平維良と平維茂
No.5917
元木先生、昨日はありがとうございました。
☆ このところ 高志書院からシンポジウムの成果をまとめた論文集が精力的に刊行されていますが、その最新版である柳原敏昭・飯村均編『御館の時代』を編者の御連名で御恵送いただきました。
「白河御館」と呼ばれた越後城氏、巨大な二重堀遺構の検出された陣ヶ峰城跡、源義経のもとで活躍した佐藤継信・忠信兄弟を生んだ信夫佐藤氏などをテーマにした論文がならび、興味津々の内容です。
柳原先生・飯村先生に、あつく御礼を申し上げます。
ちなみに、越後城氏の祖は系図上、『今昔物語集』に登場し「余五将軍」の名でおなじみの平維茂なのですが、この維茂は一次史料にはまったくあらわれない。大学院生の頃、これを不審に思っていろいろ調べてみると、どうやら鎮守府将軍になった平維良に同定できそうだということになりました。
当時、立正大学におられた桃裕行先生のもとで『小右記』の講読会が開かれており、それに参加させていただいていた私は、先生との雑談の中で、この話を申し上げたところ、先生も以前からそのように考えておられたとのこと。あわせて、その傍証となる近世の地誌などもお教えいただいたのです。それに力づけられて一気に執筆したのが、本書の総論(高橋一樹「城氏の権力構造と越後・南奥羽」」)でもとりあげていただいている「平維茂と平維良」(『史友』10,のち『中世東国武士団の研究』に収録)です。
論文の掲載誌を桃先生に差し上げたところ、たいへん喜んでくださったことが思い出されます。
桃先生は、ちょっとした事実関係について質問しても、「そのことは『大日本史料』の第何編のいくつの何頁に載っていますよ」と仰って、即座に書棚から取り出してその頁を開いて下さるという、たいへんな碩学でいらっしゃいました。
☆ 京都市埋蔵文化財研究所の上村和直先生から、御高論「平安京の変容と「京都」の成立」(『都城 古代のシンボリズム 飛鳥から平安京へ』青木書店)ならびに「平安宮の衰微」(京都市埋蔵文化財研究所『研究紀要』10)を御恵送いただきました。後者に掲載されている白河・宇治・法住寺殿などの地図は、考古学の最新の知見によるものとして貴重です。
上村先生にあつく御礼を申し上げます。
>田中さん 紀要原稿の註の件、宜しくお願いいたします。
【追記】拙著『坂東武士団の成立と発展』、早稲田の古本屋さんに出ているとのことです。
☆ このところ 高志書院からシンポジウムの成果をまとめた論文集が精力的に刊行されていますが、その最新版である柳原敏昭・飯村均編『御館の時代』を編者の御連名で御恵送いただきました。
「白河御館」と呼ばれた越後城氏、巨大な二重堀遺構の検出された陣ヶ峰城跡、源義経のもとで活躍した佐藤継信・忠信兄弟を生んだ信夫佐藤氏などをテーマにした論文がならび、興味津々の内容です。
柳原先生・飯村先生に、あつく御礼を申し上げます。
ちなみに、越後城氏の祖は系図上、『今昔物語集』に登場し「余五将軍」の名でおなじみの平維茂なのですが、この維茂は一次史料にはまったくあらわれない。大学院生の頃、これを不審に思っていろいろ調べてみると、どうやら鎮守府将軍になった平維良に同定できそうだということになりました。
当時、立正大学におられた桃裕行先生のもとで『小右記』の講読会が開かれており、それに参加させていただいていた私は、先生との雑談の中で、この話を申し上げたところ、先生も以前からそのように考えておられたとのこと。あわせて、その傍証となる近世の地誌などもお教えいただいたのです。それに力づけられて一気に執筆したのが、本書の総論(高橋一樹「城氏の権力構造と越後・南奥羽」」)でもとりあげていただいている「平維茂と平維良」(『史友』10,のち『中世東国武士団の研究』に収録)です。
論文の掲載誌を桃先生に差し上げたところ、たいへん喜んでくださったことが思い出されます。
桃先生は、ちょっとした事実関係について質問しても、「そのことは『大日本史料』の第何編のいくつの何頁に載っていますよ」と仰って、即座に書棚から取り出してその頁を開いて下さるという、たいへんな碩学でいらっしゃいました。
☆ 京都市埋蔵文化財研究所の上村和直先生から、御高論「平安京の変容と「京都」の成立」(『都城 古代のシンボリズム 飛鳥から平安京へ』青木書店)ならびに「平安宮の衰微」(京都市埋蔵文化財研究所『研究紀要』10)を御恵送いただきました。後者に掲載されている白河・宇治・法住寺殿などの地図は、考古学の最新の知見によるものとして貴重です。
上村先生にあつく御礼を申し上げます。
>田中さん 紀要原稿の註の件、宜しくお願いいたします。
【追記】拙著『坂東武士団の成立と発展』、早稲田の古本屋さんに出ているとのことです。