近藤好和『装束の日本史』を薦めます。

No.5430

 本日お目に掛かった京都府立総合資料館の大塚克美先生が、カバンの中からおもむろに取り出されて「これは良い本だ」と激賞されたのが近藤先生の新著『装束の日本史 平安貴族は何を着ていたのか』(平凡社新書)。
 10時近くまで続いた会議を終えて、最近少しばかり本数の増えたバスにゆられて帰宅すると、この本が届いておりました。パラパラめくると、ほんとうに大塚先生の仰るとおり。これまで史料を読んでいても、よく分からなかった装束の問題が、とてもわかりやすく説明されている。「可視的身分標識論」を語るにはこういう知識が大前提なわけです。
 これまで、近藤先生と言えば武器・武具でしたが、本来の御専門がこの本に示されています。国文の方にも必携でしょう。
 ほんとうに良い本を書いてくださった近藤先生に感謝。もちろん、御恵送いただいたことにも。
 これは、きっと売れますよ!

 さて、次に楽しみなのは、そろそろ書店の店頭に並びそうな元木先生の『源義経』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)です。鶴首して待望。

 ところで、どなたか、すでに名著の評判高い美川先生の『院政』(中公新書)の紹介文を書いてくださいませんでしょうか。立候補しようかなと思う人は野口まで。委細はその際に。

 本日、研究室で史学科の小野さんと卒論についてお話ししました。テーマにしたいのは中世前期の女性史とのことで、鎌倉幕府の女官組織に関心ありとのこと。これまた、期待するところ大。御研究の進展が楽しみです。
 ゼミの院生諸兄姉、大いに牽引してあげて下さい。御指導を宜しくお願いいたします。

ありがとうございます。

No.5432

野口先生、拙著に対しての過分なお言葉とご紹介、誠にありがとうございます。大学の講義ノートをまとめただけの本ですが、何かのお役にたてば幸いです。

 最近、色々とあって自分の研究に自信を失いかけていたので、お言葉を励みにしたいと思います。

 これからもよろしくお願いします。

1月22日の『吾妻鏡』

No.5426

 今年も『吾妻鏡』は順調にスタートしました。次回の講読会のご案内です。

 時間:1月22日(月)16:30~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:承久三年六月十五日条~

 次回は開始時間が通常とは異なります(16:30~)のでお気を付けください。

 例によって参加者随時募集中ですので、新年から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでもご参加下さい。

 

安土城本丸御殿に関するシンポジウム

No.5421

 本学家政学部生活造形学科の川本先生からの御案内です。

    ☆ シンポジウム開催のお知らせ ☆

           記

  テーマ:安土城本丸御殿をめぐる諸問題

  1.趣旨説明:玉井哲雄(国立歴史民俗博物館)
  2.「安土城本丸の空間構造」:三浦正幸(広島大学大学院文学研究科)
  3,「行幸御殿とは何か」:川本重雄(京都女子大学家政学部)
  4.「秀吉御殿の復原を巡って」:三浦正幸・川本重雄
  5.質疑応答
   
  コメンテーター:藤田達生(三重大学・日本史)
            宮武正登(佐賀県教育庁・考古)

  日時:2007年2月24日(土)午後1時30分~5時
  場所:京都女子大学 B420教室
       住所:京都市東山区今熊野北日吉町35
   電話:075-531-7194(研究室)
  参加費:無料 (先着100名)
  参加申し込み:Fax 075-531-7194 京都女子大学 川本研究室
       e-mail Kawamotolabo@aol.com(@は半角に)

 ※ これはたいそう面白そうなシンポです。私は早速申し込ませていただきました。
  ちなみに、本日の日本史研究会中世史部会は如何でしたでしょうか? 

ありがとうございました!

No.5422

先ほど帰宅しました。
雨の中、わざわざ聞きに来て下さったみなさま、どうもありがとうございました。
聞きに来て下さった方に役に立つ話だったのかどうかはわかりませんが(そう願っているのですが)、
報告者にとっては、非常に有益でありがたい質疑応答になりました。
当日の昼に論旨の大事な部分が付け加わったりと、かなりギリギリまであれこれいじっていたのですが、
質疑応答の中で、質問されるまで文字化してなかった部分や、
質問されるまでそもそも本人が(意識して)考えてなかった部分を形にすることが出来ました。
そうやって形にしたものが、客観的に見て納得の行くものなのかどうかは、
またこれから推敲していかなくてはいけませんが、頑張ります!

