後期に向けて

No.4996

 高校野球も終わり、いよいよ後期に向けての態勢づくりをしなければならない時期になりました。
 ゼミメンバーからは、後期からこれまでと異なった環境の中で生活することが決まったという報告も届いております。
 とりあえず28~30日の書評会。9月2・3日の厳島見学が(大変ですが)楽しみです。
 大変といえば、9月というのはおそらく研究者にとって1年間のうちで最も原稿締切の多い月なのではないでしょうか。猛暑の中、すでに火の車です。

 一つくらいは後期の予告。↓
       http://syllabus.doshisha.ac.jp/syllabus/html/2006/6121050.html

Re: 後期に向けて

山田邦和(花園大学・考古学)
No.4997

みなさま、残暑お見舞い申し上げます。
野口先生に倣い、後期の予告↓

2006年度 日本史(2)-101(京都・都市の歴史(2)) 2単位 秋学期 今出川http://syllabus.doshisha.ac.jp/syllabus/html/2006/6125135.html

山田先生の講義、履修の勧め。

No.5003

 評価プラスの要件の一つに、上記の山田先生の御講義を受講していることというのを付け加えたくなりました。私も聴きに行きたいところです。

 国文学を専攻している方にも受講をお勧めします。
 しっかりと、平安京・京都の空間を認識した上で、精神世界に踏み入ってください。東京駅がどの辺にあって、新宿や渋谷がどんなところで、・・・なんてことを知らなかったら現代の通俗小説ですら理解できません。それと同じことです。

新人物往来社の名誉のために。

No.4995

 すでに修正済みですが、私はNO.4992に『中世都市研究』第12号に執筆した拙論の再校が届かないと書きました。これに対して、新人物往来社の本書御担当の方から、原稿依頼の段階で、校正はとくに希望が無い限り、一回のみということになっていたという旨の御連絡をいただきました。私が失念していたようで、申し訳ない限りです(ただ、初校ゲラでは図表がほとんど製作中ということでしたので、これは一度拝見したかったところでした)。
 いずれにしましても、新人物往来社に対して迷惑な書き込みをしてしまったことについてお詫び申し上げます。
 編集作業は、9月の大会に間に合わせるということで、先週終了とのことです。この本のご紹介は、またその時期にさせていただきたいと思います。

 本日は朝から研究室のパソコンがアクセス不能状態となり、情報教育センターの方の出張をお願いいたしました。原因は研究室外の機械にあり、暑さで機能がダウンしていたことによるのだそうです。連日の猛暑、人間も同様です。

巡礼記研究会第3回研究集会

No.4991

ご無沙汰しております。大橋直義です。突然ですが、本年も宣伝をさせてください。
こちらの掲示板でも話題になっておりました平家物語研究会@慶應義塾の前日、同じキャンパスで巡礼記研究会第3回研究集会を開催いたします。当研究会としましては初めてのシンポジウムも企画しておりますし、会誌第3集もお配りする予定でおります。お忙しい時期とは存じますが、どうかよろしくお願い申し上げます(事前の連絡等は不要です)。
長文の投稿になりますが、どうかご海容ください。

巡礼記研究会 第3回研究集会 (共催 慶應義塾中世文学研究会)
会場  慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎1階512番教室
交通  JR山手線田町駅/都営浅草線・三田線三田駅徒歩10分 
日時  2006年 9月16日(土) 午後1時~午後6時

[研究発表]
内田澪子氏 国立歴史民俗博物館・東京大学史料編纂所/研究支援推進員
 「寺社縁起享受の一様相 ―中世禁裏周辺の場合―」
松本郁代氏 日本学術振興会特別研究員PD
 「室町期京都の「霊場」と職能民 ―聖俗の相克をめぐって―」

