御礼が遅れまして

No.417

学習院大学の重政です。お礼が遅れまして申し訳ございません。
ゼミ旅行では大変お世話になりました。
さすがに、兵藤先生のお得意分野フィールドワークでの御山下りはキツク、翌日の竹生島からの帰りの船でひざが痙攣し始めたので彦根城は断念させいていただきました。いつの間にか姿を消しており申し訳ございませんでした。
今回の旅行で、小松谷を案内していただけたのは非常に貴重な体験でした。研究家として、また一小松家マニアとして非常に有意義でした。
先生の御本をさっそく拝読しようと、本屋に向かったのですが、「秀郷」はあっても「武士の棟梁」は無い...トータ君...ムータン.....。
と思っていましたら、新書だったんですね。それに気付かず無駄足踏んでました。明日にでも買いに行きます。

では、皆様本当にお世話になりました。
御上京の際には是非学習院にお立ち寄りください。
上洛の際には是非顔を出させていただきます。美味な甘味処にご案内下さい。
ではまた。

P.S:先生と同じアイコンを使用し申し訳ございません。
    自分は茶人なものでつい使ってしまいました。
    

Re: 御礼が遅れまして

No.420

こんばんは。アドレスの件、メールで返信しておきました。
こちらこそお世話になりました。
また、とても楽しく有意義な時間を過ごさせていただきありがとうございました。皆様にもよろしくお伝えください。

またご上洛の際にはお気軽にご連絡ください。
美味な甘味処めぐりならまかせてください!!(←下のスレッドでダイエットするって言ったばっかりなのに☆)
ではまた・・・

学習院史学科

野口実
No.421

重政君、お疲れさまでした。甘味処は永富さんにお任せするとして、小松殿重盛については、高橋昌明氏「重盛の母」(『女性史学』7)という、重盛が関白忠実の血を引くことを想定した短い論文のあることをお知らせしておきます。それから、小松谷は他にもあり、近世にいろいろ付会の説が出来上がっているようなので、『京都市の地名』(平凡社)などで御検討ください。これに関連して、高橋氏が近く論文を発表されるとのことです。それから、学習院の史学科は源平時代研究のメッカです。私が学生の頃、安田元久先生のもとにこの時代を研究しようとする学生がたくさん集まっており、私もモグリで大学院のゼミに入れていただいていました。先日、そちらの学生さんにうかがったところ、昔のこととはいえ、安田先生をご存じなかったので、いささか寂しく思いました。おおいに、史学科と交流しつつ研究を進めてください。

入手しました

No.426

先生の「武家の棟梁の条件」入手いたしました。まだ読みはじめですが、武士団の棟梁は広域暴力団の組長という御説、まったくもってその通りであろうと賛同いたします。重盛も、基房に相当怖がられた事でしょう。昔から政治家(後白河)と暴力団(平家)の癒着は深刻な問題ですね。
ご紹介いただいた「重盛の母」も入手し、非常に興味深く拝見してました。今までノーマークだった高階基章の娘が摂関家がらみになると、私の修論にも一色添えることが出来そうです。
安田元久先生を知らないとは嘆かわしいですね。私も学習院の先生だったとは意識してませんでしたが、先生の「平家の群像」は研究のスタートになった一冊です。
史学科との交流も図りつつ、今後も研究に励みたいと思います。よろしくご指導ください。

訂正

No.409

ここの掲示板の武士は、家康の四天王の一人である榊原康政画像から取っているのですね(今頃気付くなんて、お恥ずかしい)。時代考証がしっかりしていて当然ですね。なお、祓立は素剣ではなく、三鈷柄剣ですね。訂正します。

Re: 訂正

No.410

近藤先生、こんばんは。
このサイトの管理(最近は口だけ?!)の永富絵里子です。
そのとおりです。この武士のモデルは榊原康政です。
ここの掲示板を作るとき、アイコンをどうするか、いろいろ探してまわったのですが、個人的に大好きな」角倉了以のアイコンがあったという理由のみでこのシリーズのアイコンを使うことに決め、今日に至っております。

ちなみに姫君ですが、実態は淀君だったり☆
ああ・・・ついに秘密をばらしてしまいました。

http://www.atjp.net/

素材を提供してくださったサイトです。
このほかにもたくさんのおもしろいアイコンがあります。

Re: 訂正

No.411

http://www1.odn.ne.jp/usakun-castle/matudaira_037.htm

ちなみに榊原康政画像のオリジナルが掲載されているサイトがございましたので、参考までに載せておきます。
もしよろしければ、興味のある方は、アイコンと比較してみてください。

