今回の義経

No.3745

 まったく恒例になってきましたね。義経ネタ。 と、いうことで、今回も悪口を書こうと思ったけれど も・・・ しかし! 悪くなかった!(今回だけは)。

 もともと今回は、清盛病に伏す→死ぬ→みんな、涙にくれる、という単純な構成ですから、変な小細工はしたくてもできない、というところはあったと思います。
 でも、平盛国邸でしみじみと酒を酌み交わしている時に発作をおこして倒れる、というのは、なかなか良い設定です。そうでもしなければ、なぜ清盛が盛国邸で死去した(これは歴史的事実)のかの説明が難しい。それから、「頼朝の首を墓前に供えろ」という清盛の遺言を時子の創作としたところも、従来の無理無体の辻褄をなんとかあわせましたね。今回のドラマの温厚で優柔不断な清盛があの強烈な遺言をどうやってするのかと思っていましたが、なんとか破綻を回避しました。めでたしめでたし。
 と、いうことで、今回は合格点。中井貴一の頼朝もなかなかサマになってきましたし。

 とはいうものの、これは今回の放映に限ったことであって、歴史的事実と比べると物足りないところがあります。それは、養和元年(治承5年、1181)閏2月4日の清盛の薨去の直前に、もうひとり、大事な人物が世を去っていることがまったく描かれていないことです。それは、その2ヶ月前の1月14日に崩御した新院・高倉上皇その人です。今回のドラマでは新院がまったく描かれていません。しかし、私が以前から強調しているように、高倉上皇こそは清盛の政権の要ともいえる人物であり、彼が崩じたことによって清盛の政権構想はガラガラと音をたてて崩れ去るのです(ところで、今回のドラマで高倉上皇を演じていたのは誰でしたっけ・・・ それほど影が薄いんですね)。

 細かいことでケチをつけると、熱を下げるために清盛のまわりに立てられていた氷柱。まったくの氷の塊ですね。氷はあってもいいのですが、冷蔵庫はないのですから、氷は板状であったような気がします。どうでもいいことですが・・・

 あと、清盛が眺めていた西八条第の「蓬壺」という蓬畑。なんか変なシーンですが、ウチの奥さんによるとやっぱり変だったようです。詳しくは彼女から聞いてくださいませ。

追記:今回の「義経」について、東京都立大学の川合康先生が好意的な評価を書いておられます。同感です。http://blogs.yahoo.co.jp/kibamusya2005/MYBLOG/yblog.html

猛き者も、ついには滅びぬ。

No.3746

 元木先生は、すっかりお見捨てになられましたが、小生は「或る人」からの要請もあることなので一言。
 史実という点から言えば、落とせないのは高倉上皇の死とともに、還都後の平家がかなり積極的に動いているという点です。まずは八条~九条末における新首都構想の実現に向けて動き出している。平盛国の邸で清盛が死んだのは、たまたま滞在していたからではなく、その新首都の中核的位置に盛国邸があったからであることは明らかです。この点については、盛国邸が九条河原ではなく八条河原に位置していたことともに、高橋昌明先生が最近の論文(↓で紹介)で指摘されるところです。
 また、宗盛が畿内近国の総官に、家人の平盛俊が丹波国諸荘園総下司職に補任されて独自の総力戦体制を構築し、それがある程度成功していた状況もドラマとはだいぶ異なります。
 清盛の遺言も右大臣九条兼実の日記『玉葉』に「我が子孫、一人生き残る者といえども、骸を頼朝の前に曝すべし」という武士の棟梁らしい恐ろしくも気迫に満ちたものであったことが伝えられていて、これは富士川合戦敗戦後の彼の態度などから考えても事実と見てよいと思います。
 なにしろ治承五年二月段階で、平家は近江・美濃の反乱軍の鎮圧に成功しており、あらたな体制作りに邁進する段階でした。
 これらの点については、ドラマに呆れてしまわれた元木先生の『平清盛の闘い 幻の中世国家』(角川書店)を是非ともお読み下さい。
 ところで、清盛の葬儀の際に、鴨川を挟んで八条河原対岸にあって後白河のいた最勝光院御所(現在の一橋小学校のあたり)から今様乱舞の声が聞こえたというストーリー構成上、好都合な事実があるのですが、これをドラマに取り入れないのは実に勿体ないと思いました。変なフィクションを考えなくても史実の中に面白い材料はゴロゴロしていると思うのですが。もっとも次回の放送に出て来るのかも知れませんね。

 もうひとつ気になったのは、鼓判官こと平知康の位置。院の近臣とはいえ、たかだか検非違使の尉が内大臣宗盛に尊大な態度をとっていましたが(大会社の社長秘書が系列会社の社長に対するがごときものでしょうか?)、あのような場面設定は可能なものかどうか、美川先生にお教えいただければ幸いです。
 ちなみに、先頃鎌倉で開かれたシンポジウムの講演において、上横手雅敬先生が在京中の義経を「後白河近臣の武官として平知康と同様な存在」と評価されたとのことで、これは一部の義経ファンにショックを招いたようです。

