春のゼミ旅行についてのお知らせです。

No.2978

 発表が遅くなりすいません。春のゼミ旅行についての詳細がほぼ決定いたしましたので、お知らせします。

・日時 2月26日(土)・27日(日)・28日(月)
・予算 19470円(京都~上野の往復の交通費は含めていません。また若干の変更もあると思います。)
・交通費 帰りは上野駅で現地解散のため、夜行バスで行かれる方は片道だけバス代を徴収したいと思います。またバス代については、後日お知らせ致します。
・宿泊先 水月ホテル鴎外荘(JR線上野駅下車徒歩12分)
・行程
 <1日目>
8:00 ホテル着。荷物を預ける。
        ↓
9:00~11:00 東京国立博物館
        ↓
11:10~12:00 寛永寺
        ↓
12:00~1:00 昼食
        ↓
2:00   上野駅にて新幹線で到着された方と合流
        ↓
2:30~5:00 東大史料編纂所
        ↓
6:00     夕食

 <2日目>
8:00     出発
        ↓
10:00~2:00 国立歴史民俗博物館(昼食含む)
        ↓
3:00~4:00 中山法華経寺
        ↓
4:30    上野駅着
        ↓
6:00~    夕食

<3日目>
9:00     出発
        ↓
9:30~10:00 湯島天神
        ↓  
10:20~10:50 神田明神
        ↓
11:20~11:50 湯島聖堂
        ↓
12:00~1:00 昼食
        ↓
1:30~2:30 浅草寺
        ↓
3:00~4:00 柴又帝釈天
        ↓
4:30    上野駅着。解散。

 今回の旅行は従来のゼミ旅行とは違って、中世がメインではありません。今回のゼミ旅行のテーマは博物館巡りと江戸の下町探訪をメインにしたいと思います。また、中世に関しては中山法華経寺を見学するに当たって、中世の日蓮宗に付いて事前学習会において理解を深めるきっかけにしたいと思います。
 発表が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。自分の至らなさをつくづく痛感している次第です。この計画でも間違いや、突拍子も無いことなどを書いてしまっているかも知れません。お気づきの点がある方はどんどんご指摘ください。発表が大変遅れてしまったこと、重ね重ね大変申し訳ありませんでした。

>八井さん
数々の図々しいお願いを聞いていただき、またお手数をお掛けして本当に申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました。八井さんがいらっしゃらなかったら、旅行計画はどうなっていたかわからなかったところです。
        

ご苦労様です

No.2979

旅行日程の提示、ありがとうございます。
2月末の事なので、全然遅くありませんよ。
院試の後で、少々パワー不足かもしれませんが
是非とも参加して、楽しませていただきたいと思います☆

お疲れ様です。

No.2980

>山内さん
 お疲れ様です。こんな綿密な計画をたてられるんだからもう心配はいりませんね。
この調子でゼミ旅行も紫苑も乗り切っちゃってください★☆

>紫苑執筆中の皆様
 最終締め切りを1月8日に設定しました。これ以上は延ばせませんのでよろしくお願いします。とかいう私も守れるか心配になってきました・・・、でも必ず間に合わせます!!

ありがとうございます♪♪

No.2981

待ってましたっ♪ついに日程発表ですねヽ(´▽`)/
そうそう、幹事には思い切りのよさと図々しさも大事な要素です(笑)山内さんにはその素質は十分あると思うので、期待していますよ!!
旅行、楽しみにしています。

いやいや・・・

No.2983

>山内さん
 そんな、持ち上げすぎだから(^^;)

知らない間にここまで行程が出来上がってたんですね~。
宿は申し訳ありませんがルームチャージ、つまり食事がつきません。
まぁ、せっかくの「首都」なので、夜の街に繰り出すのもアリかと。
宿の周りは上野公園ですけどね(笑)。

あぁ、本気で“似非添乗員”したくなってきた・・・。

ドイツから帰国しました

No.2974

今朝、ドイツから帰国しました。
ドイツは、そしてエクスカーションで行った南フランスのカルカッソンヌ周辺も寒かった。冬の北海道の気候です。
私の報告は院政に関するあたりさわりのない話で、むしろ英訳に1ヶ月もかけてしまいました。日本側は日本史、ドイツ側はドイツ史で、討論がいったいどうなるか、と思っていたのですが、主催したボン大学日本文化研究所側で選んだ独日通訳(日本人)がすばらしく、まったく討論に支障はありませんでした。できる通訳は凄い。
もともと、亡くなった河音先生が推進した日独比較研究のシンポで、今回が3回目、ただし前回は非常に小規模であったようです。いろいろな意味で、とてもおもしろかったです。
といったところで、まずは簡単なご紹介。

で、帰ってみると、元木先生の書評会が2月3日に決定の由。残念。当日は入試とその採点で、出席できません。また、様子をおしらせください。

それにしても、ドイツ人はよくしゃべる。討論では、司会者が一言発する前に、どんどん手をあげて、マイクを握ったら最後質問だか、演説だかわからん状態になります。3日間の日程で、二日目からは、負けてなるもの、と私も手をあげた。日本だとなかなか手が上がらなかったり、実はしゃべりたいけれど指名を待っている権威主義者?がいたりですが。やはり外国では違います。日本人ももっと積極的にならんと。

再提案、2月9日(水)では?

