平家物語研究会
野口実
No.337
本日、9月14・15日に実施される平家物語研究会の御案内のメールを志立先生から頂きました。そこに、このHPのアドレスを掲示してくださっていたので、平家研メンバーの方で、初めてご覧下さる方もいらっしゃるかと思います。
この掲示板、すこし日付を戻っていただきますと元木泰雄氏・美川圭氏・近藤好和氏といった錚々たる史学研究者が楽しい書き込みをされて居られます(国文学では源先生も)。ゆっくりご覧下さい。
それから、トップにもあるように、研究会前日13日の午後、京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室において、都立大院の伊藤瑠美さんをお招きして公開研究会を開く予定です。もし、御都合がつけば、こちらにもご参加下さい。
なお蛇足ながら、14日の野口報告は六波羅・福原・一ノ谷・屋島に関する雑談の類にすぎない話になろうことを、あらかじめお断りしておかなければなりません。その代わりにと言うことではありませんが、福原について専論をお持ちの山田邦和氏(花園大学教授・考古学)に御参加をお願いいたしました。また、『平清盛の闘い』の元木泰雄氏も御都合がつけばお出でいただけるとのことです。
関西開催のことゆえ、当ゼミ所属の院生・学生も多く出席させていただくと思いますが、よろしくお願い申し上げます。
なお、このHPのご感想・ご意見などございましたら、この掲示板に御遠慮なくお書き込みをお願いいたします。
SAGAさが
No.335
みなさま、こんにちは。触れ回ったのは自分ですが、たくさんのレスをありがとうございました☆さて、昨日よりお盆休みで佐賀県の祖母宅に来ていますが、お盆休みとはいえ年中無休の気分ですので佐賀県立図書館でインターネットを活用しながら相馬御厨について勉強中です。とはいうものの、さっぱり進みません。隊長にメールや電話でヘルプを求めながら頑張ります。まあ、佐賀県には肥前千葉氏もいたことですから、「千葉氏」とひけば何らかの本が出てくるわけですが、野口先生の論文(「千葉氏と西国」でした。ちなみに寄贈印と先生の名刺が付いてます)やら本やらが『郷土資料室』の書庫から登場したりします。さらに、外には病院の看板があって「御厨医院」・・・。私に勉強しろという事でしょうか・・・・?街中を自転車で走っていると更に「御厨歯科」も発見。「御厨」という苗字が多いのも地方ならではかもしれません。
>滑川さん
そうなのです。資料講読会の初日には参加できないのです。一応、隊長の助言により安田元久の日本史小百科『荘園』を借りてにわか勉強中ですが、もしも何か紙面でまとめられることがあるならば、是非ともメールでいただきたいと思っています。
>野口先生
24歳でご結婚とは・・・!私にはまだまだ先の話に感じられます。とりあえず今は荘園の事を勉強しているのですが、宗教文化研究所ゼミで吸収することが、これからの私のベースになっていくような気がして、今からワクワクしてもいます。ご期待に沿えるように頑張りますp(^^)q
>鈴木くん
宇治川の花火大会では、人の多さに死にそうになりました。あの人員整理は大変だったでしょう。私は終わる直前に宇治を脱出したので、かなり楽に帰ったほうだと思います。腰お大事に。
>永富さん
昨日、小城郡にある田中家と佐賀市内にある母方の家のお墓参りに行ったところ、かなりの確率で金字の墓石を見ました。不謹慎ながら一応デジカメで写真を撮ってきたので、また今度お見せします。
>大根田君
どうでもいいことですが、11日の朝、阪急の河原町行きに乗ってませんでした??バイトへ行くときにお見かけしたような気がします。
肥前千葉氏
野口実
No.336
