有村芳恵さん、ありがとうございます。

No.4005

 有村さん、いろいろお世話になり、ありがとうございます。まだ、しばらく先のことですが、有村さんが鹿大を去られる(ご卒業される)と、金井先生はじめ、日本史の先生方はさぞかしお困りになるのではないでしょうか。しかし、来ていただけたところ(大学院)は大助かりでしょう。ぜひ、必ず京都にお出で下さい。先生や先輩に対するこまやかなご配慮、なかなか得がたい人材かと拝察いたしております。
 乕尾先生ばかりか、金井先生、さらには地元の名士であられる原口先生までが鳥料理が苦手とは、これは驚きです。そういえば、米国はワシントンDCに住む経済アナリストをしている友人によると、ケンタッキー州立大学の歴史学の教授はみんなフライドチキンが苦手だとか?・・・(もちろんウソです)。
 
 「信玄」は焼き鳥以外にも、美味い料理は沢山ありますから大丈夫です。ちなみに、私は野菜が大の苦手ですが、生存のため、生野菜のサラダは頑張って食べるようにしています。そのさい、ドレッシングに助けられるわけですが、「信玄」のそれは格別です。野菜嫌いの私が大きなキャベツも美味しくいただけました(これは本当です)。

 五味克夫先生や日隈正守先生にもお声をかけていただけるとのこと、恐縮に存じます。なお、本日、研究室にお電話を下さった永山先生も、有村さんからお誘いいただいたと仰っておられました。
 「有村」というお名前をきいただけで、鹿児島が懐かしくなります。息子の小学校のクラス担任は有村先生でした。そういえば、鶴丸→東大のTBSの女性アナウンサーにも有村姓の方がおられましたね。鹿児島のテレビでは今でも「有村ゴルフ」のCMをやっているのでしょうか。有村ではありませんが、鹿屋の何とかいう薬屋さんのCMも面白かった。
 
 いろいろ余談を申し上げてしまいましたが、有村さんをはじめ、鹿児島大学の皆様、18日はなにとぞ宜しくお願い申しあげます。

有村さんありがとうございます。

No.4006

あれまぁ・・・。という感じですね。乕尾先生の情報を元木先生から頂いたときには(元木先生ありがとうございます)頑張ってフォローなどと思っていたのですが・・・、あれよあれよと事態が深刻化(?)しており笑えてきました。
 このような状況を見ていると私が東京にいた頃東京に来た友人が揃ってやぶそばに行きたがり、アレルギー持ちの私は一人寂しく別の所でごはんを食べた記憶が蘇ってきます。信玄にはそば屋と違って色々な料理があるようで安心です。

>有村さん当日もよろしくお願いします。
 

身に余るお言葉、ありがとうございます

有村 芳恵
No.4007

何とも嬉しいお言葉を頂戴し、思わず顔が綻んでしまいました。周囲に誰かいようものなら確実に気味悪がられたであろう事は間違いありません。幸いなことに、現在私は大学の演習室で一人の時間を過ごしております。明日から実家(霧島)に帰省する予定です。

鳥料理の件、御理解をいただけたようで安心致しました。私としましても、懇親会に関してあれこれと思案することはあるのですが、幹事の先輩方の御負担をなるべく増やさないよう努めるのは、当方としましては当然のことかと存じます。門屋先輩、至らない事もございますが、当日も宜しくお願い致します。

野口先生
懇親会の際に一つお願いしたいことがございます。こちらから参加する学生の中で、卒論で院政期の武士について考察する予定の4年生がおります。彼自身卒論の方向性に迷っているようなので、もし先生の元へ相談に伺った際には、何かアドバイスをいただけたましたら幸いです。何とぞよろしくお願い致します。

那須与一の伝承と「扇の的」のテーマなど

No.4008

 18日、当ゼミの一団は有村さんの故郷を通過して鹿児島に入る予定です。
 卒論の件、御遠慮なくどうぞ。何年か前の夏、鹿児島大学に集中講義に行きましたが、その時は、「武士罪障論者」の野口と対決すると豪語する元気な学生さんがおられました。彼は地元ではなく大阪の出身で、卒業後東京の大学の院に進学されたはずです。
 また、民俗学専攻の女子学生で、拙著『武家の棟梁の条件』で触れた法住寺殿の武将墓の不可思議な埋葬形態について、適切な仮説を示してくれた方もおられました。
 しかし、卒論、4年生が今の段階で「考察する<予定>」というのは、いささか心配ですね。最近は卒論よりも<就活>を優先するのが当然視されるような風潮がありますが、これはおかしい。
 武蔵大学の瀬田勝哉先生は、その御高論「伏見即成院の中世-歴史と縁起-」(『武蔵大学人文学会雑誌』36-3)の「付記」に、「学生の卒論作成に学科の生命を賭けようとする共通の意志」と書かれておられますが、すくなくとも人文学系においては、学生にとっても大学生活で最も重要な営為は卒論の執筆だと、私は思います。

 ところで、この瀬田先生(昨日、中世都市研究会京都大会の準備会で御挨拶の機会を得ることが出来ました)の御高論は、即成院(現在は東山泉涌寺の惣門脇にある)の歴史を解明するとともに、この寺に那須与一の墓として伝えられた巨大な石造遺物を通して『即成院縁起』に那須与一が取りこまれた背景などを論じた実に知的興奮を喚起される内容豊かな面白い論文です。
 ちなみに、『平家物語』における那須与一の扇の的の話は、早い段階から世上に流布していたようですが、肝心の那須与一についてはその実在はかなり疑わしいように思います。そもそも弁慶すら名を載せる『吾妻鏡』にさえ、その名前が見いだせないのです。
 滋賀県八日市市の弘誓寺には皮衣の秘仏と称する那須与一木像が伝えられており、与一に関する伝承は、まず仏教説話形成の視点から考察していくべき問題のようです。

