建春門院の陵墓は何処に?
No.3135
後白河が自分のために用意しておいた法華堂に埋葬し、しかもその間の事情や埋葬形態まで詳細な記録がのこされているにもかかわらず、その所在地が長く不明であった建春門院滋子の陵墓。
その位置を見事に推測(ほぼ確定)したのが、誰あろう、山田邦和先生です。これは、センセーショナルな大発見だと思っているのですが、建春門院の知名度が今ひとつのためか、研究者の間でもあまり話題にのぼらなかったようです。しかし、今こそ、ようやく機が熟してきたようですね。
科学と実証によって事実に迫っていくという学問の醍醐味を堪能させてくれる山田先生の学説は、京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第16号(2003年)掲載の「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」(小生と共著)において展開されています。
☆ なお、建春門院滋子・平時子・建礼門院徳子に関する現在の研究の水準を知りたい方は、栗山圭子「二人の国母」・金永「平時子論」・鈴木啓子「『平家物語』と<家>のあり方」を参照してください。いずれも新進気鋭の女性研究者による優れた成果で、『文学』隔月刊 第3巻・第4号「≪特集≫歴史の語り方-平家物語」(2002)に収録されています(栗山論文の後半は次号に及びます)。
おのおの方、これらを読まずして、平家の女性たちを語る事なかれ!
その位置を見事に推測(ほぼ確定)したのが、誰あろう、山田邦和先生です。これは、センセーショナルな大発見だと思っているのですが、建春門院の知名度が今ひとつのためか、研究者の間でもあまり話題にのぼらなかったようです。しかし、今こそ、ようやく機が熟してきたようですね。
科学と実証によって事実に迫っていくという学問の醍醐味を堪能させてくれる山田先生の学説は、京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第16号(2003年)掲載の「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」(小生と共著)において展開されています。
☆ なお、建春門院滋子・平時子・建礼門院徳子に関する現在の研究の水準を知りたい方は、栗山圭子「二人の国母」・金永「平時子論」・鈴木啓子「『平家物語』と<家>のあり方」を参照してください。いずれも新進気鋭の女性研究者による優れた成果で、『文学』隔月刊 第3巻・第4号「≪特集≫歴史の語り方-平家物語」(2002)に収録されています(栗山論文の後半は次号に及びます)。
おのおの方、これらを読まずして、平家の女性たちを語る事なかれ!