即成院の石塔を見に行きます。

No.3542

 京都もいよいよ春本番となり、京都女子大学周辺の桜も一斉に開花をはじめました。
 
 さて、気候も良くなったところで、授業開始直前の機をみはからって、竹村俊則『昭和京都名所図絵 1 洛東 上』を片手に、さきに御紹介した即成院および↓で話題になっている丹後局と後白河院の間に生まれた宣陽門覲子内親王の墓塔の可能性も考えられそうな「伝・那須与一墓」を見学に行こうかと思います(目的地まで徒歩15分ほど)。
 思いついたら吉日で、明6日(水)、午後2時、京都女子大学錦華殿門前集合といたします。なお、参加者は、できるだけ瀬田勝哉「伏見即成院の中世」を事前に読了しておいて下さい。掲載誌は図書館雑誌室にあります。

 >山内さん  昨日の決定事項の掲示を宜しく。
 
 >永富さん・鈴木君  先ほど聞き忘れました。自転車を取りにお出でになる日程をお知らせ下さい。

そくじょいん

No.3543

 こんばんは

 鴨川沿いの桜も、あと1週間後あたりに見頃となりそうな感じです。
 いよいよ新学期という感じがしてきました。

 即成院は、毎年1月の成人の日に行われる、泉涌寺七福神巡りの第1番福禄寿ということなので、小さいときから毎年お参りをしていました。
 専門家が多くおられるので、紹介するのが恥ずかしいのですが
 私の父が作っているページです↓
http://www31.ocn.ne.jp/~john/home/sen/sen.htm
 ちょっとだけ、墓塔の写真も載っています。
 (家も近いので)大学生なら喜んで参加したいのですが、残念です。即成院見学ツアーの成功を祈っています。

 自転車の件ですが、仕事の方が落ち着き次第、先生宅へ参上します。(4月後半の土日あたりになると思います。)よろしくお願いします。
 

 

お礼

No.3548

野口先生>今日は朝からどうもありがとうございました。お借りした雑誌や先生のお話をもとに教材研究を頑張ります。自転車の件もありがとうございます。また鈴木君と一緒に取りに生かせていただきます。

明日の即成院ツアーは残念ながら仕事のため参加できません。
また参加された方のレポートを期待します。

ミーティング

末松憲子
No.3536

本日のミーティングいかがでしたか?
今日は生憎伺えなかったので、研究会の日程など、また書き込んで下さいませ。

野口先生
年度初めのメッセージありがとうございました!
こちらこそ本年度もよろしくおねがいします。
自転車の貰い手がまだ見つからないとのことですが、今日のミーティングでもまだ貰い手が名乗り出ていないのならば、私がいただいてもよろしいでしょうか?
問題は足が届くかですが…一般サイズの26インチならばギリギリ乗れるはずです。
それでもダメなら昔懐かしい三角乗りで!
こういう時足が短いと不便ですねー

自転車の嫁入り先。

No.3538

 末松さん、こんばんは。
 自転車ですが、さきに永富さんからお申し出がありました。本日、同志社の入「社」式を済ませた鈴木君が車で取りに来てくれる予定です。一寸の差でしたが御了承下さい。
 研究会の日程などは、この掲示板に山内さんが書き込んでくれる段取りになっています。なるべく沢山出席してくださって、いろいろ御教示いただければありがたいと思います。
 6月の公開講座ですが、テーマは先に(仮)として書き込んだものに決定いたしました。堤先生によろしくお伝え下さい。

Re: ミーティング

末松憲子
No.3541

自転車はプリンセスにお輿入れが決まったんですね。
よかったです。
今年度も、居ないようでたまに居たり、という参加になると思いますが、どうぞよろしくおねがいします。

Re: ミーティング

No.3549

末松さん>お久しぶりです(^ー^)
自転車、末松さんより先に取ってしまったようですみません・・・☆
末松さんの分まで大事に使わせていただきます。
また近いうちにお会いできるのを楽しみにしています♪(女子コンもまたしたいですね)



