秋の宗教・文化公開講座の御案内

No.4969

宗教・文化公開講座(2006年度)「天下人の京都」

 日時:10月21日(土)13:00~ 
 会場:京都女子大学A校舎5F礼拝堂

 講題 「頼朝の六波羅邸―鎌倉幕府と都市京都―」
 講師  本学宗教・文化研究所教授 野口 実

 講題 「秀吉が伐らせた木」
 講師  武蔵大学人文学部教授 瀬田 勝哉

『院政期の内裏・大内裏と院御所』の評

No.4971

 先般、刊行をお伝えした髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』(文理閣)に対する元木泰雄先生による紹介記事が8月6日(日)の『京都民報』に掲載されております。
 なお、出版社からの連絡によりますと、本書は初刷1000部のうち、すでに残部は200冊をきったとのことです。
 いずれ、復刊ドットコムに書き込みをするよりは、今のうちに注文された方が得策かも知れません。

高橋先生より和田義盛の妻について御教示

No.4974

 和田義盛の妻についての書き込み(NO.4962)を御覧になられた高橋秀樹先生から、この問題をテーマにされた御高論「吾妻鏡と和田合戦」(『郷土神奈川』第44号)を御恵送いただきました。大いに納得いたしました。
 単にこの問題に留まらず、『吾妻鏡』の史料論として貴重なご研究です。ひとつの記事の矛盾については、ここまで考察を深めなければならないということで、とても勉強させていただきました。『吾妻鏡』講読会参加のゼミメンバーにとっては、またとない必読論文です。
 高橋先生からは、もうひとつ、御高論「能書の家」(浅田徹ほか編『和歌をひらく 第二巻 和歌が書かれるとき』岩波書店)も御恵送いただきました。これまた、興味深い内容です。
 高橋先生にあつく御礼を申し上げます。

『宮城歴史科学研究』第60号拝受

No.4975

 中尊寺仏教文化研究所の菅野成寛先生より、御高論「中尊寺十界阿弥陀堂の成立-CG「甦る都市平泉」と平泉寺院研究-」掲載の『宮城歴史科学研究』第60号を御恵送いただきました。
 菅野先生にあつく御礼を申し上げます。
 
 なお、本誌に掲載された大石直正先生の御高論「「柳之御所における宴会の風景」の舞台裏-「人々給絹日記」の解読-」は、大石先生による「人々給絹日記」に記された人名比定に対する岡田清一先生や私の批判への御回答を含むものです。

【追記】本日(12日)、大石直正先生より上記御高論を御恵送いただきました。
 大石先生に、あつく御礼を申し上げます。

『院政期』本の販売予定

山田知佐子
No.4979

野口先生、みなさま、たいへんごぶさたしております。
文理閣院政期本販売促進員の山田知佐子です。

野口先生、髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』(文理閣)のご紹介、ありがとうございます。
小社では、中世都市研究会三重大会(9/3)、日本史研究会大会(10/28.29)への出店を予定しております。よろしくお願い申し上げます。

文理閣HPのナゾ?

No.4980

 >山田さん  お久しぶりです。ちなみに、この本が文理閣のHPに紹介されていないのはどうしてなのでしょうか?当方にも問い合わせが来ますので。

盆明けには解決するかと

山田知佐子
No.4981

野口先生、ご心配いただき、すみません。
文理閣のHPは、外注しておりますので、遅れがちです。
先週、担当者が、本の表紙画像を送っていたようです。
盆明けには掲載されるかと思います。

高陽院泰子に献上された歌学書

No.4968

 冷泉家時雨亭文庫の調査で、源俊頼が、関白藤原忠実の娘で鳥羽院の后となった泰子に献上した「俊頼髄脳」の古写本(一部、藤原定家直筆)が見つかったとのこと。京都新聞は一面トップの扱いです。↓

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060810-00000003-kyt-l26

 泰子ですから、宇治の共同研究がらみの情報ということです。
 時雨亭文庫の調査に参加されている美川先生にコメントをいただきたいところですが、北海道に御滞在でしょうか?

