上京物語

岩田慎平
No.3085

 表題を「じょうきょうものがたり」(シャ乱Qの名曲)ではなく、「かみぎょうものがたり」と読んでしまった人は、京都人。「中京」はどう読みますか?

 昨日、久しぶりに野口先生の研究室にお邪魔しました。先生、お忙しいところありがとうございます。
 その際に、上記のようなことが話題に登りました。だからどうだということもないのですが、来月末には東京へ行く予定ですから、この機会に自分たちが生活する京都と現代日本のいろんなものが集まる東京との違いを、何かしら実感できればと思います。〈野口先生の東京ガイド〉に期待しております。

 下で鈴木くんが挙げてくれた京都市内のバスのことですが、路線云々とは別につい最近もMBSの夕方のニュース「VOICE」でも取り上げられました。
 http://mbs.jp/voice/special/200501/0124_1.html
 僕も去年までは通学のため京都市バスを利用していましたが、この「次のバスにお乗り換えお願いします」のアナウンスには北大路バスターミナルでよく出くわしました。これ、本当にひどいと思います。新規参入が、こういったバス事情に一石を投じることになるのでしょうか。

東京ガイド募集。ついでにゼミ生も。

No.3086

 昨日は久しぶりに元気そうな岩田君が研究室に現れて、一安心いたしました。

 市バスの件。『台記』研究会の時など、京女から京大まで206系統の市バスを使いますが、これがなかなか来ない。観光シーズンは乗れても大混みの上、道路は渋滞。同志社に行く場合は、東大路から今出川通りに行く路線がない・・・等々、大学間の移動だけ考えても、京都のバス事情にはいろいろ問題がありますね。
 
 ところで、ゼミ旅行ですが、小生の東京案内は実に情報が30年も前のものばかりで心許なし。そこで、青学の貫ゼミの同窓生の皆様(もう50代)から、わずか2年間という薄命だった青学野口ゼミの出身のみなさん(もう40代?)。それに前任大学の野口ゼミ生だった諸姉(まだ20代)をはじめとする、首都圏在住の小生と「一所傍輩之好」(『吾妻鏡』治承四年十二月二十日条)の関係の方々に、ぜひ御協力を仰ぎたく、もし立候補頂ける場合はご連絡の程お願い申しあげる次第。

 ★ 今日は大学コンソーシアム京都「源平内乱期の京都」の最後の授業で、六波羅に関するお話を致しました。ご出席の諸姉兄でこの分野に関心を持たれた方は、どうぞ遠慮なく当ゼミにも御参加下さい。ご連絡をお待ちします。

Re: 上京物語

No.3087

そういえば、野口ゼミは東京出張でした。飲み会に飛び込もうかな……。

大歓迎です。そしてさらに東京ガイド募集

No.3092

 >石浜さん 2月3日もよろしく。書評会は関西で中世前期を専攻している若手の優秀な研究者が沢山参加してくれそうなので、たいへん楽しみです。将来のNHKブックスにおけるベストセラー執筆者がこの中から現れることは必定のようです。
 東京ゼミ旅行における「懇親会」にも是非に。
 
 なお、「東京案内」については、小生の高校時代の同窓生や高校教員時代に何かの縁で小生担任のクラスや授業を担当したクラスにいた方たち、さらには高校に於ける同僚にも「一所傍輩」の範囲を拡大して募集することに致します。

卒論の息抜き

No.3078

京女の学生の皆様に朗報みたいです!!

「大阪のバス会社、新規参入へ JR京都駅から京都女子大間」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050122-00000001-kyt-l26

京都駅八条口←→東山七条←→京都女子大学
の間で新たにバス路線が開通しそうです。

料金は220円。通学時間帯は1時間に10本という事ですが
卒論提出を終えた永富絵里子氏曰く『もっとはよしろやー(ー_ーメ)!!』

京女生の試練でもある「女坂」、京都駅から連なる京女生の行列はもうすぐ見納めとなりそうですよ!!

『紫苑』第3号は順調とのことで、期待大です☆

Re: 卒論の息抜き

岩田慎平
No.3080

 鈴木くん、卒論の作成おつかれさまです。
 教育大は来週から期末試験だったでしょうか。昔、パンキョウの〈西洋史学〉というさっぱりお手上げの科目の試験の後、屋上に積もった雪で雪だるまを作って遊んだことがあります。ひとりで作ってるところを、僕の指導教官が写真に撮ってくれました。

 このところ体調を崩されたり(その最たる例は他ならぬ僕なのですが)、元気がなかったりという方が多いと伺いました。みなさんどうぞお大事に。

 ところで、そもそも岩田が何故に入院していたのかということを書いていなかったと思うので、今となってはどうでもいい話なのですが、書いておきます。
 お医者さんから「入院しなさい」と言われたのは、病院の血液検査で肝臓の機能を示す数値が異常な値を示していたからでした。すなわち肝機能低下です。
 肝臓が悪くなると黄疸が出るので、病院でお会いした方はご存じのとおり、カレーパンマン(http://www.ntv.co.jp/anpanman/profile/currypan.html)のように黄色くなりました。
 酒もタバコも飲まないのにどうして肝機能が低下したかというと、これが結局最後までよくわからなかったのですが、どうも疲労やちょっとした風邪や、その風邪の症状を緩和させるために飲んだ市販の薬などが、様々に肝臓に負担をかけたのだろうというのが、主治医の先生の見立てです。それで六週間の入院のうち、四週間ほどはひたすら怠いという症状が続きました(体重は71→64kg)。

 ここからが本題なのですが、僕の場合は本格的に悪くなってからようやく病院に行ったため、入院する羽目に陥りました。ですからどうかみなさんは、「体調がちょっとヘンだ」と思ったら、まずは四の五の言わずに病院で診てもらうのがいいと思います。もちろん、そんな時間もなかなか作れない場合もあるでしょうが、適当に市販の薬を飲んだり、ぐずぐず迷ってとことん悪くなってから診てもらうよりは、早めの受診を強くおすすめします。血液検査などしてもらうと、いろんなことがわかりますよ。

 下にも書きましたが、2/3(木)の書評会にははりきって参加いたしますが、懇親会は自重して辞退いたします。

 >山岡さん・長村くん  書評会の手配、ありがとうございます。

 >山本さん  〈太平記〉の一回目、観ました。現在放送中の〈義経〉同様、これもみんなであーだこーだ言いながら観たいですね。

 >山内さん  春のゼミ旅行の事前学習等、そろそろ準備に入る頃でしょうか。僕もいつまでも病人のふりをしてるわけにはいかないので、事前学習の割り振りがあれば岩田にも振ってください。

京都駅-京都女子大学間バス路線開通

No.3081

 >鈴木君 朗報をありがとうございます。卒論執筆中なのに世事に疎くならず、立派です。大したことも書いていないのに、時に引き籠もって執筆に専念している「フリ」をしている小生など、反省しなければいけません。
 永富さんの怨嗟の声、ごもっともです。
 歩くにはすこし遠いし、バスは混んでいるし定時に来ない。そのうえ、観光シーズンは降りられない。・・・みたいな状態だったので、大変な朗報ですね。通学時間帯には一時間に10本も運行されるそうですから、これは助かる。でもほとんど女性専用バスみたいなことになって、オジサンは少し空いた市バスを待つのが賢明のようです。
 それにしても、もう少し早く報道されていたら京都女子大の受験生がどっと増えた可能性がありますね。京大にも三条京阪や出町柳あたりから直行便があるとよいのですが。
 でも、京女の先生の中には、体力の低下を防ぐために、一生懸命に京都駅から歩いて通っておられる方もいらっしゃいます。しかし、「女坂」はきつい!

