まさに「めざましテレビ」

No.3655

今朝の「めざましテレビ」のコーナー「めざまし調査隊」に、山田邦和先生が電話出演されていました!
テーマは「大阪の人が東西南北を使って道案内をするのはなぜ?」というもの。
先生のお声で朝から癒されました。

それでは行ってきます!

わー!

田中裕紀
No.3656

薗田さん、本当ですか!?
というよりは、ここでは山田邦和先生に直接お尋ねした方が速そうです。
山田先生本当ですか!?
見たかったです。いや、聞きたかったです。
今度出演される時には、ぜひお知らせ下さい。
私も行ってきます!

Re: まさに「めざましテレビ」

No.3657

え~~~っ!
知らなかった!
本人も忘れていたようです。

Re: まさに「めざましテレビ」

No.3658

仕事に出る前に見ていたのに...
気づきませんでした。あぁ、残念

やっぱりそうなんや!

笠 露子
No.3664

ちょうどその日めざましテレビを見ていたのですが、
お名前がテロップで出ていたのを見て「もしかして、掲示板で拝見する先生?」
と思ったのでした(ご本人にはお会いしたことがないのですが)。

実家にいたころは「めざまし調査隊」をやってる時間帯には起きていませんでしたが
今週からは↑の時間には活動していなければならなくなりました。
今日ようやくネット環境も整いカキコしている次第です。

ということで、今後ともよろしくお願いいたします♪

遅くなりましたが…

新地 浩一郎
No.3654

 野口先生、皆さん、こんばんは。遅くなりましたが、『紫苑』を送っていただきありがとうございました。4月から勤務場所が変わり荷物の移動と業務引継ぎのため、いまだに公民館と役場を行ったり来たりの生活で、今日やっと自分宛の郵便物を確認することができました。落ち着いてからゆっくり読ませていただきたいと思います。

 鹿児島のおすすめの場所として、さっき思い出したのですが、現在は薩摩川内市になってしまった入来文書で有名な旧入来町はいかがでしょうか。中世から近世まで入来院氏(渋谷氏)が本拠を構えた地域で、特徴的な石塔群もありますし、武家屋敷の玉石を積んでつくられた石垣もよく残っています。少し走れば薩摩国分寺跡や新田神宮のある旧川内市域も近いです。
 その他の鹿児島県内の主要な史跡と博物館(資料館)についても、鹿児島市からの距離と所要時間は大体頭に入っていますので、お越しの折はナビとして活用してください。

 それでは。

THE DOCUMENTS OF IRIKI

No.3672

 新地さん、旧入来町の御紹介、ありがとうございます。
 「入来院」というと、大学生時代に、ある知ったかぶりの後輩が「にゅうらいいん」と言っていたのを思い出します。
 旧入来町は、1993年の中世史サマーセミナーの見学地でした。そういえば、あの時は仁木先生・京樂先生もお見えでしたね。暑い一日でした。
 入来町は薩摩川内市になったのですか。川内市(せんだいし)は仙台市と訓みが同じで、しばしば混乱することがありましたから、「薩摩」をつければ解消という訳でしょうか。
 ところで「入来文書」は朝河貫一氏によって英訳されていて欧米の研究者にも有名です。かつて大阪市立大学では河音能平先生がこの英訳を使ってゼミをされていたと聞いたことがあります。当ゼミでもやりましょうか。須田春子先生の遺してくださった旧蔵書の中に、この本を見つけました。
 「古文書大好き、英語大嫌い」という人の、英語克服には最適かも知れません。

最後の「日本人」

No.3673

新地さん>
 こんばんは。勤務地が変わったとのこと、教育関係の職場の辞令は年度末ギリギリですし、大変だったかと思います。お疲れ様でした。
 私も学部生時代にゼミ旅行で北薩めぐりをしました。入来町は甫場整備が進んでいないため、中世の景観が残っている希有な地域ですよね。私はゼミで扱った相論の舞台で、下地中分線が確認できてワクワクしました。ほかにも北郷(ほんごう)氏の墓地、川内市の近世の船着場も海岸線が特殊でおもしろいと思います。食べ物は「アラカブ」がおすすめです。
野口先生>私は古文書の授業でどうしても言葉の意味がわからないときに、こっそり「入来文書」の英訳本と文書を比較して活用しておりました。英訳をされた朝川貫一氏は歴史学者ではないのに、文書の意味を的確に把握して訳をされていますよね。たいへん御世話になった本です。

