本当に楽しかったです。

No.314

みなさんお疲れ様でした。昨日書き込みしようと思ったのですが、気が付いたら寝てました。永富さん、鈴木君本当にお疲れ様&ありがとう!です。二人のテキパキした采配だけでなく、旅行の間の疲れを忘れさせるツッコミ&ボケの面白さはある意味旅行以上に楽しかったです。いきなり初日の遅刻は本当にゴメンナサイ。まさかあんな形でレジェンドを作ってしまうとは。一生このネタで車じゃないけど後ろからあおってください。後はゆっくり休んでください。あと今回の旅行の舞台だった青岸渡寺の高木さんもありがとうございました。京都は寺社は多いけどなかなか中世の神仏習合を感じさせるのは少いです。でも今回初めて神仏習合のなごりというか雰囲気に直に触った、実感して感動しました。あんなに寺と神社が隣接していたとは思いませんでした。あと貴重な寺宝や仏像を見せていただきありがとうございました。ビバ山岳信仰!ビバ神仏習合!ビバ那智の滝!です。台風から無事に逃げ切れたのも参詣したご利益だと思います。でも今回の旅行はいろんな意味で勉強になりました。いろんな人と話す事で人の考えが参考になると同時に、自分の普段気づかない点(滑川さんの指摘する「自滅キャラ」など)が分かるのが本当に勉強になりました。
(ただ「オージョイフル」など覚えなくていいものまで覚えてしまった気がする。)
>滑川さん
楽しんでいただいたのならいいんだけど、次の史料講読などでいろいろ迷惑かけます。

史料講読の順番と分担は掲示板に確認のためにまた書き込みします。来週が図書館が休みだったのには気づきませんでした。お疲れの中みなさんをコピーに走らせてしまいすいません。どうしてもてにはいらなかったら山本まで連絡お願いします。


史料集中講読の分担表&日程表

No.315

史料講読の分担と日程表です。
(1)日程表
 1日目(8月19日・火曜日)
 文書番号・平遺番号・担当者
  ①    2168
  ②    2162  山本 
  ③    2163
  
  ④    2167
  ⑤    2176  滑川さん
  ⑥    2549
  
 2日目(8月20日・水曜日)
  ⑦    2586  田中さん

  ⑧    3121  永富さん
  
  ⑨    3142  野口君
  ⑩    3143
  
  ⑪    3139  長村君

 3日目(8月22日・金曜日)
 ※注・間の20日は休みです。
  ⑫    3148  末松さん

  ⑬    3392
  ⑭    3393  平田さん
  ⑮    3394
  
  ⑯    3395  山本
  ⑰    3425
  
  ⑱    3427  長村君

以上が分担と日程表です。文書番号の通し番号は配布した史料に記入してあります。時間は1時~6時で、場所は宗教・文化研究所です。山本・長村君・滑川さんの三人は全部史料を読んでいくので、もし担当していて分からない部分があったら三人が補います。またどうしても担当部分が手に入らなかったら山本まで連絡お願いします。(上にEメールアドレスでいけます)

隊長!ミスですよ!!

No.319

旅行お疲れさまでした。(お互い様ですが)
初日の朝は語りぐさになりそうですが、その後2日間運転してもらっちゃった手前(山道は大キライ(*_*))、あおるのは次のゼミ旅行までにします(笑)
 史料集中購読の分担表ですが、お休みなのは「21日」ですよ~~。

確認事項。

野口実
No.320

山本君 長村君が史料講読会の期間に25日の研究発表予行をしたいと申し出ておりました(NO295・275参照)。分担表はこれを考慮し、再掲していただければ幸いです。
田中さん NO275にも記しましたが、25日の懇親会はどうしますか?学習院の方たちの人数が多いので、難しいかもしれませんね。まあ、無理して実行する必要はないと思いますが、先方とご相談の上、よろしくお願いします。 
それから、伊藤さんから、そろそろ御報告のテーマをうかがっておいてください。その上で、研究会の日程表を作成し、upしていただけると幸いです。公開研究会という形にしたいと思います。間に合えば日本史研究会の掲示板にも載せられればと思っています。
ちなみに、高松の方はどうなりましたか?