>田中さん  お誕生日の由、おめでとうございます。

 ゼミメンバーは、とりわけの岐路の世代。このところ研究活動はもとより、就職の面接や進学希望先への訪問など、みんな主体的・精力的に動いておられるようで、心強い限りです。

Re: 高陽院泰子に献上された歌学書

No.4970

 野口先生、残暑お見舞い申し上げます。
 
 今年は、例年と異なり、この時期北海道には行けませんでした。
 
 10月25日発刊予定の中公新書の校正におわれているためです。題名はきわめてシンプルに『院政』となりそうです。読みやすいようにと工夫はしているつもりなのですが、読みなおすにつれて、その自信も失われつつあり、いささか憂鬱な日々をおくっています。校正という仕事は毎度のことながら、うんざりしてきます。ここで手を抜くと、誤植の嵐にあとで赤面するばかりとなるのですが、けっきょくわかっていて、同じ事になるような気もします。一応、鎌倉末まで書きましたが、内容も満足できる出来ではありません。日頃の不勉強が露呈してしまっています。期待せずに、もうしばらくお待ちください。

 という具合なので、「俊頼髄脳」については、新聞記事以上のことは何もわかりません。新聞記事によると、現在伝わっている定家書写本(江戸期)の親本だそうですが、どんな新知見があるのでしょう。来週の土・日に冷泉家で研究会があるので、そのときに、島津忠夫先生と赤瀬信吾先生にうかがってまいります。

ありがとうございます。

田中裕紀
No.4972

>野口先生
 ありがとうございます。とうとう27歳になりました。初めて先生の研究室におうかがいしてから、かれこれ5年です。また5年、よろしくお願い致します。

今日の京都は強烈に暑い。

No.4976

>美川先生  コメントありがとうございました。
 中公新書、そうは仰られても、やはり院政研究の最新・最高の成果だと思います。おおいに期待しております。
 しかし、10月25日の御刊行ということになると、<院政>で卒論・修論を書いている学生さん達は困るでしょうね。おっと、博論の人もおられましたね。
 当ゼミメンバーに限っては、美川先生の御著書を前提にしない論文を提出することのないように。指導教官の先生方の顔ぶれからして、やはり読んでおかないとマズイでしょう。
 ちなみに、私の方も、吉川弘文館の歴史文化ライブラリー、ようやく形になってまいりました。その一方、締切を過ぎた書評が数件あり、申し訳なく思っております。

>田中さん  5年後、楽しみですね!!
 それにしても、年齢を全世界に公開されて宜しいのですか?
 田中さんのお生まれになった1979年の夏、28歳の私は、雨野さんの地元の新設一年目の高校の教諭をしていました。ちょうど、現在の鈴木君や八井君みたいな状況でしょうか(いや、相当違う)。8月10日は、日記を見ると「登校日」と書いてあるのみですが、もやもやと思い出すこともあります。

北条時政の評価

No.4966

 本日、立命館大学の杉橋隆夫先生より『沼津市史 通史編 原始・古代・中世』の第二編第五章として収録された御高論「荘園制の確立と武士社会の到来」の抜刷を御恵送いただきました。
 『北条時政』執筆の準備にあたっている当方にとっては干天の慈雨のごときお心遣いをいただいた思いで、早速拝読させていただきました。期待通り、新知見数多。
 
 三津御厨は皇嘉門院領だった。金持庄や阿野庄は大岡牧に隣接する位置にあった。時政と大岡牧の関係。牧氏の一族が『閑谷集』の作者であったという説のあること。その人物が庵を構えたという沼津市大畑のあたりの考古学的調査で12世紀代を中心とした中国産陶磁器が出土していること。源義朝の乳母子鎌田正清と駿河国香貫および希義との関係。治承三年に清盛が富士参詣だけではなく鹿島詣も計画し、そのために相模国に宿館まで造営させていたこと等々。『平治物語絵巻』に頼朝が描かれていることもこれまで気付きません(忘れていた?)でした。
 