No.2975

 美川先生、お疲れさまでした。小生も1996年にタイのチュラロンコン大学で開かれたアジア歴史学者会議で報告の際は、半年くらい前から慶応大学SFCに勤務する親切な友人に英訳をお願いしたり、発音練習の指導をしてもらったりで大変でした。
 たしかに日本では、学会や研究会でやたらに発言したがると嫌われるし、しないと権威主義者?と思われるしで、大変ですよね。小生、このところ黙っていられないという場面に遭遇するケースが多く(昔ならそう思わないように精神が自動制御されていたのかも知れません)、老化にともなって、だんだん図々しくなってきたようです。

 ☆ ところで、書評会の日程ですが、やはり美川先生がお出でにならないと「面白さ」(もちろん、学問的な!)は半減です。そこで、京女ゼミの本来の例会実施日である第二水曜の9日で、再提案をしたいと思います。元木先生・美川先生・佐伯君(研究室宛のメールでいただいた不都合な日の中に9日があったとしたら御免なさい)・石浜さん、この日の午後では如何でしょうか?
 もし、お一人でも不都合な方がおられれば、3日ということにいたしますが、一応、お尋ねいたします。
 明日から26日まで、調査旅行で静岡県に参りますので、その間によろしく御返信(書き込み)をお願いいたします。
 ちなみに、この旅行における新幹線下車駅のあるところは、日本で一番鰻が美味いという話ですので、ぜひ賞味する機会を得たいものと考えております。

当初の予定通りで

No.2976

ここで眠ると時差ぼけだ、というので睡魔と闘っています。
野口先生、ご配慮いただきありがとうございます。
しかし、9日にも入試の判定会議とか、教授会とかの予定があります。時間がはっきりしないのですが、無理に予定を変えていただいて、けっきょく私が出られない、というのではあまりに無責任なので、当初の予定通り3日にしてください。
もしも、可能であれば、懇親会だけでも(ちょっと無理そうですが)参加させて頂きます。

それでは2月3日に。

No.2977

 結論が早く出ました。
 「兼、山田先生のお誕生日祝い」にならなくなって困った、とも思っていたのですが、それでは、当初の予定通りに。
 美川先生には、小宴の方だけでもお出で頂けることを期待しています。

Re: ドイツから帰国しました

No.2982

美川先生>お帰りなさいませ♪
ドイツはぜひ一度行ってみたい国のひとつなので、美川先生のお話を聴かせていただけるのを楽しみにしております。(前の中国の旅行の話もかなりおもしろかったので・・・笑)

それと、山田先生降誕会(←いつのまにかこっちがメイン?)も盛大に行いたいですね♪
こういう企画を練るのはとてもワクワクします。サプライズほど楽しいものはありませんから・・・
幹事の腕に期待します☆

眠り姫☆復活!!

No.2970

昨日無事卒論を提出し終えまして、今起きたばかり(←寝すぎ?)の永富です。
ここ一週間まともに睡眠をとっていなかったので、こんなにも体とは本来軽いものなのだということを実感しております。笑
復活記念(?)ということで後輩の皆様にためにも卒論&就活体験記を書いておきます☆
※いい子はぜ~~~ったいマネしちゃだめですよ!!

平田さんから「できるだけ早めに清書を・・・」とアドバイスをいただいていたにも関わらず、三章(例の尼崎の話)にてこずり、清書にかかったのは提出三日前。。。しかも清書しはじめてからも文章を変えたり、章立てをいじったり・・・としていたもので、仕上がったのは提出当日の朝でした☆本文は仕上がったものの、目次の書き方がわからなくて朝から大学へ行き、学生研究室に置いてある例を見ながら目次を完成、そして題目を書いて提出しました・・・☆
ここで盲点だったのがこの「題目」。
小筆または筆ペンで書かねばならないという決まりがあるんですが、三日間ほとんど休まず手を動かしていたため、手が何もしていなくても「ぷるぷる」と震えるんです☆そんな状態で筆書きすると当然字も「ぷるぷる」な仕上がり・・・。。。
この題目、製本された時に表紙に貼られるんです。ああ~こんなのが一生手元に残るのかとおもうと泣けてきます。・゜゜・(>_<)・゜゜・。
後輩の皆さんは清書をはじめる前に題目だけは書いておいたほうがいいですよ!!本当に!!

