Re: 「権門都市」宇治.
美川圭
No.2671
野口先生。やはり出てきますね。宇治はこれからの中世都市研究、権門研究の一大中心になるという予感があるのですが、ますますおもしろそうです。そんなつもりで、私は拙著『白河法皇』の最後のところで、宇治の問題にちょっとだけ、触れたわけですが、うれしいです。
ただ、明日は、私事で現地説明会に行けそうもありません。近いうちにぜひ現地を見に行きたいと思います。あわせて、現地周辺も歩く時間をとりたいと思います。
それから拙稿「崇徳院生誕問題の歴史的背景」ご紹介いただき、光栄です。というよりも、掲載にあたっては野口先生のお世話になりました。野口先生の適切なアドバイスによって、歴史論文らしくなりました。ありがとうございました。
結論には全く自信がないのですが、むしろ一仮説の提示ですので、どんどん反論がでたほうが、おもしろいと思っています。『古事談』成立論の立場から、国文学の研究者からも反論が出るといいな、と。
「権門都市・宇治」共同研究の提案。.
No.2672
美川先生、いよいよ宇治が面白くなりそうですね。先年、庭園遺構の出た矢落遺跡や白河金色院遺跡は四条宮寛子(頼通の娘)関連ですが、このたびは「大殿」忠実が造営した「西殿」で、条坊状の街路もこれまでの発掘成果と一致するようです。しかし、今回の発掘調査はマンション建設が前提ですから、その辺り、いたたまれない気持ちも致しますが、せっかくの考古学の成果を眼前にして、文献史学のわれわれが黙視していては申し訳ないと思います。
そこで提案ですが、「権門都市」主唱者の美川先生、人物叢書『藤原忠実』の著者である元木先生、さらに文献史学にも精通する都市考古学の第一人者たる山田先生、そして宇治在住の郷土史家・野口某を加えて、「権門都市・宇治」の共同研究というのは如何でしょうか。何をどうしようと言うわけでもありませんが、二年後くらいに『古代文化』で特輯号を組めればと思っています。如何でしょうか?
『古代文化』の御高論は、政治における情報戦略という観点からも実に興味深いものがあります。御投稿に、あらためて、お礼を申しあげる次第です。国文学ジャンルからの御意見、たしかに楽しみです。思想史の立場からの御意見も、長村君あたりからうかがいたいものですね。
現地説明会は、小生もなんとか時間をやりくりして出かけたいと思っています。明日お出かけの方は、よろしければご連絡下さい。
なお、いずれ美川先生にお願いして、当ゼミで「美川先生と宇治を歩く会」など企画したいものです。
Re: 「権門都市」宇治
No.2675
宇治の現地説明会、残念ながら、行けそうもありません。
行かれた方は、ご報告をお願いします。
近々、時間をみつけて個人的に、現場に行ってこようと思うので、いつまで現場が見られるかとか、連絡先など(宇治市史料館でいいのか?)など、わかりましたら、お教え下さい。
宇治は、『源氏物語』とか、「頼通の平等院」にとどまる場所ではありません。院政期の宇治こそ最盛期であることは、間違いないのではないでしょうか。その割に、注目されてきませんでした。まったく自信がないのですが、宇治を舞台に少しまとまった仕事ができたらいいなあ、と思っています。
宇治には『平家物語』ミュージアムも欲しい。
No.2678
そうです、そうです。そのうえさらに、宇治は源平合戦、承久の乱の古戦場です。東国武士の暴れまくった場であります。ひょっとすると、1000年ほど関東を本拠地にしていた小生の先祖達の一人や二人、それらの合戦でケガの一つも負っているかも知れません。ですから、小生には『源氏物語』より『平家物語』『承久記』がピンと来るのです。そこで、宇治市への(多額)納税者として「『平家物語』ミュージアム」の設置を提案したいと思います。
>美川先生 昨日(15日)の『古代文化』編集委員会の席上で、この発掘調査の話が出たのですが、そのさい、古代学研究所の堀内先生は、この現場の担当は宇治市歴史資料館の浜中さんという方だと仰っておられました。