JR尼崎事故
美川圭
No.3685
昨日のJR尼崎での事故では、京女大の学生さん(西洋史?)がなくなったという話をさきほど聞きました。痛ましい限りで、ご冥福をお祈りいたします。現在までに聞いているところでは、その他同志社大学生2名も亡くなったとのこと。同志社行きの列車だったので、他にも多数の負傷者の学生さんがおられるようです。
昨日は、私も関学の非常勤の日だったので、あの近くへ行くはずだったのですが、3日ほど前から風邪のため、ほとんど声がでなくなってしまい、やむなく2限目休講にしました。そのため、ほとんど1日自宅で刻々死者が増えてくるようすをテレビを見ていました。朝からインターネットで私の休講掲示が出ていたので、それを知って出かけず、事故に遭遇しなかった学生がもしかしたらいたかもしれません。まあ、あの線を利用して、西宮キャンパスに通う関学生はほとんどいないかもしれませんが。
とにかく、びっくりするような大事故でした。お知り合いに事故にあわれた方などはおられなかったでしょうか。
Re: JR尼崎事故
美川圭
No.3686
レスがつかないので、自己レスです。
今回のJR西日本の事故、最近の日航のミス、某巨大マスコミのていたらく
などなど、最近の日本の巨大組織には、問題が噴出しているように思える。
それぞれ、性格はちがうのだろうが、根っこのところで共通するのは、
人間が組織のなかに埋没していて、自由な批判も検証もゆるされない体質に、
陥っているのではあるまいか。
JR西日本のあまりのスピード重視の危うさは、利用者ならば、
一度や二度は感じているのではないか。私はあまり利用していないが、
ときどき、こわいから、もっとゆっくり走ってくれよ、ということが、
ある。横揺れがものすごいのである。
理論上は133KM以上でないと、
あのカーブで脱線しないと、幹部が記者会見でのべていたが、
ほんとうだろうか。根拠がいまひとつの置き石説をしつこく主張するなど、
どうも信用できない。
あのぺらぺらの軽い車体で、ほんとうに実証したのだろうか。
いつも電車に乗っている運転手や車掌は、きっとあぶないと感じていたに、
ちがいない。しかし、それを公にできない雰囲気が社内にあるのだろう。
たしかに、関西で、JR西日本は、私鉄に勝った。しかし、それは、きわめて
危うい安全神話の虚構の上に立った勝利なのではあるまいか。
私は、とうぶん出来る限り、JR西日本には乗らない。
少し前まで関係者でした。
No.3687
半年ほど前まで、駅で働いていたので、社内の雰囲気というのは一応知っているつもりなのですが、「あぶない」という経験は、ほぼ毎日のようにあります。それを公にできないというよりも、多すぎてどうしようもないという状況です。
働いていた当時の駅長がいつも「万が一でも、鉄道の場合は数千人になってしまう。億が一でも多いくらいや。とにかく事故はゼロにしないと、この仕事はつとまらん」といっていました。「安全」というのは、鉄道に関係する人間は必ず頭に置いて仕事をしているはずです。
駅員と運転手とでは、やはり仕事の質がちがいます。利用者と常に接している駅員は、電車が1分遅れただけでも、強いストレスを感じます。(定刻でついた場合でも乗客に「早すぎる!」と怒られる場合も...)運転手の場合は、乗客の反応、ダイヤを遵守すること、いろいろなストレスがかかっています。
言いたいことがまとまらないのですが、あの運転手が、とか、JR西日本が、というような問題ではないと僕は思います。逆に私鉄が安全かとも言えないでしょう。
乗務員・駅員はロボットではないので、乗客の状況によっていらいらしたりうれしくなったりします。ストレス発散のために、駅員に八つ当たりする方も多くいます。今回の事故に関しては、あきらかにJR側の責任ですが、日ごろの「あぶない」というのは、運転する側・乗る側両方の行動が作用して減るものだと思います。
信楽の事故はシステム上のミスでした。今回の事故は、JR西日本だけでなく、通勤列車が走る過密ダイヤがある路線ではどこでも起こりそうな内容です。身内の擁護にしかなりませんが、鉄道関係者は事故以来、以前にもまして慎重に業務しているはずですので、「JR西日本が..」という見方ではなく、日本人の鉄道の乗車スタイル自体を、この機会に考えていただきたいと、僕個人は思っています。
P.S.列車が遅れて情報提供が少しでも遅れると、クレームがつく。電光掲示板で遅れを表示すると、いっそう強くなって、そういった不満が運転手へそのまま直結してしまう。私鉄に勝つとかではなく、乗る人の不満をどうやったら軽減できるか..という中で定時運転や回復運転の遵守につながっています。とても複雑な心境です。
Re: JR尼崎事故
No.3688
>鈴木さん
ありがとうございます。誰も関心がないのかと思って不安でした。
そういえば、駅でアルバイト?されてたんですね。