あらためて

長村祥知
No.312

皆様お疲れさまでした。
特に、宴会中の不祥事で野口先生の聖体を不豫にしたのは、ご本人だけでなく、ゼミ員・摂南の先生方にも本当に失礼をいたしました。
鈴木・永富両氏にもあつく御礼申し上げます。

元木先生、多田ツアーにご一緒させて頂ければ幸いです。

次は荘園ですね。楽しみにしています。
山本さん、発表担当の発表をおまちしております。

謝辞。

No.310

みなさんお疲れさまでした。まさに、平治の乱における清盛の帰郷の如く(元木先生の御指摘による)、帰りは大変でしたね。まさか、九州に逃げようと思った人はいないと思いますが。小生は湯浅氏ならぬ湯浅道路を利用して戻りましたが、串本町のあたりの海のうねりは凄まじいものがあり、愛車も海水の洗礼を浴びて参りました。かくして、本日、六波羅に着到、二条天皇ならぬ長村君の「行幸」をお待ち申し上げている次第です。
さて、冗談はさておき、今回の旅行では幹事をつとめた永富さんに大いに感謝したいと思います。本当に至れりつくせりの御配慮で、おかげさまで、実に有意義な三日間を過ごすことが出来ました。永富さんの技術参謀の鈴木君にもあつく御礼申し上げます。
また、今回の見学の圧巻はなんといっても青岸渡寺・補陀洛山寺でしたが、高木さんにはいろいろお心配り、きわめて過分なおもてなしを頂いて、恐縮致しております。貴重な御所蔵史料を拝見して、とても勉強になったことはいうまでもありません。ご両親様ならびに瀬川様によろしくお伝え下さい。
旅行が盛況になったのは、美川先生をはじめとする摂南大学の先生方のご参加があったことによります。ゼミのメンバーも、多々学問的な刺激を与えていただいたようで感謝致しております。ただ、美川先生には、お別れした直後に、青岸渡寺の宝物館で白河法皇御幸のさいに使用した金剛界曼陀羅の成身会大坦具を拝見することになってしまったのが、ちょっと残念でした。
それから、源先生には急なアクシデントでお急ぎのところ、わざわざゼミメンバーの到着をお待ち下さり、またご丁寧なお心遣いまで下さって恐縮に存じました。掲示板にて失礼ですが、あつく御礼申し上げます。奥様・お嬢様にもよろしくお伝え下さい。
元木先生・近藤先生にもいろいろアドバイスを頂きましたし(海上からの那智山の景色も見ることが出来、神倉神社の石段は全員登頂に成功しました)、この旅行は多くの方たちに支えられ、多大な成果を生んだことと思います。ゼミの諸兄姉間同士で徹夜で語り合ったことは、きっと人生の財産になることでしょう。うらやましいことです。
なお、小生、生来の虚弱体質の上、いよいよ老化著しく、軽い疲労でもすぐに胃腸障害を発動し、しばしば雲隠れ(「雪隠」と「雲隠」は似ていますね)したり、深夜のディスカッションには参加不能であったことを衷心よりお詫び申し上げます。しかし、今回の旅行で熊野信仰とか紀伊半島の地勢が私の脳裏の中で実に具体化したことをひそかに喜んでいます。
ゼミのみなさん、ありがとうございました。さて、一休みしたら次は史料講読です。

校正

No.311

上記、1行目「帰郷」は「帰京」の誤りです。

運転ご苦労様でした。

No.317

 Yahooニュースを見てみると、三重県南牟婁郡紀宝町、つまり熊野川を挟んだ三重県側のところの支流が氾濫し、民家の1階部分まで浸水だったようです。
 まさか、台風に向かう方のコースだったとは、聞いてびっくりしていましたが、全員怪我も事故もなくよかったと思います。
 次の機会があれば僕も誘ってください。(技術参謀として...)

遅ればせながら…。

滑川敦子
No.309

皆様、熊野旅行本当にお疲れ様でした。鈴木君、絵里ちゃん、色々お気遣い頂きありがとうございました。とっても楽しかったです。
そして、山本さん、最初から最後まで楽しませて下さってありがとうございます(冗談ではなく、本当に。あれだけ度量の広い先輩をなかなかいませんよ)。
熊野は、機会があれば又行きたいと思っております。
那智の滝は本当に感動しました。私の場合は麓で見たのもさることながら、熊野古道から見えた滝なのですが。古道から滝が見えた時、しんどくなっていた気分が癒され、足どりが少し軽くなったような気がしました。何百年前の人も同じ光景を目の当たりにしていたに違いないと思いました(いささか空想(妄想?)に耽っておりますが)。那智大社と青岸渡寺の参詣曼陀羅も興味深いものでした。写真で何度か目の当たりにしてはいたのですが。他の展示物はそっちのけで、ずっと参詣曼陀羅の前に立っておりました(笑)。
美川先生とは色々お話できてとても光栄でした。
学部で先生の講義を受けていた時はまだ2回生でした。講義の前日は、同じ講義を受けている友人と夜遅くまで学校に残って予習に取り組んでいました(史料講読でしたので、史料の読みと解釈を)。
源先生とは、ご一緒出来ず、とても残念でした。「高坊」は気付けませんでした。古文書はわりかし読んでいたのですが。お嬢さんのことはお気になさらないで下さい。むしろかわいらしいなあとゼミのみんなと話していたくらいですから。
元木先生、いつも面白い書き込みありがとうございます。多田に行かれるという事は、旅行中、野口先生よりお聞きしました。多田は大学時代の友人が住んでいるところで、色々話を聞いておりましたので、一度行ってみたいと思っていたところです。
ご一緒させて頂けたら嬉しいです。
鈴木君、永富さん、帰りの電車で話していた例の件についてご検討頂けたら幸いです。また今回の旅行の先達を務めて下さった高木さんにも、宜しくお伝え下さい。