義経は平知康にあらず

前川佳代
No.3747

 ショックを受けた(というか逆上した)義経ファンの前川です。おそらく上横手先生がおっしゃりたかったのは、後白河院の側近でいうなら知康と同じ立場ということであったかと想像されたのですが、上横手先生の応援に駆けつけた身としては、我が耳を疑いつつ、その真意を質問してしまった次第です。冷静に考えるなら鎌倉で、しかも鶴ヶ岡八幡宮の境内で催されたシンポジウムだったので、リップサービスもあったことと存じます。他の先生方も義経には冷たく、まるで大河「義経」の鎌倉滞在中の義経をみるがごとくでした。鎌倉は鬼門です・・・
 昨日の義経では、頼朝の大倉御所の一郭に義経館が設けられてあり、頼朝の家人も「九郎御曹司」と呼んでいたところが印象的でした。上横手先生が注目されていることですが、『玉葉』や『平家物語』に頼朝と義経は「父子の契り」をなしたと出て参ります。養父子関係を結び、曹司住まいだったのでしょうか。『玉葉』には頼朝の代わりに「九郎御曹司」が上洛してくるらしいとの記事を載せており、「九郎御曹司」という呼び名であったことがわかります。次回登場の範頼は鎌倉でどうしていたのでしょう?小山氏、安達氏の近くにいたのでしょうか。
 土曜に亀岡で開催され、元木先生が基調講演された「頼政と義経」のシンポジウムでは、会場から「政子は本当に義経をいじめていたのですか?」という質問がありました。私の従兄弟からも、「毎回義経はみているけれど、本当に義経はかわいそうね」とメールがきてます。どうしてあんなに「可哀想な義経」にする必要があるのですか。
 普通に『平家物語』や『義経記』を読んだだけでも「可哀想」な人生と理解でき、判官びいきが生まれたのだから、これ以上「可哀想」を演出する必要などありません。あまりにも義経が気の毒すぎる。それゆえか、タッキーらしい義経が出てこない。対平家戦の初陣で、なぜにあのような愁いをこめた表情をせねばならぬのか。
 義経のすごさは、「可哀想」ではなくて、「可哀想」な人生であっても精一杯彼なりに生きたという証を八〇〇年を越えて残しているということです。私は、義経は逆境に負けない、もっと強く明るく、そして優しい人だと思っています。そこを強調して欲しいと願います。
 「義経展」のチケットが手に入りました。ご入り用の方はおっしゃってください。

義経展のチケット

No.3748

 前川さん、昨日は近藤好和先生ご登場の週刊誌をありがとうございました。ようやく拝見することが叶いました。また、上の書き込みで、いかに前川さんが義経に心酔されているかが、多くの方々に理解されたことと思います。前川さんの義経がらみの歴史叙述は黒板勝美著のごとしと、言われるてしまうかも知れませんよ。
 
 また、ありがたいお申し出に感謝します。
 義経展のチケットの必要なゼミメンバーは、明日のゼミ史料講読会・例会のときか研究室宛のメールで今週中に小生まで御連絡下さい。前川さんに一括して必要な枚数をお願いすることにします。
 なお、義経展では、元木先生の御講演も企画されています。できれば、その日に合わせて出掛けられたらよいと思います。

西八条殿の蓬壺。

No.3749

 タイトルの件について、山田ちさ子さんがblog「平家物語」に卓見を示しておられます。
 
 http://heike.cocolog-nifty.com/heike/

 ここに示された山田さんの御見解、これはまさしく正解だと思います。すでに趣味の域を脱していますね。
 

ありがとうございます

No.3751

わ~い。
野口先生、ありがとうございます。
ちゃんと立証できる史料を探そうと鋭意努力中です。

義経、せっかくのタッキーなのだから、もっとがんばって欲しいです。
わたしの中の義経を志垣太郎からタッキーに変えたいのですが、これでは志垣太郎のままかも。

蓬壺

No.3752

蓬壺と言えば、つぎの漢詩を思い出します。

  晁卿衡を哭す
  日本の晁卿 帝都を辞し
  征帆一片 蓬壺を遶る
  明月帰らずして 碧海に沈み
  白雲愁色 蒼梧に満つ

友人の阿倍仲麻呂の乗った帰国船が転覆し、死んだものと思った唐の李白が、その死を悼んで詠んだ「哭晁卿衡」の詩。結局仲麻呂は助かっていたのですが(^^;)
ここでいう「蓬壺」は、東の海中にある神仙の島ないし蓬莱山がイメージされていると思いますが、それを朝廷や宮殿を指すものとして利用した可能性はあるかも…、ですね。また中国との関係が深い平氏の邸宅に、この語句を用いたのは面白いなぁと思います。ちなみに『宋史』芸文志には『陶植蓬壺集』三巻・『蓬壺集』一巻という書物が載っております。

前回の義経から

美川圭
No.3737

また、義経放映の日がまいりました。
それまでに、前回分を見ておかねば、というのでいま見ています。

前半は、あほらし。
どういう風な人を対象にしたフィクションでしょうか。
千鳥と弁慶のシーン。
前には同じような義経と政子のシーンがありましたね。
作り手は、よほど、「潮騒」パクリがお好きのようで、
青春の想い出か何かがあるのでしょうか。
それとも、海辺というと、あれしか思いつかないのか。
とくに、歴史的にどうのこうのいう必要もないし。

後半。
平氏はもう負けるのが決まったかのように。ばらばらに福原を去り。
そして、頼朝は勝つことが決まったかのように、鎌倉建設。
こういう描き方というのは、もっともできの悪い小説やドラマの例です。
子供が物書きになろうとするとき、こういう風なもんを書いたら、
プロとしてはやっていけないよ。というか、才能ないからやめたら、
というつもりなのですが。この「甘い」国では、商売になるらしいですね。
ほんとうに日本は良い国です。
一回、NHKなどという大きな組織とコネができると、こんなストーリーでもいいとは。

山田先生。鎌倉建設の絵図。たしかに、あれはないでしょうね。
予定図の鶴岡八幡宮前に、若宮大路がない。
あれでは都市計画が成り立たない。

しかし、45分が長い長い。いま見ながら、これを書いています。
「ながら」でないと、見られません。この水準のドラマは。

福原と鎌倉の話がちょっとで終わり。また靜。
頼朝が「白拍子を娶るなどとは、公家やそれにかぶれた平家のようなもの」
なんて台詞。
わー、これって、もろに中世的な武士が、古代的な公家を克服するという。
何も勉強していない低次元のあたまの脚本家とつきあうのは、
野口先生のおしゃる仕事であるとはいえ、ほんとうにつらい。

いま、子供が起きてきました。
「パパ。これ見てるの」
「うん、お仕事だからね」
「じゃあ、いいや」
見たいテレビがあるみたい。
中学生に彼女にとっても、なんの魅力もないみたいです。