 という次第で、お教えいただいたこと甚大。おおいに執筆意欲を喚起されました。杉橋先生にあつく御礼を申し上げる次第です。
 
 これを拝読したことに刺激されて、本日は伊豆北条氏ないし北条時政の評価に関説した文献を読みあさることになったのですが、一番頷かされたのは上横手雅敬先生の『北条泰時』(人物叢書)7ページの前後の記述でした。この本の初版は昭和33年。私が小学校2年生の時というのはどうでもよいことですが、上横手先生は27歳。
 まったく、敬服にたることだと思いました。

 >同じ世代の院生をしているゼミメンバー諸姉兄  夏休みに入って、待ちに待った論文執筆に日夜没頭されていることと思います。旬を大切に。 
 そろそろ一本くらい書き上がった頃でしょうか? 頑張ってください。

暑中お見舞い申し上げます

No.4962

 暦の上では明日はもう立秋。おそまきながら、御挨拶申し上げます。
 京都はまさしく猛暑の渦中にあります。

 ノートPCですが、昨日、鈴木君の御出張をいただき、どうやら復活を遂げることが出来ました。これで、能率良く仕事を進めることが出来ます。鈴木君にあつく御礼を申し上げます。

>岩田君  萩原龍夫『中世祭祀組織の研究』(吉川弘文館、昭37)499ページに「御家人和田義盛の妻は「豊受太神宮七社禰宜度会康高」の女であり、横山権守の妹であった」と、さりげなく記してありました。素直にその枠の中で考えればよいのかも知れませんね。

【追記】
 >永富さん  沖縄のお土産、ありがとうございました。

 >ゼミ史料講読会参加のメンバー諸姉兄  懸案の『日本国語大辞典』全20巻・『明月記』(国書刊行会本)など、購入いたしました。御活用下さい。

 ※ 拙著(しかも古本)がこんなに大きく紹介されたのは初めてのことです(驚)。
  →  http://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k30224697

Re: 暑中お見舞い申し上げます

金澤正大
No.4963

御家人和田義盛の妻が横山権守時広の妹であることは、『吾妻鏡』建保元年5月4日条に、「時兼者横山権守時広嫡男也、伯母〈時広妹也、〉者、為義盛妻、妹者又嫁常盛、」とあるのが史料的根拠です。横山氏と三浦氏が重複的な姻戚関係にあったことが分かります。

なお、小生のブログ『歴史と中国』のURLは、「MSN Spsces」が「Windows Live Spaces」と模様替えになりましたので、下記のように変更になりました。

義盛の妻は時広の妹で康高の娘である?

No.4964

>金澤先生  和田義盛の妻の件ですが、横山時広の妹が度会康高の娘ということは、異父妹ということになるのでしょうか?
 先般来、岩田君とそんなことを議論していたという次第です。

 猛暑の京都。五条坂では恒例の陶器市が開催中。かつての六条若宮八幡宮の後進の神社は、その中心に位置します。
 明日は台風接近の由、お気をつけください。

 昭和の30年代、千葉市作草部の市営住宅に住んでいた子どものころ、兄のように慕っていた二歳上の先輩から暑中見舞いをいただきました。一歳三ヶ月になるお孫さんが歩き始めた由。
 いよいよ二世代の懸隔の時代を迎えたようです。

 ☆ 本日、横浜市歴史博物館の平野卓治先生より、平野先生と橋本博文先生御共著「坂東」収録の、上原真人ほか編『列島の古代史 ひと・もの・こと 1 古代史の舞台』(岩波書店)を御恵送いただきました。御高論では、引用・参考文献欄に拙著三点をあげて下さり、恐縮に存じております。
 平野先生に、あつく御礼を申し上げます。 

Re: 義盛の妻は時広の妹で康高の娘である?