 ちなみに朝川氏に関しては『最後の「日本人」』(阿部善雄著 岩波書店)という伝記もありますので、興味のあるかたは是非に。以上、ご当地PRでした♪

4月19日、結婚記念日おめでとう。

No.3652

 ◇ 4月19日は、当ゼミ草創期の牽引役の一人であった土屋君の結婚記念日です。
 今日は本年度最初のゼミ史料講読会が開催されましたが、その席で、土屋君の滝口ならびに北面の武士に関する研究が話題になりました。論文の御公表を待望する次第です。
 土屋君の故郷、佐渡にもいずれ、うかがいたいものです。

 ◇ 第一回ゼミ旅行参加のメンバーには思い出深い神奈川県立金沢文庫で「頼朝・範頼・義経-武州金沢に伝わる史実と伝説-」という企画展が6月9日(木)~8月7日(月)の会期で開催されるとのことです。
 注目されるのは「範頼」の取り上げ方と評価です。

 ◇ 山田ちさ子さんのblog「平家物語」に『古代文化』特輯「平家と福原」が写真入りで紹介されています。
 山田邦和先生のblog「平安京閑話」にも、本号の紹介と、山田先生が考古学の世界から『平家物語研究』の世界に(侵)出するに至る経緯が記されております。ちなみに、小生、「教養」はあっても、他人様に「強要」をいたしたことなどございません。

  『古代文化』のバックナンバーには、特輯「平泉,京都,鎌倉-平安末期都市史研究-」(第45巻第9号、1993年)、特輯「武門の台頭と地域権力の創出」(第54巻第6号、2002年)、特輯「11~15世紀における南九州の歴史的展開-万之瀬川下流域における交易・支配・宗教-」(第55巻第2・3号、2003年)などの特輯号や、美川圭「崇徳院生誕問題の歴史的背景」のような興味深い内容の論文を掲載した号がたくさんありますから、それらも併せて購入されるとよいと思います。1冊700~800円。
 ご注文は財団法人古代学協会 ℡075-252-3000まで。

 >えりちゃん先生  生徒さんたちに優れたファッションセンスを涵養することも、中・高の教師の重要な職務だと思います。

中世都市研究会京都大会の助っ人募集。

No.3646

 本日は中世都市研究会京都大会の実行委員会で京大に行きました。さる駐車場に愛車を置いて出掛けたのですが、会議が予定より一時間半以上も長引き、駐車場の閉鎖時間が心配になって、会議終了を待たずして退席させていただきました。駐車場はセーフでしたが、帰宅は9時近く。
 会議参加の諸先生方、決して『義経』を見に帰ったわけではございませんので、誤解なきように。ちゃんと見逃しました。
 ところで、この大会の案内状発送の作業が、5月9日(月)に山田邦和先生邸(「宅」にあらず、豪邸です)で午後6時から行われるので、ゼミメンバーでお手伝いに参加できる方を募集します。特典はなんと言ってもあの市町村立図書館なみの書庫と、ここにしかない貴(寄)本・珍本だらけの蔵書、さらに山田先生の寵愛する二匹の愛犬(マック・クィール)の無料拝観が叶うことです。すでに京女の学生さんもお世話になり、この四月から奈良大学にうつられた河内将芳先生にもお目にかかれるはずです。
 ぜひ、よろしく!
 
 >田中さん  じつに相応しい雰囲気です。荒々しい東国武士の心をつかんだ北条政子を彷彿とさせます。政子の筆跡を見に、神護寺の虫払いに今年も行きますか?

 >門屋君  高校もいろいろでしょう?大学も然りなのです。 

 >八井君  「ケンちゃん先生」じゃ、ちょっとね。志村けんの演じるような先生を想像してしまいます。そういえば、古い話ですが、昔のテレビ番組に「ケーキ屋ケンちゃん」というのがありました。

 >鈴木君  小生も高校に採用早々、社会科主任でした。さらにクラス担任。公務分掌は生徒指導部(先生というより刑事の如し)。バスケットクラブ顧問(貴重な日曜日が・・・)。通勤片道二時間半。担当科目「地理」(日本史で博士課程まで行ったのに)。科目だけで授業は週18コマ。学校は荒れ放題。管理教育のまっただ中。
 あの時の小生が、今の鈴木君に会ったとしたら、さぞかし羨ましがるであろう。わが身の不遇を嘆くであろう・・・と思います。
 しかし、たいへん得難い人生の勉強をすることが出来ました。また、素晴らしい教え子や同僚たちに出会うことも出来ました。
 さて、鈴木君、泥棒さんのお蔭で自転車運送の用は無くなってしまいましたが、家の者のパソコンを見て貰いたい用がございますので、お暇なとき、遊びがてら、よろしくお願いします。

 >研究室宛にメールをお送りいただいた方へ  小生、生活にメリハリをつけるために、研究室に送られたメールを自宅パソコンで開ける設定をしておりませんので、本日は御返事を差し上げることができません。ご容赦下さい。

