明日の史料講読会について。

No.2681

 明日は3・4講時に『吾妻鏡』講読会があります。3講時は小生担当で、すくなくとも治承4年10月21日・養和元年7月20日条は済ませたいので、『吾妻鏡』を持っていない出席者は、国史大系本のコピーを忘れずに用意しておいて下さい。
 なお、明日午後は、永富さんの御助力を得て書類作成の仕事を史料講読会と同時に行なわなければなりません。そこで、岩田君・山本君・長村君など、院生の方で早めに来られる方は、場合によっては師範代をお願いしたいので、3講時から出席をお願いします。
 
 >叡山電鉄 山口博史様  時間の経過は早いもので、文化講演会からもう一週間が過ぎてしまいました。その節は、拙い講演にもかかわらず、たいへんお世話になりありがとうございました。また、お役に立てることがあれば幸いです。

 ☆ >この5月に神護寺と高山寺に行ったゼミメンバーのみなさんへ  あのとき、神護寺で見た「伝・源頼朝像」と「伝・平重盛像」が、現在、京都国立博物館の常設展示に出展中です。良い機会ですから、黒田日出男説などしっかり勉強した上で、じっくり観察に行くとよいと思います。

Re: 明日の史料講読会について。

岩田慎平
No.2682

岩田です。先週に引き続き、明日も3講時から出席致します。よろしくお願いします。

藤原忠実の宇治「西殿」跡現説の報告。

No.2679

 寸暇を利用して上記(宇治市街遺跡)の見学に行ってきました。現場にはちょうど京都市埋蔵文化財研究所の上村先生、花園大学の山田先生がお出でになっており、この両先生と発掘を担当されている歴史資料館の方々から、多くの御教示をいただきました。
 新聞報道で遺跡を東西に走っている道路が紹介されていますが、これは四条宮寛子の邸宅跡と見られている矢落遺跡まで通じており、宇治の東西道の中軸をなすものだったようです。幅4メートルほどで、両側に側溝が検出されていますが、現場を見るとそのさらに4メートルほど南側にも側溝状の溝があり、小生は春日祭使の行列がここを通ったことなどを考慮すると、この南側側溝が院政期に機能していたものではなかったかと判断いたしました。そうすると幅8メートルほどになり、これが文献史料に登場する「小河大路」にあたるものと思われます。
 また、邸第の敷地において、南に建物、その北側に池庭が設定される、南高・北低の宇治の地形についての発掘担当者からの御説明には、いろいろ示唆されるものがありました。巨椋池をはさんで、北に比叡山や愛宕山を臨むところに摂関家宇治別業は立地していたのです。
 宇治市北方の浄妙寺や松殿別業や富家殿、さらに流通拠点としての岡屋津・小巨倉津など、広く宇治市域に展開している摂関家関係の故地・遺跡にたいする研究を文献・考古双方から検討していく必要性を痛感いたしました。研究を進めれば、これはきっと面白いことになるでしょう。おそらく、平泉の研究にも大きな影響を与える結果になるものと思われます。
 宇治は美川先生の御指摘の通り、まさしく「権門都市」の呼称がぴったりの空間だと思います。近年めざましい成果をあげている考古学上の発見に学びつつ、もう一度『殿暦』や『台記』をめくっていく作業が文献史学研究者の当面の課題と言えると思います。
 ほかにも、いくつか注目すべき発見があったのですが、内緒にしておきたい点もあり、また別の機会に。
 現場には、この発掘調査のお手伝いをしている学生さん達の姿も見られましたが、その中に当ゼミにも何度か出席してくれたことのある京女2回生の渡辺貴代さんがおられて、うれしい限りでした。そういえば、渡辺さんは先の浄妙寺の現説のさいにも、受付を担当されていましたね。

 >美川先生 発掘担当の方に、美川先生が見学を希望されていることをお伝えしておきました。ぜひ、お出でいただきたいとのことです。現場は20日までなら、見学可能とのことです。