Re: 訂正

No.413

永富さん、レスありがとうございます。ちなみに、榊原康政画像の詳細については、http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html(東大史料編纂所のHP)のデータベース案内→データベース検索→史料編纂所所蔵肖像画模本データベースと進んで、榊原康政で検索して下さい(他にも様々な検索方法があります)。詳細な画像解説があります。じつは、このデータベース内の画像解説(風俗解説)は、すべて私の仕事です。それで、すぐに榊原康政だと気付かないんだから、ますますお恥ずかしい。

Re: 訂正

No.418

さっそくデータベースで検索させていただきました。
使い方に戸惑ったものの、ヒットに成功いたしました。
肖像画の情報も詳しく載っており、いろいろな人物を検索して楽しみました。
ただ、最初の画面のデータベースの利用目的に「研究・・・」と記入するのがちょっとはばかられましたが (笑)
教えていただきありがとうございました。今後も活用させていただきます。

後半戦開始。

野口実
No.407

本日、ようやくある論文集の書評のメドがつきました。書き終わったと言うより、所定の字数に到達したという程のことで、著者には申し訳ない内容です。もう一つやはり論文集の書評を書かなければならないのですが、それは9月末締切の紀要原稿の後に回さざるを得ません。授業開始まであと約一ヶ月ということで、いよいよ後半戦。ゼミの皆さんも、来年度に向けていろいろ計画を進めておられることと思います。そろそろ次の『紫苑』のことも考え時ですね。
平田さんは六波羅邸に戻られましたか?安芸に帰郷された村井さん・立花さん、それに肥前の寺田さん、お元気ですか?郷里にパソコンをお持ちでしたら、そちらの情報でも書き込んでください。筑後の笠さんや佐渡の土屋君・・・も。
これからサイパンでリフレッシュという方もおられますが、小生、しばらくは研究室と自宅を往き来しつつ、仕事を形にする作業に一心に取り組みたいと思っています・・・と言いつつ、今日は元木先生・美川先生たちと鴨川河畔で鴨料理をいただく予定であります。

いざ、多田院!

野口実
No.412

いしがま亭(四条木屋町下る)の鴨料理、おいしゅうございました。今日は観世流太鼓方の井上啓介氏ともご一緒でした。ご承知の通り、原稿執筆が遅々と進まない小生をさしおき、元木先生はすでにミネルヴァ日本評伝選の『源満仲・頼光』を脱稿された由。参りました。出来たての原稿を拝見しましたが、実に面白そうでした。
さて、その本の挿図の写真撮影も兼ねてのようですが、元木先生御主催の多田院(多田神社)見学会、9月20日(土)に御計画とのことです。ここは満仲の館跡で、宝物館もあります。多田院については『今昔物語集』をはじめ多々(シャレ)文献史料があり、事前学習には事欠きません。詳細は後日、元木先生が書き込みをしてくださる予定です。
田中さんの摘発した漏洩事案は、田中さんご自身からうかがったような気がするのですが?何れにしても、元気なことは何よりです。
新地さん、情報ありがとうございました。修論の発表を楽しみに致しております。

筑後の笠です(笑)

No.416

お久しぶりでございます。
大学ではあと一ヶ月夏休みがあったっけ・・・と思いつつ
掲示板を拝見しております(。o_o。)
鴨料理はありませんでしたが、お昼にこちらでやっていた
地方番組で京都の町並みが映し出され、大変懐かしく思いました。
レポーターが「9月いっぱいは床も楽しめますので、ぜひ!」
なんて宣伝しておりました(笑)

さて、残念ながら床を楽しむことはできない私は、
来週末に久留米で開催されます焼き鳥フェスタで胃袋を満たそうと画策中です。
つい最近まで取り上げられることが無かったのですが、
とある情報誌が調べたところによりますと、久留米の街は
人口あたりの焼き鳥屋数が日本一だそうです。
これと「とんこつラーメン発祥の地」を、大々的にPRしよう
という思惑があるそうで、焼き鳥フェスタ開催の運びとなったようです。

ちなみに久留米の焼き鳥屋はメニューが豊富という面もあるらしく
ねぎ間やつくね、レバーや鳥皮は勿論のこと
ウズラの卵、ししとう、えのきだけのベーコン巻、等の
そのお店独自のものがあります。
久留米で育った私は、それが珍しいことだとは思いませんでした。
ちなみに私が好きなのは「牛タン」
↑と、話したところ「それは焼き鳥じゃない!」と言われたことがあります。
焼き鳥屋のメニューにあるのですから、立派な焼き鳥です(-"-;)

皆様も久留米にお越しの際は、是非とんこつラーメンと焼き鳥をご賞味ください
長くなりましたが、このへんでm(_ _)m

Re: 後半戦開始。

No.419

笠さん>おひさしぶりです♪
焼き鳥フェスタ・・・なんてすてきなイベントなんでしょう。
どこでもドアがあったら絶対に飛んでいったのになあ~(笑)
牛タンの焼き鳥・・・牛だけど焼き鳥・・・初耳です。
いつか久留米の焼き鳥を本場で堪能してみたいものです。
そのときはおいしいところを案内してくださいね!!