一大学教員の死

No.3643

 富士大学から解雇され、現在係争中の川島茂裕助教授から、次のような連絡がありました。同じように大学につとめる者として、痛ましい限りです。
 もしも、詳細についてお知りになりたいかたは、個人的に私までメールをください。
 微妙な問題ではありますが、故人の遺志に沿うように、川島助教授のご判断の範囲で、内容をお知らせいたします。この掲示板の趣旨と齟齬があるかもしれませんが、その場合は削除してください。私としては、誰かに伝えないと、なんともいたたまれない気分です。

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富士大学専任講師の長山雅幸さんが、「不当差別」(遺書のことば)によって自
ら命を絶たれました
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Re: 一大学教員の死

富士大学卒業生
No.3680

初めて書き込みをさせていただきます。
みなさん、こんばんは。
長山先生の死にショックをうけています。私は、2001年に富士大学で長山先生の講義を受けたことがあります。もちろん、川島先生の授業も受けたことがあります。
富士大学内でこのようなことが起きたこと、卒業生としては残念でなりません。
私は長山先生が大学生活(F大学)を送った県と同じ出身者です。
長山先生のご冥福をお祈りします。

Re: 一大学教員の死

No.3681

卒業生様
はじめまして。管理人の永富です。
初めて書き込んでいただいたのにこのようなことを申し上げるのは誠に恐縮ですが、この掲示板は宗文研ゼミの学生をはじめ、多くの方々が見ておられます。皆が見て不愉快に感じるような、一部の方にしかわからないような伏字や匿名はご遠慮いただいております。今後その点ご配慮ただくようお願いいたします。

やっと『義経』

美川圭
No.3641

仕事が進まないので、やっと2回分の『義経』見ました。

山田先生おっしゃる怪奇的な丹後の局。
笑った。血迷ったか。平幹さんの後白河、どうした。がんばれ。
怨霊におそわれる清盛の場面よりずっと怖いわ。

以仁王・頼政挙兵、頼朝挙兵から鎌倉入り。
これらを、ほとんどナレーターの解説で済ますんだから。
あのねえ。テレビってのは、映像が命でしょう。
きちんと、絵でみせてほしいですね。
飲み食いで合戦シーンへ金がまわらないのかな。

その割には、だらだら、単細胞の行家が令旨を伝えるシーン。

 飽きました。

今晩の『義経』から、義経合戦で大活躍か。
期待しましょう。

やはり、私は、まじめに原稿書きます。

Re: やっと『義経』

No.3648

途中から、今日の『義経』見ました。

なんだか、平氏が富士川で油断して、酒宴などして、寝込んでいたら、
水鳥の羽音に驚いて、逃げだしたという話になっていましたね。
平氏が白拍子を従軍させていて、義経と靜が偶然戦場で出合うという、
うちの娘でも「まさか」とのたまうような、あまりの「偶然」をつくる
ために、平氏に宴会をさせたようです。
油断していたのなら、水鳥の羽音ぐらいで驚くことはあるまいにねえ。
へんな人たちです。

上洛するか、上洛しないか、という鎌倉幕府成立に関する重大な
頼朝の決断も、まああっさりと。

それでいて、あの義経の変な家来たちが、やたらにまた地面を掘り返して、
いったいなんなんでしょうか。

松平弁慶、失策!

No.3649

頼朝本陣にたどりついた義経一行、平家の武者とまちがえられて頼朝軍の兵に取り囲まれます。その時に松平健さんの武蔵坊弁慶が言った言葉。「これは源氏の御大将・ウキョウノスケ頼朝さまの御舎弟、九郎義経さまでござる」。
耳を疑ってビデオを見直してみましたが、やはりウキョウノスケと発音しています。もちろん、頼朝は前右京亮ではなく、前右兵衛佐が正しい。あ~あ、松平健さま、失策ですね。
 義経の家来が土を掘り返しているのはいいのですが、そのうちのひとり(誰だっけ?)はどう見ても土掘り経験者とは思えないへっぴり腰ですね。あれでは1時間もしないうちにヘロヘロになります。
(と、一応は発掘調査で土掘りのしんどさを経験してきた山田の揚げ足取りでした・・・)

『自転車泥棒』。

No.3635

 昔、こういうタイトルの映画がありましたが、昨夜、これが当家にあらわれたようです。永富さんに差し上げる予定の自転車が盗まれてしまいました。もちろん、門の中、玄関前に置いておいたのですが。こどものころ、小生の三輪車が盗まれた経験がありますが、それ以来のことです。街中に駐輪していて、盗まれたという話はよくきいていましたが、まさか深夜の住宅街にまでとは。おそらく、わざわざ探しに回っている窃盗団がいるのでしょう。
 家族が大切にしていたものだけに、気分じつに不愉快です。悲しむべきことに、どうも当節、治安上、「性善説」は通用しがたくなったようです。
 この場に書き込むべき話でないとも思いましたが、これを教訓に、みなさまもどうぞお気をつけください。
 そう言う次第で、永富さん、申し訳ありません。

