懐かしい東京

No.4284

評判になっている ALWAYS 三丁目の夕日 という映画を見てきました。
昭和33年の東京が、再現されています。
宣伝で、途中までできた東京タワーが出ていたので、矢も楯もたまらず、
今日の午前中に見に行きました。

泣いたね。映画やテレビで泣くことはめったにないのですが、
最初のシーン、ゴム動力式の飛行機を子供が飛ばすシーンで、
完全に涙腺が緩み、あとは、最後まで、ほとんど泣き続け。

私は、昭和32年に、東京タワーのすぐ近くで生まれて、
18歳までそこに住んでいたのです。小学校の友人に、東京タワーの
足のところの寺の子がおりました。

映画にでてくる辺りを知っているのです。
といっても、私の記憶にあるのは、昭和30年代後半でしょうが。
でも、ほとんど違和感がない。CGなども駆使しているのですが、
あの昭和初期を再現した「スパイゾルゲ」のような違和感がまったくない。

もう、とにかく、子供の頃の東京にどっぷりはまりこんで、
とにかく、懐かしく、泣き続けました。そして「現代」に懐疑的になります。
よく知らなかったのですが。監督の山崎貴は、特撮では世界的な人らしいのですが、
脚本・監督としても、凄い人です。日本は、あんな人たちが住んでいる国だったのか。
この人だったら、平安・鎌倉時代の京都や鎌倉も、しっかり再現してくれそう。
とにかく、デテールの凝り方は半端ではありません。
ぜひ、昭和33年の記憶のある方も、あるいは昭和を全く知らない方も、
見て、感想をお聞きしたいです。

ストーリーはべたべたですが、不思議に、それでも泣いてしまいます。
これが、映画ですね。感動しました。 

懐かしいテレビドラマ。

No.4285

 小学生時代のある日曜日。家族で東京に行ったことを思い出しました。美川先生が赤ちゃんの頃です。千葉から茶色の総武線の電車で神田に出て万世でポークソティというのを初めて食べ、東京駅の大丸で記念切手を買ったことを覚えています。当時、切手の蒐集が少年たちの間で流行っていて、記念切手を販売するコーナーが何処のデパートにもあったのです。
 東京タワーにはたしか4・5年生の頃、またある日曜日の朝、父に急に東京に連れて行ってやるといわれて、東京駅で「はとバス」の「社会科コース」というのに乗って行ったことがあります。映画の設定が昭和33年とすると、その1・2年後といったところでしょうか。
 いまNHKテレビのBS2で放送されている、ローハイドとかコンバットを見ていたのは、それより少し後の頃だったかも知れません。ローハイドはたしか夜10時からの放送だったので、健全な少年だった私は眠くて見ていられなかった(見せてもらえなかった)と思います。ただ、景気の良い主題歌と主人公が「フェイバーさん」だったということはよく記憶に残っていました。
 今週、ローハイドとコンバットを見る機会がありましたが、じつに新鮮。こんなテレビドラマを作っていたアメリカも、主人公が「さん」づけで、まだ少年みたいなクリントイーストウッドの一人称が「僕」なんて翻訳された日本語版で西部劇が放送されていた日本も、じつに良い時代だったのだと感心させられました。あの頃はまだ家庭にテレビがあるのが珍しい時代で、はじめて「ローンレンジャー」などを見た50才以上の人はたいてい「あのアメリカ人は日本語が上手だ」と言っていたものです。
 NHKさんには、受信料拒否なんて絶対に言いませんから、あの頃放送されていた「ララミー牧場」とか「ボナンザ」、「コルト45」・「ライフルマン」といった西部劇から「パパは何でも知っている」・「うちのママは世界一」といったホームドラマ、さらには「名犬ラッシー」・「名犬リンチンチン」といった名犬ものまで、おおいに放送していただきたいものと期待するところです。
 民放も、つまらないバラエティー番組はやめにして、「月光仮面」「少年ジェット」「まぽろし探偵」「鉄腕アトム」(実写版)「変幻三日月丸」といった活劇やアメリカ製漫画の傑作「珍犬ハックル」「ポパイ」や「3バカ大将」「ちびっ子ギャング」といった短編喜劇を放送してくれたら見てやるのにと思っております。団塊世代からは大ウケすることは間違いないでしょう。
 いずれにしても、昭和30年代は今こそ思い起こすべき時代だと思います。

高橋秀樹『古記録入門』を薦めます。

No.4286

 美川先生の書き込みに乗ってしまって、書き込むべきことを書き忘れてしまいました。
 それにしても、院生がアルバイト先の塾で中学生にジェネレーションギャップを感じたなんていうレベルとはほど遠い話ですから、ゼミメンバーには、また老耄の野口のいつもの悪い癖が・・とお叱りを受けそうです。

 さて本題です。本日、文部科学省教科書調査官の高橋秀樹先生から御高著『古記録入門』(東京堂出版)を御恵送いただきました。これは、それこそ30年前、私が院生だったころにあったら、ぜったいに座右に置いた本です。もちろん、今の私もおおいに活用させていただくつもりですが、なにしろ、史料としての記録(公家などの日記)にこれから取り組まなければならない方たちには本当にバイブルのような本です。
 具体例として『玉葉』と『民経記』があげられているので、中世前期を研究対象にしている当ゼミの面々には必携だと思います。「日本中世史や日本中世文学を専攻する大学院の博士前期課程(修士課程)の学生を読者に想定して記述したつもりである」というのが、著者高橋先生の言です。
 ゼミ史料講読会用に一冊用意したいと思いますが、これは各自一冊ものだと思います。音楽CDを我慢してこれを備えるのが正解だと思います。
 高橋先生に、あつくお礼を申し上げます。

月曜日、史料講読会と例会が予定されていますが、名古屋から野口君が上洛の予定です。

Re: 懐かしいアジア

No.4287

今日は、午前中の映画のおかげで、ほとんど仕事ができませんでした。
まあ、最低ノルマの原稿3枚だけは書きましたが。

とにかく、ALWAYS 三丁目の夕日 のホームページで、予告編を見たりしただけで、
まためそめそ泣いたりしています。http://www.always3.jp/index02.html

いろいろな関連ブログを読むと、
昭和30年代には生まれていなかった人も、一様に懐かしみ、というかそれ以上に、
実は、日本はこんなにすばらしい人たちのいる国だったんだ、なんて感想を持つようです。家族の情愛なんていうと、イエが重要だ、なんてうさんくさいレベルになりますが、
実は、アカの他人同士の身体的な情愛が、溢れんばかりに描かれているんですね。
家族がたいせつ、なんてことではない。モノより人間がたいせつ、というごくあたりまえのことを正攻法でえがいた娯楽作品なんです。

これは世代を超えた国民的映画だな、なんて思っていた、のですが。
いや、ちがうな、国境を越えるな。少なくとも同じアジア人なら、
どこでも共感をえられる映画なんではないか、と思い始めています。

日本と同じように、韓国はもう高度成長しましたし、中国はその真っ最中。
中国なんて、もう田舎と北京や上海などの大都市とは、
ほんとうにまったく違う世界です。
でも、中国の田舎のひとたちには、まだ情愛があふれている。
去年の秋、かつての侵略者の子孫である私たちを、
もうあふれんばかりに歓迎してくれました。
あの人たちとは、昭和30年代のように、心を通じさせることができる。