 >岩田君 懇親会は無理をしない方がよいでしょう。私もこのところ、タバコとお酒には肺も胃腸も辟易気味で、辛いときがあります。
 でも、岩田君の復帰は、とてもお目出度いことなので、メンバーで勝手に祝わせてもらいますよ。

卒論ご苦労さまです

No.3082

ご無沙汰しておりました。
先日出願書類を提出し、あとは試験を待つばかりです。
そんなわけで、久しぶりに英語の勉強なんかもしております。
急遽お引き受けした『紫苑』の原稿も、早いうちに書いてしまわねば!
今のところは、どうやら無理をしても壊れない「頑丈」な(決して「丈夫」
ではないのですよ!!)体らしいので、色々頑張ります☆

>鈴木くん、毎日遅くまでお疲れ様です。
京女大へのバス・・・私が高校生の時にあって欲しかったものです!!
大学4回生で野口ゼミに参加するようになって、女坂のキツさが身に沁みる
ようになりました(ToT)

>岩田くん
 その後、お元気そうで何よりです。が、肝臓はしっかり治してくださいね。

ミクロとマクロ、此岸と彼岸の世界。

No.3084

 >田中さん 門屋君ともに、今年こそは・・・です。特に田中さんは歴史学への食い込みが、国文学の諸先生方から高く評価されておられるようですから、2月3日の書評会には是非御参加下さい。小生の報告はいざ知らず、佐伯君の方は建礼門院の理解にきっと役立つはずです。
 
  書評会と言えば・・・。

 >元木先生 ↓のNO.3083のお書き込みや15日の「福幸」でのお話の続きにもなりますが、『保元・平治の乱を読みなおす』は、冥界の藤原信頼さんが名誉回復をさぞかし喜んでおられることと思います。書評会では、この辺りのことを中心に取り上げようかと我田引水を目論んでおります。

 >ゼミメンバー諸姉兄  プレミオにカーナビを搭載しました。これで、道に迷うことなく目的地に到達できることになるでしょう。しかし、本日、拙宅から京大までのルートで実験走行したところ、山科から三条通を西進して蹴上で南禅寺方向に入った方が、疎水や平安神宮を楽しめるのに、東山三条の交差点を右折して東大路に入るルートを指示されました。所詮、機械とかマニュアルというのはこんなものです。
 カーナビ搭載と同じ日に、読書用の眼鏡を買いました。何とよく見えることでしょう。しかし、本から遠くの景色に目を転じるとボヤーの世界です。これも何かの教訓に使えそうな話です。
 何れにしても、知らない土地に行き、先賢の本をしっかり読み、早くNHKブックス・・・等々を仕上げるべく、努力精励したいと思います。

 ※ 21世紀になってから、東京に行くことを何の頓着もなく「上京」と言う京都人が増えてきたように思います。あえて評価は下さず、事実の提示のみ。

大学院進学の勧め・書評会・紫苑・ゼミ旅行

No.3073

 ちょっと欲張ったタイトルをつけてしまいました。

 ☆ まず大学院進学の件です。時期的にすこし手遅れなのですが、とても良いアドバイスを北海道大学の橋本努先生のHPで見つけました。すでに大学院に在籍している人や今のところ院進学を考えていない人も、一度御覧になるとよいと思います。研究ジャンルは異なりますが、十分に普遍性のある内容です。
 http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/index.htm
から入って、「大学院進学のすすめ」を開いてください。

 もう一つ、南山大学、浦上昌則先生の御意見も。
 http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/~urakami/in.html

 ☆ 2月3日の書評会ですが、当日お誕生日の山田邦和先生も参加して下さるとのこと。京都都市論や考古学の側面からも御意見が頂けそうで、いよいよ楽しみです(ただし、自分が発表者であることを度外視した場合)。小宴の方は山田先生生誕四十数年の祝賀会も兼ねることになりましたので、幹事さん何卒よろしく。
 なお、龍谷大学大学院などで元木先生の御指導をいただいている方たちも、この機会に是非、京女へお運び下さい。
 書評会には、義経のことは知らないことはない前川佳代さんも出席してくださるとのことです。
 

 ☆ 『紫苑』第3号、編集の最終段階に入っています。今度の号から、印刷屋さんでの製版になり、いよいよ本格的な学術雑誌を目指します(まだ、道は遠いのですが)。

 ☆ ゼミ旅行、東京大学史料編纂所の見学は2月28日の午前になりました。編纂所の著名な先生方の御案内を頂けることになりました。日程の一部には、小生の前任大学でゼミに所属していた人も参加してくれるとのことで、これまた楽しみです。

 > 山田邦和先生
  懸念していたことが、現実のものとなりました。『史学雑誌』第113編第12号の文献目録(日本史Ⅵ)12頁を御覧下さい。そのうちに逆のケースもあり得ますね。

書評会および懇親会

No.3074

詳細は、>>>>No.054をご覧ください

出欠のご連絡をすでに頂いた皆様、どうもありがとうございます。

まだの方は、期限までに、書評会と、懇親会の、どちらも!、の出欠をお知らせくださいますようお願いいたします。

書評会後の懇親会

No.3075

 書評会後の懇親会のお知らせです。
↑上記の懇親会の場所は京阪七条近くの「まんぞうハーツ」を予定しています。
なお、出席の連絡先は長村さんです。よろしくお願いします。

紫苑編集は順調に進んでおりますが、先日風邪でダウンしてしまい、二日ほどストップしてしまいました・・・。体調管理には十分に気をつけたいと思います。

『史学雑誌』文献目録のミス

No.3076

文献目録は、こういうところが重要なのであって、
しっかりしてもらわんと困ります。
ほんとうに不勉強の極みである。
抗議を申し込まれたほうがいいと思います。

忍耐と寛容。

No.3077

 >長村君・山岡さん 書評会の幹事、御苦労様です。
 
 ☆ 書評会には岩田君も参加できそうだとのことです。懇親会は「岩田師範」の快気祝いも兼ねられますね。一石三鳥というわけです。

 ☆ 研究室に故・須田春子先生の蔵書を配架していますが、『史林』に続いて『史潮』も、だいぶ前のものながら並べられそうです。ゼミメンバーは御活用下さい。
 ただし、雑誌はすでに何冊か紛失された号もあるので、基本的に、その場で見るか、即、必要な部分をコピーに取るかにしてください。(にもかかわらず、例外的に貸し出したのに、返却されていないものもあり、いささかガッカリさせられています。)

 ☆ 『紫苑』第3号の編集は、山岡編集長が直接印刷屋さんと連絡を取るなどして頑張ってくれています。
 山本君の越前斉藤氏に関する力作、山内さんの近江佐々木氏に関する習作。そして、山岡さんの女院論に関する研究ノートや國方さんによるゼミ旅行のレポートなど、盛りだくさんです。
 おっと、田中さんにもこれまでのゼミを俯瞰するような立場からの新稿をお願いしてありましたね。
 小生も大河ドラマがらみで「義経の平泉下向」について短文を寄稿しました。
 いずれにしても、乞うご期待!