で、提出した後、某私立高校へ採用の面接に行きました。
ほとんど寝てないので顔はクマができてるし、肌荒れしてるしもう最悪・・・鏡の前で笑ってみてもかわいくな~い!!笑いがひきつってるっ!!ああ~ぶちゃいく!(←「いつもは可愛いのに~」なんて言ってませんよ。いつもよりさらに可愛くないっていう意味)
一応前日にパックして、朝は化粧のときに普段よりいっぱいコンシーラーを重ねたのですが頑固なクマゆえに隠し切れませんでした(>_<)それどころかコンシーラー塗ったところが浮いてる。ああ、顔で選ばれたらまず落とされるだろうなあ~なんて思いながら会場へ到着!
到着するとまず封筒を渡され、「合格通知用の封筒ですのでこれに住所と氏名を書いてください・・・」と言われました。
当然ここでも字が「ぷるぷる」。。。しかも最後に渡されたから目立ってしまい、他の面接者から「じ~」っと手元を見られてる!!妙に緊張して余計「ぷるぷる」☆
この封筒、絶対書き方の試験と思われます。仕方ないとはいえやっぱりぷるぷるとゆがんだ字なのが悔やまれます・・・マイナスポイント!
しかもここで新たな事実発見!・・・右手にべったり修正液(←卒論の清書でついた)がついたままだったんです(T-T)トイレへ行って落としてきたかったのですが、とてもトイレへ行けそうな雰囲気ではなく・・・
そうこうしているうちに私の面接の順番になり、いざ部屋へ☆仕方なしに面接の間は手をひざの上で重ねてずっと隠していました。他の面接者は身振り手振りを使って話していたのに、私は当然手を隠したまま話をしました。怪しかったかなあ``r(^^;)
面接はグループ面接で3~4人のグループが5つほどありました
で、一時面接と二時面接があり、前者は教職員組合、後者は人事委員会(校長を含む偉い人たち)の方々に面接されました。
質問内容は志望動機から事件の対応までいろいろ。受験者はやっぱりその高校出身や系列大学出身の人が多いようでした☆そうおもった瞬間なんか逆にふっ切れて楽になれました。
「仕事に一番必要だと思うことは何ですか?」ってきかれた時は「笑顔です♪」と言って超~~~営業スマイルで笑ってきました☆ヽ(´▽`)/あははっ♪このスマイルにハートわしづかまれた面接官はいたかなっ?!
まあ、こんな感じで面接を終えました。
あとは野となれ山となれ・・・受かる可能性は極めて低いですがいい練習になりました☆

で、面接が終わってから京都駅へ出てへんし~んっ \(0\0)ゝ
私服に着替えて祇園「かがり火」で予餞会♪♪♪
史学科全体集合で先生方を交え、おいしいすき焼きを堪能しました♪そこで古賀先生がおっしゃっていたのですが、毎年五時ギリギリに教学課へかけこむ人が多いのに、今年は五時には閑散としていてみんな余裕を持ってきちんと提出できたとか・・・おめでたいですね♪
稲本先生とはなぜか血液鑑定の話で盛り上がり、つい酔っていた私は調子に乗って肉を食べながら五体不具穢の話をしてしまい、他のゼミ生を震えさせてしまいました・・・ごめんねみんな~☆佐々木さんも服部さんも一緒でした!

で、さすがにふらふらだったので二次会へは行かずに帰宅。
長い一日が終わりました☆☆☆

卒論を提出するにあたり、先生をはじめ皆様にはアドバイスや励ましのメールをたくさんいただきとても感謝しております。
もう無理かとあきらめかけていたこともあったのですが、先輩方あってこそ、無事完成させることができました。本当に感謝しております。
またこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

PS.元木先生>「上タンガーリック」だったんですね♪もう忘れません!オーダーの時もばっちりです!!まかせてください(笑)
酒呑童子の会、楽しみにしています

さすがの元気!!

No.2971

 永富さん、復活おめでとうございます。同時に貴重な体験記になっていると思います。それに、要を得た「名文」です。☆優を差し上げます。
 これから、卒論を書く人、面接を受ける人はプリントアウトしておくと良いでしょう。

 元気といえば、岩田君も近々、復活が叶いそうです。これで、「岩田君がシンペー(注:「心配」の江戸っ子表現)だ」なんていう冗談を躊躇なく言えそうです。

 なお、本日またしても、石浜さんから大河ドラマ関係の資料を頂いてしまいました。ありがとうございました。これから、立て続けに義経関係の講座・講演を担当いたしますので、おおいに参考にさせていただきたいと思います。2月にお目にかかるのを楽しみに致しております。

