所在比定地は当家から散歩で行ける範囲。岩田君はさらに近くにお住まいです。
「郷土史家」始めましょう。
※ 当掲示板のアクセスカウンターの数字がとうとう50万を超えました。植木等(ハナ肇とクレージーキャッツ)のヒット曲に「五万節」というのがありましたが、50万というのはスゴイ数字です。
書き込んだり御覧いただいた皆様、そして管理人の鈴木御夫妻に感謝します。
2003年5月に開設した最初の書き込みは以下のようなものでした。
~~~~~~~~~~
神護寺見学。 野口実 - 2003/05/03(Sat) 11:22
昨日の神護寺見学は好天に恵まれ、実に爽快でした。しかし、文覚さんのお墓に昇る道はきつかった。また、年齢を感じてしまいました。もっとも、それほどの年寄りでもないのに、お爺さん扱いされた方もおられましたが。
永冨さんの御努力でホームページか充実して、うれしい限りですが、このゼミそのものが存続しなければ、宝の持ち腐れになってしまいます。京都女子大の学生に存在をアピールし、意欲的なメンバーの参加を期待したいものです。
最初なので、まじめな投稿を致しました。
・
初レスです 永富絵里子 - 2003/05/07(Wed) 01:12
神護寺見学お疲れさまでした。(o^^o)
近くに住んでいながらもなかなか見ることの出来なかった政子の書状や伝頼朝像、また空海のマンダラを間近で見ることが出来、とてもよかったです。
HP充実・・・完成までもう少しお待ちくださいね(汗)
鈴木君とともに作成中です。
~~~~~~~~~~
5年数ヶ月の月日が流れ、レスを書いてくれた永富さんは、すっかり「鈴木夫人」。幸せな人生を「鈴木君とともに作成中です」。
それにしても、この掲示板そのものも、「歴史」の対象になってきたようです。ゼミ掲示板『秘話』あるいは『哀話』は、いずれ『紫苑』にでも書くことに致しましょう。
旧暦ですから、本当はもっと後の時期になりますが。
頼朝自身が攻撃に加わっていない点が気になるところです。
それにしても、伊豆目代の雑色男君、君はじつに間の悪いときに北条館に忍び込んでしまったものですね。
今夏は結局、所用が重なったこともあって、鹿児島で15年ぶりに開催される中世史サマーセミナーへの出席を断念いたしました。興味津々の研究発表を聴けず、またとない機会である見学会に参加できないことのみならず、柳原先生をはじめとする前回の企画・運営に携わった方々や、懐かしい鹿児島の皆様と旧交を温めることが叶わなくなったのは残念至極です。失礼をお詫び申し上げるとともに、御盛会を祈念する次第です。
そんな中、鹿児島大学で1996年12月に集中講義を行ったときの受講生の方から残暑見舞いが届きました。鹿児島との絆はこれからも大切にしていきたいと思います。
仕事の方は、まったく不本意な内容ながら、長い間書けないでいた書評に「形」をつけることが出来ました。けれども、プリントアウトして読みなおすのが恐ろしい。
続いて、共同研究の成果報告として、院政期に於ける宇治の軍事機能に関する論文に取り組んでいます。まず、最近の当該期宇治に関する都市史研究を概括しようとしたのですが、そこで一番役に立った先行研究は、ほかならぬ尻池由佳さんの労作「「権門都市」宇治の形成-摂関家別業を中心に-」(『紫苑』第5号)でありました。『紫苑』掲載の時、拝読したのですが、今回再読して、実に要を得た内容であることに感心してしまいました。
尻池さんには、古代史サマーセミナーでの御報告、おおいに自信を持って臨んでいただきたいと思います。
そして、院政期の摂関家の武力の問題については、言うまでもなく元木先生の御研究に学ぶばかり。『藤原忠実』や『保元・平治の乱を読みなおす』は付箋で埋め尽くされております。
ところで、昨夜は「大文字の送り火」。洛中に新居を構えられた元木先生は、ビールのジョッキを片手に格別な一時を過ごされたのではないでしょうか?
当方は「都の辰巳鹿ぞすむ」(まだ鹿は見たことがありませんが、現在も時々お猿さんが住宅地に出没します)、宇治の北方にあって「大文字送り火」をテレビ中継で見るような有様ですが、しかし、ここで俄に面白くなってきたのが木幡観音寺の存在です。まことに幻の寺。九条家所縁の寺。廻心房真空(源実朝の妻の開いた遍照心院の開山)のいた寺であります。所在比定地は当家から散歩で行ける範囲。岩田君はさらに近くにお住まいです。
「郷土史家」始めましょう。
※ 当掲示板のアクセスカウンターの数字がとうとう50万を超えました。植木等(ハナ肇とクレージーキャッツ)のヒット曲に「五万節」というのがありましたが、50万というのはスゴイ数字です。
書き込んだり御覧いただいた皆様、そして管理人の鈴木御夫妻に感謝します。
2003年5月に開設した最初の書き込みは以下のようなものでした。
~~~~~~~~~~
神護寺見学。 野口実 - 2003/05/03(Sat) 11:22
昨日の神護寺見学は好天に恵まれ、実に爽快でした。しかし、文覚さんのお墓に昇る道はきつかった。また、年齢を感じてしまいました。もっとも、それほどの年寄りでもないのに、お爺さん扱いされた方もおられましたが。
永冨さんの御努力でホームページか充実して、うれしい限りですが、このゼミそのものが存続しなければ、宝の持ち腐れになってしまいます。京都女子大の学生に存在をアピールし、意欲的なメンバーの参加を期待したいものです。
最初なので、まじめな投稿を致しました。
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初レスです 永富絵里子 - 2003/05/07(Wed) 01:12
神護寺見学お疲れさまでした。(o^^o)
近くに住んでいながらもなかなか見ることの出来なかった政子の書状や伝頼朝像、また空海のマンダラを間近で見ることが出来、とてもよかったです。
HP充実・・・完成までもう少しお待ちくださいね(汗)
鈴木君とともに作成中です。
~~~~~~~~~~
5年数ヶ月の月日が流れ、レスを書いてくれた永富さんは、すっかり「鈴木夫人」。幸せな人生を「鈴木君とともに作成中です」。
それにしても、この掲示板そのものも、「歴史」の対象になってきたようです。ゼミ掲示板『秘話』あるいは『哀話』は、いずれ『紫苑』にでも書くことに致しましょう。