 > 美川先生 ミスは校正刷りでは見つからないのに、完成したものからは続々と・・・というのが相場ですので、寛容が肝要と心得ます。 

Re: 書評会後の懇親会

岩田慎平
No.3079

 回復基調の岩田です。2月3日(木)ははりきって参加いたします。
 しかしながら懇親会は…、辞退させていただきます。すいません。虚弱なのです。

楠・荒田町遺跡説明板記念式典と講演会

No.3071

 先にNO.3058で紹介させていただいた『古代文化』特輯「平家と福原」において、巻頭図版として掲載される、神戸大学附属病院敷地内の遺構(楠・荒田町遺跡の一部)の説明板設置を記念する式典と講演会が開かれます。

 1月28日(金)
  14:00~14:10 除幕式(立体駐車場に設置された説明板前)
  14:20~14:35 記念展示紹介(医学部共通棟1Fエントランスホール)
               中川渉氏(兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所主査)
  15:00~16:00 講演会「清盛と福原京」(神緑会館1F多目的ホール)
               高橋昌明氏(神戸大学文学部教授)  
 
 行かれる方は下記を御覧になって詳細をご確認下さい。
  http://www.kobe-u.ac.jp/info/event/e2005_01_28_01.htm

あれから10年

No.3066

 今日で阪神大震災から10年目となりました。震災の話は、いつまでも、そしてできるだけ多くの人々に語り継がなければなりません。なぜなら、いつか、どこかで必ず起こる次の大震災に備える必要があるからです。

 1995年1月17日、午前5時46分、私は兵庫県芦屋市翠ヶ丘町の自宅におりました。地震勃発時には熟睡していたため、事前の地鳴り、最初の縦揺れは覚えておりません。激しい横揺れで目が覚めましたが、立ち上がるのは無理、身を起こしたところに横の本棚の本が飛んできました。まるで、本のシャワーだ、と思ったことを覚えています。次の瞬間、自宅が倒壊してゆくのが分かりました。一階に家族がいるのに・・・

 地震が起こればまず暖房などを消し、頭に何かをかぶって、屋根からの落下物に気をつけて外に出る・・・。そんな事ができるような地震なら、死者が出たり、建物が倒壊したりはしません。本当の大地震では、まず身動きできないと思わないといけません。 
 また、阪神大震災では一瞬で多くの建物が倒壊し、尊い命が失われました。阪神間の大学生・大学院生がその犠牲となっております。関西の住宅は、近代以降地震の経験がなく、逆に台風対策を重視したため、屋根が重く相対的に柱が弱くなっておりました。これが被害を拡大したようです。京都の下宿、古い民家などはかなり危険な建物が多いのではないでしょうか。一刻も早く補強対策を検討してください。
 地震で棚のものが落ちるのは、震度5程度のこと。7になると、地面が10センチ以上左右に揺れるとの事で、ものは「飛んでくる」のです。故熱田先生の教え子で、神戸大の応援団員だった屈強な男子学生が、建物は無事だったのに飛んできたオーディオ製品の角で首に大怪我をしてなくなったという悲惨な例もあったそうです。置物などにも、十分気をつける必要があります。
 
 我が家は、一瞬で倒壊しましたが、奇跡的に両親は隙間にはまり、妹は自力で脱出して無事でした。両親は壊れた家に閉じ込められたのですが、幸い出勤前の時間でもあり、となりのマンションが無事だったことから、そこの居住者の工務店関係の男性が、短時間で救出してくれました。二重三重の幸運としか言いようがありワせん。怪我はしましたが、おかげで両親は助かりました。これがもっと遅い時間で、家に老人、女性、子供ばかりだったら・・・。想像を絶します。
 人々の協力は各地で見られました。しかし、辛うじて助かったものの、物資はなく、被災地に残って生きていられるのか、という恐怖が人を捕らえると、今度はわずかな物資をめぐる争いも起こりました。幸いなことに、近隣の大阪が無事で、すぐに救援物資が大量にもたらされたので、ひどいパニックが発生したり、騒動などには至らなかったようですが、かなり緊迫した状況もありました。
 当時、勤務していた西宮市夙川の大手前女子大学でも、避難してきた人々の間でもめごとが起こったり、大学側の対応が悪いとくってかかってくる人もおりました。しかし、この地域の地区長の婦人は大変しっかりした方で、見事に人々をまとめ、混乱を回避しておられました。もちろん、公的な支援が第一ではありますが、それが届くまでは、地域の協力、日ごろからの連係が第一だと痛感させられたことでした。
 負傷した両親を抱え、大学に避難しておりましたが、食料も十分ではなく、水もガスもない状況で、まず思ったことは生き延びられるのかということでした。被災から5日目、店が開き物が売られるようになりました。ようやく助かったと思えたのは、この時でした。水道が復旧したのは40日後、それまで毎日、近所の夙川で這い蹲ってポリタンクに水を汲んだことでした。
 
 震災直後の混乱の中、美川先生ご夫妻が自転車で救援に駆けつけてくださいました。孤立した被災者にとって、外部とのつながりを確認できたのは何よりもうれしいことでした。遠方の野口先生はじめ、多くの方々から、御激励を賜ったことも勇気付けられました。
 また、倒壊した家の家財道具は、もちろん自分で回収しなければなりません。公的救援など、いつになるか分かったものではありませんでした。何人かの方が交代で救援に見えて、家財道具、特に書籍の搬出を手伝ってくださったことも、本当に有難いことでした。こうしたご支援があってこそ、今のように研究が継続できたことと、心から感謝いたしております。この時に賜ったご恩を、生涯忘れることはございません。
 これから、被災者を救援に行かれる方も多いと思います。できるだけ多くの方々の力になって差し上げてください。ただ、その際に被災者を見下したり、軽んずるようなことのないように留意することが肝要です。「何だ、この程度の被害か」といった言葉、態度は絶対に慎むべきです。無論、もっとひどい被害を見たり聞いたりすれば、そういう思いも生まれるのですが、被害を受けていない人からそのようにいわれる筋合いはありません。また、見下されるくらい理不尽で、腹立たしいことはありません。
 
 震災で、九死に一生を得て、一番思ったこと。死に直面する恐怖の深さ、衝撃の大きさを思い知りました。報道でしか知らなかった災害の本当の姿がやっとわかるようになったのです。それは同時に、「戦争経験」を語り継ぐことの意味を何も理解していなかった自分に気づくことでもありました。
 経験することとしないことの落差。では、経験できない過去を対象とする歴史家は、この落差を認識し、克服できるのか。10年続いた、そして死ぬまで続くであろう自問自答です。

 同じような被害を受け、一瞬の差で生死を分けた現実が、死に直面した恐怖というトラウマをもたらしたことはいうまでもありません。それと同時に、なぜ生き残ったのか、生き残ってよかったのかという、辛く厳しい自問を強いることがあります。死んでいった人々の恐怖や苦痛、家族を失った人々の苦悩や悲しみを思わない時はありません。
 だから、死んでいった人たちのためにも、恥ずかしくない、悔いのない生き方をしなければならないという思いを、私は常に心に片隅に宿しております。

当時、僕は小学校6年生でした。

No.3067

 経験することとしないことの落差。との元木先生のお言葉はいろんな場所で感じる気がします。
 コメントや感想などを書くことは出来そうにないのですが、僕自身の当時の体験を忘れないうちに書いておこうと思います。(京都にいた人間にとっての体験です)
 京都では震度5(今の尺度だと5弱だったと思います)でした。地震発生時は母と妹が朝のジョギングから帰ってきたところで、寝ていた父と僕はたたき起こされました。(激しい横揺れの最中でした)
 震度5弱の地震では家の家具等は倒れることはありませんでした。やはり5と7とでは全く違うのですね。当時はまだ家が建て変わる前の古い家でしたので、本震の後の余震が一番怖かった記憶があります。つけていたテレビ画面のNHK大阪放送局のスタジオが大きく揺れだし、タイムラグのあと自分の家も揺れる。家が倒れるのではないかとヒヤヒヤしながら、床に手をつけて踏ん張っていました。
 