靖国に行って日本をアジアで孤立させようとしている亡国の首相の心は、
まったくわかりません。
その首相を支持する現代の日本国民の心も、私はよくはわからないのですが。

そして、きっと、この映画には、懐かしいアジアの情景があるのでしょう。

我が家でも。

No.4288

「アルバイト先の塾で中学生にジェネレーションギャップを感じた」当の本人です(笑)。
「ローハイド」・「コンバット」は、我が家でも両親が昔話に花を咲かせておりました。
今までテレビ業界といえば、若年層にばかりターゲットにしていましたが、
これからは確実に団塊世代の方々へとシフトしていくのでしょうね。
(というよりも、シフトしていかないと業界が持たないのは確実)
あと、音楽業界も。

個人的には、NHKには、ぜひぜひ「人形劇」という古きよき伝統を
維持し守っていってほしいと思います。
大河ドラマとかはCSでもわりに再放送をやるんですが、人形劇はさすがになかなかやらないので…。
そろそろ久々に「三国志」の再放送をやってもいい頃だと思うのですが。

懐かしいマインツ

No.4279

京楽先生のドイツ便りを愛読している。http://www.shc.usp.ac.jp/kyouraku/

毎回とても楽しいのだが、今回はマインツである(どこにあるか知ってますか)。

昨年、ボン大学でシンポジウムの報告があったあと、一人で行った町である。

ボンでは、昼間はシンポ。夜は亡くなった小山靖憲先生らと
毎晩、飲んだり、コンサートに行ったりで、ほとんど、何も見なかった。
シンポ終了後、南西フランスへ3日の遠足へ行き、カタリ派の遺跡などを見たのだが、
ドイツでは何も見ていなかったので、フランクフルト空港への途中で、
わけもわからず1泊したのが、マインツなのです。
一応、日本の旅行社でホテルを予約していったのですが、
旅行社のおねえさんが、マインツというのをホテル名と思って、
ずいぶん手間がかかりました。ライン川の観光船が発着する町なんですが。
行ったのは12月なので、観光船は運航されておらず、観光客はいない町。
けっきょく、ボンの町中を散策したあと着いたので、夕方。
翌日、朝、教会へ行き、その前のお菓子屋さんでチョコレートを買いました(これがおいしかった)。
私の感では、なんだか、いろいろありそうな町だったのですが、
こんなにローマ時代の遺跡があるとは知りませんでした。
私的なこと(娘の中学受験)で時間がなかった。
ぜひもう一度行ってみたいです。
発掘されたローマの軍船の復元がしてあるとは、尻が浮き上がってしまいます。
ただ、ドイツ語はおろか、英語もろくにできないので、
博物館の解説おじさんには、悩まされそうですが。

そろそろ新書の原稿が500枚突破。まだ終わらない。

貴重なボン情報と素晴らしい新刊の御紹介

No.4280

 京樂先生のドイツ報告について、私は>>No.4229で、
 「ボン発の京樂先生の日記ブログは、これから在外研究をしようとする人への指針になりますし、現在のドイツの大学事情を知る上でたいへん貴重です。
 この日記ブログ自体が一つの在外研究の報告書としての価値を有するものだと思います。」
 と、僭越なことを書かせていただきましたが、その充実ぶりは見事で、これをまとめて刊行すれば一書になろうかというほどに読み応えがあります。ドイツの大学生の就職観とか、大学に対する社会の人たちの認識するところの日本との相違などについて、また新しい話題を期待しております。

 美川先生、原稿500枚の新書というのは辞書みたいなことになってしまいませんか?
私は昔書いたものを継ぎ接ぎして、ようやく80枚といったところです。だいぶ水をあけられてしまいました。

 ☆ 東海大学非常勤講師の落合義明先生より、御高著『中世東国の「都市的な場」と武士』(山川出版社)を御恵送いただきました。あつくお礼を申し上げます。
 まだざっと拝読しただけですが、目下の私の東国武士論の課題にまさに合致した内容で、教えられるところが多く、そろそろ初校が届くはずの研究所紀要(今年度中に刊行)に執筆した拙稿のうち、大井・品川氏に関する部分など、恥ずかしくて最初から書き直したくなってしまいました。もう無理なのが大変残念です。
 以前から、落合先生の研究スタイルにはとても親近感を感じていました。ますますの御活躍を期待いたしております。

 ◆ 直前ですが、<女性史総合研究会例会>の情報です。

 日 時: 11月19日(土) 13:00~17:00
  於 : 京都アスニー5階 
報告者: 西川真子 氏 
   「現代中国 家庭の中の事件と女性――改革開放政策のはざまで」
      林香奈 氏
   「中国女性史研究の現状と課題――『中国女性史入門』の編集と授業実践を通して」

Re: 懐かしいマインツ

京樂真帆子@ドイツ・ボン
No.4281

美川さん
 ブログを読んで頂き、ありがとうございます。学生を読者に想定していますので、いろいろとご不満もおありでしょうが、ご辛抱下さいませ。様々な都市をフィールドワークするほどに、ドイツ都市史の難しさを日々実感しております。
 マインツは都市史研究としては中世こそ面白いはずなのですが、今回は果たせませんでした。ご存知のように近代国家成立時には、ドイツ人のゲルマン民族としての独自性が喧伝されていましたが、戦後はその揺り返しがやってきて、ローマ文明などとの連続性が重要視されています。研究レベルでは、「ドイツ人」などという概念自体を解体することはごく当たり前なのですが、観光レベルではローマ文明の影響を肯定的にとらえる傾向にあるようです。それゆえにローマの遺跡・遺物は保存される、というメリットもあります。
 私が今回ローマ遺跡ばかりを見たのは、自分の勉強不足もさることながら、やはり「観光客」として「なめられた」ということもあると思っています。もちろん、博物館のおじさんたちに悪意があったわけではなく、それはもう善意の固まりのような方々でありがたかったのですが、ドイツ語が出来ないと言うことがこういうところに影響を及ぼしている、と考えます。
 なので、いずれマインツは再訪したいと思っています。その価値がある都市のようです。

Re: 懐かしいマインツ

京樂真帆子@ドイツ・ボン
No.4282

野口さん、こんにちは
 同じ時間にパソコンに向かっているようです。今こちらは午後3時半。ゆったりとした時が図書室に流れています。
 学生の就職観についてもいろいろと聞いていますが、いずれ。まあ、大学に就職課がない、ということをまずはお伝えしておきましょう。
 カリスマ編集者の石浜さん、『牛車でGO!』(仮題 笑)をやめてこっちにしてもいいですか?