 なお、「扇の的」は優美な場面ですが、保立道久先生は次のように述べておられます。
 「有名な那須与一の扇の話の本当のテーマは、その弓射の美技自体にあるのではなく、その直後、与一の武技に感じて平家の船上で舞を舞った男が「これをも仕れ」という義経の「御諚」によって心なく射倒されたことにあったと考えている。『平家物語』は、読み様によってはそのような「兵の道」の様変わりに対する怨嗟の書なのである。」(「歴史を通して社会を見つめる」佐伯胖ほか編『シリーズ学びと文化④ 共生する社会』東大出版会)
 さて、日本国民の歴史認識の形成に重大な影響力を有しているNHK大河ドラマでは、どのように描かれることでしょうか。

いよいよですね。

No.4010

 こんばんは。鹿児島の新地です。
 鹿児島は相変わらず暑いです。役場の気象情報では、旅行日程の今週後半は、曇りがちで最高気温は33度前後、最低気温は25~27度、土曜日は雨が降るかもしれない(降水確率50%)です。先週京都へ行っていた同僚によると、気温はそれほど変わらないが、鹿児島のほうが日差しが強いということでしたので、気になる方は日焼け対策をどうぞ。曇りの日のほうが紫外線は強いそうです。

 昨日、鹿児島市の繁華街・天文館へ久しぶりに行ってきました。日曜日だったせいか、「白熊」の有名な「むじゃき」は午前11時過ぎというのに店の外まで行列ができていました。今は持ち歩いて食べられる白熊もあるようで、並びたくないという人はそちらがお勧めです。むじゃき以外にもたいていの喫茶店のメニューに白熊はありますのでご安心を。

 「扇の的」は、中学時代に古典の授業で、弓道部員だと言う理由から暗誦させられたので、特に印象に残っています。宮崎県の椎葉村には、与一の弟・那須大八と平家の落人・鶴富姫の伝承が残り、それを歌った「ひえつき節」もありますので、那須氏に対してはなんとなく親近感を持っています。
 那須大八と鶴富姫の伝承や、ひえつき節については椎葉村のHPをご覧下さい。
http://www.vill.shiiba.miyazaki.jp/

 それでは、18日に宮崎空港でお会いしましょう。

鹿児島ゼミ旅行情報。

No.3997

 ゼミ旅行参加の皆さん。事前学習、それぞれの関心に沿って進めていただけていると思います。以下、新情報です。
 
 初日、鹿児島大学日本史研究室の院生・学生さんたちとの懇親会、紫原5丁目の「信玄」を19:00から23名で予約しました。座敷を用意してくださるとのことです。焼き鳥が看板のお店ですが、「きびなご」などの一品料理も美味しいところです。
 なお、この宴席には南九州古代史研究で著名なラ・サール学園の永山修一先生がお出で下さるとのことです。
 また、三日目の鹿児島市内見学でお邪魔する予定の県立歴史資料センター黎明館では、徳永和喜先生にお目にかかれます。徳永先生は私の大学院修士課程の学友です。もし、メンバーの中にとくに史料閲覧や講座室の借用について要望があればお願いしたいと思いますので御連絡下さい。

鹿児島ゼミ旅行情報。

No.3999

さらに18日の宴席には鹿児島大学の金井静香先生、乕尾達哉先生もお出でくださるとのことです。
 18日が鳥メインということなので翌19日は指宿で魚メインのお店を予約しております。
目だけでなく胃袋も鹿児島を満喫して帰りたいものです。(笑)
出発前に何か質問等あれば八井・門屋まで遠慮なくどうぞ。

紫原(むらさきばる)史学会大会?開催。

No.4000

 乕尾達哉先生・金井静香先生もお出で頂けるとは、これはじつに豪華な宴会になりそうです。乕尾先生がお出でになられると知ったら、元木先生も飛行機で(否、九州新幹線で)駆けつけてこられるかも知れません。
 見学先の充実ぶりも考慮に加えると、修士論文執筆のために、このゼミ旅行への参加を断念されたメンバー諸姉兄は甚だ残念なことをしたと思います。おそらく一生の後悔ものでしょう(笑)。

 ちなみに、「紫原」は島津氏の古戦場として有名なところです。興味のある人は調べてみてください。会場が「信玄」というのも面白い。近くにKTS鹿児島テレビがありますから、資力さえあれば「宴会」の全国向けライブ中継も可能かも知れません。

Re: 鹿児島ゼミ旅行情報。

No.4001

 野口先生、お誘いいただき恐縮です。
 実は19,20日は近江で史跡見学の予定があり、参ることはかないません。残念です。
 なお、昨年冬に久留米であった教え子の結婚式に際し、鹿児島で乕尾先生と懇親会を行い、九州新幹線に乗って新八代経由で久留米に向かった次第です。
 さすがに乗り心地のよい列車で、JR九州らしい、和風を活かした凝った内装が印象に残りました。
 乕尾先生と飲みすぎて二日酔い状態でしたが、昼からの結婚式でビールを飲んだら、平常に戻りました???
 余計なことですが、乕尾先生は鳥肉が大変苦手のはずですので、幹事の方は配慮して上げてください。鹿児島は鶏肉生産額日本一とのこと。そこで鳥嫌いとは、何ともお気の毒なことです。
 
