どなたか、ご存知ないでしょうか。

No.4144

始めまして、私は下野の国の住人です。皆さんは学生さんですか、私は50歳の中年親父です。革嶋家文書の中に「現在の京都市西京区川島の地に鎌倉時代初期関東から移住してきた・・・・」とありまして、この人物のことを調べています。私の調べたところでは、佐竹氏初代の昌義の五男義季ではないかと思われます。その後に佐竹白石の一族の義安が葦間家に入ったと資料にはありますが。革嶋と葦間の関連がわかりません。
革嶋家文書の中には重要な情報が載っているのでしょうが、遠方なので調査に行くことができません。関連したことを調査しておられる方がいらっしゃいましたら、教えていただきたいと思いまして、投稿しました。よろしくお願いします。

「サクラサク」

有村芳恵
No.4130

昨日発表があったのですが、このたび京都大学大学院人間・環境学研究科に合格致しました。先生方や日本史研究室のみんな、サークルの親友や先輩・後輩等多くの人に祝福されて、正直なところ、ほっとしました。

ただ一つ残念だったのは、親には祝福されなかった事です。合格した事を電話で親に伝えたのですが、母親は暗い声で一言「ああそう」とだけ言いました。両親や親戚の反対を押しきって、「一回きり」という暗黙の条件つきで受験しましたので、当然と言えば当然の反応なのですが、それでも少しショックでした。

親や親戚から理解を得られない分、私は周囲の人間に支えられたおかげで今まで頑張って来れたのだと思います。1度だけ受験をあきらめかけた時には、後輩に「先輩は絶対大丈夫です。どんなに苦しくても夢を諦めないで下さい。」と励まされ、何とか親や親戚を説得して受験にこぎつける事が出来ました。昨日は、先輩に「親の分まで、俺達が祝ってやるよ。」と励ましていただきました。今日の晩は打ち上げです。

本当に大変なのはこれからです。京都で実際に生活していけるようにアルバイト等色々と
やらなければならないこともありますし、勿論卒論にも集中しなければならない。親や親戚ともまだまだ話し合いが必要です。それでも、「扉」が開いた分だけ、精神的負担はずいぶん減りました。今まで何とかやって来れましたから、頑張れるはずです。

野口先生、ゼミの皆様、そして佐伯先輩、今まで応援していただき、本当にありがとうございました。京都からの皆様の後押しが、私にとってどんなに力になったことでしょう。来年の春、皆様にお会いすることを楽しみに、あと半年鹿大での生活を精一杯過ごしていきたいと思います。

がんばれ有村さん。

No.4131

 受験番号を知らないのに、昨日は17時を過ぎたら合格者がインターネット上で発表されると聞いていたので、何度もアクセスしたりしていました。
 でも、結果はどうあれ、御連絡いただけるものとお待ちしていたのですが、そうですか、やはり合格。ふだんの有村さんを知っていれば、当然のように思うのですが、しかし、大変な快挙だと思います。本当におめでとうございます。
 日本中世史を勉強するのに最高の環境が用意されたのですから、もはや前進あるのみだと思います。鹿児島大学日本史研究室の先生方をはじめ、院生・学生のみなさんもさぞ、お喜びのことと思います。私も日本史の研究者の端くれとして、すぐれた若い人がこの道に進んでくれるのは、とてもうれしい。
 京都での生活については、衣食住・・・etc、それぞれ若者なりの苦労に苦労を重ねた先輩・同輩・さらに後輩たちが、当ゼミには沢山ひかえております。かれらの指南を得れば心配御無用だと思います。
 なにしろ天下の京都大学大学院です。有村さんはエライ。予備校の講師の発言みたいですが。昔、私が高校生だった時も、高校教師だった時も、京都大学というのは雲の上に聳え立つような存在でしたから。
 御自身で仰っているように、のこる半年間の鹿児島大学の生活を実りあるものにして頂きたいと思います。素晴らしい卒論を仕上げて、当ゼミで報告してくれることを楽しみにしています。機関誌『紫苑』への掲載もお願いしたいところです。
 なお、鹿児島の女子大生の皆さんへのエールは、拙著『武家の棟梁の条件』(中公新書)P172に述べたとおりです。
 しつこいようですが、本当におめでとうございました。

きたっ!

No.4135

 …と、掲示板を開けたケータイの画面を見て小さく叫びました。

 有村さん、おめでとうございます。
 ご家族も、きっと有村さんの進む道にご理解いただけるものと、僕らも信じております。

 今日は発掘現場を見学した後、同じく現説にお出でだった佐伯さん・山岡さんと一緒に宇治市街を散歩しながら、「有村さんはどうなったろうね」と案じておりました。例によって、いろいろ食べて回った散歩だったのですが、そういう集まりに来年は有村さんもどうぞお出でください。

100%の祝福。

No.4136

有村さん、おめでとうございます!
いやー、よかったよかった。
絶対受かると思ってましたけどね、それだけに、なかなか結果報告がないと逆にドキドキしてしまいました。
私も、有村さんの受験番号を知らないのに、大学に貼り出されていた掲示を見に行った口です(笑)。

もちろん進学してからが当然いろいろ大変なわけですが、それはそれ、
今は100%の祝福で、有村さんのことを歓迎させてもらいます♪
Welcome to our world!
新しい街、新しい環境での活躍を期待しています。

それにしても、ほんと鹿児島大のみなさんは温かいですね~。素敵。
院試から帰られたときのエピソードを読んだ時にもそう思いましたが、
仲間というものはかくありたいものです。