Re: 『自転車泥棒』。

美川圭
No.3638

朝よく見ているフジ系のワイドショーの司会者小倉さんが、
車(ランドクルーザー)を自宅から盗まれたそうで、
この前、自分でその一部始終を話していました。
あっという間に、ナンバープレートや、車内の物品が、
某所にまきちらされていたようです。車体を特定できないように。
それはそれは早業だそうです。
もう野口先生のところにあった自転車も、某国に入国しているのかなあ。

盗品=「ぬしの心わからざらんもの」。

No.3639

 ちょっとしたことですが、自分の身辺に起きると疑心暗鬼が生じて、家の前を歩く通行人が盗人のように思えて困ります。
 このところ(思うに高度経済成長期以後の社会)、自転車や傘など、平気で他人様のものを持ち去ってしまう手合いが横行しているようです。
 かつて人々は、他人の所有していた「物」には、所有者の魂が付着していると考え、そのために、一度それを神に返付してその付着を消去できる場である「市」の空間で、商いが行われたはずなのですが、そういう意識が人々の心から消え失せているのでしょう。そのうち、「遺品」とか「形見」とか、そんなものに心動かされる人もいなくなってしまうのでしょうか?
 そうなると、いよいよ前近代の歴史が理解できなくなる。故・網野善彦氏の指摘した、日本史上第二番目の分水嶺は予想以上に高く険しいものであったように思われます。
 
 ちなみに、小生の住む宇治市平尾台は山科の勧修寺まで徒歩で30分ほどのところですが、応永33年(1426)6月、勧修寺で竹を盗んだ醍醐小野の住民が「法に任せた」当然の処置として死刑に処せられています。

 ついでに、フランシスコ・シャヴィエルの1549年11月5日付け書簡
「窃盗はきわめて稀である。死刑を以て処刑されるからである。彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる」(『大航海時代叢書』による)

〔参考文献〕笠松宏至「盗み」(網野善彦ほか編『中世の罪と罰』東大出版会、1983年) 

御愁傷様です・・・

鍜治 利雄
No.3640

自分も実家にいた時は、玄関先に置いていたにもかかわらず、
自転車が4~5台、挙句の果てにはバイクまで盗まれました。
(バイクは後日見つかりました。盗むためにかなりイジられてましたが…)

やり場の無い怒りを覚えるのと、少々心が傷つきます…よね。

Re: 『自転車泥棒』。

No.3651

野口先生>レスが遅くなりましてすみません。
自転車の件、残念ですが仕方ないですね。もう少し早く取りにいければよかったですね・・・すみません☆

まさか犯人はこの掲示板で情報を得て野口先生宅へ・・・なんてことはないですよね_(^^;)(笑)

美川先生>我が家の車もランドクルーザーです。父が乗っているものの他に部品取り用に庭に二台ほどほっぽらかしてます。でも残念ながら我が家は田舎なので誰もわざわざ盗みには来ないようです・・・☆いいのかわるいのか・・・これで本当に右京区なのか・・・

Re: 『自転車泥棒』。

美川圭
No.3653

>永富さん
北海道でランドクルーザー盗難が、ものすごいようです。
ですから、油断は禁物と、お父上にお知らせください。

文教中にうちの娘の友人が2人入ったようです。
洛央小と六条院小の出身の子に聞いてみて。

え、論文博士廃止(暴挙)

美川圭
No.3632

山田先生が、詳しく触れておられますが、

http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/

中教審の大学院部会が、論文博士の廃止を答申したようです。
いったい、どういうことでしょうか。
私も、山田先生も、論博ですし、元木先生も。
野口先生もでしたよね。
まったく、この答申の意図がわからない。
博士課程に、人を集めるためでしょうが、
そんなに困っているということでしょうか。
あまりにも早急ですし、ある年代の研究者、
博士課程に進まないで、企業や研究機関に就職した
人たちを学位から閉め出す、暴挙だと思います。
まだ、学位を受けていない方々、声をいまあげないと、ひどいことになりますよ。

Re: え、論文博士廃止(暴挙)

No.3633

>美川先生

 まったく、文部科学省も中央教育審議会も、いったい何を考えているやらわかりませんね。大学院のドクター・コースを出ることが博士号取得の「王道」であることは認めてもよいですが、なぜ「論文博士」を廃止しなければならないのか、とんとわからない。新聞によると、「論文博士は研究の幅が狭い」なんてことを言っているそうですが、これは論文博士に対する侮辱もいいところです。