 ついでに、さる7日、夕刻からの近藤氏との懇親会を前に、西国33箇所の天上寺と、赤松円心の山城で知られる摩耶山に登った話を書かせていただきます。
 ケーブル乗り場には、阪急六甲、またはJR六甲道からバスですぐです。さらにロープウェイに乗り継げば、30分ほどで山上に到着します。
 摩耶山はまさに快晴。神戸市街から大阪湾が一望でした。障害物のなかった当時、円心軍から六波羅方の進軍の様子は丸見えだったのではないでしょうか。
 それにしても、快晴で空気も澄んだこともあって、山上からの景色にはまさに見惚れる思いが致ました。前日、翌日以降も昼間に雷雨があったことを考えますと、まさに奇跡の一日でした。誰かの行いがよかったのでしょうか。
 円心が篭ったのは、20年余り前に賽銭泥棒の失火で焼失した旧天上寺跡とのことです。そこは現在史跡公園ですが、ケ-ブルの終点とロープウェイの終点の中間にあたり、下から上ると大変な数の階段を上らなければなりません。先に、山上に行き、現天上寺に参拝した後、坂を下ったほうがいいと思います。
 旧天上寺への道は、途中でであった登山者の方々と挨拶を交わすくらいの、本格的な山道でした。行かれるときは、靴や服装などに少し注意したほうが良いでしょう。尤も当方は革靴でしたが。
 天上寺付近の急峻で深く切り込んだ山並みを見ますと、赤松円心が拠点と頼んだのも尤もと思われます。それにしても、六波羅方はその真下にある求女塚から攻め上ったとのこと。何でそんな切り立った山を、馬鹿正直に真下から攻めたのでしょうか。かつての義経の智謀は北条氏に継承されなかったのですかね。
 その後、摩耶山から下りて阪急・地下鉄を乗り継ぎ、大倉山から福原の史跡を回りました。例の二重堀のあとは簡単な説明版を残して大駐車場。雪見御所の石碑は小学校の敷地内から外の道沿いに移っておりました。夕刻とはいえ、摩耶山上とは大違いの暑さに閉口させられたのは言うまでもありません。
 その後の夕食「順徳」については、薗田さんか山岡さんからお願いします。

順徳。

山岡瞳
No.4002

はじめての元町でした。懇親会からの参加だったため、史跡を見ることができず残念でしたが、薗田さんがお持ちだったデジカメで一通り見せていただき、写真で堪能させていただきました。
お店の名前は一度聞いたら忘れようもない名前だったのですが、うっかりして地図を忘れてしまい、記憶にあったロー〇ン(某コンビニ)の角を曲がるということだけを頼りにお店を探しました。けれど、ロー〇ンは見つからず、しばらく付近をうろうろする羽目になりました。ここがあやしい!!と直感で思った角を曲がると、やはりお店があり、なんとかたどり着くことができ、一安心でした。結局ロー〇ンはなくなっていて、別のお店に変わっていたのです…。
お料理についてですが、色とりどりの中華料理が並んでいたのですが、一つ一つの名前を覚えることができなかったため、ここでは特に覚えているものを書きたいと思います。まず、近藤先生もお気に入りという「ネギ汁そば」です。独特の麺とさっぱりしたスープの相性が絶妙で、さらにスープとネギの相性もばっちりでした。また、ご飯が大好きな私は焼き飯もなかなかよかったと思います。実は、辛いものが苦手な私は、麻婆豆腐を食べたとき、その辛さでちょっと涙目になっていました…。ちなみに自分で麻婆豆腐を作るときは常に甘口です。この時、烏龍茶を飲むペースが速くなったことは言うまでもありません。

料理はどれも本当においしかったのですが、久しぶりにお会いした近藤先生のお話や、庄先生の兵庫の歴史に関するお話を伺うことができ、勉強になりました。

最後になりましたが、このような場にわざわざお誘い下さった元木先生、ありがとうございました。また、幹事の吉田さん、お疲れ様でした。

ニアミスならず

No.4003

元木先生、山岡さん、こんにちは。

 去る8月7日、私も神戸をうろうろしていました。午前中には「福原京」を散策し、午後にはJR兵庫駅前で内輪の研究会。そこで例の「福原遷都論」を報告し、さらに大村拓生さんの大輪田泊についての報告を聞いていました。その後、兵庫駅前の中華料理屋さんで懇親会。元木先生たちも神戸に来られていると知っていましたので、どこかでバッタリお会いするのではないかとドキドキしていました。残念ながら、わずかな時間差でニアミスならず、でしたね。

 元町の「順徳」は結構な店ですね。表通りには面していないのでちょっとわかりにくいが、神戸ではかなり有名な店だと聞きます。私も以前、ここで懇親会をやったことがあるのですが、料理は絶品でした。その時も、「順徳」という店の名前をネタにして大いに盛り上がりました。

 追伸:現在、山岡さんの見目麗しきお姿(と、ウチの奥さまの顔の見えない姿)が登場する図録の最終校正中です。

Re: 鹿児島ゼミ旅行情報。

有村 芳恵
No.4004

鹿大の有村です。元木先生、御配慮ありがとうございます。乕尾先生が鳥料理が苦手でいらっしゃることを、幹事の門屋先輩に申し上げるべきかどうか迷っておりましたので、正直な所、ほっとしております。そして付け加えますと、金井先生も、鳥料理は大の苦手でいらっしゃいます。さらに、残念ながら都合により18日の飲み会には参加されない近世史の原口泉先生を含めまして、実は鹿大日本史系の先生方は、3名全員が鳥料理が苦手でいらっしゃいます。元木先生のお話にもございましたが、鹿児島は「鳥天国」の様相を呈しておりますので、鳥料理をはずしたメニューとなるとなかなか難しい面もございます。大変恐縮ですが、そこを何とか御配慮いただけたら、と伏してお願い申し上げる次第です。

野口先生
五味先生・日隈先生につきましては、金井先生のお力をお借りして御参加について順次お願いする予定です。現在お盆休み期間中ですので、御参加の有無は連絡が遅くなってしまうかもしれません。できるだけ迅速な対応を心掛けますので、御容赦くださいませ。

有難うございました

山口博史
No.3993

野口先生
過日は、先生の講演録を御恵送下さいまして誠に有難うございました。入院中拝読し学ばせていただきました。グループの友人も読ませて欲しいと申しておりましたので、読んで先生の歴史グループでの講義を深めることができたと喜んでおりました。
さて、先日の元木先生の講義ですが、私は生憎体調がすぐれず、参加できませんでした。幸い娘が参加して録音をしてくれたので、先生の講義内容について少しは理解できました。私は、元木先生の著書、『平清盛の戦い』『源満仲・頼光』『保元・平治の乱を読みなおす』『院政と平氏、鎌倉政権』を読んでおり、ぜひ先生にお会いしたかったのですが、残念でした。
御礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
先生の益々のご活躍を祈念申し上げております。
歴史グループ早雲 山口博史