 当時、父は西宮の鳴尾浜に職場があり、当日も会社へ向おうとしました。もちろん全線ストップで京都駅まで車で行って、運休していることを確認して帰ってきました。職場の部下のほとんどが兵庫県下に住んでいるとのことで、当日は1日中電話で安否確認をしていました。
 小学生だった僕は、いつも通り学校へ通学しました。特に周りの友達は被害がなく「すごかったねぇ」という感想を言い合ってた状況でした。そして昼休みに職員室に行き初めてヘリコプターからのテレビ映像を見ました。ホントに「絶句」しました。

 父は、職場までの交通機関が確保できた時から、母が作った大量のおにぎりを持って、毎日職場に向かっていました。
 ある程度、現地の状況が収まった後、阪神電車に乗り、父に連れられて西宮の職場まで行きました。ブルーシートに包まれた家があったり、ビルの周りはビルの基礎を残してすべて液状化している状況でした。

 不適切な表現かもしれませんが「戦争ってこんな状況なのだろうか」とも思いました。
 僕自身は、阪神大震災は間接的な経験でしかありません。しかし、ビルが倒れたり町中が燃えている映像は、写真や白黒の映像ではなく衝撃的なものでした。小学校の職員室でリアルタイムのカラー映像でみた状況は、今でも思い出すことが出来ます。

 地震に関しては、被災地の周辺に住んでいた人間にとっては、ライフラインの確保や情報収集の大事さを学んだのだと思います。
 特に大きな災害の場合、同時多発的にさまざまな問題が発生し、どこで何の援助が必要かという情報や、安否情報なども錯綜していたように思います。
 4月から僕は情報の教員ですが、いざというときに必要な情報を受信したり発信する事ができるような、そういう事もきっちり押さえていきたいと、元木先生の書き込みを見て再確認しました。

あれから10年 当日のこと

No.3068

10年たちましたね。

 あの日のことは、ほとんど被害のなかった京都に住んでいた私も、きのうのように覚えています。私の住んでいた五条河原町では、非常に振幅が大きいがゆったりした揺れで、非常に不気味でした。ぜったいどこかで大地震があったんだという確信があり、すぐに東京の実家に電話で、家族の無事を伝えました。おそらく、少したつと電話が不通になると思ったからです。
 そして、テレビをつけると、各地の震度を出していたのですが、神戸あたりの「震度がない」。これは怖かったです。京都は震度5。私の経験した最大のものですが、そんなにひどかったかな、というのが印象。実際に、うちでは本の1冊も落ちていなかった。とにかく直後のテレビを見ていてもよくわからないので、とにかく職場に行くことにしました。当時の職場は、今と同じ、寝屋川市の摂南大学です。京都と大阪の間のかなり大阪寄りです。通勤に使っている京阪電車は、動いていたのです。ただし、すべて普通。しかもやたらに混雑していました。
 いつものように、香里園という駅から歩くと、いつもはほとんど車のいない裏道まで、車で溢れかえり、道という道が車で完全に詰まりきっていました。そして大学に着くと、ある先生が、息子の住んでいる神戸のマンションの向の建物が崩壊した、という話をしていました。そのとき、はじめて、とてつもないことがおこった、と感じたのです。

Re: あれから10年

No.3069

あの頃は元木先生とはまだ面識もありませんでした。お名前を存じ上げていただけ。震災当日のあの時刻、私は朝食を摂りながら、テレビで地震報道を見ていました。当時は刀剣保存協会に勤めていたので。その時の報道では、関西方面で大きな地震がありましたが、被害は小さい模様です。と言っていました。

 そのため、あまり気にも留めず、職場に着いてからも、午前中は地震のことは忘れていました。それが昼休みになって、大震災であることが分かったのです。情報の伝達なんて、こちらが意識しないとそんなものなのかと思いました。

 それからは、関西の友人・知人に電話を掛けまくりましたが、一向に通じませんでした。それから何日後に神戸の知人にやっと通じました。しかもその人にとって私の電話が一番最初の電話だったようで、物凄く喜ばれたのを覚えています。

 神戸の震災は他人事ではありません。じつは近藤家は神戸の出身で、親戚といっても、祖父の従兄弟とかその程度ですが、被災しています。

 震災十年後の今年、義経関係で神戸市の仕事を頼まれています。また、『源義経』の執筆で正月は神戸市の地図とにらめっこでした。パワーの全日本も去年・今年と神戸です。何か因縁を感じます。

Re: あれから10年 2日後

No.3070

元木先生の避難先にうかがった日。

たしか、阪急電車が西宮北口まで動き出した震災2日後、つまり1月19日だったと思います。我が家には、1歳11ヶ月の娘がいたので、彼女を隣家にあずけて、とにかく西宮界隈まで、夫婦で行くことにしました。

元木先生のご家族が、被害に遭われるも一応ご無事で、大学の寮に避難されているということは、震災当日の夜あたりか、翌日に間接的に耳にしておりました。寮の電話も聞いていたのですが、とにかく、域外からはほとんど電話が通じません。で、とにかく阪急の西宮北口まで行こうということになったのです。というのも、西宮北口近くに友人が数人住んでいて、そのうちの一人の家(マンション)の被害がほとんどなく、数人の家族がそこに避難していたのです。そこをベースキャンプにして、元木先生の避難先をめざそう、ということになったのです。

何をもっていけばいいのか、まったく見当もつかないので、ともかく四条河原町のドンクで日持ちのしそうなパンを仕入れて、阪急に乗りました。大阪の十三で、神戸線に乗換てもしばらくは窓外の風景はなにも変化なし。ところが、尼崎近くだったかな、その辺から突然、青シートのオンパレードになっていくのです。

西宮北口の友人宅は、じつに不思議なことに食べ物であふれていました。
今や大阪の有名店になってしまったポンテベッキオというイタリア料理店の山根大助というシエフが知り合いだったので、巨大なローストビーフなどが届けられていたりさえしていたのです。たしか「大ちゃん」とよばれていた山根シエフも、その場に来ていた気がします。つまり、交通のつながった西宮北口に、援助物資が過剰に滞留。その喜劇的に極端な例が、その家だったわけです。そこで、京都に帰っていれば、なんだたいしたことないじゃない、ということになっていたわけです。友人いわく、もう食べ物はいらない。

そこから、元木先生の避難先に電話をすると、予想通りつながり、たしか先生の母上が電話口に出られた(かけたのは家内)。元木先生は、まさに水を川まで汲みに行っておられたか、職場に行っておられたかで、お留守でした。ともかく、徒歩でもなんでも、夙川ちゥくの元木先生のところへ行くことにしました。自転車を友人の隣家の方が貸してくださったので、けっきょく自転車で行くことになりました。

そこから、国道を通っていったのですが、その光景は、まったくわが目を疑うものでした。車道は車だらけで、まったく動かず。歩道は、大阪方面に、まさに避難民といった人たちが、一様に肩を落として、数珠つながり。ここが日本とは。そこらじゅうで家が全壊し、ビルは傾き、もうむちゃくちゃ。しかもどんどん、被害はひどくなっていく。途中で、家内が全壊した家から、声が聞こえるというのです。まさか。しかし、あとで、ぞっとしました。そして、そこらじゅうに、だれだれ亡くなりました、だれだれ無事です、という立て札。そして、涙が出たのは、やはりおもちゃなどが供えてある光景です。なにがあったか、一目でわかりますよね。

元木先生にお会いした瞬間。私は思わず「よかったですね」と禁句を口走ってしまいました。元木先生のお顔がほんの一瞬歪んだのを、よく覚えています。あんな目に遭われて、「よかった」はずがありませよね。でも、私の言いたかったのは、つまり、生きていてほんとうによかったですね、という意味だったのです。そのことをすぐに理解された元木先生の表情がすぐにやわらかになりました。