ていせい、テイセイ、訂正。

滑川敦子
No.313

大変失礼致しました。
・「度量の広い先輩を」→「度量の広い先輩は」
・「大学時代の友人」→「学部時代の友人」
の間違いです。すみません(ぺこり)。

お帰りなさい

美川圭
No.308

>田中さん
みなさん、無事のご帰洛、おめでとうございます。
一昨日の浦島の連絡バス運転手さんが、
台風が来ると、すぐに紀勢本線も、道路も止まる、といっていたので、かなり心配していました。
もうすこし、台風が早く来ていたら、足止めとなるところでしたね。
「祝着至極」

>源先生
熊野でお会いできずに、残念です。
前々回にうちの教員と熊野へ行ったときは、故杉浦勝先生と一緒。
(ちなみに杉浦先生は、京都府大出身で、藤井学先生のお弟子さん。もともとは日本史なんです)
前回は、もう彼は病のため、行けず。ただし、宿泊地や食事処などをすべて彼の「指定」。という風に、熊野は彼の想い出と、切っても切れない地でもあります。

ちなみに、
私は行ってないのですが、有久地(だったかな)という「冥界
」のような温泉地があるそうです。修験者がとまる一軒家の宿(宿坊)があるそうな。
うちの教員連中が、かつて、台風の風雨のなか、そこでこの世と思えぬ体験をしたそうで。そこに杉浦先生もいて、もはやこの世の人とも思えぬ宿の主と階下で「談笑」していた光景が、語り継がれています。やはり行っていない同僚の小川豊生先生(国文学)も、たいへん興味がおありだそうで「実は、そんなところ、数百年前になくなっていたりして・・・」とにたにたしながら、よろこんでいます。

先生もお疲れさまでした

No.318

美川先生、もとい美川上皇そして摂南大学の先生方、和歌山での長期滞在お疲れさまでした。初日の飲み会・二日目の熊野と、なかなか全員の先生とお話しすることは出来ませんでしたが、とても楽しく有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。小川先生はまたどこかの学会でお会いすることもあるかと思います。まだまだ学会は物見遊山ですので、知っている研究者が増えるたびにワクワクしますね(^^ゞ
 どの先生方も、またお会いできることを楽しみにしています。勿論、この掲示板への登場もです(^u^)
P.S.
 「冥界」のような温泉地・・・想像はふくらむばかりです(笑)

Re: お帰りなさい

No.322

こんばんは。昨夜無事全員熊野から帰洛することができました。
旅行から帰ってきてから今日一日家でぐったりとしておりまして、お礼の書き込みをするのが遅くなってしまい申し訳ございません。
メールの内容と重複いたしますが、こちらにもレスをつけさせていただきます。

今回は美川先生をはじめ摂南大学の先生方と旅をご一緒させていただき、色々とお話させていただくことが出来、光栄でした。
美川先生からの専門的なお話はもちろん、普段接することのない分野の先生ともお話をさせていただき、よい刺激を受けることができたとゼミ員一同喜んでおりました。

また、一日目の宴会では、連絡がうまくいかず長い時間お待たせしてしまったにもかかわらず、宴会の費用についてもお心使いいただき、ありがとうございました。
感謝いたしております。

またご一緒する機会があるかとは思いますがそのときはどうぞよろしくお願いいたします。
摂南大の先生方にもどうぞよろしくお伝えくださいませ。

冥界のような温泉・・・ぜひ行ってみたいものです。
ホテル浦島の忘帰洞からみた朝焼けも波が光に反射してキラキラ輝き、海にちょっと霧がかかる様子も私には十分神秘的に感じられました。

一番のり!