あ、名実ともに「先輩」になったタイミングでいうのも変な話ですが、
できたら「先輩」よりは「さん」付けで呼んでもらえると個人的には落ち着きます。
先輩として立ててもらえるのはとってもうれしいんですけど、
なーんかとってもくすぐったくって…(笑)。

ではでは、またのご上洛お待ちしています。

心より「おめでとう!」

No.4138

有村さん、おめでとうございます!
じつは、掲示板に記事がアップされないかと、昨日何度も確認しておりました。
それにしても、すごいことですね。いや、よくやりました!おめでとう!
三年前に私が府立大を受験した際も、卒論製作をともにした研究室の友人や先生方に支えていただきましたが、鹿児島大学日本史研究室のあたたかさは変わりないですね☆

鹿児島(南九州地方)の女性にとり、勉強するのはほんとうに大変なことです。
「女が四年制大学を出るなんて!」と思われる方も、まだ多くいらっしゃいます。
ましてや遠くに出す・院に進学させるなんて、本人が望んでも適わないことが多いのです。
私も院進学では「文系は職がない」「おまえはいつ嫁に行くんだ」と歓迎されず、家探しから職探しまで一人でやることになりました。で、職も京都で決めてしまい、なおのこと怒られたのですが…(笑)

有村さんは一人っ子でしたよね(間違っていたらごめんなさい)?
ご両親は「手放したらもう戻ってこないのじゃないか」と寂しく感じていらっしゃるのでしょう。
きちんと向き合えば、きっと勉強したい思いをわかってくださると思いますよ。
その際は、ご両親に感謝する気持ちを忘れないでくださいね☆



Re: 「サクラサク」

長村祥知
No.4140

有村さん、おめでとうございます。

環境が変わると大変ですが、得るものはきっとそれ以上に大きいはずです。
残る卒業論文も、がんばってください。
来年お会いできるのを楽しみにしております。

エールを送ります!!

山田邦和(花園大学・考古学)
No.4141

>有村芳恵様
院合格、おめでとうございます。

私の場合、学問の道に進むことを、最後の最後まで父親に反対されました。
「考古学なんかやっていては食っていけない!」というのです。
まず、大学進学の時に、一悶着ありました。
父親は経済学部か商学部という「実学」のところに行けという。私は文学部に行きたいという。
泣くような気持ちで何度も頼んだ結果、なんとか、学部だけは、ということで許してもらいました。
次は大学卒業の時。私は院に進みたいという。親は絶対ダメだという。
この時は、父の体調が悪化していたこともあり、私は進学を断念し、家の商売に携わることになりました。
2年後、入退院を繰り返していた父が亡くなりました。
葬儀を終えて後、残された母とじっくりと話し合いました。
自分なりに悪戦苦闘したが、どうやってみても自分は商売には向いていないこと。
学問への想いを断ち切ることはどうしてもできないこと。
自分の進む道は、これしか残されていないこと。
そこでやっと、私は学問の途に戻ることができたのです。
だから、私の履歴は、大学卒業後の2年間が空白になっています。

私は、試行錯誤・暗中模索を繰り返しながらも、なんとかここまでやってくることができました。
いろんな方々に支えられてきたことは事実ですが、根底にあるのは、ここまでの反対を押し切ったのだから、どうしても挫折するわけにはいかない、しがみつくしかない、という気持ちだったと思います。
その分、「強く」なれたのでは、と思っています。

上に書いたような経験をしてきた私は、スムースに院に行き、そのまま学問を続けることができた方々に「嫉妬」のような感情を抱いています。
逆に、有村さんのような話を聞くと、つい身につまされてしまい、エールを送りたくなります。
がんばれ!!!

おめでとうございます!

平田樹理
No.4142

有村さん、おめでとうございます!

私も九州出身(福岡)です。ひとり九州から上京したときは不安でしたが、京都で体感しながら歴史学を学ぶことはとても意義のあることだと今は思います。
それと、意外に関西には九州人が多かったりしますよ(笑)。
先日はご挨拶のみで失礼してしまいましたが、また来年お会いできることを楽しみにしております。

合格おめでとうございます。

山岡 瞳
No.4143

 ★☆有村さん合格おめでとうございます☆★
私信でも申し上げましたが、またお目にかかれることを楽しみにしております。来年は研究会にもお越しください。  

>佐伯さん・岩田さん
 先日はお疲れ様でした。一日宇治を堪能することができました。翌日筋肉痛になったのは私だけでしょうか。

おめでとうございます☆

No.4149

出遅れましたが・・・
有村さん、合格おめでとうございます。
環境が変化は大変な事もあると思いますが、楽しみも多い事と思います。
その「楽しみ」の一つとして、女子コン(注1)にも是非参加して下さいませ♪

注1:女子コン(じょしこん)。
   野口ゼミに参加する女子だけで美味しい物を食べて、おしゃべりを楽しむ会合のこと。「女子」の定義は、自己の証言による。

宇治市街遺跡で摂関家別邸遺構検出。

No.4127

 宇治市宇治里尻(JR宇治駅近く)の宇治市街遺跡の発掘調査地(3千平方㍍)内の南西部分(3百平方㍍)で、平安後期の貴族邸宅の遺構(柱穴・礎石など)がみつかり、大型縦板組井戸や大量の土師器皿・平等院と同じ唐草文様の軒瓦が出土したとのことです。
 宇治市歴史資料館のコメントによると、藤原頼通の別業宇治殿や池殿が候補にあげられるとのこと。また、ここは宇治に於ける別業邸宅群の想定範囲より約3百㍍北に位置するために、現在わかっている範囲でも東西2㌔、南北7百㍍以上ということになり、平泉に匹敵する規模に近づいているということです。
 私は、これまで摂関院政期の宇治が平安貴族の雅(みやび)な別荘地といったイメージによって、都市として過小評価され過ぎてきた(規模・機能とも)と考えていますので、この成果には肯けるものがあります。
 現地説明会は23日午前10時から15時30分まで。

