お帰りなさい

美川圭
No.308

>田中さん
みなさん、無事のご帰洛、おめでとうございます。
一昨日の浦島の連絡バス運転手さんが、
台風が来ると、すぐに紀勢本線も、道路も止まる、といっていたので、かなり心配していました。
もうすこし、台風が早く来ていたら、足止めとなるところでしたね。
「祝着至極」

>源先生
熊野でお会いできずに、残念です。
前々回にうちの教員と熊野へ行ったときは、故杉浦勝先生と一緒。
(ちなみに杉浦先生は、京都府大出身で、藤井学先生のお弟子さん。もともとは日本史なんです)
前回は、もう彼は病のため、行けず。ただし、宿泊地や食事処などをすべて彼の「指定」。という風に、熊野は彼の想い出と、切っても切れない地でもあります。

ちなみに、
私は行ってないのですが、有久地(だったかな)という「冥界
」のような温泉地があるそうです。修験者がとまる一軒家の宿(宿坊)があるそうな。
うちの教員連中が、かつて、台風の風雨のなか、そこでこの世と思えぬ体験をしたそうで。そこに杉浦先生もいて、もはやこの世の人とも思えぬ宿の主と階下で「談笑」していた光景が、語り継がれています。やはり行っていない同僚の小川豊生先生(国文学)も、たいへん興味がおありだそうで「実は、そんなところ、数百年前になくなっていたりして・・・」とにたにたしながら、よろこんでいます。

先生もお疲れさまでした

No.318

美川先生、もとい美川上皇そして摂南大学の先生方、和歌山での長期滞在お疲れさまでした。初日の飲み会・二日目の熊野と、なかなか全員の先生とお話しすることは出来ませんでしたが、とても楽しく有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。小川先生はまたどこかの学会でお会いすることもあるかと思います。まだまだ学会は物見遊山ですので、知っている研究者が増えるたびにワクワクしますね(^^ゞ
 どの先生方も、またお会いできることを楽しみにしています。勿論、この掲示板への登場もです(^u^)
P.S.
 「冥界」のような温泉地・・・想像はふくらむばかりです(笑)

Re: お帰りなさい

No.322

こんばんは。昨夜無事全員熊野から帰洛することができました。
旅行から帰ってきてから今日一日家でぐったりとしておりまして、お礼の書き込みをするのが遅くなってしまい申し訳ございません。
メールの内容と重複いたしますが、こちらにもレスをつけさせていただきます。

今回は美川先生をはじめ摂南大学の先生方と旅をご一緒させていただき、色々とお話させていただくことが出来、光栄でした。
美川先生からの専門的なお話はもちろん、普段接することのない分野の先生ともお話をさせていただき、よい刺激を受けることができたとゼミ員一同喜んでおりました。

また、一日目の宴会では、連絡がうまくいかず長い時間お待たせしてしまったにもかかわらず、宴会の費用についてもお心使いいただき、ありがとうございました。
感謝いたしております。

またご一緒する機会があるかとは思いますがそのときはどうぞよろしくお願いいたします。
摂南大の先生方にもどうぞよろしくお伝えくださいませ。

冥界のような温泉・・・ぜひ行ってみたいものです。
ホテル浦島の忘帰洞からみた朝焼けも波が光に反射してキラキラ輝き、海にちょっと霧がかかる様子も私には十分神秘的に感じられました。

一番のり!

No.306

 熊野から帰洛し、久々の美味しい「家ご飯」を食べて一息ついたところです。現在紀伊半島の西側(白浜あたり)が暴風域に入っていて、帰ってきたものも何とか逃げ切った・・・という感じです。
 ともあれ、事故もなく旅行を終えることが出来て本当によかったです。全部の手配やお金の管理を一手(二手?)に引き受けてくれた永富さんと鈴木くん、本当にご苦労さまでした。まだパソコン画面では写真を見ていませんが、全部で100枚ほどの写真を撮っているので、あんまり写りの悪いモノは抜いて鈴木くんにお渡ししたいと思います。
 まだまだ余韻に浸ってはいますが、那智・熊野という土地が宗教や文学作品に影響力を持っているという、その土地の「力」を感じることが出来た良い旅行でした。お疲れさまでした。

Re: 一番のり!