 >山田先生 上記の記述について補足・正すべき誤り等ございましたら、お書き込みをお願いいたします。

Re: 藤原忠実の宇治「西殿」跡現説の報告。

No.2680

野口先生、詳細なレポート、どうもありがとうございました。
奇しくも、今日、吉川弘文館から、歴史文化ライブラリーに、
『院政と中世都市京都』といった題名の本を書け、という依頼の手紙をいただいたところです。今回の宇治の問題や、先日行った亀山殿跡とか、最近の京都周辺の発掘も注目すべきものがあり、そういう成果をもりこんでみたいと考えております。
宇治の現場には、来週の月曜日あたりに行こうと思っております。担当は、宇治市歴史資料館の浜中さんでよろしかったでしょうか。生々しい発掘現場へ行くと、なんだか、今を生きているという感じがして、とてもわくわくします。

南河内史跡見学会

No.2670

参加される方にはメールも送付させていただきましたが、来る10月30日の南河内史跡見学会の御連絡です

移動手段は、諸事情を勘案し、マイクロバスとしました。
レンタカーという案もあったのですが、参加人数が多く、それに対して運転できる人が少なく、特定の人に負担がかかるのはよくないと考えたからです。

バスの予算は一人あたり一万円前後を予定しておりますが、職の有無等で傾斜をつけようと考えておりますので御理解下さい。

以下は、元木先生がバス会社に連絡されたスケジュール【案】です。

○団体名 南河内史跡見学会
○出発・帰着 大阪(天王寺付近)10時出発、大阪梅田付近18時解散
○コース
河内長野 天野山金剛寺(見学1時間)、
 〃    観心寺(見学40分)
富田林寺内町(見学30分、時間によっては割愛)
羽曳野 河内源氏墓所(見学30分)
 〃   誉田八幡・応神天皇陵
    (見学40分、八幡の宝物館が16時までなので、源氏墓所より先に見学か)
○参加13名
○昼食は、時間によっては車中でとるかもしれません。

見学会終了後の懇親会もお忘れなく御予定下さい。
(私のもとに欠席の御連絡は頂いておりませんので、皆様参加と理解しております)

以上は現時点での計画ですので変更するかもしれません。
詳しいことが分かり次第、御連絡させていただきます。

本見学会のバスの予約に関しては八井さんの御尽力を賜り、また元木先生には、公務多忙の中、立案・移動手段の選定・交渉等さまざまに御配慮頂きましたことを申し添えておきます。
一参加者として感謝申し上げる次第です。

>八井さん
いろいろと有難うございます。現在、元木先生からバス関連の連絡を転送して頂いているような状況ですので、先生の御多忙を考えまして、今後詳しいことがお分かりになったら同報メールで当方にも御連絡頂きますようお願い致します。上にアドレスを載せておりますので。

「権門都市」宇治・藤原忠実の「西殿」跡発見か。

No.2669

 宇治市妙楽(平等院の西方400メートル)のマンション建設予定地の発掘で、建物・庭園遺構などが検出された模様です。現地説明会は16日10:00~15:00とのこと。
 今は時間がないので、詳しくは京都新聞および朝日新聞の南京都版を御覧下さい。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2004101400152&genre=M2&area=K20

http://mytown.asahi.com/kyoto/news01.asp?kiji=4236

Re: 「権門都市」宇治.

美川圭
No.2671

 野口先生。やはり出てきますね。宇治はこれからの中世都市研究、権門研究の一大中心になるという予感があるのですが、ますますおもしろそうです。そんなつもりで、私は拙著『白河法皇』の最後のところで、宇治の問題にちょっとだけ、触れたわけですが、うれしいです。
 ただ、明日は、私事で現地説明会に行けそうもありません。近いうちにぜひ現地を見に行きたいと思います。あわせて、現地周辺も歩く時間をとりたいと思います。
 それから拙稿「崇徳院生誕問題の歴史的背景」ご紹介いただき、光栄です。というよりも、掲載にあたっては野口先生のお世話になりました。野口先生の適切なアドバイスによって、歴史論文らしくなりました。ありがとうございました。
 結論には全く自信がないのですが、むしろ一仮説の提示ですので、どんどん反論がでたほうが、おもしろいと思っています。『古事談』成立論の立場から、国文学の研究者からも反論が出るといいな、と。

「権門都市・宇治」共同研究の提案。.