Re: 前回の義経から

美川圭
No.3738

暗証キーを間違えてしまい、修正ができなかった。
「義経と政子のシーン」→「頼朝と政子のシーン」
「中学生に」→「中学生の」

奥州でもうつぼ、鎌倉の靜、同じように京都に帰るんですね。
治承五年正月か。いまビデオが終わりました。
今日は清盛の死。
仲代達矢主演の新平家をもう一度見たい。
というか、子供に見せたいなあ。
歴史好きにはなってもらえそうもありません。残念。

平家の本拠・平家の鎮魂

No.3742

京都女子大学 宗教・文化研究所公開講座
  シリーズ 東山から発信する京都の歴史と文化⑦『平家の本拠・平家の鎮魂』
 
   「「六波羅」から中世を考える」
       東京大学史料編纂所助教授 高橋 慎一朗 氏
  
   「小宰相の局と「耳無し芳一」伝承―いくさ語りから江戸怪談へ―」
       京都精華大学教授 堤 邦彦 氏
  
   日時 6月25日(土)13:00~14:30・15:00~16:30 終了17:00

   場所 J525教室(京都女子大学J校舎5F・市バス馬町バス停下車 東へ徒歩約5分)

 以上、大河ドラマのコメントに代えて正式発表です。
 もちろん、大河ドラマ便乗企画ではありません。

 >佐伯先生  大津氏論文のコピーにつき、お手数をお掛けすることとなり、恐縮です。
 たいへん助かります。

Re: 前回の義経から

No.3744

 余りにばかばかしいので、今後一切のコメントは差し控えます。

25日例会の参考文献など

No.3733

 少し早いですが、今月4週目(25日)の例会に関するお知らせをしておきます。
報告:「木曽義仲再考 -源氏神話から読み直す-」(仮)

参考文献:①川合康氏『源平合戦の虚像を剥ぐ』第6章「奥州合戦」
     ②山本幸司氏『頼朝の精神史』第3章「神話復活の時代」
     ③高木信氏『平家物語 想像する語り』所収 Ⅲの義仲関連の論
     ④大津雄一氏「義仲考」(『日本文学』39巻7号 1990年)

 とりあえずこれだけ挙げておきます。広がってしまいまとまりのない発表になってしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。
 なお、大津氏の論文は大津氏『軍記と王権のイデオロギー』に収録されておりますが、出て間もないので図書館など入っているかどうかわからないので、初出を示してあります。

いよいよ木曾義仲「再興」の時節到来か?

No.3734

 面白そうな発表になりそうで楽しみです。
 大津雄一『軍記と王権のイデオロギー』は要注文ですね。
 おそらく月曜日には、全ての参考文献の本体あるいはそのコピーを山岡さんは揃えてしまっていると思われます。なにしろ、本日、山田御夫妻が奪い合いをされたという菱沼一憲『源義経の合戦と戦略』(↓参照)は、山岡さんはすでに昨日の段階で半分以上読了、各所にサイドラインありという有様でしたから。恐るべきことです。
 ちなみに、大津先生の新著に「『承久記』の変容」は入っているでしょうか。これは、『古典遺産』36号(1985年)に掲載された論文ですが、この掲載誌が京女になくて、困っていたところでした。 
 ところで、山本君は御自身の体調の悪さを「年齢のせいだ」などとおっしゃっておられましたが、30歳にもならないうちに、そんなことを言ってはいけません。老齢でも元気な方は頗るお元気です。それにしても、健康にはくれぐれも留意してください。 

 木曾義仲については、義仲滅亡後の北陸道支配について山本君が研究を進めておられることでもありますし、山内さんもチャレンジしてみませんか?

 >岩田君  良いお店をご存じですね。小生、お酒は苦手なので、最近、喫茶店が減ったのを憂慮していたところでした。考えてみれば、勇壮な戦国大名も茶席を大事にしていましたからね。酒で意思疎通を図るというのは、戦国武将以下の殺伐な発想かも知れません。民俗学の人に叱られそうな意見ですが。

Re: 25日例会の参考文献など

No.3739

 大津氏「『承久記』の変容」が収録されているかはしっかり目次を見たわけではないので、なんとも言えませんが、各軍記作品ごとにまとめられていたので、承久記関連のものも入っているのではないかと思います。一応ネット上で発注はしてあるので、わかり次第書き込むようにします。

「『承久記』の変容」

佐伯真一
No.3741

「『承久記』の変容」(古典遺産36号)は、残念ながら『軍記と王権のイデオロギー』には入っていません。第七章の『承久記』論は、「誰カ昔ノ王孫ナラヌ―慈光寺本『承久記』考」と、「『承久記』の成立と方法―〈終わり〉の危機と〈歴史〉の危機」の二本で構成されています。
 でも、私はもとの『古典遺産』36号を持っていますので、該当頁のコピーを野口先生宛にお送りしましょう。いろいろ頂いておりますし。
 ところで、下のスレッドの美川先生等の事故報道に対するご意見、全く同感です。今朝のこちらの朝日は、一面トップで宴会云々。謹慎しろという気分的なかけ声ばかりで、しばらく身をすくめてやり過ごさせるだけでは無意味でしょうに。スレッド違いながら、これも言いたくて、口を出してしまいました。

Re: 佐伯先生

美川圭
No.3743

佐伯先生、コメントありがとうございます。
次のようなAMLメーリングリストに書き込まれた意見が、参考になります。
朝日新聞への読者欄への投稿らしいのですが、もしこういうのをボツにすると、
マスコミ自体が言論統制しているといわれても、仕方がないような気がします。

http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-May/001405.html

また、同じスレッドの次の内部告発も、参考になります。

http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-May/001415.html

理解し難い「ボーリング」バッシング

美川圭
No.3728

この数日、たいへん怒っていることがあります。

テレビのニュースやワイドショーをつけると、
どこも同じように、JR西日本の天王寺車掌区の人たちが、
事故の日に「ボーリング」「懇親会」に行っていたことが、
ひどくバッシングされています。
居酒屋でどれだけ酒を飲んだとか、
いくらつかったかまで報道されています。

