6月27日の『吾妻鏡』講読会の範囲について

No.3883

 次回、6/27(月)の吾妻鏡の講読の範囲のお知らせです。
 建暦二年①三月廿日条、②五月七日条、③六月七日条、④六月十五日条、
     ⑤七月二日条、⑥七月七日条、⑦七月九日条
の以上です。
 先週まで出席できませんでしたが、また元のように毎週出席したいと思います。
また毎週岩田さんにはご迷惑おかけしました。『吾妻鏡』も久々でしたが、お借りした『太平記』の足利尊氏(真田広之)も久々に会うことができました。ありがとうござい
ます。

『市史研究横須賀』・金沢文庫図録拝受

No.3884

 本日の『吾妻鏡』は久方ぶりの長村君(予習完璧)の参加もあり、なかなか充実した内容でした。さすがに厳選しただけあって、読んだ条も面白い内容でした。例のごとく雑談に及んで、終了は7時を過ぎてしまいました。さて、次回も楽しみです。
 授業の終わった3回生も途中からでも是非御参加下さい。卒論で鎌倉時代をテーマにしようとしている4回生もどうぞ。後期からでは、全く間に合いませんから。

 ◇ 本日も以下の資料の御恵送をいただきました。あつく御礼申しあげます。
 
 横須賀市より『市史研究横須賀』創刊号~第4号。
 神奈川県立金沢文庫より企画展図録『頼朝 範頼 義経-武州金沢に伝わる史実と伝説-』

 『市史研究横須賀』第4号掲載の、高橋秀樹・真鍋淳哉「三浦一族を読み直す-資料解説拾遺-」は、拙稿「執権体制下の三浦氏」の克服を一つのテーマとされていますので、私には裨益するところ大きいものがありました。
 神奈川県立金沢文庫の企画展図録の参考文献欄には、拙稿「源範頼の軌跡」(『鎌倉』65)があげられておりました。お役に立てたことをうれしく存じております。

 ◇ 近く再掲しますが、本年度の公開講座の開催日(25日)がいよいよ切迫して参りました。ゼミメンバーのみなさん、御協力をよろしくお願いいたします。諸役の分担につきましては水曜(22日)の事前学習会のおりに。また、水曜日には講座で使用するレジュメの準備もしたいので、『百錬抄』開始前に時間の空いている方は研究室にお集まり下さい。

 ◇ 『古代文化』の頒布について
 公開講座当日には古代学協会の古藤先生が平家や武士論関連の『古代文化』特輯号を会場前にて実費頒布してくださるとのことですので、この機会を御利用下さい。

 ◇ 髙橋昌明著『増補改訂 清盛以前』在庫僅少の情報
 山田ちさ子さんより、上記の情報をいただきました。未購入の方はお早めに。ご注文は文理閣(℡075-351-7553)まで。

『義経』の「法住寺合戦」はどうなるやら?

No.3882

 先日の『台記』研究会で久々にお目にかかった元木先生・美川先生とも、すでに大河ドラマ『義経』は御覧になっていないとのこと。文字通り見捨てられたようです。
 私ももはや放送内容についてコメントを記す意欲も気力も失せつつあるのですが、どうも本日の放送では寿永2年11月19日の法住寺(殿)合戦が描かれるらしい。
 法住寺殿といえば、京都国立博物館(七条殿が所在)・三十三間堂(法住寺殿内の蓮華王院本堂)から、タレントの島田紳助氏の母校である大谷高校(敷地の殆どは法住寺殿南殿の園池)・一橋小学校(建春門院の御願寺である最勝光院が所在)といった京都女子大の通学路周辺に展開した院御所であり、「法住寺(殿)合戦」はその南殿が舞台であったわけですから、触れざるを得ません。
 この合戦について大河ドラマがどう描くかは知りませんが、「この合戦に関する限り、私には、『平家物語』の叙述が一々気に入らない」と仰るのが上横手雅敬先生(『平家物語の虚構と真実』)です。たしかに、この場面ほど『玉葉』や『愚管抄』と『平家物語』の記述とのコントラストが鮮やかなところはない。『平家物語』のイデオロギーが明白です。
 また、この合戦に際し、後白河が蓮華王院に当時の真言・天台密教界の頂点に立つ僧侶を結集して院政期最大規模の調伏法を行ったことを指摘した論文として横内裕人「密教修法からみた治承・寿永内乱と後白河の王権」(『日本国家の史的特質 古代・中世』)があります。後白河は宗教的武装をもって義仲に闘いを挑んだのであり、そこで仏教的守護神と化して奇怪な行動をとったのが他ならぬ鼓判官・平知康ということになります。
 この論文はおそらく大河ドラマなどよりはるかに面白い。
 しかし、法住寺合戦についての最新のすぐれた研究といえば、長村祥知「法住寺合戦について-『平家物語』と同時代史料の間-」(京都女子大学宗教・文化研究所ゼミナール『紫苑』2)をあげないわけにはいかないでしょう。この論文は2003年8月25日に京都女子大学で開かれた学習院大学兵藤裕己ゼミと当ゼミの合同研究会における発表を前提とするもので、法住寺合戦に関する同時代史料を整理し、『平家物語』との相違を検討する中で、「史実」に対する歴史叙述の方法とその内実にせまった好論です(このHPで読むことが出来ます。ちなみに、この論文を発表したとき長村君は学部生でした)。
 なお、法住寺殿に関する拙論としては、単著では「法住寺殿と小松家の武将たち」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』15)、以下、山田邦和先生との共著として「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」(同16)・「六波羅の軍事的評価と法住寺殿を含めた空間復元」(同17)があります。