 ☆ 来年度、共同研究に参加されるメンバーは、ぜひ見学しておいて下さい。
 なお、上の情報は本日付の京都新聞および朝日新聞(南京都版)によるものです。ちなみに、朝日新聞にはヘルメット姿の大原さんの写真が掲載されています。

Re: 宇治市街遺跡で摂関家別邸遺構検出。

No.4128

さきほど宇治市歴史資料館へ電話をしてみました。
場所は、ユニチカの敷地一部(売却地)だそうで、一番宇治川に近いあたりのようです。
先日、JR宇治駅の南東で、院政期の道路が出ましたが、今回は駅の北側の一帯です。
ユニチカの敷地あたりには、何もないかも、という話もありましたが、やはりあった。
すごいですね。宇治は、院政期最大の権門都市かもしれません。
明日、私も現地説明会に行く予定です。
なお明日は、JR宇治駅から、案内板が出ているそうです。

院政期最大の権門都市

No.4129

 美川先生、情報のフォローをありがとうございました。
 まだ私は都市論研究の「かけ出し」ですが、美川先生の御指摘のとおり、宇治は白河・鳥羽などよりも地に足の着いた、たいそうな権門都市であったと思っています。
 中世前期の宇治については文献史料も豊富ですから、面白い研究が出来るものと楽しみにしています。
 当ゼミの共同研究にたいする美川先生の御指導、よろしくお願い申し上げる次第です。

 >ゼミメンバー諸姉兄  ゼミで使用するための図書や消耗品など、購入希望のものがありましたら、遠慮なく御連絡下さい。月末までにお願いします。

 >来年度共同研究のメンバーの諸姉兄  個別のテーマ、研究計画・方法などの御連絡、お忘れなきようにお願いいたします。26日締切です。

 >山内さん  後期の予定について、他の大学の方たちはすでに明らかになっているとのことですから、例会などの日程調整、よろしくお願いいたします。

Re: 院政期最大の権門都市

No.4132

行ってきましたよ。なんて広い発掘現場でしょう。
過去の宇治市街遺跡では最大規模で、南北60m、東西50m。

中央東西方向に幅17m、深さ70cmの流路。
自然の河川を改修して、園池とした平安後期の施設が目につきます。
そして南側に平安後期の塀跡柱穴、あるいは建物跡が。大きな井戸もあります。
そして、宴会で使用され廃棄された大量の土器。
北には巨椋池が広がっており、それに面した園池をともなった大規模な邸宅です。
JR北側のこのあたりは湿地で、たいした遺跡がないと思われていたのですが、
予想外です。こんな立派な貴族邸宅跡が遺されていたとは。

ここを含めると、宇治市街遺跡は南北700m以上、東西2km以上におよびます。
鳥羽や白河が1.5km×1kmぐらいですから、それを上回る規模です。
鎌倉が南北2km 東西1kmぐらいで、それに近い規模です。
これからは、宇治と鎌倉、平泉などとを比較する視角が必要となるでしょう。

これからがおもしろい宇治でした。

やはり宇治は最大の「権門都市」でしょう。

No.4133

 遺構の検出地点は邸宅の付属施設のあったところのようで、中心部は東西南のいずれかに存在したもののようです。何れにしても、泉殿跡に比定されている矢落遺跡のあたりまで、巨椋池に面して摂関家関係の邸宅がならび、そこには船着きも完備されていたようです。歴史資料館の方が、京都から宇治に来るには、流れの激しい宇治川本流からよりも巨椋池が利用されたのではないかと仰っておられましたが、なるほどと思いました。今回検出された遺構の北を仕切る両岸に洲浜のつくられた流路は巨椋池と結ばれていたとのことです。
 こうしてみると、複合権門として栄華を誇った忠実期の宇治は、さぞかしの大都会であったように思います。摂関家に祗候した軍事貴族の宅もこの辺りにあったのかもしれません。
  
 本日、来年度の共同研究のメンバー数名とお目にかかりましたが、そのうちの一人、岩田君から研究テーマについて次のような回答を頂きました(要約)。 
 「宇治川北岸地域(木幡・黄檗・三室戸付近)と藤原氏との関係、及びその展開」がそのテーマです。藤原氏の葬地、祖先の祀られる地として、この地域を考える。そのために、古文書・古記録類から、木幡とその周辺地域に関する記述を蒐集し、その土地利用の在り方や、祖先祭祀の在り方に分析を加えたいということです。
 共同研究の地域的対象としては、宇治から木幡、さらには伏見までも視野に入れてもよいと考えています。
 岩田君のテーマ、了解いたしました。ほかの皆さんも早々にお知らせ下さるようにお願いいたします。
 なお、本日、現地説明会の際に、いつもの大原さん・京女の渡辺さんをはじめ、龍大4回生の大坪君、京女2回生の宮林さんなど、考古学に取り組んでおられる多くの若い方々の御挨拶を頂きました。本当に頼もしい限りです。

宇治市民ではありますが

No.4134

 恥ずかしながら今回初めて、宇治市内の発掘調査の現地説明会に伺いました。見たのは見たのですが、それが何を示すのかもっといろいろ勉強しないといけないと思ったのが、一番の収穫でした。すいません。

>野口先生 テーマのご紹介ありがとうございます。ご連絡しました通り、宇治には住んでいるだけであまりよく知らないことばかりですし、まずは各種事例を蒐集して、その上でいくつか気付くことがあればと思います。木幡は近所一帯ですし。
 研究テーマについては、また他のみなさんとも相談させて下さい。みなさんよろしくお願いします。