[シンポジウム 巡礼と巡礼記 ―巡拝・参詣とそのテキスト―]
[司会]橋本正俊氏 名古屋学院大学
徳田和夫氏 学習院女子大学
 「室町期の参詣風景 ―寺社縁起・絵画・日記―」
渡辺信和氏 同朋大学
 「「巡拝記」類と近世後期の「〔巡拝図会屏風〕」」
牧野和夫氏 実践女子大学
 「「西国三十三所巡礼記」研究史の〝空白領域〟 ―いわゆる〝中世文化(文学)〟の生成の場について―」

[連絡先]
108-8345 港区三田2-15-45 慶應義塾大学文学部 岩松研吉郎
03-3453-4511 内線 23093 
ダイアルイン 03-5427-1175
FAX    03-5427-1578

[研究発表 要旨]
内田澪子氏「寺社縁起享受の一様相 ―中世禁裏周辺の場合―」
 寺社の縁起は、成立をみたのち、どのように享受されたのだろうか。中世の寺社においては、様々な社会変革・変質の中にあって、寺社そのものの「起」を語る縁起は重要な役割を負っていた。したがって縁起が「案出」されるにあたっては、自らの縁起が正しく理解・享受されることは前提であった。とはいえ、一度公を歩き始めた縁起は、必ずしも産みの親たる寺社の状況とは無関係に受容される側面も持つ。縁起享受の場や享受の様子、文字テキストとしての変化(あるいは不変)の様を探ることは、縁起そのものの意味や、成立の意義の理解にも大きな示唆を与える。
 本報告では、中世禁裏や宮家周辺を享受の場として考えてみたい。しかし具体的な享受の様子は、それを伝える残存史料の制限に阻まれて、実態を知ることが一般には難しい。よってここでは禁裏伝来とされる蔵書群を対象とし、まず禁裏周辺にはどのような縁起が蔵書として含まれていたのか、個別の縁起の享受の様が如何に史料上現われるのか、また、個々の縁起の内容はどのように理解されていたのか、など、複数のアプローチを用いることで、可能な限りその実相を追いかけてみたい。

松本郁代氏「室町期京都の「霊場」と職能民 ―聖俗の相克をめぐって―」
 東寺が神泉苑の領有を主張した長禄三年(一四五九)付の文書には、大内裏の神祇官・官庁(太政官庁)・真言院・神泉苑が、「四箇所霊場」、「大内霊場」であるとして記されている。天皇は既に土御門内裏に移り、官庁の建物も多くが廃絶していたが、この四箇所は、修理や再建が繰り返され存在していた。東寺が管轄外の神祇官・太政官庁を含む四箇所を敢えて「霊場」と表現した背景には、旧大内裏の施設ではなく、その「場」や「空間」そのものに権威を認め、聖視する動向を読み取ることができる。大内裏は、室町時代には「内野」等と称され結果的に荒廃したが、太政官庁では天皇の即位儀礼が行われるなど、全く機能していなかったわけではない。これは、大内裏という「空間」に王権の権能が存続していたと捉えることができる。十五世紀後半の京都は、飢饉と戦乱に見舞われた時期であり、民衆が飢餓や貧困と闘った時代とされている。その一方で、京中には、声聞師や鉢叩、野僧、勧進聖、河原者、犬神人など様々な職能民が登場した。
 本発表では、室町期における大内裏の残映とその意義を追いながら、大内裏の存在と相克するものとして、京中の民衆や職能者たちを位置づけ、彼らが作りだした聖なる「空間」を捉えることによって、都市京都における宗教の領域を空間に見出したい。