 さて、この法住寺合戦によって廟堂を制した義仲は将軍の官職を得るのですが、それが『吾妻鏡』などのいうように征夷大将軍ではなく、「征東大将軍」であったことは、櫻井陽子先生の紹介された『三槐荒涼抜書要』所収『山槐記』建久三年七月記事によって明らかです(「頼朝の征夷大将軍任官をめぐって」『明月記研究』9)。

 「法住寺殿」は「ほうじゅうじどの」とよみます。念のため。

Re: 『義経』の「法住寺合戦」はどうなるやら?

No.3885

みなさん、こんばんは。
「義経」の「法住寺殿合戦」(どうしてみんな、法住寺合戦というんだろう?)の回を見ました。
やっぱり、なにをか言わんや、でしたね。法住寺殿を焼かれた後白河法皇と丹後局が殿中で逃げまどい、乱入してきた義仲の前にひざまずき、手を合わせ、涙を流さんばかりの風情で「命だけは助けてたもれ」と哀願しているのを見て、目が点になりました。『吉記』(寿永2年11月12日条)に「義仲軍破入所々、不能敵対、法皇駕御輿、指東臨幸、(中略)義仲於清隆卿堂辺追参、脱甲冑参会、有申旨、於新御所辺駕御車、于時公卿修理大夫親信卿、殿上人四五輩在御供、渡御摂政五条亭云々」とちゃんと記されています。つまり、法皇は輿に乗って逃げ出したところを義仲が追いつき、一応はきちんと礼を尽くした上で車に移し、五条亭へと入れたのですよ。法皇があの合戦の際に命の危険にさらされていたことは確かですが、なんぼなんでもあの命乞いはないだろう。平幹二郎さんにあんな学芸会的道化芝居をやらせるなよ!
 それに! せっかくの法住寺殿合戦なのですから、草刈正雄さんが演ずる鼓判官こと平知康が、奇矯な格好をして法住寺殿の築地塀の上に立って舞を舞うシーンがなくちゃダメじゃないか! これが見たさに昨日のテレビにかじりつき、結局は失望してチャンネルを変えた人も多かったんじゃないでしょうか? それにしても、草刈さんは腹に一物ある貴族を演じさせたら右に出るものはいないね。かつての大河ドラマ「花の乱」〈日野富子が主人公〉でも、演じた内大臣日野勝光が絶品でした。今回の「義経」の中では成功しているキャスティングではないでしょうか。
 以上、ひさしぶりの「義経」論評でした(それでも、元木・美川両先生がリタイアされたのでちょっと淋しいな・・・)。

元木先生の新稿の紹介。さらに【追記】

No.3878

 元木先生の新稿「源平争乱と播磨」が明石中世史編纂委員会『講座 明石の中世史 戦乱に揺れた明石』(明石市教育委員会)に収録されています。
 昨日、元木先生より『台記』研究会の席上で本稿抜刷を拝受いたしました。
 福原遷都の前提としての平家と播磨の関係や梶原景時による播磨支配など、例の如く読者の頭の中を整理してくれる御論稿です。『平家物語』を研究対象にされている国文の方も必読です。