山口さん、御丁寧にありがとうございました。

No.3994

>山口さん  また、ぜひ次の機会に元木先生とお目にかかっていただきたいと思います。いろいろ楽しいお話しをうかがえることと存じます。
 6日の学習会には、当方のゼミメンバーも、できれば参加したいと申しておりました。
 先日、京女の図書館に調査にお出でになった京樂先生が当方の研究室にお立ち寄りになられた際、山口夏子さんの御研究のお話しをうかがったりしたところでした。京樂先生もおおいに期待をかけておられるとのこと。夏子さんには、いずれ是非、当方のゼミの例会で御研究の成果を発表していただきたいと存じております。
 とても暑い毎日ですが、ぜひ御体調を快復されますよう、お願い申しあげます。なお、追って、摂関時代の暴れん坊貴族「藤原隆家」について書いた拙文をお送りしたいと存じます。また、御笑覧下されば幸いです。

Re: 有難うございました

No.3998

  山口さん、今回はお会いできず残念でした。
 以前、労働学校でお会いしてから20年あまりですが、あの時のことは鮮明に記憶に残っております。武士職能論をかじりかけた状態で、中途半端な話をしてしまったことを恥ずかしく思い出します。
 猛暑の折ですから、くれぐれもお大事になさってください。
 
 なお、当日の講演内容は、基本的に旧著と同じですので、拙著をお読みいただいておられるなら、わざわざお越しいただく必要もありませんでした。
 たぶん、早口でよくわからないところが多いものと思います。
 テープでお分かりになりにくいところは、拙著をご参照いただくか、メールなどでご連絡いただければ幸いです。

 次回、講師として御招請いただきました時には、色々お話をいたしたいと存じます。
 一日も早いご回復をお祈り申し上げます。

夏の勉強会について(日程など)

No.3990

 先日お伝えした、夏の勉強会の日程をお知らせします。

 日程は、9/10(土),12(月),13(火),14(水),の四日間です。
 各日とも、13:00~開始予定、共同研究室で行います。

 9/10(土):「保元新制」史料解釈(『平安遺文』2876、2851)
 9/12(月):「保元新制」研究史整理
 9/13(火):「文覚起請文」史料解釈(『平安遺文』4892)
 9/14(水):「文覚起請文」研究史整理

 ※研究史整理については、どの論文をどのように扱うのかまた後日お伝えします。ご了承ください。

参考文献について

No.3992

以前挙げた参考文献を、みなさんから頂戴したご意見も交えつつ再掲します。

>保元新制
  水戸部正男『公家新制の研究』創文社.1961.
  棚橋光男『中世成立期の法と国家』塙書房.1983.
  五味文彦『院政期社会の研究』山川出版社.1984.
  今正秀「保元荘園整理令の歴史的意義-平安後期荘園整理政策をめぐる政府と権門-」『日本史研究』378.
  佐々木 文昭「公家新制についての一考察-保元元年新制から建久二年新制について」『 北大史学』19.1979.
  鈴木敏弘「保元元年新制と荘園整理」(中野栄夫編『日本中世の政治と社会』)
  遠藤基郎「院政の成立と王権」『日本史講座3中世の形成』東京大学出版会.2004.
  下郡剛「御白河院政期新制の基礎的考察;保元年間から承安年間にかけて」『立正史学』87.2000.

 >文覚と神護寺
  西岡虎之助『荘園史の研究』岩波書店.1953.
  上横手雅敬「院政期の源氏」(『御家人制の研究』)
  赤松俊秀「文覚説話が意味するもの」(『平家物語の研究』)
  山田昭全「僧文覚略年譜考」(『立教大学日本文学』12)
  平雅行「中世寺院の暴力とその正当化」(『九州史学』140)

調整ありがとうございました。

No.3995

>岩田君  日程調整や報告者の依頼など、ありがとうございました。せっかくの機会ですから、実り多い勉強会にしてください。
 なお、保元新制に関する参考文献として下記を追加いたします。
 
 飯倉晴武「「武者の世」の到来」(橋本義彦編『古文書の語る日本史2 平安』筑摩書房)

☆ 共同研究の件ですが、「摂関家」と「宇治」をキーワードにしたテーマに落ち着きそうです。考古学の大原瞳さんにも参加していただけると有難いのですが。
 なお、具体的なことについて、さらに御意見をいただきたいと思います(とくに国文の方から)。

巡礼記研究会第二回研究集会のご案内

No.3989

大橋直義です。
突然でもうしわけありませんが、宣伝をさせてください。
昨年の、巡礼記研究会第一回研究集会に続いて、第二回研究集会を開催することになりました。
昨年にもまして、充実した一日を過ごしていただきたく存じます。お忙しい時期とは存じますが、ぜひとも足をお運びください。なお、当日は、『巡礼記研究会』第二集をお配りする予定です。こちらには、第一回集会でご発表いただいた方々の論考が収録されております。

巡礼記研究会 第二回研究集会のご案内
(共催 慶應義塾中世文学研究会・寺社縁起研究会関東支部)

会場  慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎1階522番教室
交通  JR山手線田町駅/都営浅草線・三田線三田駅徒歩10分 
日時  2005年 9月17日(土) 午後1時~午後5時45分

[研究発表]

1 荒神の縁起と祭祀
           東京大学大学院生  高橋悠介

 荒神とは、日本で生まれた、神仏習合的色彩の強い神格である。承暦四年(一〇八〇)に勝尾寺の住僧が荒神祓を行ったとする『水左記』の記事が、荒神の名が見える記録上の古い例として知られている。もとは祓われるべき障碍神であったが、鎮めれば利益をもたらすという両義性を持つようになり、荒神供という祭祀が行われた。本発表では、鎌倉後期に荒神に関する縁起・教説を集成した『荒神縁起』というテクストに注目する。『荒神縁起』の冒頭には、天竺・大唐・日域の三国にわたる荒神の霊験譚・縁起が説かれているが、特に日本では、勝尾寺において桓武天皇の皇子、開成が大般若経書写の願を立てた際、荒神の障碍を受け、荒神を祀ることによって大願を成就したという縁起が語られる。こうした荒神の縁起説を、荒神の性格や荒神祭祀のありようとともに考えてみたい。