堪能しました。

No.4137

ばっちし朝の10時に、ゼミメンバーでは一番乗りを果たしました(笑)。
発掘調査の現地見学は久しぶりだったのですが、実に良い物を見せていただくことができて、本当に幸せでした。
現在発掘されている場所・出土したものだけではなくて、
今自分の足元には、いったい何が埋まっているんだろう?と思わせてくれる遺跡でした。
(現場の南側に、さらに邸宅跡がきっと広がっているはずですよね…)
邸宅の主要建築部分(寝殿等)がどのようなものだったのか、街路区画はこの地域まで整備されていたのか、などなど、
今後の更なる進展が楽しみです。

発掘現場に行く時は、たいていゼミの行事や授業の一環として行っていたので、
現地説明会に参加したのは初めてだったのですが、
現場の方々はみなさん本当に懇切丁寧に説明して下さいました。ありがとうございました。
そして、先生方にも詳しく説明していただけて、イメージを膨らませることができました。ありがとうございました。
来年度の共同研究に向けて、これからもいろいろな機会に参加していきたいと思います。

宇治研究の基本文献。

No.4139

 この機会に摂関時代~鎌倉時代の宇治を考える際に必備の参考文献を紹介します。
 ○『宇治市史』1「古代の歴史と景観」(1973年)、同2「中世の歴史と景観」(1974年)
  編集責任者:林屋辰三郎・藤岡謙二郎をはじめ、執筆者も一流の研究者をそろえ、自治体史としてはきわめて優れた内容であるが、残念なことにこの時代を対象にした資(史)料編は刊行されなかった。
 ○『宇治市史年表』編集責任者:林屋辰三郎(1983年)
  『宇治市史』とは別に単独の利用価値をもつものとして刊行された、史料台帳の機能をもつ本。まさしく必備!
 ○西山恵子(序文:村井康彦)『平安時代の宇治 王朝文化の語り部たち』(宇治市歴史資料館、1990年)
  著者は京女史学科出身。
 ○礒永和貴ほか『宇治をめぐる人びと』(同、1995年)
 ○杉本宏ほか『発掘ものがたり宇治』(同、1996年)
  上記3冊は宇治文庫というシリーズに含まれる。
 ○『佛教藝術』279特集「宇治の考古学・藤原氏別業の世界」(毎日新聞社、2005年)
 最新の考古学的成果はこれに網羅されている。文献史学の成果をリンクさせる必要を痛切に感じる。
 なお、宇治市歴史資料館では発掘調査の報告書類なども販売しています。当ゼミとしても相当数、購入の要ありです。

 ☆ 同志社女子大学の朧谷寿先生から、御共著『見果てぬ夢-平安京を生きた巨人たち』(ウェッジ)を御恵送いただきました。あつくお礼申し上げます。

お知らせ

No.4124

宗文研のHPを稼働させているサーバを、今日リプレース&バージョンアップしました。
安定稼働するまでに数日かかると思いますが、何か不具合等がありましたらすぐにご連絡下さい。

京都女子大学、後期授業開始。

No.4125

>鈴木君 「リプレース&バージョンアップ」???ですが、何卒よろしくお願い申し上げます。

>山内さん  後期の史料講読会や例会の日程調整をよろしく。例会は講師依頼の都合もありますので。それから、当HPのトップページの「今月の予定」の方も更新してください。

>山田ちさ子さん  お誕生日おめでとうございます。私の高校時代からの親友の息子さんと同じ日です。

>岩田君 スレとレス、座布団一枚でしょうか。

>永富さん 自分の感動を伝えるのも教師にとっての大切な仕事であり、よろこびだと思います。 

 ☆ 後期授業開始で、大学構内の人口密度は一挙に高くなりました。大学コンソーシアム京都と同志社の講義もいよいよ来週から。どんな学生さんに出会えるか楽しみにしています。
 
 ☆ 今夏はゼミ旅行の他にも、何かとイベントが多く、ゆっくり休んだ記憶がありませんが、論文について言えば、執筆2本(うち1本は未提出)、修正1本、校正1本しかなく、しかも不本意な内容ばかりで、いよいよ耄碌を自覚せざるを得ません。これらの論文は年末から来年春までの間に相次いで刊行される予定ですので、よろしく御批判下さい。

 ☆ ところで共同研究の個人テーマですが、このようなテーマが提出されています。
  テーマ:鎌倉初期(1180年~1220年ごろ)宇治史料集の作成
  方法:当該期の古記録・古文書から関係史料をさがす。
 言うまでもなく、長村君からですが、これは絶対に必要なテーマだと思います。他の
方々も、早々にお知らせいただきたくお願い申し上げます。

 それにしても今日の京都は蒸し暑い。各地いかがでしょうか?

国際会館にて

No.4121

 今日はバドミントン部の練習試合のため、日曜日なのに朝早くから同志社高校へ向かっていました。
 すると、地下鉄国際会館駅前のバスプールに、でっかい観光バスがとまっていて、周りには人だかりが出来ていました。「うーん、うっとおしいなぁ」と思いながら通り過ぎようとしたところ、バスの前面表示があり「京都精華大学 堤ゼミ」と書かれていました。そーっと通り過ぎると、末松さんを発見しました☆
 大学はまだまだ夏休みなんですね...。学校は中間テストまで折り返し地点を過ぎてしまいました(ヤバイヤバイ)

 あまり飛行機にのる機会がなかったので、YS11は乗ったことはないのですが、法改正で安全装置の設置が義務づけられ、それを搭載することが出来ないYS11は引退となるそうです。戦後準国産で作られた最後の旅客機は、きっちり作りすぎて長持ちしすぎだったようです。寿命半分コスト半分とすれば、日本の旅客機製造の業界も変わったかもという記事も見た記憶があります。父は「はばたく飛行機やね」と言っていますが...