かくいう私、こないだからの旅行やイベントでの深夜から明け方におよぶ飲み会が続いたせいか一時は減っていた体重が元に戻りました☆
昼間いっぱい歩いてるはずなのに…アルコールはおそろしいです。はい。
後半戦を美しいプロポーション(?)になって始めるべく、また精進生活を送ろうかと考えております。(と、いいつつさっきもアイス食べました)

次のゼミ旅行。

野口実
No.422

笠さん、耳寄りな情報を有り難うございました。
次のゼミ旅行の候補地、いろいろ挙げられておりますが、先の田中さんによる佐賀県小城町の話といい、どうも福岡県から佐賀県あたりが有力視されつつあるようです(鹿児島にも行きたいのですが・・・)。今回、その追い風が吹いた観がございます。胃腸を強くしておかなければ。
 ついでながら、私の研究室に筆入れを忘れていった人がいます。

どうでもいいことですが・・・

田中裕紀
No.423

笠さんへ
 お久しぶりです。焼鳥屋で牛タン・・・って、え!?普通じゃないの!!??というわけで、どうやら田中家の食生活は「薄味」で「おあげ」や「ハモ」を食す以外、ベースは九州にあるようです。ちなみに、いつも佐賀で行く焼鳥屋さんで一番のお気に入りは餃子ですよ。←かなり美味しいので、是非永富さんにもご紹介したいわ☆

 さて、昨日は日帰りで広島まで行って来ました。熊野でのドライブは山本さんにお願いしちゃいまいたが、今回はやむを得ず高速を4時間を運転する羽目になり、高速教習以来の高速道路を走ってきました。帰りは夜中になったので、今日は一日うだうだとしております。もう、しばらく夜中の運転は結構です(ー ー;

本当に皆様お疲れ様でした。

No.397

旅行本当にお疲れ様でした。
また、先生の案内を含め様々なご配慮に感謝しております。
限られた時間の中では有りましたが交流もできよかったと
感じております。
私は寺門派の人々の案内をさせていただきましたが、叡山が霧で
見えなくなっていく姿に下から不安を覚えておりました。
来年か再来年かわかりませんがきっとリベンジする時が来ると
思いますのでそのときは是非挑戦しましょう。
至らない点多々あったかと思いますがご容赦下さい。
では、ゆっくり休んで疲れをとってください。
わたくしも休む事にいたします。

補足です。

No.398

先ほど書き忘れましたが、はじめに一万円を全体で
集めた時お払いいただいた方への残金の返金は私が
9月中旬に関西に帰ってくる時までに計算をしてお渡
ししようと考えております。
返金まで少し時間が空いてしまいますが、
よろしくお願いいたします。

お礼。

野口実
No.399

門屋君、それに幹事の田代さん、御苦労様でした。また、兵藤先生およびゼミ生のみなさんへ、当ゼミから今回の旅行に参加させていただいたお礼を申し上げます。これからも、よろしくお願いいたします。なお、卒論や個人の研究などで御上洛のさいは、御遠慮なくお立ち寄りください。        

遅ればせながら・・・

No.405

本当にお疲れ様でした、そしてありがとうございました。
滋賀県は隣の県なので「いつでも行ける」と思いつつ、これまでなかなか行く機会がなかったので、とても良い経験となりました。
個人的には竹生島が一番興味深かったです。

携帯のカメラではありますが、何枚か写真を撮りましたので、アドレスをお教えいただいた方にはメールに添付してお送りしたいとおもっております。(その他の方でもご希望があれば申し出ていただければ対応いたします)

では、失礼いたします。



ゼミ旅行とは・・・

田中裕紀
No.395

先ほど兵藤ゼミの旅行から帰還致しました。この1ヶ月の間に野口ゼミ・兵藤ゼミと2回のゼミ旅行に行きましたが、「研究者に健脚有り」です。野口先生もそうなのですが、比叡山での兵藤先生の山下りの早さには閉口・・・いや、脱帽致しました。
 旅行2日目、人数の多さに昼から山門派・寺門派に別れてそれぞれ自分のお山に行ったわけですが、兵藤先生中心の山門派に名を連ねたのが始まりでした。千日廻峰行の行者さんが通っている(と思われる)道を使って足で比叡山を下りるという強行軍だったのですが、夕方で暗くなってくるわ、前夜の雨で足場は悪いわ、大雨に降られるわで本当に大変だったのです。ところが、みんなが滑落しそうになる中で兵藤先生は傘をさし、背中が見えなくなるくらいのスピードで下りていかれたのでした。更に山を下りて舗装道路に行ってもそのスピードが落ちることはなく、ますますスピードを上げて京阪の坂本駅に向かったのです。
 ケーブルで比叡山に登ったところから、坂本駅まで全行程約4時間。兵藤先生の顔にはちょっぴり疲れが出ていただけだったのです・・・。ま、大変でしたが「一日」廻峰行ということで何か良いことがあるでしょう。帰りのタクシーの運転手さんには「大物になるわ!!」と笑い飛ばされました(^^; いえいえ笑い事ではなく、本当に死ぬかと思いましたよ(= =;
 で、本日は午前中から竹生嶋詣をして、彦根城を見学して帰ってきました。この話は先生や永富さんから聞いてください。
 では。電池切れ寸前なので本日は閉店です。

