研究室宛のメールについて

野口 実
No.4311

 このところ研究室パソコンのメール受信機能に障害(頻繁なフリーズなど)が生じており、御送信いただいても拝読できないこともあろうかと思います。
 そのため、しばらくの間、お手数をお掛けしますが研究室宛に御連絡いただく場合は、FAXをご利用下さいますように、お願いいたします。

 >西山美香先生  火曜の午前は私の方も出講していてお目にかかれずに残念です。別の曜日に御用がおありの節にでも、研究室にお立ち寄りいただければ幸いです。さらに、一度例会でお話をうかがう機会を得られればありがたいと存じております。   

百練抄講読会のお知らせ。

山岡 瞳
No.4307

遅くなりましたが、次回百練抄の講読会のご案内です。
   
   日時:12月7日(水)16:30~
   場所:L校舎3F 共同研究室
   担当:山内さん
   範囲:寿永二年閏十月廿二日~十二月廿九日  *いよいよ法住寺合戦です。

師走の予定など。

No.4308

 5日は京女の「心の学園記念日」ですが、『吾妻鏡』はいつもの通りに行います。
 その後の『吾妻鏡』や例会の日程については、追って岩田君・山岡さんからお知らせをお願いしたいと思います。なお、21~24日の間、私は研究調査のため予定を空けておく必要がありますので、よろしくお願いいたします。

 『紫苑』の原稿については、山岡さんから依頼と締切の指示がされていると思います。一人でも提出が遅れると編集作業にかかれませんから、心して執筆にお励み下さい。

 今週末は、長村君が東京、山田さんが鎌倉に「東走」していますが、成果の程、楽しみに致しております。それにしても、山田邦和先生御夫妻は御夫君が都で「参内」、奥方様が鎌倉永福寺へ御出立、という次第で、なにやら鎌倉時代の貴族要人御夫婦の如き有様のようです。

 ☆ 守田逸人さんから、御高論「東大寺領伊賀国黒田荘出作地の展開」(『鎌倉遺文研究』12)・「雑役免荘園の展開と院政期の荘園政策」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』50・第4分冊)・「伊賀国における伊勢平氏の展開」(『ヒストリア』195)を御恵送いただきました。いずれも力作ですが、とくに『ヒストリア』の御高論は、成立期武士論研究に一石を投ずる貴重な成果で、おおいに学ばせていただきました。この問題設定は東国にも敷衍できると思います。
 守田さんにあつくお礼申し上げます。

<速報>伊勢国木造荘園関係遺跡の現地説明会があります

伊藤裕偉
No.4305

 はじめて投稿させて頂きます。三重の伊藤裕偉です。
 この日曜日(12月4日、午前10時から)に、木造赤坂遺跡の現地説明会がありますので、ご案内します。新聞は三重県版にしか掲載されていないかと思いますので、興味の有る方はぜひお越しください。
 内容は、平安時代から戦国期にかけての区画溝と、それに伴う土器が出土しています。土器の量は雲出島貫遺跡よりも格段に少ないですが、中世前期に相当する堀状遺構は迫力があります。雲出島貫遺跡は、木造庄の東端ととらえていますが、木造赤坂遺跡は西端にあたります。
 下記HPに、現地説明会資料や遺跡への行き方が掲載されてますので、ご参照ください。ただし説明会資料では、木造荘関係のことはほとんど触れられていません。 
http://www.pref.mie.jp/MAIBUN/HP/
 なお、同日の午後からは西肥留遺跡の説明会もあります。ここでも京都系土師器が出ており、中世前期の人工流路が見つかっています。この遺跡のメインは古墳時代前期です。

宇治市街遺跡でも井戸・建物跡など検出。

No.4306

 伊藤先生、貴重な情報をありがとうございます。また、その節はいろいろお世話になりました。あらためて御礼申しあげます。
 目下、『北条時政』(ミネルヴァ日本評伝選)の執筆に備えて、伊豆~伊勢・伊賀方面の12世紀段階の考古学による成果の情報を集めています。なかなか報告書刊行の情報なども入りにくいので、今後ともいろいろ御教示下されば幸いです。
 