No.2672

 美川先生、いよいよ宇治が面白くなりそうですね。先年、庭園遺構の出た矢落遺跡や白河金色院遺跡は四条宮寛子(頼通の娘)関連ですが、このたびは「大殿」忠実が造営した「西殿」で、条坊状の街路もこれまでの発掘成果と一致するようです。しかし、今回の発掘調査はマンション建設が前提ですから、その辺り、いたたまれない気持ちも致しますが、せっかくの考古学の成果を眼前にして、文献史学のわれわれが黙視していては申し訳ないと思います。

 そこで提案ですが、「権門都市」主唱者の美川先生、人物叢書『藤原忠実』の著者である元木先生、さらに文献史学にも精通する都市考古学の第一人者たる山田先生、そして宇治在住の郷土史家・野口某を加えて、「権門都市・宇治」の共同研究というのは如何でしょうか。何をどうしようと言うわけでもありませんが、二年後くらいに『古代文化』で特輯号を組めればと思っています。如何でしょうか?

 『古代文化』の御高論は、政治における情報戦略という観点からも実に興味深いものがあります。御投稿に、あらためて、お礼を申しあげる次第です。国文学ジャンルからの御意見、たしかに楽しみです。思想史の立場からの御意見も、長村君あたりからうかがいたいものですね。

 現地説明会は、小生もなんとか時間をやりくりして出かけたいと思っています。明日お出かけの方は、よろしければご連絡下さい。

 なお、いずれ美川先生にお願いして、当ゼミで「美川先生と宇治を歩く会」など企画したいものです。

Re: 「権門都市」宇治

No.2675

宇治の現地説明会、残念ながら、行けそうもありません。
行かれた方は、ご報告をお願いします。
近々、時間をみつけて個人的に、現場に行ってこようと思うので、いつまで現場が見られるかとか、連絡先など(宇治市史料館でいいのか?)など、わかりましたら、お教え下さい。

宇治は、『源氏物語』とか、「頼通の平等院」にとどまる場所ではありません。院政期の宇治こそ最盛期であることは、間違いないのではないでしょうか。その割に、注目されてきませんでした。まったく自信がないのですが、宇治を舞台に少しまとまった仕事ができたらいいなあ、と思っています。

宇治には『平家物語』ミュージアムも欲しい。

No.2678

 そうです、そうです。そのうえさらに、宇治は源平合戦、承久の乱の古戦場です。東国武士の暴れまくった場であります。ひょっとすると、1000年ほど関東を本拠地にしていた小生の先祖達の一人や二人、それらの合戦でケガの一つも負っているかも知れません。ですから、小生には『源氏物語』より『平家物語』『承久記』がピンと来るのです。そこで、宇治市への(多額)納税者として「『平家物語』ミュージアム」の設置を提案したいと思います。

 >美川先生 昨日(15日)の『古代文化』編集委員会の席上で、この発掘調査の話が出たのですが、そのさい、古代学研究所の堀内先生は、この現場の担当は宇治市歴史資料館の浜中さんという方だと仰っておられました。

ありがとうございました

薗田美和
No.2668

昨晩は皆さんお疲れ様でした。
外で発表させて頂く機会はなかなか得難く、大変貴重な時間になりました。
荘園制の再編やら徳政やら、話があっちこっちに行ってわかりにくかったかもと反省しております。
(実を言うと、若い方の素朴な質問に答えるのがいちばんドキドキしました。的確にわかりやすく説明する能力が問われますので…)
貴重なコメントを下さった佐伯さん、準備等をして下さった山岡さんをはじめ、皆さんありがとうございました。
これからまた気を引き締めて頑張ります(*^_^*)

Re: ありがとうございました

No.2673

書き込みへのレスが遅くなりすみません。
薗田さん、報告お疲れ様&ありがとうございました。
最終バスの時刻の関係で途中でバタバタと退席せねばならずとても残念でしたが、卒論で荘園のことも視野にいれている私にとって薗田さんのご報告はとても刺激になりました。