No.306

 熊野から帰洛し、久々の美味しい「家ご飯」を食べて一息ついたところです。現在紀伊半島の西側(白浜あたり)が暴風域に入っていて、帰ってきたものも何とか逃げ切った・・・という感じです。
 ともあれ、事故もなく旅行を終えることが出来て本当によかったです。全部の手配やお金の管理を一手(二手?)に引き受けてくれた永富さんと鈴木くん、本当にご苦労さまでした。まだパソコン画面では写真を見ていませんが、全部で100枚ほどの写真を撮っているので、あんまり写りの悪いモノは抜いて鈴木くんにお渡ししたいと思います。
 まだまだ余韻に浸ってはいますが、那智・熊野という土地が宗教や文学作品に影響力を持っているという、その土地の「力」を感じることが出来た良い旅行でした。お疲れさまでした。

Re: 一番のり!

源健一郎
No.307

みなさんお帰りなさい。熊野でご一緒することを楽しみにしていたのですが果たせず、残念至極です。心配していたお天気の方も、何とか逃げ切られたようで何よりでした。
ところで、那智での史料見学は如何でしたか? 「高坊」という支院に関する記述をご記憶の方は是非ご一報を。「平家」関係で、ちょっと気になっているものですから…。
それでは皆さん、ゆっくりと旅の疲れをお癒しください。
PS 新宮駅でお会いした皆さん、娘が無愛想でゴメンナサイ。なぜか最近、初対面の人に弱いのです…とほほ。

Re: 一番のり!

No.316

ただいまです。
ふと掲示板をのぞいてみると、書き込みのインフレーションでどこにレスをつけていいやら...ということで、1番乗りなところにしました。
みなさんお疲れ様でした。
専門ではないですが、歴史の力なのでしょうか「昔も今もあの滝は流れ続けてるんだなぁ」という、動きのあるつながりがとても印象的でした。
ただ者ではない人と、ただ者じゃない旅行が出来たように思います。これこそ本当の「修学旅行」じゃないかと(^^

僕の分は、那智の滝など結構きれいに撮れていました。
あつめればデジカメだけで200枚近くになりそうですね。
P.S.源先生もばっちり撮れていましたよ☆

一足先に熊野から帰京

美川圭
No.305

美川です。
昨晩、ご一行さまより、一足先に帰京しました。
青岸渡寺でお昼をごちそうになってから、十津川経由で京都まで、約8時間かかりました。
私も楽しかったのですが、同僚の先生たちも、得難い体験をよろこんでおりました。
詳細は、みなさんがご帰京されてから、ということですが、
台風が心配です。

大河ドラマの功罪

No.304

 たびたび失礼します。
どうも芸能ネタが弾んでいるようで、ますますのめりこみそうです。美川氏が愛犬ぐるみで溝口健二の一族と関係があり、野口先生のお父上が東映にお勤めとは。
 当方、東映時代劇では、悪役にして映画で水戸黄門を定着させた月形龍之介が大好きでした。京大の北にある居酒屋「住吉」(かの杉橋先生ご愛用)のお婆さんが月形氏の隣にすんでいたとか。
 昔の時代劇は歌舞伎などと共通する型がありましたから、作りやすいし見る方も一種安心できるところがありましたね。
 最近は学問の進化や、思想の変化がありますから、制作側もどのように消化したらいいのかわからないのかもしれません。
 昨年の失敗作『時宗』も、昔でしたら、悪逆非道のモンゴルを撃退した大英雄時宗を単純に描けばよかったのですが、今はそうは行きません。さりとて、変に反戦思想を盛り込もうとすると、何とも奇怪な時代劇になってしまいます。時代の制約、今日との違いを明確にした上で、封建制の厳しさ、残忍さ、その悲劇を描かないとシーリアスな時代劇にはならないと思います。荒唐無稽な筋書きもさることながら、女性たちに安易に反戦を語らせた点に、時宗のつまらなさの原因があるように思います。
 ただ、最近の大河ドラマ、実はあまり見ていませんので偉そうなことは申せません。当方の家には一台しかテレビがなく、あの時間帯は熱狂的巨人ファンの家族に占拠されているものですから。
 そんなわけで太平記もあまり見ておりません。ただ、後醍醐が片岡孝夫では線が細すぎる、ほんとはビートたけしあたりがいいのにと思ったことでしたが、そんな演出をすれば、演出家の命が危ないことでしょう。そこに、野口先生がご指摘になった問題があると思います。
 もっとも、66年の義経では法皇の姿さえ出せず、72年の新平家では法皇は顔を出したものの、天皇は御簾の中という演出、79年の草燃えるでも、法皇が中心で、天皇はほとんど出番ナシでした。それに比べると、後醍醐が登場し、女性を抱く場面さえもあったのは大変な進歩と思いました。
 あれ以後の大河に、思想面の積極的な意味があるのかどうか。
 ちなみに、吉川英治の『私本太平記』は、幕府滅亡までは面白いのですが、そのあたりで氏が病気に倒れ、あとはエピソードを拾うような内容となってしまいました。テレビがつまらなくなった一因は原作にもあったのかもしれません。
 熊野旅行にお誘いいただき光栄です。残念ながらとても時間が取れません。お天気が気になりますが、良いご旅行になりますよう、お祈りしております。
 それはともかく、現在満仲の伝記を書いている関係で、一度多田に行ってみたいと思います。興味のある方がおられたら、ご一緒しましょう。
 多田より、帰りの梅田グルメが当方の真の目的なのですが。