2 冥界遍歴と巡礼 ー『西国巡礼縁起』をめぐってー
           日本学術振興会特別研究員  恋田知子

 西国三十三所巡礼の起源をとく『西国巡礼縁起』に関して考察する。西国巡礼の起源説話については、長谷寺の開基でもある徳道上人の冥界譚がひろく知られているが、その一方で、威光上人の冥界譚をその淵源とするものも存在することには、あまり注意が払われてこなかった。そこで本発表では、後者の説話をもって起源とする九条家旧蔵本・松尾寺蔵本および、今回あらたに紹介する慶應義塾図書館蔵本について若干の検討を加えるとともに、徳道上人の場合もふくめた西国巡礼起源説話の諸相について考察をおこなう。さらに、西国巡礼の淵源に冥界譚を配するという点に着目し、説話や物語草子の類に見える冥界遍歴とともに考えることで、『西国巡礼縁起』の意義についても言及したい。

3 六角堂縁起異説 ー聖徳太子伝承のことなどー
           京都大学非常勤講師  橋本正俊

 六角堂の愛称で親しまれている京都の頂法寺は、平安時代から貴紳・衆庶の崇敬を集めた、西国三十三所の一つとしてよく知られている。その縁起は、「聖徳太子は淡路国に流れ着いた如意輪観音像を持仏としていた。四天王寺建立の採材のために愛宕郡に来たとき、木に懸けておいた観音像がその場を動かなくなった。観音の夢告に従い、太子はここに六角堂を建立した」というものである。実際の建立は平安時代に下るようだが、六角堂は聖徳太子建立の御堂として広く知られ、その縁起も大きく変容することなく現在に至っている。ところが、中世・近世の資料では、これとはやや趣を異にする縁起が並記されることがある。それは、この観音像は高麗国より太子が迎え入れたものだというのである。本発表では『観音利益集』などに記されたこの六角堂縁起の異説とも言うべき説話に注目する。そしてこの説と聖徳太子伝記との関わりを指摘し、このような説が生まれた背景、その影響と変遷について考察する。また『観音利益集』の性格についても言及したい。

4 千葉妙見の本体・本地説 ー『源平闘諍録』と『千学集抄』との間ー
           四天王寺国際仏教大学  源健一郎

 千葉妙見の本体・本地説としては、『源平闘諍録』に〈北辰・十一面観音〉説が記される一方、『千学集抄』等には〈北斗七星・七仏薬師〉説が伝えられている。このような揺れをどう捉えるかについては、すでに津田徹英氏・丸井敬司氏に言及があるが、鎌倉後期から南北朝期、千葉寺周辺における関東天台の動向を前提にした場合、再考の余地があるように思われる。具体的には、日胤・了行・心慶・源山といった僧の活動や檀那流玄旨帰名壇灌頂の展開と、両本体・本地説とを重ね合わせ、それらの間の脈絡を読み取る試みを提示することになろう。

連絡先
108-8345 港区三田2-15-45 慶應義塾大学文学部 岩松研吉郎
tel 03-3453-4511 内線 23093 ダイアルイン 03-5427-1175
fax 03-5427-1578  
mail 大橋直義宛にお願いいたします。

失礼いたしました。

源先生のお話をぜひ聴きたいのですが。

No.3996

 千葉は私の故郷です。地元の歴史愛好家には千葉氏ファンが多く、その多くは、千葉一族というのは妙見信仰をもって常に一体であるという(まさに信仰ともいうべき)認識をおもちです。そして、またその方達の多くは、千葉氏をチバシと呼ばずに、なぜか「チバウジ」と呼びます(三浦氏は「ミウラシ」と呼ぶのですが)。
 それはともかく、私は妙見信仰をあくまで千葉氏の族的結合のイデオロギー装置としてとらえているのですが、しかし、これを正確に理解するためには、どうしても千葉妙見の本地論にせまらなければならないことを痛感していました。
 仏教思想に造詣深く、『源平闘諍録』の研究に取り組まれている源先生が、この難問に取り組んでくださることを期待していたのですが、早くもその成果を発表されるとのこと。うれしく、かつ有難い限りです。
 残念なことに、私はこの研究会には、仕事の都合上、参加が叶わないことと思います。いずれ発表される御高論を楽しみにしたいと存じます。

暑中お見舞い申し上げます。

No.3987

 暦の上では明日はもう立秋ですので今のうちに。

 昨日のゼミ旅行事前学習会は担当者毎の充実した報告で4時間にも及びましたが、おおいに勉強になったことと思います。あとは好天を祈るばかりでしょうか。
 幹事の門屋君・八井君、諸事ありがとうございました。
 なお、さらに勉強をしようとする人のために紹介資料の追加。
  ① 井ケ田良治「南九州における南北朝内乱の性格」(『日本史研究』17,1952)
  ② 高島緑雄「辺境庄園の領主と農民-薩摩国伊作庄・日置北郷-」(西垣晴次編『鎌倉武士西
   へ 地方文化の日本史3』文一総合出版、1978)
  ③(必見)松竹映画「男はつらいよ 第34作『寅次郎真実一路』」

 ☆ 須藤聡先生から御高論「下野国中世武士団の成立-治承・寿永の乱以前の実状-」掲載の、橋本澄朗・千田孝明編『知られざる下野の中世』(随想舎)と御高論「中世前期における新田一族と交通路」(『地方史研究』311)を御恵送いただきました。
 当該期の下野の武士団については河内源氏の東国進出との絡みで、私もさらに追究してみたいと考えております。
 須藤先生にあつく御礼申しあげます。