春のゼミ旅行についてのお知らせ

No.2964

 大変遅くなってしまって申し訳ないのですが、旅行の詳細をアップするにはもう少し時間がかかりそうです。今週中にはアップできます。本当に申し訳ないのですが、もうしばらくお待ちください。
 ただ日程は確定し、2005年2月26日~28日に決定致しましたのでお知らせしておきます。

>野口先生・瞳ちゃん
『紫苑』の原稿提出、さんざん遅らせてしまってすみません。ただ今格闘中です。



『紫苑』の方もよろしく。付、業務連絡。

No.2968

 本日、研究室に印刷屋さんに来ていただき、山岡さんと3人で『紫苑』について打ち合わせをしました。今回は版下を印刷屋さんで作っていただきますので、より学術誌的な体裁をとれるようになるものと思います。
 いずれにしても、執筆者には1月8日の「最終」締切を厳守していただかなくては困りますので、宜しくお願いします。原稿はプリントアウトして何度も読み直し、誤字などのない完成原稿にして提出してください。

 >山内さん 「格闘」の成果を楽しみにしています。なお、ゼミ旅行についての御相談は自宅宛メールで構いません。

 >みなさま 小生は、24日より調査旅行、ついで大学は年末年始の休業期間に入ります。したがって、本日以降の野口宛の諸連絡は自宅にお願い致します。

卒論提出まで秒読み段階。

No.2958

 いよいよ明日は京女史学科卒論の提出日です。永富さんたちは、今まさに時間との闘いの大詰めといったところでしょうか。それとも、すでに完了ですか?
 ひと事にあらず。小生などは年中無休で「明日締切」みたいな毎日なのですが。
 
 ところで、さきに御案内した明日Ⅲ講時予定の「源実朝暗殺事件」をめぐる某機関による取材は、先方担当者のご事情により、来年はじめに延期されましたので、お知らせしておきます。
 ただし、研究室に御用の向きは、どうぞ御遠慮なく。

 ☆ さきほど、元木先生の新著を読了しました。とても多くのことを学ばせていただきました。とくに平治の乱にたいする認識が一変いたしました。
 藤原信頼を例に「武勇に堪能な公家が有力な武士を組織し、新たな武門として発展する可能性もあった」という御指摘は、これからの武士論研究の方向付けに大きなインパクトを与えるものとなるでしょう。
 下総に於ける為光流藤原氏(千田氏)による在地武士団の編成などは、その地方版とでもいうべきものでしょうか?
 かかる存在は、「軍事貴族」と区別する意味で、「武門貴族」とでも歴史名辞化される必要があるかも知れません。

ご高評有難うございます

No.2959

 野口先生、拙著についてご高評を賜り、有難うございます。
 短期間で敗北したことから、信頼は戯画化されておりますが、あれほどに劇的な昇進を遂げたのには、それなりの理由があるように思います。たんに、院の寵愛と片付けるのは、それこそ『平治物語』の構想に引きずられることになると存じました。事実、これまでは私自身、それに囚われていたわけで、その意味で今回の本は、自己批判の書物でもあります。
 中央の信頼と、下総の千田氏の対比、なるほどと思いました。京でも、地方でも、同様の現象があったとすると、もっと正面から考える必要があると思います。その意味で、武門としての性格を持つ貴族、「武門貴族」の御提唱に賛同いたします。武士と貴族の未分化という問題については、さらに検討を深めたいと思います。
 例会で、書評をしていただける由、大変うれしく思います。拙著がたたき台になって、後進の方々の学問が発展されるように祈念いたします。何でしたら、『台記』研究会と合同にしては如何でしょうか。いや、本人はいないほうがいいのかな。
 むかし、大山先生の御著書を日本史研究会の勉強会で書評したとき、先生がやって来られて滅茶苦茶緊張したことがありました。

 卒論、あるいは修論に取り組んでおられる方々の、ご健闘をお祈りいたします。一度、酒呑童子の会を例の南大門あたりで開催しましょう。永富さん、れいの料理は「塩タンガーリック」ではなく「上タンガーリック」ですので、ご注意ください。
 とか何とか申しておりますが、野口先生、例の件、10枚は超えました。後40枚ほど・・・・。

「武門貴族」の成立。

No.2960

 元木先生、「武門貴族」の概念化にご賛同いただいて、ありがとうございます。持明院基家についての井原今朝男先生の御指摘もありますし、ほかにもいくつか類例が思い浮かびます。「武門貴族論」を課題にしてみたいと思います。

 書評会を『台記』研究会と合同で開催するというご提案、有り難く存じます。石浜さんがわざわざ関東からお出で下さるとなれば、午後半日くらいとって、夜は酒呑童子の会を開催ということにいたしましょうか?
 会場は当方の共同研究室ならスペースも十分です。久しぶりに元木先生や美川先生の「御臨幸」を仰ぐことが出来れば、当ゼミの如き<弱小「権門?」>にとっては光栄きわまりなしといったところです。
 