源健一郎
No.307

みなさんお帰りなさい。熊野でご一緒することを楽しみにしていたのですが果たせず、残念至極です。心配していたお天気の方も、何とか逃げ切られたようで何よりでした。
ところで、那智での史料見学は如何でしたか? 「高坊」という支院に関する記述をご記憶の方は是非ご一報を。「平家」関係で、ちょっと気になっているものですから…。
それでは皆さん、ゆっくりと旅の疲れをお癒しください。
PS 新宮駅でお会いした皆さん、娘が無愛想でゴメンナサイ。なぜか最近、初対面の人に弱いのです…とほほ。

Re: 一番のり!

No.316

ただいまです。
ふと掲示板をのぞいてみると、書き込みのインフレーションでどこにレスをつけていいやら...ということで、1番乗りなところにしました。
みなさんお疲れ様でした。
専門ではないですが、歴史の力なのでしょうか「昔も今もあの滝は流れ続けてるんだなぁ」という、動きのあるつながりがとても印象的でした。
ただ者ではない人と、ただ者じゃない旅行が出来たように思います。これこそ本当の「修学旅行」じゃないかと(^^

僕の分は、那智の滝など結構きれいに撮れていました。
あつめればデジカメだけで200枚近くになりそうですね。
P.S.源先生もばっちり撮れていましたよ☆

一足先に熊野から帰京

美川圭
No.305

美川です。
昨晩、ご一行さまより、一足先に帰京しました。
青岸渡寺でお昼をごちそうになってから、十津川経由で京都まで、約8時間かかりました。
私も楽しかったのですが、同僚の先生たちも、得難い体験をよろこんでおりました。
詳細は、みなさんがご帰京されてから、ということですが、
台風が心配です。

大河ドラマの功罪

No.304

 たびたび失礼します。
どうも芸能ネタが弾んでいるようで、ますますのめりこみそうです。美川氏が愛犬ぐるみで溝口健二の一族と関係があり、野口先生のお父上が東映にお勤めとは。
 当方、東映時代劇では、悪役にして映画で水戸黄門を定着させた月形龍之介が大好きでした。京大の北にある居酒屋「住吉」(かの杉橋先生ご愛用)のお婆さんが月形氏の隣にすんでいたとか。
 昔の時代劇は歌舞伎などと共通する型がありましたから、作りやすいし見る方も一種安心できるところがありましたね。
 最近は学問の進化や、思想の変化がありますから、制作側もどのように消化したらいいのかわからないのかもしれません。
 昨年の失敗作『時宗』も、昔でしたら、悪逆非道のモンゴルを撃退した大英雄時宗を単純に描けばよかったのですが、今はそうは行きません。さりとて、変に反戦思想を盛り込もうとすると、何とも奇怪な時代劇になってしまいます。時代の制約、今日との違いを明確にした上で、封建制の厳しさ、残忍さ、その悲劇を描かないとシーリアスな時代劇にはならないと思います。荒唐無稽な筋書きもさることながら、女性たちに安易に反戦を語らせた点に、時宗のつまらなさの原因があるように思います。
 ただ、最近の大河ドラマ、実はあまり見ていませんので偉そうなことは申せません。当方の家には一台しかテレビがなく、あの時間帯は熱狂的巨人ファンの家族に占拠されているものですから。
 そんなわけで太平記もあまり見ておりません。ただ、後醍醐が片岡孝夫では線が細すぎる、ほんとはビートたけしあたりがいいのにと思ったことでしたが、そんな演出をすれば、演出家の命が危ないことでしょう。そこに、野口先生がご指摘になった問題があると思います。
 もっとも、66年の義経では法皇の姿さえ出せず、72年の新平家では法皇は顔を出したものの、天皇は御簾の中という演出、79年の草燃えるでも、法皇が中心で、天皇はほとんど出番ナシでした。それに比べると、後醍醐が登場し、女性を抱く場面さえもあったのは大変な進歩と思いました。
 あれ以後の大河に、思想面の積極的な意味があるのかどうか。
 ちなみに、吉川英治の『私本太平記』は、幕府滅亡までは面白いのですが、そのあたりで氏が病気に倒れ、あとはエピソードを拾うような内容となってしまいました。テレビがつまらなくなった一因は原作にもあったのかもしれません。
 熊野旅行にお誘いいただき光栄です。残念ながらとても時間が取れません。お天気が気になりますが、良いご旅行になりますよう、お祈りしております。
 それはともかく、現在満仲の伝記を書いている関係で、一度多田に行ってみたいと思います。興味のある方がおられたら、ご一緒しましょう。
 多田より、帰りの梅田グルメが当方の真の目的なのですが。