「女子コン」と聞こえましたよ

田中裕紀
No.3553

女子コン担当の田中です。あ、宴会全般ではなく、女子コンのみの担当です(笑)
新生活に慣れた頃に、また開催したいですね。去年の今頃、第1回女子コンが懐かしいです。

Re: ミーティング

末松憲子
No.3561

いいですね、女子コン!
最近、仕事の方の人事で翻弄されっぱなしで、勉学の友と語らいたいです。
とはいえ、4月は本当に渦中の人物なので、5月以降しか動けません(涙)
他の女子の方々も、新しい仕事に就かれた方が、多々おられますので、皆様が落ち着かれた5月・6月頃行ってはいかがでしょー。

お久しぶりです。

No.3534

お久しぶりです。
以前メールでお話しました、古墳めぐりに行ってきました。
移動手段が自転車だったので、そんなに広範囲は行けませんでしたが。
3ヶ所回りました。
1、地蔵山古墳
けっこう町の中にあって、手前と奥で二つ部屋がありました。
古墳時代後期のものらしいです。
出土品としては、土器が見つかっているらしいですが、そこにはありませでした。
石棺は家型でした。
中にお地蔵様が祭られていて、壁の石には、切り取った時に打ち込んだのでしょうか、楔の跡らしきものもありました。
2、大念寺古墳
学校から一番近い古墳です。
元来、前方後円墳だったらしいのですが、JRの線路に分断されています。
私たちの学校が建っているのも、その古墳の方墳部分だということです・・・。
石室は広く、内部の家型石棺は日本最大らしいです。
多くの人が出入りするためか、中は比較的綺麗でした。
大きな石が積み重ねてあって、その隙間に補強のためか幾分小さな石がはさんであります。
大きな石がずれるのを防ぐ効果もあるのでしょうか?
副葬品として、馬具なども出てきたらしいですが見ることは叶いませんでした。
説明書きを読むと、とても立派な造りで、西出雲全域を支配していた首長の墓ではないかということでした。
朝鮮半島との交易も盛んだったようで、新し物好きだったのでしょうか?
本来鍵がかかっているはずなのですが、なぜか開いていました。
入ってしまいましたが、不法侵入?
3、塚山古墳
町の中にある小さな古墳です。
上には『興隆明神』と書いてある小さな祠がありました。(これは、またあとで調べて見ます)
本当に小さな石室で、石棺も原型をとどめてはおらず、かろうじて家型の屋根の部分が残っていました。
当時の平均身長は現在と比べると小さいので、子ども、あるいは女性の墓だったのではないかと思います。
周りが石垣になっていたり、コンクリートで固めてあったり、保存状態も悪く元の形もわかりません。
調べてみましたが、埋葬者、開口年月、副葬品の有無、は不明です。
以前に、近所の人に聞いてみたところ、防空壕だと言われたので、戦時中はそのように使われていたのでしょうか?
長々とすいません。
他にももう1ヶ所回りたかったのですが、あいにく私有地ということで断念しました。
ですが、いつかアポをとってリベンジしたいと思います。

初めまして。

No.3535

こちらでは初めまして。
伊藤さんと一緒に野口先生の出張講義を受けた大國です。
今だにケイタイすら持っていない、哀れな女子高生を先生は覚えてくださってるいでしょうか?
本日の古墳巡りに伊藤さんと一緒に私も行って参りました。
本来、古墳好きな私が昔のパンフレットのコレクションを持ち出し、伊藤さんを勝手に計画に巻き込んだような形になっていたのですが、思いの外好評だったらしく、私の分まで伊藤さんに古墳の説明を取られてしまいました。
制服のままで他校の敷地近く(地蔵山古墳)まで行ったり、友人宅の裏山(大念寺古墳)に不法侵入(?)したり、町中の路地(塚山古墳)で知らない人にあれこれ聞かれたりとかなりの冒険と挙動不審な行動をしてきました。
今回は3つほどでしたが、出雲の町には他にもたくさんの古墳や遺跡があるので、今回断念した場所も含め夏にはもう少し足をのばしてみようと思っています。