「屋島合戦」を考える。

No.3988

 まずは、 http://heike.cocolog-nifty.com/heike/ 
を御覧下さい。(拙論を御紹介くださっていて恐縮しています)。
 
 先日、この掲示板で、義経による屋島攻撃がどのような経緯で行われたかについて新しい見解を展開された宮田敬三先生の御高論を御紹介いたしましたが、それに対して、以下のような、うれしいリアクションがありました。

   http://d.hatena.ne.jp/yotomusi/20050806/p2
   http://d.hatena.ne.jp/yotomusi/20050806/p13#seemore
 
 こういう真摯で熱心な方が学生として沢山いてくれたら、大学の教員たる者、大いに充実感をもって日々の講義に臨めるというものでしょう。
 
 ちなみに、屋島といえば、当ゼミメンバーには、京都からレンタカーで日帰りをされた豪傑たちがおられました(たしか門屋君・田中さん・・・でしたね?)。
 私は、2003年2月、高松の高校に勤務しておられる野中寛文先生(院生時代からの畏友)に『平家物語』関連の伝承地を殆どくまなく御案内いただきました。
 あの時、野中先生には本当にお世話になりました。今さらですが、あらためてあつくお礼を申し上げます。

共同研究員のことなど。

No.3982

 下記>>No.3971で共同研究員のことについて御案内いたしましたところ、数名の方から積極的な参加希望の意思表示がありました。そこで、いよいよ具体的な課題設定について御意見をいただきたいと思います。すでに案の提示をいただいた長村君を含めて、それぞれの希望するテーマと、その研究の進め方について御意見をお寄せ下さいますようにお願いいたします。

 風俗博物館のHPに、山岡さんと山田さんが平安時代の衣装で登場との情報が伝わっております。ご確認?下さい。http://www.iz2.or.jp/top_photos/index.htm

 ☆ 国文学の牧野淳司先生から御高論「『十二巻本表白集』(巻第四)解題」(『真福寺善本叢刊』第十一巻)を御恵送いただきました。私は書誌学的な研究にはまったく疎いのですが、法住寺殿に関する拙論がすこしばかりお役に立てたようです。ちなみに、この御高論によって、京都女子大学図書館に『表白集』が所蔵されているのを知りました。山本真吾先生の御研究によれば、本文は鎌倉中期写、おそらくは東寺旧蔵本とのこと。いずれ、実見の機会を得たいものです。
 牧野先生にあつく御礼申しあげます。

共同研究のテーマについて。

No.3983

 共同研究のテーマについて、長村案の「中世前期の宇治」に賛成意見が出ています。
 「摂関家と宇治」について政治史と都市論(文献史学・考古学)からせまるのも面白いかも知れません。宗教史や物語・説話の舞台としての関心からのアプローチも可能ですし、元木先生・美川先生・山田先生など日頃ゼミの運営に御協力いただいている先生方から適切な御指導を仰ぐこともできるでしょう。
 中世前期の宇治について、長期の研究計画を立て、単年度ごとに具体的なテーマを設定して成果を発表していく、そのようなプランをひとつ提案したいと思います。
 さらに参加希望者を募るとともに、テーマに関する御意見をお待ちします。

名古屋よいとこ一度はおいで

No.3980

みなさん。ご無沙汰しております。愛知の野口です。
先日ようやく採用試験も終わり、はれて自由の身となりましたので勝手ながら近況報告と愛知の紹介をさせていただきます。

ゼミの方ではゼミ旅行の勉強会をはじめ、夏休み中の計画が着々とたてられておりますが、ここで甚だ突然ではありますが、愛知活動の提案をさせていただきます。
愛知は京都のような観光名所はそれほど多くはありませんが、熱田神宮はじめ、徳川苑犬山城など関西圏とは趣の異なる独特の観光資源が多く存在します。個々の詳しい説明はまた別に紹介させて一度はいっておいて損はない場所ばかりです。もし興味のある方はこれを機会に是非一度名古屋までお越し下さい。

名古屋旅行の一番の利点は京都からの距離にあります。接続にもよりますが、JRの鈍行で約二時間。新幹線では一時間もかかりません。また休み期間中であれば、青春18切符を使って二千円ちょっとで往復する事も可能です。もしどこか行きたいけどお金と時間に余裕がないという方にもお勧めです。きっと夏のいい思い出のひとつになる事でしょう。もちろん予定さえあえば車で案内する事もできますので、興味のある方は野口までご連絡下さい。

また先ほど愛知には観光資源が少ないと言いましたが、一宮の朝日遺跡や桶狭間古戦場など史跡に関しては誇るべきものがたくさんあります。うちの近所にも一色青海遺跡をはじめ、縄文から古墳時代まで特に古代期の遺跡が密集しており、近所の寺社境内や河川敷、畑などを小一時間も探せば土器や須恵器の欠片を両手いっぱいみつける事ができます。遺物探しツアーを企画することもできるので、こちらに関心のある方も是非どうぞ。

最後に名古屋近辺の博物館を簡単に紹介させていただきます。まず今一番のお勧めは岐阜県美術館の「日本の美 三千年の輝き ニューヨークバークコレクション展」です。これはNYバーク財団が所有する、応挙や光悦、源氏物語絵巻や洛中洛中洛外図など日本美術の至宝を、一挙に公開する特別展です。三年前メットで開かれた特別展で大好評を博した、縄文から近現代にかけての逸品が一堂にご覧いただける貴重な機会です。興味のある方は是非どうぞ。
他には愛知県美術館の「ゴッホ展」こちらは日本初公開「黄色い家」「芸術家としての自画像」をはじめ「ひまわり」や「花魁」などの代表作が公開されております。
もちろん徳川美術館も忘れてはいけません。どれも見所満載で、是非こちらもお勧めいたします。