 偶然の遭遇がうれしかったので、書き込みしてしまいました。勉強会ご苦労様でした☆
 

吾妻鏡のご案内

No.4122

 岩田です。YS-11(「はばたく飛行機やね」は至言だと思います)でもなんでもなく、スレ違いかもしれませんが、なんだかレスが少なくて寂しいので、吾妻鏡のご案内です。

 後期からまた『吾妻鏡』を読もうと思います。
 曜日は、前期と同じく月曜日の予定です。時間も、特に不都合無ければ15:30~で行います。

 範囲ですが、ちょうど建保元年の和田合戦に差し掛かるあたりですので、順を追って読んでいくのが良いと思います。そこで以下の通り考えてみました。

建保元年三月六日、八日、九日、十日、十六日、十九日、廿一日、廿三日、廿五日、廿八日、三十日

 『国史大系』でいうと、P.676~P.678のあたりです。
 ちょっと多いかも知れませんが、適宜次回以降に持ち越すなどして読んでみましょう。
 また、ご意見などは随時お知らせください。

すれ違いのレス。

No.4126

 鈴木教諭、御苦労様です。私も昔、バスケット部の練習のために日曜日の早朝、千葉から柏まで出掛けたことがあります。博士論文執筆の年でした。
 
 精華大の堤先生のゼミは貸し切りバスでゼミ旅行でしょうか?
 
 ○『吾妻鏡』講読会の参考文献
  岡田清一「執権制の確立と建保合戦」(安田元久先生退任記念論集刊行委員会編『中世日本の諸相』下巻、吉川弘文館、1989年)
 
 この史料講読会、立花さんの卒論に役立ちそうです。鹿児島の黎明館でお目にかかった四回生の小野さんも卒論のテーマが女院・建礼門院とのことなので参加をお誘いしておきました。大内さんをはじめ、ほかの皆さんもどうぞ。
 また、例会で卒論の発表をお願いする予定です。

お礼、遅くなりました

No.4118

>勉強会ご参加のみなさん
 9/10~9/14までの勉強会へのご参加、ありがとうございます。予習もきつかったと思いますが、それぞれの担当を全うして下さったことに感謝です。今回扱った保元新制も文覚起請文も、自分の言い出しっぺで、しかも自分が一番楽しんでしまったように思いますが。また機会を見つけていろんな史料を読みましょう。

>有村さん
 鹿児島-京都の長旅に院試にと、おつかれさまでした。試験の緊張も解けぬなか、〈まんぞう〉までお出でいただいてありがとうございます。
 宴を手配してくれた山岡さんも、ご多忙のなか東京でのご発表に有村さんのご案内の佐伯さんもありがとうございます。

>吾妻鏡について
 後期の日程は現在調整中ですが、当初予定していた9/26は岩田も含めてみなさんの都合が悪そうですので、一回目は10/3になりそうです。

中原俊章『中世王権と支配構造』刊行。

No.4119

 院生の頃から、抜刷や書信を通して、学問に立ち向かう上での励ましと刺激を与え続けていただいている中原俊章先生から新刊の論文集『中世王権と支配構造』(吉川弘文館)を御恵送いただきました。関西学院大学に提出された博士論文をベースに編集されたもので、「中世の采女について」という新稿を含みます。
 このところ停滞気味の私としては、またしても中原先生に背中を押していただいた感があります。中原先生にあつく御礼申しあげます。

 また、山田邦和先生から『古代文化』掲載の「福原遷都の混迷と挫折」抜刷を御恵送いただきました。御丁寧なお心遣い、あつく御礼申しあげます。

 >有村さん  今時そんなに先輩思いの学生さんがおられる鹿児島大学は本当に素晴らしいと思います。鹿児島の方たちには、今こそ「維新」に立ち上がってほしいものです。
 近々御上洛の折、お時間があれば、今度は京都女子大学の方にもお越し下さい。

 >岩田君・山本君  後期の『吾妻鏡』、よろしくお願いいたします。

 >薗田さん  YS11、「これが飛行機だ!」という感じです。国産です。   

京都文化博物館「日本三景展」始まる

伊 藤 太
No.4117

 山 城郷 土資料 館の伊 藤です。
 中世史関連の展覧会のお知らせです。

 古くから歌枕、名所として親しまれてきた日本三景(天橋立・厳島・松島)を描いた中世から近現代に至る絵画を一堂に集めた初めての展覧会「日本三景展」が9月13日から京都文化博物館で開催されています(10月16日まで。なお、10/2までの前期と10/4からの後期で大幅な展示品の入れ替えが行われます)。
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special.html
 出品点数は3会場あわせて135、天橋立図だけで43点(うち複製1点)を数え、なかでも中世の天橋立(及び丹後国府、守護所府中)を描いた作品のすべて(6点、うち雪舟『天橋立図』のみ複製)が展示されます。
 また、三景を描いた絵画の他、国宝「平家納経」や国宝「海部氏系図」(後期)など関連する社寺の資料も出品。
 私は「雪舟『天橋立図』は(一色氏の守護所丹後府中を描いた)都市図である」という主張を繰り返してきましたが、今回展示を見て、天橋立、厳島、松島とも「霊場」としての共通性をもち、あるいは王権や国府との関係において、あるいは「境内都市」としての発展において、王権論や都市論の立場からも論じられてしかるべき地であると実感しているところです。
(9月23日にはシンポジウム「日本三景の過去・現在・未来」があります。)
 とにかく、史上初の「日本三景展」です。
 屏風絵など大画面の作品が多いですから、その情報量たるや甚大。洛中洛外図の展覧会と同じく図録だけでは高密度な絵の情報を読み切れません。ぜひ会場で実物をご覧になりながら「三景とは何か?」「名所とは何か?」と思いをはせていただければ幸いです。
(なお、「日本三景展」は10/25~11/27、東北歴史博物館に巡回します。)