 まだ、現説の情報はありませんが、宇治の方でも、今年9月に摂関家邸宅跡の一部と見られる遺構の検出された地点の西に隣接するところから、井戸・土坑・溝、東の流路に続く流路北岸の洲浜跡などが見つかり、邸宅が西に広がっていたことが確認されたとのことです(京都新聞地域版による)。西側に邸宅の主要部分が存在していたことは予想されていたことですが、それが発掘によって確認されたと言うことになるのだと思います。

ご報告

No.4302

皆さまお久しぶりです。夏の「白熊ツアー」、及びその関連イベント以来姿をくらましておりましたが、野口先生から直々のネタ振り(?)を頂き、久々に書き込みします。

来年4月より、門屋君と僕自身の、そして山田邦和先生の母校である同志社香里中学・高校に英語科の専任教諭として“復帰”することになりました。かつての男子校時代とは随分雰囲気の変わってしまった母校ですが、やはり根底に流れるのびのびとした空気は変わっていないようで、そんな学校で働けることを楽しみにしております。

これまでゼミには「旅行担当」として関らせて頂いてきましたが、今後は同志社から歴史に興味ある優秀な人材を、鈴木君と共に(笑)ゼミに送り込むことが僕の使命だと(勝手に)思っております。担当科目は英語ですが、英語を学びながらも日本語、そして日本文化にも興味を持ってくれるような「ハイブリッド」な人材を育成することを目標に頑張ります。

もちろん、日程が合うようなら旅行企画にも参加させて頂きたく思っております。時間のある3月までにもう一度、何か企画をぶち上げてみたいですが、皆さんの予定的に不可能でしょうか? まぁ、もしそういう話があるようならぜひぜひ!

それでは、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

八井君、おめでとうございます。

No.4303

 八井君、書き込んでくれるのを一日千秋の思いでおまちしていました。・・・なんてことよりも、なにしろ「おめでとうございます」。
 こんなに早く夢が実現するなんて、貴兄の人生は本当にうらやましい。もちろん、それなりの大変な努力もされたことでしょう。田中さんの好きな「前へ!」ですね。そして「これでいいのだ」に到達したのだと思います。
 同志社香里は、思う存分に貴兄の実力・人格が教育活動に反映でき、そしてまた矜持をもって働ける場だと思います。御活躍を期待します。
 いよいよプロの高校教師となる八井君へ、それから既になっている鈴木君へ、そして非常勤だが毎日前途ある生徒たちを相手に奮闘している前途ある田中さん・門屋君・永富さんへ、ちょうど20年前まで高校教師をやっていた私が、退職直後に高校(千葉県立鎌ヶ谷西高校)の研究紀要に書いた拙文の一節を贈ります。