ほんとうに失礼だったのですが、あの状況のなかで生きていた、というのは奇跡的。と思えたのです。しかもけがをされているとはいえ、ご家族4人がご健在であったのは、まったく奇跡だったのです。命さえあればなんとかなる。

そんな異様な日が、あの震災2日後でありました。

怖い夢

No.3083

 美川先生、書き込み有難うございました。リアルな書き込みで、あの日のことをありありと思い出しました。
 先生、そして奥様には感謝の言葉もありません。本当に有難うございました。あの時のこと、これからの防災対策、各地の地震のことなど、当時を思い起こしながら家族と色々話し合ったことでした。
 震災は、いつ、どこで起こるか、全くわかりません。あの時、無残な最期を遂げた、前途有為な方々のことを思うと、本当にいたたまれない気持ちです。地震は防ぐことができません。しかし、震災は軽減することができるはずです。どうか地震には、十分な備えをお願いいたします。
 震災の恐怖は骨身にしみました。しばらく、何回も地震の夢を見て、夜中に飛び起きました。今のNHKの朝ドラでは、地震に立ち向かう姉と、恐怖に戦く弟が描き分けられておりましたが(今はストーリーが大分展開しましたが)、あれは被災者の偽らざる両面だと思います。
 震災の前は、大学院に入ったつもりが、実は試験はこれからだったという夢を見ました。今の職場に移った後は、移ったつもりが実は非常勤だったという夢を見ました。
 悪夢といえば、「金縛り」の御経験はおありですか。半ば意識がある状態で、幻覚、幻聴に見舞われ、体が動かないように思える現象です。大体高校くらいの若いころに経験するもので、これを幽霊と思う方も多いようですが、実は体のバランスの悪い時に起こる、一種の自己催眠だそうです。
 高校のとき、外で子供の甲高い声が聞こえたと思った瞬間、毛むくじゃらの手がわきの下から現れ、首を絞められた(ように思えた)ことが有り、何度か同様の経験をしました。数年前、泊まったホテルで本当に久しぶりに金縛りにあいました。この時、金縛り状態で、ベッドの端に黒い服、長い黒髪の女が座っているのを目撃した(ように思えた)事がありました。実は、黒い台と黒いテレビがあったのですが。よほど体調が悪かったのでしょう。
 昨年、父を失い、葬儀等々で心身ともに追い詰められて、久しぶりにまた金縛りに会いました。今度は足の上に黒い塊が乗っているではありませんか。両手で私を引きずってゆくのです。よく見ると、パンチパーマに、黒いひげ。「元木君、こっちに来なさい」「た、た、た、棚橋さん、待ってくれー」と叫ぼうとしてもがくうちに目覚めました。
 目覚めて思うに、本当に当方をお呼びだったのは、飲み仲間兼助手役をお探しのA先生ではなかったかとかと・・・。親不孝な私は父が呼んでいるなんて、思いもしませんでした。いや、あるいはK君かも。いやいや、K君は当方などにお構いなく、藤原忠実の聞き取りに一生懸命になっていることでしょう。
 あちらに行っても、親しい人も増えたし、それに清盛や頼朝もいるわけだし、あちらに行くのも悪くはないかもしれません。
 でも、ある大先生いわく「あっちに行ったら偉い先生が一杯おいって、わしらは小僧扱いやないか。こっちにいたら威張れるが、向こうじゃそうは行かない。そんならしばらく行くのはやめとこ」。仰るとおりです。

大河ドラマ「義経」第2回放送!!

No.3059

 卒論提出間近というのに、第2回もついつい見てしまいました。
 期末試験などそろそろ忙しい時期にかかってくると思いますが、せっかくですので
 感想などいろいろと↓へレスをお願いします(特に、2,3回生や院生の方など...)

 僕としては、歴史的にどうかということは、もちろんわからないのでコメントできないのが残念ですが、昔からずーっといろいろな所で取り上げられている題材だけに、ただのドラマとして見ても「おもしろいなぁ」と思ってしまいます。
 今回は、蛭子さん(一条長成だったと思いますが)はなかなか様になっていたのでは?と思いました。

 P.S.一応僕が見た回に関してはパソコンで録画すると思うので“見逃した!!”という時は、私的複製の範囲内で対応できますよ!(もちろん卒論が終わってからですが)

では、みなさんよろしくお願いします↓

Re: 大河ドラマ「義経」第2回放送!!

No.3060

第2回目は、1回目に較べて、お手軽、という感じの作りでした。

一番気になったのは、
一条長成がお歯黒をしていたことでした。
現代人にとって、お歯黒という化粧は、とくに違和感あります。
ですから、マイナスイメージを最初からあたえる。
しかし、もともとお歯黒は成人女性の化粧法ですし、
院政期になって、やっと男子の貴族にも、その風が広まったと、
いわれています。

ですから、なぜ、お歯黒をあえて出すなら、常磐も、時子も
やってないんだ。ということになります。
不公平ですね。最初から貴族を貶めて描くつもり、とわかってしまいます。

前回は、あまり奇をてらっていないことを、評価したのですが、
これでは、武士は○で、貴族は×という単純な対比となります。
陰陽師に左右される軟弱な宗盛、それを批判する清盛、なんていう
場面も、これでしょう。
いいかげんに、ステレオ・タイプの人物描写をやめていただきたい。
今日はやはりこんなもんか、とがっかりしました。

Re: 大河ドラマ「義経」第2回放送!!

No.3061

2・3回生や院生ではないけど、一言。

今回はのちのちドラマの展開の奮戦に伏線になっているように感じました。重盛を除いて、宗盛・知盛・重衡等と義経はいずれ戦うわけですからね。

それと、蛭子さん演じる一条長成は、すごくいい人そうに描いていましたが、これは、つまりこれから義経の面倒をよく見ていくということに繋がるんでしょうかねえ。とすれば、野口先生なども仰る、長成の庇護のもとで幼少期の義経は恵まれていたという最近の見解の反映と取ってもいいのでしょうか?

それにしても、蛭子さん演じる長成は、かつての映画などでよくあった類型的な公家の描き方のようにも思えましたが・・・。彼だけお歯黒しているし・・・。

「一条大蔵卿」登場!@大河「義経」

伊藤太
No.3062

割り込み失礼します。

第1回目はやや期待を持たせるかなとも思ったんですが、第2回にして早速「地金」が出てしまった感を私も受けました。
言うまでもなく義経の物語は、数々の文芸や演劇で親しまれてきた「稗史」によって語られてきたわけで、今回の大河もやはり史実に基づいた歴史ドラマというより、現代版「稗史」として見るべきではないかと。

蛭子能収の一条長成が出てきたときは私ものけぞりましたが、この人物、現在も歌舞伎の定番演目である『一条大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』のタイトルロール「作り阿呆の一条大蔵卿」その人ですからね(1731年初演の浄瑠璃『鬼一法眼三略巻』の四段目)。
『一条大蔵卿』は先代勘三郎の十八番の一つで、勘九郎改め十八代目中村勘三郎襲名披露狂言にも出されるようです(3月歌舞伎座)。
そうそう、ちょうど当月の大阪松竹座では、人間国宝中村鴈治郎丈が演じているようですから、まだ今からチケット買っても間に合いますね(夜の部の一番目。1/26まで)。

それより私が気になったのは、「未来の福原図」をはじめとする、調度品の屏風絵。
六波羅邸の清盛の背後のは、有名な高野山図の写しですよね・・・
「福原図?」なんて完全に近世入ってからの画風(洛中洛外図登場以降の都市図)だし、高野山図は中世だったかもしれないけれど、もっとズッとあとのもののはずだし、他のも明らかに近世ぽい画風のばかりで、ちょっと見てて気持ち悪くなりました。

まぁ「稗史」の時代考証に目くじら立てていたら、そもそも歌舞伎なんて見ていられないわけですが・・・

「竹とんぼ」の由来

伊藤太
No.3063

それから、「竹とんぼ」の登場も(木製の羽の出土例は奈良、鎌倉時代にもあるが)どうやら江戸中期ごろらしいです。ダヴィンチが発明した「飛行機」と同じある種の「プロペラ」なので、万能の天才平賀源内の発明になる、という説もあるとか(名前の右端の[HOME]マーククリックしていただくと詳しいサイトが見られます)。

高野山水屏風

伊藤太
No.3064

自己レス、訂正ですので連続投稿お許しください。

>>六波羅邸の清盛の背後のは、有名な高野山図の写し

これ、正確には、京都国立博物館所蔵の重要文化財「高野山水屏風」のようです(これも[HOME]欄に京博の画像入れときました)。
そもそも北条政子によって創建された金剛三昧院が描かれているわけで、13世紀後半に描かれたもののようです。

Re: 大河ドラマ「義経」第2回放送!!