帰京

No.303

 今、和歌山南部の天気を見ていたのですが、明日はともかく、あさって、しあさっての午後は雲行きがあやしそうですね。台風が通過なんてことにならなければよいのですが…。心配です。

義経役

No.301

 この場を借りるのも変ですが、元木先生、お久しぶりです。一部で弁慶役に決まった近藤です。

 ところで、『新平家物語』等のキャスティングで盛り上がっていますが、義経役は、美男子、今でいうイケメンばかりですね。しかし、『平家物語』等によれば、義経は、運動能力は優れていたようですが、小柄で出っ歯の醜男のはず。一度は、イケメンでない義経も見たい気がします。たとえば、思いつきですが、ナイナイの岡村なんかどうでしょう?

 それでは、ゼミのみなさん、楽しい熊野詣でを!

既成のイメージ

野口実
No.302

 芸能話に花が咲き、アクセス3000も間近ですね。こうなると、直接の対話が必要で、元木先生も熊野にお出でになれれば良いのに、とつくづく思っております。明晩、那智勝浦のホテル浦島においでになりませんか?
 近藤先生のおっしゃるとおり、義経は歌舞伎役者みたいな人にはもう演じて貰いたくありませんね。しかし、人口に膾炙している既成のイメージというのは恐ろしいもので、そこからはずれると視聴率が極端に低くなるようです。『太平記』も社会史全盛の時期に、戦後歴史学のリーダー永原慶二先生の考証のもとで放映され、絵巻にあるような場面が出てきたり、出産や元服といった儀式の様子はほぼ忠実に描かれ、片岡鶴太郎の北條高時やフランキー堺の平頼綱のような適材適所の配役もあって楽しめたのですが、どうも後半からつまらなくなってしまいました。その背景には、大楠公史観とでも言いましょうか、皇国史観教育を受けた人たちのイメージとのあまりに大きな乖離のあったことが指摘できるようです。上横手先生も、以前、NHK教育テレビの太平記の講座で護良親王をモリヨシシンノウと呼んだことで、大きな反発を視聴者から受けたそうです。だから、義経も人選は難しいでしょうね。大方の義経ファンというのは、既成のイメージに乗っかっているでしょうから。こうしたことは、若い世代でも再生産されていて、その良い例が安倍晴明でしょう。この場合、皇国史観ではなくて、漫画・オカルト小説史観によるものとでも言えましょうか。ちなみに、安倍晴明展開催中の京都文化博物館は大入りで、これまで閑古鳥の鳴く中にいたコンパニオンさんたちが、かつて見せたことのない笑顔をふりまいているとの情報が元同僚から届いております。
 まあ、東国武士は無骨で粗野で純朴で、京都の公家は女々しくて白粉だらけで、気持ち悪い・・・といった既成イメージをNHKさんが、いつになったら克服してくださるのか楽しみでありますね。
 こうしたことに対して、研究者は非力ですが、でも、大河ドラマはだめでもNHKブックスがありますよね、石浜さん。おっと、藪蛇でした。
 とはいえ、再来年の『義経』、近世・近代の男社会を中世前期に引き写したかたちでホームドラマに仕立てることだけは止めていただきたいと切に願うものであります。なにしろ、今日、社会人向けの歴史教育に果たす大河ドラマの役割は甚大なのですから。
 などと、遊んでいて、ちっとも書評が進まず、焦燥にかられる毎日ですが、そんな中、熊野旅行の成功のために地道な努力をされておられる、永富さんにお詫びとお礼を申し上げたいと思います。

