巡礼記研究会第3回研究集会
No.4991
ご無沙汰しております。大橋直義です。突然ですが、本年も宣伝をさせてください。
こちらの掲示板でも話題になっておりました平家物語研究会@慶應義塾の前日、同じキャンパスで巡礼記研究会第3回研究集会を開催いたします。当研究会としましては初めてのシンポジウムも企画しておりますし、会誌第3集もお配りする予定でおります。お忙しい時期とは存じますが、どうかよろしくお願い申し上げます(事前の連絡等は不要です)。
長文の投稿になりますが、どうかご海容ください。
巡礼記研究会 第3回研究集会 (共催 慶應義塾中世文学研究会)
会場 慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎1階512番教室
交通 JR山手線田町駅/都営浅草線・三田線三田駅徒歩10分
日時 2006年 9月16日(土) 午後1時~午後6時
[研究発表]
内田澪子氏 国立歴史民俗博物館・東京大学史料編纂所/研究支援推進員
「寺社縁起享受の一様相 ―中世禁裏周辺の場合―」
松本郁代氏 日本学術振興会特別研究員PD
「室町期京都の「霊場」と職能民 ―聖俗の相克をめぐって―」
[シンポジウム 巡礼と巡礼記 ―巡拝・参詣とそのテキスト―]
[司会]橋本正俊氏 名古屋学院大学
徳田和夫氏 学習院女子大学
「室町期の参詣風景 ―寺社縁起・絵画・日記―」
渡辺信和氏 同朋大学
「「巡拝記」類と近世後期の「〔巡拝図会屏風〕」」
牧野和夫氏 実践女子大学
「「西国三十三所巡礼記」研究史の〝空白領域〟 ―いわゆる〝中世文化(文学)〟の生成の場について―」
[連絡先]
108-8345 港区三田2-15-45 慶應義塾大学文学部 岩松研吉郎
03-3453-4511 内線 23093
ダイアルイン 03-5427-1175
FAX 03-5427-1578
[研究発表 要旨]
内田澪子氏「寺社縁起享受の一様相 ―中世禁裏周辺の場合―」
寺社の縁起は、成立をみたのち、どのように享受されたのだろうか。中世の寺社においては、様々な社会変革・変質の中にあって、寺社そのものの「起」を語る縁起は重要な役割を負っていた。したがって縁起が「案出」されるにあたっては、自らの縁起が正しく理解・享受されることは前提であった。とはいえ、一度公を歩き始めた縁起は、必ずしも産みの親たる寺社の状況とは無関係に受容される側面も持つ。縁起享受の場や享受の様子、文字テキストとしての変化(あるいは不変)の様を探ることは、縁起そのものの意味や、成立の意義の理解にも大きな示唆を与える。
本報告では、中世禁裏や宮家周辺を享受の場として考えてみたい。しかし具体的な享受の様子は、それを伝える残存史料の制限に阻まれて、実態を知ることが一般には難しい。よってここでは禁裏伝来とされる蔵書群を対象とし、まず禁裏周辺にはどのような縁起が蔵書として含まれていたのか、個別の縁起の享受の様が如何に史料上現われるのか、また、個々の縁起の内容はどのように理解されていたのか、など、複数のアプローチを用いることで、可能な限りその実相を追いかけてみたい。
松本郁代氏「室町期京都の「霊場」と職能民 ―聖俗の相克をめぐって―」
東寺が神泉苑の領有を主張した長禄三年(一四五九)付の文書には、大内裏の神祇官・官庁(太政官庁)・真言院・神泉苑が、「四箇所霊場」、「大内霊場」であるとして記されている。天皇は既に土御門内裏に移り、官庁の建物も多くが廃絶していたが、この四箇所は、修理や再建が繰り返され存在していた。東寺が管轄外の神祇官・太政官庁を含む四箇所を敢えて「霊場」と表現した背景には、旧大内裏の施設ではなく、その「場」や「空間」そのものに権威を認め、聖視する動向を読み取ることができる。大内裏は、室町時代には「内野」等と称され結果的に荒廃したが、太政官庁では天皇の即位儀礼が行われるなど、全く機能していなかったわけではない。これは、大内裏という「空間」に王権の権能が存続していたと捉えることができる。十五世紀後半の京都は、飢饉と戦乱に見舞われた時期であり、民衆が飢餓や貧困と闘った時代とされている。その一方で、京中には、声聞師や鉢叩、野僧、勧進聖、河原者、犬神人など様々な職能民が登場した。
