国宝・古文書・播磨
No.2383
流行にのって三語連ねてみました。
というわけで、8月20・21の見学会旅行についてご報告いたします。
8月20日は、元木先生をはじめ、関東から参加される三名・和歌をご専門とされる先生・この掲示板では有名なカリスマ編集者・龍谷・立命(どっちもR大学ですね。後述参照)・関学・京都府立・京大の講師院生(名前明かしていいのかな?)という18名が10時に西明石駅前のコンビ二に集合し、その後小型バスをチャーターして
→太山寺(本堂が国宝)
→三木城跡
→浄土寺(浄土堂・木造阿弥陀三尊立像が国宝)
→朝光寺(本堂が国宝)
→三草山合戦跡
→清水寺
→一乗寺(三重塔が国宝)
の順で見学しました。ここには国宝指定のみを書きましたが、勿論他にも見ごたえのある建造物や仏像は数多くあります。
いずれも素晴らしい!!の一言でした。
後白河天皇らの行幸があったとされる太山寺の、奥の院は小川を渡ったところにある二つの小さなお堂です。そこから見える心落ち着く風景は待ち合わせ時間を忘れるほどのものでした。
昼からは晴天に恵まれたことも見学会をより良いものとした要因かと思います。
浄土寺の堂内に差し込む光が阿弥陀像(の後光に見える)を荘厳し、朝光寺では堂内やその周囲の空間を日の光がやわらかく包み込んでいました。
清水寺は山岳寺院と呼ぶに相応しく、境内からの眺望は絶景です。いずれも、一度行かれてご自分の目で確認される事をお勧めいたします。最高です。
浄土寺は東大寺領大部荘経営の拠点だったところで、地域支配に必要な威厳を備えた宗教施設であることが実感できました。
朝光寺は周りが木に囲まれている事もあり、古寺の魅力に溢れていました。
清水寺にあった祇園女御の建立と伝える大塔跡(現在は敷石のみ)は、来年の大河ドラマで再建なるか興味しんしんです。また、駐車場東にあるとされる赤松「切腹石」。墓石・石碑はありましたが「石」はいずこ??謎は残ります。
三木城跡は土塁や堀などが残り、天守跡から周囲を見渡すと軍事拠点としての意味が少し分かったような気になりました。弓・鉄砲の狭間(復元?)もあり、R大学の先輩・同回生の方々と、かつて熱中した「信長の野望」を思い出していました。『武将風雲録』では「機動力」が重要です(先生方・京女の皆様にわかるかな・・・すいません)また、別所長治公銅像というものが建てられており、そこには史実に基づくものではない旨が注意書としてかかれてありました。教育的配慮でしょうか(笑)天守跡には長治辞世の歌碑もあり、同行の三木周辺ご出身の先輩によると、小学校時代に覚えたそうです。地域的英雄の何たるかについて色々と考えさせられました。
三草山はゆっくり登っている時間がなくバスから降りてほんの少し歩いただけでしたが、「山」ということがよく分かりました。
そして一乗寺では夕焼けのなか三重の塔を観て、小さな山の中を歩きました。最後に記念撮影。原観光のバスの運転手さん、お疲れ様です。ありがとうございました。
夜はホテルでディナーバイキング。ステーキフェアという魅力的なフレーズつきでした(このHPを欠かさずチェックしているというR大学の貴方、僕がステーキとプリンをどれだけ食べたかは内緒ですよ・笑)
その後15階のラウンジで二次会。夜景を見ながらの語らいは楽しさのあまりあっという間に時間が過ぎ、店を後にする時も僕はライトアップされた姫路城を観ていました。
21日は、パンを買ったコンビニの前でお会いした某先輩とバス停に座って朝食の間、鳩に囲まれるという経験をしました。襲われたのは先輩ではなく私でした。格の違いでしょうか。
午前中は加古川の鶴林寺に行きました。突然にもかかわらずお寺のご好意で(本来なら要予約の)、あるお堂(国宝)を拝観させて頂きました。宝物館には、白鳳期の聖観音立像が飾られていました。別名「アイタタ観音」といい、度々の受難を経験されたそうです。R大学の某先輩が持って帰りたいと言うくらい大変美しい仏様です。