新平家あれこれ

No.297

 新平家の話題で盛り上がっているようなので、黙過できず一言。
 この小説の冒頭は、清盛が叔父忠正宅に借金に行く場面で始まります。吉川英治は、意図的に清盛の若年期を貧しく描いたのではなく、本気でそう思っていたとのことです。これは、小学館日本の歴史の安田元久著『院政と平氏』の月報で、安田、上横手両先生と対談した吉川門下の杉本苑子氏が証言しておられます。たしか両先生は驚かれたような発言をしておられました。
 言うまでもなく、吉川は平家物語「西光被斬」における、西光の罵詈雑言を事実と思ったのです。そういえば、当方の小学生時代の世界文化社とか言う会社が出した歴史の副読本に、清盛が壊れた門から出入りしている挿絵があったのを思い出します。
 ところで、映画の新平家で時子だった久我美子さん(彼女は久我家の嫡流で、本名は字はそのままで「こがはるこ」と、読むそうです。最近は第一線を退いたようですが、先年の久我家文書の展覧会のテープカットの姿を見せていました。やっぱり「また逢う日まで」の印象が消えませんね)は、1972年のテレビの新平家では待賢門院、中村玉緒さんは時子役になっておりました。映画で長谷川一夫が演じた義仲は、テレビでは親戚の林与一氏でした。
 テレビの新平家は大河10周年の特別企画で、すごいメンバーでした。平氏一門は以下の配役です。
清盛・仲代達矢、忠盛・中村勘三郎(勘九郎の父)、池禅尼・先代水谷八重子、経盛・少年時代・郷ひろみ、成人・古谷一行、頼盛・山本学、忠度・中尾彬(当時は二枚目だった)、時忠・山崎努、重盛・原田大二郎、宗盛・勝呂誉、知盛・松山政路、敦盛・勘九郎
祇園女御・新珠三千代、常盤・若尾文子、建春門院・村松英子、建礼門院・佐久間良子、祇王・波乃久里子。時子は上記。
王家:鳥羽・野村万之丞(万斎の爺さんか)、美福門院・小山明子、崇徳・田村正和、後白河・滝沢修、以仁王・北大路欣也、高倉・片岡孝夫(現仁左衛門)、待賢門院・上記
摂関家:忠実・森雅之、忠通・原保美、頼長・成田三樹夫(ヤクザ映画みたい、実はインテリ俳優なのだが)
源氏:為義・佐々木孝丸(築地小劇場依頼の名優)、義朝・木村功(ミスキャスト)、為朝・伊吹吾郎、頼朝・高橋幸治、頼政・芦田伸介、義経・志垣太郎、弁慶・佐藤充(東宝系ヤクザ映画で活躍)、北条時政・加藤大介、政子・栗原小巻、巴・古城都(宝塚の男役だった)、熊谷直実・岡田英次(「また逢う日まで」で久我美子の相手役)
信西・小沢栄太郎、西行・蜷川幸夫(元々は俳優なのです)、藤原秀衡・加藤嘉
麻鳥・緒形拳、妻蓬・和泉雅子(北極に行く前のまだかわいかったころ)。この夫婦が、いわば狂言回しの役でした。
 こうしてみると、物故者も多いし、30年の時の流れを痛感いたしますね。映画、歌舞伎、新劇といったジャンルの実力者がそろって折、それだけに迫力がありました。高校時代の忘れがたい思い出の作品です。