金澤正大
No.4965

『吾妻鏡』建保元年7月20日条の、「故和田左衛門尉義盛妻〈横山権守妹、〉蒙厚免之、是豊受太神宮七社祢宜度会康高女子也、」が以上の史料的根拠となります。これを素直に読むと、義盛妻は時広妹で、度会康高女となりますから、ご指摘のように、時広と彼女は異父兄妹となります。

恐縮です

No.4967

>金澤先生、野口先生
 すぐにお返事できずすみません。貴重なご教示をありがとうございます。いまだに異父兄妹(姉弟・兄弟・姉妹)というものがどうもうまく理解できずにいましたが、この事例で少しは具体的にイメージしやすくなったように思います。
 これからも、より注意深く読むよう心がけます。

 猛暑の京都、六波羅の六道珍皇寺でも毎年恒例の「地獄巡り」の季節ですね。高野槙、迎え鐘、地獄絵と、あの縁日の雰囲気が良いです。

些末なことですが・・・

田中裕紀
No.4973

>岩田くん
 「地獄巡り」ではなく、「六道まいり」です!
 それじゃあ温泉地になってしまいますよー

Re: 暑中お見舞い申し上げます

No.4977

 >岩田君  大文字の送り火のことを、「大文字焼き」と言って叱られるがごとし。

 大学が夏期休暇に入る前に研究室で一仕事と思って張り切っておりましたら、プリンターのトナーがなくなってしまいました。
 お盆は研究者にとって、まとめて仕事の出来る貴重な期間なのです。

9月17日の平家物語研究会について詳報

No.4960

 先に御紹介いたしました平家物語研究会の詳細についてお知らせいたします。
 会員以外で出席されるメンバーは、事務局に連絡いたしますので、事前に当方までお知らせ下さい。
  
  日  時:2006年9月17日(日)13:30~17:30
  場  所:慶應義塾大学三田キャンパス 研究室棟1階A会議室
                   
  輪  読:高木信氏『真名本曾我物語』巻第4
  研究発表:清水由美子氏「梓弓説話再考」
       長村祥知氏「承久の乱の軍事動員」

  三田キャンパスへのアクセスは下記のとおりです。
  〒108-8345 東京都港区三田2-15-45 TEL. 03-3453-4511(代)
  JR山手線、京浜東北線:田町駅下車(徒歩約8分)
  都営地下鉄浅草線、都営地下鉄三田線:三田駅下車(徒歩約7分)
  都営地下鉄大江戸線:赤羽橋駅下車(徒歩約8分)

 ★ 当方のPCですが、やはり不調は変わらず、時々画面が消滅いたします。そのため、このBBSへの書き込みやメールの送受信が出来なくなる可能性のあることをお断りしておきます。

承久の乱研究の新展開

No.4961

 上記、長村君のご発表は、従来の承久の乱にたいする評価に大きな変更をせまる内容を含むものです。
 なお、長村君の最近の論文に「『六代勝事記』の歴史思想-承久の乱と帝徳批判-」(『年報中世史研究』31)があることを御紹介させていただきます。

 ☆ 昨日、大阪市立大学の仁木宏先生より、御高論「室町戦国時代の社会構造と守護所・城下町」(内堀信雄ほか編『守護所と戦国城下町』 高志書院)・「港津と守護所をめぐる一考察-若狭国小浜と越中放生津-」(矢田俊文ほか編『中世の城館と集散地』 高志書院)・「守護所・城下町と府中・所口湊-都市史のなかの「七尾」-」(千田義博ほか編『能登七尾城・加賀金沢城-中世の城・まち・むら』新人物往来社)・「戦国時代摂津・河内の都市と交通-中核都市・大坂論-」(栄原永遠男ほか編『難波宮から大坂へ』和泉書院)・「播磨国美嚢郡淡河市庭(神戸市北区)の楽市制札をめぐる一考察」(『兵庫のしおり』7)・「書評 伊藤毅著『都市の空間史』」(『歴史学研究』798)・「摂津国渡辺津の位置をめぐる一考察」(『都市大阪の古代から現代』都市問題研究報告書、大阪市立大学プロジェクト研究会)・「中世大阪都市論-都市群とネットワーク-」(『大阪および日本の都市の歴史的発展 Symposium on Osaka and Japanese Cities,Historical Perspectives』大阪市立大学都市文化研究センター )収録の『抜刷集』および仁木先生御監修の『和泉市史紀要第3集 松尾寺所蔵史料調査報告書』(和泉市史編さん委員会)を御恵送いただきました。旺盛なご研究の成果に脱帽です。
 仁木先生にあつくお礼を申し上げます。