歴史学の未来に希望を感じました。

No.3537

 伊藤さん・大國さん、お久しぶりです。
 本日、夕方からゼミのミーティングがあって、その時に高校生の期待する「大学」とは何かみたいな話をしていました。ふと頭に浮かんだのが出雲高校の君たちのことでした。直接的な利害に関わる目先のことなんかよりも、本質的な面白さ・真理みたいなことを探究しようとしている好奇心旺盛な若い人たちに応えられるような場であってこそ、本来の大学だと私は思っているのですが、なにしろ君たちのような高校生が日本に存在してくれていることが嬉しくて堪りません。
 なんかスゴイですね。このBBSにしばしば御登場くださっている考古学者の山田邦和先生の若いときの姿を彷彿とさせるような、女子高生が出雲にはいるのですね。
 古墳のことは、その山田先生が詳しいので、山田先生、ぜひコメントなりアドバイスなりを彼女たちにお願いいたします。
 伊藤さん、大國さん、それに秦さんも、こんどぜひ京都に遊びに来てください。ゼミをあげて歓迎したいと思います。
 これからも、ときどき、出雲のお話を書き込んでください。今日、ゼミ旅行の行き先についていろいろ意見が出たのですが、出雲や隠岐も候補に上げたくなりました。

Re: お久しぶりです。

No.3560

>伊藤千春さん、大國嘉子さん
 野口先生から出てくるようにご指名をいただいたのですが、連日お酒を飲み過ぎてなかなか書き込めませんでした。花園大学で考古学を教えている山田といいます。はじめまして。

 高校への出張講義で野口先生の授業を聞けたとのこと、本当に良かったですね(私が高校生だった時代には、大学の先生が高校に来て授業をする、なんてことは全然ありませんでした)。歴史学への興味がかきたてられるきっかけになったとすると、これほどすばらしいことはありません。

 私も何回か高校に出張したことがありますが、高校生諸君のみんながみんな、私の講義に興味を示してくれるわけではありません。むしろ、いかにもつまらなそうな顔で聞いている人が大半です(むろん、私の授業内容がつまらないことに原因があるのでしょうが・・・)。しかしその中で、伊藤さんや大國さんのように、目を輝かせて食らいついてくれる高校生がいると、本当に嬉しいものです。その情熱と積極性を持ち続けてください。

 古墳巡り、どんどんやってください。石室の中に変な虫(カマドウマ、通称古墳虫)がいて気持ち悪かったり、すべってころんで泥だらけになったり、足を踏み外してころげおちたり、必ずそういうことがあります。しかし、やはり「体験」は強い! 自分の身体を動かして学んでいくことは、単に本を読んでいるだけの勉強よりも、よっぽど身に付くはずです。私も、そんな遺跡体験を重ねることによって成長してきたひとりです。ぜひ、どんどんと外にでかけていき、歴史を楽しく勉強していってください。

ありがとうございます

No.3572

野口先生、山田先生、返信ありがとうございます。
もちろん、これからも時間と交通費と天気(結構重要だったり)が許す限り続けていきたいと思っています。
実は体力勝負のような気がしないでもないのですが・・・。
古墳虫には是非出逢ってみたいです。(ウソです)
出逢った時の対処法はキン●ョールと丸めた新聞紙とどちらが効果的でしょうかね?
夏休みの予定も少しづつ立て始めているのですが、今度は虫除けスプレーが必需品でしょう。
現在は、時間を縫って情報収集中です。
事前調査もやっぱり大切かと・・・。
(前回少し道に迷ったので・・・)
昔の資料に、今度行ってみたいと思っている上塩冶築山古墳の石棺について書いてありました。
原型は円墳で、石棺の材質は凝灰岩らしいです。
松江の辺りでは、凝灰岩の中でも有名な来待石が採れます。
古墳時代にはもう使われていたらしいので関係もあるのかな・・・と。

古文書学会見学会

No.3531

 来る5月22日日曜日、13時より、宮津市の丹後歴史資料館にて、古文書学会の春の見学会を開催いたします。ふるってご参加ください。
 見学する展覧会は、『古代中世の宮津』展です。
 主な展示品は以下の通りです。

 「青龍3年銘方格規矩四神鏡」(京丹後市)重文
 「海部勘注系図」(海部氏蔵)国宝(展示換えあり)
  六波羅探題などの制札(金剛心院)重文
  丹後国宣(籠神社)府指定文化財
  足利高氏証判の日置末清着到状(百舌講文書)など
 
 入場料、資料代が必要です。
 当日は13時に1階ロビーで集合。
 学芸員の辰巳氏に解説をお願いしております。

 参加希望の方は元木までメールで御連絡ください。
  
 宮津市歴史資料館の場所、連絡先は以下の通り。
〒626-0041
 宮津市鶴賀2164
 みやづ歴史の館内
 北近畿丹後鉄道宮津下車 徒歩10分
 電話0772-20-2164
以上です。

新着情報。

No.3533

 古文書学会の見学会、ゼミの行事として検討させていただきたいと思います。
 宮津までドライブといきましょうか。永富さんの運転で!

