厳島詣
田中裕紀
No.5046
厳島詣より、帰洛致しました。
1泊2日の旅程の天候は、2日とも快晴。今日は日焼け止めを塗っていなかったので、しっかり日に焼けてしまいました。
1日目は、JR宮島口駅に集合し、早速フェリーに乗って厳島へ。私にとっては初めての厳島でしたが、色鮮やかな社殿の美しさはもちろんのこと、満潮に向かって潮が押し寄せてくる様子にまずは驚きました(ここで、潮の動きを考慮した神社の造りに興味を持ち、その後2日目になるまで、厳島の潮の干満を追いかけることになります)。しばらく見学し、宝物館、大願寺へ。そして、厳島神社の後方にそびえる弥山に向かいました。
弥山への急傾斜のロープウェー(道の途中で見つけた看板によると「ロープウエ」)を乗り継いで、獅子岩駅へ。そこから徒歩30分の山道を歩いて弥山山頂を目指します(徒歩30分の道のりに、野口先生ががっかり。結局、弥山山頂に立ったのは旅行参加人数6人のうち5人でした(笑))弥山山頂からの眺望は素晴らしく、瀬戸内海上交通路の上で厳島がどのような場所にあるのかという事を実感しました。
弥山から降りる最終ロープウエで下山し厳島神社に戻ると、既に潮が満ちていて、ほんの数時間前とは全く違った表情を見せていました。夕暮れ時の空と海と朱色の大鳥居のコントラストは、本当に何時間見ていても飽きる事のない風景です。厳島神社を上から見下ろす千畳閣は既に閉まっていたので、干潮になるという翌朝に回して1日目見学終了。
宿にチェックインして、ボロボロの体を休めて宮島口へ繰り出した(といっても、賑やかな街ではありませんが)一行でしたが、佐伯さんが見つけてくださったお店では、空腹を満たすことを最優先に、しばし無言の状態が続きました。勿論、人心地ついた後で色々お話した事は言うまでもありません。それにしても、美味しい海の幸でした☆第一夜。
翌日は朝から地元で有名な「あなご飯」を買って昼ご飯を調達し、再び厳島へ。午前11時過ぎが干潮の時間だったのですが、9時半頃に着いた時には既に随分と潮が引いた状態でした。前日に見た海に浮かぶ社殿が砂の上に建っている様子や、潮が引くと現れる飛び石に感動しつつ、しばし大鳥居の足下で写真撮影などなど(ここが本日の第一日焼けポイント)。野口先生から三浦正幸氏の厳島の入り江そのものが人工のものであるという説を伺っていると、大鳥居の足下の砂地が沈み込むような地盤でないことも非常に納得がいくような気がしました。その後、前日見そびれた千畳閣へ。豊臣秀吉が建てた大経堂ですが、建設途中で秀吉が亡くなってしまった為、天井などが未完成のままになっています。がらんとした内部は、天井が高く広々としていて良い風が通り抜けていました。既に日射しの強さに疲れた一行は、しばし休憩(長村くんはうたた寝。お疲れさまです☆)。
その後、厳島を離れて厳島外宮である地御前社へ。「地御前」という地名は残っているのですが、神社そのものはずいぶんと寂れてしまっていました。というのも、神域を道路と線路が横切っているからです。かつては相当大きな神社だったこの場所では、社殿の真後ろを通るJRの線路にはデリカシーのなさを感じずにはいられませんでした。南社殿で野口先生から資料を見せて頂いたり、孝子先生からお話を伺ったりして北社殿群のあった場所へ。今では地御前小学校となっていますが、かつての神域の広さを実感出来るものであったと思います。残念だったのは、間に大きな建物や国道の高架が通っていて、地御前社から厳島が見えなかったことでした。
地御前社の見学が終わり、ここで本旅行の見学予定は終了。あとは広島市内に戻って、朝買ったあなご飯を食べるのみです(笑)。広島電鉄に乗り、平和公園でお昼を食べて解散となりました。その後、最終的には永富さんとお好み焼きを食べ、佐伯さんと合流して帰って参りました。もうボロボロです・・!!