昨日の研究室、博物館の会議のことなど。

No.5423

 佐伯君、お疲れ様でした。ぜひ、素晴らしい論文に結実させてください。

 ところで、昨日の研究室はあたかも『紫苑』編集室のごとき有様で、つぎつぎと原稿を執筆者ご本人が持参。さっそく、岩田師範の御指導を頂いている方もおられました。論文・研究ノートについては岩田君・尻池さん・伊藤さんのものが全てそろい。長村君の史料紹介も分量がつかめていますから、事務方に見積もり依頼をお願いいたしました。
 なお、ゼミ旅行などについては、この掲示板への書き込みを転載することも考えています。よろしく、ご了承下さい。

 という次第で、昨日の研究室は人口密度が極めて高くなり、御来室いただいた川本先生などには、日本絵巻大成がうずたかく積まれたテーブルで応対させていただくことになり、たいへん失礼いたしました。夕刻には久しぶりに小野さんも来てくれました。私は例の博物館リニューアルの会議に出席のために早めに退出したのですが、その後、みなさんは如何過ごされたのでしょうか?本日、出勤するとテーブルの上には、米澤君のお土産の「うなぎパイ」と所有者不詳の開封済み「チョコレート効果」が置かれておりました。

 さて、博物館の会議ですが、館の方3名(博士の学位を持つ女性の課長さんと元同僚2名)の他に、京都の中世文化史研究をリードする3人の著名な先生方と「京都の歴史といえば」の山田邦和先生がご出席。博物館の具体的状況・課題をうかがうごとに、暫く博物館から離れて現状認識に欠けていることを痛感させられ、また博物館業務に通暁された諸先生のご意見からは学ぶところ多大なものがありました。
 ちなみに、会場に到着したときに例のごとく初対面の先生方に御挨拶と名刺交換をしたのですが、少しの間お目にかかっていない間に髭を生やし服装も変わった元同僚M氏にも挨拶しようとして呆れられるという一幕もございました(こういう時は、本当に身の置き所を失いますね)。
 会議終了後は山田先生と三条の「田毎」というおそば屋さんで夕食。「重要な」情報交換が出来ました。

 それにしても、成績処理・来年度のシラバス・入試関係の仕事のほか、研究費の事務処理や年度内刊行の論文の校正など本務が山積み、原稿の負債・・・といったあんばいで、この時期の同業者はみんな大変なのです。
 そこで、目下、山岡さんと岩田君に助っ人をお願いしています。昨日は岩田君が大量の書籍を図書館まで配送してくれたようで、事務の方から感謝の言葉を頂きました。
 ちなみに、岩田君がほぼ100%女子学生で埋め尽くされたA食でうどん(orそば)をすすっておられるお姿には「勇気」の二文字を想起せざるを得ませんでした。

【追記】月曜日頃から、岩田君から頂いた私のマグカップが見あたりません。お心当たりの方はいませんか?
 それから、伊藤さんから木更津のお土産を頂きました。22日の講読会の際にお召し上がり下さい。

〔改訂増補〕やすい、うまい、こわい

No.5425

>佐伯さん 昨日はおつかれさまでした。中身の濃いご報告とハイレベルな討論を拝聴し、ずいぶん勉強させて頂きました。

>野口先生 昨日は長いこと研究室にお邪魔しました。あまり生産性の良い労働力ではありませんが、簡単でも面倒なお仕事等はなんなりとお申し付け下さい。研究室にもご自宅にもすぐに伺います。
 昨日は17:00過ぎまで研究室を利用させて頂きましたが、テーブルの上のものをそのままにしてしまいまして申し訳ありませんでした。「うなぎパイ」は米澤くんより「お好きにどうぞ」とのありがたいお言葉をいただいております。

 またご紹介(?)に預かりましたように、昨日は初めてほぼ100%女子学生で埋め尽くされたA食(と呼ぶんですね)を利用させて頂きました。若干の補足が必要かと思いますが、何も「単独突入」したわけではなく、ちゃんと野口先生・山岡さん・伊藤さんにお付き添いいただきましたので、初めての〈京女うどん〉はリラックスして美味しくいただきました。
 毎週金曜日、関学にご出講の元木先生にはお昼ごはんを召し上がって頂く場所があまりなく、その都度ご不便をお掛けしているのですが、あのA食ならばもしかしたらご満足いただけるかもしれませんね(とはいえ〈アジアンランチ〉を拝見したら、けっこう「量」に特化した献立のようであり、メニューに○○○も無かったのですが…)。

 一方で、野口先生が日頃から「あそこはこわい」と仰る理由もまた、よくわかりました。

>尻池さん ほんとうにすみません。以上のように訂正いたしました。いずれまた錦華食堂(「日の出食堂」に匹敵する派手なネーミングですね)のご案内もよろしくお願い申し上げます。
 お忙しいところA食にご一緒してくださいました、伊藤さんもありがとうございました。