 ところで、古代学研究所の関口先生からの情報によると、かの『平安時代史事典』がyahooオークションに8万円で出ているそうです。
 ちなみに、無料の自転車の方はどちらからもお申し出がありませんが、ゼミメンバーのお知り合いの方まで含めて、如何なものでしょうか?  

Re: 古文書学会見学会

No.3551

元木先生>こんにちは。古文書見学会は、仕事の様子がつかめていないのでまだ参加できるかどうか、すぐにはっきりとお返事ができないのですが、都合がつけばぜひ参加したいです。参加希望の締め切りはいつでしょうか?
それまでにはお返事差し上げたいと思いますのでよろしくおねがいいたします。

もし行けたら元木先生に「私の車の助手席の権利」をプレゼントいたします(え?いらない?笑)

Re: 古文書学会見学会

No.3555

 永富さん、こんばんは。誠に光栄なお話で、ありがたく承ります。
 ぜひ、乗せていただきたいのですが、多分、当方は前日から参ることになるかと思います。それに行くとすれば、大阪からの特急ですので、今回は残念ながらご辞退することにいたします(笑)。

 余談ですが、「アジャパー」というのは昭和20年代に、今は亡きバンジュンこと、伴淳三郎がはやらせたギャグです。
 当方、就学以前(1960年以前)の漫画のなかで、「アジャパー」と言った主人公が、「それは日本でもっとも下品な言葉だ」と、親に怒られる場面があったのを覚えております。当時は、それほど流行語が忌避されていたのです。
 大阪市立大学の栄原先生によると、小学校時代、意味も分からず「死んだはずだよお富さん・・・」と口ずさんだところ、先生に怒られて、廊下に立たされたそうです。
 ある時、カラオケをご一緒した際、「お富さん」を歌われ、「初めて意味が分かった」とお話でした。当時は、そんな時代でした。
 
 4月から、教壇に立たれるとのこと。
 鈴木君をはじめ、他にも同じ立場の方が少なくないように存じます。
 おそらく、色々と想像もできなかった困難に直面されることと思います。教える側になって、初めて分かる教師の苦労も沢山あると思います。
 何卒ぞ、ご健勝にてご健闘されますことをお祈り申し上げます。

「義経」の丹後局、1991年「太平記」

No.3527

 悪代官・美川先生にまんまと騙された善良な民衆の山田でございます。しかし、正義は必ず勝つ。美川先生には秘密のメールを送っておきましたので、これで1勝2敗です(?)。

 恒例の「大河ドラマ・義経」コメント、なかなか出てきませんね。石浜さんに遠慮したということもないのでしょうが、今日は野口先生だけかな?
 細かなことは他の先生方におまかせするとして、驚愕したのはなんといっても、夏木マリさん演ずる丹後局=高階栄子の初登場。中江有里さんの建春門院とは全然タイプが違い、後白河さんの女性の好みがぜんぜんわからなくなる配役ですね。清純タイプから妖艶(というより妖●)タイプへ急転回とは、法皇さま、幽閉されたショックがかなりひどかったのかな?
--------------------------------------------------
 ちょうど、土曜日の夕方のスカイパーフェクテレビで、1991年大河ドラマ「太平記」(真田広之主演)の全作品放送をやっております。懐かしいので録画しているのですが、今見直しても内容が濃いですね。真田広之さんの初々しい足利尊氏もいいし、武田鉄矢さんの土臭い楠木正成もステキ。しかし、なんといっても絶句ものの怪演は片岡鶴太郎さん演ずる北条高時。おそらく、実物以上に実物らしいんじゃないかと思われるほどでした。