 ちなみに、元木先生の御著書の担当ですが、御著書の主人公に擬せられるのは源義朝と思いますので、同名の長村君が適任かと・・・というのは、勿論冗談で、当該期の政治過程のみならず武士論にも通じている長村君が適任だと思います。

 さきほど、永富さんから「卒論は無事に提出。来年度に向けての面接会場に移動中」という旨のメールが届きました。服部さんも、佐々木さんも無事に提出されたことでしょう。

 修論の締切は年を越してからですが、さらに院試が控えています。、また、メンバーの中には進学のための学資を確保するために来年は嘱託・バイトなどの仕事で頑張る、という人もいます。ちなみに、前任大学のゼミ生だったある人は、数年の雌伏を経て、京都で勉強するという夢を実現するために、いよいよ行動を開始するとのことです。
 未来に希望のもてない時世といわれますが、こうした若者たちからは大きな活力を与えてもらえます。

 元木先生、あとは、たった40枚。宜しくお頼み申し上げます。
 「上タンガーリック」はそれが終わってから、ゆっくりと。ぜひ、永富さんにご馳走してあげてください。

合同研究会+酒呑童子会

No.2961

 野口先生、了解しました。
 では保立氏の御著書、および拙著の書評会を、野口ゼミ、『台記』研究会合同で行い(要するに美川先生と当方が加わるだけですが)、そこに石浜さんもお招きする。その後、南大門かどこかで食事をして、さらにお好きな方はカラオケに行く、といった按配でしょうか。
 いつごろにするのかなど、石浜さんのご都合を伺いながら決めることになりますね。なお、美川先生は23日までドイツの国際学会にご出席との事で、ご帰国後に日程を伺ってください。まあそう申しても、二月になると学務多端ですから、結局は1月中になりますでしょうか。
 早めに決めないと、あっという間に日は埋まってしまいます。幹事長、宜しく。
 野口先生、あれから何やかやでぜんぜん進んでおりません。ウーン。
 

酒呑童子の会と研究会の分離開催案。

No.2962

 こちらは『紫苑』3号の編集作業でも、山岡さんが奮闘中です。
 原稿を依頼されている諸君。さんざん待たせて、散々な代物を出してこないように、宜しくお願いしますよ。
 
 元木先生。私学は一月に期末試験と入試があって、研究会開催は無理です。当ゼミでは史料講読会も中止ですので、2月の初旬でいかがでしょうか。つぎの『台記』研究会はたしか2月3日(木)に予定されていましたが、この日かもしくは5日(土)あたりではどうでしょうか。メインゲストの石浜さんと報告者の佐伯君(資料館のお仕事の都合が懸念されますが)、長村君(まだ了解を得ていませんが)の御都合次第かと思いますが。
 『台記』研究会と当方のゼミ両方に参加されている方は多いのですが、今回はとくに元木先生門下の院生以上のみなさんにも是非多くの方に御参加いただきたいものです。
 なお、元木研究室関係の諸行事の幹事は長村君と決まっております。そうなると長村君には負担をかけるので、元木先生の御著書については、本来『台記』研究会で発表予定であった小生が担当しても構いません。
 石浜さん、佐伯君、御都合をお知らせ下さい。

 というわけで、合同研究会が2月となると、「酒呑童子の会」だけでも正月中にというのが、元木先生の御心境かと思います。
 ゆえに、それはそれとして実施され、合同研究会のさいの宴会(石浜さん歓迎会&感謝会)は京女の近くで、ということでも宜しいのではないでしょうか。

 元木先生、それはともかく、まずは原稿です。私も諸先生方の原稿を読んで巻頭の一文をまとめなければなりません。

了解しました

No.2963

 野口先生、『台記』の日程調整で、そのようなお話をお伺いしながら、どうも失礼いたしました。
 では、合同研究会は2月3,5日あたりということで、宜しくお願いします。
 飲み会は色々計画があって、どうも錯綜しておりますが、何回でもお付き合いしますので、宜しくお願いします。
 また、一度は大阪で開催というのも一案かも。今度は、つきなみだが奥の深い「うどんすき」、お好み焼き・鉄板焼き大会、ウナギ・川魚、また中華などなど。
 
 台風情報ならぬ近藤先生情報では、3月、8月に来襲のご予定とか。焼肉、しゃぶしゃぶ食べ放題の懇親会でも盛大に開催しましょう(また店がつぶれる?・・・近藤先生、失礼しました)。

 例の件、第一章のあたり、どうも気に入らずいらいらしています。ともかく、話の大筋はお聞きいただいたとおりなので、文章は支離滅裂(までは行かないでしょうが)でも、今週中には何とかします。