おまけ
名古屋はよく遊ぶ場所が乏しいと言われますが、住むにはとてもいい街です。その象徴が豊富なブランドショップに代表されるショッピングと、食通をうならせる美味しいグルメです。京都も非常に料理の美味しいところではありますが、名古屋には関西とは趣の異なる独特のよさがあります。実際京都の味に慣れ親しんだ関西の友だちは、完全にはまってしまい、今年も何回かご飯を食べるために遊びにきています。もしご希望があれば日本一美味しい味噌かつを紹介いたします(市内の某有名店Yトンではありません)
野口ゼミはグルメな方が多いようなので、ご飯を食べるのを目的に名古屋まで来られるのもいいかと思いますがいかがでしょうか?絶対後悔はさせませんよ。

どうでもいい近況報告
採用試験自体は先週終わったのですが、その後精神と身体の疲労が原因の高熱を発してしまい、寝込んでしまいました。ほとんど動けない状態が続いていたためご連絡等が遅れた事をこの場を借りてお詫び申し上げます。幸い大事なく今は回復したので、また五日の事前勉強会等で皆さんにお会いできるのを楽しみにしております。
長々と失礼しました

野口君もいよいよ「船外活動」?

No.3981

 たしかに京都と名古屋は近いですね。先々週、瑞浪市に行ったとき、新幹線を使えば岐阜からだって京都に通学できると思いました。そういえば、千葉県の松戸の大学には、静岡県の三島から新幹線通学していた学生さんがいました。
 それにしても、このところ伊賀・伊勢・尾張・美濃あたりの地理感覚がつかめてきて、京都との関わりから、これらの地域の一体性を痛感しています。群馬の須藤聡先生が美濃源氏が第二の伊勢平氏になりえた可能性を指摘されていますが、よく納得できます。
 
 >野口君  このところ、各方面でわれわれ一族の活躍がめざましいようです。貴兄も「お札になれ」とまでは申しませんが、そろそろ尾張で一旗揚げてください。
 今月末に名古屋大学で開催される「軍記・語り物研究会大会」には一日だけでもぜひ出席したいと考えています。

百練抄の講読会について。

山岡 瞳
No.3977

 昨日の講読会お疲れ様でした。
>山田さん
 わかりやすく丁寧なレジュメで本当に勉強になりました。

 次回の百練抄講読会ですが、
   日時:9月21日(水)16:30~
   場所:L校舎3F 共同研究室
   範囲:寿永2年正月十一日~六月二十三日(七月八日条の前まで)
   担当:尻池さん
          以上のようになっております。
          多くの方の参加をお待ちしております。 

いよいよ8月です。

No.3979

 『百錬抄』の講読会は、山岡さんの、北陸道反乱勢力追討に関する史料の整理、また山田さんの分かりやすいレジュメともに「☆大変良くできました」でした。研究会や授業の際に、できるだけ「美しい」レジュメを提示しようとする心がけは大切だと思います。経験上、やはり整ったレジュメと報告内容の完成度はパラレルな関係にあるようです。

 いよいよ、7月も今日でおしまい。いよいよゼミ旅行の8月です。小城に行ってから、もう1年が経過するとは、時の経つのは速いものです。5日の勉強会の準備は進んでいるでしょうか?事前勉強無くしては、得るところ半減ですからね。

 ところで、8月末に野口君の住む名古屋で「軍記・語り物研究会」大会が開かれます。企画テーマは「軍記物語と中世の<義経>像(イメージ)」。詳細は下記の通りです。
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■ 2005年度大会のお知らせ

日 時: 8月28日(日) 13:00~
        29日(月)  9:30~
会 場: 名古屋大学 東山キャンパス 文学部棟2階 237講義室
プログラム:
  第1日(28日) 受付開始 12:30~
【大会企画】 軍記物語と中世の〈義経〉像
基調講演(13:00~14:00)
   中世人の義経像――文学にたどる――    池田敬子氏
関連報告(14:10~15:10)
   平家物語にみる〈義経〉像のゆらぎ――人と事件と歴史の創造――    鈴木 彰 氏
   御霊義経の可能性――敗者から弱者へ――    樋口 州男 氏
共同討議(15:20~16:50) 司会 小秋元段氏

  第2日(29日) 受付開始 9:00~
【研究発表 午前の部】 (9:30~11:30)
   重衡遺品伝承と「源平盛衰記」――その人物像の享受――    大川 真智子 氏
   流布本『平家物語』の成立    高木 浩明 氏
【総会】 (11:30~12:30)
【研究発表 午後の部】 (13:30~15:30)
   『梅松論』における将軍とその周辺  北村 昌幸 氏
   丹波赤井氏関係軍記について  山上 登志美 氏
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 私は出来れば1日目だけでも参加しようかと思っているのですが、田中さんや門屋君はどうされますか?メンバー、とくに長村君には参加をお勧めします。

 ところで、この大会のテーマも「義経」ですが、ゼミメンバーのみならず、大河ドラマファンの方々にも一読(いや、精読)をお勧めしたいのが、宮田敬三「都落ち後の平氏と後白河院」(『年報中世史研究』24)・「元暦西海合戦試論」(『立命館文学』554)・「鎌倉幕府による源義経追討」(『ヒストリア』173)・「十二世紀末の内乱と軍制」(『日本史研究』501)・「鎌倉幕府成立期の軍事体制」(『古代文化』50-11)です。
 いかなるジャンルであれ、学問の対象として「義経」を取り上げようとする人は必読です。

 ☆ 明日から、下記のようなイベントがあります。私も行きたいのですが、仕事の都合で、ちょっと無理かも知れません。

◇ 2005年 花園大学京都学公開講座「源義経とその時代 」

【開催日時】 8月1日(月)~ 3日(水)
【会 場】花園大学 無聖館ホール(入場無料・申込み不要)
【内 容】
1日(月)
14:40~16:00
「声で読む 平家物語の京都」<平家詞曲の実演および解説> 鈴木まどか氏(前田流平家訶曲伝承者)
16:20~17:40
「平清盛の夢の都-福原京」山田邦和(花園大学文学部教授)