なんですか、あれは。
休暇をとっている人間が、当日レクリエーションをしたことが、
あれほど非人間的な行為のように、たたかれなければならないのでしょうか。
もちろん配慮に欠けていた行動といえばいえないこともないが、
所詮、その程度のことでしょう。
褒められることではないが、あれほど批判されるほとのことでもない。
天王寺車掌区から救援に行かなければならない状況でもない。
実際にJR内で人手が足らなくなって、大いにこまったなんて報道は聴いていません。
近所の工場などの人たちが救援したのとは、別の次元の問題でしょう。

仕事をさぼってボーリングしていたわけでもない。

被害者や遺族の苦しみは察してあまりあることです。
でも、その問題をなぜ結びつけて感情的に煽るのか。
事故現場の献花台の前で、関係者らしき人々に、
「ボーリング」のことについての予想されるコメントをとる必要があるのか。

いわゆる「自粛」ということを、感情的に強要されているにすぎません。

これのおかげで、支社長が「安全対策はそこそこに」という訓辞を垂れた
という遙かに重大な問題がかすんでしまっています。

マスコミには、もっと取材すべきことが、ほかにあると思います。

さらに、今日になって、
30日ごろのゴルフとか、1泊旅行とかまで、「不適切」とされる
報道がなされつつあります。
これでは、当分JR西日本の運転士や車掌は気晴らしもできません。
それによる過労が、逆に安全運転に悪影響をおよぼすかもしれません。
なぜ、そういうところまで、考えがおよばないのでしょうか。
理解できません。

ちょっと安心

No.3730

 同じ意見の方がいるという事がわかって安心しました。
 ここ数日、数mのオーバーランや、レクリエーションへの批判が続いていましたが

 たいていのJR西日本への批判の内容は「ロボット的・マニュアル的すぎる」というものでした。ただ、ミスをおこせない、休みに遊びも行けない、というのは、あきらかにロボットになれと言っているようにしか聞こえず、矛盾を感じています。

 どの鉄道会社でも、ホームに乗車位置を表示したり、編成の両数を時刻表に記載したり、マニュアル通り定刻に運転すること、つまりはロボットとして働く運転手を、鉄道を利用する側が求めているという状況だと思います。
 新聞でも、「安全は大事だけど、復旧してくれないと正直しんどい」みたいなコメントも出てくるようになりました。鉄道は結局道具ではありますが、自分勝手すぎるように思います。

僕も・・・

No.3731

安心しました。自分のblogにこんなこと書いたら速攻で反論されたので(笑)。

僕の場合、身近に現役社員(天王寺車掌区とはモロに関係のある)と被害者(幸い無事だったそうです)がいるので、どちらの立場もわかってしまうが故に非常に心苦しいです。しかし、メディアやマスコミが世間を煽動し、必要以上に一企業を叩くのはいかがなものかと・・・。それだけ会社としての「責務」を怠った罪は深いのは重々承知ですが。

その社員の同僚は、心無い利用者から暴言を浴びさせられたそうです。それを「当然」と受け取るか、「それはないやろ」と受け取るかは人それぞれでしょうが、世間がこういったモードになってくると、「人を傷つけることを言ってはいけない」という、人間としての倫理観までひっくり返されてもそれが普通、なんて機運になってしまわないかと危惧しております。「あれだけの人の命を奪っておいて」という声を背に正当化する人もいるでしょうが、それは違う。社員も人間です。自分の仕事に誇りを持って、日々乗務に勤しんでいる社員の方々が不憫でなりません。

ちなみに、オーバーランについては明らかに“過剰報道”です。何mオーバーしようと、車両がホームにかかっていて乗降できるなら運行業務上何の問題もありません(利用者から文句は言われるでしょうが)。昔僕が乗った列車が思いっ切りオーバーランし、バックして停めようとしたらまたオーバーラン!なんてのもありましたが・・・(^^;) あと、電車の行き先表示が間違ったまま走っていた、などと鬼の首を取ったような記事を見かけましたが、そんなのしょっちゅうです。4両編成すべてバラバラの行き先を表示して走っている列車を見たこともあります(確かにアレは困ったもんだったけど・・・)。喜び勇んで記事を書いたであろう記者、レベルが低すぎます。

Re: 理解し難い「ボーリング」バッシング

No.3736

 JR事故の件、たしかにマスコミは、もう少し本質的な議論をしてもらいたいですね。
 もちろん、こんな事故が起こったときに、JR関係の行事として懇親会を開くのは非常識です。非難されるのは当然ですが、何次会まで行って、どれだけ金を使ったか、となると個人の問題じゃないのかと思いますね。
 こうした情報は、一般視聴者に反感を与え、煽情しやすいものなので、低次元なマスコミは面白おかしく取り上げるのは当然といえるでしょう。
 事故はなぜ起ったのか、会社の体質とどう関係するのか、それをいかに克服するか、また被害を受けた人たちの様々な救済は進んでいるのか、それを支援する方法はあるのか。本当に必要な情報はそうしたことだろうと思います。
 以前の震災の時、百万人以上が非難し、困難な生活を強いられている時、ワイドショーは、犠牲者の話をいかにもお涙頂戴風に仕立てて報道しておりました。
 もちろん、犠牲者に哀悼の意を表すことは結構なのですが、そうした光景ばかり流し続けるのは、非被災者に震災をショーとして見せているようで、不愉快でした。
 それより、切実な生活情報や、再建支援につながる情報を流すべきだと腹立たしく思ったことがあります。