 ★ 原稿執筆はワープロに切り替えましたが、かなり勝手が違い、相当能率が落ちております。器械の所為にしています。

治承四年の満年齢とPCの御機嫌とり。

No.4958

 米谷豊之祐先生は、その御論考の中で、たびだひ歴史に於ける人物の年齢の重要性を指摘されています。たしかに、たとえば、頼朝の挙兵した治承四年をとりあげてみても、いろいろと考えさせられること多々。
  北条政子 23歳  北条時政 42歳  北条義時 17歳  北条時房  5歳
  大江広元 32歳  三善康信 40歳  源 義仲 26歳  源 頼朝 33歳
  源 義経 21歳  源 頼政 75歳  以仁王  29歳  八条院  44歳
  上西門院 54歳  源 通親 31歳  平 時忠 53歳  平 知盛 29歳
  平 維盛 22歳  平 清盛 62歳  平 忠度 36歳  平 頼盛 49歳
  平 宗盛 33歳  後白河院 53歳  建礼門院 25歳  畠山重忠 16歳
  九条兼実 31歳  慈円   25歳  藤原定家 18歳  平 教盛 52歳
  平 教経 20歳  平 重衡 24歳  平 資盛 22歳  藤原経房 37歳

 なぜだか、今の自分と同年配の人物に親近感がわいたり致しますね。

 先日来、起動時にディスプレーの下の方から紫色のシミのようなものが広がり、やがて前面を覆い尽くしてマウスカーソルも飲み込まれてしまい、ついには全面が灰色と化すという状態がしばしば続いていた、私のノートPCですが、本日、ついにワープロ作動中に次々と画面に横線が入り、ついで全面灰色という事態となりました。
 そこで、PCの使用をあきらめ、古いワープロを引っ張り出したり、仕事先の鈴木君に電話をして御指示を仰いだりいたしましたが、ワープロに置き場を譲ったノートPCを、ちょっと作動させてみたところ、これが不思議なことに復調。理由として考えられるのは、その移動場所がクーラーの風の直接あたるところだったということです。まったくPCとは機嫌の悪い赤子のごとし。
 それにしても、いつまた画面が消えるかも知れない恐怖感にとらわれて使用するのも困りものなので、これは何としても、予備の一台を備えなければならないと痛感している次第です。
 このところ、こんな心配ばかりで、少しも仕事が進みません。

 >鈴木君  御迷惑をおかけしました。予定通りに対応したいと思いますので、またお手数をおかけしますが、宜しくお願いいたします。

PCお見舞い申し上げます。

No.4959

野口先生、PCお見舞い申し上げます。
お早い完全復旧をお祈りいたしております。
厳島の参加者増については了解いたしましたので、ご連絡まで。

同い年の存在の中では、やはり以仁王よりは知盛を選びたくなってしまいます(笑)。
どちらにしても、あやかりたいかと言われれば難しいところですが。
大江広元は、なんだか幕府草創時から老臣だったように思ってしまっていました(苦笑)。
思い込みとは怖いものですね。

本日は、お疲れ様でした&ありがとうございました。

No.4956

 本日の長丁場になりました『吾妻鏡』大講読会をもちまして、無事前期の講読会は終了いたしました。そして毎回出席される皆様のおかげをもちまして、何とか前期の目標でありました建保年間は終了しました。
 前期を無事終了できたのも、共同研究室などの準備をしていただいている野口先生をはじめ、毎回参加してくださるレギュラーメンバーの皆様の熱意(自分はお荷物状態ですが)と、向学心の賜物であると思います。本日は残念ながら、全員参加とはいきませんでしたが、またフルメンバーで講読会を後期からもしていきたいと思います(いよいよ承久年間に入って、「実朝暗殺」や「承久の乱」など豪華なイベント(?)が目白押しです)。
 
 この講読会が他の人からどのように認識されているかは分かりませんが、関西各地の学生が、単位も関係なく、知的好奇心や向学心で、忙しい中を予定を調整して来て、自由に何でも議論できる、今のこのような場所が本当に貴重なんだと最近になって再認識しています。この講読会が参加して下さっているメンバーのそれぞれの関心によって、この会が各個人にどのようにお役に立てるのかは分かりませんが、このような会を続ける事で、自由な場所を維持できたらと思っています。
(※なお↑の自分のコメントは、『枕草子』講読会に対する対抗心で書いたものではありません(笑 念のために)
 