たしかに、全体的な都市圏の鉄道の問題、あるいは乗客の意識なども問題だと思います。
しかし、私は、それでもなお、JR西日本特有の問題があると思うのです。
(このあたりは元木先生がお詳しいと思うのですが)
つまり、私鉄に対して20年ほど前は圧倒的に、利用度が低く、私の印象では、
関西の「国鉄」はローカル線だけで成り立っている、と東京からきたとき思いました。
それが、民営化以後、スピードを最大の武器に、急成長。
私鉄は、線路が少なくて、これ以上のダイヤが組めないのですね。
ところが、JRは線路はたくさんあるし、貨物部門の縮小で、さらに線路は増えるし、
スピードが武器になった。そのために、かなり無理がかかったのではないか。
しかも、路線が複雑なので、一つの遅れが、全体のシステムに大きく影響する。
いろいろな面で、JR西日本特有の問題があり、それが今回の事故につながっていったのではないか。しろうと考えで、そんなことを思います。
「あぶない」という経験が、ほぼ毎日のようにあり、それを公にできない、というか多すぎてどうしようもない、という現状はやはり、改善しなければならないのではないでしょうか。
Re: JR尼崎事故
No.3689
私が気になったのは、ミスが許されない、という体質です。オーバーランはそれはまずいでしょう。しかし、ある程度以上のオーバーランをすると、もうしません、という誓約書(?)を書かされるようなことが報道されていました。そんなものを書かされたら、まじめに申告して二度と運転できなくなるより、ちょっと誤魔化して……などと考えたくなるのが人情というもの。それが今回の事故に関係しているのだとしたら、やはり、責任は組織にあるのでは、と考えたくなってしまいます。編集者なら、誤植はつきものさ、などとうそぶいていられますが、彼らはそれだけ大変な仕事な訳ですから、そこに、なんらかの緩和措置がないと、人間が壊れてしまうように感じました。
本線とローカル線
No.3690
美川先生の書き込みで思い出したのですが
今回の福知山線は、どちらかというとローカル線です。結局問題なのは、ローカル線が本線(東海道線)をまたぐ形で通過している点です。
やはりJR西日本は本線がドル箱であり重要ですので、数分でも遅らせることができません。
働いていた奈良線でも東海道線に入る列車があるのですが、その列車の運行に関しては時間にシビアです。ただ、奈良線の場合は1日に数本ですので良いですが、福知山-東西-学研都市線については、ほとんどが本線を通過するので、もっとピリピリした状況だと想像できます。
本線はATS-P(新)、ローカル線はATS-SW(旧型)ですので、スピード重視というよりは、ローカル線が本線をまたいでいる現状が、ミスを誘発したのではないかと思います。
福知山線はあと数ヶ月で新型のシステムをいれる予定だったと報道で出ていましたが、遅すぎたという事ですね。
私鉄がスピードを出せないのは、車両の問題ではなく、線形(カーブが多い)ためなので、比較的直線が多い阪急京都線はスピードが出てると思います。(最近、停車駅が多いのでそれほどでもないですが)
先ほどニュースで、京都駅でのオーバーランで乗客が降りたというのがありましたが、電車の込み具合天気などで制動距離が変わるわけで、数mくらいは石浜さんの仰るとおりでよくあることです。
Re: JR尼崎事故
美川圭
No.3691
>石浜さん
ミスがゆるされない体質はたいへん問題ですね。
それよりも、人間はミスをするものである、という前提を認めない組織は、
最終的にこのようなとりかえしのつかない何万倍の大ミスをうみだす、
というべきでしょう。
少々のオーバーランや遅れは、どうということはない、と考えること。
語弊はあるかもしれませんが、ラテン的感覚が必要ですね。
大したことない1分半の遅れの取り戻しのために、
運転手は時速70km制限のカーブを100km以上出していた。
そのことこそが問題でしょう。
しかも、幹部は、133km以上でないと、計算上は脱線しない、
などと言い、置き石説を最初から主張していました。
これは、重大です。
つまり、133km以下なら、出しても大丈夫だと、言っていることになる。
制限速度オーバーについては、ペナルテイはないようです。
そうすると、運転手はどうするでしょう。むしろ無理なスピード出すでしょう。
しかも、過去に同じ程度のカーブを100km程度で脱線した例が、
いくつもあるようです。ですから、幹部の主張は、実効性に問題があります。
この事故の責任を、幹部は亡くなっているかもしれない運転手に着せようとするのでしょうが、それをマスコミが後押しするようなことがあれば、それこそ第二の同様の大事故をうみだしてしまうのではないでしょうか。これは組織の問題だと思います。
Re: JR尼崎事故
No.3696