 このドラマも、史実をねじ曲げているところはもちろんあります。しかし、その「虚構」の説得力が無類なんですね。足利高氏が上洛して道に迷って醍醐寺に入ってしまい(どんな道の迷い方なんだ!)、お忍びで行幸していた後醍醐天皇と出会う、なんてのは、学問的にいうとまったく噴飯ものといわねばなりますまい。
しかし、この出会いが高氏の後醍醐に対する愛着という、ドラマ全体を通じる強い伏線を創り出していくのであり、充分な必然性を持っているといわなければなりません。その上、このシーンがドラマを通じての最高の名場面になっている。(前にも触れたように)後醍醐を演じるのは歌舞伎界の名優・片岡孝夫(現・仁左衛門)。その光り輝くばかりの美しさ、上品さ、高貴さ。高氏ならずとも思わずその魅力に引き込まれてしまいそうになります。ここまで確信を持った素晴らしい「虚構」を構成されると、歴史学者としても白旗をあげるしかないように思います。
--------------------------------------------------
 旗で思い出した。1991年の放映時にはわからなかったことですが、笠置山の後醍醐天皇行在所には「錦の御旗」が翻っています。これが、現存する唯一の中世の錦旗である永青文庫所蔵品の忠実な再現だということに気付きました。同品は、かつて京都文化博物館で「京都・激動の中世」という展覧会をやった時に借用しましたので、良く知っています。こんなところにも、なかなか時代考証が効いてるんですね。

秘密のメール 秘密の連載

美川圭
No.3529

>山田先生。おそろしげな秘密メールをどうも。
夜中にあの声がコンピューターのスピーカーから流れてきたときは、
ぞっとしました。

実は、今回の『義経』まだ見ていません。録画はしてあるのですが。

というのも、以前話題となった、もう一つの「乗合事件」について、
9枚ほどの原稿をさっきまで書いていて、いま終わったところです。
とあるところ(秘)で連載中の原稿なのです。
2ヶ月に1回で、第3回目。
前回大河ネタにちょっと振ったら、担当の女性編集者が、
ぜんぶ大河ネタでやってほしかった、みたいなことだったので、
期待に沿うべく、今回は、全面的に、乗合事件で書いたのです。
まあ、未熟とはいえ、『平家物語』の史実改変のしかた、について、
自分なりに見なおすきっかけになりました。

毎回、1日しかかけないつもりの原稿なのですが、
2ヶ月に1回でも連載はつらい。
週1回の週刊誌連載をされていた上横手先生の凄さを、
あらためて思います。

やはり、「年寄」のぼやき

美川圭
No.3532

大河「義経」今まで、仕事だと思って我慢して見てきたのですが、
野口先生や山田先生の書き込みを見て、どうも見たくない。
娯楽だったら、とうに見なくなっているところなのですが。
仕事なのだ、がんばろう。でも元木先生もさすがに、
昨日は挫折したようだし。

くだらん、くだらん、と思いながらも、
毎週見てしまうドラマというのは、
やはりそれなりの力をもっていた番組だったんだと、あらためて思います。
いいところで「続」で、もうこんなところで終わって。というやつね。
昔は、ずいぶんそれがあって、おかげで勉強ができなくて・・・

ああいうテクニックもない素人集団が、ドラマを作っているんでしょうね。

ということは、野口先生のおっしゃるように、
講演や原稿のネタに、大河が役に立たない。
仕事上もつらいです。

もうすでに、大学の授業では、まったく使い物にならなくなって、
久しいのですが・・・・。

Re: 「義経」の丹後局、1991年「太平記」

No.3540

『義経』ヴィデオで見ました。
 頼政の描き方、もうちょっと何とかならんか?知盛の目の前で、自宅に放火し、悠々と姿を隠すかね。あれでは、焼身自殺にしか見えませんね。
 仲綱役はたしかに、馬面に近い俳優でしたね。
 以仁王の、ステロタイプの人物像もひどい。以仁王の歴史的役割など、全く顧慮する気もないようです。でも、偽殿下乗り合い事件と異なり、『平家物語』そのままに近いから、まだマシか?
 山田先生のご指摘通り、あの丹後局もひどい!後白河周辺の人々は得体の知れない怪人ばかりとでも言いたいようです。
 まずはあんなものと思えたのは、大杉漣の行家でしょうかね。
 でも突然「八条院蔵人」になったというナレーションがありましたが、視聴者には何のことか分からないのではないでしょうか。
 

今年度のゼミ活動に関するミーティング

No.3522

 先日お知らせいたしましたように、今年度のゼミに関する活動についてのミーティング
を行いたいと思います。
①日時:4月4日(月)・午後5時
②場所:共同研究室もしくは野口先生の研究室
明日になり、急とは思いますが、よろしくお願い致します。

自転車が欲しい人はいませんか?