Re: 懐かしいマインツ

No.4283

>京樂先生
さっそくのボンからのお返事、ありがとうございます。
カリスマ編集者はどう思われるかわかりませんが、
これはいけますよ。これに地図とか資料とかついている本が出たら、
私は必ず買って、ドイツ行きますよ。
遺跡や博物館だけでなくって、食べ物・飲み物情報も満載ですからね。

>野口先生
やっぱり辞書みたいな新書になってしまいますかね。
書いてからばさばさ削るという予定で、とにかく書きまくってきたのですが、
再読すると、なかなか削れない。うーんこまった。
内容が8世紀から13世紀までなので、とにかく長くなってしまいました。
途中で編集者には、12世紀なかばで一度打ち切ろうと言ったのですが・・・。
とほほ・・・・

例会日の変更について

立花美香
No.4271

 28日に予定していた例会が21日に変更になりました。
日時: 11月21日(月)18:00~
場所: L校舎3F 共同研究室
報告者:立花美香(京都女子大学史学科日本史専攻)
    「伊豆北条氏の存在形態について」
参考文献:田中稔氏「史料紹介 野津本『北条系図、大友系図』(『国立歴史民俗博物館     研究報告』5、1985年)
     杉橋隆夫氏「北条時政の出身」(『立命館文学』500号、1987年)
     奥富敬之氏『鎌倉北条氏の基礎的研究』吉川弘文館1980年         私の勝手な事情で日にちが変更になり、本当に申し訳ありません。
改めまして、宜しくお願い致します。 

同じ日の吾妻鏡について

No.4272

 立花さん、例会のご案内ありがとうございます。次回の例会は11/21(月)ですので、みなさんよろしくお願いします。

 同じ日に、いつものように吾妻鏡の史料講読も行います。
 範囲:建暦三年五月三日条
 日時:11月21日(月)15:30~
 場所:L校舎3F 共同研究室

卒論報告。

No.4273

 永富さんや服部さんが卒論報告をしてから、もう1年が経つのですねぇ。
 立花さんの発表には、すでに卒論を書かれた方も、これからの方も、多くの人たちにお集まりいただいて、有益なアドバイスをお願いしたいと思います。
 
 昨日は門屋君の誕生日でしたが、今日は山岡さんのお誕生日の由。おめでとうございます。
 >山岡さん  御健闘を期待しています。それから、愛媛の柿を沢山ありがとうございました。

■ 京都は先週来、ブッシュ大統領がやってくるというので大変な警戒態勢がしかれております。
 私は前回の同志社の講義の際に、この話題を雑談の中で取り上げたのですが、ある受講生は、これを「ブシュウ=武州(北条泰時)が上洛した時に京中の警固が厳重にされた」と受け取っておられたとか?? 「本当なら」末頼もしい限りです。

武州入洛につき

No.4275

 「ブシュウ=武州」の話は私も仰天しました。なるほど、確かに内裏は厳重に警固されてるし、辻辻には物々しい警備の人たちが立ってるし、その警備の人たちは畿内近隣からも動員されたそうですから、まあ状況は似て無くもないのでしょうか。

ブシュウ離洛。了行、下総より上洛。

No.4277

 昨日の『百錬抄』講読会では、山岡さんが寿永二年十月宣旨と八条院について発表をして下さいました。ついでに「ブシュウ」の行列との遭遇談もありました。
 その後、「坂」にて夕食会。ここの地下に始めて入りました。

 ☆ 実践女子大学の牧野和夫先生から御高著『延慶本『平家物語』の説話と学問』(思文閣出版)を御恵送いただきました。牧野先生と私との邂逅については『AERA Mook 平家物語がわかる。』29ページを御覧下さい。下州千葉寺の住僧から九条家の堂僧となり、幕府転覆を企てたとして処刑された了行にたいする本格的な研究は、この出会いから始まりました。
 牧野先生にあつく御礼を申し上げます。

「ブシュウ」の行列

山岡 瞳
No.4278

 昨日の百練抄の講読会お疲れ様でした。寿永二年十月宣旨は研究史をまとめるのに一苦労でした。次回はいよいよ法住寺合戦ですね。

↑に野口先生が書き込まれた「ブシュウ」の行列と遭遇というのは、私が昨日京女に行くためにバスを待っていたところ、歩道に警察官が溢れはじめ、目の前の道路が通行止めになり、しばらくすると白バイに先導された「ブシュウ」の行列が通り過ぎたのです。しばらく通行止めになっていたため、バスはなかなか来ず20分近く待たされる羽目になりました・・・。

>野口先生
 昨日はご馳走さまでした。私も「坂」の地下は初めてでした。
 

歴史交流館 金峰 開館のお知らせ

No.4263

 こんにちは,鹿児島県南さつま市金峰町の宮下です。宗文研ゼミの皆様,8月の白熊ツアーでは,お世話になりました。その際,あまり時間がない中,観覧いただきました歴史交流館金峰が10月23日に無事,開館いたしましたので案内も含めまして投稿させていただきました。
 本館は,「入海と交流が育んだ文化と歴史」をテーマに旧石器時代から近世まで本町の出土品を中心に展示しています。中でも,万之瀬川流域の中世社会の展示をメインとしており,持躰松遺跡や小薗遺跡,金峰山と観音寺など日本中世史を研究される方には見ていただきたい資料が盛りだくさんです。是非,一度,お立ち寄りください。

 住所:899-3405 鹿児島県南さつま市金峰町池辺1535番地
     TEL:0993-58-4321 FAX:0993-58-4322
南さつま市歴史交流館 金峰
     http://www18.ocn.ne.jp/~m-kinpo/index.htm

祝!歴史交流館金峰 開館

No.4264

 宮下さん、お久しぶりです。白熊ツアーでお世話になりました宗文研ゼミの岩田です。
 この度は、歴史交流館金峰の無事の開館、おめでとうございます。準備作業の中心におられた宮下さんは、この間本当に大変な日々だったと思いますが、貴館が順調に入館者をお増やしになることを心よりお祈り申し上げます。
 八月に少し見せていただいたときの感想ですが、持躰松遺跡や小薗遺跡そのもののご紹介はもちろんのこと、広く対外交渉史や流通商業史、その他日本中世史(というより東アジアの中世史)全般を研究する上でも非常に重要な知見が、様々に紹介された素敵な資料館だと思います。
 こちら(関西)でも、会う人会う人に宣伝して回りたいと思います。

開館おめでとうございます

No.4265

宮下さん、お久しぶりです。
夏に開館前の姿を見せていただいた歴史交流館、とうとう開館したのですね。
宮下さんの説明をうけながら見た展示は、専門的でありながら、幅広い世代にも分かりやすく楽しんでもらえそうな内容で、わくわくしました。
準備作業、さぞかし大変だったことと思いますが、出来るだけ多くの人が訪問するようお祈りしております。
岩田くん同様、こちらでも宣伝して回りますね☆

最後になりましたが、開館本当におめでとうございます。

歴史交流館 金峰 開館:お礼

No.4267

岩田さん,田中さん!早速の書き込み有り難うございました。"^_^"
励ましと期待の言葉に勇気づけられました。ホントに嬉しい限りです。実は,小生は持躰松遺跡の調査に関わるまでは,日本中世史は全くの素人でした。それから10年,人生,いつどんなきっかけで変わるか分からないものですね。お蔭様で,全国に研究仲間を作ることが出来ました。11月20日は東北大の柳原敏昭先生ご一行,11月25日は天理大の藤田明良先生ご一行がご来館予定です。分野をこえて本資料館が日本中世史研究の発展に寄与できれば嬉しい限りです。中世の都市景観が日宋貿易や山岳信仰を加えて幅広く研究できると思いますので,是非にも関西の方たちにもよろしくお伝えください。よろしくです!