本発表では、室町期における大内裏の残映とその意義を追いながら、大内裏の存在と相克するものとして、京中の民衆や職能者たちを位置づけ、彼らが作りだした聖なる「空間」を捉えることによって、都市京都における宗教の領域を空間に見出したい。
[シンポジウム「巡礼と巡礼記 ―巡拝・参詣とそのテキスト―」趣旨]
近時の巡礼記をめぐる研究の現状は、一方では縁起研究の動向とも関わりながら、テキストの精緻な「よみ」に基づきつつ、周辺の関連資料との連環をときあかそうとするものとおおまかには位置づけることができよう。その結果、多くのテキストが紹介・検証され、南都や西国三十三所といった宗教空間や神仏、そしてそこに関わる諸言説のさらなる把握が進んでいることはあらためていうまでもない。しかし、そのようなテキスト・言説の「生態」が明らかにされてゆく一方で、巡礼や参詣が、中世日本における交通や経済、観光とも結びつきうる実修・実践的な行為であったことに対する注意はややなおざりにされてしまっているのではないか。こういった諸問題はもちろん、従来の文学研究の対象と方法においては周縁に属するものであったが、テキストとしての巡礼記、そして縁起や参詣記がいかなる意味を担うものであったかということを復原するためには、それらが現実に存在した中世世界のありようのなかに今一度溶け込ませて考えてみる必要があるだろう。
このような問題意識のもとに、本研究会は徳田和夫氏・渡辺信和氏・牧野和夫氏をパネリストとしてお招きし、シンポジウムを企画した。巡礼記さらに縁起のみならず、絵画や日記、あるいは中世における知の諸領域にわたる議論が期待される。同様の問題意識を共有される多くの方々のご参加と、議論の深まりを熱望する。
こちらの掲示板でも話題になっておりました平家物語研究会@慶應義塾の前日、同じキャンパスで巡礼記研究会第3回研究集会を開催いたします。当研究会としましては初めてのシンポジウムも企画しておりますし、会誌第3集もお配りする予定でおります。お忙しい時期とは存じますが、どうかよろしくお願い申し上げます(事前の連絡等は不要です)。
長文の投稿になりますが、どうかご海容ください。
巡礼記研究会 第3回研究集会 (共催 慶應義塾中世文学研究会)
会場 慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎1階512番教室
交通 JR山手線田町駅/都営浅草線・三田線三田駅徒歩10分
日時 2006年 9月16日(土) 午後1時~午後6時
[研究発表]
内田澪子氏 国立歴史民俗博物館・東京大学史料編纂所/研究支援推進員
「寺社縁起享受の一様相 ―中世禁裏周辺の場合―」
松本郁代氏 日本学術振興会特別研究員PD
「室町期京都の「霊場」と職能民 ―聖俗の相克をめぐって―」
[シンポジウム 巡礼と巡礼記 ―巡拝・参詣とそのテキスト―]
[司会]橋本正俊氏 名古屋学院大学
徳田和夫氏 学習院女子大学
「室町期の参詣風景 ―寺社縁起・絵画・日記―」
渡辺信和氏 同朋大学
「「巡拝記」類と近世後期の「〔巡拝図会屏風〕」」
牧野和夫氏 実践女子大学
「「西国三十三所巡礼記」研究史の〝空白領域〟 ―いわゆる〝中世文化(文学)〟の生成の場について―」
[連絡先]
108-8345 港区三田2-15-45 慶應義塾大学文学部 岩松研吉郎
03-3453-4511 内線 23093
ダイアルイン 03-5427-1175
FAX 03-5427-1578
[研究発表 要旨]
内田澪子氏「寺社縁起享受の一様相 ―中世禁裏周辺の場合―」