「 7年間の教員生活の中で私の得た結論は、教員(高校教諭)にとって授業こそその真価を問われるものだということである。教員以外の読者は「あたり前のことを何を今さら」とお思いだろうが、現実の教員の世界では、これは必ずしも常識ではないのである。
 60年代の高度経済成長期以降、その荒波をもろにかぶった千葉県では、特に社会環境の変動が激しく、全国的にも悪名高い精神的・文化的荒廃状況が現出した。こうした社会に成長する子供達の教育を担う教員の前に、学習指導以前の諸問題が山積みになるのは当然の趨勢であった。
 しかしである。その対応に「生徒指導」という極めてデリケートなものが、即効的な形にゆがめられて、しかもそれが教員の最も重要な任務であるかのような実状は私の価値観では容認できなかったし、それでひどく傷ついた生徒を沢山みてきた。たしかに、即効的な指導の必要性を完全に否定し切る資格は私にはないが、しかし、学校を健全な意味での楽しさに満ちた場にするように努力することこそ、教員にとっての最終的な目的であるべきだと考える。即効的な生徒指導はその手段とすら成り得ないのである。
 生徒が学校で生活する時間の中で最大の分量を占めるのが授業である。これを楽しみに生徒が登校するというのは荒唐無稽な理想なのであろうか。人生の中で最も知的要求・好奇心の横溢している生徒達に、授業をつまらながられるというのは、プロとして相当情けないことだという自戒を教師は常に持たなければならない。自分の担当している科目に自分自身が興味と関心を抱き、常に新しい学問的成果を吸収し、その楽しさ、愉快さを生徒に還元してやろうという意志を自ら確認してほしいのである。教師がつまらながっていることを生徒がおもしろがるはずはない。
 前置きが長くなってしまった。要は、教師は自己の担当教科に対する主体的な研鑽にもっと励むべきであるということ。そして、それを生徒に還元し、充実した授業をそれぞれの工夫のもとでつくりあげていくべきであろうということである。」

 こんな程度のことしか書けなかった自分(時に35歳)が恥ずかしいのですが、あの頃の偽らざる心情吐露なので、少しはアドバイスになったかも知れません。

>八井君  ぜひ「ハイブリッド」な人材を育成してください。それから、京都府の教員の研究組織に、おそらく「修学旅行」を研究しているセクションがあると思いますから、ここで大いに御経験を披瀝されたらよいと思います。
 ゼミの方は「顧問」から正式メンバーになっていただいており、それは終身資格ですから、今後ともよろしくお願い申しあげます。年度内の旅行企画ぜひよろしく。

 それにしても、就職といい、進学といい、当ゼミメンバーの活躍は凄まじいものがあります。私が君たちの年齢だった頃、ぜったいに手が届かないと思っていた事を、いとも簡単に達成してしまうのにはまったく脱帽です。素晴らしい人材が揃っているのでしょう。
 将来、頼りに出来そうですね(笑)。

おめでとうです

No.4304

 八井くん、おひさしぶりです。そして、おめでとうございます。
 新しい職場(古巣?)での益々のご活躍をお祈り申し上げます。

 八井くんの、先々までクリアーに見通した臨機応変な取り仕切りっぷりは、ゼミ活動のみならずいろんなところで重宝されると思います。お体にお気を付けになりつつ、活躍の場を広げて下さい。

堤先生の新刊のお知らせ

末松憲子
No.4301

ご無沙汰しております。

堤邦彦先生と徳田和夫先生が編者となり、『寺社縁起の文化学』森話社(6500円)
が出版されましたのでお知らせします。

あらゆる「縁起的なるもの」を捕捉し、系統解剖学のごとく体系化することで、縁起研究を宗教研究の補助手段から解放し、文化学の要部へと位 置づける。

【目次】

[序文1]寺社縁起の転換期――近世から近現代へ=堤邦彦
[序文2] 新しい縁起研究に向けて= 橋本章彦

第1部
[1 寺社縁起の生成と展開]
寺社縁起と談義・直談――江州阿弥陀寺縁起をめぐって=徳田和夫
組織と縁起――平安・鎌倉期の真言密教における〈縁起〉言説=藤巻和宏
近世寺社縁起の戦略性――三河国鳳来寺縁起を事例として=加藤基樹

[2 変容する寺社縁起]
神仏の噂――霊験の演出をめぐって=伊藤慎吾
月感伝承の在地的様相をめぐって――近世真宗の内紛とうごめきの中で=菊池政和
近世唱導と文芸・芸能=北城伸子
火車説話の受容と展開=山田厳子

[3 縁起の機能――鎮魂と救済]
法然上人伝から古浄瑠璃『ほうねんき』へ=佐谷眞木人
いくさ語りから怪談へ=堤邦彦
僧と亡者の昔話=花部英雄

[4 女性文化圏と縁起]
尼僧の〈聖地〉としての真如寺=西山美香
物語草子としての形成と受容――『お湯殿の上の日記』を通 じて=恋田知子
民間巫女の群像――在地のなかの縁起語り=川島秀一

