送別の季節

No.5581

 先に本学宗教教育センターの前係長 橋本晴子さんのご退職のことをお伝えいたしましたが、この三月をもって宗教部長兼宗教・文化研究所所長の徳永道雄先生ならびに宗教教育センター課長兼国際交流センター課長の獅子堂正徳さんも定年退職されます。27日には、京都リーガロイヤルホテルでお二人の送別の宴が開かれ、私も出席させていただきました。

 徳永先生の上記役職への御就任は昨年四月のことでしたが、僅かの間に、俗な言い方ですが、すっかり先生のファンになってしまいました。また、昨秋の公開講座「天下人の京都」の実現も先生のお力によるもので、先生の親友である瀬田勝哉先生とともに演壇に立つことが出来たのはたいへん幸せなことでした。

 獅子堂さんは、私が京都女子大学に赴任する前年度まで庶務課長のお仕事をされておりましたので、まず異動の事務的な作業でお世話になり、赴任してからは研究所の事務を担当する宗教教育センターの課長になられていたので、日常的に御面倒をおかけいたしました。赴任前、電話でお名前をうかがって、「宍戸さん」と思っていたのですが、たいへん珍しいお名前で驚いたものです。そのころ、俵藤太の伝説を調べていたのですが、獅子堂さんが瀬田橋の近くの大きなお寺の御住職をされておられると聞き、御縁を感じたものです。

 徳永先生、獅子堂さんに、あつくお礼を申し上げるとともに、ますますの御活躍と今後のさらなる御指導・御鞭撻をお願い申しあげる次第です。

 京都女子大の卒業生には、このお二人に関する思い出をお持ちの方も多いことと思います。 

 私事ながら、昨秋に行った講演に関わる校正と執筆の仕事各一件が一昨日と本日にようやく終了しました。これから昨日届いた大部の校正に取りかかるところです。年度末締切の書類の山の始末を年度内につけられるか心配になってきました。

書評会「資料」の追加。

No.5579

 3月26日付の産経新聞に、高橋典幸氏による元木泰雄『源義経』の書評が掲載されています。
 →http://www.sankei.co.jp/books/shohyo/070326/sho070326002.htm

 新刊の『日本史研究』535号の部会ニュースに、昨年6月に行われた長村君の研究報告「鎌倉前期在京武士と承久の乱」の要旨が掲載されています。討論の要旨は岩田君の執筆。長村君には、早々の論文化を期待します。

 京都女子大周辺の桜。ちらほら咲き始めました。

 青島幸男に続いて、植木等も旅立ってしまった。寂しい限りである。
 日本人にたいして「そのうちなんとかなるだろう」と書き、歌ってくれる人は、もういなくなってしまった。

次回(新年度)の『吾妻鏡』

No.5580

 前回は(前回も)みなさんいろいろなお菓子をお持ち寄りいただきましてありがとうございます。

 さて『吾妻鏡』の次回は新年度となります。
 日時:4月2日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』承久四(貞応元)年正月一日条、二月六日条、三月三日条、四月二十七日条、七月三日条、十月二十六日条、十二月二日条、十二月十二日条。

 前回は、『吾妻鏡〈普及版〉』の二冊目を読み終えたということで、今まで読んだ範囲の(岩田の私的な)回顧を行いましたが、また次回からは今までのように読み進めていきたいと思います。
 範囲はひとまず上のように設定しましたが、他に講読を希望する条文があればお気軽にご連絡ください。
 また、新規メンバーも常時募集中です。春はクラブ・サークル・バイト・進学・就職・等々、新しいことを始める季節ですが、『吾妻鏡』講読会もよろしくお願いします。本年度は春に伊藤さん、秋に米澤くん、冬には大森さんに加わっていただき、それぞれみなさんレギュラーに定着して頂きました。まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

「最後の職員」

No.5578

 私が某機関の最後の職員であったことは、山田邦和先生のブログ「平安京閑話」(http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/)の3月24日条を参照されたい。