おつかれさまでした。

尻池由佳
No.5427

 紫苑の編集作業や購読会など、月曜日・火曜日と続けてお疲れ様でした。
 紫苑の編集については、年明け早々、野口先生をはじめ野口ゼミの方々にご迷惑をおかけして申し訳ありません。

 〉野口先生 机の上の「チョコレート効果」は私が置きっぱなしにしたものです。申し訳ありませんでした。みなさんと食べようと思って買ったものですので、開封済みで申し訳ないのですが、紫苑の編集作業中にでも研究室に集まったみなさんでお召し上がりください。

 〉岩田さん ざ、残念ながら尻池は昨日のランチにはご一緒しておりませんよっ(泣)。
その時間は「ランチ」ではなく「テスト」でした…。A地下の食堂に挑戦されたのであれば、今度は錦華食堂に挑戦しましょう!ご案内は10年間女子校生活を送っている私がバ ッチリさせていただきますよ☆
 

歴史家にとって正確は義務であって・・・!

No.5428

>岩田君  「歴史家にとって正確は義務であって美徳ではない」のであります。
 この言葉はE・H・カーの『歴史とは何か』(岩波新書)にひかれていて、ハウスマンという人が言ったことなのですが、1969年、私が青山学院大学史学科に入学したときのオリエンテーションの際、ある西洋史の教授が、この言葉をE・H・カーの言葉として紹介されたのを聴いて、一人「ほくそ笑んだ」ことを覚えております。
 それから、元木先生に欠くことのないメニューの○○○というのは、間違いなく「ビール」ですね?

>尻池さん  「申し訳ない」などと、とんでもありません。ご芳志と思って、さっそく賞味させていただきました。みんなの分はもう無いかも。
 研究室のお菓子の話で、斯界にカントリーマアムが大好きな先生がおられることを思い出しました。不二家の事件でさぞお困りのことだろうと思います。

新年初「(泣)」

No.5429

>尻池さん・野口先生
 大変ご迷惑をおかけしました。後から正誤表を挟み込むわけにもいかず、〔改訂増補〕版として修正しておきました。ご叱正に感謝いたします。

 ちなみに「歴史家にとって正確は義務であって美徳ではない」のお叱りを頂戴するのは三度目です。仏の顔も、三度まで…(泣)

慶應義塾中世文学研究会200回記念シンポジウム

No.5420

大橋直義です。突然の長文の投稿ですが、また宣伝をさせてください。

慶應義塾中世文学研究会 二〇〇回記念シンポジウムのご案内

シンポジウム:中世文芸の王権とレガリア
[パネリスト]
小秋元段氏(法政大学)
神器論の位相 ―『太平記』と『神皇正統記』と―

藤巻和宏氏(早稲田大学非常勤講師)
東大寺大仏と伊勢参宮 ―中世南都の舎利・宝珠信仰の一斑―

中原香苗氏(京都精華大学非常勤講師)
楽器と王権

佐々木孝浩氏(慶應義塾大学附属研究所斯道文庫)
王権の標章としての装丁 ― 巻子装をめぐる諸問題―

[司会]大橋直義氏(日本学術振興会特別研究員)

[会場] 慶應義塾大学三田キャンパス 三一三教室
[日時] 二〇〇七年三月十七日(土) 午後一時より
[連絡先]
 慶應義塾中世文学研究会
  108-8345 港区三田2-15-45
  慶應義塾大学文学部 岩松研吉郎
  tel 03-3453-4511 内23093
  fax 03-5427-1578
  mail naohashi@k2.dion.ne.jp(大橋直義。@を半角に変えてください)
  *PDF版のご案内をお入り用の方は上記メールアドレスまでご一報ください。

[趣意文]
 年に十一回の例会をかさねてきた私ども慶應義塾中世文学研究会も、2006年12月に二〇〇回を数えることができました。それを記念いたしまして、来る2007年3月17日(土)にシンポジウム「中世文芸の王権とレガリア」を開催いたします。
 天皇とそのイエ、神祇と王権をめぐる諸問題については、中世の文学や史学、宗教研究、あるいはそれら諸領域をこえた言説・現象をめぐる視座からの検討がなされ、活況を呈しているということができるでしょう。ただ、その中にあって、中世日本におけるレガリア―王の宝物―とは何であったのかという観点から、総合的に「王権」とそれをとりまく諸文芸・言説をとらえようとする試みは、これまでなされてはいなかったのではないでしょうか。それはおそらく、レガリアには、実体的な「モノ」という側面と、それに対する種々の言説によって仮構された虚像までも含む「コト」という側面とが、しかも折り重なるようにかかわりあう性格があるということに起因するようにも思えます。そしてさらに、日本におけるレガリアとは、三種神器のみならず、如意宝珠や楽器もその範疇にあるものであることも一因であったのかもしれません。
 このような状況にかんがみ、本研究会は三種神器・如意宝珠・楽器、そして書物そのものをもレガリアの範囲内にいったん収めた上で、さらにそこから展開させてゆくべきと考えました。そこで、各々の事物にかかわるご研究を精力的につづけておられる4人の研究者の方々をパネリストとしてお招きし、シンポジウム「中世文芸の王権とレガリア」を企画いたしました。それぞれの題目と要旨は次のとおりです。