寺社の縁起は、成立をみたのち、どのように享受されたのだろうか。中世の寺社においては、様々な社会変革・変質の中にあって、寺社そのものの「起」を語る縁起は重要な役割を負っていた。したがって縁起が「案出」されるにあたっては、自らの縁起が正しく理解・享受されることは前提であった。とはいえ、一度公を歩き始めた縁起は、必ずしも産みの親たる寺社の状況とは無関係に受容される側面も持つ。縁起享受の場や享受の様子、文字テキストとしての変化(あるいは不変)の様を探ることは、縁起そのものの意味や、成立の意義の理解にも大きな示唆を与える。
本報告では、中世禁裏や宮家周辺を享受の場として考えてみたい。しかし具体的な享受の様子は、それを伝える残存史料の制限に阻まれて、実態を知ることが一般には難しい。よってここでは禁裏伝来とされる蔵書群を対象とし、まず禁裏周辺にはどのような縁起が蔵書として含まれていたのか、個別の縁起の享受の様が如何に史料上現われるのか、また、個々の縁起の内容はどのように理解されていたのか、など、複数のアプローチを用いることで、可能な限りその実相を追いかけてみたい。
松本郁代氏「室町期京都の「霊場」と職能民 ―聖俗の相克をめぐって―」
東寺が神泉苑の領有を主張した長禄三年(一四五九)付の文書には、大内裏の神祇官・官庁(太政官庁)・真言院・神泉苑が、「四箇所霊場」、「大内霊場」であるとして記されている。天皇は既に土御門内裏に移り、官庁の建物も多くが廃絶していたが、この四箇所は、修理や再建が繰り返され存在していた。東寺が管轄外の神祇官・太政官庁を含む四箇所を敢えて「霊場」と表現した背景には、旧大内裏の施設ではなく、その「場」や「空間」そのものに権威を認め、聖視する動向を読み取ることができる。大内裏は、室町時代には「内野」等と称され結果的に荒廃したが、太政官庁では天皇の即位儀礼が行われるなど、全く機能していなかったわけではない。これは、大内裏という「空間」に王権の権能が存続していたと捉えることができる。十五世紀後半の京都は、飢饉と戦乱に見舞われた時期であり、民衆が飢餓や貧困と闘った時代とされている。その一方で、京中には、声聞師や鉢叩、野僧、勧進聖、河原者、犬神人など様々な職能民が登場した。
本発表では、室町期における大内裏の残映とその意義を追いながら、大内裏の存在と相克するものとして、京中の民衆や職能者たちを位置づけ、彼らが作りだした聖なる「空間」を捉えることによって、都市京都における宗教の領域を空間に見出したい。
[シンポジウム「巡礼と巡礼記 ―巡拝・参詣とそのテキスト―」趣旨]
近時の巡礼記をめぐる研究の現状は、一方では縁起研究の動向とも関わりながら、テキストの精緻な「よみ」に基づきつつ、周辺の関連資料との連環をときあかそうとするものとおおまかには位置づけることができよう。その結果、多くのテキストが紹介・検証され、南都や西国三十三所といった宗教空間や神仏、そしてそこに関わる諸言説のさらなる把握が進んでいることはあらためていうまでもない。しかし、そのようなテキスト・言説の「生態」が明らかにされてゆく一方で、巡礼や参詣が、中世日本における交通や経済、観光とも結びつきうる実修・実践的な行為であったことに対する注意はややなおざりにされてしまっているのではないか。こういった諸問題はもちろん、従来の文学研究の対象と方法においては周縁に属するものであったが、テキストとしての巡礼記、そして縁起や参詣記がいかなる意味を担うものであったかということを復原するためには、それらが現実に存在した中世世界のありようのなかに今一度溶け込ませて考えてみる必要があるだろう。
このような問題意識のもとに、本研究会は徳田和夫氏・渡辺信和氏・牧野和夫氏をパネリストとしてお招きし、シンポジウムを企画した。巡礼記さらに縁起のみならず、絵画や日記、あるいは中世における知の諸領域にわたる議論が期待される。同様の問題意識を共有される多くの方々のご参加と、議論の深まりを熱望する。