No.3520

 新年度、通勤や移動の足として自転車が欲しい人がいたら差し上げますので御連絡下さい。半年使用ですが新品同様のもので、色はシルバーです。変速機はついていません。拙宅まで取りに来ていただくことが条件です。ゼミメンバー優先。希望者が多い場合は、ご事情を勘案して決めさせていただきます。

 ☆ ゼミのみなさんへ  山内さんから、明日17時にミーテイング開催のお知らせがあったと思いますが、共同研究室が空いていない場合は、教授室の方にお出で下さい。
 なお、『紫苑』の持ち帰りをお忘れ無きようにお願いいたします。執筆者は紙袋などの用意をしてきてください。

>尻池さん  広島県福山市「草戸千軒」遺跡に関する膨大な資料をお預けしたいと思います。近いうちに研究室にお出で下さい。
 

頂戴した本と抜刷。付、偶然の「証明」。

No.3523

 山内さん 上の件は大切な連絡ですから、新しいスレッドを立てていただいた方が良かったと思います。なにしろ、ゼミ代表として、御遠慮なく、思う存分にやって下さい。

 ところで、このところ沢山の新刊・御高論抜刷を頂戴しておりますので、ここで御紹介させていただきます。
 まずは、鹿児島県歴史資料センター黎明館からお送りいただいた『鹿児島県史料 旧記雑録拾遺 家わけ十』・『鹿児島県史料 薩摩藩法令史料集二』。前者には「指宿文書」など貴重な中世史料が収められています。ちなみに、黎明館の調査史料室室長をつとめておられる徳永和喜先生は大学院修士課程の同窓生です。
 いただいた抜刷は、関幸彦「『吾妻鏡』ノート・佐竹合戦と『源平闘諍録』-史実と虚構-」(『鶴見大学紀要』第42号、第4部、2005年3月)、谷昇「承久の乱に至る後鳥羽上皇の政治課題-承久年中「修法群」の意味-」(『立命館文学』第588号、2005年2月)、高松百香「九条兼実の興福寺再建-中世摂関家と<鎌足>-」(『人民の歴史学』第162号、2004年12月)、清水亮「了珍房妙幹と鎌倉末・南北朝期の常陸国長岡氏」(『茨城県史研究』89号、2005年2月)、野口孝子「「花の御所」室町殿と裏築地」(同志社大学歴史資料館『学生会館・寒梅館地点発掘調査報告書』2005年3月)。あつく御礼申しあげます。
 このうち、高松さんの御高論の内容は、先に「平家物語研究会」の御発表でうかがい、興福寺再建を兼実の摂関家正統化工作と評価された点が、とても興味深かったので、刊行を楽しみにしていたものです。手に入りにくいかも知れませんが、国文の方にもぜひお読みいただきたいと思います。
 なお、余談ながら、清水さんのお手紙で、この掲示板のNO.3127に書いた大森駅前のホテルで開かれた結婚披露宴に関する小生の推測がほぼ正解であったことが判明しました。偶然とはいえ清水さん(御夫妻)とはこれからも何かご縁がありそうです。清水さん、御結婚おめでとうございます。御夫婦でのますますの御研究の発展を期待しております。

スレッド

No.3524

山内さん>↑の野口先生のご指摘により、管理人の独断で山内さんのレスを独立スレに移動しました。ご了承ください。

大河『義経』に失望。

No.3526

>永富さん  流石すごい高等技術が出来るのですね。どうやったのでしょう?
 それから、はるか↓の「あじゃぱ~(あちゃぱ~)」は永富さんの世代でも使うのでしょうか?小生にも懐かしいくらいなのに。

 それにしても、今晩の大河ドラマは、面白かるべきところなのに、まったくコメントする気も起こらないくらいにつまらなかったので、悪代官様のお出ましも期待できそうにありませんね。憎めない悪代官様の出てくる『水戸黄門』の方が余程面白い。「義経」離れが進むと、講演会で息抜きの話題を考えるのが苦労(九郎)となりそうです。こまりました。

>元木先生  古文書学会の見学会ですが、ここで宣伝してよろしいでしょうか?