*小秋元段氏「神器論の位相 ―『太平記』と『神皇正統記』と―」
 南北朝時代において、三種神器の有無は両朝の正統性に大きな影響を与えたはずである。これを文学作品はどのように描くのか。『太平記』と『神皇正統記』をとりあげ、神器論の位相を探っていきたい。
*藤巻和宏氏「東大寺大仏と伊勢参宮 ―中世南都の舎利・宝珠信仰の一斑―」
 東大寺創建の際、行基・橘諸兄が伊勢に参宮し、天照大神の本地=盧遮那仏が示される。また、再建時には重源が伊勢で宝珠を感得する。本発表では、舎利・宝珠信仰の視点から、これらの説話の展開相を検討する。
*中原香苗氏「楽器と王権」
 中世において、音楽―特に楽器の名器や秘曲伝授―は、天皇の権威と深く関わっていた。室町期には将軍も音楽に関与するようになるが、史実や伝承をもとに、名物とされる楽器と王の権威との関係を中心に述べたい。
*佐々木孝浩氏「王権の標章としての装丁 ―巻子装をめぐる諸問題―」
 勅撰集の奏覧本が巻子装であったことは良く知られている。勅撰集の現存伝本には巻子装であるものは少なく、またその多くは冊子から改装されたものである。その理由を書誌学的な見地から考察してみたい。

 塾の内外をとわず、こういった問題について関心をお持ちのかたのご参加と、議論の深まりを熱望いたします。

年度末のお忙しい時期とは存じますが、どうかよろしくお願い申し上げます。
長文、失礼いたしました。

中国旅行報告

No.5418

野口先生 今年もよろしくお願いします。いつも掲示板を拝見させていただき感心していますが、参加できる話題がなくて、一方的に読ませていただいております。
今回は、5年ぶりに中国に旅行してきましたので、感想などを報告させていただきます。
行きました所は上海・杭州・蘇州です。まず上海は観光としてはあまり行きたくないですね。公害が問題になっていた頃の東京と同じ状況になっています。とても空気が悪く、治安もよくないです。ところが中国の方たちは、それが繁栄の象徴と受け止めている?らしく、自慢しておりました。
蘇州・杭州も都会化しており、だんだんと歴史的な風景は消えつつありました。もし行かれるならば早い方がいいかと思いました。それでも烏鎮などには観光用に一部清代の街区が残されており、歴史を感じることができました。また西湖も湖の周りはビルが立ち並んでいますが、船で湖に出ると霞でそれらのビルが見えなくなり、水墨画の世界を味わえました。初めて牧渓の画がぼかし技法ではなく、むしろ写実なのだと実感しました。
ですが、あの寒山拾得の寒山寺の俗っぽさにはいささかびっくり。う~ん、やはり平地の寺はダメになるなあと、これまた実感しました。
とりとめのない話ですみません。ただ、自由経済の導入で、ほんとうに中国の変化が著しいので、歴史家の一人としては「これでいいのだろうか」と唸るばかりでした。

Re: 中国旅行報告

金澤正大
No.5419

確かに、古いところは次々消えていきます。
どの都市も似たようなビル・マンションの街となってゆき、一見どこの都市か分からないようになりました。また、ひなびた街でも観光地化すると、いわゆる復元化で古びた趣がなくなります。中国の仏像はどれも金ぴかで、むしろありがたみを感じないことと同じです。それに有名観光地はいずこも入場料が昨年値上げになり20年前とは雲泥の差で、気楽に覗けなくなりました(武侯祠は60元ですから、1日3食10元以下の暮らしの私ではちょっと散歩ついでに足を入れようかとは思いません)。
むしろ、日本にない自然を巡った方がよいかも知れません。歴史的なものはそのもの自体の姿を求めようとするとがっかりすることになるでしょう。想像力を豊かにして、自分の頭の中に以前の世界を描くしかありません。もちろん、考古遺物は逸品がありますから、それを巡るのもいいでしょう。