またどこかで機会があればゆっくりお話できればとおもいます。
これからもよろしくお願いいたします。(^ー^)

御報告、 ありがとうございました。

No.2674

 >薗田さん 御報告、ありがとうございました。学部生どころか、不勉強な小生にも難解でした。お恥ずかしい限りです。次回は王権にリンクするようなお話にまで発展させてください。長村君が喜ぶでしょう。

 >永富さん 送信したメールが戻ってきてしまいますので、急ぎの用向きをケータイの方に転送してあります。よろしくご確認下さい。

Re: ありがとうございました

No.2676

薗田さん
おつかれさまでした。土地制度には不慣れな司会で、お役に立てたかどうか心もとないのですが、私自身は大変勉強させて頂きました。
自分も荘園のことなど勉強をしなければと思う今日この頃です。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

Re: ありがとうございました

No.2677

野口先生>メール、返信しておきましたのでよろしくご確認くださいませ。さっきまでは私のhotmailのメールボックスの容量がいっぱいになっていたため送れなかったのだとおもいます。さっきメールを何件か削除して容量を空けましたのでもう大丈夫だとおもいます
なお、明日と明後日は泊まりで携帯が通じない場所にいる予定ですので何かあればPCのほうへお願いいたします。(メールチェックは夜になりますがすみません)

美川圭「崇徳院生誕問題の歴史的背景」

No.2665

 美川先生の上記タイトルの御高論を巻頭に掲載した『古代文化』第56巻第10号が刊行されました。
 学界の通説となっている崇徳院実父白河院説の限界を提示し、この説が近衛天皇の死後、崇徳院の皇統を排除し、後白河・二条天皇へ皇位を継承させるようとした摂関家の忠通と美福門院の策略によるものであり、その謀略に基づく噂が忠通の子兼実にはじまる九条家に仕えていた源顕兼の『古事談』に書きのこされた。・・・というのが、この論文の煎じ詰めた内容です。
 院政期政治史に一石を投じる内容であると共に、崇徳の白河落胤説の主唱者である角田文衞先生が、この落胤説を『白河法皇』(NHKブックス)で批判された美川先生に直接電話で執筆を依頼され、美川先生がすぐさま快諾された論文であるということで、角田先生の懐の広さ、美川先生の真摯な研究者としての姿勢を世に示すものという点でも注目すべき論文といえましょう。
 なお、『古代文化』についてのお問い合わせは、(財)古代学協会(℡075-252-3000)まで。

文化講演会おつかれさまでした

末松憲子
No.2662

レスが長くなっているので上に書き込みます。
遅ればせですが、野口先生講演お疲れ様でした。
最近、近世の伝承にどっぷり浸かっていたので、とても新鮮で興味深く拝聴しました。
堤先生も、野口先生と意気投合されたそうでよかったです。
世代的にも、以前に野口先生が「中世の石投げ合戦の様相を呈していた」と評されていた学生運動時代を東京で過ごしておられますし、きっと感覚が近いのではないかと思います。
ちなみに、堤先生もかなりのテレビっ子です。(先生を送った帰りの車で、「野口先生もかなりのテレビっ子なんだねー」とうれしそうに言っておられました。)

学会発表当日にみた末松稲荷は、実は宿の食堂にあったのです。
伏見稲荷のお守り等がぶら下がった神棚には前列に末広稲荷の提灯が下がっていて、2列目に末松稲荷と書かれた提灯が下がっていました。
お宿の人に聞くと、すぐそばの滝谷不動の上に末松稲荷が祀られているとの事でした。発表が終わってから見に行きたいと思ったのですが、そろそろ行こうと思ったあたりから、空がにわかにかき曇り、ものすごい豪雨が・・・
あきらめて、最後まで発表を聞いて帰ると、夜には2度の地震!瑞兆だと思う事にします(笑)