田中さん!「肥前千葉氏」と聞いては書き込まないわけには行かないではありませんか。しかし、帰省しても佐賀県立図書館で調査にいそしむ田中さんは学問の神様、いや女神ですね。期待通りです。
佐賀県立図書館の郷土資料室には、数年前二度に渉って千葉県史編纂の調査で赴きました。中世前期千葉氏の系図はここにある鍋島文庫本が一番史料価値が高く、千葉氏の平家物語たる『源平闘諍録』の記述と一致するのです。そこで私は、肥前に移住した系統の千葉氏が、この本を伝えたのではないかと考えているのです。小城の縁で田中さんも、この本の研究をしませんか。相馬御厨関係文書の講読はその入り口になると思います。
それにしても、小城には、村岡羊羹・小柳酒造などなどの社長さん
と様々なご縁があり、町立の郷土資料館にも、もうすぐ陽の目を見るはずの小生の原稿がございます。もし、開館しているようでしたら、こにおられる町の文化財担当の古庄秀樹さんを訪ねてみてください。
小城は史料も豊富だし、千葉城や円通寺をはじめ史跡も多いし、鯉料理も酒も和菓子もありますから、そのうちゼミ旅行で行きたいところですね。そういえば源氏ボタルの名所でもあります。それに山口・土佐中村に匹敵する正真正銘の小京都でもあります。くわしくは野口編『千葉氏の研究』(名著出版)をご参照下さい。なお、小城をちょっと見てみたい人はレンタルビデオで「男はつらいよ」第42作「ぼくの伯父さん」を借りて見てください。鄙びたいい感じの小城駅とか急な階段の神社こと千葉城址などが出てきます(ついでに吉野ヶ里遺跡も)。当時アイドルだった後藤久美子が小城高校の生徒の役で、吉岡秀隆演じる寅さんの甥満男の片想いの相手を演じております。このときのロケの話も、当時の町の観光課長さんからいろいろ伺っています。
「男はつらいよ」は若者には不評であろう前世紀的なストーリーの映画ですが、オヤジたる私には懐かしさを感じてしまう場面が多く、好きなシリーズです。34作の「寅次郎真実一路」には持躰松遺跡で有名になった鹿児島の金峰山が最後の場面に写ります。ここもまた、そのうちご案内したいところです。
Re: SAGAさが
大根田@阪大
No.338
すみません。あちこちに顔出してますが、佐賀ネタで盛り上がっている以上、見過ごすわけには行きません。
実は僕の母方の母(つまり祖母)が実は佐賀市に程近い巨勢町という所にあります(吉野ヶ里は発見されて以来、毎年遠目ながら見ています)。この町自体は目立った物はないのですが、1キロほどの所に旧大隈重信邸があります。今は資料館みたいなってまして、300円くらいで見る事ができます。あと神野(こうの)公園なるものがありまして、それは鍋島直正の別邸地であり、直正の別邸であった神野のお茶屋やその茶室であった隔林亭があるらしいです。小さい頃はよくこの公園で遊んでいました。ビックリハウスやら回転するブランコやらがあったと記憶しています。ちなみに詳しい場所は忘れましたが、近くに反射炉跡もあります。
佐賀駅の近くに佐賀県庁があって、その近くに佐賀城という小さな城があります。これも小さい頃にちょっとだけ行きました。堀なんかは今でも残ってます。その中に博物館、美術館もあります。嗚呼何か色々楽しい日々を思い出してきた・・・。
ちなみにここら辺から小城は10キロもないです。ですが行った記憶が全くありません。今度帰省した時にでも親父に頼んで行ってみます。
最後ですが、実は内の親戚も皆「田中」姓なんです。佐賀は「田中」は多いんですが、これほど土地が近く、名字も同じとなると、ひょっとしたら大本をたどると先祖が親戚同志だったりするんでしょうかねえ?>田中さん
そう言えば、僕を電車で見かけたとありましたが、それは古本市に行く最中の僕だと思います。あの日は午後から学校に行きたかったもんで、あんな朝早くに行かざるを得ませんでした。
お久しぶりです!!