Re: 中国旅行報告

No.5424

 現在の中国は高度経済成長期の日本を再現しているようですね。留学生の方々には、その間に発生した日本社会の歪みをよく学んでいってほしいと話しているのですが。
 現在の日本もこの点の反省はまったく疎かだと思うのですが、埋蔵文化財の保存などの点で取り返しのつかないことにならなければよいと思います。

 それにしても、どこに行っても街は同じような建物や看板が並んでいるというのは味気ないものですね。その点、ヨーロッパはたいしたものだと思います。第二次大戦で破壊された都市もかつての姿に復元する形で街づくりがされている。景観も「公」の財産という意識がきちんと確立しているようです。
 日本というのは、あるべきところに「個」の自由がないのにもかかわらず、景観破壊の建物や看板を平気で立てる「個」の自由はあるらしい。まともな「公」の意識が存在しないのですね。

Re: 中国旅行報告

金澤 正大
No.5431

昨日、冬休み(春節)で日本に戻ってきました。相変わらず当掲示板は中国では直接のアクセスは不能です。ある方法で閲覧は可能で、それでずっと読んでいました。つい先日、たまたま中村さんの中国関係の投稿があったので、ある方法で投稿したところ書き込めたわけです。

中国では住宅は都市では集合住宅がほとんどで、一戸建ては例外的なものです。ですから、旧来の住宅(成都では木造二階建て)が再開発されるとマンション化してしまいます。ですから、郊外の住宅地では、マンション団地となり、日本でもそうすが、それだけ見れば地域の差はほとんどなくなります。中心部は下層階が商店・レストランで高層階がマンションというビルとなります。これも地域差が目立ちません。どうしてもコンクリート建築となると、歴史的な継続がなくなるのは中国だけではありませんから。
まあ、明・清代の古建築を再現した古街を再開発する場合もありますが、これは観光資源としての再開発です。成都でいえば、武侯祠の錦里や文殊院(成都でもっとも古い寺院)の文殊坊がそうです。

朗報・『紫苑』・自己申告

No.5417

 今から20年ほど前、源平内乱期の勉強がしたいと言って、一人の女子学生が勤務先に私を訪ねてきました。本日、そのご本人から、博士論文を提出したという報告が届きました。並大抵でない環境の中での達成に拍手を送りたい。とてもうれしいです。

 『紫苑』第5号ですが、山岡さんが着々と編集作業を進行中。今号は岩田君の力作(巻頭に決定)をはじめとして、長村君、尻池さんから宇治関連の論稿が寄せられるようです。次号では共同研究のテーマにしている宇治の特集を組む予定ですが、早くも今号で先取りになりそうです。
 いずれにしても、刊行に至るまで、メンバー諸姉兄の積極的な御協力、よろしくお願いいたします。

 私ごとですが、本日、床屋さんに行きました。
 15日に「先生どうしたんですか?」とたずねる方が<必ず>おられると思うので、機先を制して申告しておきます(苦笑←誰かの真似です)。

新年初回の『吾妻鏡』について

No.5413

 新年あけましておめでとうございます。今年も『吾妻鏡』講読会をよろしくお願い致します。
 新年最初の講読会のご案内です。

 時間:1月15日(月)15:30~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 (http://www.kyoto-wu.ac.jp/student/map/index.html
 範囲:承久三年六月十四日条~

 例によって参加者随時募集中ですので、新年から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでもご参加下さい。

 また、当日は『紫苑』原稿の最終締切日でもありますので、執筆者のみなさんは遅れないようにご提出をお願い致します(私も遅れないようがんばります)。

研究室も始動いたしました。

No.5414

 岩田君、告知ありがとうございました。

 日程・時間につきましては、そろそろ期末試験の時期ですし、また入学試験などもありますので、できるだけ多くの方が参加できるように適宜変更してください。ちなみに、月曜の場合、29日は京都女子大の入試がありますので実施できません。

 なお、すでに院進学が決まっている諸姉は、進学先の先生が嶮しい坂道を用意され、かつまたビシビシ鍛えてくださる御方針のようですから(楽しみですね)、この機会にしっかりと史料読解力と鎌倉前期政治史にかんする知識を身につけて頂きたいと思います。