 かつて、分割民営化された時に、利益追求、人員削減が大事故につながる、という議論がありました。もちろん、事故の原因がはっきりしないので断定はできませんが、まさにその懸念が現実のものになったように思います。どうして、マスコミはそのことに立ち返って議論しないのでしょうか。
 国鉄が解体されたのは、膨大な赤字と、強くなりすぎた労組の抑圧のためでした。
 言うまでもなく、膨大な赤字は、大赤字が当然の地方ローカル線を大量に作らせた政治家に大きな責任があります。そのことは、全く反省されておりません。
 だから、かなり廃止はしたとはいえ、今でも当時の赤字線をJR各社は抱え続けているし、無謀な新幹線建設など、民間企業になったはずのJRに大きな負担をかける政策がとられているのです。
 こうした利益と相反する「公共性」を抱えながら、「民間企業」として、利益を上げなければならない。JRが安全を犠牲にしても、利益追求に走る一因はそこにあります。まして、基盤も弱く、多くのローカル線を押し付けられた西日本が、水準の高い関西の民鉄から強引に客を奪うために、安全を軽視してでも速度を向上させ、高密度運転をしなければならないのは、当然の結果なのです。
 運転士を恐怖に陥れる日勤教育こそ、かつての労使対立、労組横暴の負の遺産以外の何者でもないでしょう。そこまでして抑圧し、屈服させないと、使用者側は安心できない、そういう労使の不信感の現れではないでしょうか。
 かつてのような、職場規律まで乱すような労組の行動も論外ですが、現在のような利益第一ゆえの、労組抑圧が正しいのか。それこそ、危険な運転を余儀なくされている運転士たちの声は上層部に届いていたのか。事故の原因として、もっと厳しく追求されるべきでしょう。
 こうした問題は、現在の郵政はもちろん、「独法化」という名目で、独自の収入確保を強制されている「国立大学」の問題にも通じるものではないでしょうか。
 
 単に、JRが利益追求体質だ、それがけしからん、モラルも低下していると、うわべをあげつらっても問題の解決にはつながらないでしょう。信楽鉄道の事故や、救急隊員死亡事故のときに、マスコミがもっときちんとJRの責任問題を追及していたら、今回の事故は防げた可能性は高いと思います。
 
 あの快速の前の3両が同志社前行きでした(後ろ4両は松井山手で切り離し)。同志社前の改札は1両目が最寄でした。同志社関係者が多く犠牲になったのはこのためでした。
 子息の車より、電車が確実と、電車を信頼した婦人が犠牲になったとのこと。その信頼を裏切られた無念さは如何ばかりのことでしょうか。
 電車でこのような事故に遭うことなど、想像することもせず、普通に家を出た人たちが惨い運命に巻き込まれ犠牲になったことを思うと、今でも憤怒と涙を禁じることがせきません。
 なくなった方のためにも、鉄道の死亡事故は、もう二度と起こさないように、国家を挙げて根本的に取り組んでもらいたいものと思います。そして、マスコミこそが、その中で大きな役割を担う存在であることを、厳しく自覚してもらいたいと思います。

内輪の話も含めて諸連絡。

No.3723

 数江教一『源義経』(アテネ新書)、流石にすぐ売れてしまいましたね。

 >岩田君・山本君  月曜の『吾妻鏡』、よろしくお願いいたします。水曜の例会の司会は長村君にお引き受けいただきました。

 >京都女子大学の学生のみなさん  月曜の『吾妻鏡』(毎週)と水曜の『百錬抄』(隔週)の講読会には、とくに京都女子大学のみなさんの参加をお待ちしています。卒論で苦労している(しそうな)方も、ぜひどうぞ。毎回参加できなくても構いません。

 >田中さん  本日、お馴染みの「わびすけ」にて、久方ぶりに「これもり」にチャレンジし、見事成功をおさめました。山岡さんが記録写真を撮影して下さっております。

 >山田ちさ子さん  まだ、「小山さん」だった頃、小山さんだったか大森さんだったか、壬生狂言に行って手に入れられた蜘蛛の糸の固まりを、あの二条城の北にあった「平安時代史事典編集室」にお持ちになられたことを覚えております。千本ゑんま堂でも、GETされたとのことで、おめでとうございます。

 >明日、時間のある人へ  野口君お誘いの愛知県立美術館のほかに、亀岡で元木先生の御講演があることもお忘れなく。小生はGWのおかげでかえって仕事がたまってしまい、残念ながら行けそうにありません。

Re: 内輪の話も含めて諸連絡。

No.3724

 書店から確認のメールが送られてくるまで書き込むのを控えておりましたが、数江教一『源義経』(アテネ新書)入手に成功いたしました。その古書店のメルマガも読んでいるのですが、気付かず掲示板での情報なくして入手は不可能でした。野口先生ありがとうございました。
 先日のみやこメッセが空振り気味だったのですが、これで取り返しました。先日教えていただいた義仲関連の本も無事ネットで発見し入手できました。
 
 今月4週目の例会ですが、通常通り水曜日(25日)でお願いしようと思いますのでよろしくお願いします。参考文献等はまた書き込むように致します。

木曾義仲は、研究の余地、大いにあり。

No.3725

 おっ!門屋君が「犯人?」でしたか。見事です。あの本屋さんには、時にとんでもない掘り出し物があります。

 ところで、木曾義仲ですが、先日お教えした二著のほかに、歴史学の最新の論文として、菱沼一憲「木曾義仲の挙兵と市原・横田河原の合戦」(『群馬歴史民俗』25)があります(ここで恐縮ですが、菱沼先生に抜刷御恵送の御礼を申し上げます)。
 さすがに、研究熱心な山岡さんは、木曾義仲研究が手薄なことに目をつけられ、既にこの論文のコピー入手について御下命をいただいておりますので、門屋君の分も御用意させていただきたいと思います。
 なお、25日の門屋君の例会発表の司会は、いうまでもないことですが、田中さんにお願いいたしますので、宜しくご承知おき下さい。