No.339
レスおそくなりました。
ここ三日ほど見ないうちにまたまたかなり話が進んでいてついていくのが大変です_(^^;)ゞ
遅ればせながらですが、お誕生日おめでとうございます♪
下のスレッドのみなさんの書き込みを見つつ、「自分は24歳になったとき、一体何をしているのだろう」とふとしみじみ考えてしまいました。高校までは三年後の自分を想像すると
「大学へいってるのだろう。学部はまちがいなく文系だな」という感じで比較的漠然とはしていますがだいたい想像がついたのですが、近頃は三年後・・・といっても目標はあるものの、やはり現実はどうなっているのかかなり想像がつきにくいので、まわりがそろそろ就活だなんだと騒ぎ始めたこの時期というのもありけっこう不安でもあります。
不安解消にはとりあえず自分のレベルをあげて進んでいくしかないので頑張ります。
また相談することもあるかとは思いますが、よろしくお願いしますm(._.)m
あ、それとお墓の写真の件、ありがとうございます!!
このまえそのお話をきいた時からすごく興味があって昨日中学時代の友達と会った時に金字の墓を見たことがあるかときいてみたのですが、やはり誰も見たことがある人はいませんでした。
でも九州ではメジャーということは一体日本列島のどのあたりからその金字がメジャーになってくるのか、その分布が気になります。
でも墓の写真とったりしてることを友達にいうと「下手におがんだり写真とったらそこの霊がついてくるよ~」と言われてしまいました。
もしそうであるなら一体私の背後には全国津々浦々何人の霊がくっついているのでしょうか(笑)
もしついてきてるのならちょっと当時の実態はどうなっているのかインタビューしてそれをそのまま論文にできたらすごいのが書けそう・・・なんて思う私はまだまだ修行が足りませんね☆
だらだらと長くなってしまいすみません
帰洛
No.346
先ほど帰ってきました。大根田くんのお母さんの実家が佐賀とは・・・!しかも巨勢町なんて!!私の祖母は現在は佐賀市内に住んでいて、しかもお話に出てきた佐賀城跡や博物館、美術館は今回の帰省中に自転車で爆走した県立図書館と祖母の家の間にあります。関西にいながら佐賀のローカルトークが出来るとは・・・なかなかディープな体験です。>大根田くん
少なくとも佐賀ではメジャーな金字の墓石ですが、どこまでメジャーかは分かりません。新しいお墓に多いような気がしましたが、それは金が雨風にさらされて落ちてしまった結果なのかもしれませんしね。お墓の写真に加え、現在の小城郡内のとてもスケールの大きな写真を撮ってきました。ちなみに、北海道くらいのスケールです。(笑)「子供の頃、2●歳といえば自立した立派なお姉さんだと思っていたのに・・・!!!」というのが、ハタチを過ぎてから毎年私が思っていることです。あぁ・・・もっとしっかりしなければ(_ _;>永富さん
小城へは初日にお墓参りに行ったっきりで、翌日から天気も悪かったため小城町立郷土資料館へは行けずじまいでした。改めて小城をゆっくり回るのもいいなあ・・・と思います。が、あの農道を走るためには私のドライビングテクニックを5段階くらいUPする必要が有りそうです。一人ではお墓参りもままなりません(泣)>野口先生
雑感
No.328
8月10日で24歳、人生二周りを迎えました。いくつになっても誕生日は楽しいものですが、山本さん言うところでは「四捨五入してもまだハタチ」なんだそうで、より一層はりきってしまいます。今は19日から始まる史料の集中講読会の準備で人物叢書の「千葉常胤」を読んでいるところですが、せっかくの機会なので、出来る限りのことを吸収したいですp(^^)q
→野口先生
25日の兵藤ゼミとの懇親会は、京都駅近くのお店を予約するつもりです。兵藤ゼミの参加者が23人と伺ってますので、こちらの参加人数をそろそろ確定する必要がありそうです。というわけで、MLで参加人数の募集をしておきます。
伊藤さんの報告テーマですが、先述の通り明日から私が祖母宅へ行くので、掲示板での発表は15日に帰洛してからということになりそうです。
高松は、現在山本さん、野口くん、門屋くん、山本(絵)、私が確定メンバーで、あと私の国文の後輩が来るかどうかというところですね。9月に入ってからということになりそうです。
Re: 雑感
滑川敦子
No.329
取り敢えず、おめでとうございます。かく言う私も11月で24歳になります。今年までは何とか四捨五入してハタチですね(笑)。
田中さんは初日、史料講読会は参加できないんでしたでしょうか?先日熊野からの帰りに、初日のレジュメを添付したメールを欲しいという話があったかと思いますが。再度確認させて頂きたいのですが。宜しくお願い致します。
25日の兵藤裕巳先生のゼミの方々との懇親会は、参加できません。この日は、立命館の研究会合宿があるため京都を離れております。素晴らしい懇親会でありますように!!