Re: 新平家あれこれ

No.299

元木先生はじめまして。同志社大学の山本と言います。
以前もぐらせてもらった先生の授業(木曜日)の時に挨拶はしたのですが、緊張して上手く自己紹介できなかったのでご記憶にないかもしれません。先生の火曜日と木曜日の授業の両方にもぐらせてもらっていました。その授業の際に時々、時代劇風の解説もしくは
セリフみたいなのが出てくるのが気になっていたのですが、それは
やはり大河ドラマの影響なんでしょうか?
『新平家』の清盛の家が貧しいというのは、吉川英治の創作かと思っていました。下書き込みの発言は訂正させていただきます。
あと一つお伺いしたいのですが、自分にとっての生涯忘れられない大河ドラマは91年の『太平記』です。未だに引きずってますが、
元木先生をはじめ、野口先生や美川先生がたは、あの大河ドラマの評価はどうなんでしょうか?一度歴史学者の諸先生方にお聴きしたかったのです。
いろいろおききして申し訳ございません。
後期も先生の授業に出席させていただくことになりますがよろしくお願いします。

よしつね、ヨシツネ、義経。

滑川敦子
No.296

元木先生
書き込み、楽しく読ませて頂きました。とても豪華なキャスティングですね。66年の大河ドラマ『源義経』は、祖母からも話を聞いた
ことがあります。確か弁慶が緒方拳でしたでしょうか??

野口先生
『義経』キャスティング検討が本格化してきましたね。
もし先生が映画監督でしたら、どのような映画を作っていらっしゃったでしょうか??

私は小学生の時、正月に、源義経や平清盛を主人公にした時代劇スペシャルを見た記憶があります。
覚えている方はいらっしゃいますでしょうか?
源義経
義経:野村宏伸(今では懐キャラ)静御前:安田成美(憲武の奥さん)頼朝:榎木孝明(第二の故郷・鹿児島出身の俳優、絵が上手い)弁慶:里見浩太朗(最近は黄門さま)後白河院:平幹二郎(シブイ)政子:高橋ひとみ(口元のホクロが素敵)富樫:高橋英樹(特別出演)宗盛:あおい輝彦(実はジャニーズ事務所)
平清盛
清盛:松平健(暴れん坊将軍。今度、先輩よりマツケンサンバのMDを借りる予定)時子:かたせ梨乃(ナイスバディ。憧れ)後白河院:高橋英樹(ちょっと以外でした)忠盛:丹波哲郎(霊界の人)
義朝:夏八木勲(大好きな俳優さんの一人です)清盛の恋人・阿耶
(厳島の巫女):名取裕子

だったでしょうか??調子乗って書いてしまいました。
今、正月時代劇って言うと、何かと忠臣蔵ばかりやっておりますが、中世(特に前期)も又やってほしいですね。

長村君、20日のご報告楽しみにしております。
山本さん、色々ご迷惑をおかけします。
そして、内容が題名とあまりあってなくてすみません。

Re: よしつね、ヨシツネ、...

No.298

滑川さんの投稿を読まずに、新平家のことを投稿しました。大変失礼しました。清盛の方の一場面で、夏木勲の義朝と、高松英夫の為義が、保元の乱でどっちにつくかもめている場面がありました。少しは勉強して脚本を作れ、と思ったことでした。

無題

長村祥知
No.295

元木先生
ご無沙汰しております。
お待ちしておりましたら、ついに御出陣。
いよいよすごい掲示板になりましたね。

野口先生から、
>発表の予行演習は8月20日あたりに時間をとって行ないましょうか?

というお言葉を賜ったのですが、みなさまいいでしょうか?

>山本さん、順番決まりましたか?