Re: ゼミ旅行とは・・・

No.396

一流の研究者はみな健脚なのかも知れません。故戸田芳実先生もそうだったようですし、五味文彦先生も健脚です。元木泰雄先生も歩くのが速いですよ。かくいう私は、歩くのが嫌いです。というよりも、パワーリフティング以外で余分な体力を使いたくありません。

健胃・健腸

野口実
No.400

近藤さん、お久しぶりです。歴史学者の健脚は体力のみならず「あくなき探求心」によるものだと思います。それから、一流の条件にはもう一つ「健胃・健腸」があると思います。疲れるとすぐに胃腸がおかしくなる上に神経症から来る過敏性大腸症候群の小生などは、従って全く欠格者です。スケジュールの厳格な団体旅行など完全にお手上げです。それにひきかえ、26日夜の兵藤ゼミの宴会で最後まで(27日午前4時過ぎ)のこっていたのが、全て当ゼミ現役・出身メンバーであったとの情報は、彼らの未来を明るくなさしめるものに違いありません。

Re: ゼミ旅行とは・・・

No.401

野口先生、こちらこそお久しぶりです。健胃・健腸ならば、私は絶対的な自信があります。しかし、私は、午前4時まで飲むことはできません。せいぜい2時までです。野口ゼミの皆さんの未来に期待します。
ところで、話は全然変わりますが、この掲示板の武士の画像は、素剣の祓立の阿古陀形筋兜を被った室町後期の武士ですね。小さい画像ながら、兜の描写は、破綻なく時代の特徴をよくつかんでいると思います。

健胃・健腸というと・・・

美川圭
No.403

近藤さん、お久しぶりです。
健胃・健腸話というと、酒席というと必ず話題にのぼる関西の某先生の話がついつい思い出されます。
某先生が、ある出版社の編集者と会食をしていると、
その編集者が「先生はあまり召し上がらないのですね。偉くなられる先生方はみなよくお召し上がりになります。網野先生も、石井先生も・・」ということで「無礼者が」と某先生は怒られたそうです。
この話はご存じですよね。

Re: ゼミ旅行とは・・・

No.404

美川さん、こちらこそお久しぶりです。その話は初耳です。またひとつ、「伝説」が増えましたね。

情報漏洩

田中裕紀
No.408

野口先生へ
 飲み会で最後まで残ってたのが野口ゼミの面々だったなんて!!いったい、どこからそんな話が漏れたんでしょうか?ちなみに、前々回の鎌倉ツアーも前回の熊野詣ツアーの飲み会でも、似たようなメンツが最後まで残っていたような気がします・・・。そろそろ腰を落ち着けて勉強したいのはやまやまですが、なかなかそうも行きません(ーvー; 最近、止まったら死にそうな毎日なもので(^^;・・・帰ったら勉強します(_ _;

Re: ゼミ旅行とは・・・

No.415

(下にもレスしましたが)ご無沙汰しております。お久しぶりです。
久々に開くと、レスの多さと内容の濃さに驚きました。
田中さん、ゼミのみなさん、兵藤ゼミの方々、お疲れさまでした。
比叡山、行くつもりだったし、未だ行ったことないので、参加したかったです!!
というか、最近行かなければならないような気がします。誰かに呼ばれているような…(笑)
ゼミの時にでも、写真を見せていただければ嬉しいです。

法住寺、ああ法住寺、法住寺

長村祥知
No.389

本日の研究発表について、同志社での講義、事前発表、本日と色々とご配慮とご教示を賜り有難うございました。
学外での発表、しかも、かの兵藤先生をお招きしての、となると記念すべき一日なのかも知れません。野口先生からの新たな課題も時間を作ってこなしていきたいと思います。
内容が拙い事は重々承知しておりますが、発表方法についても時間を守る、わかりやすく伝える、といった当たり前なことを学んでいかねばなりません。恥をかくなら早い内、と思っております。
その場を与えて下さった野口先生はじめゼミメンバー各位に篤く感謝申し上げます。
なお、事情があってしばらくパソコンを見ないと思うので、緊急にご用の際には携帯電話の方にご連絡を下さい。