高松へもお気を付けて行って来てくださいね!!
Re: 雑感
滑川敦子
No.330
すみません。出欠の旨は、田中さんのメールアドレスに送信すべきでしたね。うっかりこちらに書き込みしてしまいました。
大変失礼致しました。
しかし、参加できず本当に残念です。
24歳。
野口実
No.331
田中さん、24歳のお誕生日おめでとうございます。おそらく、これからの10年が、いろいろな意味でもっとも自己選択と可能性に体力と知力が即応する時期だと存じます。おおいに期待しています。
どうでもいいことですが、ついでに老人の戯言を申し上げると、小生24歳の夏、7月に結婚式なるイベントを初めて当事者として主催。日記によると、この年8月11日にはアルバイトをしていた塾の経営者が時給額の約束を破ったので、数人の同僚と糾弾集会を開き、12日には契約額より少ない給料を突き返し、後でそれすら取り戻せなくなるのではないかと心配したりしています。たしかこれは、「東大」の学部生にわれわれ私学大学院DC生給与の1.5倍の時給を塾経営者が支給しようとしたことも怒りの原因でした。
24歳の時点では、その後の妥協に妥協を重ねる野口とは異なる若い野口がまだ健在だったのです。
はっぴぃばーすでースレッド
No.334
誕生日おめでとうございます。宇治川花火はどうでしたか?>田中さん
当日はJR六地蔵駅だけでなく、花火終了時にJR宇治駅の人員整理までやらされて、今日もまだ腰が痛いです。
来年は観客として、花火を見に行きたいです...。
野口先生の書き込みで思い出しましたが。
今日は、京都国立近代美術館の横尾忠則『描くことの悦楽-イメージの遍歴と再生』展に行きました。
(正確には永富家に同伴)
内容については長くなるので書きませんが、日記の展示がキーになっていました。
嫌な記憶は消えて、良い記憶は大きくなって、しかも曖昧に。
自分の記録と、過去の振り返りは大事ですね。
日記を書けば、何百年後には、史料として読まれるのでしょうか?(^_^)
みなさんは日記を書かれていますか?僕はいつも3日坊主途中で脱落です...。
古本市
野口実
No.325
いよいよ夏休み本番。今夜は宇治川の花火大会がありました。小生音のみを楽しみ?ました。
明日から下鴨納涼古本市が糺森で開催されます。詳しくは、「平安京探偵団」の掲示板をご覧下さい。
古代学協会の御堂関白記講読会も明日から。これは思文閣会館で朝9時から12時まで、一週間の日程です。当日受付可です。意外な研究者に会えますよ。
小生、明日は研究室に行ってから、古本市に向かう予定です。ご用の向きは、午前11時までに研究室にメールにてお願い申し上げます。なお、大学は13日から16日まで閉まってしまいます。
糺すの森
野口実
No.327
本日、大学は開いていましたが、図書館は閉まっていて調べものができず。さっそく、本を求めて糺すの森に向かいました。ここで最初に声をかけてきたのが阪大院の大根田君、ついで、去年、田中さんたちと一緒にコンソーシアムで「中世の京都」を受講してくれた龍大院の恩田君。二人とも久しぶりでした。それにしても、古本市の初日を狙ってきたのは流石です。数冊の本を入手して終盤にさしかかったところで、花園大の山田先生ご夫妻に遭遇。例によって話が弾み、来月14・15日の研究会(於、神戸大)に参加していただくことを要請して快諾をいただく。なにしろ、「平家の本拠をめぐって」という取り留めのないテーマで研究発表をする予定の小生にとっては心強い限り。また、山田先生は福原遷都論の一方の当事者でもありますから。その後、糺すの森には自転車に沢山の本を載せた竹居先生のお姿もあったとのことでした。
Re: 古本市
大根田@阪大
No.332
>野口先生
先日は古本市でバッタリお会いしましたね。ご無沙汰いたしておりましたので、お会いできて良かったです。
昼頃に行かれるというのは掲示板にも書いてありましたので、どこかで会うかなあ?とは思っていましたが、
意外に早く御目にかかることができました。
古本市は本を探すのもいいですが、業界人を探すのもひそかな楽しみだったりもします。
何人か知っている方もいらっしゃいました。
肝心の本ですが、皆様は大体どういう本を買われるのでしょうか?