帰京

No.303

 今、和歌山南部の天気を見ていたのですが、明日はともかく、あさって、しあさっての午後は雲行きがあやしそうですね。台風が通過なんてことにならなければよいのですが…。心配です。

義経役

No.301

 この場を借りるのも変ですが、元木先生、お久しぶりです。一部で弁慶役に決まった近藤です。

 ところで、『新平家物語』等のキャスティングで盛り上がっていますが、義経役は、美男子、今でいうイケメンばかりですね。しかし、『平家物語』等によれば、義経は、運動能力は優れていたようですが、小柄で出っ歯の醜男のはず。一度は、イケメンでない義経も見たい気がします。たとえば、思いつきですが、ナイナイの岡村なんかどうでしょう?

 それでは、ゼミのみなさん、楽しい熊野詣でを!

既成のイメージ

野口実
No.302

 芸能話に花が咲き、アクセス3000も間近ですね。こうなると、直接の対話が必要で、元木先生も熊野にお出でになれれば良いのに、とつくづく思っております。明晩、那智勝浦のホテル浦島においでになりませんか?
 近藤先生のおっしゃるとおり、義経は歌舞伎役者みたいな人にはもう演じて貰いたくありませんね。しかし、人口に膾炙している既成のイメージというのは恐ろしいもので、そこからはずれると視聴率が極端に低くなるようです。『太平記』も社会史全盛の時期に、戦後歴史学のリーダー永原慶二先生の考証のもとで放映され、絵巻にあるような場面が出てきたり、出産や元服といった儀式の様子はほぼ忠実に描かれ、片岡鶴太郎の北條高時やフランキー堺の平頼綱のような適材適所の配役もあって楽しめたのですが、どうも後半からつまらなくなってしまいました。その背景には、大楠公史観とでも言いましょうか、皇国史観教育を受けた人たちのイメージとのあまりに大きな乖離のあったことが指摘できるようです。上横手先生も、以前、NHK教育テレビの太平記の講座で護良親王をモリヨシシンノウと呼んだことで、大きな反発を視聴者から受けたそうです。だから、義経も人選は難しいでしょうね。大方の義経ファンというのは、既成のイメージに乗っかっているでしょうから。こうしたことは、若い世代でも再生産されていて、その良い例が安倍晴明でしょう。この場合、皇国史観ではなくて、漫画・オカルト小説史観によるものとでも言えましょうか。ちなみに、安倍晴明展開催中の京都文化博物館は大入りで、これまで閑古鳥の鳴く中にいたコンパニオンさんたちが、かつて見せたことのない笑顔をふりまいているとの情報が元同僚から届いております。
 まあ、東国武士は無骨で粗野で純朴で、京都の公家は女々しくて白粉だらけで、気持ち悪い・・・といった既成イメージをNHKさんが、いつになったら克服してくださるのか楽しみでありますね。
 こうしたことに対して、研究者は非力ですが、でも、大河ドラマはだめでもNHKブックスがありますよね、石浜さん。おっと、藪蛇でした。
 とはいえ、再来年の『義経』、近世・近代の男社会を中世前期に引き写したかたちでホームドラマに仕立てることだけは止めていただきたいと切に願うものであります。なにしろ、今日、社会人向けの歴史教育に果たす大河ドラマの役割は甚大なのですから。
 などと、遊んでいて、ちっとも書評が進まず、焦燥にかられる毎日ですが、そんな中、熊野旅行の成功のために地道な努力をされておられる、永富さんにお詫びとお礼を申し上げたいと思います。