[5 演じられる縁起・道具としての縁起]
戯け開帳と縁起講釈=福原敏男
虚構の系図・由来書=大島由紀夫 
縁起のメディア=久野俊彦

第2部
[シンポジウム]
「縁起学」の可能性=佐谷眞木人・堤邦彦・徳田和夫・橋本章彦・山田厳子


「いくさ語りから怪談へ」には、宗教文化研究所の公開講座で語られた、小宰相局の話も盛り込まれております。
私もまだ読み終えてはいませんが、非常に面白い一冊となっていますので、興味を持たれた方は是非ご覧下さい^^
 

Re: 堤先生の新刊のお知らせ

No.4310

野口先生、末松さん、みなさま、お元気にお過ごしでございますか? 過日はいろいろとお世話になりました。ありがとうございました。京女の講義も来週の火曜日が年内は最後となりました。(花大はまだまだ続きます!←山田先生ー!)寺社縁起の文化学は、ご購入希望の方には不肖わたくしをはじめ、執筆者に一声いただければ、八掛けと成りますので(出版社公認です!)、ぜひそれをご利用くださいませ。野口先生をはじめといたしまして、みなさまのご活躍、いつもとても励まされております。くれぐれもお体にお気をつけてくださいね。

ゼミ旅行の写真の御提供をお願いします。

No.4300

 本日は久しぶりに永富さんと鈴木君が研究室に来てくれました。山岡さんも交えてしばし歓談。

 >鈴木君  迷惑メール対策の設定、ありがとうございました。迷惑メールは迷惑メールに指定したあと、ゴミ箱に入れ、すぐに削除していますが、それでよいのでしょうか。 また、ウィルス対策のソフトについては何か操作する必要はないのでしょうか。
 あとになって、自分で操作してみるといろいろ質問が出てきてしまいました。申し訳ありません。

 なお、メール作動中またしてもフリーズしてしまい、例のごとく電源を切って再起動いたしました。
 まさしく、元木先生の言われるように「PCとは奇怪な器械」(呪符)であります。

 >永富さん  年賀状の件、よろしくお願いいたします。

 ところで、タイトルの件ですが、本年2月の東京・千葉方面のゼミ旅行および8月の鹿児島白熊ゼミ旅行で集合写真を撮影された方。ぜひその写真の提供をお願いいたします。ゼミの記録、『紫苑』への掲載、旅行中にお世話になり写真に映っている方への送付に使わせていただきたいと思います。
 集合写真でなくても、映っている人にはその写真をプリントして差し上げて下さい。

 >八井君  楽しみにしています。

 >どなたか  今年最後の例会報告はメンバーの誰かにお願いしたいと思うのですが、如何?

たまには涙の・・・

No.4298


前にここに書き込んだALWAYSー三丁目の夕日ーの映画評を、
アップしてもらいました。恥ずかしながら。

http://www.avis.ne.jp/~iwasaka/mikawacinema.htm

中国からは閲覧不能?

No.4295

 川合康先生のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/kibamusya2005/archive/2005/11/24)へのコメントで金澤正大氏が「野口先生のは、中国国内からはアクセスできないので見られません。」と書かれています。この掲示板だけ、中国からは閲覧不能なんてことがありうるのでしょうか? この裏には国際的な陰謀が・・・(ウソ)。

 ちなみに、川合先生は
>鎌倉幕府と京武者社会との関係を考えるうえで、
>院政期の武士がどれぐらい都と地方を往来していたのかについて、
>以前から気になっていたが、
>この1週間、あらためて目崎徳衛氏や金沢正大氏・野口実氏らの業績を
>集中して読み直し、ものすごく勉強になった。