近況色々

田中裕紀
No.3726

>野口先生
 わびすけの写メール、しかと受け取りました。
体調不良(名誉の為に言っておきますが、遊びすぎではありません)で仕事をした帰りのバスの中でメールを受け取りました(山道なので、体調不良の折にはかなりこたえます)。
満足げな野口先生のお顔に癒されました☆

>門屋くん
 さすがに抜かりない事で。野口先生から司会を仰せつかりましたので、当日はどうぞよろしく。
発表を聞かせてもらうのは久々ですから、楽しみにしておりますよー

維盛入水

山岡 瞳
No.3727

今日初めて噂に聞く維盛をみることができました!!絶妙なバランスで、しっかりと写メールに納めさせていただきました。

百錬抄ですが、範囲は養和元年二月~九月です。担当は山岡です。よろしくお願いします。

>野口先生
お手数をおかけし、すみません。先生がお持ちでなければ複写依頼をしなければならないところでした。

今回はぬかりなく

No.3729

>月曜の『吾妻鏡』 野口先生のご案内のとおり、どうぞいろんな方のご参加をお待ちしております。山本さん、もう元気ですか。

>野口くん 先月は京都にお忍びでおいでとのこと。水くさいなぁ。僕の居る・居ないにかかわらず、どうぞバイト先にも遊びに来てください。
 よその宣伝ですが、南座の隣の〈鼓月〉の喫茶室〈華心〉はいいお店ですよ。季節の和菓子や、とても上品なお善哉などがいただけます。
  http://www.kogetsu.com/sabou/#01
 愛知県立美術館の宣伝もありがとう。うちの母も言ってましたが、京都では中京(ちゅうきょう)地域の情報が意外なほど入ってこないのでありがたいです。愛知万博よりよっぽど興味をひかれますね。

>門屋くん 例会の場でお話しを伺ったのは、確か昨年の公開講座の事前学習会だったと思います。次回はどんなお話しが聞けるのか楽しみにしてます。
 

源義経の合戦と戦略

No.3732

野口先生 覚えていますとも♪
そのときの話を、えんま堂でも田中さんにしていました。

今日は、亀岡の元木先生のご講演、聴講してまいりました。
たいへん勉強になりました。ありがとうございました。

その帰り、本屋さんで菱沼一憲先生の角川選書から出たばかりの『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』を入手しました。
野口先生に教えていただいた、「源義経の政治的再評価」「源義経の挙兵と土佐坊襲撃事件」を読んでいたので、中身を見ずに速攻でレジに走りました。
ダンナさんと取合いっこして読みはじめています。

新年度が始まり、吾妻鏡、百錬抄の講読、楽しみにしています。
門屋さんの発表も楽しみです。
岩田さん、先日は欠席してしまい、すみません。

Re: 内輪の話も含めて諸連絡。

No.3735

  山田さん、ご来聴頂き、誠にお恥ずかしい限りです。本日は年配の方が多かったようなので、「速射砲」にならないように気をつけたつもりですがい如何でしたでしょうか。
 多少(かなり)余談が多くなりましたが、時間は1時間ぴったり。よかったのはそこだけかもしれませんが・・・。
 菱沼氏が本を出版するなら、義経論を大きく展開させた宮田敬三氏にこそ、出版をしてほしかったと思います。「ほしかった」と「過去形」で書きましたが、もちろん、これからお書きいただければ、大いに結構だと思います。もちろん、多少売れ行きは落ちそうですが・・・。
 氏の見解は、『吾妻鏡』に依拠した通説を根本的に再検討し、厳しい史料批判を通して、義経の行動を全面的見直した内容だけに、インパクトは極めて大きなものがあると思います。
 石浜さん、如何でしょうか。彼の書いたものは間違えなく面白いと思います(ご本人は訥弁で、直接お話しすると頼りなさそうですが・・・)。

 本日司会をされた上田正昭先生とは、『亀岡市史』の会議以来、一年ぶりにお会いしました。かつては万年青年を謳歌された上田先生も、さすがに老けられた、という印象をぬぐえませんでした。ご体調も思わしくないとのこと、十分休養されて、一刻も早く回復されますようにお祈りいたします。
 余談ですが、当方が大学一年の時の一般教養の国史学の講義でのこと、先生いわく「教科書に指定した私の本(小学館日本の歴史2『大王の世紀』)をまだ買っていないものがいるようだな。もう、買わなくてよい。売れすぎて税金が高くなって困るから」。
 物書きたるもの、死ぬまで以一度そんなことを言ってみたい・・・。

 本日、宮津の資料館より図録を頂きました。
 これを拝見しますと、展覧会は誠に素晴らしい内容で、まさに丹後の中世史料が一同に解する観があります。
 また、中世に限らず、古代史料も海部氏系図、丹後の古墳出土の青銅鏡、木簡など充実した内容で、古代に関心のある方にも、ぜひ参加していただきたいと思います。
 
 

愛知県美術館特別展のお知らせ

No.3720

本日愛知県美術館特別展「自然をめぐる千年の旅」をみてきました。当初僕は万博の便乗ものだからたいしたことないんじゃないかと思いあまり期待してませんでした。ところが実際行ってみてビックリ。第一室から信貴山縁起絵巻、法然上人絵伝、円伊筆一遍聖絵断簡など国宝重文のオンパレード。さらに狩野正信周茂淑愛蓮図、横山大観生々流転、円山応挙牡丹孔雀図、雪舟天橋立図など通常ではありえない程の名品が一堂に展示。他にも周文から池大雅、浦上玉堂、富岡鉄斎に与謝蕪村、酒井抱一に伊藤若冲、司馬江漢に谷文兆、渡辺崋山。挙句は葛飾北斎、歌川広重に岸田劉生、黒田清輝まで幅広い時代のそれぞれを代表する山水関連の傑作が展示されており、こうして作者名を挙げるだけで酔ってきそうなくらいです。また狩野秀頼高雄観楓図屏風、黒田清輝湖畔など教科書などでおなじみの作品も多数展示されており見所満載な展示です。
ただ残念ながらこの展示は今週日曜までなので興味のある方はお急ぎ下さい。係りの方の話では今回は万博協賛の特別展なので、今後巡回は一切しないそうです。おそらくこれほどの名品が一堂に会する機会も滅多にないと思うので、もし山水に少しでも関心のある方は是非お越し下さい。名古屋まで行くのは面倒かもしれませんが、絶対にそれだけの価値はあると思います。僕はあと二回程行く予定なのでもしご要望があれば案内もしますので是非是非名古屋まで足をお運び下さい。週末の予定をキャンセルしてでも行く価値はあると思いますよ。
本当はもっと早くにお知らせできればよかったのですが、こんな会期末に本当に申し訳ありません。僕もなぜもっと早く行かなかったのか後悔の念でいっぱいです。図録を見ながらなめてた自分を非常に腹立たしくまた恥ずかしく思います。
最後にしつこいようですが本当にいい展示だと思うのでもし少しでも時間に余裕のある方は是非名古屋までお越し下さい。絶対後悔させません。