「『平家物語』を勉強しているのに厳島に行ったことない」という事に、何となく後ろめたい気持ちがあったのですが、それも今回で解消です。厳島神社の立地や、造営にあたっての佐伯氏の活躍、建築について、信仰についてなどなど、興味深い要素がたくさん詰まった旅行でした。
お忙しい中企画をしてくださった佐伯さんを始め、旅行で同行させて頂いた皆さま、ありがとうございました。
1泊2日の旅程の天候は、2日とも快晴。今日は日焼け止めを塗っていなかったので、しっかり日に焼けてしまいました。
1日目は、JR宮島口駅に集合し、早速フェリーに乗って厳島へ。私にとっては初めての厳島でしたが、色鮮やかな社殿の美しさはもちろんのこと、満潮に向かって潮が押し寄せてくる様子にまずは驚きました(ここで、潮の動きを考慮した神社の造りに興味を持ち、その後2日目になるまで、厳島の潮の干満を追いかけることになります)。しばらく見学し、宝物館、大願寺へ。そして、厳島神社の後方にそびえる弥山に向かいました。
弥山への急傾斜のロープウェー(道の途中で見つけた看板によると「ロープウエ」)を乗り継いで、獅子岩駅へ。そこから徒歩30分の山道を歩いて弥山山頂を目指します(徒歩30分の道のりに、野口先生ががっかり。結局、弥山山頂に立ったのは旅行参加人数6人のうち5人でした(笑))弥山山頂からの眺望は素晴らしく、瀬戸内海上交通路の上で厳島がどのような場所にあるのかという事を実感しました。
弥山から降りる最終ロープウエで下山し厳島神社に戻ると、既に潮が満ちていて、ほんの数時間前とは全く違った表情を見せていました。夕暮れ時の空と海と朱色の大鳥居のコントラストは、本当に何時間見ていても飽きる事のない風景です。厳島神社を上から見下ろす千畳閣は既に閉まっていたので、干潮になるという翌朝に回して1日目見学終了。
宿にチェックインして、ボロボロの体を休めて宮島口へ繰り出した(といっても、賑やかな街ではありませんが)一行でしたが、佐伯さんが見つけてくださったお店では、空腹を満たすことを最優先に、しばし無言の状態が続きました。勿論、人心地ついた後で色々お話した事は言うまでもありません。それにしても、美味しい海の幸でした☆第一夜。
翌日は朝から地元で有名な「あなご飯」を買って昼ご飯を調達し、再び厳島へ。午前11時過ぎが干潮の時間だったのですが、9時半頃に着いた時には既に随分と潮が引いた状態でした。前日に見た海に浮かぶ社殿が砂の上に建っている様子や、潮が引くと現れる飛び石に感動しつつ、しばし大鳥居の足下で写真撮影などなど(ここが本日の第一日焼けポイント)。野口先生から三浦正幸氏の厳島の入り江そのものが人工のものであるという説を伺っていると、大鳥居の足下の砂地が沈み込むような地盤でないことも非常に納得がいくような気がしました。その後、前日見そびれた千畳閣へ。豊臣秀吉が建てた大経堂ですが、建設途中で秀吉が亡くなってしまった為、天井などが未完成のままになっています。がらんとした内部は、天井が高く広々としていて良い風が通り抜けていました。既に日射しの強さに疲れた一行は、しばし休憩(長村くんはうたた寝。お疲れさまです☆)。
その後、厳島を離れて厳島外宮である地御前社へ。「地御前」という地名は残っているのですが、神社そのものはずいぶんと寂れてしまっていました。というのも、神域を道路と線路が横切っているからです。かつては相当大きな神社だったこの場所では、社殿の真後ろを通るJRの線路にはデリカシーのなさを感じずにはいられませんでした。南社殿で野口先生から資料を見せて頂いたり、孝子先生からお話を伺ったりして北社殿群のあった場所へ。今では地御前小学校となっていますが、かつての神域の広さを実感出来るものであったと思います。残念だったのは、間に大きな建物や国道の高架が通っていて、地御前社から厳島が見えなかったことでした。
地御前社の見学が終わり、ここで本旅行の見学予定は終了。あとは広島市内に戻って、朝買ったあなご飯を食べるのみです(笑)。広島電鉄に乗り、平和公園でお昼を食べて解散となりました。その後、最終的には永富さんとお好み焼きを食べ、佐伯さんと合流して帰って参りました。もうボロボロです・・!!
「『平家物語』を勉強しているのに厳島に行ったことない」という事に、何となく後ろめたい気持ちがあったのですが、それも今回で解消です。厳島神社の立地や、造営にあたっての佐伯氏の活躍、建築について、信仰についてなどなど、興味深い要素がたくさん詰まった旅行でした。
お忙しい中企画をしてくださった佐伯さんを始め、旅行で同行させて頂いた皆さま、ありがとうございました。