こんな事故が、鉄道安全システムが世界で一番進んでいたはずの日本でおこった衝撃は大変なものがあります。電車に乗るのは空気を吸うのと同じようなもの、と思っていたのですが・・・。
我が家の近所の事故で、しかも「塚口」という地名が出たことから、多くの方々からお見舞いを頂いてしまいました。当方は阪急塚口ですので、日常的にJR福知山線を利用することはありません。でも三田市市史の仕事の帰りにはいつもあそこを通り、大阪に出ます。207系の快速もよく乗ります。とても他人事とは思えません。
ありきたりの日常の中で、余りに理不尽な最期を迎えられた、あるいは人生を大きくゆがめられるような大怪我を負われた多くに方々のご無念は察するに余りあります。ご家族の悲しみや憤りは、想像を絶する思いです。
前途有為な方々が多く犠牲になったことも、胸が張り裂ける思いです。こんなことが起こったことが、ただただ無念であり、悔しい思いです。
事故の原因は素人が軽々に口にできることではありませんが、ニュースを聞く限りでは構造物と、人間の両方に問題があったということになるように思われます。
福知山線は81年に電化、複線化されるまでは、本当のローカル線で、もっぱら周辺の工場から貨物を運ぶ路線でした。それが都市型路線になり、一躍脚光を浴びたのが東西線とスルー運転が始まり「アーバンネットワーク」の中心に組み込まれてからのことです。
都市型幹線並みの運転頻度になり、最高速度も120キロ(東海道・山陽線の新快速は130キロ、阪急などは110キロ)に向上しました。
ところが、ATSがローカル線時代のままだったことはもちろん、事故のカーブの内側に脱線防止の補助レールもない。補助レールは1963年の鶴見事故(すれ違う横須賀線電車の側面に貨物列車が脱線して衝突、電車同士がぶつかって下り電車の4号車が大破し、160名余りの乗客がなくなった)の教訓で設置されるようになったものです。
しかし、これが行き渡っていないことは、先年の中目黒の地下鉄事故からも明らかです。ただ、あれは駅構内で、当時としては脱線など想定できなかったところですが、今度の場所は最高速度から急減速する場所であり、設置しなかったJRの不見識は厳しく問われるべきでしょう。
あのカーブ、もとは尼崎港に向かって直進する福知山線から、東海道線に合流するために設けた側線のものです。カーブはそのときの形状が残り、カーブを緩和する補助曲線も十分確保されていなかったようです。
結局、多くの列車が高速で通過する路線に格上げされたのに、設備はローカル線時代のまま、ということが最大の問題でしょう。
だからJRはなってない、というのは簡単ですが、結局これは旧国鉄時代の、関西軽視の負の遺産以外の何者でもありません。儲からない関西にはほとんど設備投資をせず、都市周辺の幹線も、関西線のように長年非電化で放置したり、福知山、山陰線などのように単線のまま。その付けを、基盤が弱体なJR西日本に押し付けたのです。
JRは、ただでさえ人口が減少する関西の通勤輸送を基盤とするだけに、平行する民鉄から乗客を奪取せざるを得ません。そのために、強引な速度上昇、高密度ダイヤ、各線のスルー運転を実施してきました。それが大きな成功を収めたことは疑いのないことです。
それが、設備不十分なまま、高速・高密度運転を強いる結果となったのは言うまでもありません。
また同時に、運転士以下の乗務員や、幹部に至るまで大きなプレッシャーとなったことは疑いありません。まして、急激な運転本数の増加に対応するために、経験の浅い運転士を大量に起用することにもなり、それがオーバーランなどを誘発する原因にもなったようです。極論すれば、経験未熟な運転士に、曲芸のような運転をさせた、ということになりまししょうか。
JR西日本の体質は、一言で言えば、まさにトップヘビーです。その問題の根は、極めて深いものであり、単に幹部の責任というだけではなく、国鉄分割民営化に立ち返って、再検討するべき問題だろうと思います。
207系は乗り心地もよく、居住性にも優れ、高速運転も可能な、まさにJR西日本を代表する電車でした。その最新鋭車両の車体が、まるでアルミ缶のように捻じ曲がった姿には、激しい戦慄と深い悲しみを禁じ得ませんでした。
さらにそこから、JR西日本と関西の置かれた厳しい悲劇的な状況もみえてきたような気がしてまいりました。
Re: JR尼崎事故
美川圭
No.3697
熱烈な鉄道フアンでもある
(その鉄道への愛情が、今回の事故におけるショックを倍加された
こともよくわかりました)元木先生の書き込みを待望して、
怒りにまかせて、いろいろ好き放題のことを書いてきたのですが、
総括的な説明をしていただいて、ほんとうによかったです。
JR西日本のおかれた立場、のみならず、現在の関西、
というものまで論じていただいて、たいへん勉強になりました。
私のような東京生まれ育ちにとっては、まったく気がつかない
視点でもありました。
ありがとうございました。