 私は、大学院博士課程前期(いわゆる修士課程、マスター・コース)しか出ていません。ドクター・コースには行っていないのです。しかし、コツコツと書きためた論文を30歳代後半に集大成し、論文博士をいただきました。私のように正規のコースをたどっていない者にとって、論文博士制度は干天の慈雨といったものだったのです。それを取り上げようというのですか?文部科学大臣様。

 私のやっている考古学では、研究者の大半は、学部出かせいぜいマスター出です。ドクター・コース出なんてのはめったにいない。それが、それぞれの現場(発掘現場や博物館など)でたたき上げられることによって、優秀な研究者に育っていくのです。そんな人たちによって考古学という学問は支えられています。そして、日々の仕事に追われながらも寸暇を惜しんで研究を積み重ねてきた彼ら(私も含めて)が、中年から老年にさしかかるころにやっとその果実を実らせ、博士号へと行き着くのです。それを遮断して何のトクがあるのですかね?

 論文博士廃止を決めた中教審のエライ先生や文部科学省のお役人さまの眼中には、企業や役所や末端の博物館や埋蔵文化財センターなんかに勤めていて夜や休日にコツコツ研究を進めている恵まれない研究者のことは、まったく入っていないのでしょうね。日本の学問が、エリート・コースをたどった士官候補生だけによって担われると思ったら大間違いだということがわかっていないんですね。

 >美川先生 ひとつだけお間違えです。野口先生の博士号は、『坂東武士団の成立と発展』の著者紹介によると、課程博士です。それも、恐れ多くも、「文学博士」です。
(私も「文学博士」号に憧れたのですが、それは取ることができず、私のドクターは「博士(文化史学)」です。)

歴史学では論文博士に権威あり。

No.3634

 中教審の大学院部会のメンバーに歴史学の研究者が入っているのかどうか。そこが知りたいところですね。
 小生は、すくなくとも日本史の世界では論文博士にこそ権威があると考えています。むしろ課程博士の方が肩書きとしての博士になりやすいものだと認識していました。ですから、中教審の答申はまったくピンときません。おそらく、理系など、違うジャンルの発想なのではないでしょうか。
 近年は大学院が至る所に設置され、正直に言って、ここで博士号を取得できるような研究が可能なのかと疑わざるをえないようなケースもあるので、むしろ課程博士の質の方が心配だと思うのですが。
 結局、これからは、同じ博士でも、どこの大学院で取得したか、あるいは指導教授は誰だったのか、ということで、その博士号の質を評価せざるを得ないことになるのではないかと思います。よほどの専門家でないと、その人のもつ博士号の評価は出来ないということになる。いよいよ「博士号鑑定団」が必要になりますね。「いい研究してますねぇ」とか言って。
 それにしても、日本史関係者には、博士課程に進学する必要もなく、大学や博物館に就職され、あるいは非常勤講師などを勤めながら、「いずれは博士号を」と意欲を燃やしている方が多いはずで、今回の答申は、そういう人たちに対してじつにヒドイ仕打ちだと思います。
 ちなみに、小生は課程博士です。1981年3月、1年間の審査を経て、青山学院大学から「文学博士」の学位をいただきました。青学の史学専攻では第一号のはずです。今の課程博士は論文の枚数も少なくて良いようですし、称号も「博士(○○)」、そして審査期間も短いようですから、小生の頃は過渡期だったのでしょう。高校の現役の教員が文学博士になったのは珍しいというので、勤務先の校長の手配で朝日新聞の地方版に写真入りで載せられたりいたしました。ただ、その直前の頃まで『日本歴史』に、学位取得者が紹介されるコーナーがあったのですが、小生の学位取得と軌を一にするかのように消滅したのは、これを学位の価値の消滅と日本歴史学会が評価された為なのかも知れません。 

学問と制限時間

No.3636

 あのニュースをみて、本当にはらわたが煮えくりかえる思いを抱きました。
 私はいま博士論文の作成に向けての研究を進めている最中ですが、逆に「課程博士」などという制度の方に疑問を感じます。
 大学教員への道が非常に狭くなり、アドバンテージだった課程博士号はスタートラインになっている現在。課程博士号の取得は、これから研究職を目指す私みたいな人間の至上命題となります。うちの大学も来年度から博士後期課程入学後6年以内に提出しないと、課程博士の資格自体がなくなってしまうそうです(現行は10年以内)。しかもそこには休学期間も含むそうでして…。
 昔から物事を焦ってやるとろくな事がないと言いますが、もしも自分で「急ぎばたらきだなぁ…」と思いつつ提出した博論で、万が一博士号をいただけたとしても、一生涯自分の博士号に誇りが持てないような気がします。私の周りでも「いっそ論文博士を目指そうか」という声もちらほら。依頼原稿の締切ならいざしらず(苦笑)、歴史学と制限時間は本来相容れないような…。とはいえ、小心者の私はせっせと博論作成に勤しんでおります。
 乱文ですみませんでした。
 