岩田さん,田中さん,励ましの言葉本当にありがとうございました。(*^_^*)

宮下さん、門屋君おめでとうございます。

No.4268

 さきほど帰洛。昨日は、上野の山で木枯らし一号に遭遇いたしました。
 明日の史料講読会のお土産は、栗あんの人形焼きです。

 >宮下さん  金峰町は、11月7日から南さつま市に属することになったのですね。歴史交流館金峰の開館おめでとうございます。もう開館された頃だろうと気になっていたところで、お知らせいただいて大変嬉しく思っています。8月のゼミ旅行の際には、本当にお世話になりました。風雨の中での持躰松遺跡の見学、ようやく顔を出してくれた金峰山の勇姿、開館が楽しみな建設中の博物館を見学させていただいたこと等々、忘れられない思い出です。
 「歴史交流館金峰」は南九州を訪れる中世史研究者・中世史ファン必見の施設になることと思います。鎮西八郎為朝の説話形成との関連で国文学の研究者も関心を持たれることとでしょう。そんなことをテーマに特別展を企画されることを期待しています。
 見学させていただいた時、宮下さんのこの10年間の御努力が形になった博物館だということを実感いたしました。大切に育てて下さい。つぎの10年の成果を期待いたしております。
 私も、現在執筆中の本に南九州の武士について触れる中で、持躰松遺跡を取り上げる予定です。この博物館のこともぜひ書き加えたいと思います。

 >門屋君  本日、お誕生日の由。おめでとうございます。そろそろエンジンのかけ頃だと思います。

 ☆ 千葉県館山市の「里見氏稲村城跡を保存する会」代表の愛沢伸雄先生から『あわ・ガイド2 房総里見氏』(発行:NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム
  http://www.internet-ex.com/npo/index.html)を御恵送いただきました。里見氏の歴史とともに、白浜城跡・稲村城跡など、里見氏の居城跡の鳥瞰図が掲載されていて、大変楽しめる内容で、現地見学には最適の手引きとなるものと思います。
 また、栃木県の松本一夫先生から御高論「南北朝初期幕府軍事体制の一様態-信濃国の場合-」(『信濃』669)を拝受いたしました。
 愛沢・松本両先生に、あつく御礼申しあげます。

 ☆ 当ゼミメンバー(京大院MC)長村祥知君の書評「三島義教著『初代問注所執事 三善康信』」掲載の『古代文化』57-11が刊行されました。メンバー必読です。

鹿児島からの貴重な情報2件。

No.4269

 (その1) 南さつま市教育委員会の宮下貴浩先生から上記「歴史交流館金峰」の展示ガイド・ポスター・リーフレットを御恵送いただきました。
 ポスターは早速、教授室前に掲示。リーフレットはドア横のテーブルに置いておきますので、ゼミメンバーや関心のある方はお持ち帰り下さい。

 (その2) 鹿児島大学教育学部の日隈正守先生より平成17年度(第7回)鹿児島大学附属図書館貴重書公開「海が運んだ中世かごしま-陶磁器・中国銭・書籍が語る東アジア文明-」の展示図録を御恵送いただきました。
 隼人町から出土した12世紀後半生産の楠葉型瓦器から『伊藤家蔵長門本平家物語』にいたるまで、これまで余り知られていなかった貴重な史料が満載です。目下執筆中の本の内容にも大きく関わるもので良い刺激をいただきました。
 執筆協力者には宮下先生や隼人町教委の重久先生もお名前を連ねておられます。

 宮下・日隈両先生にあつくお礼申し上げます。
 両先生とも、時には東アジア流通の日本列島における最大の拠点にして結節点であった「京都」、そして島津庄の荘園領主たる摂関家の権門都市だった「宇治」にもぜひお出かけ下さい。

Re: 鹿児島からの貴重な情報2件:お礼

No.4270

野口先生 
 前略 歴史交流館金峰については,もったいないお言葉とポスター掲示など重ね重ね本当に有り難うございます。これから運営について,前途多難ですが多くの叱咤激励をいただき頑張りたく,関西方面の広報については,よろしくお願いするばかりです。

 鹿児島は,時を同じくして鹿児島大学の貴重書公開「海が運んだ中世かごしま-陶磁器・中国銭・書籍が語る東アジア文明-」をはじめ,尚古集成館の平成の新展示など海に関わる展示ばかりです。いかに南九州が果たした東アジアとの交流において歴史的意義が重要だったか実感しています。これから私どもの情報発信も重責ですね(^_^.)。

 関西にも2年ほど足を運んでいませんので,そろそろ参上いたしたく思っています。その際は,是非よろしくお願いいたします。執筆の方におかれましても,お体をご自愛のうえ無理をなされぬようしてください。それでは,取り急ぎお礼まで。早々

Re: 歴史交流館 金峰 開館のお知らせ

長村祥知
No.4274

宮下さん
はじめまして。開館おめでとうございます。
私は夏の旅行に参加しておりませんが、お話を伺って、いつか鹿児島を訪れることがあれば、是非お邪魔したいと思っております。その折には歴史交流館金峰が益々発展されていることと思います。その日を楽しみにしております。

野口先生・古藤真平先生はじめ『古代文化』編集委員の先生方
書評執筆につき、ご下命の意図に沿えましたか否か、また、著者三島氏のご研究を的確にお伝えできたか否か、甚だ心許ない限りですが、貴重な紙面と勉学の機会をお与えいただいたことに厚くお礼申し上げます。

Re: 歴史交流館 金峰 開館のお知らせ

宮下貴浩
No.4276

長村さま

ご連絡ありがとうございました。遠いですが,是非,鹿児島にもおいでください。
また,こちらの中世資料で希望のものがありましたら送付しますので何なりと
申し出ください。お会いできるのを楽しみにしています。

歴史交流館金峰 宮下

次回の百練抄講読会について。

山岡 瞳
No.4262

次回百練抄の講読会のご案内です。
   日時:11月16日(水)16:30~
   場所:L校舎3F 共同研究室
   担当:山岡
範囲は、前回残ってしまった寿永二年の十月宣旨についてです。前回、岩田さんが配ってくださったレジュメと山本さんのレジュメを参考にしながら進めたいと思います。よろしくお願いします。

>東下り中の野口先生
 道中くれぐれもお気をつけください。

>立花さん
 例会報告を快く引き受てくださりありがとうございます。
 当日を楽しみにしております。 

28日の例会について

立花美香
No.4260

 次回例会のお知らせです。

日時: 11月28日(月)18:00~
場所: L校舎3F 共同研究室
報告者:立花美香(京都女子大学史学科日本史専攻)
    「伊豆北条氏」
参考文献:

追記

立花美香
No.4261

参考文献:田中稔氏「史料紹介 野津本『北条系図、大友系図』(『国立歴史民俗博物館     研究報告』5、1985年)
     杉橋隆夫氏「北条時政の出身」(『立命館文学』500号、1987年)
     奥富敬之氏『鎌倉北条氏の基礎的研究』吉川弘文館1980年                                                  上の書き込みでは途中で送信してしまい、すみませんでした。28日の例会では卒業論文の報告をさせて頂きたいと思っています。宜しくお願い致します。


                                          

次回吾妻鏡、例会、ご提案など

No.4246

 少し前にご案内したのですが、念のためもう一度ご案内します。
 明日11/7(月)は、『吾妻鏡』の講読と、例会の開催日です。
 『吾妻鏡』の範囲は、建保元年(建暦三年)五月二日条です。よろしくお願いします。