 その山田先生より、御高論「中世都市嵯峨の変遷」収録の金田章裕編『平安京-京都 都市図と都市構造』(京都大学学術出版会)を御恵送いただきました。あつくお礼申し上げます。

 NHK出版の石浜哲士さんから、石浜さんが編集に携わった毛利和雄『高松塚古墳は守れるか 保存科学の挑戦』(NHKブックス)を御恵送いただきました。時宜にかなった出版と存じます。
 石浜さんにお礼とともに、「近いうちに?」拙著も宜しくお願い申しあげる次第です。

 本日(26日)の『吾妻鏡』講読会は、ひとえに岩田師範の準備よろしきを得て実に中身の濃い会になりました。来年度もかくありたいと思います。
 
 当ゼミの運営に際して、たいへんお世話になった京都女子大学宗教教育センターの前係長 橋本晴子さんが今月末をもって定年退職されるので、『吾妻鏡』出席のメンバーとともに、御挨拶かたがた、お礼の品をお渡ししたのですが、かえって美味しいお菓子の詰め合わせを頂戴してしまいました。橋本さんにはお気遣いを頂くばかりということになりました。本当にありがとうございました。

 橋本さんのお菓子のほか、出席者の持ち寄られた甘くて美味しいお菓子(あえて申し上げさせていただくと、大森さんのシュークリームは格別でした)をたくさん頂いて、メタボリック対策のダイエット計画はご破算と相なりました。

 【追記】 東北福祉大学岡田ゼミナールより、『福島県国見町調査報告書-地域研究の課題と方法-』(岡田ゼミナール研究年報 第29輯 平成18年度)を御恵送いただきました。
 大学の正課のゼミナールで、これだけの形になったものが残せるというのは、大変なことだと思います。すぐれた学生さん達の御努力と岡田清一先生の御指導の賜物と存じます。
 なお、ここに収録された岡田先生の特別寄稿「中世史研究の潮流と陥穽」・「「碇石」所在地および関連文献」の二論文は中世史研究にとって貴重です。
 岡田ゼミナールのみなさんに、あつく御礼を申し上げます。

島根県立古代出雲歴史博物館開館記念展

No.5575

 今月10日、出雲大社の東隣に島根県立古代出雲歴史博物館が開館し、5月20日まで開館記念特別展『神々の至宝』展が開催されています。これは、丁度1年前に開催された国立歴史民俗博物館での『日本の神々と祭り』展ともリンクし、私も間接的に関わっています。去る20日に行ってきましたので、ここで宣伝を兼ねて報告させていただきます。

 本展覧会の展示テーマは神宝と装束であります。神社には様々な宝物が所蔵されており、日本の文化財は寺院とともに神社が伝世してきたといっても過言ではありません。こうした宝物は様々な機会に奉納されて神社に伝わったもので、広い意味では神宝ともいわれます。しかし、厳密には一般宝物と神宝とは区別されます。厳密な意味での神宝とは、①天皇の代替わりや、遷宮や火災などの災害による造替(社殿の立て替え)の際に奉納される特定の品目であり、②天皇・上皇・女院・摂関などの然るべき人々の参詣の際にも神宝が奉納されます。①では神宝奉納の際に勅使(神宝使)が発遣されます。①を正式の神宝奉納とすれば、②は参詣者の任意の神宝奉納といえるでしょう。なお、神宝の具体的な内容は、武具(「たち」・弓箭・「ほこ」・楯)、紡績・紡織具、馬具、馬形、琴、鏡などの特定の品目となります。

 ①の神宝奉納の場合、新しい社殿内を飾り付ける具や調度、祭神の衣服に相当する神服や化粧具などの生活具、また、祭神が旧社殿や仮殿から新社殿に先行する際の神体遷行具なども同時に奉納されますが、これらは装束と一括されます。この装束が、当時の古記録などでもそうですが、往々にして神宝と混同されますが、文献にも「神宝・装束」と併記されることが多いように、厳密には神宝と装束は区別すべきものです。