とのことです。

東国武士の在京活動

No.4296

 山田先生、お知らせ下さり、ありがとうございます。
 ワシントンDC在住の親友やボン滞在中のの京樂先生が御覧になっておられることは間違いないのに、中国ではアクセス不能ですか?実は当ゼミメンバーの廣政さんが目下、北京の大学に留学中のはずでしたが・・・・。
 アクセスの件は、鈴木君にお尋ねしたいと思います。

 川合先生に私の研究成果を評価していただいて、ありがたく思っています。私は枝葉末節な事ばかり追いかけておりますので、これまでもその成果の学問的な位置づけや学界への紹介は川合先生や元木先生、髙橋昌明先生等の御研究に負うところが多大なのです。
 今回の川合先生の御報告を聴講に行けないのが残念ですが、いずれ発表されるであろう御高論を楽しみにしたいと存じております。
 
 金沢先生の東国武士に対する実証的な御研究には、以前から学ばせていただくところが多く、『政治経済史学』御掲載の御高論のコピーはまさに「山岳の如し」です。とくに「流人の周辺」執筆時には足立・安達・藤原光能・以仁王のネットワークの存在など、おおいに参考にさせていただきました。
 金沢先生とはいつか、ぜひ、東国武士について、ゆっくりと語る機会を得ることが出来ればなぁと考えております。
 
 目崎先生とは書信のやりとりが主でしたが、とくに西行の御研究から学ばせていただくところが多く、また私の秀郷流藤原氏研究の成果を使っていただくこともありました。
 もう30年ほど前、目崎先生が『朝日新聞』の文化欄に書かれた「西行の官職」と題する小文に、名前こそは出されませんでしたが、私のことを「篤学の若い研究者から来信があって、『長秋記』のおしまいの辺に「康清」を兵衛尉に任じたとあるが、これは西行の事ではないかと教えられた。全くそのとおりで、・・・私はおおいに感謝したが、」と書いてくださったのは大きな励みになったものでした。
 目崎先生は『聖心女子大学論叢』に西行の伝記研究を毎年掲載され、それをまとめて『西行の思想史的研究』として世に問われました。もとより研究の質・内容ともに及びもつきませんが、私もそうした研究スタイルを見習いたいと考えております。

 私は東国武士の所見を京都側の史料の中から検出していく作業によって研究者として評価されたことで、古代学協会にも採用していただいた人間ですので(ただし、就任したその日に協会付設の平安博物館が閉館。以後の運命は山田先生のよく知るところ・・・)、東国武士の在京活動とそこで生じた人的関係が治承・寿永の内乱の帰趨に大きな影響を与えたであろう事は認識しておりました。しかるがゆえに、上横手雅敬先生が武蔵国大蔵合戦を保元の乱の前哨戦と評価されているように(「院政期の源氏」)、中央の政治的変動は東国社会にもダイレクトな影響を与えていたのでしょう。
 従来は、領主制論や東国国家論の強い影響によってか、あまり東国武士と京都との関わりに対する研究は行われてきませんでしたが、須藤聡さんや伊藤瑠美さんの優れた御研究に見られるように、最近ようやく、武士一族の「在地」と「在京」における分業活動などについて研究が活発になってきたようです。そのような中、かつての私の仕事、とくに波多野・山内首藤・宇都宮(八田)氏などに関する『坂東武士団の成立と発展』所収の拙文や「流人の周辺」「東国武士と中央権力」(『中世東国武士団の研究』所収)、「後白河院と清和源氏」(『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』所収)が、少しでもお役に立てるところがあれば幸いであると考えています。
 なお、私はこうした地方武士の在京活動によって生じた横の「縁」については、「一所傍輩之好」という史料用語を使っています(「鎌倉武士の心性」五味文彦・馬淵和雄編『中世都市鎌倉の実像と境界』)。元木泰雄先生のいわれる「京武者」という概念との齟齬を避けるためです。

 山田先生(同僚だった頃は助手、今や花園大学史学会会長。木下藤吉郎→豊臣秀吉の如し)に呼び出されて、いろいろ書いてしまいました。でも旧稿の宣伝にはなったようです。
 本日、同志社は学園祭のために休講なのですが、来年度のシラバス執筆に頭を悩ませております。

Re: 中国からは閲覧不能?