[シンポジウム「巡礼と巡礼記 ―巡拝・参詣とそのテキスト―」趣旨]
 近時の巡礼記をめぐる研究の現状は、一方では縁起研究の動向とも関わりながら、テキストの精緻な「よみ」に基づきつつ、周辺の関連資料との連環をときあかそうとするものとおおまかには位置づけることができよう。その結果、多くのテキストが紹介・検証され、南都や西国三十三所といった宗教空間や神仏、そしてそこに関わる諸言説のさらなる把握が進んでいることはあらためていうまでもない。しかし、そのようなテキスト・言説の「生態」が明らかにされてゆく一方で、巡礼や参詣が、中世日本における交通や経済、観光とも結びつきうる実修・実践的な行為であったことに対する注意はややなおざりにされてしまっているのではないか。こういった諸問題はもちろん、従来の文学研究の対象と方法においては周縁に属するものであったが、テキストとしての巡礼記、そして縁起や参詣記がいかなる意味を担うものであったかということを復原するためには、それらが現実に存在した中世世界のありようのなかに今一度溶け込ませて考えてみる必要があるだろう。
 このような問題意識のもとに、本研究会は徳田和夫氏・渡辺信和氏・牧野和夫氏をパネリストとしてお招きし、シンポジウムを企画した。巡礼記さらに縁起のみならず、絵画や日記、あるいは中世における知の諸領域にわたる議論が期待される。同様の問題意識を共有される多くの方々のご参加と、議論の深まりを熱望する。

Re: 巡礼記研究会第3回研究集会

No.4992

 大橋先生、お久しぶりです。お知らせ、ありがとうございます。17日に『平家物語』研究会が同じ慶應大学でありますので、これと合わせて参加される方も多いと思います。私も都合がつけば参加したいと思います。とくに研究発表の方に関心のあるテーマが並んでいます。

 内田澪子氏「寺社縁起享受の一様相 ―中世禁裏周辺の場合―」は、目下「閑院内裏の政治史的研究」というテーマを掲げて科研費を受給している立場として、大いに参考になるお話を拝聴できるものと思います。

 松本郁代氏「室町期京都の「霊場」と職能民 ―聖俗の相克をめぐって―」については、示されている要旨のうち最初から10行目までは、あまり一般に認識されていないことなので詳述されたのだと思いますが、これらの殆どはすでに歴史学の方では明らかにされていることです。これを踏まえて従来とは異なった視角・問題意識から、どのようなお話が展開されるのか興味がもたれ、おおいに期待したいところです。
 ちなみに、歴史学の関連論文をここに紹介させていただきたいと思います。

 東島誠「隔壁の誕生-中世神泉苑と不可視のシステム」(『公共圏の歴史的創造-江湖の思想へ』東大出版会、2000年)

 野口晶子「消えた洛中寺院・大勧進長福寺」(『2001年度修士作品・論文集』京都造形芸術大学大学院芸術研究科、2002年)

 とくに後者は上記発表要旨前段に重なる部分を多く含む研究で、最近出版された髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』(文理閣)の編者による「はじめに」でも紹介されております。
 実は私もこれに関連したことについて昨年の中世都市研究会京都大会の報告で若干触れ、それを少し膨らませた講演録「中世前期の権力と都市-院御所・内裏・六波羅-」が近く『中世都市研究』12号(新人物往来社)に掲載される予定です。
 
 これは余談ですが、このところ歴史学の本来取り組むべき(と私は思っている)政治史が、歴史学のジャンルでないがしろにされているように思われます。あるいは社会科学の一環として取り組まれていたものが、文学や考古学・美術史などの発想に転換していると言いかえてもよいのかと思います。ですから歴史学の研究会よりも、国文学の研究会の方が出掛ける甲斐のあるケースが増えているように思います。こういう状況は国文学の側からすると、御迷惑なのかも知れませんが。