◆例会の概要は以下の通りです。
日時: 11月7日(月)18:00~(『吾妻鏡』講読会後)
場所: 京都女子大学L校舎3F 宗教・文化研究所共同研究室

報告者:樋口健太郎氏(神戸大学大学院DC)
    「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」

参考文献:樋口健太郎「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」
    (『古代文化』57巻10号、2005年)
     樋口健太郎「平安末期における摂関家の「家」と平氏-白川殿盛子による「家」の伝領をめぐって-」(『ヒストリア』189号、2004年)
     橋本義彦『藤原頼長』(吉川弘文館、1964年)

 ※ メンバー以外の方の参加も歓迎いたします(事前にゼミメンバーまたは野口先生まで御連絡ください)。
 京都女子大学は学園祭期間中ですが(ゆえに)、多くの方のご参加をお待ちしております。

◆それから、主に『吾妻鏡』にご参加いただいているみなさんにご提案なのですが、11月中の月曜日(14日か21日)のどこかで、京都府立総合資料館で開催中の〈東寺百合文書展〉に行ってみませんか。今年は御影堂の史料が中心のようなので、吾妻鏡とはあまり関わってはこないかもしれませんが。また明日にでもみなさんにご相談したいと思います。
http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/tenrankai.html

◆ところで、昨日は思文閣の文化祭に行ってみました。『古今著聞集』の古本を300円で手に入れました。また会場では、龍谷大学の横澤大典さんと坂口太郎さんにお目に掛かることができました。横澤さん、初めてお目に掛かり光栄です。坂口くん、お久しぶりですがお元気そうでしたね。また例会等にもお出でください。 

行こう!京博、白河金色院、安土etc...

No.4251

 岩田君の御提案には大賛成です。せっかく、各地でいろいろな展覧会が開催されているのですから。しかも秋の京都にいて出掛けない手はありません。
 京女から徒歩5分のところにある京都国立博物館で開催中の特別展「最澄と天台の国宝」は、山田先生も田中さんも佐伯君もみんなが感動したと仰っていますから、これは必見。さらに、来年度の共同研究がらみで、宇治市歴史資料館での資料購入もついでに行うということで、四条宮寛子の白川別業跡の見学というのは如何でしょうか?また、安土や小浜にも。
 そういえば、25日(金)は同志社大学が学園祭で休講です。

 ☆ 次回例会については報告・日程ともに未定ですが、発表希望の方がおられましたら早めにお申し出下さい。希望者がなければ、またこちらから講師をお願いする形をとりたいと思います。
 
 なお、日本史研究会中世史部会では、当ゼミ古参メンバーにはお馴染みの滑川敦子さん(立命館大学大学院DC)が報告をされます。

     日時:  11月29日(火)18:30~
    場所:  機関紙会館3F
    報告者:  滑川敦子氏
    論題:  「「行列」からみる鎌倉幕府の政治秩序」

これへの参加をもって今月2度目の例会開催に代えてもよいかと思います。

☆ 昨日、東京大学史料編纂所の遠藤基郎先生から、御高論「平泉藤原氏と陸奥国司」(入間田宣夫編『東北中世史の研究』上巻 所収)を御恵送いただきました。
 京都側の意図とは無関係に中央政界の権力関係が平泉の政治の場にもダイレクトに反映していることをあらためて認識することができました。
 遠藤先生に、あつくお礼申し上げます。

そのまた次回の吾妻鏡

岩田 慎平
No.4254

 昨夜の例会にてお話しいただきました樋口さん、ありがとうございました。自らの不明に危機感を抱くほど有難いお話しでしたが、とんちんかんな質問に終始してしまい失礼致しました。

>次回『吾妻鏡』
 次回の吾妻鏡は、建保元年(建暦三年)五月二日条の残りの部分を読みます。
 日時:11月14日(月)15:30~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎3F 宗教・文化研究所共同研究室

保元の乱後の摂関家周辺をもっと解明しよう。

No.4256

 昨日のゼミ例会では、樋口さんの御発表で、「これだから歴史学は面白い」ということを実感させていただきました。
 国文学の方も裨益するところ大だったのではないでしょうか。
 佐伯君とのやりとりをもっと執拗にお聞ききできればよかったのですが、今度は佐伯君に発表をしていただく機会にでも期待したいと思います。
 樋口さん、遅くまでお付き合い下さり、ありがとうございました。今後とも当ゼミ例会など、御遠慮なく御参加いただければ幸いです。よろしく、お願いいたします。

 >岩田君  御提案の件は結局どうなりましたか?

 >山岡さん  鈴木君にメールをお送りしておきました。

 >野口君  昨日はお目にかかれませんでしたが、わざわざお土産をありがとうございました。それを受け取りに、京都駅まで出向いてくれた平田さんも、ありがとうございました。

先日はお招き頂きありがとうございました。

樋口健太郎
No.4258

私もいろいろなご質問やご指摘をいただき、大変勉強になりました。
それから、ゼミの後にもいろいろなお話しを伺うことが出来てよかったです。
また機会がありましたらおうかがいいたしますので、皆様どうぞよろしくお願いいたします。

どうもありがとうございました。

No.4259

樋口さん、先日は貴重なご報告、どうもありがとうございました。
やはり自分の興味と近い報告を聞かせていただくのは、とても刺激になります。
後白河院政期については、まだまだ色々と面白い論点がたくさんありますね。
自分でも、どんどん研究していきたいなあと思います。
これからも、どうぞよろしくお願いします。

耐え難きはタバコの煙。

No.4239

 本日は久しぶりに山本君が同志社に訪ねてきてくれました。
 石井君が欠席なのが残念でしたが、いつもの「於:わびすけ」の会合は、田中さん・山岡さんも交えて話が弾みました。
 しかし、今日の「わびすけ」は京都御所の一般公開のためか、満員。何人かのお客さんのタバコの煙で店内はモウモウ。喉をやられて、この時間になっても痛みが取れません。私も若い頃の一時、喫煙者でしたが、今に至って、ヒドク罪深い営為を行っていたものだと猛反省しています。
 
 近く発表される田中さんの論文初校を拝見。みんないろいろな問題を克服しながら着々と自分の道を進んでいる様子で、嬉しいかぎりです。私も家に帰ったら、『明月記研究』に掲載していただくことになっている拙文の初校が届いていました。
 田中さんはこの週末に東下りとのことですが、私も12・13日に出張する予定でおります。何か御用がございましたら、御連絡下さい。
 >田中さん  写真のお菓子をいただくことが出来て幸いでした。
 >雨野さん  今回はきちんと着信いたしております。
 >石井君  風邪でもひかれましたか?、ちょっと心配しています。
 >山本君  修論は御自身の納得のいくテーマで。あとは頑張るのみ!
 修論で思い出しましたが、大学や大学院のあり方について考える上で参考になる本として、森博嗣『大学の話をしましょうか 最高学府のデバイスとポテンシャル』(中公新書ラクレ)を紹介しておきます。著者は理系の研究者ですが、ここに示されているのは『下流社会』とは異なって、私に近い見解だと思います。