 後期からは、メンバーのそれぞれの予定があって(自分も修論が・・)、その点を考慮に入れながら調整して進みたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

>野口先生 お忙しい中、長時間に亘り御指導頂きありがとうございました。また部屋の確保などに関しても、お手数をおかけしました。また後期からもよろしくお願いいたします。

>野口君 今日もお土産ありがとう(毎回言っている気が・・・)。松薗ゼミのことなんだけど、大学の方で用事があるので、参加出来そうにありません。また九月上旬に名古屋に行くので、その時にまた。

>山岡さん 今日は音読本当にお疲れ様です。まさか全部読むとは思っていませんでした。その意気で、夏・後期頑張って下さい。

>伊藤さん 歌舞伎の家の系図ありがとうございました。早速自分の頭の中を整理してみます。また分からない箇所が出てきたらよろしくお願いします。

※なお九月に行なう予定でしたが、自分の予定などもあり、普通に九月の終わり頃から、 週一のペースでやろうと思います。決まり次第また連絡いたします。



お疲れさまでした。

伊藤明日香
No.4957

>山本さん 
 役者の家系図は修論の頭休めにお使いください。あと、まわりの説明は半端な状態ですが、みんな割とハラハラするエピソードが多くて楽しい?ですよ。
昨日は長かったですが、自分としては「もうこんなに時間たったの?」って感じでした。内容もさることながら、毎回みなさんの向学心に喚起される時間です。専攻は近世ですが今後もよろしくお願いしますm(__)m

海を渡る文学

佐伯真一
No.4954

お久しぶりです。
美川先生のおっしゃるとおり、どこの大学でもPRに必死で…
…だからというわけでもないのですが、
青山学院大学日本文学科主催で、
下記のような国際シンポジウムを開きます。
事前の申し込みなどは不要、もちろん入場無料ですので、
お時間の許す方は、是非ご参加ください。

タイトル:海を渡る文学―日本と東アジアの物語・詩・絵画・芸能―
期日:2006年9月2日(土)
時間:13:30~17:30
会場:青山学院大学青山キャンパス11号館、1173教室

開会挨拶 武藤元昭(青山学院大学学長)
佐伯真一(青山学院大学)「日本中世文学研究の内外」 
楊暁捷(カルガリー大学)
     「詩の物語・絵の物語―絵巻「胡笳十八拍図」にみる中国と日本―」
邊恩田(同志社大学)
     「「四方四季」と日本文学―『春香伝』と『金鰲新話』から考える―」
村井章介(東京大学)
     「肖像画・賛からみた禅の日中交流」
コメンテーター 大上正美(青山学院大学)
コメンテーター 藤原良章(青山学院大学)
司会:廣木一人(青山学院大学)

宣伝までにて。

『吾妻鏡』祭り、楽しく終了。

No.4955

 >佐伯先生 お待ちいたしておりました。樋口大祐先生の御研究をおうかがいして、国文学の世界もいよいよ東アジア的視野で進められているのだと実感していたところでした。
 あいにく9月の2日・3日は当方、厳島神社の調査を計画しており、また日本中世史関係のイベントが目白押しのようで、大方のゼミメンバーともども参加が叶い難いのが残念です。

 本日の『吾妻鏡』祭りは、久方ぶりに猛勉強と憂さ晴らしの雑談を交わすことが出来、とても楽しいかぎりでした。ただ、実質6時間の講読は後になって相当疲れを感じさせられております。
 岩田・山本両師範をはじめ、愛知からいつものように美味しいお土産持参で馳せ参じてくれた野口君、十分な予習によって的確なコメントを発してくれた長村君、全文を通読してくれた山岡さん、ありがとう、且つお疲れ様でした。
 「大夫判官」にたいする評価や源太景季のことなど、とても勉強になりました。ラフな気持ちで、いろいろ意見を交わせると、よいアイディアが浮かびます。
 次は書評会、参加の諸姉兄、こちらもどうぞ宜しく。

