報告① 仙台でのこと。
No.2700
20日、東海道新幹線に遅れが生じる直前に、かろうじて東京に到着することが出来ました。福島の県立高校の修学旅行生の一団と京都から一緒でしたが、まさか、この修学旅行団は台風襲来ということで日程を変更して、この時間に帰郷することにした訳ではないと思うので、日程設定をされた先生方のスゴイ先読みに感心いたしました。ちなみに、あとで聞くところによると、この高校(かの松平容保の城下に所在)は地元では大変有名な名門校なのだそうです。
仙台駅で、東北福祉大学の岡田清一先生(小生が院生の頃から、兄貴分と慕う人です)のお出迎えをいただき、先生の御案内で仙台市立博物館を見学しました。
ちょうど特別展「日・月・星-天文への祈りと武将のよそおい-」が開催されていて、おおいに学ぶところがありました。京都などからの出展も多くありましたが、流石に天下の大藩・仙台藩。この地の芸術・学芸のレベルの高さを思い知らされました。
その夜は岡田先生の他、同大学の吉井宏先生、それに当ゼミメンバーにはお馴染みの東北大学・柳原敏昭先生・幸子さん御夫妻とお目にかかることができました。ちなみに、吉井先生と柳原先生のご関係は、いきなり12世紀末の平泉藤原氏に例えれば、基成と秀衡に対応いたします。
仙台は台風の影響はほとんど無く、明くる21日はホテルまでお出迎えいただいた岡田先生の車(カーナビ付き。これを見て、小生も購入を決意)で東北福祉大学へ。
東北福祉大学は仙台市青葉区北郊の丘陵上にあって、眺望は抜群。瀟洒な校舎や県立規模の美術館に相当するほど豪華な芹沢銈介美術工芸館に圧倒されました。この工芸館の収蔵品は東北で生産された焼物のほか、世界各地の染織品や装飾品・衣類など民俗学や考古学のみならず、被服や色彩などに関心のある方々なら大喜びされそうな作品ばかりで、この見学だけを目的に仙台まで出かける価値は十分にあると思いました。
また、この大学には社会教育学科があることもあって、生涯教育センターが付設されており、今回小生が出講させていただいた「みやぎ県民大学」もここが担当されています。
さらに、大学付設の施設として特記すべきは、栄養やカロリーにまで十二分に気を配った上で、とても高級感のあるメニューもりだくさんのレストランのあることで、胃腸虚弱でカロリー摂取を抑制しなければならない小生には、実にうらやましい限りでした。なにしろ、ここで普通に昼食をとっているだけで、ダイエットできるのだそうです。エビや蠣などの食材も良く、デザートのケーキもコーヒーも美味いものばかりでありました。なお、学内のレストランとはいえ、施設もサービスもホテルなみ。景色も抜群ですから、学外者もたくさん入っているようでした。
ここで満腹になった小生は、血流を胃に集結させたまま講義会場に赴き「義経の周辺」というお話しをいたしました。したがって、要をえない話になってしまったかとも思われますが、来場の市民の方々は熱心に聴いてくださり、会場は熱気に包まれておりました。岡田先生のお話では、当初は定員50名の予定だったのが、申込みがあまりに多いので120名にされたとのこと。台風は太平洋に抜けたとはいえ、その申込者がほぼ全員、宮城県各地からおいで下さっていたのには感激いたしました。
講義を終えて、岡田先生に正門前までお送りいただきましたが、ここで驚いたのが、大学構内にコンビニがあることで、学生の便宜をはかって誘致したとのお話でした。
タクシーを拾って、ことのついでに仙台城址の石垣を見学してから駅に向かいました。
駅近くのアエルという高層ビルにある丸善に立ち寄りましたが、日本中世史のコーナーに、『清盛以前』も『源義経 流浪の勇者』も置かれていませんでした(五味文彦著『源義経』岩波新書は山積みでした)。仙台駅前の大型書店がこれでは、せっかく良い本が出ても、読むべき人の手に渡らないのではないかと心配になりました。当然、『清盛以前』など、東北でも武士論や『平家物語』の研究者にとっては垂涎の的のはずなのですが、前日の会食の際のお話でも、地元の研究者にはその再刊が知られていませんでした。勿体ないことであります。
