前回の義経から
美川圭
No.3737
また、義経放映の日がまいりました。
それまでに、前回分を見ておかねば、というのでいま見ています。
前半は、あほらし。
どういう風な人を対象にしたフィクションでしょうか。
千鳥と弁慶のシーン。
前には同じような義経と政子のシーンがありましたね。
作り手は、よほど、「潮騒」パクリがお好きのようで、
青春の想い出か何かがあるのでしょうか。
それとも、海辺というと、あれしか思いつかないのか。
とくに、歴史的にどうのこうのいう必要もないし。
後半。
平氏はもう負けるのが決まったかのように。ばらばらに福原を去り。
そして、頼朝は勝つことが決まったかのように、鎌倉建設。
こういう描き方というのは、もっともできの悪い小説やドラマの例です。
子供が物書きになろうとするとき、こういう風なもんを書いたら、
プロとしてはやっていけないよ。というか、才能ないからやめたら、
というつもりなのですが。この「甘い」国では、商売になるらしいですね。
ほんとうに日本は良い国です。
一回、NHKなどという大きな組織とコネができると、こんなストーリーでもいいとは。
山田先生。鎌倉建設の絵図。たしかに、あれはないでしょうね。
予定図の鶴岡八幡宮前に、若宮大路がない。
あれでは都市計画が成り立たない。
しかし、45分が長い長い。いま見ながら、これを書いています。
「ながら」でないと、見られません。この水準のドラマは。
福原と鎌倉の話がちょっとで終わり。また靜。
頼朝が「白拍子を娶るなどとは、公家やそれにかぶれた平家のようなもの」
なんて台詞。
わー、これって、もろに中世的な武士が、古代的な公家を克服するという。
何も勉強していない低次元のあたまの脚本家とつきあうのは、
野口先生のおしゃる仕事であるとはいえ、ほんとうにつらい。
いま、子供が起きてきました。
「パパ。これ見てるの」
「うん、お仕事だからね」
「じゃあ、いいや」
見たいテレビがあるみたい。
中学生に彼女にとっても、なんの魅力もないみたいです。
それまでに、前回分を見ておかねば、というのでいま見ています。
前半は、あほらし。
どういう風な人を対象にしたフィクションでしょうか。
千鳥と弁慶のシーン。
前には同じような義経と政子のシーンがありましたね。
作り手は、よほど、「潮騒」パクリがお好きのようで、
青春の想い出か何かがあるのでしょうか。
それとも、海辺というと、あれしか思いつかないのか。
とくに、歴史的にどうのこうのいう必要もないし。
後半。
平氏はもう負けるのが決まったかのように。ばらばらに福原を去り。
そして、頼朝は勝つことが決まったかのように、鎌倉建設。
こういう描き方というのは、もっともできの悪い小説やドラマの例です。
子供が物書きになろうとするとき、こういう風なもんを書いたら、
プロとしてはやっていけないよ。というか、才能ないからやめたら、
というつもりなのですが。この「甘い」国では、商売になるらしいですね。
ほんとうに日本は良い国です。
一回、NHKなどという大きな組織とコネができると、こんなストーリーでもいいとは。
山田先生。鎌倉建設の絵図。たしかに、あれはないでしょうね。
予定図の鶴岡八幡宮前に、若宮大路がない。
あれでは都市計画が成り立たない。
しかし、45分が長い長い。いま見ながら、これを書いています。
「ながら」でないと、見られません。この水準のドラマは。
福原と鎌倉の話がちょっとで終わり。また靜。
頼朝が「白拍子を娶るなどとは、公家やそれにかぶれた平家のようなもの」
なんて台詞。
わー、これって、もろに中世的な武士が、古代的な公家を克服するという。
何も勉強していない低次元のあたまの脚本家とつきあうのは、
野口先生のおしゃる仕事であるとはいえ、ほんとうにつらい。
いま、子供が起きてきました。
「パパ。これ見てるの」
「うん、お仕事だからね」
「じゃあ、いいや」
見たいテレビがあるみたい。
中学生に彼女にとっても、なんの魅力もないみたいです。