次回の研究会発表の参考文献は近日書き込みます。
江戸時代の略縁起成立についての発表になるので、専門外の方も多いとおもいますが、よろしくお願いします。

末松稲荷の鳴動&元祖テレビっ子。

No.2666

 本日の例会は大盛況でした。報告者の薗田さん、ありがとうございました。
 
 末松さん。次回の例会発表、よろしくお願いいたします。
 末松稲荷のパワーは凄まじいものがあるようですね。堤先生にお願いして、精華大の構内に末社を分祀するというのは如何でしょうか。
 小生、テレビっ子の走りなのですが、昭和30年代の、ドラマを生放送していた時代のテレビの話に乗ってくれる相手が得られずにおりました。それゆえ、放送局の多い東京圏で同じ時代に少年時代をすごしたテレビっ子である堤先生と意気投合できたのは幸いでした。
 土曜の午後7時30分からKRテレビで生放送された明智十三郎主演の「若君日本晴れ」や、夏休みの午前に再放送されていた「変幻三日月丸」なんていうテレビ映画について語り合い、ともに主題歌を唄いたいものであります。開局したばかりのフジテレビで放映された「鉄腕アトム」実写版の主題歌なんて一緒に唄えたら楽しいですね。

楽しみにしてます。

No.2667

>末松さん
 近日中に次回の例会のアナウンスをしますので、その時に書き込みをお願いします。

>薗田さん
 今日は報告お疲れ様でした。勉強不足な私は理解できないままに終わってしまいました・・・。時間がありましたらまたぜひお越しください。
  
 

山田邦和先生の講演会。

No.2659

 今月23日(土)から11月28日(日)までの日程で、大山崎町歴史資料館において「都とともに-大山崎と洛外の街-」という企画展が開かれます。
 その開催翌日の10月24日(日)午後1時30分より、この企画展にちなむ第1回講演会として、山田邦和先生の「中世京都とその都市圏」が予定されていますので、御案内致します。
 小生は、そのころは来年度のための書類作成に追われていて、聴講は無理だと思いますが。
 ちなみに、第2回は、11月6日(土)午後1時30分より、上島有先生(摂南大学名誉教授)「足利将軍家と大山崎神人」です。

Re: 山田邦和先生の講演会。

No.2663

野口先生の書込みを読むまで、講演のこと知りませんでした。
この企画展の展示品目録を見ると、古文書の勉強にぴったりかもと思いました。
離宮八幡宮文書がたくさん出るのと、東寺百合文書も数点でます。
本日、岩田師範には展示品目録を持参いたします。
薗田さんのご報告を楽しみにまいります。

祝!山本君、新聞登場

No.2655

 昨日の朝日新聞阪神版に、山本君が大きな写真とともに登場しておりました。あれだけ大きく新聞に取り上げられようと思えば、よほど悪いことでもしないと難しいのではないでしょうか(笑)。
 むろん、取り上げられたのは、「ひと・・・模様」というユニークな活動をする地域の方々を紹介するコーナーで、被災地での史料保全の活躍が評価されたためです。ますますのご活躍を祈ります。
 阪神・神戸地域だけの記事で、話題にならないようですので、書き込ませてもらいました。
 

秋なのに、山本君には春が来たのか!

No.2657

 それは存じませんでした。明日の例会には、どなたかその新聞を、よろしくお願いいたします。
 >元木先生 当ゼミにとっても、小生にとっても大変うれしい情報をありがとうございました。この新聞記事は、ゼミの文化財に指定したいと思います。