 >中央大学大学院の河辺君  はじめまして。古文書学会大会、お疲れ様でした。次回御上洛の折には、京都女子大学にもお立ちより下さい。

 ☆ 例年のごとく、吉川弘文館の『歴史手帳』2006年版を一括注文したいと思います。希望者は16日(水)までにお知らせ下さい。

同志社での講義。

No.4240

 昨日は、講師控え室まで突然ドシドシと押しかけてしまい申し訳ありませんでした。またお忙しい中いろいろ自分の話などを聞いていただきありがとうございました。野口先生が掲示板の方に心配しているとの旨の書き込みがありながら、しばらく音信不通となっておりましたので、今回直接伺いました。当然その後の文化史特論の先生の授業の方もお邪魔させていただきました。
 ちなみに野口先生が大学で講義されるのを聞くのは、自分は意外にも初体験でした(講演会や研究会を除く)。講義内容は、四代将軍九条頼経の正妻である竹御所に関する話で、一度先生の論文を読んで理解していたはずでしたが、今回講義を聞くと、いろんな横道に逸れた話も含めて、初めて承久の乱の講義を聞いた時のような面白さを改めて感じました。また先生の講義の魅力の一つは、先生の講義内容の話そのものも面白いだけでなく、先生が紹介される参考文献まで読みたくなる点です。普通に勉強していたら全然読むこともないだろう参考文献なども、先生の講義で紹介されると、自分に関心のあるテーマと結びついていて、知的好奇心を刺激されます。
 また講義を聞きながら、久々の同志社大学での講義という状況も手伝ってか、初めて「承久の乱」に関する野口先生の授業(演習でした)を思いだしました。あの時は、ただ単に「面白そう」という軽い気持ちでお邪魔させていただきました。鎌倉幕府に関する本などは読んでいましたが、大学では、そういうジャンルの講義や授業を全く聞いたことのなかった当時の自分(ある意味飢餓状態)にとっては、本当に講義が面白く感じたことを今でもハッキリと覚えています。
 しかしここ最近、自分は頭が修論でいっぱいいっぱいで、そのような「面白い」という大事な感覚(≒知的好奇心)を忘れていたように思います。自分は「歴史が好き」というのが唯一のエネルギー源なので、その感覚を忘れてしまってはこの先続かないですし、それを枯らさないためにも、常に自分の「知的好奇心」に水を与え続けたいと思います。
 またこれも恒例だった講義後の「わびすけ」での「座談会」で、いろいろと日頃自分が思っている事を話せましたのでスッキリしました。また「座談会」途中参戦した田中さんが近日中に論文が掲載されるとのことでしたが、そういうがんばっている姿を見ると、自分も頑張らねばと思います。本当に今日はいろんな意味で刺激になりました。
 ちなみに先生の文化史特論のシラバスを調べたところ、次々回あたりの内容が、「院・天皇と鎌倉殿・将軍」・「東国武士団の西遷・北遷と日本文化」などなど、豪華ラインナップでした。またお邪魔して聞きたいです。

>山岡さん
 ということで、授業に行けなかった場合は、上記の講義のレジメ、いつものように余っ た分よろしくお願いします。
>岩田さん
 毎回『吾妻鏡』お任せっきりですいません。お詫びと言ったらなんですが、例の本は次回の例会の日に必ず持参致します。
 
 

Re: 耐え難きは名古屋大学助教授兼小説家

No.4241

私も、喫茶店での煙草には、悩まされます。
喫茶店という言葉の「喫」って喫煙の「喫」ですよね。
煙草を吸うところ、という意味なんだから、しょうがないか。
あかの他人の煙草を吸わされるのは、ほんとうにかないません。
そのために、ついつい混んでいても、スターバックスに入ってしまったりします。

今週は、野口先生「ご推薦?」の『下流社会』と『大学の話をしましょうか』を、
読んでしまいました。前者の影響で、家内が朝、フジではなく、NHKニュースをつけます。後者はさっき2時間ほどで読んだのですが、最初の方など、これは同感、と思っていたのですが、途中から腹が立ってきました。50以上の教員はリストラせよ、とか、
私大でつぶれるところは、つぶれりゃいいだの、自分が名古屋大学に籍をおいておいて、
しかも小説でその給料の10倍も稼いでおいて、よくも平気のへいちゃらで言えるもんです。それでいて、博士課程出ると、ポストがない、とか、あんたが早うやめてほしい(もしかしたら、もうやめているのかな。はっきりしないが)。
とにかく、少子化すりゃ、いいとか、問題は発展途上国の人口爆発でしょう、もうなんにもわかっていやしない。非常に視野が狭いので、あきれるばかりです。久しぶりの大爆発をいたしました。インパクトはあったということでしょうか。でも、たぶん数時間のインタビューでできてしまった、こんな安直な新書はもういやです。

石原千秋『Jポップの作詞術』拝受。

No.4242

 これも新書ですが、石原千秋『Jポップの作詞術』(NHK出版 生活人新書)をNHK出版の石浜さんから御恵送いただきました。石浜さんが新しい部署に移られてから、本務と並行して編集された最初の本だと思います。
 これは高校の国語の教材に最適なのではないでしょうか。これなら本と無縁な生徒たちも喜びそうです。というわけで、これまでにいただいた数冊の石原千秋著のNHKブックスとあわせて、高校で国語の講師をしている当ゼミメンバーに活用していただきたいと思っています。
 石浜さん、ありがとうございました。
 私の原稿もだいぶ増えてまいりました。ただ、実に文章が硬くぎごちない。
 歴史の本は、気楽にインタビューのノリで・・・と言うわけにはまいりませんから、時間も労力も大いにかかる。しかし、いただける印税(時給なら、すべてが「時間外」の仕事ですから、モノ凄い額になるはずなのですが)というのは、そんなこととは無関係。むしろ、反比例するかも知れません。
 「そこが渡世人のつれえところよ!」

いま、新書を書いているのですが

No.4244

今、ある新書の原稿を書いています。
もう、400枚になりますが、まだ終わりが見えません。
担当編集者は、枚数は気にせずに書いてください、
なんておっしゃっているのですが、
いったい、何枚で終わるのであろうか、と自分自身で不安になります。
『白河法皇』を書き終えたあと、書き始めたので、
もう2年半、ときどき中断しつつ、書き続けています。
「新書」というと、ですから、少々過敏に反応してしまいます。
新書の原稿を書いていると。むしょうに論文が書きたくなることもあります。
そして、来春3月までに市史本文編を2種類書かねばなりません。
あーあ、と思いつつ、今日は1日論文抜刷やコピーの整理をしています。
はじめて5分後、こりゃどうにもならん、
と叫んだら、家内が腹をかかえて笑いました。
どこが可笑しいのかさっぱりわかりません。
野口先生の本になっていない原稿が多すぎることに気がつきました。
早く、本にまとめてください。お願いします。
ひさびさに、野口先生に憤懣をぶつけてしまいました。ご寛恕を。