幸せ者。

有村芳恵
No.4115

つい先ほど、鹿大の演習室に無事帰還致しました。まだ学校に残っていらっしゃった金井先生に御報告を済ませ、その後で日本史研究室のある後輩と会ったのですが、何か様子がおかしいのです。京都での出来事を日を追って話していたら、院試の一次試験が受かったことをまだ後輩たちの誰にも知らせていなかった事に気付きました。後輩は、私の院試の結果が心配のあまり、ここ4日ほど睡眠も十分にとれず、ほとんど食事が喉を通らなかったそうで、若干やつれていました。そんなに後輩が心配しているとは思いもよらず、私は、院試は別として結構呑気に京都を楽しんでいたのと、一方で院試後の忙しさにかまけていたのが災いして連絡をしていなかったので、後輩に余計な心配をかけてしまった事を猛反省しました。と同時に、こんなに後輩に心配してもらって、私は幸せ者だなあ、としんみりしてしまいました。心配をかけたお詫びに、今日は後輩の言う事を何でも聞こうと思います。心配かけて、ごめんなさい。

野口先生
14日は私の歓迎会を開催していただきありがとうございました。また、大切な御本と「紫苑」を鹿大の日本史研究室に寄贈していただきました事にあつく御礼申し上げます。また後ほど、乕尾先生に御報告いたします。

歓迎会にお集まりいただいた皆様
14日は皆様のおかげで楽しい時間を過ごす事が出来ました。お忙しい中で集まってくださったことに本当に感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。

来年、野口ゼミの皆様の御元に参上が叶いますように、後は朗報を願うのみです。

お疲れさまでした&お会いしたかったです!

No.4116

有村さん、院試お疲れさまでした。
親身になって心配してくれる後輩がいらっしゃるようで、羨ましい限りです。
14日の歓迎会も、行けずに申し訳有りませんでした。
また来年、きっとお会い出来ると思って、楽しみにしています☆

おひさしぶりです

No.4123

遅ればせながらですが、院試おつかれさまでした。
鹿児島へ行った際にはお世話になったにもかかわらず歓迎会に行けず申し訳ありませんでした。
鹿児島での思いではばっちり授業の「ネタ」となって大活躍しております。
そのたびに鹿児島大の皆さんのことを思い出します。皆様お変わりありませんでしょうか?(もちろんラーメンのことも思い出しては食べたい衝動にかられています・・・笑)

またお会いできる日を楽しみにしています

「一所傍輩のよしみ」を作りましょう。

No.4109

 先般の中世都市研究会京都大会の懇親会でお目にかかることの出来た桃崎有一郎さん(慶大院DC)から御高論「中世里内裏の空間構造と「陣」-「陣」の多義性と「陣中」の範囲-」(『日本歴史』686)、「中世公家社会における路頭礼秩序について-成立・沿革・所作-」(『史学雑誌』114-7)を御恵送いただきました。まさに脂ののりきった矢継ぎ早の論文の発表、羨ましい限り。あつく御礼申しあげます。
 なお、同封のお手紙に「関東と関西では-特に王権論・武士論などにおいて学説・共通認識の大きな懸隔があることを感じざるを得ませんでした」とあったのはまさにその通りです(私信の公開、お許し下さい)。
 このたび、佐伯君が歴研例会で報告されたように、東西の院生クラスの交流は是非とも積極的に進められるべきだと思います。中世前期の東西の武士同士の方が余程交流があったのではないかと、私には思えるのです。 

 ↓で話題沸騰。大河ドラマなどより百倍も知的興奮の味わえる山田邦和先生の「福原遷都の混迷と挫折」の要旨が、http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/に掲載されています。御覧下さい。

 * 誰も書き込まないので、お伝えいたしますが、本日、勉強会の最中に「サン様」から岩田君の携帯にメールが届き、明日御上洛の由です。カメラを用意して、お待ちしましょう。
 明日からはいよいよ「文覚起請文」、楽しみです。
 ちなみに、私の論文はいっこうに進みません。情けない限りです。

サワヤカマンの略。らしい

No.4110

 本日は勉強会の最終日。文覚起請文の残りの部分と、研究史的位置付けを議論する予定です。なかなか取っつきにくい史料でしたが、みなさん意欲的に取り組んでいただきありがとうございます。
 また昨日は、当ゼミの微苦笑の貴公子・サンさまにもご来場いただき、近況をお聞かせいただくとともに、またもやお菓子をいただきました。ごちそうさまです。

喚ばれて飛び出て…

No.4111

みなさんこんにちは。ご無沙汰しております。「サンさま」こと野口です。

先日は突然の来訪にもかかわらず温かく迎えていただきありがとうございました。やはり京都はいいものですね。久しぶりにゼミの雰囲気も体感でき非常に懐かしく思いました。
最近どうにか家の方も落ち着きようやく自由に活動できるようになりました。御心配いただきました皆様どうもありがとうございました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。
また前期のように頻繁に上京する事になると思いますが、新しいメンバーの方も含めてどうぞ今後ともよろしくお願いします