竹生島詣。

野口実
No.390

今日の報告、力が入っていて良かったですよ。時間の制約があったので、長村君としては言い足りなかったことが多かったと思いますが、自制が利いていました。学問で恥をかくのは一生でも良いと開き直るくらいで結構だと思います。私の説明もひどかったでしょう。日々反省あるのみです。
それにしても、今回の隊長田中さん、司会の山本君をはじめ、買い出しや、接待のために努力してくれたメンバー諸君は頼もしい限りでした。ゼミが真にみんなのものになってきた感あり。鈴木君も再度駆けつけてくれて、おかげで電脳で盛り上がりました。山田ちさ子さん、携帯拡声器ありがとうございました。
みなさん、次は竹生島めぐりでお目にかかり、長村君の先勝祈願をしてまいりましょう。

みなさんご苦労様でした。

No.391

 初めて聞いた僕にとって、ながむらさんの発表。専門外なりに「なるほどねぇ~」という感想でした。隣にある程度解説してくれる人がいたからかもしれませんが、おもしろかったです。
 同志社の原稿用紙のテンプレートの件は、必要の時はメールで連絡下さい。
 
 新熊野神社関連ですが、僕の住んでるのは「五葉ノ辻町」ですが、少し北に行った、ちょうど新熊野神社のあたりは「椥(ナギ)ノ森町」です。昔は椥の木がいっぱいあったんでしょうか?
池田町といい、地元の地名には気になるものがいっぱいです。五葉ノ辻の由来も知ってる人は近くにはいません。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.58.52.266&el=135.46.33.590&la=1&sc=2&CE.x=232&CE.y=248
↑地図です。

椥ノ森町

野口実
No.392

椥(ナギ)ノ森町の由来は、熊野の御神木である椥の木が紀州から移し植えられて森のように茂っていた時代があったことにあるのではないかと、戦後のすぐれた歴史学者、故・戸田芳実氏は想定されています(『中世の神仏と古道』)。新熊野神社の境内にある樟の木も樹齢800年といわれ、これも紀州からの移植と伝えられています。この木は腹の病に御利益があるとのことなので、私は頼りにしているのですが、今のところ信心が不足なのか効能がありません。鈴木君の住所は熊野の名家である「鈴木氏」が都で拠点にするのに相応しいところのようです。

Re: 法住寺、ああ法住寺、法住寺

No.393

さっそくお返事有り難うございます。
教育実習の準備がはかどらないせいか、今必要な事以外のものに目移りしてしまいそうです...。
自分の事も住んでいる場所も、知れば知るほどおもしろくなりますね。
権現さんの樟の木は、ついこの前まで病気で弱っていて、いわゆる"木のお医者さん"が治療中という新聞記事があったと思います。
木の回復と野口先生の体調はシンクロしているのかもしれませんね。

P.S.この時間は学習院のみなさんは宴会だそうです。僕は永富を車で送っていくついでに三井寺に行きました。いろいろエピソードはあるのですが、後ほど永富から聞いてください(^^)!!

Re: 法住寺、ああ法住寺、法住寺

No.414

お久しぶりです。ご無沙汰しております。
長村君、レス遅くなりましたが、発表お疲れ様でした。
私用で参加できなくて申し訳ない限りです。
有意義な発表だったと聞いています。
良かったら今度のゼミの時にレジュメをいただければ嬉しいです。

よろしくお願いいたします

山田ちさ子
No.383

野口先生、兵藤先生、野口ゼミ、兵藤ゼミのみなさま、こんばんは。
花園大学の山田邦和の家内です。
京都の歴史と文化を紹介するWEBサイトを作っています。
明日は、見学会まで参加させていただきます。
ずっと楽しみにしておりました。
若いみなさまのパワーをわけていただければうれしいです。
ではよろしくお願いいたします。

Re: よろしくお願いいたします

田中裕紀
No.384

はじめまして。こんばんは。明日の兵藤ゼミとの懇親会の隊長になっています田中と申します。明日の見学会にご参加いただけると聞いて、お会いできるのを楽しみにしています。あの「平安京探偵団」サイトを運営している方ですからね。また明日、改めてご挨拶いたします。
P.S.
 野口先生からお断りのお返事を頂いたのですが、もしよろしければ見学会の後の懇親会にも是非ご参加ください。野口ゼミのIT担当:鈴木くんも遅れて来る予定になっています。ぜひお考えください。

Re: よろしくお願いいたします

No.406

先日は短い時間でしたが、お目にかかることができ、またリンクの件も快く引き受けてくださり、うれしかったです。ありがとうございました。
リンクページを作るのはもう少し先になるかとは思いますが、そのときはぜひよろしくお願いいたします。