 * 迷惑メール、一時は減少したのですが、やはり跡を絶たないようです。削除のために対象とするメールを指定しただけで、直接おかしなサイトに繋がってしまうようなケースもあります。この掲示板にアドレスを書き込んでも暗号化されるので心配ないとのことですが、また、対策について鈴木君に御教示を願いたいと思います。

【追記】
 ☆ 昨日の『台記』研究会で辻君の担当されたところに出てきた若狭局 =平政子=平正盛女説は西井芳子「若狭局・平政子」(角田文衞博士古稀記念『古代学叢論』古代学協会、昭和58年)・同「若狭局と丹後局」(古代学協会編『後白河院 動乱期の天皇』吉川弘文館、平成5年)に展開されています。たしか、のちに、この説に対する異論が発表されたはずなのですが、思い出せません。御記憶の方、お教え下さい。

 ☆ 山川出版社の『歴史用語変換辞書 Ver.3』を導入しました。年代が和暦・西暦対応で変換でき、日本史関係の固有名詞もすぐに変換できるのでなかなか便利。原稿執筆が捗りそうです。同業の皆さまにお勧めいたします。価格は6,300円。

湯浅治久『中世東国の地域社会史』刊行

No.3881

 私が千葉で千葉氏をはじめとする地域史の研究をすすめていた頃、たいへんお世話になり、いろいろと学術的な刺激を与えてくださった湯浅治久先生(市川市歴史博物館)の新しい論文集が岩田書院から刊行されました。中世東国社会に関心をお持ちの全ての皆さんに、お勧めしたい素晴らしい一冊です。
 御恵送いただいた湯浅先生にあつく御礼申しあげます。

 一昨日、本学史学科の稲本紀昭先生より御高論「北畠城館趾をめぐる問題」(『京都女子大学大学院文学研究科研究紀要 史学編』第4号 抜刷)を拝受。また、本日、愛知学院大学の福島金治先生より御高論「鎌倉松谷正法蔵寺小考」(『年報中世史研究』第30号)、三浦一族研究会より『三浦一族研究』第9号(村井章介「西国の三浦氏」など掲載)を御恵送頂きました。あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 本日午後、ML催促に応じて、研究室に山内さん・立花さん・尻池さんがお見えになり、一生懸命に仕事をしてくださいました。ちなみに、東京ゼミ旅行の直前に発生した某事件を彷彿とさせるような面白い事件もありました(詳細は山内さんに聞いてください)。
 そして、仕事が一段落したあと、三人の将来の展望について長談義に及びました。
 田中さんを筆頭とするゼミ先輩の皆さん、悩める後輩たちに機会あるごとによきアドバイスをお願いいたします。

ご無沙汰しております

No.3876

下のほうのスレッドで野口先生から「運転免許は・・?」とのコメントが入っていたのでそのレス+質問を。。。。

平日の休みがなかなかないので試験場へいけず、まだ取得できておりません。
今週木曜日は生徒が芸術鑑賞のため休みになるのでその隙にゲットしたいと思います☆
とはいいつつ・・・もう学科を受講していたのが遥か数ヶ月前なので内容が記憶から飛んでいることに加え、まったく試験勉強をしていないので危険です☆いまからすこしがんばります。

今日は中学校で元寇についての授業をしました。
そこで教科書の「蒙古襲来絵詞」を見ていた時、「先生、この時代もレオパード柄って流行ってたん?」と質問してきた子どもがいました。
何のことかというと、集団戦法で闘う元軍の兵士のうち一番手前側にいる兵士の弓矢入れ(?)だけが豹柄なのです。
他の兵士は同じような柄の弓矢入れは背負っていないので、これは元軍みんなが持っていたものなのか、それとも彼の自前なのか・・・はたしてこれは本当に豹柄なのか???「流行」というわけではなさそうですが、この当時の元ではこういった柄の入った弓入れが一般的だったのでしょうか・・・?
(中には「これは豹柄ではなく水玉柄だ」という子もいました☆)謎は深まるばかりです。