因みにどうでもいい事ですが次の上京は今週日曜日の予定です。目的は週末に各地で行われる仲秋の名月に因んだ観月祭です。まだどこに行くかは未定ですが毎年楽しみにしていたので間に合ってよかったです。
京都には季節にあわせて毎日のように他では見られないような素晴らしい行事が行われています。みなさんも(特に下宿中の学生さんは)これを機会に京都にいる幸福を体感してみて下さい。
愛知にいながら常に心が京都に向かう野口がお伝えしました。

有村さん歓迎会=「一所傍輩」の成立。

No.4112

 昨日は勉強会の最終日。神護寺の虫払いのときに何度も拝見していたのですが、文覚起請文がこんなに面白い史料だとは気がつきませんでした。岩田君の御指導と、熱心に発表の準備をして参加してくれたメンバーに感謝します。
 終了後は京阪七条の「まんぞう」で有村さんの歓迎会。院試が終わったばかりでお疲れの所を、お呼び立てした感があって申し訳ありませんでしたが、同郷の薗田さんもお出で下さって楽しい宴となりました。ただ、学期の授業がはじまっているために、学校の先生をされているメンバーが参加できなかったのが些か残念でした。
 いずれにしても、有村さんからの朗報を期待するところです。
 幹事の山岡さん御苦労様でした。

 >野口君 「京都史蹟案内」のプロとして、貴兄の在京は貴重です。ぜひ、「在地支配」と「在京活動」を両立させてください。

 ☆ 昨日、門屋君の師匠である兵藤裕己先生より、講談社学術文庫として再刊行された『太平記<よみ>の可能性』を御恵送いただきました。あつく御礼申しあげます。
 まだお読みでないメンバーは、これは必読。

お疲れ様でした。

平田樹理
No.4113

 勉強会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
とくに、準備から指導まで御尽力くださった岩田師範に御礼を申し上げたいと思います。
大変勉強になりました。本当にありがとうございました。
 終了後の飲み会では御挨拶しかできませんでしたが、初めて有村さんにお目にかかることができ、大変嬉しく思いました。またの機会にお会いできることを楽しみにしております。

無題

No.4114

昨日は楽しい宴に参加させて頂き、ありがとうございました。
仕事を終えて猛ダッシュで駆けつけましたが、疲れも飛ぶくらい楽しいひとときでした。
また、しばらくお会いしていなかったので、みなさんお元気のご様子に安心いたしました。
有給がとれる身分になったらゼミ旅行にも同行いたしたく存じますので、その際はどうぞよろしくお願いいたします。

>有村さん 
忙しいところ、おつかれさまでした。
研究室の写真など見せて頂き、とても懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
なかなか研究室にも伺えず申し訳ありませんが、先生方にもどうぞよろしくお伝え下さい。

ところで昨日は思いの外YS11の話題で盛り上がりましたね。
引退間近とのことなので、乗れるうちにスリルを体感するぞ~と心に誓いました。

観月祭のお知らせ

No.4120

先日少しお伝えした観月祭について数件お問い合わせがありましたので、勝手ながらこちらに詳しく載せさせていただきます。

大覚寺9月16日~18日
右京区嵯峨にある大覚寺境内の大沢池は日本三観月池の一つとして知られ、仲秋の時期に池に竜頭鷁首の舟を浮かべ名月を鑑賞する会が行われています。舟席は茶付き1200円。船上から眺める月はまた格別の趣があります。もちろん舟に乗らずに池の周りを歩きながら見るだけでも充分楽しめます。またこの期間大覚寺では本堂の夜間特別拝観も実施しています。昼間とは異なるお寺の雰囲気を味わうのもまた乙です。その他境内では詩歌管弦の演奏会も行われ優雅な祭を一層盛り上げてくれます。
明日は僕も日没後から大覚寺辺りをぶらぶらする予定なので、もしご入り用なら時間さえあえばガイドする事もできます。興味のある方は一度ご連絡下さい

次に下鴨神社。こちらは18日だけですが、御手洗川の上に建てられた橋殿で行われる「名月管弦祭」を鑑賞する事が出来ます。雅楽舞楽を中心としたこの祭は平安時代より続いているそうで一般に公開されたのは昭和38年からだそうです。また神社の南、糺の森から見上げる月もまた格別かと。

その他では上賀茂神社、平野神社、松尾大社などでも同様の観月祭が行われています。それぞれに趣があり中には月見団子や月見酒などの接待を受けられるところもあります。

最後に変わり種として府立植物園も紹介しておきます。ここも18日で日没後から園内の大芝生地で音楽会を聞きながら月を鑑賞する事ができます。夜の植物園を見れる機会もあまりないと思うので話のネタにでも是非どうぞ。静かな園内はデートにもいいですよ

観月祭はいつでもいけると思ってるそこのあなた!気をつけた方がいいですよ。仲秋のこの時期は意外と雨が多いので注意が必要です。幸い明日は大丈夫なようなので興味のある方はこれを機会に是非どうぞ。特に学生のみなさんは京都にいる幸福を実感できるいい機会だと思います。きっと忘れられない思い出の一つとなる事でしょう。
長々と失礼しました

しろくまツアー打ち上げ 最終決定情報

No.4098

しろくまツアーの打ち上げ&プリンセス生誕祭のお店が、やっと決まりました。
人数が増えたので、意外と手こずり、遅くなってしまいました。申し訳ありません。

日時:9月10日(土) 18時30分~
場所:「ほっとけや 四条河原町店」http://r.gnavi.co.jp/k358700/

参加者は、野口先生、門屋くん、八井くん、辻くん、岩田くん、平田さん、尻池さん、山岡さん、鈴木くん、永富さん、山内さん、山田ちさこさん、國方さん、佐藤さん、私の15人です。大所帯です!