鹿児島でお世話になりました…

新地浩一郎
No.379

 10年前に鹿児島大学教養部の講義でお世話になりました、新地です。ご無沙汰をしております。柳原先生から、野口先生のHPがあるとお聞きし、早速拝見させていただきました。
 現在、私は川辺町教育委員会で文化財と文化事業の仕事をしており、あまり自分の時間がとれないところですが、学生時代に学んだことを発揮できる職だと思っています。毎月、町内の年配の方向けに公民館講座で「ふるさと歴史散歩」という講義をしています。人にものを教えるというのは難しいですけど、自分の勉強にもなり、様々な事務の中で一番楽しい時間です。
 ところで、川辺町も加世田市・笠沙町・大浦町・坊津町の1市4町で合併することになりました。それぞれの市町で文化財に対する姿勢が異なりますが、島津氏関連にだけ偏らないようにしたいと思っています。
 話が変わりますが、先日偶然ある家の氏神に鰐口がかけられているのを見つけました。年号は文明9年のもので、不明瞭ですが「河辺二郎■■」という文字が見えます。資料上では南北朝期以降は河辺氏の活動は確認されていませんので、薩摩平氏の河辺氏なのか判断に迷っているところです。もしよろしければご意見をお聞かせください。

薩摩平氏の文化。

野口実
No.382

新地さん、お久しぶりです。前の勤務先のゼミで鹿児島旅行に行ったときは大変お世話になりました。あの時の写真は今の研究室に貼ってあります。
この掲示板のNO,336に「男はつらいよ」の話を書き込んだ時に大の寅さん映画ファンの柳原先生を思いだしていたのですが、心が通じたようですね。柳原さん、ありがとうございます。
たしかに、市町村合併で加世田市が主導権をとると島津日新斎の話から島津中心になりそうですね。しかし、この地域はやはり、海の道によって開かれた中世にアイデンティティを求めるのが、地域の未来のためにも良いと私は思います。薩摩平氏の海洋活動、あるいは磨崖仏群に見られる仏教文化など、その中でも重要な要素を占めることでしょう。考古学の調査も大きな成果が期待されると思います。新地さんのご活躍に期待したいと思います。
鰐口のことですが、五味克夫先生にうかがえば、100%正解だと思いますが、形態と年紀が整合し、銘文も制作当時のものであるならば、この時点で薩摩平氏の河辺氏が未だに健在であることを示す証拠となるものと思います。
新地さん、京都にお出での節は是非、京都女子大に寄ってください。そのついでに、研究会で薩摩のお話をしていただければ、さらに有り難いところです。それから、そのうちにまた、現在のゼミでも鹿児島旅行を企画するということになるかも知れません。虫の良い話ですが、その時は、またどうぞ宜しくお願いいたします。

Re: 鹿児島でお世話になりました…

新地浩一郎
No.386

 野口先生、早速のご返信ありがとうございます。
 入学したころは、島津氏にしか興味のなかった私にとって、薩摩平氏の存在や、社会史の面白さを教えていただいた野口先生の講義が自分の日本史研究の原点だと思っています。
 先生のおっしゃるとおり、加世田市は島津忠良をはじめとした島津氏中心史観です。教育委員会には忠良の「いろは歌」が掲げられています。一方、川辺町や坊津町は仏教史跡を中心とした文化財が多く、また大浦町・笠沙町は動植物に関する文化財が多いようです。それぞれの特徴を活かした文化財行政の再構築が必要だと思っています。
 私は主に指定文化財の整備にあたっており、埋蔵文化財の発掘にも携わっています。最近はキツネやシカなどの野生動物の調査や民具に関する仕事が多く、まさしく雑芸員となっていますが、色々と知識が広がり、それはそれで楽しくやっています。
 また、3年前の6月下旬から7月末まで、奈良国立文化財研究所で発掘の研修を受けました。その時は、残業なし、土日出勤なしでしたので、奈良・京都・東京の国立博物館を始め、名古屋や東京、大阪、奈良、京都の各博物館・美術館を見学しました。また、何年かに一度、そのときの同窓会がありますので、機会があればぜひ京都にもお邪魔させていただこうと思います。
 ぜひ、鹿児島においでになるときはご連絡ください。

鹿児島ゼミ旅行。

野口実
No.394

新地さん、大変なお褒めの言葉を有り難うございました。恐縮して身の置き所がありません。
今日、NHKの番組で1993年8月6日の豪雨の時の話を放送していて、何か鹿児島の人たちがとても懐かしくなりました。あの災害の直後に、中世史サマーセミナーが予定されており、事務局を引き受けていた柳原さんの活躍は獅子奮迅で、それこそプロジェクトXで取り上げても良いような活躍ぶりでしたね。私も寸断された道路事情確認のため、柳原さんと二人で倒木だらけの道に迷いながら車を走らせたりいたしました。徳永さん、松尾さんや永山さん、林さん、それに寺尾さんなどの顔も思い浮かびます。
それから数年後に聖徳大学日本文化学科野口ゼミの旅行で新地さんにお世話になったわけですが、その時に幹事をつとめた尾上聡子さんが、来月28日に結婚することになりました。彼女は現在、愛知県の西濃運輸につとめています。相変わらず、元気いっぱいのようです。