Re: え、論文博士廃止(暴挙)

美川圭
No.3637

>戸田さん

 私が博士課程修了したのは、1988年です。その頃は、まだ日本史では課程博士はほとんど考えられず、私も常識的に博士号取得せずに「指導認定退学」というやつをしました。当時は、実はこの名称も知らず、実際に10年後の1998年に論文博士になるまで、「単位取得」だと思いこんでおりました。
 実は私の博士号というのは、自分でも課程博士とどう違うのかわかりません。大学院以来発表してきた論文がたまり、機会をえて今年薗田さんの就職された臨川書店から論文集として出版できたのが、1996年。それだったら、論文博士もこれでとっておくか、ということで審査をお願いしたら、幸運にも学位をいただいた、という経過です。
 あとで聞くと、博士号をめぐっては、指導教授との関係とか、出身大学との関係とか、いろいろがトラブルがつきもので、ほんとうに神経をつかうものらしいのですが、私の場合ほんとうに幸運で、そういったことがある、ということをあとで知った次第なのです。ですから、「自分の出身大学では、そんなかたちでは論文博士認めてくれない」なんて話もよく聞きます。「既発表論文ではだめだ」「もう出版した本ではだめだ」なんてところもあるのですね。
 こういう経過を、時間を限定されてやれ、といわれたら、それこそ大変です。
ですから、今の若い人たちのおかれた環境には、ほんとうに同情します。

>大学教員への道が非常に狭くなり、アドバンテージだった課程博士号はスタートラインになっている現在。

 これその通りなんですね。私は、ずいぶん遅れたとはいえ、博士号なしで就職できた、最後の世代かもしれません。しかし、大学教員への道はほんとうに狭くなっています。
12年前に私が摂南大学につとめたときの担当科目と今年の担当科目を比較すると、実感できるかもしれませんので、一例としてあげておきます。

1993年 国際言語文化学部 所属
日本史学(通年) 歴史学(通年) 歴史学(薬学部)(通年) 歴史学(法学部)(通年) 文化演習(通年) 卒業研究(通年)

2005年 外国語学部 所属
国際文化概論(日本)(半期) 国際教養論(文化)(半期) 日本史学(半期)
日米関係史(半期) 日米比較文化(半期) 日米比較文化特殊講義(半期)
歴史学(工学部)Ⅰ(半期) 歴史学(工学部)Ⅱ(半期)
教養特別講義「社会と人権」(半期)
基礎ゼミ(半期) プレゼミⅠ(半期) プレゼミⅡ(半期)
文化演習(通年) 卒業研究(通年)

 12年前は、いま見ると牧歌的で、いわゆる全学教養科目も担当する日本史の教員というかたちです。
 ですから、日本中世史の上島有先生の退職後、私は採用されたわけです。
 いまは、セメスター制により、半期科目が大半になり、科目の種類が激増。
毎週、これの内容はどんなだったか、としばらく考えてから、予習に入ります。
まあ、今年から外国語学部に名称変更されたということもありますが、
この傾向は数年前からのことです。中堅以下の大学が、なんらかの資格などの
取得を目的にしないと(ちなみにうちではTOEICという英語実用検定)
学生が集められない(ほんとうかどうかわかりませんが)、ということで、
それをメインにし、それだけでは専門学校との差異化がはかれないので、
やむをえず「幅広い」教養の一つとして、私の担当するような科目もある、
ということなのです。あくまでも「幅広い」教養ですから、日本史でなくても、
かまわない。まあ外国語をやるには、日本のこともよく知っとかなくてはね、
ということです。本音をいえば、そういった教員の生首は斬れないしね、
ということなんだろうな、と私は内心ふてくされています。

 しかも、日本中世史の内容である必要がある科目は皆無。それどころが、
日本史である必要がある科目は、なんと日本史学(半期)のみ。
それどころか、日本中世史の内容ではぜったいできない科目、
日米関係史(半期) 日米比較文化(半期) 日米比較文化特殊講義(半期)
とその3倍もあるのです。

 それでも、専任の大学教員の職があるのは、非常にめぐまれているので、
いっしょうけんめい給料分は働いていますが、
ときどき、ひどく虚しく感じます。私でなくてもいいんだよね。これ。
というか、近現代史の人のほうが向いているし、
日米比較文化、日米比較文化特殊講義なんて、前は英語の先生がやっていた科目です。

 私の本務校は、まあ中堅のごく普通のまだ定員割れはしていない私大です。
 そこでの現状というのが、まさに日本史、とくに前近代史の前途を、
 ひどく暗くしている感がするのです。いかがでしょうか。

ちなみに、日米関係史は、ペリー来航から日中戦争期まで。
日米比較文化は、太平洋戦争 日米比較文化特殊講義は戦後占領期からベトナム戦争
を扱っています。そのフラストレーションのはけ口が「美川圭の辛口映画批評」です。

http://www.avis.ne.jp/~iwasaka/mikawacinema.htm 

『古代文化』特輯『平家と福原』遂に刊行!