その後、元木先生は学会準備のため先に博物館に向かわれ、他の参加者は広峰神社と姫路城に分かれて見学しました。
私は姫路城に登り、天守からさわやかな風をうけて城下を見渡しました。その時の某先輩の目の輝きは、さながら「信長の野望」を始めた頃の子供の如しでした(「野望」ネタ、少々くどい・・・)
そしてお菊井戸を観て、修士論文・レポートで「一枚足りない」なんてことになったらどうしよう・・・などと談笑しながら兵庫県立歴史博物館に着きました。
広峰神社に行かれたゼミ関係者がもしいらっしゃれば、書き込んでくださると嬉しいのですが、どなたが書き込まれても本HPの趣旨やゼミ員の学問と無関係ではないですし、削除される事は無いと思います。というわけでこれをご覧になった方はよろしくお願いします。
博物館に何をしに言ったかというと、古文書学会の見学会です。学芸員の前田先生の解説を頂き、中世瀬戸内の流通と交流について興味深く見学した後、館蔵の古文書を見せていただきました。実物をガラスケースなしに見る機会はそう多くないので、貴重な経験でした。
帰りの電車で電気系統のトラブルとかなんとかで尼崎に二十数分間留め置かれた以外はさしたるトラブルも無く家に帰り着きました。
二日間という短い時間でしたが、これまでお目にかかったことの無い方にも親しくお話をさせていただいたこともあり、見学先についてもここには書き尽くせないくらい充実した見学会でした。
最後になりましたが、今回の素晴らしい見学会のルート設定やバス会社との交渉など様々にお手を煩わせご指導頂いた元木先生にお礼を申し上げねばなりません。
そして道中拙い幹事である私を手伝ってくださり、ご配慮頂いた皆様にも感謝申し上げます。
どうもありがとうございました。
というわけで、8月20・21の見学会旅行についてご報告いたします。
8月20日は、元木先生をはじめ、関東から参加される三名・和歌をご専門とされる先生・この掲示板では有名なカリスマ編集者・龍谷・立命(どっちもR大学ですね。後述参照)・関学・京都府立・京大の講師院生(名前明かしていいのかな?)という18名が10時に西明石駅前のコンビ二に集合し、その後小型バスをチャーターして
→太山寺(本堂が国宝)
→三木城跡
→浄土寺(浄土堂・木造阿弥陀三尊立像が国宝)
→朝光寺(本堂が国宝)
→三草山合戦跡
→清水寺
→一乗寺(三重塔が国宝)
の順で見学しました。ここには国宝指定のみを書きましたが、勿論他にも見ごたえのある建造物や仏像は数多くあります。
いずれも素晴らしい!!の一言でした。
後白河天皇らの行幸があったとされる太山寺の、奥の院は小川を渡ったところにある二つの小さなお堂です。そこから見える心落ち着く風景は待ち合わせ時間を忘れるほどのものでした。
昼からは晴天に恵まれたことも見学会をより良いものとした要因かと思います。
浄土寺の堂内に差し込む光が阿弥陀像(の後光に見える)を荘厳し、朝光寺では堂内やその周囲の空間を日の光がやわらかく包み込んでいました。
清水寺は山岳寺院と呼ぶに相応しく、境内からの眺望は絶景です。いずれも、一度行かれてご自分の目で確認される事をお勧めいたします。最高です。
浄土寺は東大寺領大部荘経営の拠点だったところで、地域支配に必要な威厳を備えた宗教施設であることが実感できました。
朝光寺は周りが木に囲まれている事もあり、古寺の魅力に溢れていました。
清水寺にあった祇園女御の建立と伝える大塔跡(現在は敷石のみ)は、来年の大河ドラマで再建なるか興味しんしんです。また、駐車場東にあるとされる赤松「切腹石」。墓石・石碑はありましたが「石」はいずこ??謎は残ります。