さて、博物館の図録やら荷物が多かったために、お土産は小さなものばかりとなり、ゼミメンバーに用意した「薄皮まんじゅう」もすでに昨日の段階で、数個を残すのみとなっております。多くのメンバーがありつけなくなると思われますが、後難を避けるために、今からお詫びを申し上げておく次第です。
報告② 川合先生・瀧浪先生の御著書等
No.2703
仙台出張中に川合康先生・瀧浪貞子先生から新刊の御著書、菊池紳一先生から御高論の抜刷2点をいただきました。あつくお礼申しあげます。
川合先生の『鎌倉幕府成立史の研究』(校倉書房)は、タイトルの通り、今日における鎌倉幕府成立史に関する研究の最高の水準を示す業績です。
このような研究はともすれば実証か理論のいずれかに偏りがちになるものですが、これはその双方を備えています。学生時代に石井進『日本中世国家史の研究』を読んだときに似たような感動を覚えました。
また、先行研究ににたいする配慮や詳細な索引など、論文集とはかくあるべきものだと思いました。内容はもとより、随所に川合先生の学問に対する真摯な取り組みの姿勢と情熱を感じました。きっと、後進の研究者にそのような側面からも大きなエネルギーを与えることになるでしょう。
ただ、細かい話で恐縮ですが、先行研究という点について、383ページの最後の行の維衡郎等「伊藤掾」が伊藤忠清の祖と見られるという指摘は、拙稿「平貞盛の子息に関する覚書」『史聚』第8号、1978年)で述べたものです(高橋昌明先生の『清盛以前』旧版では本の性格上、この拙稿が参考文献欄にあげられているのみで、このことを具体的に指示されていませんから、川合先生の責に帰するものではありません)。
瀧浪貞子先生の『女性天皇』は集英社新書として刊行されました。女性天皇をめぐる議論がかまびすしい今日、女帝研究の第一人者によるこのような啓蒙書の刊行は大変時宜を得たものであり、女子大で日本史を学ぶ学生さんには必読の本と言えましょう。
なお、小生は女性天皇即位には歴史的に何の障害もないように思っていたのですが、岡野友彦『源氏と日本国王』(講談社現代新書)を読んでみたら、そう簡単にもいかない背景が理解できました。とくに中世を専攻する学生さんは、あわせてお読みになると良いと思います。
菊池紳一先生からいただいた御高論は「房総三か国の国司について」(『千葉県史研究』第11号、2003年)と「中世加賀・能登の国司について」(『加能史料研究』第16号、2004年)です。いずれも、尊経閣文庫で一級の原史料に取り組んでおられる菊池先生の御研究の姿勢が反映された実証研究です。後者はとくに当ゼミ山本君の研究テーマである北陸武士団の解明に裨益をもたらすところ多大なものがあるのではないでしょうか。
前者については、兵衛尉・下総守を歴任した平(千葉)常秀の「上総介」を受領とはとらえず、在庁官職とみられた点が三浦氏の例などと比較しても、小生には腑に落ちませんでした。
房総の中世史については、まだ時々口を差し挟みたくなるのです。
以上、お礼に乗じて勝手な感想を書き連ねさせていただきました。あらためて、先生方の学恩と御厚情に感謝申し上げる次第です。
伊藤掾
川合康
No.2709
「伊藤掾」が伊藤忠清の祖であるということについて、かつて高橋昌明氏から口頭でご教示を受けたこともあり、拙著では高橋論文を注にあげましたが、もともとこれが野口さんのご指摘であったことを知りませんでした。申し訳ありませんでした。
こちらこそ、お詫び申し上げます。
No.2710
川合先生には、最初の2703の書き込み(現在のものは訂正済みのものです)で、むしろ、こちらこそ失礼のあったことをお詫び申し上げます。
小生としては、高橋昌明先生の御著書以前に拙稿「平貞盛の子息に関する覚書」において伊藤忠清の祖について触れていることを申し上げたかったに過ぎません。「史実発見の先陣争い」みたいなつまらない話で、恐縮に存じております。