 愛知学院大学の松薗先生のゼミとの交流企画については、野口君が骨を折ってくれています。9月4日の午後か5日をあてたいと思っているのですが、何か御意見がありましたら。野口君まで。

 『枕草子』の方は、『吾妻鏡』以上に盛況だったようです。

 >金澤先生  政治経済史学会の『吾妻鏡』輪読会の御紹介、ありがとうございました。

FM cocolo 摂南大学外国語学部

No.4946

 今、どこの大学でもPRに必死です。

 そんなことで、

 今日、FM cocolo というラジオ局での収録をしてきました。
「定家の日記と中世公家文化」というトーク・テーマです。

 高校のころはよく深夜ラジオ、大学に入ってからは、FMのクラシック番組を、
聴いたものですが、最近はさっぱりです。
 
 このFM局の存在についても、実はまったく知りませんでした。
 自分がラジオに出演するなどとは、考えたこともありません。

 私の、過去のちょっとした経験からすると、
 テレビは予定が秒刻みで、しかも服装や表情に神経を使うは、
テロップを順序通りに正しく出さねばならないし、とてもせせこましい。
もう内容どころではない、といった感じです。

 ところが、ラジオはおおらかなんですね。進行表も厳密ではないし、
DJとゲストの関係の中で、どうにでもなっていくのです。

 非常に人間的なメデイアだと思いました。

 今回のDJの加美さんという人は、美術館や博物館めぐりが趣味だそうで、
私の話にびんびん響いてくれて、とても楽しかった。

 テレビで活躍しているキャスターにはラジオのDJ出身者が多く、
最近、しきりに、ラジオを懐かしがっている意味がよくわかりました。

 今後、ラジオが主要なメデイアとして復活することはないでしょうが、
とてもいいものだなあ、と感じました。また、少しラジオを聴こうかな。


 明月記を中心にした貴族の日記の性格。紙背文書の話などをしました。
 もしも興味がありましたら、神戸・大阪・京都ぐらいは受信できるようですから、
お聴きください。

http://www.setsunan.ac.jp/~kokusai/gakubu/event/FM/FMcocolo-lbu.html

Re: FM cocolo 摂南大学外国語学部

No.4948

な、なんと!それはぜひとも聞かなくては。
美川先生の出演日は10月4日なんですね。
直前になったら、ちゃんと忘れないようにしなくっちゃ。

勇気りんりん瑠璃の色

No.4949

 ラジオは本当によい世界でした。
 昔の話になると、急に元気が出て来てしまうのですが、私は子どもの頃、朝は「パパ行ってらっしゃい」、夜は「一丁目一番地」・「少年探偵団」などという番組を楽しみにしておりました。
 ちなみに、「少年探偵団」のスポンサー(当時は「提供」といいましたが)は、どこだったか御存知でしょうか?
 昨日のことは忘れても、こういうのはCMソングまで自然に口をついて出てきてしまいますね。
 
 夏休みには、ラジオ体操に行って、ハンコをもらって・・・というのもありました。

ラジオにまつわるエトセトラ

No.4950

 いまでこそ朝は「めざましテレビ」を観ていますが、昔は朝日放送の「おはようパーソナリティ道上洋三です」を聞いて朝の支度をしていました。おかげで、野球はほとんど観ないのですが、六甲おろしの一番の歌詞は覚えました。

>少年探偵団 「ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団♪」でしょうか。
 少年探偵団の提供は存じませんが、「テレビ探偵団(TBS系)」の提供は三菱電機でした。関係なくてすみません。

>ラジオ体操 ハンコをもらうカードは一学期最終日に配られました。せっせと集めたものです。子供はせっかち(なんでも一番がいい)なので、ラジオ体操第二の最後の深呼吸をしながら、少しでもはやくハンコをもらおうとしてジリジリと「ハンコを押してくれる人」ににじり寄ったりしてました。

友よ!ほんとうに、夜明けは近いのか?