 >伊藤さん  この研究会も出席しておくと、今後の研究に大いに役立つと思いますよ。

韓国通信2

No.4990

◎野口先生 御返信ありがとうございます。昨日は新しくなった中央国立博物館に行って参りました。今年の春にも一度行ったのですが、まわりきれず、今回は歴史コーナーをしっかりと見てきました。ここは1Fが歴史、2Fが東洋、3Fが美術と3つのコーナーにわかれています。歴史は先史~高麗王朝までと朝鮮王朝の2つに分かれています。前者は三国時代(高句麗・百済・新羅)が中心です。つくづく高句麗の偉大さを感じます。特別展として「宣武功臣 金時敏 教書」と「高麗墓誌銘」の2展示が開催されていました。後者は中々の見もので、高麗墓誌研究の面白さに魅了されました。この時代はハングルではなく漢字なので助かります。かなり個人的な内容が墓誌に刻まれていて興味深いものでした。また、朝鮮王朝時代の歴史について無知なことがよくわかり、勉強の必要性を強く感じさせられました。中国史なら、うろ覚えながら少しイメージできても、朝鮮史となると、とても弱いことを痛感しています。
◎「観光」をテーマに勉強されている方がいらっしゃっるのですか?楽しみですね。何も力になれるほどのことはありませんが、頑張っていただきたいですね。

◎美川先生御無沙汰いたしております。
えっ!中国に植林ボランティアに出かけていられるんですか!
今年もいらっしゃる!すごいですね。いつの間に、そんなに活動派に?
それはともかく小泉さんの靖国参拝は、国内的には賛否両論でしょうが、韓国的には否定論しかありません。参拝は残念なことです。しかし、韓国の人達も小泉行動は日本国民の総意ととらえながらも、日本人個人には否定的な感情はもっていません。マスコミ報道と実態はまったく異なります。しかし、不謹慎を省みず申しますと、小泉行動によって、これまで何も考えていなかった日本人も靖国神社について深く考える契機ができたことは確かですね。私も遺族の意志とは関わらずに合祀されている人がいることは知りませんでした。また英霊を神社に祀り上げるのではなく、お寺に供養すべきであったのではないかと思ったりもしています(思いつきですが)。日本の遺族のことを考えると、一概に結論を申せませんが、現代的な問題として韓国内の知日派の方達の積極的友好活動が停止せざるを得なくなり、残念なことは否めません。
 また、全州国立博物館では特別展として「独島」展を開催しています。これも歴史的問題と現代的問題の2つを同時に論じられており、さらに領海権(漁業権)を領土問題にからめてわざと複雑にしているような気がします。これなどは国レベルではなく、漁民レベルでうまくやっていけないのでしょうか。もっと仲良くできたらと思います。その背景として政治的友好関係が必要ですが…。
長くなりましたが、美川先生、身体に気をつけて頑張ってきてください。

刀伊の入寇と佐伯君の好きな「白いご飯」

No.4993

 中村先生、続報をありがとうございます。先日いただいた御高著『偽りの大化改新』の表紙カバーの著者紹介文の中に「最近は陶芸と食文化に魅せられて韓国にしばしば足を運んでいる」とあるのを見て納得いたしました。
 引き籠もって全く成果をあげられず、ただひたすら体重のリバウンドを進行させている我が身が恥ずかしいばかりです。

 東アジア諸国との関係については、前近代からきちんと研究も教育も進めなければならいと痛感しております。数年前「藤原隆家」について執筆の機会があり(元木泰雄編『王朝の変容と武者 古代の人物6』所収)、そのときに、刀伊入寇事件における大宰権帥藤原隆家や高麗の対応など、現代人にとって学ぶべき点が多々あると思ったものです。ちなみに、この事件に関する事実の追究と最も優れた分析が示されているのは土田直鎮『王朝の貴族 日本の歴史5』(中央公論社、1965年)でしょう。土田先生による平安時代の武士に対する評価は近年のそれの先駆をなすもので、もっと評価されなければならないと思っております。
 話が逸れてしまいましたが、韓国での御研究の成果など、また楽しみに致しております。

 ところで、「食文化」で思い出しましたが、先日、前任大学のゼミ生で「うわなりうち」に関する優れた卒論を出され(夏休み前にはすでに草稿が完成していました。完成稿は研究室にあります)、現在農業をされている田邉美鈴さんから新米をお送りいただきました。生産地は『吾妻鏡』宝治元年六月七日条に見える「上総国一宮大柳館」の近く。これは美味しかったですよ。ビールよりも「白いご飯」のお好きな佐伯君にはぜひ食べていただきたかった!
 田邉さんありがとうございました。