絵巻に関連する話では他に、武士の生活の単元の時、教科書の「一遍聖絵」を見せて、この絵の中にはどういった人物がいますか?と問いかけたところ、「化け猫が門の前に座っている」と答えた子がいました。
「化け猫なんて登場していたっけ・・・?!」とあせって話をきいてみると、門を警護している武士が脇にさしている刀が、うまい具合にお尻からタヌキか何かのしっぽが生えているように見えていたのでした。これにはさすがにうならされました☆(笑)

他にも「鎌倉の地名はなぜ鎌倉なのか?」など、思いつきもしなかった素朴な疑問にどきりとさせられたりします。
上の蒙古襲来絵詞の豹柄の謎とあわせて、どなたかご存知の方がおられたら何か手がかりを教えてください。お願いします。

答えないのがよい回答。

No.3877

 テレビのクイズ番組のように、何でもすぐに回答が得られるものではないということを生徒に教える良いチャンスだと思います。
 即答できないと教師としての沽券に関わるなどと考えてはいけません。
 「鎌倉」の史料所見がいつまで遡るかを示し(『国史大辞典』の該当項目を私の恩師が執筆しています)、歴史学で断定的に言えるのはここまでで、そこから先は推測になる。近世の地誌類(『大日本地誌大系』など)に諸説が載っているので、総合資料館や府立図書館に行って調べて、その当否を考えなさい。という段取りだと思います。
 運転免許の方も、頑張ってください。

 『蒙古襲来絵詞』については、豹ではなく虎皮の話ですが、保立道久「虎・鬼ヶ島と日本海海域史」(『物語の中世』東大出版会、1998)が大いに参考になると思います。

ありがとうございました

No.3879

ありがとうございました。
次回からそのように答えてみることにします。

ちなみに昨日から体調を崩し、運転免許の試験は結局受験しませんでした。
たまたま学校が休みでよかったな・・・と思う反面、またしても免許取得が遠のいてしまい残念です。
ゼミ旅行までには間に合うようにしたいです(>_<)

学校の先生は大変でしょう?

No.3880

 学校の先生の仕事は本当に心身共に疲れますから、そのあたりの自己管理も大切です。とくに永富さんは、生徒のために一生懸命になってしまうタイプと思われるので、教科指導のみならず生活指導も頑張っているのだろうと思います。永富さんの教え子は幸せです。
 早々に体調を回復して(一日休んで、もう、元気溌剌だと思いますが)、運転免許をゲットしてください。自動車で通勤出来るようになると、かなり体力的→精神的にも楽になるのではないでしょうか。でも気をつけて!
 ゼミ旅行では、宮崎自動車道路で高速教習を致しましょう(若葉マーク持参のこと)。鹿児島は市電が走っていて、これも良い経験になることと思います。ただし、永富さんに運転をお任せすることになるかどうかは、参加メンバーのご意向次第ですね。

6/20の吾妻鏡講読について

No.3871

 次回、6/20(月)の吾妻鏡の講読の範囲をお知らせします。
  日時:6/20(月)、15:30~
  場所:L校舎3F 宗教・文化研究所共同研究室
  範囲:①建暦元年十二月二十日条、②建暦二年正月十一日条
     ③建暦二年正月十九日条、④建暦二年二月十四日条
     ⑤建暦二年二月二十八日条
     以上
 より多くの方のご参加をお待ちしています。

この辺りの『吾妻鏡』の記事は面白い。

No.3874

 >岩田君  『吾妻鏡』講読会、よろしくお願いいたします。それにしても、今読んでいる辺りは本当に面白い記事が多いですね。私には、じっくりと検討する時間がないのが残念です。
 気のあった(優秀な)仲間たちと史料を読むのは実に楽しいことですね。

 >鈴木君  カーナビ、本体を取り替える形でトラブルは終結しました。保証期間中なので無料で済みました。「行き先を設定しても絶対に指示通りに走らないのが故障の原因であろう」、というのが<天からの声>です。

 >八井君  ゼミ旅行中の宴会では、「ヤツケンサンバ」という出し物が用意されており、そのための振付を研究中との風説が乱れ飛んでおりますが、何者かの陰謀による情報操作でありましょうか?

絶句

No.3875

>ヤツケンサンバ
 んなアホな・・・。(^^;)
 誰の「陰謀による情報操作」か、だいたい目星はついてますが(苦笑)。


交通手段(チケット類)調査および料金設定、大詰めです。
夏の旅行は先手必勝!!