 『紫苑』は、年度末刊行に向けて、ギリギリの日程で編集担当の山岡さんが頑張ってくれています。

 昨日はアルバイト中の山岡さん、南都本『平家物語』の閲覧に見えた長村君に続いて、久方ぶりに永富さん・鈴木君(両先生)が来室。年頭の研究室は大賑わいとなりました。

 永富さんからはオーストラリアのお土産を頂き、鈴木先生には、例によってPCの機能UP(マウスとキーボードの付け替え)をしていただきました。ありがとうございました。

 お土産といえば、尻池さんからも、山陰名物「どじょう掬いまんじゅう」(素晴らしいネーミングだと思います)の差し入れをいただきました。これまた、ありがとうございました。

 今日の京都(正確には宇治)の朝は、車のフロント・リアガラスの氷がなかなか解けないほどの、おそらくこの冬一番の寒さでした。

『吾妻鏡』の入門書と日本史研の部会

No.5415

 本日、NO.5397でお知らせした『吾妻鏡』の入門書の執筆担当者として、即座に了解のお知らせを頂いたゼミメンバー6名の「名簿」を、編集担当の先生のもとにお送りいたしました。追って、具体的に話が進んでいくと思いますので、よろしくお願い申しあげます。

 さて、前にもお知らせしたのですが、来週の火曜日(16日)、日本史研究会中世史部会で佐伯君の御報告があります。

「鳥羽院政期政治史と王家」

という大きなテーマのお話です。私は内々の研究会で、大枠についてはすでにうかがったことがありますが、裨益を蒙るところ多大なものがありました。
 院政期を研究対象にされている方は、遠近問わずぜひ御参集下さい。

 なお、私は、部会開催の時間には某博物館の歴史展示のリニューアルに関する会議に出席しております。

第一回中世戦記研究会例会

No.5408

 先ほど帰洛いたしました。
 辻君、御報告お疲れ様でした。

 お天気が悪かったので、参加者が少ないのかと思っていたのですが、さにあらず、二十数名の研究者や院生・学生さんたちがお集まりになり、歴史の方が些か少なかったのが残念でしたが、「第一回」にふさわしい盛会となりました。
 
 今回もやはり、両者の間には深くて暗い川が流れているにせよ、文学と歴史学の交流は重要。このことを痛感させられました。

 例によって懇親会は大いに盛り上がり、時の経つ速さは竜宮城の浦島太郎の如き有様でした。私は樋口先生や伊藤さんたちと一次会で帰りましたが、辻君や雨野さんはその後無事に戻られたのでしょうか?

 今回、研究報告としては、辻君の「後白河と<都市民>」のほかに、和田琢磨さんの「今川了俊のいう『太平記』の作者-『難太平記』「六波羅合戦記事」を中心に-」があったのですが、ちょうど研究会の会場に行く前に水道橋にある日本書房という斯界では有名な古書店で、長く探していた永積安明・上横手雅敬・桜井好朗『太平記の世界』(日本放送出版協会)を手に入れたところでしたので、御報告を聴いたあと、これを読んでみて、『太平記』関する認識が一変。たいへん勉強になりました。

 この本が欲しかったのは、上横手先生の「内裏と幕府」を読みたかったからなのですが、奥付を見ると本の発行年は1987年。先生が56歳の時。となると執筆されたのは今の私と同年の頃ということになりましょう。

 上記、懇親会において、某大手出版社の編集者の方から、新書執筆について大いにハッパをかけられたのですが、早々のうちに負債を返済し、後進に少しでもお役に立てるような著作をものしたいと考えている次第です。・・・よってしったつ「九段」のごとし

Re: 第一回中世戦記研究会例会

田中裕紀
No.5410

野口先生おかえりなさいませ。
そして、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
さて、今日の辻くんの発表と和田さんの発表、聞きたかったのですが
仕事の準備やら原稿やらで余裕がなく、行くことが出来ず残念です。
先生、参加された皆さま、今度お会いする時に様子をお聞かせ下さいね。

『太平記の世界』、数年前に京都の古書店で発見して購入しました。
元々の師匠が太平記がご専門だったので、その授業を受けている時だったと思います。
あれから数年。もう一度読み返してみたら、新しい発見が出来そうです。

>ゼミの皆さま
 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

兵藤裕己『平家物語』(ちくま新書)

No.5411

 一番にお伝えしたかった田中さんから、さっそくにレスをいただけたのは、ありがたい限りです。
 今年はとても頑張ってくれそうなので、おおいに期待しております。
 ゼミ自体が椎間板ヘルニア気味ですので力を込めて「牽引」して下さるようにお願い申しあげます。

 本の話で思い出しましたが、兵藤先生の『平家物語-〈語り〉のテクスト』(ちくま新書)。絶版になっているのは後進育成のためにも、なんとも勿体ない。ということで、上記編集者に文庫での再刊を熱烈かつ執拗にお願いしておきました。ほんとうにあの本は名著だと思います。
 