三木城跡は土塁や堀などが残り、天守跡から周囲を見渡すと軍事拠点としての意味が少し分かったような気になりました。弓・鉄砲の狭間(復元?)もあり、R大学の先輩・同回生の方々と、かつて熱中した「信長の野望」を思い出していました。『武将風雲録』では「機動力」が重要です(先生方・京女の皆様にわかるかな・・・すいません)また、別所長治公銅像というものが建てられており、そこには史実に基づくものではない旨が注意書としてかかれてありました。教育的配慮でしょうか(笑)天守跡には長治辞世の歌碑もあり、同行の三木周辺ご出身の先輩によると、小学校時代に覚えたそうです。地域的英雄の何たるかについて色々と考えさせられました。
三草山はゆっくり登っている時間がなくバスから降りてほんの少し歩いただけでしたが、「山」ということがよく分かりました。
そして一乗寺では夕焼けのなか三重の塔を観て、小さな山の中を歩きました。最後に記念撮影。原観光のバスの運転手さん、お疲れ様です。ありがとうございました。
夜はホテルでディナーバイキング。ステーキフェアという魅力的なフレーズつきでした(このHPを欠かさずチェックしているというR大学の貴方、僕がステーキとプリンをどれだけ食べたかは内緒ですよ・笑)
その後15階のラウンジで二次会。夜景を見ながらの語らいは楽しさのあまりあっという間に時間が過ぎ、店を後にする時も僕はライトアップされた姫路城を観ていました。
21日は、パンを買ったコンビニの前でお会いした某先輩とバス停に座って朝食の間、鳩に囲まれるという経験をしました。襲われたのは先輩ではなく私でした。格の違いでしょうか。
午前中は加古川の鶴林寺に行きました。突然にもかかわらずお寺のご好意で(本来なら要予約の)、あるお堂(国宝)を拝観させて頂きました。宝物館には、白鳳期の聖観音立像が飾られていました。別名「アイタタ観音」といい、度々の受難を経験されたそうです。R大学の某先輩が持って帰りたいと言うくらい大変美しい仏様です。
その後、元木先生は学会準備のため先に博物館に向かわれ、他の参加者は広峰神社と姫路城に分かれて見学しました。
私は姫路城に登り、天守からさわやかな風をうけて城下を見渡しました。その時の某先輩の目の輝きは、さながら「信長の野望」を始めた頃の子供の如しでした(「野望」ネタ、少々くどい・・・)
そしてお菊井戸を観て、修士論文・レポートで「一枚足りない」なんてことになったらどうしよう・・・などと談笑しながら兵庫県立歴史博物館に着きました。
広峰神社に行かれたゼミ関係者がもしいらっしゃれば、書き込んでくださると嬉しいのですが、どなたが書き込まれても本HPの趣旨やゼミ員の学問と無関係ではないですし、削除される事は無いと思います。というわけでこれをご覧になった方はよろしくお願いします。
博物館に何をしに言ったかというと、古文書学会の見学会です。学芸員の前田先生の解説を頂き、中世瀬戸内の流通と交流について興味深く見学した後、館蔵の古文書を見せていただきました。実物をガラスケースなしに見る機会はそう多くないので、貴重な経験でした。
帰りの電車で電気系統のトラブルとかなんとかで尼崎に二十数分間留め置かれた以外はさしたるトラブルも無く家に帰り着きました。
二日間という短い時間でしたが、これまでお目にかかったことの無い方にも親しくお話をさせていただいたこともあり、見学先についてもここには書き尽くせないくらい充実した見学会でした。
最後になりましたが、今回の素晴らしい見学会のルート設定やバス会社との交渉など様々にお手を煩わせご指導頂いた元木先生にお礼を申し上げねばなりません。
そして道中拙い幹事である私を手伝ってくださり、ご配慮頂いた皆様にも感謝申し上げます。
どうもありがとうございました。