No.3629

 『古代文化』第57巻第4号(特輯『平家と福原』)ついに刊行です。通巻の号でいうと第555号。執筆者の皆様にあつく御礼を申し上げます。とりわけ、元木先生、本当にありがとうございました。
 元木先生の平氏家人に対する分析や山田先生の「福原京想定復元図」、伊藤先生による伊勢平氏を素材にした斬新な「屋敷」論など、学界に大きなインパクトを与えるとともに、大河ドラマ『義経』の虚実に関心を寄せておられる一般の歴史愛好家にも存分に楽しんでいただける内容だと思います。
 構成は以下のとおり。

   特輯『平家と福原』によせて・・・・・・・・・・・・・・・野口 実(京都女子大学)
   福原遷都と平氏政権・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・元木泰雄(京都大学)
   『福原京』の都市構造・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山田邦和(花園大学)
   伊勢平氏と屋敷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤裕偉(斎宮歴史博物館)
   平家の本拠をめぐって-立地空間の軍事的評価-・・・・・野口 実   
   『平家物語』における遷都
    -『延慶本平家物語』『山門奏状』の本文について-・・・近藤安紀(青山学院大学大学院DC)
   <図版解説>兵庫県神戸市 楠・荒田町遺跡・・・・・・・・・岡田章一(兵庫県教育委員会)

 頒価800円(本体 762円)。
 ご注文は、財団法人古代学協会(℡075-252-3000)まで。

☆ なお、古代学協会古代学研究所・関口先生からの情報で先般御紹介した『平安時代史事典』は、まだ
 Yahooオークションに8万円で出ているようです。全くの新本(箱入り)のごとしとのこと。

Re: 『古代文化』特輯『平家と福原』遂に刊行!

No.3630

『古代文化』福原特集号、ウチにはまだ届いていません。早く見たいな・・・ サンタさんにお願いして、枕元におおきな靴下をぶらさげて寝ようかな?

『がんばれ!えりちゃん先生』

No.3625

 大昔の少女雑誌に掲載された読み物のタイトルみたいですね。
 今春、ゼミメンバーの多くが中・高の教壇に立つことになりましたが、永富さんは「えりちゃん先生」と呼ばれて中学生たちのアイドルになっておられるようです。
 ほかの皆さんも、「ゆきちゃん先生」や「あっちゃん先生」や「けんちゃん先生」などと呼ばれて御活躍のことと思います。一番大変そうなのは、抵抗勢力が多そうな「ジュンちゃん先生」でしょうか?
 そろそろ職場にも慣れはじめ、と同時に疲れがドッと出てくる時期なので、気分を引き締めてください。もうすぐやってくるGWは精神・体調の立て直しという意味で、良い時期にある休暇だと思います。
 皆さんのお話しを聞くと、小生、専任教諭として高校の教壇に初めて立った26年前のことが昨日のことのように思い出されます。
 一人一人の生徒それぞれに真摯に向き合って、充実した教員生活を過ごして欲しいと思っています。

疲れがドッときました

田中裕紀
No.3642

しばらくなりを潜めておりました。皆さまお久しぶりです。
非常勤講師としての怒涛の1週間が過ぎました。
「○○ちゃん先生」などとんでもありません。男子クラスでは「ゆうきー」と名前で呼ばれ、「あんたの彼女じゃないんだから!」とツッコミを入れる日々です。共学校なのですが男子クラス・女子クラス・男女混合クラスがあります。女子クラスは持っていませんが、男子クラスと男女混合クラスのカラーの違いに戸惑ったりしています。もう、話し出せば色々あるので、とにかくそんな感じです!と締めくくっておきます。
 今は、23・24日の研究会に参加すべく授業準備に精を出して・・・と言いたいところですが、色々とあってなかなかはかどらずにいます。25日には岩田師範の発表もあるので、何としても準備を進めておかねばと思っています。25日には久々に皆さんにお会いできる事と思います。岩田師範の発表共々、楽しみにしていますよー☆

ジャイアンツと違い貯金生産中

No.3644

 一週間経過しましたが、昨年度とのカラーの違いに未だ戸惑っております。
昨年度までは「もん(門)ちゃん先生」などと呼ばれていましたが、今年は「あっちゃん先生」なんてとんでもない!
 非常に厳しい戒律があり、言葉遣いなども非常に厳しいです。職員室に入ってくるときも「○年○組○○です。××しに来ました」という調子です。(当然声が小さいとやり直し)
 そんな調子なので授業は静寂です。(もう少し反応が欲しいところです)       週末を利用し貯金を作っています。(現在は先日学内でお見かけした鷲田清一氏の文章と格闘中)
 25日は少し遅刻すると思われますが、行くようにいたします。