 ちなみに、あの本を契機に兵藤先生に師事した門屋君のことも話題に上っていたのでした。

Re: 第一回中世戦記研究会例会

雨野 弥生
No.5412

無事、京都に戻ってまいりました。

先日は、天候のほうは、期待を裏切らず(?)大雨となってしまい
ましたが、野口ゼミの「暴走族」ならぬ「房総族」トリオ(?)
が初勢揃いでき、今年初のご来光ならぬ、日の出の勢いの
辻さんのご発表を拝みに行った気分でした。

研究会に行くたびに、自分の勉強不足が思い知らされます。
大変充実した研究会でとても勉強になり、新年早々、よい
刺激を頂きました。

野口先生、このような機会のご教示、大変ありがとうございました。

辻さん、本当にお疲れさまでした。
人より遅めに迎えるお正月、どうかゆっくりされて、また無事
京都に戻ってきてくださいね。

閑院内裏址石碑ピンチ

山田ちさ子
No.5401

野口先生、みなさま、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

年末年始とバタバタしておりご報告が遅れました。
閑院内裏址石碑(京都市中京区押小路通小川西北角)がたいへんなことになっています。
昨年の暮れに車にぶつけられて折られてしまいました。
現在、跡形もありません。
石碑の前のお寺のご住職さまはじめ地元のみなさんの強い要望で、
復元される方向にはあるようですが、
まだはっきりしたことはわからないようです。

写真は平家ブログに載せていますので、見てください。
http://heike.cocolog-nifty.com/heike/

閑院内裏は鎌倉時代の王家の正邸

No.5404

 山田さん、申し遅れましたが、山田先生の御偉業は「内助の功」の賜物と存じます。

 さて、閑院内裏ですが、この内裏はただの里内裏ではなく、高倉~後深草天皇の時代にはまさに本内裏に等しい存在であり、それ以後も貴族社会において本来あるべき内裏として記憶されていた内裏でした。

 いずれ、中世前期の歴史叙述において大きく扱われるざるを得ないことになると思います。当然、中学や高校の教科書に太字で載るようになる。そのようなことからも、石碑はぜひ復元してほしいですし、ついでに市教委あたりでしっかりした解説板も設置していただきたいところです。

 「貴族嫌い」の方たちも、この内裏こそが鎌倉幕府による内裏大番役の対象であったこと、御家人たちが分担して殿舎や築地塀を造営したことを思い出していただければ、納得していただけるものと思います。ちなみに、建長の造営の際、千葉介は十一間の西対の造営を担当しています。
 閑院内裏に関する最近の主な研究は以下のとおりです。

 野口孝子「閑院内裏の空間領域」『日本歴史』674,2004年
  同   「仁和寺本『系図』に描かれた陣中について」『仁和寺研究』5,2005年
  同   「閑院内裏の空間構造-王家の内裏-」
      髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣,2006年
 木村英一「王権・内裏と大番」同
 野口 実「中世前期の権力と都市-院御所・内裏・六波羅-」
      髙橋康夫編『中世都市研究12 中世のなかの「京都」』新人物往来社,2006年  
 ぜひ御一読を。

あけましておめでとうございます

永富絵里子
No.5400

遅くなりましたが、野口先生をはじめ掲示板をご覧の皆様、新年あけましておめでとうございます。あっという間にもう4日。今日から仕事はじめという方もおられるのではないでしょうか?


私は昨年のクリスマス~新年にかけて西オーストラリアのパースという街へ友人を訪ねて旅行に出ておりました。
南半球に位置するオーストラリアは夏真っ盛り!!
日焼け止めをこまめに塗っていたにもかからわず瞬く間に真っ黒になってしまいました☆とても冬服が似合う肌の色ではない&現地でのクリスマスセールに参戦し、夏物のお洋服やサンダルたちをいっぱい連れて帰ってきたためか私にしては珍しく【物欲】が低下しており、日本に帰ってきてからは毎年恒例の正月セールに参戦する気が起こらず、初詣に出かけた以外は年末にやりのこした大掃除と、年賀状書きなどをしております。
(※今年は一枚も出さずにそのまま飛び立ったため、いただいた年賀状やメールのお返事をまだ返しきれておりません。メールや年賀状をくださった方々には申し訳ございませんが、決して「無視」しているわけではございませんので今しばらくお待ちくださいね。)


と、いうわけで元木先生、野口先生の「おとなしゅうなったね・・・」発言に対し、「おとなしゅうない」ところをアピールさせていただきたいと思います。(と・・・いいつつ単なる旅自慢です。おほほ☆)