No.4297

山田先生、野口先生

中国からのアクセスの件ですが
中国でのインターネットは、かなり情報に制限がかけられています。

特に、野口ゼミのホームページは、僕の自宅にあるサーバで管理していますので
いわゆる公のものではなく、アンダーグラウンドなものとみなされてしまいます。

たぶん、中国が国家的に行っているフィルタリング(閲覧制限)に引っかかってしまっていると思われます。
このページが制限されているのではなく、制限された中にたまたま含まれてしまっているという感じですが、ある意味「日本史・東洋史」の分野ではあるので、そのあたりで引っかかってるのかもしれませんね。(ちょっと前まで、満鉄の話題もありましたし...)

答えになっていないかもしれませんが、回答です。

徳川美術館特別展のお知らせ

No.4292

みなさん。こんにちは。先日は突然失礼しました。短い時間でしたが久しぶりに学術的な空気を味わえて非常に刺激を受けました。

それはともかくお知らせです。現在名古屋の徳川美術館では国宝源氏物語絵巻の特別展が行われています。今回は国宝の全12巻が一堂に見られるだけでなく、最近完成した現在の技術で復元した絵巻も併せて見る事ができます。国宝の12巻が一堂に集まるのは非常に稀です。これを機会に是非一度ご覧下さい
尚この絵巻復元事業の様子は、本日9時よりNHK総合の特番で放送されます。興味のある方は是非ご覧下さい。そして名古屋まで足をお運びいただければ幸いです

岩田師範はお誕生日&佐伯君は「大政」?

No.4289

 昨日の例会は立花さんの卒論「伊豆北条氏の存在形態」の中間発表。お疲れ様でした。先輩方からいただいた貴重なアドバイスを活かして、ぜひ立派な論文を仕上げていただきたいと思います。

 例会の前の『吾妻鏡』。いよいよ和田合戦の渦中。じっくりと読むと、思いがけない人物が登場していたり、なかなか面白いところです。数年前の鎌倉ゼミ旅行の記憶が今甦ったというメンバーもいたようです。

 本日の大学コンソーシアムの講義テーマは「平清盛」。かなり、清盛に対する私の思い入れを語ってしまいました。受講生の一人、精華大の学生さんは、午後は木津の平重衡の墓を訪ね、明日は小松殿跡など六波羅周辺を歩かれるとのこと。黒板に地図を書いたところ、即座にそれをケータイで写真に撮っておられました。なるほど、その『手』があったか。いずれ、授業は受講生にすべて録画されることを覚悟しておく必要がありそうです。脱線も心してしなければなりますまい。
 それにしても、このような熱心な受講生がおられるとすると、しばらく教室でゼミの宣伝を怠っていたのが後悔されました。次回あたり、案内の資料でも配布するとしましょうか。 
 しかし、そんなことをせずともこのBBSを御覧になっただけで、研究室のドアを叩いてくれた岩田君のような逸材もおられます。岩田君は目下、史料講読会の師範代をつとめてくれる、いわばゼミの大番頭のような存在です。おかげで私は大変助かっています。
 昨日は、その岩田師範の27回目の誕生日の由。おめでとうございました。そろそろエンジン全開の時期(人生の分水嶺です)ですから、大いに研究にお励みください。。
 そのお祝いにと、山岡さんがシュークリームをご持参下さり、野口君が名古屋のお菓子「名古屋嬢」(「城」の誤りではありません)、さらにお江戸帰りの佐伯君が「ごまたまご」をお土産に下さいましたので、昨日の例会はじつに美味しい研究会になりました。

 ところで、山岡さん。「森の石松」の調べはつきましたか?・・・ちなみに、長村君は「小政」?