プロジェクトX

新地浩一郎
No.402

こんばんは。先日のプロジェクトXで出演された有村さんは、現在川辺町の神殿(こうどの)交番に勤務されています。番組の終盤で、有村さんがパトロールされていたのが川辺町です。ここ数年、鹿児島ではあまり大きな水害は起こっていません。台風が一度も上陸しない年もありました。今年は菱刈町でお二人お亡くなりになりましたが、昔ほど大規模な被害はなくなりつつあります。
私は、現在土日の出勤が多い職場のため、県内の研究会などにはほとんど出席できない状況です。そのため、松尾さんをはじめ他の研究者の方々とはなかなかお会いできません。修士論文も日の目を見ないまま眠っていますが、最近は時間を見て手直しをしているところです。
現在、仕事の内容はキツネや鹿の分布調査など動植物に偏りつつあります。昨年の11月には、鹿児島大学の鹿児島学シンポジウム「鹿児島の鳥文化」で鹿児島のバード・ウォッチングについて発表しました。原口泉先生は、学生時代の私について「鳥ばっかり見ている変な生徒」として覚えていらっしゃったらしく、お声がかかったようです。
聖徳大学の方々のことはよく覚えております。あの時は、私も大変楽しく過ごさせていただきました。私は30歳を目前に相変わらず気楽な一人の生活が続いております。

懇親会について

No.378

☆25日の懇親会について☆
 場所:酔心 京都駅前店(〒600-8216 京都府京都市下京区烏丸通七条下ル東塩小路町719 SKビルB1~B2)京都駅から徒歩1分くらいの所です。
 時間:6時より(2時間)
 予算:一人¥3200
となっております。
 兵藤ゼミ23名の大所帯に対し野口ゼミ8名ですから、皆さん積極的にからんでいきましょうね。というのが宴会部長(自称)からの指令です(笑)

 

Re: 懇親会について

No.380

田中さんの分の写真CDは無事に受け取りました。

野口先生や他の方の現像プリントもスキャンして1枚のCDにしたいと思うので、完成はもうしばらくお待ち下さい。

懇親会..僕も参加させてもらいます☆
単純計算で野口ゼミは1人あたり、3人のお相手ですね!!

Re: 懇親会について

野口実
No.381

兵藤先生から25日はどこに行けばよいのかという問い合わせのメールを頂いて恐縮しています。急いでお知らせ致しましたが、幹事(諸方の隊長)のみなさん、何卒よろしく。
 田中隊長へ。兵藤先生によると学習院の総勢は十余名とのことで、こちらで把握している23名とは異なるようですが(なんか『平家』諸本の相違のごとし)、懇親会の人数など大丈夫でしょうか。
 鈴木君へ 写真、また凄い先端技術で処理してくださるのですね。楽しみにしています。懇親会の1対3というのは、面白い。いろいろ考えてしまいますが、一騎当千の鎮西女武者も複数おられるようですから、ケースバイケースだと思います???。文学・史学の話で敗色濃厚になったときには鈴木君が秘密兵器を携えてカッコよく登場してください。

Re: 懇親会について

田中裕紀
No.385

先生の書き込みを見て、大慌てで門屋氏に連絡し、兵藤ゼミの幹事さんに確認して頂いたところ、兵藤ゼミは総勢24名ということでした。こちらは平田さんが参加できないということで、結局31名でこちらが一人当たり3人強の相手をすることで落ち着きました。それにしても、びっくりしました(^^;いくら『平家』を勉強しているからといって、幹事としてはそんなに数に相違があってはたまりません(;o;)

軍記と語り物大会

野口実
No.373

本日、千葉大で開催の軍記と語り物の大会に行きました。曽我物語が主題のシンポの内容は極めて刺激的で、大津雄一先生の報告などは長村君に聴いて欲しかったところです。大津先生には初めてお目にかかり、ご挨拶ができました。佐伯先生や鈴木先生にも久しぶりにお目にかかることが出来ました。山本君、平藤さんもお見えでしたよ。山本幸司先生のお話は、あたかも鎌倉幕府の問注所にいるかのように思えるものでした。すこし無理してでもこうした研究会には出るものですね。このところ、歴史学より国文学の研究会の方が楽しくて困ります。
 下総国千葉庄の本領にて。東国も暑いです。