僕なんかですと、滅多に手に入らない戦前の研究書やら、絶版文庫やシリーズ物の分売などが中心です。
あまり大きいのは買わないですね。そういうのはネットに頼ってしまいます。
今回の収穫は岩波の『太平記』3冊1500円とか、雄山閣の戦前の日本史概説書とかくらいでしょうか。あとはこまごまです。ちょっと
今まで古本に金使いすぎたんで、ここら辺で控えておきます。
それと
大根田@阪大
No.333
>熊野詣参加者の皆様へ
旅行の方お疲れ様でした。僕は今回行けませんでしたが、とても
有意義だったという意見を聞きました。特に幹事の方は色々大変
でしたでしょうが、大変手際よく動いていらっしゃったという事
でした。
前回の鎌倉の時も、大変安心して旅行ができました。どこでそんな
能力を身に付けられたんですか?良かったら教えて下さい。参考に
します。
それでは次はいつ皆様にお会いできるか分かりませんが、折を見て
拙い報告でもさせていただけたらと思います。
Re: 古本市
No.340
お褒めに預かり光栄です。
前回の鎌倉旅行に関しては私はほとんどノータッチだったのですが、今回の旅行ではその鎌倉での教訓(とくに称妙寺での地獄)をいかし、あまりスケジュールを詰め込みすぎず、ある程度レンタカーなどで時間に融通がきくプランを組み、また参加者のみなさんはもちろんそれ以外の方からもアドバイスをいただいたり、何より現地に髙木さんという強力な味方がいたというのが大きな成功要因ではないでしょうか。
どこでそんな能力を・・・といわれましても特に訓練したわけではないのでよくわかりません_(^^;)ゞ
天性?!←失礼いたしました。
山本隊長、質問!!
滑川敦子
No.324
またまた掲示板に出没しました。
19日から始まる荘園史料講読ですが、おそらく3通で二時間は
容易に過ぎてしまうことと思います。
私の荘園史研究整理を報告する時間はおそらくないでしょう。
今回は見送ってしまってもいいのではないでしょうか??
上記の件について、ご返答頂けたらありがたいです。
あと時間配分の方も考えておかないといけませんね。
3通で二時間を見た方がいいかもしれません。休憩時間も取る
必要もあるでしょう。再度、ガストでミーティングしますか?
ご多忙の中、色々もの申してすみませんが、ご考慮頂けたら
幸いです。
お疲れ様でした
No.321
旅行から帰ってきてから今日一日ぐったりしておりまして書き込みが遅くなりました。
熊野詣お疲れ様でした。
大きなアクシデントや怪我もなくうまく台風もかわし、無事に旅行を終えることが出来、またみなさんに「行ってよかった」と思っていただけたようで幹事といたしましても嬉しい限りです。
熊野へ行くのはもちろん、旅の幹事を務めるのも初めてで、何かとご迷惑をおかけした点もあったかとは思いますが、この旅を成功させることができたのも髙木さんご一家をはじめ、ゼミの皆さん、野口先生ご夫妻、美川先生をはじめとする摂南大学の先生方、またアドバイスをくださった源先生や近藤先生、元木先生のあたたかいご協力のおかげです。
本当にありがとうございました。
念願の補陀落渡海船や神倉神社のゴトビキ岩と対面し、那智滝ではその雄大さに圧倒され、阿弥陀寺から見下ろした熊野の風景は本当にあの世からこの世を見下ろしてるような気がしました。
今まで私の中で「あこがれ」だった熊野像が具体化すると同時にその雄大さ、神秘性に古くから熊野信仰、熊野詣が盛んであった理由に納得いたしました。
ちなみにさっき熊野那智大社で買った「やたがらすストラップ」を見ながら、「やたがらす警備保障」を思い出して一人にやにやしていました(笑)←あやしい?