Re: 無題

No.300

20日・・・ってことは史料購読会の時に一緒に発表するってことでしょうか?
私はそのあたりの予定ならあいておりますのでOKです。

安楽寺HP

No.283

先日掲示板にも書きましたが、安楽寺のカボチャ供養に行った様子が安楽寺のHPに掲載されました、といってもお参りに来た人の写真の中の1枚にすぎませんが・・・。ご存じかもしれませんが、安楽寺は松虫・鈴虫という後鳥羽上皇の熊野参詣中に出家してしまった、後鳥羽寵愛の「女官」(とパンフレットに書いてあります)が出家をしたお寺です。良いお寺なのでオススメですよ、普段は公開してませんが。
 http://wiguchi.infoseek.livedoor.com

Re: 安楽寺HP

No.285

HPの写真、拝見させていただきました♪
かぼちゃ・・・すごくおいしそうですね~うらやましい☆☆☆
機会があればぜひカボチャを食べに・・・いや、お寺の見学に行ってみたいものです。

新平家物語

野口実
No.288

安楽寺のカボチャ、おいしそうですね。ところで、写真の田中さん・末松さん・野口君ともう一人の方は、どなたでしたっけ。
永富さんはレポート済みましたか?
山本君、「院政期における越前斎藤氏と摂関家」あっと驚かせてください。
当方はレポートの採点と某学会誌から御依頼を受けた書評の執筆で
焦燥の日を暮らしておりますが、本日、三時の休憩時間に、ふと、テレビをつけてみたところ、BS2であの元木先生の『平清盛の闘い』序章にスチール写真の掲載されている市川雷蔵主演の映画『新平家物語』が放送されているではありませんか。まさに、中世『平家物語』によって作り上げられた平家認識と戦後の領主制論がないまぜに合体した所産のようなストーリー。しかし、往年の名俳優たちの渋い演技。今では絶対不可能な寺院を利用しての大ロケーション。など、実に見応えのある映画でした。面白かったのは、平忠盛の邸の近くにどうやら蛇塚らしい石積みが見られたことで、これは考古学の山田邦和先生が昔の映画に出てくるとおっしゃっていたとおりで、昭和30年代にどうも、大映はこのあたりをロケ地に使用していたようです。当時の蛇塚の様子がわかる上からも貴重な映像でしょう。平時忠の家が、もと藤原氏だったものが平家に荷担して放氏され、平氏になったなどという、おそるべき虚構もありました。ちなみに、時子を演じたのは久我美子、その妹の滋子は中村玉緒でした。後者は配役の字幕からのみ分かったことで、現在のイメージからは全く想像できず、ここにおいて私はもっとも「諸行無常」を悟った次第でした。

Re:新平家物語

美川圭
No.289

野口先生、こんにちは。HP盛況でなによりです。美川です。
単なるゴミレスです。

市川雷蔵主演の『新平家物語』の監督は、あの巨匠溝口健二ですね。
我が家は『白河法皇』の「あとがき」でも触れたように、歌舞伎界とか映画界とかと、妙ちくりんなつながりがあります。

雷蔵は関係ないのですが、この溝口とも、わりと最近、関わりがあります。家内が前任校で、溝口のお嬢さん(といっても我々の母親に近い年齢)と同僚だったので、溝口家とお近づきになったのです。溝口は田中絹代と関係があったので、その田中と対立した本妻の家ということになります。

うちには、キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルという種類の、顔は、西洋中世の「騎士」に似るが、性格は単なる「甘えもの」イギリス系の犬がいます。我が家が泊まりがけの留守をするとき、この犬の「キャロライン」は溝口家で優雅な休日をすごすというのが、恒例となりつつあるのです。私はうかがったことがないのですが、その桂の溝口家は広い庭があり、自由に走り回れる環境だそうです。この前の月末、4日ほど沖縄に行っていたのですが、その間も溝口家で贅沢三昧をすごしていたようです。

書評一件。

野口実
No.290

美川先生、そうです、あの映画の監督は溝口健二です。それにしても、美川さんの御家族は芸能界に縁が深いですね。愛犬までその余徳にあずかれるとは。
それで思い出したのですが、実は小生の父も若い頃、映画好きが高じて東映に勤めていたことがあり、片岡知恵蔵などと一緒に写っている写真を見せてもらったことがございます。息子(私です)は映画監督にしたかったようです。
さて、小生、今日も書評の執筆で朝から呻吟しておりますが、どうもBS2では午後中『新平家』の続編が放映されるようで、これを観てしまいそうな雲行きです。
ところで、書評と言えば毎日新聞に載った美川先生の御著『白河法皇』への書評について、さきに紹介した後深草院二条のサイト(NO.270参照)で、その後も話が展開しています。研究者の書評に対するスタンスを考える上で、いろいろ考えさせられるものがあり、熊野旅行では当然話題となることだと思いますので、みなさんも是非このサイトのbbsをご覧になっておいてください。毎日掲載の書評は、そのbbsの7月30日付の美川先生の書き込みにアドレスがありますので、そこでご覧になれます。