書評、その他

長村祥知
No.2965

野口先生
さまざまにご配慮いただきありがとうございます。
私としては、自分には荷が重いというだけでなく、これまでは文章で拝読している、野口先生の要点をおさえた書評をじかに聞かせていただきたいので、先生にお願いしたいところです。

酒呑童子の会は、正月にするということのようですが、皆さま、何日くらいに関西にかえってこられるのでしょうか。

なんとしてでも

No.2966

いつの間にやらずいぶんと話が進んでおり、びっくりしております。とにかく、なんとしてでも予定を合わせ、2月3日ないしは5日に参上いたします。3日がいいか5日がいいかは微妙なところですが、通常の研究会が3日ということであれば、3日ということでいかがかと存じます。あとは佐伯さんのご都合次第ということで。

とりあえず、2月3日(木)に決定です。

No.2967

 佐伯君から、5日は御自身が幹事をされている研究会がある旨の御連絡をいただきました。石浜さんも3日を御希望のようでありますから、美川先生の御意向をうかがってはおりませんが、事後の御了解をいただくこととして、3日に一決と言うことに致しましょう。
 いずれにしても佐伯君には御迷惑をおかけ致しますが、よろしくお願い致します。
 
 元木先生の御著書に関しては、長村君の御希望を容れて小生が担当させていただくことに致します(翌日の京都アスニーでの講演が心配ですが)。
 なお、この日の小宴については、永年幹事長・長村君の補佐役を、山岡さんにお願いいたしました。

了解しました。

No.2969

佐伯です。
日程の件了解いたしました。
都合に合わせていただいてありがとうございます。
あっという間に話がめちゃめちゃ大きくなって、いささかびっくりしていますが、
精一杯がんばりますので、どうぞよろしくお願いします。

とりあえず、2月3日(木)に決定です。

No.2972

2月3日は私の誕生日です。何の関係もありませんが・・・

『坂東武士団の成立と発展』

No.2973

 本日はゼミの忘年会(兼、山岡さん移籍決定祝い!←行き先は「楽天」ではありませんが、田尾監督とは関係があるところです)でした。場所は「三条木屋町下ル」。いつ新選組か尊皇攘夷の志士に襲撃されるのではないかと心配しながら・・・、「大河ドラマ」の影響力の大きさについて考えておりました。小生は早々に引き上げましたが、メンバー諸姉兄は二次会・・・へ。

 山田先生、こんばんは。2月3日の書評会後の小宴は、「兼、山田先生お誕生祝い」とさせていただきます。よろしければ、お出でになりませんか?ところで、何回目になるのでしょうか?ちなみに、小生の誕生日もその20日後です。何の関係もありませんが・・・
 山田先生、調査旅行の件ですが、伊豆韮山円成寺遺跡の資料、明日コピーして当日お渡しいたします。いささか準備不足気味ですが、よろしくお願いいたします。

 ※ 自分で言い出すのも気が引けますが、復刊ドットコムというものに、小生の第一論文集が取り上げられていました。まだ数票しか集まっていないようですが、取り上げて頂けただけでも出版した甲斐があったと、ありがたくうれしく思っています。ご参照下さい。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=26331

元木泰雄著『保元・平治の乱を読みなおす』刊行!

No.2954

 ようやく待望の書が届きました。
 従来の保元・平治の乱に対する認識を一変させる本だと思います。もちろんそれは元木先生の着実な御研究の基盤の上に構築された成果であり、一般向けの形をとっていますが、堅実な「政治史」の存在を実感できる名著だと思いました。
 若いみなさんは、元木先生の『院政期政治史研究』(思文閣出版)所収の関連論文を併読されたらよいと思います。
 藤原信頼に対する再評価は話題を呼ぶことでしょう。
 それから、巻末掲載の元木先生のお写真は、拡大コピーして部屋に飾っておきたくなるくらい、心を和ませてくれます。長村君、いかがですか?

 もう一冊、同じNHKブックスから、保立道久『義経の登場 王権論の視座から』も刊行されました。パラパラめくってみると、拙論を高く評価していただいたところが見つかり、恐縮かつ面映ゆい限りです。ただ、近頃の「王権論」に懐疑的になっている小生としては、その視角をくずさずに拝読させていただく所存です。

 両書とも、例によってNHK出版の石浜哲士さん(当ゼミ無給顧問)にお送りいただきました。元木先生、保立先生、そして石浜さんに、あつく御礼申しあげます。

 なお、来年に入ったら、この両書の書評会をゼミ例会で行いたいと思うのですが、いかがでしょうか?発表について、われと思わん方は、挙手をお願いします。
 小生としては、保立先生の方は、徳大寺家をはじめ当時の貴族層の姻戚関係に詳しく、かつ「東アジア怪異学会」のメンバーでもある佐伯君にぜひお願いしたいのですが、いかがでしょうか?
 いうまでもなく、歴史学・国文学の専攻を問わず、両書ともゼミメンバーは必読です。

