歴史ドラマにもとめるもの
No.4321
大河ドラマの義経が終わりました。
この数ヶ月見ていないのですが、最終回だけ見ました。
思うのですが、『吾妻鏡』のわずか数行の記述。
それをもとにしたドラマを今後期待したい。
つまり。
『吾妻鏡』文治五年閏四月三十日
今日於陸奥国、泰衡襲源豫州。是且任 勅定、且依二品仰也。
与州在民部少輔基成朝臣衣河館。泰衡従兵数百騎、馳至其所合戦。
与州家人等雖相防、悉以敗績。
豫州入持仏堂、先害妻(廿二歳)子(女子四歳)、次自殺云々。
ですね。
義経は、後白河法皇と頼朝の命令によって、泰衡に殺された。
だから、頼朝は義経の死に涙するなんてことはけっしてない。
後白河ももう義経のことをとうに見放している。
そして、大事なのは、義経は一人ではなく、正妻と四歳の娘とともに、
衣川館にあって、泰衡の騎兵に攻められる。そして妻子を殺して、自殺する。
騎兵が攻め寄せるのですね。
いまさら弁慶の立ち往生よりも、こちらをしっかり描くこと。
しかも、手あかのべったりついた義経と靜との物語よりも、
この正妻である河越重頼の娘との最期、その幼気な四歳の娘とのドラマ。
そして、平時忠の娘とはどうなったのか。義経にとって時忠とは。
ほんとうのドラマのネタはいくらもあるんです。
今日みたいに一人で死ぬのはもってのほか。
小説家や脚本家、ドラマの制作者には、
のちの『義経記』によらず、この『吾妻鏡』の行間をうめる
涙をしぼれるようなフィクションを、作っていただきたいと思います。
そして、歴史を研究するものは、この『吾妻鏡』のわずかの記事の後ろに広がる
深く大きな歴史を明らかにしなければならないと思う次第です。
とにかく、大河義経をめぐっては、今年の前半いろいろありました。
今年ももうわずかです。大河義経はかえすがえすも残念でした。
この数ヶ月見ていないのですが、最終回だけ見ました。
思うのですが、『吾妻鏡』のわずか数行の記述。
それをもとにしたドラマを今後期待したい。
つまり。
『吾妻鏡』文治五年閏四月三十日
今日於陸奥国、泰衡襲源豫州。是且任 勅定、且依二品仰也。
与州在民部少輔基成朝臣衣河館。泰衡従兵数百騎、馳至其所合戦。
与州家人等雖相防、悉以敗績。
豫州入持仏堂、先害妻(廿二歳)子(女子四歳)、次自殺云々。
ですね。
義経は、後白河法皇と頼朝の命令によって、泰衡に殺された。
だから、頼朝は義経の死に涙するなんてことはけっしてない。
後白河ももう義経のことをとうに見放している。
そして、大事なのは、義経は一人ではなく、正妻と四歳の娘とともに、
衣川館にあって、泰衡の騎兵に攻められる。そして妻子を殺して、自殺する。
騎兵が攻め寄せるのですね。
いまさら弁慶の立ち往生よりも、こちらをしっかり描くこと。
しかも、手あかのべったりついた義経と靜との物語よりも、
この正妻である河越重頼の娘との最期、その幼気な四歳の娘とのドラマ。
そして、平時忠の娘とはどうなったのか。義経にとって時忠とは。
ほんとうのドラマのネタはいくらもあるんです。
今日みたいに一人で死ぬのはもってのほか。
小説家や脚本家、ドラマの制作者には、
のちの『義経記』によらず、この『吾妻鏡』の行間をうめる
涙をしぼれるようなフィクションを、作っていただきたいと思います。
そして、歴史を研究するものは、この『吾妻鏡』のわずかの記事の後ろに広がる
深く大きな歴史を明らかにしなければならないと思う次第です。
とにかく、大河義経をめぐっては、今年の前半いろいろありました。
今年ももうわずかです。大河義経はかえすがえすも残念でした。