 ☆ 昨日、千葉市立加曽利貝塚博物館の簗瀬裕一先生より、御高論「地下式坑の分類と編年試論-中馬場遺跡他の千葉県の事例をもとに-」掲載の『房総中近世考古』第2号
を御恵送いただきました。
 簗瀬先生にあつく御礼を申し上げます。

大好きな白ご飯。

No.4994

>野口先生
佐伯です、こんにちは。夏休み中でご無沙汰しております。
そんなに美味しい白いご飯、ぜひぜひいただきたかったです。
最初はご飯そのものの味で、2杯目はいろいろなおかずをつけて…(笑)。

なお、厳島の件は宿・行きの指定席券ともに手配済みです。
安んじてお任せ下さいませ。

京都の楊貴妃観音と三浦の滝見観音

No.4987

>近藤先生  昨日はありがとうございました。ところで、泉涌寺にある南宋から請来された観音菩薩像のことですが、通称は「楊貴妃観音」。これとよく似ているのが横須賀市大矢部の清雲寺の本尊(本来は円通寺本尊)の通称「滝見観音」です。三浦氏と九条家ないしは泉涌寺との関係はよく知られていますから、おそらく滝見観音はそうした関係で横須賀に伝えられることになったのだと考えられています。

>『吾妻鏡』講読会参加メンバー  >>No.4974で紹介した高橋秀樹先生の御高論「吾妻鏡と和田合戦」のコピーを用意しましたので、必要な人は研究室にお出での時に申し出てください。

>厳島神社の調査に参加するメンバー  資料を用意しましたので、研究室にお出での時にお受け取り下さい。なお、今回の調査の重要ポイントである厳島外宮の地御前社については、↓のサイト(わかりやすい、すぐれた内容です)を紹介しておきます。
 http://www.enjoy.ne.jp/~yamahid1/ohanashi62.htm

>鈴木君  おかげさまでPCいずれも好調です。

Re: 京都の楊貴妃観音と三浦の滝見観音

No.4988

野口先生、こちらこそ昨日はありがとうございました。また、楊貴妃観音と滝見観音との関係に関するご教示、ありがとうございました。この点につきましては、おそらく『横須賀市史・文化財編』に載るかと思います。また、ご教示下さい。では、またお目に掛かれるのを楽しみにしております。

残暑お見舞い申しあげます

No.4984

残暑お見舞い申しあげます。
野口先生、お久しぶりです。あまりネットを見ない私ですが、韓国に来て20日が過ぎ、日本が懐かしくなり、宗文研のHPを拝見させていただきました。みなさんの御精励ぶりに圧倒されてしまいました。う~ん、宗文研はすごい!
私などは、研究のためではなく、一人でのんびりするために韓国に来ているだけなのに!専門も中世ではないので、そういった意味でお役に立てませんが、今回は旅行を兼ねて朝鮮の山城を何箇所か見学しました。固有名詞をあげますと全羅道南原の南原山城(ここはガイドブックには百済時代のものと書いてあったのですが、後で考古学の朴先生から統一新羅時代だと教えられました)、次に全州の南固山城(これは後百済時代。これはほぼ全域残っていました。4分の1ほど踏破)、忠清南道舒川の乾芝山城(高麗時代。比較的低い山城で自動車で確認)です。
朝鮮山城見学は、まさに山登りでこの猛暑には応えます。本当に年齢を感じさせられました。印象だけですが、高麗時代の(仏教)美術がもっとも優れているように感じました。朝鮮時代になると仏教排斥もあり、美術のレベルから遠ざかるように感じました。
今は成均館大学のゲストハウスにいますが、今年できたばかりで快適です。昌慶宮に接しており、テラスから宮壁にたどり着いてしまいます。
教員:1ヶ月シングル60万W、学生:1ヶ月ダブル?30万W(日割り可能)
と料金もお得ですし、部屋にはベッド・机・テレビ・冷蔵庫はもちろん、食卓・サイドテーブル・クローゼット・システムキッチン・食器・炊飯器まで完備されています。
ラウンジや洗濯室などもあり、長期滞在にはもってこいです。
申し込みは、Fax:82-2-760-1152 Tel:82-2-760-0151
です。最寄駅は地下鉄恵化駅で市内にあるので便利ですよ。
あっと、ほとんど旅行業者のような紹介になってしまいましたが、成均館大学は構内に文化財もあり一見の価値はあります。
というところで、私もお仲間に入れてくださいね。