 なお、以上の神宝・装束論はあくまで私の主張です。間違いがあれば私の責任です。

 今回の展示では、宗像大社・熊野速玉大社・春日大社・八坂神社・伊勢神宮、そして地元島根の各社の順に、神宝と装束が一堂に展示されています。簡単に各社のコンセプトを紹介します。

 まず宗像大社では、沖ノ島で行われていた古代祭祀の全容を明らかにし、神宝の源流を考えます。私の調べた所によれば、神宝の奉納は9世紀後半から盛んとなり、9世紀末以降の摂関期に常態化します。文献的にもっとも端的な例が『延喜式』に載る神宮式年遷宮の記載であり、また、そのことは伝世する古神宝類の様式がすべて平安貴族様式であることからも理解できます。展示では、そうした神宝の源流が奈良時代くらいにあることが理解できます。

 次が熊野速玉大社です。ここには足利義満が明徳元年(1390)の造替に際して奉納した神宝・装束千点以上が一括して伝世しており、また江戸時代の写本ながら明徳の神宝・装束目録も残っており、奉納年代が明確でかつ多量の神宝・装束が伝世している点で、神宝・装束研究には格好の対象となる所です。そうした神宝・装束の代表的なものが一括して展示されています。また、10世紀初頭の熊野速玉大神座像も展示されており、大変貴重です。

 次いで春日大社です。春日大社にも、平安期から鎌倉期に掛けての武具を中心とした神宝が多く伝世し、藤原忠実や頼長と関連づけられる遺品もありますが、今回はそうした神宝ではなく、舞楽伝承の一大拠点である南都楽所である春日大社の特性を強調し、「もうひとつの神宝」という捉え方で、平安時代の遺品を含む舞楽面と装束を展示しています。展示場には南都楽所による舞楽のビデオを流れていますが、4月15日には、博物館の庭で実際に舞楽が演じられます。上記②の神宝奉納の際には、必ず舞楽などの芸能も奉納されますから、舞楽を「もうひとつの神宝」と捉える視点に私は多いに賛同します。

 次が八坂神社です。祇園祭で著名であることは今更言うまでもありませんが、八坂神社には、承応3年(1653)造替の際に、徳川家綱が奉納した神宝・装束が一括して伝世しています。これらの神宝・装束は一部に近世的な要素を含みながらも、本来の神宝・装束のかたちである平安貴族様式をよく継承しており、往事の研究のほどが伺える展示となっています。

 次は伊勢神宮です。伊勢神宮といえば、式年遷宮が著名です。現在も平成25年の遷宮に向けて準備中です。しかし、明治以前の神宝・装束は、撤下後は廃棄処分にされてきたために、かつての遺品は数えるほどしか残っていません。現在の神宝・装束は、昭和4年の遷宮に先立って結成された「御装束神宝古儀調査会」という国家機関による文献や各社伝世の古神宝類に対する綿密な調査・考証の結果、復元された品々である。したがって、現在の神宝・装束ではありますが、かつての内容をしっかりと把握できる品々ばかりですし、神宝・装束考察の基礎はやはり伊勢神宮にあります。そうした伊勢神宮の神宝・装束のうち、昭和4年遷宮時の遺品が、ほとんど悉皆展示ではないかと思われるほど多量に展示されています。

 最後は、地元島根の出雲大社・佐太神社・日御碕神社・物部神社・須佐神社・賀茂神社・高野寺の神宝・宝物を展示し、締めくくられています。

 以上、ともかく内容・ボリュームともにすばらしい展示で、担当者のご苦労如何ほどであったかが推察できるとともに、専門・時代に関わりなく、是非、観覧に行かれることを強くお薦めいたします。図録も素晴らしいものです。

 なお、今日以降の講演会の日程は以下のようになります。
 4月7日 祇園 八坂神社の祭儀と神宝 八坂神社 五島健児氏
 4月28日 伊勢神宮の式年遷宮と御装束神宝 神宮司庁(未定)
 5月12日 有職故実からみた神宝・装束 神奈川大学 近藤好和
です。