校正

野口実
No.291

上記の「片岡知恵蔵」はもちろん「片岡千恵蔵」の誤りです。念のため。
このところ、「講読」を「購読」にしたり、変換ミスに気づかぬことが多くて困ります。「歴史家にとって正確は義務であって美徳ではない」のですが。

Re: 安楽寺HP

No.292

野口先生へ
 写真で右手前に写っているのは、同行した私の高校時代(京女)からの友人で越智さんといいます。法律を勉強しているのですが、大変な読書家(特に外国のもの)です。が、彼女はご本人いうところの「洋モノ」ばかりで「和モノ」と接点がない為、前から研究会でのイベントに興味を持ってたので今回の見学会に誘ってみた次第です。

Re: 安楽寺HP

No.293

野口先生>レポート、出来はともかくとしてすべて提出することができました。ようやく私も夏休み突入です。
今日は角倉フォーラムに参加して、文系理系各分野の研究者の先生方のお話をたくさん聴き、刺激を受けました。工学系の先生が多かったのでお話についていくのが少々大変でしたが☆(ついでに大和文華館で去年開催された角倉素庵展の図録もゲットしてまいりました)
今夜はレポートではなく、旅行のしおり作りを急ピッチで完成させ、明日には印刷完成の予定です。皆様には当日お渡しいたします。

「新平家」について

No.294

野口先生、昨晩は論文の内容を言うつもりで電話したのですが、
驚かす結果になってしまいました。すいません。つくづく世話を焼かせる不良弟子です。内容は時期を絞って白河から鳥羽院政期にしています。これから勉強する土台的なものになってしましますが、
がんばります。
『新平家』の映画は自分も見ました。野口先生が違和感を感じた点はいきなり忠盛・清盛の家が貧しいという設定だとおもいます。
この設定の原因は原作の吉川英治の『新平家物語』にあります。
どうしてそのような設定にしたかというと、作者の吉川英治が、終戦で貧しい戦後日本の時代体験をこの『新平家』に投影したものだからです。そして貧しい戦後日本の経済成長=平清盛の出世、そいして平家の繁栄というような構成が背後にあると何かで読みました。(この構成でいくと日本は滅亡することになるんですけど)
市川雷蔵の迫力もさることながら、自分が一番驚いたのシーンは、貧しい平時忠の家で平時子と平滋子が洗濯をしていたシーンです。
後に女院となる建春門院がお姉さんの時子さんから「滋子、これお願い」と言われて、あの女院が足でふみふみしながら洗濯しているではないですか!その時、ちょうど栗山圭子さんの論文を読んでいたせいかショックは二倍でした。映画ネタなのでつい割り込みました。
>美川先生へ
溝口監督の映画は小津映画と同じで、古きよき時代の日本の雰囲気を感じさせる映画でした。何本か見ましたがカラーに慣れているせいか白黒の映画は逆に新鮮でもあり、映像も美しかった気がします。特に『雨月物語』の怪しげな雰囲気などは。
それに較べると、『新平家』はカラーでもあるせいか、少し従来の作風とは違った気がしました。
あの溝口監督の家とも縁があるといのは、一映画ファンとしてすごいと思ってしまいます。

すいません。映画が趣味なのでついつい長くなりました。
五回生(留年中)に映画ばかり見ていたんですが、最近の映画より
断然昔の映画の方が面白かったので書き込みしました。
あ、論文書かないといけないのでこの辺で。
あと史料講読の分担は当方で独断で決めさせてもらいます。