 ☆ 当ゼミメンバーの人気の的、近藤好和先生から、先生の御高論「中世の武具と戦闘」収録の小林一岳・則竹雄一編『戦争Ⅰ 中世戦争論の現在』(青木書店)を頂きました。これまた、武士論ならびに軍記物語研究を志す人には必読の書といえましょう。
 近藤先生、ありがとうございました。近いうちに、また御上洛下さることを期待しております。

 >>> 永富さん・服部さん・佐々木さん  卒論、もう一息です。これから寒くなるそうですから、風邪などひかぬように頑張ってください。

 > 山内さん  ゼミ旅行の日程は決まりましたか?

 > 岩田君  一日も早い復活を祈念しています。 

ご指名にあずかり光栄です

佐伯智広
No.2955

ご指名にあずかりました佐伯です。ありがとうございます。
保立先生にはかたじけなくも参考文献に拙論をあげていただいたことでもあり、
書評会をされるのであれば、ぜひ報告をさせていただきます。
よろしくお願いします。

>元木先生
先日はご著書をいただき、ありがとうございました。
次のご著書を書かれるときも、精一杯励ませていただきますので、
今後とも校正をぜひやらせて下さい。
よろしくお願いします。

Re: 元木泰雄著『保元・平治の乱を読みなお...

No.2956

野口先生
早速にご紹介いただき、ありがとうございます。

佐伯さん、書評会、楽しみにしております。
是非、都合をつけて拝聴に参上できればと存じます。

近藤好和著『騎兵と歩兵の中世史』刊行

No.2957

 佐伯君、御快諾ありがとうございます。元木先生の御著書の方もどなたか挙手をお願いします。なければ指名あるのみです。
 石浜さんにお出で頂けるとなると、ふだんの例会日程にこだわらず、すこしまとまとった時間の取れる日に設定して、二著を一度に行えれば良いと思うのですが、いかがでしょうか。
 2月に入れば、授業も期末試験も済んでいますから、石浜さんの御都合に合わせることも可能かと思います。

 すでに御紹介したことのある、タイトルの近藤先生の御著書(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー184)がついに刊行されました。武士の象徴が弓箭から刀剣に転換したのはいつなのかという疑問に迫った、まさに武士論を考える上での基本文献といえる書だと思います。
 近藤先生、御恵送にあつく御礼申しあげます。
 それにしても、近藤先生の歴史文化ライブラリーは二冊目。私も書かなければいけないのですが。いろいろなところで怠惰が露呈してしまい、恥ずかしい限りです。

源実朝暗殺事件に関する研究。

No.2953

 数日間、東下りと機械の故障のため、ちょっと姿をくらませておりました。メールを頂いた方には返信が出来ず、失礼いたしました。また、例によって急遽、修理に駆けつけてくれた鈴木君に感謝の意を表します。
 ところで、来年正月二十七日は大通寺で実朝忌の法要が営まれ、そこで神戸大学の高橋昌明先生の御講演が予定されています。
 実朝忌はまさに、承久元年正月二十七日、右大臣任官の拝賀のため鶴岡八幡宮に参った実朝が暗殺された、その日にちなんで行われているわけですが、この事件の真相については諸説紛々です。
 小生、この暗殺事件について『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』収録の小論の中で、若干関説したことがございますが、ある筋からの依頼もあり、さらに検討の要を感じております。
 そこで、最近の研究でこの事件に触れるところのあるものをご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひ御教示をお願いしたいと思います。
 長村君あたり、いかがでしょうか? ほかにも、どなたか?

 ★ すでにご存じのことと思いますが、今月の史料講読会(毎月曜開催)はⅣ講時の山本君・岩田君主催のものと同様にⅢ講時の野口主催のものも、13日で終了ということになりました。正月以降の開催については、忘年会の時にでも相談しましょう。
 なお、来週20日(卒論提出日)Ⅲ講時には、上記の「実朝暗殺事件」に関して某機関の方が取材に見えます。この事件について関心があったり、意見のある人、あるいは、野口は固有名詞や年代を間違えそうだから心配だと思われる奇特な方は、御遠慮なくお立ち会い下さい。

忘年会の日、決定。

No.2950

遅くなってしまいました。
忘年会の日にちですが22日(水)にいたします。
場所は四条近辺、時間は六時頃からの予定でいます。
参加されるかたは今からでも大丈夫ですので門屋までメールを下さい。(先日のメールで22日参加可能とのお返事を頂いている方に関しては改めてメールしていただく必要はありません)
詳細はまた後日書き込みます。
よろしくお願いします。

決定先送り。

No.2951

ややこしいことで恐縮ですが、予定の変動なども一部あり、もう一度明日までに調整することにしました。21か22で開催する点に変更はありません。不手際でややこしいことになってしまい申し訳ありません。