No.3065

 たしかに二回目は、内容も小道具もでたらめが目立つし、不出来でしたね。清盛と牛若にあのような絡みを作ることは、歴史的に見れば如何なものかというところですが、ただドラマの伏線としては面白いかも知れません。時代劇を、ホームドラマ化するのは大河ドラマの常套手段ですから。
 それにしても、長寛年間の段階で、清盛が京に宋人を呼びつけ、福原遷都が喋喋されるのは、いくらなんでもひどすぎるように思います。つまりは、平治の乱の勝利で清盛が天下の覇権を取ったという、大昔の歴史観がそのまま投影されていることになります。
 これでは、後白河はこれまで通り、単なる権謀の帝王として描かれるだけでしょうね。一条長成が、キャスティングも含めて戯画化され、公家が無能で怠惰な存在に描かれるのも、むべなるかなというところでしょうか。
 余談ですが、清盛の郎党盛国を演じるのは、平野忠彦とありますから、あの二期会の名バリトンだった平野氏のことかと思われます。氏は、団伊玖磨のオペラ「ちゃんちき」で、初演以来、ずっと主役を演じたり、年末の第九で活躍したほか、芸能界に転じた元阪神の江本孟紀の歌唱指導をした人物です。そういわれてみれば、声のハリが違うようですが。実は関係なかったりして・・・。

ところで、鈴木君の呼びかけにもかかわらず、書き込みはおじさんばっかりです。お若い方々もぜひ奮起されたし。試験でそれどころではないか?
 なおストーリーを誤解した書き込みをしておりましたので、修正いたしました。

Re: 大河ドラマ「義経」第2回放送!!

No.3093

三回目になると、関心も急に薄れますね。
 まあ、あんなもんでしょう。
 次回から弁慶登場の由、サンバなど踊らなければいいのですが・・・

『古代文化』特輯「平家と福原」順調に進行中

No.3058

 さきに御紹介いたしました『古代文化』特輯「平家と福原」(第57巻第4号)は順調に編集作業が進行し、来月上旬には初校が出る予定です。執筆をいただいた皆様には、御多忙の中、ありがとうございました。
 ここで、あらためて当掲示板読者の皆様に、本号の内容について御紹介させていただきたいと思います。

  巻頭図版(神戸大学附属病院敷地より検出の二重壕の写真など)
  図版解説                              岡田章一(兵庫県教育委員会)
  特輯「『平家と福原』に寄せて」                 野口実(京都女子大学)  
  論攷
  「福原遷都と平氏政権」                      元木泰雄(京都大学)
  「『福原京』の都市構造」                     山田邦和(花園大学)
  「古代末から中世前期における屋敷の様相」        伊藤裕偉(斎宮歴史博物館) 
  「平家の本拠をめぐって-立地空間の軍事的評価-」   野口実
  「『平家物語』における還都-延慶本『平家物語』「山門奏状」の本文について-」
                                     近藤安紀(青山学院大学大学院DC)

 ☆ 文献史学・考古学・国文学の三つのジャンルにまたがる論文によって構成された充実した特輯号になりました。本年四月の刊行をご期待下さい。
 また、折を見て宣伝したいと思います。  

軍記・語り物研究会 第363回例会 のお知らせ

No.3055

IBUの源です。ご無沙汰しております。ゼミのみなさんのご活躍振り、いつも頼もしく拝見しています。
さて、軍記・語り物研究会では今月末、企画例会を行います。この場をお借りして告知させていただくことをお許し下さい。
ご興味のある方は、どうぞご参集下さいますようお願い申し上げます。

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軍記・語り物研究会 第363回例会
 
《シンポジウム》
 南都復興をめぐる言説と平家物語――唱導・勧進・歴史認識――
 
報  告:近本 謙介 氏(天理大学)
      南都復興の勧進をめぐる唱導と言説
       ―東大寺・興福寺における緇素の連繋―
     横内 裕人 氏(東大寺図書館)
      東大寺の再生と重源の勧進 ――内乱・結縁・唱導――
     牧野 淳司 氏(日本学術振興会特別研究員)
      東大寺の歴史認識と『平家物語』 ――唱導から相論まで――
総合司会:源 健一郎
 
日  時;2005年1月30日(日) 13:00~17:00
会  場;神奈川県立金沢文庫
      住  所 〒236-0015 神奈川県横浜市金沢区金沢町142
      電  話 045-701-9069   FAX 045-788-1060
      開館時間 9;00~16;30(入館は16;00まで)
      交  通 京浜急行「金沢文庫」駅下車、徒歩12分
         (品川駅から金沢文庫駅まで快速特急で33分、横浜駅からは16分)
HPアドレス;http://www5e.biglobe.ne.jp/~gunki/nanto.htm

『巡礼記研究』第一集をいただきました。.

No.3057

 源先生、本年も当ゼミをどうぞよろしくお願い致します。
 軍記・語り物研究会の例会、鈴木彰先生からもお誘いを頂いたのですが、小生は入学試験期間のため参加できません。ゼミメンバーも院試などをひかえていて、出掛けにくいかも知れませんが、この掲示板を御覧になっていらっしゃる方には、史学・文学の相互交流の場としてとても理想的な研究会ですから、僭越ながら積極的な御参加をお勧めします。

 『巡礼記研究』第一集を巡礼記研究会(慶應義塾大学文学部岩松研究室内)大橋直義氏から御恵送いただきました。あつくお礼申し上げます。さっそく研究室に配架致しましたのでゼミメンバー(とくに国文学専攻の)はどうぞ御活用下さい。

 ゼミの皆さんへ
 このところ多忙をきわめており、せっかく研究室にお出で頂いても、ゆっくり対応する時間がなくて申し訳ありません。それぞれ、就職・院試・期末試験など立ち向かう相手は大きいと思いますが、いつものパワーで乗り切ってください。
 それから、『紫苑』第3号の編集は予定通りに進んでいます。執筆者はなおいっそうの御協力を御願い致します。

『台記』研究会・当ゼミ合同書評会について

No.3050

 先に決定しましたように、保立道久『義経の登場』・元木泰雄『保元・平治の乱を読みなおす』の書評会を、著者のお一人である元木泰雄氏(京都大学大学院教授)とこの二冊の本の編集を担当されたNHK出版の石浜哲士氏をお迎えして、下記のとおり実施したいと思います。

               記
 2月3日(木)午後1:00~5:00(休憩適宜)
  会場:京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)
  
  1:00~2:00 書評:元木泰雄『保元・平治の乱を読みなおす』  野口 実
  2:00~3:00 著者コメントおよび討論
  3:00~4:00 書評:保立道久『義経の登場』            佐伯智広
  4:00~5:00 討論