Re: 軍記と語り物大会

長村祥知
No.374

大津雄一先生、さらに山本幸司先生までとは!!
さすが軍記と語り物大会ですね。
野口先生が国文学の研究会が楽しいと仰っていますが、私も大いに同感です。自分の研究テーマが中世前期の史学史・政治思想史・文化史といったところなので、国文学の成果を大いに吸収したいと考えております。
もちろん歴史の研究会も楽しいので、武士論からも目が離せませんが。今は別々の方向性ですが、いずれ両者を融合した研究がしたいです。まずは最初の一歩(卒論)からですね。全然書けていない・・・
今年は行く余裕がありませんでしたが、来年からは、大会に行きたいです。

もう一言。

野口実
No.375

源先生にもお目にかかりました。それから、このHP、予想以上に多くの方が御覧のようです。
武士論と言えば、『日本史研究』最新号に、高橋昌明『武士の成立 武士像の創出』にたいする元木先生の書評が載っています。必読です。

あぁぁぁぁ曽我物語・・・

No.376

曽我物語のシンポジウム・・・それに行きたかったのですよ!!
『曽我』も色々な切り口がありますから(まあ、何をとっても切り口は色々なのですが)、まだ手をつけるには至りませんがかなり興味があります。更に、そのシンポジウムで私を国文学に引きずり込んだ(笑)恩師(二本松氏)がコメンテーターとして参加されていたのもあって、行きたかったんですけどねえ・・・。また月曜日に感想を聞かせてください。

Re: 軍記と語り物大会

野口実
No.387

長村君には、歴史学ガチガチの研究会で、大いに荘園の構造などを勉強していただきたいのです。若者は本末を大切に・・・とは、小生の勝手な言いぐさです。大津先生の御研究からは学ぶべきもの多大です。同志社のみなさんの大先輩たる佐伯先生も凄い。
今回の大津先生の御報告には、ベンヤミンとかウェーバーら「西洋人」の名が続々と登場。「これが「国」文学かよ」、と腹の中で叫びつつ、なにやら1970年頃の学生時代のような興奮に襲われて、実に面白がって聴いておりました。権力論・暴力論という「武士論」にたいする新鮮な視角を提示していただいた感があります。
二本松先生が田中さんの恩師とは?御報告は東国の在地に密着したお話で、これも在地領主=武士の図式で勉強をはじめた小生には親近感を覚える内容でした。山本先生の御報告は、ゼミの史料購読に
参加した方たちに是非聴いて貰いたいものでした。在地における一族間抗争の背景にある家族関係の諸問題が想定できて、より具体的に当時の社会が理解できたことと思います。そのうち、受け売りのお話をしたいと思いますが。「こういうことが国文学の世界でも議論されているのなら、国文学専攻でも良かったかな」などと(もう一つ別の理由も含めて)一瞬反省したりしております。それで、鈴木彰先生にお願いして「軍記と語り物研究会」の会員にしてもらいました。
今日の田中さんの先輩の琵琶のお話。この手の話は私には実に理解しづらく、「やはり人には得手不得手がある」と自分で納得することにしました。
それにしても、本日、帰りの新幹線は大混みでした。

長村君、資料は後日コピーして差し上げましょう。

田中隊長、諸本の対照の結果、「兵藤本」の記述は史料価値が低かったと言うことになるのでしょうか?

山田ちさ子様、書き込みありがとうございました。当ゼミの管理人の永富さんが平安京探偵団とリンクをはりたいと希望しておられますので、交渉に応じていただけますよう。

二本松氏について

田中裕紀
No.388

二本松氏が立命館の助手だった頃、バイトでされていた(今もですが)予備校の教師(国語担当)の生徒が私でした。高校生相手に「清水寺参詣曼陀羅」なんかを持ってきて絵解きをしたり(しかも結構専門的な内容で)、その後中世に於いて清水参詣がどういう意味合いを持つかを講義があったりとか、中世の参道である松原通から清水寺を参詣する実地踏査をしたり、その帰りに建礼門院が落飾したとされる長楽寺に連れて行ってもらったり(今思うと、あの時から建礼門院とは深い縁があったのかもしれません)・・・あとは、古典の授業のおまけとして、『平家』の諸本関係も教えてもらったりしました。加美先生のゼミに入るように言ったのも、大学院入学と同時に伝承文学研究会に紹介してもらったのも二本松氏でした。私が国文学専攻で軍記を勉強しようと思ったのは二本松氏の影響がかなり強いです・・・というわけで「恩師」と呼ばせて頂いております。同じく二本松氏に予備校で国語を習った姉は全く影響を受けなかったというのに。同じ環境で育ったのに、兄弟というのは不思議なものです。
 それにしても二本松氏といい、野口先生といい、加美先生といい・・・本当に、自分の好きなことに関しては「出会い運」が良いようです(^v^)
 さて「兵藤本」ですが、もしかしたら兵藤先生が聞き間違えられたのかなーーーーなどと思っております。・・・こうやって『平家』にも諸本が出来ていったのかと思うと嘆息が出ますが(_ _;