六条院のチケット

No.4101

 田中さん、いつもながらありかどうございました。
 佐藤さんが参加して下さるのは、ありがたいことです。

 ところで、京都文化博物館で開催中の「源氏物語と京都 六条院へでかけよう」のチケットが手もとに5枚ほどあります。明日までなのですが、本日は研究室。明日の午前なら高陽院跡の現説現場、午後なら研究室で私をつかまえて請求してください(つかまらなかったり、品切れの場合はご容赦下さい)。※ ゼミメンバーに限らず先着順です。

 ☆ 鹿児島の新地さんから、川辺は台風でとくに被害がなかったとの御連絡を頂いて、安心しました。本来ならゼミ旅行の打ち上げにお招きしなければならないのですが。
   メンバー有志は新地さんのHPの掲示板にでも・・・。  
      http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/6167/

四条河原町の風雲。

No.4105

 昨日はゼミ勉強会初日。
 レジュメが学会の研究会なみのレベルになってきた。平田さんの史料よみは立て板に水の如しで、こちらがついていけなくなった。岩田君の指導ぶりは、例のごとく実にうまい。最近執筆した拙論の内容を口走った私に対する長村君の批判は当たりすぎていて参った。
 といった具合で、最近のメンバーの成長ぶりには驚かされました。あと三日間、楽しみです。
 この時間、東京は本郷の東大史料編纂所では、ちょうど佐伯君が研究報告の最中だったはずですが、常々、この場に集ってくれている若者たちが、東西相呼応して日ごろの成果を示されたものか・・・などと私は感慨にふけっておりました。

 来年度からの共同研究の説明会には、「研究協力者」参加希望者全員が集まれませんでしたが、学部生も加えて、今後のゼミの方向も含めてお話しをさせていただきました。この方針は混迷の末に見出した一条の光です。
 配布した資料の☆の件にたいする御返信、よろしくお願いいたします。
 不明な点は遠慮なく問い合わせてください。門屋君と田中さんはよ~く御相談下さい。大原さんには、メールでお送りしたいと思います。

 さて、そうこうしているうちに6時近くになったので「しろくまツアーの打ち上げ&プリンセス生誕祭」の会場のある四条河原町に向かおうとしたところ、時ならぬ雷鳴と豪雨。これでは、まさしく鹿児島の延長戦と相成った次第。
 ようやく呼び出しに応じてくれたタクシーに乗って大和大路を北上して四条河原町へ。会場にはすでに八井君やわさわざ香川からフェリーで駆けつけてくれた國方さんが来ておられました。なかなか良いお店で久しぶりに楽しい一時を過ごさせていただきました。
 この席で佐藤さんもゼミに初参加をいただき、ありがたい限り。高熱を押して参加された永富さんも流石でした(でも、くれぐれもお身体は大切に)。
 二次会は河原町通りに面した大きな喫茶店の四階。もう一つのグループとワンフロア貸しきり状態で、ここでも大いに盛り上がりました。鈴木君には「サン様」がうけたようです。そして、ゼミの回顧談にかかせないのは「3Y」の諸兄にまつわる数限りないエピソード。この場に全員不在なので、当然「言われ放題」となりました。ちなみに、『紫苑』特集号として「3Yエピソード1」が近日刊行との情報もあります。
 11時ころ、解散。私は師範代の岩田君と三条から帰りましたが、中書島で宇治行きに乗り換えるとき、四条から帰られたはずの佐藤さんと一緒になりました。そして、六地蔵までの6分の間に、佐藤さんの大変な経験談をうかがうことになりました。これは戦慄すべき内容で、いずれメンバーもうかがう機会があることでしょう。
 そのうち、当家では宇治在住の方々と、可能なら鈴木君もお招きして「茶月」のお寿司(岩田師範代の推奨)で宴会をやろうかと考えております。秋の満月の日など如何でしょうか。題して「宇治・頼政道の観月会」。
 
 >元木先生  お書き込みに「ビールが美味くない」とあったので、心配いたしておりましたが、昨夜は中ジョッキ8杯とのこと、いつもと御同様で正常です。安心いたしました。ちなみに、私が昨日四条の辺りで飲んだのはビール一杯とホット・コーヒー、それに若干の水でした。
 なお、最近の御様子では、山田先生も酒呑童子の一党に加わる資格は十分にお持ちのようです。
 さて、そうなると誰が頼光とその四天王になることでしょうか?そして安倍晴明は?

おつかれさまでした

国方茉伊
No.4106

皆さん、勉強会&打ち上げおつかれさまでした。
GW以来、私が関西に行く時は決まって雨が降るのですが、今回は非常に激しい大雨に見舞われてしまいました。しかし雨にも負けず、久しぶりにゼミメンバーの皆さんと楽しい一時を過ごすことができました。料理も地ビールも美味しかったです!! 声をかけて下さって、ありがとうございました。このままだと飲み会要員になってしまいそうなので、新しいポジション(?)を模索中です…。

しろくまツアー打ち上げ完了

No.4107

 しろくまツアーも、昨日の打ち上げで全予定を消化。打ち上げ幹事もお役御免のとなりました。皆さま、お疲れさまでした。
毎度の事ながらアバウトな幹事で、至らぬ点を反省しながらも、個人的には久々にお会いするゼミメンバーや、
初めてお会いした佐藤さんと楽しい時間を過ごす事が出来ました。
 久々に参加してくれた國方さんの要請につき、そのうち今年度未開催の女子コンもする事になりそうです。
女子の皆さまには、また後日連絡致しますので、よろしくお願い致しますね。