勝率5割ライン上

No.3645

この流れできたら書き込まざるをえない(笑)

“新規参入”と“移籍”の2人と違い、“残留”の僕は比較的昨年と同じようなリズムで仕事させてもらってます。昨年仲良くなった生徒とは少し離れてしまったので、また新たな生徒たちと信頼関係を築いていかなければ、と思ってます。「緊急リリーフ」だった去年と違い、今年はアタマからなので、ちょっとずつ自分の授業スタイルも確立しつつ・・・。

生徒からの呼ばれ方は、少なくとも「けんちゃん先生」はないですね(笑)。昨年は「やっつん」なんて呼んでるヤツもいましたが。普通に「八井先生」かな? 「健太先生でもいい?」とか言われたりもしてますが。(^^;) 根は素直な生徒たちが多いので助かってます。

科目数が授業開始後に急遽増えることになり、門屋君と並びました(笑)。選択科目は連休明けから開始。本格的にバタバタし出すのはそれからになりそうです。それまでに貯金を作っておきます☆

内部事情いろいろ

No.3647

 週2コマずつのいわゆる“実技教科”を担当している影響で、どのように呼ばれているのか未だにわからない、鈴木先生です(笑)
 野口先生やその他の方から、いろいろメッセージをいただいていたのですが、先週いっぱいは返信出来ずじまいでした。すいません。

 最初の1週間は、長い会議やら校風の違いによる戸惑いなどで、何も仕事をしていないのにとても疲れて毎日を過ごしていたのですが、2週目に入ってある程度慣れてきて、結構ゆとりを持って過ごしています。
 (ご存じの方も多いとは思いますが)校風が自由そのものなので、教員にもかなりの自由が与えられています。その反面、何をしたらいいのかわからない...そんな事にも悩んでもいます(贅沢??)。

 『情報科』は始まったばかりで授業の実践例も少なく、また、僕個人としても『情報』という科目の授業を受けた経験が無いので、ほとんど手探り状態でのスタートとなりました。さらには初めての『情報科』専任なので、いきなり教科主任(たぶん、定年まで教科主任)になってしまいました。
 1クラス45人を、1時間寝させない授業が出来たときは、結構な達成感でした。お金が対価でなく、生徒の反応がすばやくフィードバックされて、自分の仕事内容が即座に評価される。なかなかやりがいのある仕事だと思いました。
 専門外の知識がどれぐらいあるかで授業の厚みが変わってくるのだなと、1週間働いてみて感じます。個人的な感想は『社会人って楽しい♪』です。

 P.S.賛美歌をがんばって歌っています。(一応真宗ですが...)

えりちゃん先生参上!

No.3650

おくればせながら参上いたしました。
ここ一週間は家に帰るとそのままベッドへ倒れこんでいるためしばらく平日は掲示板に登場できませんでした。すみません。

最初の授業は何をどうしていいやらわからなくて始まるまで腹痛に苦しみ、隣の席の先生に「帰りたい。」を連発しておりましたが、いざ前に立つと不思議とそんな不安はなくなりました。
中学生に最初の時間「歴史は好きか?」と一人一人きいてみると「おぼえることが多いから嫌い」という意見が圧倒的に多かったので、できるだけイメージをふくらませて絵を描いたり事件の原因を「考える」作業を中心とした授業をしています。この一年で歴史が嫌いだと言っていた子を一人でも歴史好きにさせるのが目標です。ちなみに明日は甲骨文字を解読させる予定です(笑)

高校生はどのクラスも全部三年生なので、好きも嫌いも言ってる場合ではないのでビシバシしごいております☆
五年前は「二度と見たくない」と思ったセンター問題を毎日嫌ほど見る仕事に就いてしまうとは・・・何という皮肉なのか、また夏季補習で私の夏休みがなくなるなんてひどい(T-T)などなどと思っておりましたが、真剣な顔で「先生、私何でもするから私を〇〇大へ入れてください」と相談に来る子や、毎時間職員室へ来ては大学生活の話をききたがる子・・・それぞれ目指す道やレベルは違うけれど一人でも多くの子に来年の春桜の木の下で笑ってもらうため私もできる限り全力でサポートすることに決めました。
と、いうわけで今からまた問題の解説準備に戻ります・・・☆

あ、ちなみに女の子が多いだけあって生徒からのファッションチェックはなかなか厳しいです_(^^;)おしゃれにも気が抜けません(笑)