Re: 残暑お見舞い申しあげます

No.4985

 >中村先生 残暑お見舞い申し上げます。韓国に御滞在の由。やはり御研究に資するものと拝察いたします。あるいは、一書御執筆中では?
 こちらは、大学が13~16日、夏期休日のため「都の辰巳、鹿ぞ住む」ところに引き籠もって原稿に取り組んでおりますが、猛暑と耄碌でいっこうに捗らずにいるところです。
 当方のゼミメンバー、目下、博・修・卒の論文に取り組む者多く、また個人のブログに意見表明をされていたり、記名ゆえの遠慮や、さらにゼミそのものが草創期のような求心力を失いつつあることなどの事情から、この掲示板への書き込みが少なくなり、ために私の書き込みばかりが続いておりましたので、ぜひまた様々な情報をお知らせいただければ幸いと存じております。

 ゼミメンバー諸姉兄も、中村先生にいろいろ御教示を仰ぐとよいと思います。中村先生の御業績などについては、↓を御参照下さい。
   http://read.jst.go.jp/ddbs/plsql/knky_24?code=5000021280

 >野口君  中村先生は「観光」も研究課題の一つに掲げておられます。学ぶこと多大だと思います。

 ☆ 山下克明先生から御高論「陰陽道の宗教的特質」(大東文化大学東洋研究所『東洋研究』159)・「陰陽道関連史料の伝存状況」(同 160)・「書評 繁田信一著『陰陽師と貴族社会』」(『歴史評論』677)を御恵送いただきました。
 山下先生にあつく御礼を申し上げます。

Re: 残暑お見舞い申しあげます

No.4986

中村先生、ご無沙汰しています。

 この時期に、韓国にご滞在とは。私も今月末に1週間ほど中国にまいります。

 1昨年山西省の黄土高原に植林のボランテイアに行き、そこで現地の農民の歓迎に感激して、今年も行きます。帰りに日本の平安仏教と関わりの深い五台山に2泊するするのも、今年の目的の一つです。山西省は日中戦争の抗日拠点で、凄惨な戦闘の行われたところです。戦後も対日感情の悪いところなのですが、日本人の植林ボランテイア活動が、その緩和に少しでも役立っていると思うと、どうしても行かねばならないという気持ちがわいてきます。木の苗木を植えるのですが、もう一つの目的は人の心に木を植えてくるのです。でも現地では首相の靖国参拝があると、現地の人々の心が一瞬凍り付くそうです。首相の行為を支持する日本の若者が増えているのも、なんともやりきれない気分です。

 朝鮮の植民地支配、中国への侵略戦争、どちらもまったく100%日本に非があるのに、なんでそのことが理解できないのでしょう。学校での歴史教育のせいだともいわれていますが、ほんとうなのでしょうか。ちょっと本を読んでみればすぐわかることでしょう。私には、なにか人間としての大事なものが欠如しているとしか思えません。ともかく、私にはいまなにができるのかわかりませんが、私なりのほんの少しの行動をしていくつもりです。