 以上、長文に渡り、失礼いたしました。
 

新年度の予定をお知らせ下さい。

No.5576

 近藤先生、御案内と御教示、ありがとうございます。
 博物館のHPを見たところ、出雲大社社殿は大林組の復元案による高層建築の模型が展示されるようですね。私は歴博の講演会で三浦正幸先生の、あれは成立しがたい説というお話をうかがって、なるほとどと思っていたのですが、やはりインパクトのあるものが優先なのでしょうか。
 「復元」には、いろいろ問題がありますね。

 それにしても出雲高校を今春卒業して岡山や京都の大学に進学する伊藤さんや杉谷さんにとっては、帰郷の際のお楽しみが増えたようで、羨ましい限りです。出雲では未盗掘の古墳が発見されたり、最近は古代史の話題に事欠きませんね。

 ところで、明日は今年度最後の『吾妻鏡』講読会が開かれますが、そろそろ共同研究室使用確保のためにも、来年度の日程を決めていただきたく、メンバー諸姉兄は明日の出席の有無に拘わらず、新年度の予定についてお知らせ下さるようにお願いいたします。それを集約した上で、講読会・例会などの日程(曜日・時間)を決めたいと思います。
 また、『吾妻鏡』以外に講読したい史料や始めたい企画等がありましたら、これも早々に御連絡下さい。

 >岩田君  『吾妻鏡』講読会・『入門吾妻鏡』プロジェクトについて、御面倒ながら集約をお願いいたします。

明日の『吾妻鏡』

No.5577

 明日の吾妻鏡講読会は以下の通り行います。

 日時:3月26日(月)13:00~
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』承久三年閏十月十日条の残り~

 >野口先生 ご無沙汰しております。新年度の件につきまして、了解致しました。早急に調整を図りたいと思います。

二つの慶事 学位受領と論文集公刊

No.5574

 ここにも何度か書かせていただきましたが、今から二十年ほど前、二条城の近くにあった京都文化財団歴史研究室に勤務していた私の所に考古学を専攻する背の高い女子学生が、七条町の発掘調査に携わった先輩(今は安土城の発掘調査で御活躍です)に連れられて、やってきました。<源義経>のことを勉強したいというのです。
 その後の彼女の活躍は目を見張るばかり。そう、前川佳代さんです。その前川さんが、本日、奈良女子大学から博士号を授与されます。ほんとうに、おめでとう御座います。
 「意志と情熱」の結実は見事という他はありません。NHKの朝の連続ドラマの主人公のごとしです。
 今日は御子息の通っている幼稚園の終業式のため、学位授与式には出席できないとのこと。これも前川さんらしい。
 四月からは幼稚園のPTAの会長をされる由。家事・育児と大変でしょうが、ぜひ研究活動と両立(鼎立?どころではないか)させて、御活躍いただきたいと願っています。


 関口力さんは私が古代学協会に勤務していた当時の同僚です。現在、平安時代を研究する誰もが座右の書としている『平安時代史事典』の編集の中心になったのが関口さんです。また、長く『古代文化』の刊行にも編集委員主任として尽力されました。いわば学界の縁の下の力持ちの役割を担ってこられたわけです。
 その関口さんが、摂関時代を中心とする平安時代史研究の状況を見通し、総括された上で、これまで執筆されてきた論文をまとめ、さらに新稿を加えた論文集『摂関時代文化史研究』(思文閣出版)を刊行されました。摂関時代を専攻する研究者はもとより、これから研究を志していこうとする若い人たちにとって大きな道しるべになることは必定の本です。
 関口さんに上梓のお祝いと、御恵送のお礼を申し上げます。

「東国の武士たちと京都」

No.5573

 京都アスニー(京都市生涯学習総合センター)から、2007年春夏(4月~8月)に開かれる講座案内のパンフレット「まなびすと」が送られてきました。私も6月8日にタイトルに掲げたテーマでお話しをさせていただきます(詳しくは→http://web.kyoto-inet.or.jp/org/asny1/koza/kyoto2.html#002)。
 上横手雅敬先生の「「平家物語」を読む」など、垂涎の講座もあります。