古文書学会見学会

No.3530

 野口先生、古文書学会の件、もちろん宣伝していただければ幸いです。
 直接、当方が書き込むつもりだったのですが、メールを送信したあと、PCの調子がおかしくなり、しばらく様子を見ておりました。
 
 本日は、家族が巨人の野球を観戦していたため、『義経』は見なかったのですが、見ない方が良かったようですね。
 ちなみに、我が家は熱狂的な巨人ファンの一家ですので(にもかかわらず、当方はカラオケの皮切りに『六甲おろし』を愛唱しているのですが)、本日の家庭の雰囲気はどのようなものか、お察しください。
 猫までもふてくされております(ように見えます)。ちなみに愛猫チビは、茶と白のツートンカラーで、虎猫ではありません。
 

Re: 自転車が欲しい人はいませんか?

No.3552

野口先生>「あじゃぱ~」使いますよ!!
中学生ぐらいの時になぜか私の所属していたバレー部女子の中で流行りました。
そんなに古い言葉だったとは・・・知りませんでした☆
元ネタは何なのでしょうか???

玉稿拝受いたしました

遠藤明子
No.3518

>野口先生

 本日、玉稿と「紫苑」拝受いたしました。
 ポストを覗き込んで中身に気づいたとき「覚えていてくださったのだ」と感激いたしました。ありがとうございます。
 特に先生の論文は非常に感心のある分野ですのでじっくり拝読させていただきます。

 5月にこちらにお見えになるとのこと、お目にかかれれば嬉しく存じます。

 追伸:お問い合わせのことについては、コピーをお送りさせていただきますので今しばらくお待ちくださいませ。
 取り急ぎ、御礼のみにて失礼いたします。

Re: 玉稿拝受いたしました

No.3519

 遠藤様。わざわざコピーをいただける由、恐縮に存じます。
 そちらのサイトはときに大変貴重な情報が載せられていることがありますので、拝見させて頂いております。先般など、京女から徒歩5分のところにある京都国立博物館の展示についてお教え頂くところがあり、急ぎ駆けつけた次第です。ちなみに、絵画室には『法然上人絵伝』の漆間時国の居館の部分が展示されており、周囲の空間構造も含めてじっくり観察することが叶いました。これまでの評価とはだいぶ異なる実態を認識できました。
 5月末の横須賀での講演は「三浦氏と京都-義経の時代を中心に-」というタイトルでお話をさせていただく予定でおります。

年度始め

笠 露子
No.3512

私事ではございますが、3月31日をもちまして
非常勤職員任期満了のため退職いたしました。
今月半ばにはいよいよ北海道へ引っ越しですので、
今はその準備に追われています。
実家へ帰省する際、時折京都へ立ち寄れたら、と思っていますが
その際は皆様よろしくお願いいたします。

>野口先生
メッセージありがとうございました。

>紫苑編集担当の方
久留米の実家宛に紫苑第3号を送っていただけましたら幸いです。
住所は野口先生がご存じですので、よろしくお願いいたします。

花嫁は夜汽車に乗って♪♪

No.3514

 いよいよ旅立ちですね。昔流行ったシューベルツというグループの『花嫁』の歌詞を思い出してしまいました(知らない人は御両親に聞くこと)。ちなみに、シューベルツのリーダーはフォーク・クルセダーズのメンバーで同志社大学出身の「はしだ・のりひこ」氏でした。
 『紫苑』は、今日のお昼に研究室に来て、仕事を手伝ってくれた「同志社大学の」山岡さんが、「笠さんに、お送りしなくちゃ」と言っていましたから、近日中に届くことと思います。山岡さんと言えば、はじめてゼミに来られた頃は、笠さんのクローンかと疑われていましたね。
 九州と北海道の往復は、飛行機でひとっ飛びせず、夜汽車にでも乗って、ぜひ「都」にお立ちより下さい。
 
 ゼミ旅行の写真については、みんなの分も集めて、また熊野の時と同じように、「日本における情報科教育の父」を目指す鈴木君にCDロム化をお願いしたいものです。

 ☆ 京女短期大学部を卒業されて伊勢丹に就職した松原さん、配属先は決まりましたか? 