 奥様はお元気ですか。うちの家内は北海道です。わたしは仕事がたまりにたまって、今年は暑い京都に居残りです。また、食事でもいたしましょう。

戦前世代・戦後世代

No.4983

 頼朝の挙兵した治承四年当時の人々にとっては、平治の乱以後が戦後。承久の乱の頃の人々にとっての戦前世代というのは治承四年以前を知る人ということになるでしょうか。

【治承四年の満年齢(その2)】
 岡崎義実 68  佐々木秀義 68  平信範 68  平盛国 67
 源資賢 67  藤原邦綱 59  藤原秀衡 58 平経盛 56
 三浦義澄 53  高階泰経 50  法然 47  安田義定 46
 新田義重 45  藤九郎盛長 45  藤原師長 42  金子家忠 42
 寒河尼 42  栄西 39  千葉胤正 39  藤原基房 35
 北条時定 35  武石胤盛 34  高階栄子(丹後局) 31?
 佐竹秀義 29  藤原兼子(卿二位) 25  藤原泰衡 25
 真田義忠 24  源頼隆 21  藤原基通 20  梶原景季 18  
 平敦盛 11  河越重房 11  熊谷直家 11  平清宗 9
 大友能直 8  親鸞 7  
   
 北条政子(23)・建礼門院(25)・卿二位(25)が、ほぼ同年齢というのは興味深いことです。この3人の人生を通して、内乱~鎌倉幕府成立期の歴史を語ることが出来そうですね。
 どなたか挑戦してみませんか?

書評、進まず。

No.4982

 昨日はまた鈴木君に御出張いただいて、仕事の環境を完璧に整えていただきました。鈴木君、ありがとうございました。
 しかし、仕事をする主体が不調で何とも困ったものです。
 ちなみに、鈴木君はいま佐伯先生の『戦場の精神史』を読んでおられるそうですが、この本に登場する研究者がほとんど見ず知らずの方ではないので(野口注-それどころか、知りすぎているケースもある)、よ~く理解できるとのことです。これって、結構大切なことだと思います。

 石井進『日本の歴史 第12巻 中世武士団』(小学館、1974年)の月報に「著者と五分間」という欄があり、そこに「本巻の終りの部分の執筆は、暑い盛りだった。早朝に起き出し、書斎の雨戸を閉めきり、電燈をつけて、裸で原稿を書いた」とあります。
 この道にある者は、かくありたいものです。限られた時間、一心不乱に。

 >山田さん  HPの件で、御返事ありがとうございました。当該図書よりも後に刊行された本の紹介があったようなので、何か事情がおありなのかと思った次第です。
 ただ、今から掲載というのは、ちょっと後手に回ってしまった感じで残念です。

 >書評奉行の長村君  メールで書評の章節ごとの担当者をお知らせ下さい。
  それから、『歴史公論 特集 朝廷と幕府』(107号、昭和59年)、もう読まれていることと思いますが、<座談会>の記事が面白いですね。  

『古代文化』季刊誌として再出発とのこと

No.4978

 本日、(財)古代学協会理事長の角田文衞先生より、『古代文化』旧編集委員としての私のもとに、『古代文化』の新しい編集長に京都大学教授山中一郎教授を委嘱し、季刊誌の形態で再出発する旨の書信が届きました。すでに投稿されて、刊行について心配されている方々にも新編集長から御連絡が届いたことと思います。
 まずは、一安心いたしております。

>鈴木君  本日はお電話をいただいたにも拘わらず、何処でも不在にて失礼いたしました。研究室の方は、ちょうど同志社「卒」・「在」で食べ盛りの御兄妹?と遅い昼食に出ていたところだったようです。委細はメールにてお知らせ申し上げましたが、しばしばで申し訳ありませんが、また、お時間のあるときに、宜しくお願い申しあげます。

>山岡さん  女院や中宮の侍長ですが、秀郷流藤原氏にも散見するようです。佐々木紀一先生の「北酒出本『源氏系図』の史料的価値について」は、『山形県立米沢女子短期大学附属生活文化研究所報告』第27号(2000年)に掲載です。

>山内さん  香取社について、鈴木哲雄先生の『中世関東の内海世界』(岩田書院、2005年)のⅢ「中世香取社と内海世界」も参考になると思います。

>長村君  本日は、興味深い論文のコピーをありがとうございました。その中で未解決の「生田次郎」というのは、大庭氏一族の「豊田次郎」に比定できるのではないかと思いました。

>山本君  美濃目代斎藤氏まで話は進めますか?