今度こそ忘年会の日、決定。

No.2952

 決定が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。年の瀬でなかなか思うように日が合いませんが、22日(水)に忘年会を開催することとします。
日時:12月22日 18:30~
場所:中華料理 コウシン(三条木屋町下ル)
   3000円飲み放題付のコースを頼んであります。
集合:18:10 三条ヒコキュー前。
休みの前日なのでゆっくり楽しめるかと思います。
以上、よろしくおねがいします。

ミ☆ありがとうございました☆彡

No.2942

昨日はお疲れ様でした。
まとまりきっていない上にややこしい話でききづらかったことと思いますが、みなさんから貴重なご意見やご指摘ををいただき、だいぶスッキリとさせることができました。あとは時間との闘いになってきますが、ギリギリまで頑張ろうと思います。
本当にありがとうございました。

もうひとつ、大変な朗報あり。

No.2943

 昨日は服部さん、永富さん御苦労様でした。多くの参加者、とくに先輩方から、なかなか得難いアドバイスを得て、方向も定まったし、やる気も与えて貰えたのではないかと思います。
 小生も端で聞いていて、さすが当ゼミに参加してくれている人たちは大したものだと感激していました。とくに佐伯君にはとても適切な整理をしていただいて、ありがたく思っています。これからも、よろしくゼミのみんなを御指導下さい。
 それにしても、昨日の参加者には、研究という作業の過程で、発表して他の人の意見を聞き、さらに討論することが如何に意味のあることなのか、よく実感できたのではないでしょうか。それから、自由闊達に意見を交わしうる環境、人間関係を構築することがいかに大切なことであるかということもです。この点、当ゼミはうまくいっていると実にうれしく思った次第です。
 そんな、うれしい気持ちでいるところに、本日、夜にいたって、もう一つとても大きな朗報が届きました。「スゴイ、やってくれましたね!」という話です。具体的には、ここには書きませんがいずれメンバーは知ることが出来るでしょう。
 あとは岩田君の復帰を待つばかりです。

 > 元木先生 今流行している風邪は、まず喉に来るようです。どうぞ、お大事になさって下さい。

お疲れさまでした

鍜治 利雄
No.2944

報告お疲れさまでした。

服部さんの報告は一本ちゃんと筋が通っていて、文体も読み手に対してとても親切に書かれていて、スゴイなぁ~って思いました。

永富さんの報告は、頑張ってるのに、研究者の見解の違いや史料の不足といったジレンマに挟まれて、とても悩んでいらっしゃるんだなぁって感じました。でもやっぱり板書やレジュメは流石だな~って思いました。

あとちょうど10日ですね。大変ですが、頑張って下さいませ!
俺も皆さんのええ所パクって、意見言えるように頑張り・・・ます
ま、まだまだ先のコトですが(苦笑)

お疲れさまでした

No.2947

 服部さん永富さん、お疲れさまでした。卒論の事前報告を自分のゼミ以外で出来る、しかも先達がたくさんいて、良いアドバイスまでもらえちゃうというのは幸せな事です。本当に「お疲れさまでした」が言えるまでは大変だと思いますが、しっかり頑張ってください☆と、人に「頑張れ」と言う前に、私も頑張らねば。

>鍛冶くん
 「まだまだ先」と言わず、分からない事や意見があれば、どんどん前に出てください!「自由闊達」とはそういうことですから。自己主張は大歓迎です!<<野口ゼミで周りをよ~く見てください。ほら、自己主張が大歓迎な事がわかるでしょう?(笑)>>

お疲れさまでした

No.2949

服部さん・永富さんお疲れさまでした。人に聞いてもらうだけでも頭の整理になると思いますが、それに加えて丁寧にアドバイスがもらえる場は貴重だなぁと改めて思いました。
 大してお役には立てませんでしたが、残された時間で少しでも納得のいくものを作り上げてください。

平安末~鎌倉末の大物流拠点の発見。

No.2940

 京都新聞2004年12月6日付によると、瀬田川東岸に位置する関津遺跡(滋賀県大津市関津一丁目、宇治の拙宅の東方・直線距離10㎞ほどの地点)の平安末から鎌倉時代末の大規模集落跡から、宋代の中国陶磁片が大量に出土。その量はこれまで滋賀県域で出土した同種陶磁器のほぼ総量に匹敵するとのこと。ほかに肥前産の石鍋なども出土しているとのことで、、この地が大物流拠点であったことをうかがわせます。
 上級武士層の居住が指摘されていますが、はたしてそのようなレベルで評価して良いものか?承久の乱のさいに、幕府軍本隊の進軍路にもなった、京都と東国の交通の幹線上に位置しており、多角的に検討する価値のある遺跡だと思われます。