 本日、『紫苑』第5号の三校を印刷屋さんに渡しました。これで校了。編集長の山岡さん、御苦労様でした。また、校正に御協力いただいた岩田君をはじめ、執筆者諸姉兄にもお礼を申し上げます。発行部数は300。4月7日の書評会の席でお渡しできるものと思います。今度の号は完璧な学術雑誌です。これから宇治を研究する人には必携の文献になることでしょう。お楽しみに。

 研究所『研究紀要』第20号に発表した拙稿「伊豆北条氏の周辺-時政を評価するための覚書-」にたいして、時政研究の第一人者である先生から「時政・時定、および宗親・時親の関係についてのお考えは、大変新鮮にして興味深く、ほぼ受容されるべきかとも存じます」という、ありがたいメッセージを頂きました。あまりに奇を衒いすぎたのではないか心配していたのですが、いささか安心。これで、『北条時政』執筆に弾みがつけばよいと思っています。

 しかしながら、依頼原稿(とくに書評)が少しも片付かない上に、年度末の報告書類やら校正ゲラが山積み、公開講座の講演録も締切が迫り、さらにはまた断り切れずに雑誌原稿を引き受けてしまい。ほんとうに困っております。すべて自己責任ですが。

 大学で、この三月をもって定年を迎えられるある先生から、ひと区切りの意味を込めて作られたという随想集をいただきました。読んでみると「同じ思いでおられたのだなぁ」と共感すること頻りでした。研究者たる者、大学や学生さんに対する思いは同じ。すこし気持ちが楽になりました。

抜刷を作りました。

No.5571

 拙稿「「鎌倉武士」の成立と武士論研究の課題-一九九七年度日本史研究会大会シンポジウム報告によせて-」(東北中世史研究会『会報』第12号、2000年)は、掲載誌を所蔵している図書館が少ないためか、その入手や複写について、しばしば直接の問い合わせを頂くことがあります。
 そこで、需要があるならばということで、抜刷を作成いたしました。必要な方は、お申し出下さい。

『紫苑』三校中&同志社大学も卒業式。

No.5572

 本日(19日)『紫苑』第5号の三校ゲラが届きました。山岡編集長がしっかり校正をされていますが、校正期間が短いので、執筆者の皆さんは宜しく御協力下さい。
 
 その山岡さんも、明日(20日)が卒業式。進学先は今出川通りを東進して鴨川を渡った先にあります。やや北に過ぎますが、なにやら保元の乱における後白河天皇方の進撃経路を思い起こしてしまいますね。
 山岡さん、おめでとうございます。ますますの御活躍を!

 進学先といえば、本日(19日)午後、尻池さんから「もう広島大学にいますよ」という電話を頂きました。とてもお元気そうで、すでに活動開始の御様子。うれしい限りです。
 この電話を頂いた時、私は研究室で、京都新聞(電子版)の取材をうけておりました。公開講座に関することなのですが、どのような記事と写真が掲載されることになるのか、いささか心配です。

 >田中さん  須田春子先生の寄贈図書の中に、井上敬道編『比叡山』(精華校友会、昭和7年)という貴重書があります。大学図書館でも、この本を所蔵しているのはごく僅か。巻末に付せられた「比叡山地図」は他に類をみないものでしょう。

尻池さん、いよいよ安芸国へ

No.5569

 >尻池さん メッセージをありがとうございました。お引っ越し、気をつけて。
 京都から離れてもゼミメンバーは継続をお願いいたします。

 ☆ 一昨年夏の鹿児島ゼミ旅行(しろくまツアー)の際、紫原の「信玄」での懇親会の際、尻池さんに大学院進学についてアドバイスをしてくださった鹿児島県立歴史資料センター黎明館の栗林文夫先生から、昨秋に開催された特別展『祈りのかたち~中世南九州の仏と神~』図録を御恵送いただきました。廃仏毀釈や対外交流も視野に入れた浩瀚な展覧会であったようで、栗林先生の力量には感服させられました。栗林先生にあつく御礼を申し上げます。
 