秋の宗教・文化公開講座の御案内

No.4969

宗教・文化公開講座(2006年度)「天下人の京都」

 日時:10月21日(土)13:00~ 
 会場:京都女子大学A校舎5F礼拝堂

 講題 「頼朝の六波羅邸―鎌倉幕府と都市京都―」
 講師  本学宗教・文化研究所教授 野口 実

 講題 「秀吉が伐らせた木」
 講師  武蔵大学人文学部教授 瀬田 勝哉

『院政期の内裏・大内裏と院御所』の評

No.4971

 先般、刊行をお伝えした髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』(文理閣)に対する元木泰雄先生による紹介記事が8月6日(日)の『京都民報』に掲載されております。
 なお、出版社からの連絡によりますと、本書は初刷1000部のうち、すでに残部は200冊をきったとのことです。
 いずれ、復刊ドットコムに書き込みをするよりは、今のうちに注文された方が得策かも知れません。

高橋先生より和田義盛の妻について御教示

No.4974

 和田義盛の妻についての書き込み(NO.4962)を御覧になられた高橋秀樹先生から、この問題をテーマにされた御高論「吾妻鏡と和田合戦」(『郷土神奈川』第44号)を御恵送いただきました。大いに納得いたしました。
 単にこの問題に留まらず、『吾妻鏡』の史料論として貴重なご研究です。ひとつの記事の矛盾については、ここまで考察を深めなければならないということで、とても勉強させていただきました。『吾妻鏡』講読会参加のゼミメンバーにとっては、またとない必読論文です。
 高橋先生からは、もうひとつ、御高論「能書の家」(浅田徹ほか編『和歌をひらく 第二巻 和歌が書かれるとき』岩波書店)も御恵送いただきました。これまた、興味深い内容です。
 高橋先生にあつく御礼を申し上げます。

『宮城歴史科学研究』第60号拝受

No.4975

 中尊寺仏教文化研究所の菅野成寛先生より、御高論「中尊寺十界阿弥陀堂の成立-CG「甦る都市平泉」と平泉寺院研究-」掲載の『宮城歴史科学研究』第60号を御恵送いただきました。
 菅野先生にあつく御礼を申し上げます。
 
 なお、本誌に掲載された大石直正先生の御高論「「柳之御所における宴会の風景」の舞台裏-「人々給絹日記」の解読-」は、大石先生による「人々給絹日記」に記された人名比定に対する岡田清一先生や私の批判への御回答を含むものです。

【追記】本日(12日)、大石直正先生より上記御高論を御恵送いただきました。
 大石先生に、あつく御礼を申し上げます。

『院政期』本の販売予定

山田知佐子
No.4979

野口先生、みなさま、たいへんごぶさたしております。
文理閣院政期本販売促進員の山田知佐子です。

野口先生、髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』(文理閣)のご紹介、ありがとうございます。
小社では、中世都市研究会三重大会(9/3)、日本史研究会大会(10/28.29)への出店を予定しております。よろしくお願い申し上げます。

文理閣HPのナゾ?

No.4980

 >山田さん  お久しぶりです。ちなみに、この本が文理閣のHPに紹介されていないのはどうしてなのでしょうか?当方にも問い合わせが来ますので。

盆明けには解決するかと

山田知佐子
No.4981

野口先生、ご心配いただき、すみません。
文理閣のHPは、外注しておりますので、遅れがちです。
先週、担当者が、本の表紙画像を送っていたようです。
盆明けには掲載されるかと思います。