 なお、幹事は長村祥知君と山岡瞳さんにお願いいたします。

 ※ 変更のある場合もあるので、掲示板の書き込みにご注意下さい。

合同書評会、その後。

No.3054

みなさまこんにちは。

研究会の詳細は野口先生が書き込んでくださったとおりです。
その後、懇親会を予定しております。

いずれも出欠のご連絡は、こちらに書き込んでいただきますか、長村までお願いいたします。(ゼミのメンバーは、ご面倒でも必ずご連絡ください)。

期限を設けて、1月28日までとさせていただきます。
それでは皆様よろしくお願いします。

Re: 『台記』研究会・当ゼミ合同書評会について

No.3072

みなさまこんにちは。
2/3の書評会、お邪魔させていただければ、と思います(実は懇親会目当て?)。久しぶりに元木先生や石浜さんにもお目にかかりたいし・・ よろしくお願いいたします。

『義経』見ました

No.3037

遅れましたが、あけましておめでとうございます。
元木先生、展覧会情報をありがとうございます。

さきほど、ハイビジョン放送で、一足早く、
『義経』を見ました。
最近の大河の傾向とは異なり、きわめて正統的な作りで、
好感がもてました。最近、新味を出そうと、変なことばかりしていましたから。
まだ、見ておられない方が多いでしょうから、具体的な話は避けます。
それでは。

Re: 『義経』見ました

No.3039

 BS2では午後10時からのようです。大河ドラマは8時からとは言えないので、ネタバレにも注意ですね。

 ぼーっとして、テレビをつけたのは15分経ってからでした(;^_^A アセアセ…
 “変なことばかりして”という美川先生の仰るとおりで、『義経』第1回は安心して見ることが出来ました。
 (特に頼朝の子役の演技が違和感なく上手いなぁと思いました。上戸彩が出てくるとどうなるかちょっと不安ですが..)


 では、第1回の感想スレッドはここからスタートですね↓

 みなさんよろしくお願いします。 

Re: 『義経』見ました

No.3040

 今年の大河ドラマの見所の一つに、最近の研究成果の反映と言う部分があります。もちろん、国民全体を視野に入れた視聴率の獲得こそ、目下苦況にあるNHKの重要課題ではありましょうが、宮尾登美子氏の『宮尾本平家物語』をチラチラ読んでみると、結構最近の研究成果が活かされています。たとえば、上総介広常の勢力が上総一国のみならず、下総にまで及んでいた・・・などとあって、よく新しい情報を反芻されているな、と思った次第。それもそのはずで、「あとがき」を見ると、佐伯真一先生御夫妻への謝辞が書かれていました。
 おそらく、脚本担当者も最近の一般向けに書かれたこの時代を対象にした歴史の本には必ず目を通していることと思います。そして、今回の大河ドラマの清盛像は明らかに元木先生の『平清盛の闘い』の清盛像が反映しているようです。
 してみると、われわれ同業者には、これまでの映画や大河ドラマとは違った見方が要求されるように思うのです。
 どこが元木先生のオリジナルの清盛像が反映された部分なのか、メンバー諸姉兄はしかと視聴してください。

 追伸:それにしましても、みなさんスカパーとかハイビジョンとか、お金持ちですね。

風俗考証の面から

No.3043

 風俗考証の面から一言。細かい点を言い出すと切りがありませんが、ひと頃と比べて、各段に良くなっていると思います。

 しかし、たとえば武具や戦闘の事に限ると、義朝やその他が烏帽子に白鉢巻をしている点、短刀に鐔が入り、その刀身が鎬造である点、同じく長刀に鐔が入っている点などは、いまだに改善されていませんねえ。これらは源平時代にはない風俗なのです。

 また、戦闘の事に関しては、手前味噌ですが、最近の研究成果は反映されていませんねえ。特に弓箭はあくまで歩兵が使って、騎兵は弓箭を佩帯していながら、太刀や長刀で戦っている。私の考えでは、このような戦い方は南北朝期以降の戦い方で、源平時代の戦い方ではありません。というか、結局はチャンバラ指向なんでしょうね。

 さらに、冒頭の義経の鎧にお気づきなかった人はいますか?じつは大鎧ではありません。大山祇神社に国宝として一領のみ現存する腹巻鎧(中世の用語で)という様式の鎧です。この遺品は、義経奉納といわれています。だから、採用されたのでしょうが、その根拠はなく、通説では平安末期の遺品と考えられていますが、各所に特殊な様式を含んでおり、南北朝期の鎧という説もあります。そもそも腹巻鎧という様式が特殊です。個人的な感想としては、こうした鎧を義経に着用させることにはあまり賛成できません。ただし、冑の方は、鍬形の様式や鉢の様式など、平安末期の様式で再現されています(ただし、義経など一部の武将の冑のみですが)。

 とはいえ、端からみて批判するのは簡単です。私自身、風俗考証の難しさは充分に承知しているつもりです。予算やその他様々な理由から、完全な風俗考証などできません。ですから、ドラマとしてみれば、さすがはNHKだと思います。

大河ドラマ『義経』

No.3044

 OP映像に「おお~」。大がかり!さすがNHK。そして、さすが義経の見せ場でした。(歴史に興味のない姉に、状況説明をするのが大変でしたが )
 大河ドラマは小さい頃から見ていましたが、昨年の「新撰組」は最初と最後を含む数話、一昨年の「武蔵」に関しては一度も見る気にならなかった事を考えると、今回の「義経」は格段に良いのではないでしょうか。内容に関しては、女性がどのように描かれるのかに、とても興味を持っています。是非、色んな成果を盛り込んでいてほしいものです。
 風俗考証については、近藤先生の書き込みに「なるほどなるほど・・・」とメモ帳にコピーしてしまいました。昨年の秋から、義経については3度にわたって野口先生のレクチャーも受けていますし、今年の大河ドラマは色々な意味で楽しい勉強になりそうです。

>野口先生
 「宮尾本」と言うと、まるで一諸本のようですね(笑)
 そのうち「宮尾本」で卒論を書きたい・・・と言う学生が出てこないか心配です!

Re: 風俗考証の面から

No.3045

待ってました、近藤先生。
鎧のことはともかくとして、
なぜ、騎兵の騎射がドラマに採用されないのでしょうか。
ただ、知らないのか、それとも作りにくいのか、
ぜひとも演出家の意見を聞いてみたいところです。
映像面でも、騎射の多用は、合戦シーンの迫力を、
はるかに増すと思うのですが。
正直言って、第一回目の冒頭の一の谷シーンも、
あまり上出来な合戦シーンとは思えませんでした。
ドラマの最初ですから、
相当に力を入れて作っているんでしょうけれど、
どうしても演出家の力量不足を感じてしまいます。