10年に一度は論文集を出したいのですが。

No.4245

 美川先生、叱咤激励、ありがとうございます。
 自分自身の研究を総括し、次のステップを踏み出すためにも、10年に一度は論文集を編むのが理想と心得ております。実際、1982年に『坂東武士団の成立と発展』(弘生書林)、1994年に『中世東国武士団の研究』(髙科書店)と、ほぼ順調に進めてきたので、そろそろ手をつけなければならない時期であることは間違いありません。
 しかし、近年、学術図書の出版はなかなか引き受け手がないものと思います。『中世東国武士団の研究』は出版社からのお申し出で出していただきましたが、最初の『坂東武士団の成立と発展』の方は博士論文の公刊義務もありましたので、出版経費のうち、軽乗用車一台分くらいの費用は自己負担いたしました。これは全く売れず、250部を断裁という悲惨な結果になりましたが、今になって復刊の希望をたくさんいただいているのがせめてもの救いです。
 出版社からの依頼がないから、ということのほかに、論文集をまとめないでいるもう一つの理由は、2000年春に京都に戻って以来、新しくて面白いテーマに遭遇することが多くなったことです。目先の興味で動いている点、すこし反省の要はありますが、学ぶ楽しさに引きつけられ、自らのレベルの低さは自覚しながらも、都市論関連などの仕事に時間をあてることが多くなりました。
 論文集ではない本の執筆の依頼は何件かいただいているのですが、そんな次第で、もう
10年近くもお待たせしてしまっているものもあり、石浜さんをはじめ、多方面に御迷惑をお掛けしている次第です。
 論文集については、きっとゼミの諸姉兄が索引などの作成を<喜んで>担当してくれると思いますので、きっかけさえあれば早々に着手したいとは思っております。
 
 矛盾だらけの弁解に終始してしまいましたが、かつて『史学雑誌』の「回顧と展望」で、通俗書に区分されるべき拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』(新人物往来社)まで取り上げてくださった美川先生に、お礼かたがた、当方の現状について申し上げる次第です。

Re: 耐え難きは会議・学務の山

No.4247

 昨日、今日と奇跡的に二日の休みとなりました。しかし、夜の寝つきが悪く、したがって寝起きも悪く、一日中倦怠、疲労感が抜けず、2~3時間ごとに横になる始末です。
 なぜか?飲みすぎが祟った面も、なくはないと思います。
 10月26日の『台記』、27日の『兵範記』研究会で飲み、古文書学会関係で、また飲んだのも否定しません。
 しかし、以下の日程が体調不良と無関係とは思えません。
 28日金曜は、10時半から18時過ぎまで学生部関係の学務、会議。
 29日は古文書学会大会、9時から12時までここでも会議。
 30日は亡父の一周忌(さすがに会議なし)。
 31日はまた古文書学会の見学会。これは楽しかった!
 1日は10時半から14時半まで3種類の会議、4、5時限目講義のあと、院生と面談。
 2日は午前中龍谷で授業、3時限目は京大で授業、14時半から18時20分までまたまた3種 類の会議。
 3日は名古屋で教え子の結婚式(やれやれ)。
 4日も14時から17時半までまたもや会議・・・・
 こんな日程が来週も、いや今年度中続く予定です。
 体が持つでしょうか?
 
 何でこんなことになるのか?たとえば奨学金返還免除委員会のように、これまで文科省で決めていた業務が、大学に移管され、その内容も吟味せず、単に学生部厚生補導担当の所掌だからと言うことで、すべて学生部委員に押し付けられてしまいました。
 場合によっては一生を左右する重大事を、片手まで片付けることなどできません。
 授業料値上げも、これまでは国が決めていたのに、独立法人化後は、大学が決定する形となり、学生の攻撃の矛先は大学に、学生部に向けられることになります。その相手をさせられるのも我々です。
 学務の変化を検討せず、適当に割り振るからこんなことになる!と、憤懣に耐えません。
 おまけに、学部では同窓会設立準備委員会の委員長を押し付けられる始末。全学の同窓会の所掌が学生部なので、学生部委員が担当せよとの事。この同窓会も、所詮は独立法人化の結果、寄付集めが必要になるために設立されたものなのです。これも、毎週二時間の会議です。
 同窓会と寄付集めというなら、社会連携推進課の命令で、講演会を3回させられました。これも、同窓会への顔つなぎのために教員を派遣して、出前講演をさせると言うもの。もちろん、それなりの報酬はいただいたのであまり文句は言いませんが、負担を増加させたことは、申すまでもありません。
 独法化の結果はかかる有様です。もちろん昔から私学では当然のことでしょうが、急遽取り組まざるを得なくなった国立大学では事務方も対応できず、会議は踊る状態です。お蔭で教員相互の意見が衝突することも多く、不愉快でストレスも溜まります。
 運悪く、父の没後の事務的な処理の繁忙、神戸市史の雑務、さらに古文書学会の重大案件も重畳して、ほんとうにフラフラです。
 もちろん、授業は例年通りだし、借金取りからは、次々と℡、メール・・・(それでもライブラリー、150枚書いたぞ!)。書くには書くけれど、とても仕事の質は維持できません。

 まあ、3月までの辛抱なのですが、心配なのは体が持つかどうか。
 これだけ酷使すると、50過ぎの体は(まして酒びたりの肝臓では)、元に戻るかどうか、疑わしい限りです。
 それに、一度あれこれ引き受けて、教授会で再三名前が出てしまった教員には、さらなる役職が押し付けられる可能性が高いことです。
 それを回避するには、中規模な失敗をすることですが、あまり派手にやるとクビになりそうだし、小さすぎると相手にされないだろうし・・・
 妙案を求めます。

時の流れは17ノット

No.4249

タイトルは、私のネット上の船友達(実際に船上でも会ったことありますが)が、
昔書いた本のタイトルです。
私の時間の進み方の好みも、ちょうどそれくらい。つまり時速30kmぐらいです。
元木先生は、大の鉄道マニアですから、たぶん時速110kmぐらいがお好きなのでしょうか。どちらにせよ、おそらく時間の進み方が4倍近く違うのでしょう。
元木先生の26日からのスケジュールを見ただけで、もう目がくらくらし、
吐き気がしてきました。
先週は、学園祭で、月曜と火曜以外授業や会議がなかったので、喜んでいたら、
風邪で寝込んでしまいました。おかげで、今日は元気回復。推薦入試の監督と採点。
元木先生は新幹線に乗り、私は30ノットの高速フェリーに乗っているのかなあ。
でもそれだったら、好きな乗り物なんで、まだ楽しいんですが。

単なる無駄話でした。

脱線寸前

No.4252

 美川先生、お返事有難うございました。
 新幹線ねえ。たしかに、ものすごい速度で突っ走っている感じですね。ホント。
 でも、自分で制御できないのだから、ブレーキが壊れた状態と言うことですね。
 
 当方程度の状態で愚痴をこぼすのは不謹慎かもしれません。
 もっと厳しい条件で、学問と学内の雑務に取り組んでいる方は大勢おられると思います。経営者の理不尽な圧力に苦しむ方も多いと思います。
 こうした状況だからこそ、学問の真価が問われているのであり、やはり石にかじりついてでも折り目正しい学問的な成果を提示したいと思います。
 とはいうものの・・・
 