No.4951

>岩田君 レスをありがとうございます。ラジオの「少年探偵団」、提供は養命酒でした。
 貴兄は私の子供の世代ですから、相当感覚が違うはずです。私の子供時代は、テレビのない、純粋のラジオ時代でした。それから白黒テレビ、カラーテレビ、という段階を経験しておりますから。
 まあ、今のケータイなんて云う代物は、SFの中に登場する地球防衛隊の隊員の小道具が現実のものになってしまったというような感じですね。社会のあり方については、まったく予想とは異なる展開でした。
 私たちの世代は「夜明けは近い」などと歌っていましたが、今君たちはどんな気分なんでしょうか?

 ☆ 本日、国立長野高専の中澤克昭先生から御高論「居館と武士の職能-出土鉄鏃と狩猟をめぐって-」(小野正敏・萩原三雄編『鎌倉時代の考古学』 高志書院)を御恵送いただきました。狩猟や堀を武士の暴力や軍事的意図とは全く別の視角から評価した御研究。
 「たしかに、そうだなぁ」と思わせる、インパクトのある論文です。これまた、武士論専攻者は必読。
 中澤先生に、あつく御礼申しあげます。

昔のラジオとテレビ

No.4952

 野口先生の少し後に生まれた私は、
物心ついたときには、すでにテレビがありました。

 最初の記憶は、幼稚園に行くときに、
「ぶーふーうー三匹のこぶた」という子供劇を見ていたこと。
あるいは、「ちろりん村とくるみの木」という劇を楽しみにしていたことです。

 ラジオをよく聴いたのは、中学に入ってから、いわゆる深夜放送というのですね。
とくに、パックインミュージックという番組をよく聴いていました。
とくに、野沢那智と白石冬美の日が一番印象がのこっています。
調べてみたら、この番組、午前1時から5時までやっていたのですね。
中学・高校時代、学校で眠かった記憶が非常に強いのは、
こうしたラジオの深夜放送のためだったようです。

日経BPムック 京都女子大学

No.4945

 日経BPムック「変革する大学」シリーズ『京都女子大学』を、先ほど京都女子学園法人本部の方が、わざわざ届けて下さいました。
 この本の制作にあたっては、私も、およばずながら「京都がキャンパス」の部分(56~59ページ)をお手伝いさせていただきました。
 例のごとく、京女周辺の史跡案内。ここには、東山をバックにして、手前に京都国立博物館・三十三間堂・妙法院・智積院という、すばらしいロケーションの中にある京都女子大学の全景を写した、21世紀の洛中洛外図ともいうべき写真がレイアウトされております。
 ちなみに、59ページの「社会に開かれた研究を推進する『宗教・文化研究所』」には、京都大学・神戸大学・関西学院大学など、他大学の学生も一緒に活動している、ということも、ちゃんと書かかれております。
 45~47ページには、史学科の母利先生が「行動する歴史学者」として登場されています。
 そういう次第ですから、ぜひ、御覧おき下さい。

 >佐伯君 私も厳島神社には高校教員時代の修学旅行の引率でしか行ったことがありません。なお、私は対岸も含めて、二日がかりで、宮島・厳島神社の社殿と周囲の景観・空間プランを調査したいと考えております。
 ついでですが、塾で夏期講習の講師のアルバイトというのは、私も院生時代に致しました。その塾では、大学院DCだった私よりも、ただ東大というだけで東大の学部生の方が時給が高かったことを覚えております。
 受験産業というのは実にわかりやすい。 

Re: 厳島の旅程

No.4947

>野口先生
旅程は、そういうことでしたら話が早いです(笑)。
近日中に、お宿・電車その他の情報をメールでご相談させていただきます。
明日旅行のパンフレットを入手してから検討しますので、今しばらくお待ち下さい。

ちなみに、うちの塾は非常勤講師の時給は一律だったはずです。
小さな塾だからということもありますが、(学歴などに関係なく)おのおのに同じだけの指導水準を要求しているから、だと思います。
だから、他塾と比較しても、多分時給は多少高めにそろえてあります(予備校講師とはさすがに比較になりませんが)。
いい塾なんですよ(自画自賛)。