また、夜にはゼミのみなさんと学問や進路のことはもちろん、悩みをきいてもらったり、色々な話が出来、本当によかったです。
真剣な話から冗談まで、ここまで腹をわって話せる先輩方に恵まれて本当に幸せだなと思いました。
次にお会いするのは史料講読会ですね。
私のテーマ「勉強するぞ!夏休み」の趣旨にそって頑張りたいと思いますのでご指導よろしくお願いいたします。
Re: お疲れ様でした
美川圭
No.323
永富さん
ほんとうに、いろいろご配慮ありがとうございました。
おかげで、たいへん得難い機会に出会うことができました。
うちの先生方も、たいへんよろこんでくれました。
疲れが出ませんように、しばしお休みください。
Re: お疲れ様でした
No.326
>永富さん
計画、準備から最後まで、幹事ご苦労様でした。
本当にありがとうございました。
おかげさまでとても充実した時間を過ごすことができました。感謝しております。
>美川先生
緊張してしまって、うまく話すこともできませんでしたが、色々お話を伺うことができて嬉しかったです。勉強になりました。
どうもありがとうございました。
本当に楽しかったです。
No.314
みなさんお疲れ様でした。昨日書き込みしようと思ったのですが、気が付いたら寝てました。永富さん、鈴木君本当にお疲れ様&ありがとう!です。二人のテキパキした采配だけでなく、旅行の間の疲れを忘れさせるツッコミ&ボケの面白さはある意味旅行以上に楽しかったです。いきなり初日の遅刻は本当にゴメンナサイ。まさかあんな形でレジェンドを作ってしまうとは。一生このネタで車じゃないけど後ろからあおってください。後はゆっくり休んでください。あと今回の旅行の舞台だった青岸渡寺の高木さんもありがとうございました。京都は寺社は多いけどなかなか中世の神仏習合を感じさせるのは少いです。でも今回初めて神仏習合のなごりというか雰囲気に直に触った、実感して感動しました。あんなに寺と神社が隣接していたとは思いませんでした。あと貴重な寺宝や仏像を見せていただきありがとうございました。ビバ山岳信仰!ビバ神仏習合!ビバ那智の滝!です。台風から無事に逃げ切れたのも参詣したご利益だと思います。でも今回の旅行はいろんな意味で勉強になりました。いろんな人と話す事で人の考えが参考になると同時に、自分の普段気づかない点(滑川さんの指摘する「自滅キャラ」など)が分かるのが本当に勉強になりました。
(ただ「オージョイフル」など覚えなくていいものまで覚えてしまった気がする。)
>滑川さん
楽しんでいただいたのならいいんだけど、次の史料講読などでいろいろ迷惑かけます。
史料講読の順番と分担は掲示板に確認のためにまた書き込みします。来週が図書館が休みだったのには気づきませんでした。お疲れの中みなさんをコピーに走らせてしまいすいません。どうしてもてにはいらなかったら山本まで連絡お願いします。
史料集中講読の分担表&日程表
No.315
史料講読の分担と日程表です。
(1)日程表
1日目(8月19日・火曜日)
文書番号・平遺番号・担当者
① 2168
② 2162 山本
③ 2163
④ 2167
⑤ 2176 滑川さん
⑥ 2549
2日目(8月20日・水曜日)
⑦ 2586 田中さん
⑧ 3121 永富さん
⑨ 3142 野口君
⑩ 3143
⑪ 3139 長村君
3日目(8月22日・金曜日)
※注・間の20日は休みです。
⑫ 3148 末松さん
⑬ 3392
⑭ 3393 平田さん
⑮ 3394
⑯ 3395 山本
⑰ 3425
⑱ 3427 長村君
以上が分担と日程表です。文書番号の通し番号は配布した史料に記入してあります。時間は1時~6時で、場所は宗教・文化研究所です。山本・長村君・滑川さんの三人は全部史料を読んでいくので、もし担当していて分からない部分があったら三人が補います。またどうしても担当部分が手に入らなかったら山本まで連絡お願いします。(上にEメールアドレスでいけます)
隊長!ミスですよ!!