遅くなってすみません

山岡 瞳
No.3515

>笠さん
早速にもお送りしたいと思います。もうしばらくお待ち下さい。

父は悪代官

美川真奈
No.3505

はじめまして美川真奈と申します。
皆様エイプリルフールには父がデマをながしたようで・・・・
私も最近父がこんな悪趣味だったと知りました。
次のエイプリルフールもなにか考えているようなので気をつけて下さい。
父はイメージが悪代官ですね。
「なんで」って聞いたら「だっていい人ばっかりじゃおもしろくないだろ」・・・
なんだか父は少し子供っぽい所があるように思います。
あと、聞きたいことがあります。
絵巻物で人が出てきますよね、その人達みんな顔おなじで、だれがだれだかわからない
のに、実際この人はだれか、わかってますけど、なんでわかるんですか

こんにちは。

No.3506

 美川真奈さん、書き込みを有り難うございます。毎年、お正月にお父様からいただいている年賀状のお写真を拝見しています。
 お父様の悪代官のイメージは、ダダっ子みたいで、面白いですね。ところで、真奈さんはどうして尼さんにされたのですか?若いのに。
 そういえば、先日、島根県の高校1年生が書き込んでくれて、若い人の新記録だったのですが、真奈さんはたしか中学1年か2年生でしたよね。新記録です。
 さて、ご質問の件ですが、絵巻物にはよく同じパターンの絵が登場します。何かもとになる絵があって、場面に応じてそれを組み合わせて使っているみたいです。ですから、顔も同じようなことになるのでしょう。
 誰なのか特定できるのは、その場面に詞書きという説明文がついているので、それで分かるのです。身分によって服装も違いますし。
 でも、これは絵巻物ではありませんが、高尾の神護寺にある「伝・源頼朝像」のように実は誰の絵なのかわからないのに、みんなそれを特定の人物のように思いこんでいるというケースもあります。このことについてはいろいろ本が出ています。お父様がご存じです。
 絵巻物の絵については、きっと近藤好和先生がお詳しいはずです。近藤先生に詳しい解説をお願いしたいと思います。
 真奈さん、よかったら京女のゼミに遊びに来てください。年齢制限はありませんから。
それでは、「悪代官」のお父様に宜しくお伝え下さい。

Re: 父は悪代官

No.3507

真奈ちゃん、お久しぶり。おじさんのことを覚えているかな?一緒に中華料理食べたでしょ?もう中学生になったんだね。早いねえ。おじさんは、悪代官のお父さんのエープリルフールには引っかかりませんでした。

ところで、絵巻の話ですが、昔の人の服装は、今とは違ってファッションで自由なものが着られたわけではないのです。その人の身分とか仕事の内容によって、どのような服装をしなければならないか、法律で決まっていたのです。それは服装の種類が違うこともありますし、また同じ種類の服装でも、生地の種類とか、色とか、模様が違っていたのです。特に身分の下の人か上の人の服装をしたり、生地を使ったりすることは、法律違反に相当するものでした。また、服装の種類や、生地の材質や色や模様によって、季節や年齢による違いもありましたし、家柄による違いもありました。だから、顔が同じようにみえても、服装をみれば、その人のことがだいたい分かったのです。

分かってもらえましたか?また、今度、お悪代官のお父さん達と一緒にご飯を食べましょう。

御礼

No.3511

野口先生・山岡さん>たった今、『紫苑』、拝受いたしました。ありがとうございました。この題字は山岡さんの筆なんですね。同志社に移っても、頑張って下さい。

野口先生>同時に、玉稿「慈光寺本『承久記』の史料的評価に関する一考察」も拝受いたしました。ありがとうございました。

ともども、早速拝読させていただきます。まずは御礼まで。

Re:良く分かりました

美川真奈
No.3528

野口先生、近藤先生、良く分かる説明をどうもありがとうございました。
私は4月に中学生になるので、また分からないことが出て来たらおしえて下さい。
イメージを尼さんにしたのは、ただかわいいなと思ったからです。