ゼミ旅行日程

No.3870

 下でも既に示しておりましたが、鹿児島「白熊」ツアーの日程を8月18日~20日で正式決定したいと思います。
 よって往路フェリーを使われるかたは8月17日夜の出発になりますのでよろしくお願いします。
 この日程に関して数件曖昧なお返事をいただいております。最終的なお返事を水曜日までにいただきますようお願いいたします。それ以降の参加に関してもなるべく手配は致しますが、飛行機の席などは離れることになったりしますのでご了承ください。

 また、例年通り事前学習会を開催することになろうかと思いますが、その日程に関しては旅行参加者に仕事を持っている人が多いこともあり、もう少ししてから日を設定したいと思いますのでよろしくお願いします。
 
 また、往復フェリーを使用・往復飛行機を使用・解散後残留などの予定もお知らせ下さい。

公開講座事前勉強会の参考文献

No.3869

事前勉強会の参考文献は、高橋慎一朗氏、「六波羅と六波羅探題府」、「中世前期の京都住人と武士」(『中世の都市と武士』吉川弘文館、1996年)、「鎌倉期の都市京都における「在地人」」、(『日本史研究』、481号、2002年)です。宜しくお願いします。

例会について。

山岡瞳
No.3872

↑の山内さんの書き込みにもありますように、22日の18:00から事前学習会が開かれます。
その前の16:00から百練抄の講読会も開かれます。
範囲は養和元年八月四日~十二月五日までです。中心となるのは、平家の北陸道追討です。
こちらもふるってご参加ください。

文献紹介

No.3873

 ↑のごとく、山内さん・山岡さんともに、研究意欲満々です。頼もしい限り。
 
 ☆ ゼミ旅行。日程と実習などの予定が近接していて、参加断念を余儀なくされているメンバーもいるようです。いささかハードスケジュール・ハードプライスになるかも知れませんが、行程には薩摩・大隅の一宮や川辺の清水磨崖仏・知覧など多くの見所が予定されていることでもありますし、何とか参加を期待したいところです。
 京女生はお友達もお誘い下さい。

 ☆ ところで、タイトルの件ですが、新刊の『生涯学習センター年報』第6号(東北福祉大学生涯学習センター)に、
   入間田宣夫「義経の遺産」
   野口 実「義経の周辺」
が掲載されています。義経ファンの方には、ぜひお読みいただきたいと思います。
 
 また、出たばかりの『ヒストリア』195には、
   守田逸人「伊賀国における伊勢平氏の展開」
   秋山哲雄「都市鎌倉の東国御家人」
という、当ゼミメンバーの関心を誘うテーマの論文が掲載されています。

ゼミ旅行行程案です。

No.3863

 遅くなりましたが、ゼミ旅行行程案です。まだ確定していない部分もありますが、ご意見お寄せいただきますようお願い致します。(往復以外の部分はすべて車での移動です)
日程ですが②の8月18日~20日でまとまりそうです。

0日目:大阪港(フェリー)19:30→宮崎港翌8:20
1日目:宮崎空港にて集合(12:30予定)→宮崎神宮→都城歴史資料館→霧島神宮→和気神社→鹿児島神宮→隼人塚→大隅国分寺跡→鹿児島市内泊

2日目:金峰町(小園遺跡・持躰松遺跡・観音寺跡・埋文センターなど)→川辺町(清水磨崖仏・松尾城跡・宝福寺跡など)→昼食(岩屋公園でそうめん流しか?)→知覧町(武家屋敷群・知覧城跡・ミュージアム知覧・特攻記念館・豊玉姫神社)→枚聞神社・池田湖(イッシー探し)→指宿泊

3日目:指宿市(指宿神社・指宿城趾など)→慈眼寺公園(ふるさと考古歴史館)→鹿児島市内へ(白熊・黎明館・維新ふるさと館・示現流資料館など)→尚古集成館→解散

解散地についてはもう少し考えます。また、鹿児島市内散策は行きたいところが分かれた場合は別行動になるかもしれません)