今回の旅行はシドニーやキャンベラなど有名な観光地のある東海岸とはまったく逆の西側へ行ったのですが、とても乾燥した地域のため気温の割にはさわやかだと感じました。
ピナクルズ(※原生林が枯れた後に残された石灰岩が立ち並ぶもの)やウエーブロック、さらにその砂漠のすぐうしろに広がる真っ青なインド洋は何ともいえない不思議な光景でした。
砂漠ではボードでサンドサーフィンを楽しんだりもしました。
もちろんオーストラリアといえば・・・!のコアラやカンガルーにも対面しました。コアラの毛は思っていたよりもずっと柔らかくて思わずうっとり。
つい誘拐してしまいたい衝動にかられました。(こういう人のためにぬいぐるみがいっぱい売られているんでしょうね。もちろん何匹も「オトナ買い」しました☆)

他にもかの有名なピカチュウのモデルであるクオッカや、ウオンバット、さらに野生のイルカやペンギン、アシカにも会いにいきました。

さらにパース市内からフェリーでしばらく行ったところにあるロットネス島にも一泊しました。ロットネス島は今はリゾート地ですが、昔はアボリジニーたちを流した歴史もある島です。
自転車を借りて島を一周サイクリングしたのですが、とにかく海がきれいでどこまでも続く水平線に「地球は丸いなー」なんてあらためて思ったりもしました。

他にもいっぱい書きたいことはあるのですがあまり長いと誰も読んでくれなくなるのでこのへんで☆(すでにスルーした人はきっといっぱいいると思いますが・・・)


10日間ほどの旅だったので
ゆったりとしたスケジュール&現地の友人のおかげでとても有意義な時間を過ごすことができました。授業のネタもたっぷり仕入れたし、疲れ切った精神を充電できたのでまた3学期からがんばれそうです。

今年もたくさんのHAPPYに出逢えるように前向きに過ごしていきたいと思います。
いつもお世話になっている先生や皆々様にとっても素敵な一年になりますよう、心からお祈り申し上げます。
今年もどうぞよろしく願いいたします。

Re: あけましておめでとうございます

No.5405

 永富さん、南半球で新しいエネルギーを蓄えてお帰りになられたとのこと、今年はタイフーンのような御活躍を期待したいところです。おおいに旋風を巻き起こしてください。
 バースのことは、当ゼミ師範格の某院生の方が御自身のブログで詳しく解説をされておられますね。

 永富さんも、そろそろ教員生活三年目ですし、もう「さん」ではなく、「永富先生」とお呼びすべきでしょうか。
 さて、今年も新たに教職に就くメンバーが何人かおられます。厳しい環境の中ですが、一生懸命に活躍してほしいと思っています。

 岩田君から叱咤激励をいただきましたが、新年度に担当する総合教育科目の受講生に、かつてそうであったように、永富さんのような溌剌とした学生さんがいることを期待しています。

 さて、明日は辻君の御報告のある第一回中世戦記研究会。お江戸はあいにくの雨模様のようですが、下総と上総に進駐中の雨野さんと伊藤さんが駆けつけられるとのこと。私も早朝からリュックを背負って出立。神田で本の買い出しを済ませてから、九段(靖国神社ではありませぬ)に参上する所存です。

 >雨野弥生さん  三月ではありませんから、雨野さんを責める人はいないと思います(笑)。それにしても、関ヶ原の辺りで雪が降ったりしたら私は困りますね。 

Re: あけましておめでとうございます

永富絵里子
No.5407

野口先生>お返事ありがとうございます。
そうですね。気がつけば早いものでもう3年目に突入しようとしています。
あれはちょうど2年前・・・まだ私は4回生だった頃に笠さんご夫妻が京都に来られた際の飲み会の席で笠さんの旦那様が言っておられた「この仕事は楽しいこと1割。あとの九割は辛いことが大半だよ。でもその1割のために頑張っているようなものだよ」と言っておられました。
今になってその言葉の意味がちょっとわかってきた気がします。


来年度はどんな教科やクラスを担当するか・・・まったくどうなるのか未定ですが、「石の上にも三年」という言葉を信じ、さらなるパワーアップを目指して今年もまたがんばろうと思っております。

ちなみに呼び名の件ですが、ただでさえ「先生」のつく方が多いこの掲示板ですので、今までどおり「永富さん」でお願いします。笑

「石の上にも三年」

No.5409

 そうです。「石の上にも三年」というのは、私の貧しい経験に照らしても結構真理だと思います。

 呼び名の件。ほんとうに、みんな職業としての「先生」になってしまわれるので・・・。しかし、たしかに違和感もあり。お言葉に甘えさせていただくことにいたしましょう。