No.319
旅行お疲れさまでした。(お互い様ですが)
初日の朝は語りぐさになりそうですが、その後2日間運転してもらっちゃった手前(山道は大キライ(*_*))、あおるのは次のゼミ旅行までにします(笑)
史料集中購読の分担表ですが、お休みなのは「21日」ですよ~~。
確認事項。
野口実
No.320
山本君 長村君が史料講読会の期間に25日の研究発表予行をしたいと申し出ておりました(NO295・275参照)。分担表はこれを考慮し、再掲していただければ幸いです。
田中さん NO275にも記しましたが、25日の懇親会はどうしますか?学習院の方たちの人数が多いので、難しいかもしれませんね。まあ、無理して実行する必要はないと思いますが、先方とご相談の上、よろしくお願いします。
それから、伊藤さんから、そろそろ御報告のテーマをうかがっておいてください。その上で、研究会の日程表を作成し、upしていただけると幸いです。公開研究会という形にしたいと思います。間に合えば日本史研究会の掲示板にも載せられればと思っています。
ちなみに、高松の方はどうなりましたか?
あらためて
長村祥知
No.312
皆様お疲れさまでした。
特に、宴会中の不祥事で野口先生の聖体を不豫にしたのは、ご本人だけでなく、ゼミ員・摂南の先生方にも本当に失礼をいたしました。
鈴木・永富両氏にもあつく御礼申し上げます。
元木先生、多田ツアーにご一緒させて頂ければ幸いです。
次は荘園ですね。楽しみにしています。
山本さん、発表担当の発表をおまちしております。
謝辞。
No.310
みなさんお疲れさまでした。まさに、平治の乱における清盛の帰郷の如く(元木先生の御指摘による)、帰りは大変でしたね。まさか、九州に逃げようと思った人はいないと思いますが。小生は湯浅氏ならぬ湯浅道路を利用して戻りましたが、串本町のあたりの海のうねりは凄まじいものがあり、愛車も海水の洗礼を浴びて参りました。かくして、本日、六波羅に着到、二条天皇ならぬ長村君の「行幸」をお待ち申し上げている次第です。
さて、冗談はさておき、今回の旅行では幹事をつとめた永富さんに大いに感謝したいと思います。本当に至れりつくせりの御配慮で、おかげさまで、実に有意義な三日間を過ごすことが出来ました。永富さんの技術参謀の鈴木君にもあつく御礼申し上げます。
また、今回の見学の圧巻はなんといっても青岸渡寺・補陀洛山寺でしたが、高木さんにはいろいろお心配り、きわめて過分なおもてなしを頂いて、恐縮致しております。貴重な御所蔵史料を拝見して、とても勉強になったことはいうまでもありません。ご両親様ならびに瀬川様によろしくお伝え下さい。
旅行が盛況になったのは、美川先生をはじめとする摂南大学の先生方のご参加があったことによります。ゼミのメンバーも、多々学問的な刺激を与えていただいたようで感謝致しております。ただ、美川先生には、お別れした直後に、青岸渡寺の宝物館で白河法皇御幸のさいに使用した金剛界曼陀羅の成身会大坦具を拝見することになってしまったのが、ちょっと残念でした。
それから、源先生には急なアクシデントでお急ぎのところ、わざわざゼミメンバーの到着をお待ち下さり、またご丁寧なお心遣いまで下さって恐縮に存じました。掲示板にて失礼ですが、あつく御礼申し上げます。奥様・お嬢様にもよろしくお伝え下さい。