 ちなみに、尻池さんは、研究科は異なるかも知れませんが、見事に栗林先生の後輩になりました。もう10年もすると、尻池さんも栗林先生のような活躍を見せてくれるものと期待しています。

 ☆ 守田逸人さんから御高論「院政期の有封寺社と国家」(『歴史学研究』825)を御恵送いただきました。封戸制の変容過程を有封寺社の再編の過程と関連づけて考察されたものです。守田さんにあつく御礼を申し上げます。
 それにしても、私は当該方面についてまったく不勉強で、恥ずかしい限りです。

今日は京都女子大学の卒業式の日です。

No.5563

 さきほど、学部と大学院の卒業証書・学位記授与式が終わりました。短期大学部と博士の学位記授与式は午後からです。

 今年の学部卒業生は、一・二回生の時に野口担当の総合教育科目を履修してくれた人が多く、その中から何人かの方が当方のゼミに参加してくれました。
 たった四年間ですが、ゼミ旅行での諸々の「事件?」を始め、思い起こすといろいろありましたね。いろいろなメンバーの顔が思い浮かびます。
 「色即是空」とまではいかないにしても、「紆余曲折」「栄枯盛衰」くらいのことは、あったのかもしれません。
 
 いずれにしても、卒業生諸姉の今後のご活躍を期待するのみ。おめでとうございました。

 ☆ ちなみに、京都女子大学からの京都の眺望はこちらを御覧下さい。一見の価値有りです。
   →https://www2.kyoto-wu.ac.jp/club/map/panorama.html

ご卒業おめでとうございます

No.5564

 本日ご卒業のみなさん、おめでとうございます。こういうご時世に「卒業=めでたい」と言ってしまっていいものかどうか迷うところではあるのですが、みなさんそれぞれ課程を修められ知識と経験を蓄えられたわけですし、他に適切な表現も見当たりませんので、やはり「おめでとうございます」と申し上げたいと思います。
 今後のみなさんのご活躍、ご健康、ご多幸をお祈り申し上げます。

☆ご卒業おめでとうございます☆

永富 絵里子
No.5566

一日遅れですが、ご卒業おめでとうございます。
昨日三条のスターバックスへ立ち寄ると、めいいっぱいドレスアップした女の子たちが京女の紙袋を持っているのを見かけたので「もしや今日は卒業式?!」と思っていたら・・・やっぱりそうだったのですね!!

野口先生もおっしゃっておられますが、ゼミ旅行での事件や飲み会など・・・色々皆さんとの楽しかった思い出が浮かびます。
私にとってはじめてのl「後輩」だった皆様がいつのまにかぐんぐん実力を伸ばし、出逢ったころからは想像もつかないぐらいにたくましく色々な物事に立ち向かい、チャレンジされている姿は本当に立派だと思います。
そしてその様子を先生のお話や掲示板をとおして知るたびに「ああ、私もがんばろう」ととても励みになっています。

最近は私もゼミのほうになかなか顔が出せずにいますが、また近々ゆっくり皆様とお話できることを楽しみにしております。

春からそれぞれ今までとは違う環境での生活が待っていることと思いますが、ご活躍をお祈りいたしております。






卒業式の日も過ぎて。

No.5567

 卒業式の当日、あるメンバーの御両親が揃って御挨拶に来てくださったのには感激しました。

 岩田君。やはり、卒業は祝福されるべき局面だと思いますよ。誰かが研究室で「なごり雪」を歌っていました。

 永富さんが卒業されたのは昨日のよう。本当に「月日は百代の過客にして」の言葉通りですね。永富さんの「がんばり」は後輩たちの鏡です。これからも範を示して下さいますように。