 >山本君 今年は苦節□年の努力が、いろいろな方面で報われましたね。

新聞記事。

No.2660

 お恥ずかしながら、今回新聞記事に出る事になってしまいました(注・犯罪ではないです&どうして取材を受ける事になったかは経緯は不明です)。先週の金曜日に朝日新聞の記者さんにインタビューを受けて(どうして歴史学を専攻したのかや、M1になった経緯など、直接内容とは関係ない事も尋問(?)されました)、いつ載るのかなと思っていました。こんなに早く掲載されるとは思っていませんでしたし、況や元木先生に発見されるとなどとは思いもよらなかったです。自分はまだ見ていないのですが、凄く恐縮というか、自分が記事にされていいのかというのが正直な気持ちです。善人ぶるつもりはありませんが、自分の福井県における史料ネットの活動は、福井県文書館や福井県立博物館の職員の方々や福井大学の松浦先生や院生の方々などいろんな人たちと協力したものです。自分はその活動の下準備(事務的な事など)をしただけで、また日当も史料ネットから頂き、純粋に「ボランティア」とはいえないので、何か心苦しいです。この場を借りて福井県立文書館・福井県立博物館・福井大学・敦賀女子大学の諸先生方にお礼を言いたいと思います。ただ純粋に自分の活動が評価されることは嬉しいです。ましてや新聞記事(全国紙)に載るなどは、山本家挙げての一大勝事です。
 また今回の活動は、近世史料の読み方から災害時の史料保存など、自分にとって本当に勉強になりました。特に自然災害時における史料保存活動は、先週の台風の被害から分かるように、今後ますます必要になってくると思います。少しでもこのような活動が全国規模で展開するように微力ながらがんばりたいと思います。

Re: 祝!山本君、新聞登場

No.2661

山本さん、おめでとうございます!

ガンダムにも負けないメディア展開ですね。
阪神版は手にこっちでは入らなさそうなんですが、ゼミ例会では見ることが出来るんでしょうか?

やっぱり新聞に載るというのは大きな事ですね。

新聞記事です。

鈴木 潤
No.2664

http://www.kisweb.ne.jp/personal/john/sion/yamamoto.jpg

山本さんご本人もまだ見られていないという事ですが。
今日の研究会で、Getした岩田さんが持ってきてくれました☆

暫定的にアップです

日本史研究会大会 終了

No.2649

日本史研究会2004年度大会が終わりました。ただ、これまでよりも一ヶ月早まったために、小生の大学の院入試と重なってしまい、日曜日は懇親会しか出席できず。
恐ろしいことに、本年度の日本史研究会研究委員を務めることになってしまいました。もっと若い人がやるべきなのですが、「委員に考古学の研究者を入れることになった」との研究委員長のご託宣。「それは結構ですね」と返事をすると、間髪いれずに「あなたがやってください」とのご命令。まさしく、運の尽きでした。さてさて、これからどうなることやら。

懇親会で、にこにこと微笑みながら近づいてこられた研究者あり。「私も山田です」とおっしゃるので誰かといぶかしがると、これがなんと東大史料編纂所の山田邦明先生。野口先生はいつも、「後世の歴史家は山田邦明と山田邦和を兄弟だと判定するだろう」と言ってられましたね。お会いできてとても光栄。意気投合しました。

とにかく、土曜日・日曜日と飲み続けでした。土曜日は古代史部会の懇親会、日曜日は全体懇親会。それが終わった後、高橋昌明先生と連れだって、『増補改訂 清盛以前』の出版元である文理閣の黒川代表の家に押しかけました。高橋先生(今年度の日本史研究会代表委員に就任)はさすがに嬉しかったのか、とってもハイ。飲み会はまったくもうむちゃくちゃ。でもとっても良かったです。

野口先生:「福原」の原稿、いま必死の最中です。画期的な新発見あり(ウソ)。なんとか締め切りに間に合うといいのですが・・・

山田一族の野望。

No.2651

 山田先生、研究委員御就任、おめでとうございます。しかし、それでなくても、御多忙なのですから、御無理なきように、お願いいたします。ただし、福原の原稿だけは、何としてもよろしく。小生も、このところ動けば動くほど仕事の増える有様で、この掲示板を格好の逃避場所にさせていただいております。
 ついに東大の山田邦明先生との邂逅が実現されたとのこと、歴史的瞬間に立ち会えず残念でした。いずれ、共著で本を出されることを期待しています。ちなみに、後世の歴史家は、山田邦和先生・山田邦明先生を考古学・文献史学を専門とする兄弟と見なすのみにあらず、姉にタレントの山田邦子さんがいたと推測することも忘れないでありましょう。