或る人いわく、『義経』談義の意義について。

No.3718

 当、BBSにおける義経談義は各方面から大きな注目を集めているようで、日曜の放送後のアクセスは普段の1.5~2倍くらいに及ぶようです。
 しかし、それにしても、放送があまりの内容なので、小生、書き込みに乗り気ではなくなりつつあったのですが、「或る人」から以下のような御意見が届きましたので御紹介いたします。
 「歴史家」の先生方、よろしく御覧おき下さい。

  ところで義經談義であるが、諸先生方の手厳しいこと。
  素人にとっては判らないことが多いのであるから、掲示板は
  非常にためになるのである。
  プロローグの歴史解説、エピローグの歴史紀行のいずれも
  そのまま信じてはいけないと、掲示板を通じて知ることとなるのである。
  亀の前は架空の人物かと思いながら見ていたのだが、掲示板から
  実在していることを知ることとなるのである。
  シロが実在の人物なのであるから、まさかクロも実在ではあるまいな。
  いずれにしても「義経」は素人目にも唐突な場面が多いのであるから。
  諸先生方には諦めずに、掲示板に書き込んでもらいたい。
  真実を伝えることが、歴史家の使命と心得たし。

Re: 同感です。...

阪本敏行
No.3721

脚本家や監督,そしてそれに協力する考証家が,フィクションとノンフィクションとの間で悩みつつもそれまでにはない独創性溢れる娯楽ドラマを造り上げようとするに対し,一方で歴史家が今知られる事実にもとづいてそのドラマの内容を検証することを怠ったのではフィクションだけが一人歩きし,奇妙な歴史像が作られてしまいます。一度作られた歴史・人物像を後で訂正することは非常に難しいことですし,立体的な歴史・人物像を提供する意味で重箱の隅をつついてでも歴史家がどしどし意見を述べることが必要でしょう。
私のような地域史家ではなかなかこのような大きなテーマに立ち向かうことはできませんが,かつて「その時,歴史は動いたー源義経,大水軍を奪い取れー」の事前取材の中で,地方に住むある特定の人物についてNHKから取材を受けた際に,それまでとは違う重箱の隅をつつくような事実を提供し,その人物に関するイメージを変えてもらったことがありました(多少自己満足気味ですが)。それでも,今回,義経に関連して出版された出版物を見ても,私が提供したイメージが定着しているようには見えません。まあ,世間とはこんなものでしょう。しかし,生きている限り,どんな小さなテーマであっても,今知りうる事実にもとづいて歴史を書き,発言し続けていく必要はあるでしょうね。

千本ゑんま堂大念仏狂言へのお誘い

No.3712

 皆さま、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか。
 さて急な話ですが、職場の先生からご招待を頂いたので、明日の13時から行われる
「千本ゑんま堂大念仏狂言」に行く事になりました。興味のある方がいらっしゃれば、
一緒にいかがでしょう?
 大念仏狂言・・・壬生狂言とか見た事ある方は想像がつきやすいかと思うのですが、
ご存じない方もいらっしゃると思うので、詳しくはこちらをどうぞ。
「千本ゑんま堂保存会HP」http://www.geocities.jp/e_kyogen/
私と一緒に行くと、1名様に限りお茶接待が受けられます。

地獄極楽、閻魔様こわい。

No.3714

 田中さん、大念仏狂言はいかがでしたか?
 ゑんま堂のご主人の閻魔様で思い出しましたが、この前のゼミ旅行のとき、佐倉の国立歴史民俗博物館(近世のコーナー)にあった「のぞきからくり」の地獄極楽を、みなさん、ちゃんと御覧になったでしょうか?

 ☆ 本日、高知大学の市村高男先生から『中世土佐一条氏関係の史料収集および遺跡調査とその基礎的研究』(2002~2004(平成14~16)年度科学研究費補助金 基盤研究(C)(2))研究成果報告書をいただきました。
 土佐一条氏というのは、中世後期に前関白一条教房が所領荘園にのりこんで、その子孫が戦国大名化したという実に興味深い存在で、その本拠こそ山口・小城と並ぶ本物の「小京都」土佐中村です。小生がこの地を訪れたのはちょうど30年前の夏でした。現地で購入した分厚く重い『中村市史』を大事にかかえながら旅をしたことを思い出します。
 本格的な研究の現れることを待望していた(30年前は自分でやりたかった)のですが、東国地域の中世史研究で大きな業績のある市村先生がいよいよ着手されたことを知って、うれしい限りです。それも文献と考古の両側面から。ということで、さらなる成果(科研費が新たな企画に対しても採択されたとのこと)に期待したいところです。
 市村先生、ありがとうございました。
 それにしても、小生も科研費を申請しているのですが、京都に移ってから5年連続で不採択。情けない限りです。