元木先生・近藤先生にもいろいろアドバイスを頂きましたし(海上からの那智山の景色も見ることが出来、神倉神社の石段は全員登頂に成功しました)、この旅行は多くの方たちに支えられ、多大な成果を生んだことと思います。ゼミの諸兄姉間同士で徹夜で語り合ったことは、きっと人生の財産になることでしょう。うらやましいことです。
なお、小生、生来の虚弱体質の上、いよいよ老化著しく、軽い疲労でもすぐに胃腸障害を発動し、しばしば雲隠れ(「雪隠」と「雲隠」は似ていますね)したり、深夜のディスカッションには参加不能であったことを衷心よりお詫び申し上げます。しかし、今回の旅行で熊野信仰とか紀伊半島の地勢が私の脳裏の中で実に具体化したことをひそかに喜んでいます。
ゼミのみなさん、ありがとうございました。さて、一休みしたら次は史料講読です。
校正
No.311
上記、1行目「帰郷」は「帰京」の誤りです。
運転ご苦労様でした。
No.317
Yahooニュースを見てみると、三重県南牟婁郡紀宝町、つまり熊野川を挟んだ三重県側のところの支流が氾濫し、民家の1階部分まで浸水だったようです。
まさか、台風に向かう方のコースだったとは、聞いてびっくりしていましたが、全員怪我も事故もなくよかったと思います。
次の機会があれば僕も誘ってください。(技術参謀として...)
遅ればせながら…。
滑川敦子
No.309
皆様、熊野旅行本当にお疲れ様でした。鈴木君、絵里ちゃん、色々お気遣い頂きありがとうございました。とっても楽しかったです。
そして、山本さん、最初から最後まで楽しませて下さってありがとうございます(冗談ではなく、本当に。あれだけ度量の広い先輩をなかなかいませんよ)。
熊野は、機会があれば又行きたいと思っております。
那智の滝は本当に感動しました。私の場合は麓で見たのもさることながら、熊野古道から見えた滝なのですが。古道から滝が見えた時、しんどくなっていた気分が癒され、足どりが少し軽くなったような気がしました。何百年前の人も同じ光景を目の当たりにしていたに違いないと思いました(いささか空想(妄想?)に耽っておりますが)。那智大社と青岸渡寺の参詣曼陀羅も興味深いものでした。写真で何度か目の当たりにしてはいたのですが。他の展示物はそっちのけで、ずっと参詣曼陀羅の前に立っておりました(笑)。
美川先生とは色々お話できてとても光栄でした。
学部で先生の講義を受けていた時はまだ2回生でした。講義の前日は、同じ講義を受けている友人と夜遅くまで学校に残って予習に取り組んでいました(史料講読でしたので、史料の読みと解釈を)。
源先生とは、ご一緒出来ず、とても残念でした。「高坊」は気付けませんでした。古文書はわりかし読んでいたのですが。お嬢さんのことはお気になさらないで下さい。むしろかわいらしいなあとゼミのみんなと話していたくらいですから。
元木先生、いつも面白い書き込みありがとうございます。多田に行かれるという事は、旅行中、野口先生よりお聞きしました。多田は大学時代の友人が住んでいるところで、色々話を聞いておりましたので、一度行ってみたいと思っていたところです。
ご一緒させて頂けたら嬉しいです。
鈴木君、永富さん、帰りの電車で話していた例の件についてご検討頂けたら幸いです。また今回の旅行の先達を務めて下さった高木さんにも、宜しくお伝え下さい。
ていせい、テイセイ、訂正。
滑川敦子
No.313
大変失礼致しました。
・「度量の広い先輩を」→「度量の広い先輩は」
・「大学時代の友人」→「学部時代の友人」
の間違いです。すみません(ぺこり)。