Re: 『義経』見ました

No.3047

 久しぶりに大河ドラマを見物いたしました。これから講演などのネタに必要ですから、毎回見させてもらおうと思います。
 冒頭の夜襲シーン、何のことかと思えば一の谷、鵯越の逆落としのようですね。平氏が寝ているところを襲撃したのでは、三草山合戦になってしまいます。近藤・美川先生ご指摘のように、騎射ではなく太刀を振りかぶるのも、一般的時代劇のチャンバライメージにこだわっているようですね。義経を『総大将』とするナレーションも問題だし、生田での合戦は始まっていたのかどうかもあいまいでした。東の木戸で合戦中に、一の谷でまだ武具も身に着けていないのもおかしな話です。激しい合戦のさなかに突入するように演出すれば、もう少し壮大な合戦場面になりそうなのですが。予算の関係ですかね。
 ちなみに、近藤先生ご指摘の大山祇神社の腹巻は、以前の66年の義経でも用いられていたように思います。
 保元、平治の説明はあまりに乱暴で、呆れてしまいました。本筋と関係ないのでしょうが、もう少し何とかならないのかね。都に仕える武士の中で、源氏と平氏が台頭したとの事。じゃあ、ほかに誰がおるんや?何、秀郷流?いや、それは、その・・・
 細かいことを言えば、敗走する義朝に常盤親子が別れを告げに行くのも無理な設定ですね。
 今日の主役は、稲森いずみの常盤でしょうな。トレンディー女優のわりには、常盤の哀れさをそれなりに演じていたかと思います。ただ、都第一という、凄い美人の設定に相応しいかどうかは意見が分かれるでしょうが。それより、牛若役の赤ん坊の可愛らしさが断然光っておりました。
 なお、予告だと常盤が清盛の妾になると、連れ子の義経が清盛と親子同然の付き合いをするとのこと。これも如何なものでしょうね。後三年合戦の清衡のイメージでしょうか。しかし、常盤には安倍頼時の娘のような権威があったわけではないですし。これも違和感を感じてしまいます。
 頼朝助命も、昔ながらの演出でした。後白河や上西門院あたりが出てくれば面白いのに。
 多少気になったのは、原作では重要な物語として描かれている清盛の生い立ち、母の話を、お徳のせりふで説明させようとしておりました。場面も長ったらしいし、原作を読んでいない人には分かり難かったのではないかと思いました。
 これも余計なことですが、「正露丸糖衣」とか、二時間ドラマの悪役とかの演じる平氏一門も何となく貧相に思えます。これに、漫才関係者が重要な役どころで加わると、どうなのかなと気になっております。ついでに言うと、松坂慶子も声に重みがなく、現代劇ならともかく、これからの重厚さが必要な老け役は大丈夫かなどと案じられます。
 まあ、あれこれけちをつけましたが、総じていえば、品格ある伝統的な大河ドラマだし、最近の研究成果も少しでも盛り込んでもらえれば、と念じております。

ゼミの諸姉兄はいかがでしたか?

No.3048

 小生をはじめとして、商売がらみの立場からの感想が続いておりますが、ゼミの諸姉兄の率直な感想をうかがいたいものです。
 元木先生門下に祗候したからには「武士論」(も?)と、張り切っている長村君。『平家物語』には欠かすことのできない斉藤実盛の一族(だけ?)を研究対象にしている山本君。同じく冬休みは近江佐々木氏に没頭した(にちがいない?)山内さん。水無瀬離宮研究の前提として白河・鳥羽・法住寺殿も勉強している(はず?)の平田さん。新たなる女院論(の構築?)を目指す山岡さん。・・・さらには、文学作品としての『平家物語』研究の視角から門屋君も。また鈴木君(卒論で忙しいでしょうから後日で構いませんが)には、情報教育の立場で大河ドラマをいかに評価するか・・・等々。ほかに、お名前をあげなかった皆さんも、積極的にどうぞ。こちら(商売がらみ=職業として日本中世史学にかかわっている者)としても大いに参考になるのです。

後白河と頼朝

No.3049

元木先生のコメントを読んでいて、思ったのですが。
せっかく、平幹二郎という2人といない名優を、後白河にあてているのですから、
第一回で、その本領を発揮させてほしかったですね。
彼の配役は、当然、「男色」を考慮に入れた人選でしょうね。
そのことを、演出家がわかっておれば、
五味文彦先生の説があるのですから、
その説の存在を平さんに、それとなく演出家が示唆して、頼朝と後白河が会うシーンを、
一つ入れ、平さんにそれこそ、思う存分、顔だけの演技をしてもらう。
NHKですから、あからさまなかたちで出すわけにはいかないでしょうから、
それを示す「密やかな視線」などを屈指してもらう。
そうすると、頼朝がたすかった深い理由が、ドラマ的にはぐっと説得力をもって、
せまってくるし、当時の武士と王家との関係も、その一端が描ける。
そういうふうに、思います。私が演出家だったら、やるけれどもね。
「平さん、ここが本領のみせどころ。いろいろクレームが(不敬であるとか)ありえるので、あくまでもさりげなく、そのことを演技で示し、視聴者に印象づけていただけますか」

基通と戯れる時代と逆行した「狂王」としか描かれない心配があるので。

Re: 『義経』見ました

No.3051

毎回毎回、見ようと思いつつサボってしまう大河ドラマ。
今回はゼミとのご縁もあるので、見逃さないように頑張ります。

わが家では昨日のテーマと関係なく、

 ① 当時の五条大橋は今の団栗橋か松原橋のどっちか?
 ② 「山科区血洗町」は義経か弁慶のどちらが血を洗った場所か?

という、持ち合わせている中途半端な知識から来る疑問についての討論が行われました(笑)。
②は全然関係なかったりして・・・。

わが家には日本史専攻はおりませんので、間違っててもご勘弁くださいね。(^^;)

Re: 『義経』見ました

佐伯真一
No.3052

出遅れました。我が家は牛若がかわいかったってばっかりで…。
>野口先生 いや、私はそんなに大した「最新情報」は提供してません。学者の協力のメインは三木先生ですし。ただ、宮尾先生は、史料や古典作品そのものにあたることにはとても熱心でした。平家諸本や『玉葉』『吾妻鏡』は言うに及ばず、『公達草紙』や『平家花揃』あたりに至るまで、周辺の史料や文学で、材料になりそうなものは一通り目を通していることと思います。うちの女房の最大の仕事は、『今鏡』をかたっぱしから朗読した録音テープを作ることでした(重要なところを読む前にざっとテープを聴いたようで)。
 でも、制作の人たちがみんな「最新情報」をふまえているかどうかは、ちょっと疑問です。先日、予告編で、「奇襲というものがなかったこの時代」という言葉を聞いてびっくり(たぶん幻聴ではない)。お膝元から出してる『歴史文化ガイド』を読んで欲しいのですが。
>元木先生 上記の点にからんで、「坂落」については奇襲のイメージを強調しようとしているようですね(今回は予告編みたいなものなので今一つよくわかりませんが)。『平家物語』諸本でも、義経が一ノ谷の近くに到着した時間はけっこう曖昧というかまちまちですから、夜明け前に平家陣を見下ろしたぐらいなら、まあいいのですが、武装していない人たちがうろたえていたのは何だったのでしょうか。
>田中さん 私の場合、何年も前に森村誠一の『平家物語』だけ読んでレポートを書いてきた学生の相手はしました。「これは現代の創作だからさ…」「えっ原作とは違うんですか?」というような調子。吉川英治を援用してくるのは何人もいますね。
 全国の大学を探せば、あるいは既に「宮尾本」の卒論も出てるのではないでしょうか。現代文学として扱う分には全然問題ないと思いますが(アニメの卒論も既に多いのでしょうし)、古典も読んだ上での比較を鉄則としていただきたいところです。

Re: 『義経』見ました

No.3053

我が家では、常盤の美しさと赤ん坊のかわいさが話題になりました。つまり、稲森演ずる常盤は、確かに美しいが、あの当時都一と評判を取った美しさとは、あのような美しさだったのだろうかということです。余りに現代的な美しさのように感じました。時間を遡らせることができるのならば、沢田研二が光源氏を演じた時の若紫役叶和貴子に演じてもらいたいものです。現代では残念ながら思い当たりません。赤ん坊も本当にかわいかったのですが、昔の赤ん坊のかわいさの基準のようなものはありますかねえ。目もくるりとして、現代の赤ちゃん雑誌に出てきそうな子ですが、中世のかわいい赤ん坊もあんな感じでしょうか。もしご存知の方がいらっしゃったら教えて下さい。こんなことを考えて見ていたのは、私たちだけでしょうか。