大荒れの日本海で機関停止、漂流

No.4253

無駄話のついでに。
2年前の2003年1月 新日本海フェリーの「すいせん」(苫小牧→敦賀)が、
秋田沖の日本海で荒天の中、機関が故障で停止。
7時間にわたって漂流する事故がありました。
この「すいせん」が約30ノットの航海速力が出るのです。
日本海軍の正規空母なみです。重巡洋艦や駆逐艦よりはちょっと劣りますが。
あの船、どういうわけか、航海中はデッキに出ないでほしい、となっているのです。
船でデッキに出られないというのは、楽しみが半減するのです。
高速運転だから危険、ということなのでしょうが、その理由がよくわからない。
最上級船室にあるプライベートデッキには出てもいいようですからね。
前の書き込みは、その船のことと、その事故が念頭にありました。

割り込んですみません

石井一英
No.4257

野口先生、先週は百練抄講読会と文化史特論の講義を無断欠席してしまい、すみませんでした。
実は先週の水曜日から大風邪をひき、昨日まで布団の中で苦しんでおりました。ナントカは風邪をひかないというのは迷信のようです・・・。しかも、講読会の前に書き込んだ文も携帯からだからなのか文字化けしてしまい、ご迷惑をおかけしました。皆様も今年の風邪にはお気をつけ下さい。
明日の講義にはしっかりと出席しますので、またよろしくお願いします。

哀悼 山口博史さん

No.4233

ちょっと京楽先生のボン便りを見ていたら、
歴史グループ早雲の山口博史さんが亡くなられたという報を目にしました。
ちょうど、1週間前に、本をお送りした礼状をいただいたばかりです。
お嬢さんが京楽ゼミなので、ドイツの情報が一番早かったのでしょうか。
痛恨の極みです。
京都労働学校や早雲での元気なお姿が思い浮かびます。
とにかく、それ以外の情報を知りません。
私は、小山先生が亡くなったときも、ちょうど1週間前に、
お手紙とボンでの写真をおくっていただいた。
そして、ちょうど亡くなった日から大熱。けっきょくお別れできず。
今回も、扁桃腺炎で熱を出して、家で寝込んでおります。
でも今回は、なんとかお別れをしたいと思います。
告別式などの情報ご存知の方、お教えください。
ご冥福をお祈りいたします。

とても残念です。

No.4234

 私もたった今、このことを知ったところです。本当に残念です。
 何も書けませんので、山口さんの御略歴を記します。

  1950(昭和25)年4月、神戸に生まれる。
  1974(昭和49)年 龍谷大学文学部史学科卒業。京福電車入社。
  その後、叡山電鉄に転籍。
  1982(昭和57)年 社会活動として、歴史グループ・早雲を結成。
  その後、そのメンバーとして活躍。
 
 ※ 山口さんの遺著『私の歴史ノート-歴史グループ早雲と共に歩んだ23年-』による。  

無題

山口夏子
No.4235

久しぶりの書き込みの内容が、このようなものになって、残念に思います。
11月2日午後3時49分 父・山口博史は家族に囲まれ、眠るようにゆきました。
歴史グループでの活動、歴史を学ぶことが好きで、
野口先生、美川先生、元木先生を始め諸先生方のご講演を聴き、著作を読むのを本当に楽しみにしておりました。
『私の歴史ノート-歴史グループ早雲と共に歩んだ23年-』を無事出版することができ、感想が送られてくるのを嬉しそうに読んでいるところでした。

野口先生、美川先生、元木先生、宗教文化研究所のみなさまには大変お世話になりありがとうございました。

通夜  4日19時より
告別式 5日12時から13時
セレマ稲荷シティーホールでとり行います。
(伏見区深草横縄町25番地・075-647-3320)

Re: 哀悼 山口博史さん

No.4236

 山口博史さんの訃報に接し、心より哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げるしだいでございます。
 「早雲」の8月6日の講演のご依頼をいただき、当日の拝眉を楽しみにしておりましたが、ご体調不良との事でご欠席になり、ついに拝眉は叶わないままになってしまいました。痛恨の極みです。
 御著書の答礼として、野口、美川両先生と連名にて編著をお送りしたところ、しっかりした文字でお返事をいただき、少し安堵していたところに、この悲報が飛び込んでまいりました。
 夏子さんはじめ、ご家族のご悲嘆の程、拝察するばかりでございます。
 また、当方にまでお礼のお言葉をいただき、恐縮致しております。
 山口さんの遺志を継ぎ、「早雲」がさらに発展して行かれることを、心から祈念いたします。また、そのために、ご協力を惜しまない所存でございます。
 
 今頃、山口さんは天上で戸田先生や、かつてのお仲間の方々と再会され、歴史談義に花を咲かせておられることと存じます。
 改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。

Re: 哀悼 山口博史さん

末松憲子
No.4255

夏子さん、ご無沙汰しております。
山口さんの御著書のお礼状、もう少し早く出していればと、悔やみました。
今日、大学のパソコンではじめてこの掲示板を見て知りました。
私の出したお礼状は、おそらく一番家がバタバタしている時に到着してしまったでしょうね…
すみません。

山口さんのご冥福、心よりお祈り申し上げます。

速報!共同研究確定。公開講座講師決定

No.4231

☆ 宇治に関する共同研究の実施が確定しました。

 本日、研究所運営委員会が開かれ、当方が申請していた共同研究が変更なく承認されました。これにともなって、来年度、下記の方々に研究所規則第6条に明記された研究所研究員(研究協力者)として御活躍いただくことが内定いたしましたのでお知らせいたします。

 佐伯智広(京大院DC)   岩田慎平(関学大DC)  佐藤英子(お茶大院DC)
 長村祥知 (京大院MC)   田中裕紀(同大院DC)  門屋 敦(阪大院DC)
 大原 瞳(天理大研究生) 鈴木潤(同志社高教諭) 永富絵里子(京都文教中・高講師)
  ※ 敬称略・順不同

 上記の皆様に、あらためてよろしくお願い申し上る次第です。

☆ 平成18年度 宗教・文化研究所市民公開講座(シリーズ 東山から発信する京都の歴史と文化⑧)の講師が決定いたしました。

  ・歴史学から   樋口州男先生(専修大学非常勤講師 NHK教育テレビ高校講座日本史講師)
  ・国文学から   樋口大祐先生(神戸大学文学部助教授)

  お二人の樋口先生から御快諾をいただきました。今からとても楽しみです。
  開催日は6月24日(土)。ゼミメンバーは予定を空けておいて下さい。

7日の例会は樋口健太郎氏の発表です。

No.4232

 活躍中の若手研究者を講師にお招きしての研究会の第2回目です。

日時: 11月7日(月)18:00~(『吾妻鏡』講読会後)
場所: 京都女子大学L校舎3F 宗教・文化研究所共同研究室

報告者:樋口健太郎氏(神戸大学大学院DC)
    「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」

参考文献:樋口健太郎「藤原師長の政治史的位置-頼長流の復権と貴族社会-」
    (『古代文化』57巻10号、2005年)
     樋口健太郎「平安末期における摂関家の「家」と平氏-白川殿盛子による「家」の伝領をめぐって-」(『ヒストリア』189号、2004年)
     橋本義彦『藤原頼長』(吉川弘文館、1964年)

 ※ メンバー以外の方の参加も歓迎いたします(事前にゼミメンバーまたは野口まで御連絡ください)。
 京都女子大学は学園祭期間中ですが、多くの方のご参加をお待ちしております。
 ちなみに、このところ「大殿」論に関心を寄せている尻池さんは、この研究会をとても楽しみにしているようです。