2日(火)
14:40~16:00
「義経と京都−義経が最も輝いた瞬間<とき>」 前川佳代氏(京都造形芸術大学非常勤講師)
16:20~17:40
「鴨長明と源平争乱の時代」新間水緒氏(花園大学文学部教授)

3日(水)
14:40~16:00
「中世文学の義経像」池田敬子氏(京都府立大学文学部教授)
16:20~17:40
「源平の争乱と念仏」今堀太逸氏(仏教大学文学部教授)
 
 ※ 行かれる方は、日程など念のため花園大学のHPでご確認下さい。

花園大学京都学講座「源義経とその時代」無事終了

No.3984

みなさま。
花園大学京都学講座「源義経とその時代」、無事に終了いたしました。毎回、わが大学としては稀に見る大入り満員で、3日間で総計1300人にのぼる多数の方々に聞いていただくことができました。ありがとうございました。


追伸:わが「京都学講座」が終わってから、まことに申し訳ないことを発見してしまいましたので、お詫びを兼ねて報告させていただきます。
京都大学ではこのところ、「春秋講義」という連続講座をおこなっておられるらしく、そのポスターをたまたま見てしまったのです。
なんと! 仰天したことに、わが「京都学講座」初日であった8月1日には、元木泰雄先生の「源義経の実像-その人物と時代」が開催されていたというではありませんか。こちらの講座は17時40分まで、京大のは18時30分からですから、厳密にいうと完全にバッティングしたわけではないのですが、それにしてもまことに巡り合わせの悪いことになってしまいました。この予定を知っていれば、こちらの講座を早く切り上げて、聴衆の皆さんに「ぜひこの後、京大に駆けつけるように」とお勧めしたところなのですが、それもかないませんでした。元木先生および京大関係者の皆さんには、この場を借りまして深くお詫び申し上げます。

ばれてしまいましたか。

No.3985

 山田先生、お気遣いいただき、恐縮に存じます。
 当方の「講義」は入場無料、なおかつ自由という、何とも牧歌的なもので、おまけにほとんど宣伝もしないという、親方日の丸的な運営でした。それでも、500人のホールの半分(弱)くらいの人はおりました。
 義経はジンギスカンかとか、中国にいたころ「義経の墓」を見たが、あれはどういうことかとか、武士と農民の人口比はどれだけかとか、まあそんな質問が出るような雰囲気の講義でした。
 かく申す当方も、どこかで話した内容を使いまわしにするという有様で、とても積極的に宣伝して、関係者にお越しいただく気はありませんでした。そんなことですので、何とぞ、お気になさいませんように。
 今年は義経がらみの講演会がさらに数回予定されており、もはやネタ切れで閉口しております。そういうところに来るような方は、テレビは「卒業」されたようで、大河ドラマネタは、あまり受けないようです。
 近藤先生のように、自ら合戦や首を切る場面を演じないと、これからはお呼びがかからないかも知れません。その近藤先生のミネルヴァ人物評伝選『源義経』、9月発売の由、まことに楽しみです。
 吉川弘文館の本には載らなかった「著者近影」が掲載されるのも、話題を呼ぶかもしれませんね。
 ところで、明後日7日は神戸で近藤先生との懇親会です。
 元町の中華料理「順徳」です。鎌倉時代の研究者は名前に驚くのですが・・・。
 どなたか、レポートしてください。
 その前の摩耶山と神戸史跡めぐり、猛暑と雷雨が心配です。ご参加の方は、準備を整えてください。

共同研究・『紫苑』・夏休みの勉強会etc

No.3976

 共同研究について、さっそく長村君から提案がありました。
  ① 小部の軍記・歴史物語の注釈
  ② 著名でありながら専論のない人物、たとえば源義仲や源範頼・源行家を取り上げて「・・・像の形
   成」というもの
  ③「中世前期の宇治」
 ①については、単年度で成果公表の義務をともなうので、難しいと思います。②は、源行家について、記録と軍記からせまるというのは面白いかも知れません。③はすこしテーマを絞り込む必要があるでしょう。
 
 門屋君からも検討中という連絡をいただいていますが、ほかの方々からも、いろいろ御意見をいただきたいと思います。よろしく。
 
 長村君で思い出しましたが、彼の執筆した「書評」が近く『古代文化』に掲載されることになりました。快挙といえましょう。ご期待下さい。

 『紫苑』第4号には、山内さんを筆頭に学部生の立花さん・尻池さんが執筆の名乗りをあげておられます。これも期待するところ大。執筆希望者は編集担当の山岡さんまで。山岡さん、よろしくお願いいたします。
 ちなみに、尻池さんは奨学生に選ばれたとのこと。おめでとうございました。流石です。

 尻池さんから、↓(>>No.3956)に紹介した「中世都市研究会京都大会」に参加してもよいのかという問い合わせがありましたが、もちろんです。卒論で中世都市をテーマにしようとする尻池さんのような学部生には是非参加してほしいと思います。とくに現地見学会はよいチャンスだと思います。
 
 ただし、私の研究発表は、所詮じつに短い期間の東国武士団について僅かばかりの研究しかない者が、「中世京都都市論」などという難解なテーマに、相当無理をして挑戦するものですから、くれぐれも御期待無きように、お願いいたします。
 
★ なお、この研究会の資料レジュメ原稿の締切は今月末必着です。報告担当の先生方、くれぐれもよろしくお願い申しあげます。
 
 夏休み中の勉強会については、岩田君が調整してくれています。修論執筆中の院生の諸姉兄も、たまには外気を吸ってリフレッシュした方がよいと思いますから、ぜひ御協力をお願いいたします。

Re: 夏休みの勉強会

No.3978

 上に野口先生からもご案内いただきましたが、夏休み中の勉強会で報告を担当して下さる方を募集中です。
 報告内容は応相談ではありますが、できれば史料の解釈(保元新制、文覚起請文)を担当して下さる方を優先的に募集したいと思います。どうぞお気軽にお申し出ください。

 なお、日程は現在調整中ですが、基本的に報告担当者の都合に合わせた日程を組む予定です。