 ☆ 本日、早稲田大学の川尻秋生先生より御高著『戦争の日本史4 平将門の乱』(吉川弘文館)を御恵送いただきました。川尻先生にあつく御礼を申し上げます。
 
 ちなみに、元木先生御指摘の「主役は義経だけではない!」という帯のついた本も、このシリーズの一冊です。

 6月に同じ出版社から刊行される拙著の書名ですが、『源氏と坂東武士』に正式決定いたしました。

Re: 今日は京都女子大学の卒業式の日です。

尻池由佳
No.5568

 ずいぶんと返信が遅れてしまい、申し訳ありません。たくさんのお祝いのお言葉ありがとうございます。親元を離れるのが寂しいと泣いていたのがつい最近のように感じられるのに、あっというまに四年間が過ぎ、今では大学で出会った人々と離れるのが寂しいと涙しております。本当に早い四年間でした。
 歴史が大好きで、大学には入学したものの、ただなんとなく毎日を過ごしていた私に、大学で勉強することの面白さを教えてくれたのは、野口先生でした。野口先生が受け持っておられた総合教育科目の授業は、今まで自分が常識だと思ってたことが、実は意図的に作られた虚像なんだということに気づかされる授業でした。先生の授業に出るたびに、自分の価値観がどんどん変わっていくのを実感しました。
 野口ゼミの活動は入学前から知っていましたが、あまりにレベルが高そうで、私が気安く顔を出してはいけない場所なんだろうなと思っていました。しかし、野口先生の授業を受けて、野口ゼミにとても興味を持つようになりました。ですが、やはり「私のようなお馬鹿がしゃしゃり出ても迷惑がかかるだけ…」という気持ちが強く、野口ゼミに参加させてほしいと言うことができずにいた私に、参加を勧めてくれたのは山内さんでした。野口先生に直接ご指導いただかなければ、山内さんが一言声をかけてくれなければ、野口ゼミの先輩方にもお会いすることができず、大学で学ぶことの楽しさを知ることもなく卒業してしまうところでした。
 ゼミの活動に参加させていただくようになってからは、先輩方からは勉強の仕方などをほぼ個別指導のような状態で教えていただき、また、伊藤さん・山内さん・山岡さんといった良い刺激を与えてくれる良きライバルにも恵まれ、大変勉強になりました。直接お会いして、きちんとお礼を申し上げることができませんでしたが、手のかかるわがまましほうだいの娘をこれまで暖かく見守ってくださった野口ゼミの皆様に、この場をお借りして御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 あと二日ほどで、名残惜しい京都を離れて新しい環境での生活を送ることになりますがが、野口ゼミの皆様から吸収したことを生かして今後の研究に取り組んで参りたいと思います。
 お邪魔かもしれませんが、また京都に来たときはどうか冷たくあしらわないで、暖かく迎えてくださいますよう、お願い申し上げます。四年間、たくさんの経験をさせていただき、ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしております。

おめでとうございます!

鍛治 利雄
No.5570

メッセージがだいぶ遅れました。 ご卒業おめでとうございます!
尻池さんは旅立たれるのですね。 淋しくなっちゃいますね。

尻池さんには、2回生の時に、たまたまコンソーシアムの授業でお会いして、
ノートコピーさしてもらったり、当ゼミに誘ってもらったりと、迷惑かけっぱ
なしでした(笑)

それだけじゃなくて、名前もなかなか覚えられなくて、当ゼミに参加する前に野口先生に
「京女の…誰だったかな…?誘われたんですけど、参加してもいいですか?」
などと、失礼極まりない発言までしてしまい、スンマセンでした(笑)

お互い4月からは、院生ですね。 ゆっくり頑張っていきましょ!!

『伝説の将軍 藤原秀郷』残部僅少。

No.5561

 ◇ 吉川弘文館のHPの残部僅少本一覧表(2月23日現在 在庫30部以下)に拙著『伝説の将軍 藤原秀郷』が遂に登場です。
 いよいよ、幻の名著?の仲間入りでしょうか。

 ◇ 次作『源氏と坂東武士』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)は6月20日に配本の予定。
 現在、初校校正を済ませた段階です。

 なお、執筆遅延で御迷惑をおかけしている書評・紹介4件のうち、先般ようやく1件が終了いたしました。それにしても、依頼された順番通りに行かず、申し訳ありません。