 山田さん、上の精華大の学生さん(さすがに「平安京探偵団」はご存じ)からメールが届くかも知れませんが、よろしく。

次回の『吾妻鏡』講読会について

No.4290

 来週の『吾妻鏡』講読会(11月28日)は、お休みです。次回は再来週の12月5日に行います。
 範囲:建暦三年五月三日条の続き~同月四日条・五日条まで
 日時:12月5日(月)15:30~
 場所:L校舎3F 共同研究室

いいとこどり

No.4291

 27歳になりました岩田です。去年はこの時期から体調を崩して伏せっていたのですが、今年はいちおう無事です。
 「史料講読会の師範代」というのはまた大変な過大評価でありまして、毎週月曜の午後は私にとっても貴重な学習時間です。ゴマを摺りたいわけではありませんが、野口先生に『吾妻鏡』の読み方を見ていただき、あれこれご指摘をいただけるなどというのは、本当に本当に贅沢な経験なのですから。それに、『吾妻鏡』の講読も、そもそもは当ゼミでの先輩である山本さんが立ち上げて下さったものと伺っていますので、私は押し掛け以外の何者でもありません。

 山岡さん、シュークリームごちそうさまでした。野口くん、名古屋からナイスなネーミングのお菓子をありがとう(ちなみに、いつも頂戴していた「なごやん」は、関学での私の指導教官の好物です)。佐伯さん、「ごまたまご」美味しゅうございました。山本さん、次回の吾妻鏡のご案内ありがとうございます。

Re: 岩田師範はお誕生日&佐伯君は「大政」?

立花美香
No.4293

 先日の例会では、とても多くのアドバイスをしていただきありがとうございました。自分でどうしたら良いのかわからなかった矛盾点や、整理できていなかったことをズバリ指摘していただいたり、必要不可欠な文献をご紹介していただいたり…と、とても勉強になりました。
 締め切りまで残り少ないですが、なんとか自分の納得できる論文になるよう頑張ります。野口先生、報告を聞いてくださった皆さん、お忙しい中本当にありがとうございました。

立花さんの卒論に役立ちそうな資料

No.4294

 例会の時に口頭でしか紹介しておかなかったので、ここに書き込むことにします。
まず、北条氏の系譜については、いただいたレジュメの参考文献欄にも引いてありましたが、安田元久編『吾妻鏡人名総覧』所収、北条氏研究会編「北条氏系図考証」の成果をもっと反映させるべきでしょう。正宗寺本系図も既にここで紹介されています。
 つぎに、時政と牧の方の結婚の問題ですが、これについては系図研究家の宝賀寿男氏の杉橋説批判が、下記のサイトにあります。参考にするとよいと思います。
 http://shushen.hp.infoseek.co.jp/hitori/makinokata.htm 
それから、時政については一般向けの本ですが
 小野眞一『裏方将軍 北条時政』(叢文社)
という本があります。中世前期の部分を杉橋隆夫先生が執筆されている山川出版社の『静岡県の歴史』(新版)とあわせて、参照されたらよいと思います。
 『曽我物語』の真名本は平凡社の東洋文庫に収録されています。
 また、『曽我物語』については、『国文学解釈と鑑賞』別冊の『曽我物語の作品宇宙』(平成15年1月)を御覧になるとよいでしょう。

 >立花さん  優れた卒論を提出し、それをもとにした研究ノートをまとめて、ぜひ『紫苑』に投稿してください。 期待しています。

 >『吾妻鏡』講読会に参加されている皆さんへ
   和田合戦関係の論文の紹介  
 松島周一「和田合戦の展開と鎌倉幕府の権力状況」(『日本歴史』第515号、1991年)
  この論文の掲載されている『日本歴史』には、松本政春「貴族官人の騎馬と乗車」という論文も掲載。例の平治の乱における藤原信頼の落馬の話がとり上げられています。