 帰りの飛行機は鹿児島空港17:10(伊丹18:15)か18:45(伊丹19:50)になるかと思います。
 まだ、欲張りすぎで削る箇所があるかもしれませんが、とりあえず、現段階での計画です。また、行き先についての意見はどんどん下さい。よろしくお願いします。

事前リサーチ

No.3864

>門屋さん
 なかなか盛りだくさんな内容ですてきですね。イッシーを知っているか否か、ジェネレーションギャップを感じそうで怖いです。 

 ところで来月半ばに友人の結婚式があるため、鹿児島に行くことになりました。
 事前に調べておくことなどございましたら、お申しつけください。ちなみに、帰りは一足お先に「つばめ」乗車、としゃれ込んでみるつもりです♪

Re: ゼミ旅行行程案です。

No.3866

>薗田さん
 すてきなお申し出ありがとうございます。事前調査員としてご活躍いただけるよう、質問考えておきます!イッシー・・・やっぱり古いですかね・・・。

>ゼミ旅行参加の皆様
 帰り飛行機使わない!という方は事前におっしゃってください。2ヶ月前から早割チケットが発売になりますので、来週頭には飛行機のチケットは押さえることになると思います。よろしくお願いします。(行きに飛行機を使いたい方は今週半ば頃までにお返事下さい)

あとは台風

No.3867

 門屋さん、日程がほぼ決まったようでよかったです。また何かありましたらご連絡下さい。あと、車を1台提供しますので、予算を立てるときにレンタカー1台分は不要です。初日、宮崎港までお迎えに上がります。20日は仕事の関係上、午前中だけになるかもしれませんが、可能な限りお手伝いさせていただきます。
 心配なのは台風です。昨年は当たり年でしたが、土曜日の南日本新聞によると。今年は奄美のデイゴの花が少なく、裏年は台風が少ないと言う言い伝えがあるそうです。科学的な根拠はないそうですが、期待したいと思います。

ありがとうございました

No.3860

野口先生、送っていただきました広報誌ですが、昨日担当の先生から頂きました。
ありがとうございました。
本来なら、昨夜のうちにお礼をするべきところでしたが、本日模試があったため昨夜は書き込みできませんでした。
申し訳ありません。

最近、日本史も大和政権に入り、推古朝の話など、興味深いものが多く毎日が楽しいです。
大学に関する調べ学習の時間も増えて、将来について考える時間が増えてきました。
現在興味を持っているのは心理学系の学部なのですが、歴史の中にも先人達の思いがあるはずだと思い、やっぱりどこかで繋がっているのだなと感じています。
私は、学びたいという気持ちがある程度先に立っている分楽をしているのかもしれませんね。
「下手の横好き」から「好きこそ物の上手なれ」に進化できるように、日々精進したいと思っています。

ありがとうございました

No.3861

伊藤さんより一足遅くなりましたが、私の所にもお送りいただいた広報誌が届きました。
模試の前日だったこともあり、精神的に大変励みになりました。
ありがとうございました。
もう少し早くお礼をするべき所でしたが、パソコンの調子が悪く遅くなってしまいました。
申し訳ありませんでした。

去年、縁結びの神様である出雲大社に遠足で詣でたおかげでしょうか。
野口先生との素晴らしい出会いがあり、また今年から始まった日本史では去年まで島根県埋蔵文化センターにいらっしゃった現場経験豊富な先生に教えていただくなど、最近、自分の周りの縁について考える機会が増えました。
「最高の環境と最高の人間関係」これを無にしてしまわぬよう、日々努力していこうと思います。

伊藤さん・大國さん、とても期待しています。

No.3865

 伊藤さん・大國さん、書き込みをありがとうございました。
 真剣に将来について考え、いろいろ知見を広め、且つ一定の見通しを定めつつあるようで、流石だと思っています。将来が楽しみです。
 5月30日に京都女子大学史学科3回生に講話をさせていただく機会があり、そこで出雲高校の皆さんからいただいた私の出張講義に対する感想文、とくに大学に対する期待に関する部分を紹介させていただきました。ちょうど、3回生というのは皆さんの4年後の年齢です。ですから、皆さんと同じように希望を抱いて大学に入ってきた結果、今はどうなっているのか、初心に立ち返って考えてください・・・といった趣旨のお話しを致しました。NO.3796に書き込んでくれた尻池由佳さんのように、昔の気持ちを思い起こして、もう一度自分の将来について考えなおしてくれた人もいたようで、うれしく思っています。こうしてみると、出張講義というのは、ただ高校生に大学の講義の様子を伝える以上の意味のあるものだと思いますので、これからも頑張ろうと思っています。
 伊藤さんや大國さんたちが京都の大学に来てくれたら、専攻にかかわらず、ぜひ私のゼミに参加して欲しいと思います。そうでなくても、京都にお出での節は、ぜひ遊びに立ち寄ってください。
 末筆ながら、進路指導部の大谷先生をはじめ、先生方にもよろしくお伝え下さい。
 なお、先週の後半から、滋賀県・奈良県・福井県などに調査に出掛けていて、返信が遅れたことをお詫びします。お元気で、御活躍下さい。