行ってきましたゑんま堂狂言

No.3715

 ちさこさんと千本閻魔堂に行ってきました。
 今回見たのは昼の部で、演目は「えんま庁」「伯母ヶ酒」「靫猿」「芋汁」「舌切雀」「にせ地蔵」「土蜘蛛」の7つ。休憩を挟みながら、全部で4時間の舞台でした。「靫猿」は”念仏”が付かない狂言でも子役の初舞台に選ばれる演目で、小さな子供が演じる小猿がとても可愛らしかったです。最後の「土蜘蛛」も圧巻でした。一番前の席で見ていたので、蜘蛛の精が投げた糸が飛んできましたよ。災難や盗難よけになるというので、しっかり一部持って帰ってきました。
 その他の演目も、とても面白く興味深く見てきましたが、日光に当たったのと板ベンチに4時間座り続けたので、思いの外疲れました。今度の芸能鑑賞は6月1日・2日の薪能の予定。今年は義経特集ですので(それはそれで疲れそうです。食べ物でも「~づくし」はよくない!)興味がある人は足を運んでみてはいかがでしょうか。

おかげさまで先着1名

No.3717

田中さん、先日はありがとうござした。
おかげさまで先着1名の柏餅とお抹茶セットを賞味し、久々に大念仏狂言を堪能することができました。

歳とともにフットワークがにぶくなり、出無精になっています。
でも今回ゑんま堂大念仏狂言を鑑賞したことで、せっかく京都にいるんだから、どんどんと機会があるごとに、見ないと損だと思うようになりました。
京都で学ぶ若いみなさん、お祭りや伝統行事を積極的に見に行きましょう♪

そうだ、京都行こう

野口洋平
No.3709

皆様こんにちは。ご無沙汰しております。愛知の野口です。
先日おりからの好天と花の香りに誘われて上京しました。なるべく控えようと思いつつも実家の霧島躑躅と牡丹が咲いてるのをみてつい我慢できなくなり、仕事が休みなのをいいことに気づいたら電車に乗ってました。
こんな時上記JRのCFが頭に浮かんできます。僕のようなものにはピッタリな詞です。改めて名古屋と京都の近さを実感してしまいました。

どうでもいい事だと思いますがせっかくなんでその日の僕の行程を勝手ながら紹介します(管理人さんごめんなさい)
朝七時の電車に乗り九時半に京都到着(今まで何とも思わなかった駅ビルをとても懐かしく感じました)どこに行こうか特に考えてなかったためとりあえず霧島躑躅を求め長岡天神に。ほぼ満開状態の躑躅を堪能した後、牡丹の名所乙訓寺へ。牡丹は七割咲きながら種類と数が多いため充分楽しめました。
因みに長岡天神は菅原道真が京都を離れる際にこの地で別れを惜しんだとされる場所で、別名見返り天神と呼ばれています。境内地の八条池周囲は霧島躑躅が咲き誇ります。京都に住んでるなら参道の躑躅トンネルを一度は体感すべきです。
また乙訓寺は推古天皇代創建とされ、早良親王が幽閉された古刹。この時期境内にはもと長谷寺より寄進された約二千株の牡丹が咲き乱れます。

長岡の地には他に国史跡長岡宮大極殿公園や熊谷直実ゆかりの光明寺などもあり散策するにはいい場所だと思います。躑躅と牡丹は連休辺りがちょうど見ごろだと思うので興味ある方は是非行ってみて下さい。

乙訓寺を堪能して次は山吹を見に松尾大社にでも行こうかと考えていましたが、緊急コールにより泣く泣く京都を離れることに。ほんとはその日に開かれる百錬抄の購読会にも参加させていただこうかと考えていたのですがそれも無に帰しました。久しぶりに皆さんにもお会いしたかったのですが残念です。まあ仕方ないですね。次はお土産の賞味期限がきれる前には参上できたらと思います。また機会がありましたらご面倒とは思いますがどうぞよろしくお願いいたします。

長々とつまらない文章を書いてしまい申し訳ありません。最近ようやく自分の仕事も含めて家の方も落ち着き、ネットの方も自由に使えるようになったので思わず書き込んでしまいました。

追伸
僕が上京したのは先月27日です。それから高温続きで雨も降ったのでもしかしたら霧島氏はもう散り始めてるかもしれません。うちのキー君もこころなしか元気なさげです。乙訓寺の牡丹はまだ大丈夫と思いますがもし行かれる方おられましたら充分お気をつけください。蛇足ながら霧島氏みるなら青蓮院もお勧めです。こちらは夜間拝観もやっているはずなのでデートにはいいですよ。

めざせ本能寺!

No.3710

 尾張に去られてみると、一種の超俗性をもって京都のあらゆる観光スポットに通じていることなど、当ゼミにおける野口君の独特な存在価値が思いやられて、寂しく思っていました。先週も新幹線の往復で名古屋を通過するたびに、仕事は落ち着いただろうかと心配していましたので、安心しました。
 まあ、信長ほどのことはしなくても再上洛は可能だと思います。ぜひ上洛を果たし、本能寺のリベンジを果たして下さい。
 小生、中味を考えずに「資格」を追い求めることには賛成しませんが、野口君にとって学芸員資格は実に相応しいものと思いますので、早々に実習の決着をつけてください。

1969年7月25日。

No.3707

 昨日の朝日新聞の読書欄に、この日(タイトル)に東大の構内で撮影された東大総長加藤一郎氏による告知文の写真が掲載されています。
 これには衝撃をうけました。本文をここに引用するとインパクトが小さくなりますので、ぜひ写真で御覧下さい。

 読書欄にあったのは、美術史家・山下裕二氏による平沢豊著『OTHER VOICES 東大全共闘・68-70』という写真集の紹介記事ですが、ここに引用された「あの時代に生きたすべての人達の真剣で生き生きとした姿の一端をとらえたものだ」という著者の言葉は、まさにその通りだと思いました。

 この年、小生は青山学院大学文学部史学科の一年生。この年の手帳に貼り付けてあったクラスの名簿を見ると、小生の上に「夏目房之介」氏の名前がありました。