「白熊ツアー」料金概算

No.3858

お知らせが大変遅くなりました。

往路はフェリーで宮崎IN、現地レンタカー移動、復路は飛行機で鹿児島OUTの行程で
お一人様36,000円程度(拝観料、食費等別途)を見込んでおります。

なお、参加人員が増えれば増えるだけ宿泊費、レンタカー代等の一人あたりの
負担が減り、ツアー料金が安くなりますので、多数のご参加をお願い致します!!


>門屋君
 行程試案のUPよろしく!

南九州調査・研修旅行&カーナビの怪?

No.3859

 八井君、ありがとうございました。
 希望の多い見学地を前提におおまかな旅程が決まってきたことと思います。各自、それぞれが事前学習のテーマを設定して、それに応じた調査対象を明確にし、旅行を実りあるものにしていただきたいと思います。私も本年度の自らの研究課題に即して、この機会に見るべき所を見てきたいと考えています。そのため、もちろん全体での調査・見学にもお伴しますが、ちょっと個人的な調査もさせていただきたいと考えています。

 本年度は、ゼミメンバーの多くが教職に就いたこともあって、春の宿泊をともなう旅行の実現は無理かも知れません。しかし、車を利用しての日帰り旅行ならば・・・という思惑で、奮発して取りつけたカーナビが、旅行の実施を待たずに故障してしまいました。宮津に行っておけば良かった・・・。
 エンジン始動と同時に作動するはずが、昨日から機嫌が悪くなり、なぜか20分ほど走行してからいきなり電源が入るという症状です。昔の器械なら配線の接続やら、簡単に原因が究明できたのですが、パソコン同様にお手上げです。
 「今・安倍晴明」の鈴木君なら、おわかりでしょうか?

カーナビの件

No.3862

 後付のカーナビですので、スピードメータとの連動は無いはずですから、カーナビに電源を供給しているケーブルが少し緩んだか、もしくは液晶ディスプレイ自体が温度変化によってやられてしまったのか、バッテリーの不調なのか...電源・画面両方に故障の可能性があります。

 野口先生のカーナビの場合、購入されてから間もないと思いますので、設置店で無償修理が出来る“はず”です。ここ最近は商用車やタクシーにもカーナビはついていますし、車には無くてはならない装備ですので、設置した業者にはしっかりと仕事をしてもらう必要があると思います。

 車関連は疎いので、細かな解説は詳しい方にお任せすることにしますが、不調が出てきているということは、どこかにトラブルの種が潜んでいそうな気がします。車内の設備に関しては、それほど時間もかからずに故障のチェックはできると思います。

 

『中世信濃武士意外伝』

No.3868

 鈴木君、コメントをありがとうございました。販売店に連絡して診断を仰ぐ段取りに致しました。昨日、若狭武田氏の館跡などの調査のために小浜の方まで出掛けたのですが、肝腎なところでカーナビが機能せず、本当に参りました。ちなみに、帰路は京北町を通りました。永富さんは、免許どうなりましたか?

 ☆ 本日、研究室に長野県立歴史館の村石正行先生の御配慮により、同館編『中世信濃武士意外伝 義仲から幸村まで』(郷土出版社)を同館から御送呈いただきました。タイトルと同じ企画展に基づく御本で、一般対象ですが、新出の史料も入っていて貴重です。 また、村石先生からは御高論「室町幕府奉行人諏訪氏の基礎的考察」(『長野県立歴史館研究紀要』11)も御恵送いただきました。
 長野県立歴史館ならびに村石先生にあつくお礼を申し上げます・