「軍記・語り物研究会」行ってきました。

No.2307

 拙論が俎上にあげられるというので、覚悟を決めて法政大学に行って来ました。
 到着する前に一大珍事発生。飯田橋に向かう総武線で名古屋学院大学の早川厚一先生と同じ電車の同じ車両に乗り合わせました。実は先々月の当研究所公開講座のさい、京都に向かう新幹線に名古屋から乗車された早川先生が隣を見ると兵藤裕己先生が座っておられたという、実に確率論の問題に取り上げられそうな事件があったのですが、今回も同様。早川先生はなにやら一種の呪的能力をお持ちなのかも知れません。
 それはともかく、例会では源健一郎先生をはじめとする三人の先生方の御報告からおおいに学ばせていただきました。と、同時に、小生は首級をあげられる覚悟からの居直りで、いよいよ傍若無人の発言を繰り返してしまったようです。こうした「後悔」が予想されるので、いつも研究会での発言はひかえることにしているのですが。いよいよ遠慮を忘れた老害をまき散らす年齢に到達したようです。ようするに、耄碌して他者への配慮をできるほどの体力的余裕を失ったということでしょうか。諸先生方ならびに参会の方々のご寛恕を願うところです。
 会が終了すると、懇親会に出席する田中さんに小生への苦言の聞き取りと謝罪代行をお願いして、一目散に会場から逃亡をはかり、現在に至っております。
 それにしても、会にお出での多くの方々が、当ゼミの旅行の行先をご存じなのには驚きました。この掲示板、国文学研究者にも、かなりの「視聴者」がおられるようです。
 ゼミ旅行、つぎの台風が心配ですね。それにしても、メンバーは着々と事前勉強を進めているようで感心感心。
 そこで、手に入りやすい必読文献を一つ。
 井上聡「御家人と荘園公領制」(五味文彦編『日本の時代史8 京・鎌倉の王権』吉川弘文館、2003)
 千葉氏の所領経営について、わかりやすく論じられています。
 それではもの足りないという人には、
 湯浅治久「鎌倉中期における千葉氏の経済構造に関する一考察-「日蓮遺文紙背文書」の借上を中心に-」(『千葉県史研究』11別冊中世特集号)
を勧めます。
 話を軍記・語り物研究会に戻しますが、本当に国文学と歴史学の研究者の交流の必要性をつくづく感じたというのが、本日最大の感想です。良貨が悪貨を駆逐するためにも(意味深です)。
 それにしても、久しぶりの法政大学。白ヘルの某セクトの学生の姿はなく、したがってアジ演説の声もなく、さらに立看もない。ピカピカの立派なボアソナード・タワーが聳え立ち、あのビラだらけだった58年館も綺麗に改装されている。
 いよいよ小生も歴史を語りうる古老になったことを実感させられました。

Re: 「軍記・語り物研究会」行ってきました。

No.2308

 先年の機関誌会館で行われた日本史研究会で、日頃からの願いが叶い元木泰雄先生にお会いできた頃から、妙な呪的能力が私の身についたようです。しかし、それらの一連の出会いでは、一方的な片思いに終始していますが。さて、次はどなたにお会いできるのでしょうか。闘諍録研究が、かほどに盛り上がろうとは思いもしませんでした。これも、当日の源健一郎さんのご尽力によるところが大きいのでしょうが、ひいては、近年の福田豊彦先生や野口実先生等、歴史の側の方々の活発な闘諍録論によるところが大きいと思います。それにしても、昨日の研究会に出て、改めて気付かされることには、1175年に出された福田先生の御論の桎梏から、国文学研究はまだまだ抜け出せていないなあということです。闘諍録の成立に千葉氏嫡流の人々の手が入っていることは確かだと私も思うのですが、でもそれだけではどうしても考えがたい側面があることも確かだと思うのです。しかし、昨日の研究会では、源さんも、徳竹さんも、本当にかなり強引な方法で、千葉嫡流に結び付ける形で論を展開されました。全く否定するつもりはありませんが、そして相応の可能性も感じられましたが、だからこそ逆にそうした桎梏から抜け出した論が、今後の闘諍録研究の進展のためにも是非必要という感を強くしました。ところで、野口先生に御願いなのですが、当日お教え頂いた、必読文献を正確に、この掲示板上で、皆様にお教えいただけないでしょうか。できれば、刊行年月日を含めて。外山・伊藤先生の論文、それに千学集抄の論等、当日お教え頂いたものを是非お教え下さい。私自身不正確なメモしかありませんので。この掲示板を、私自身は、論文収集のツールとしても有効に使わせて頂いてます。

Re: 「軍記・語り物研究会」行ってきました。

磯川いづみ
No.2309

初めて書き込み致します。昨日はありがとうございました。
帰り際にご挨拶しそびれてしまい、すみません。

今回参加しての感想を少し。
研究史の共有は難しいですね。もっとお互いに持ち寄れる場があると良いと思いました。
「草深き東国」、「すべての情報は京都に集約される」という軍記研究者のイメージ(固定観念かも)が根強いことにも驚かされました。
結局は「国文学と歴史学の研究者の交流」不足に起因しているのでしょう。「良貨が悪貨を駆逐するためにも」は私も大いに同感です。
「老害をまき散らす」なんて謙遜されていますが、私には孤軍奮闘という言葉の方がお似合いだったかなと思いました。

この掲示板は本名で投稿となっていますが、旧姓を使用させてください。

『源平闘諍録』研究のための必読文献!

No.2310

 早川先生からの御依頼にお応え致します。
 『源平闘諍録』を研究される方にまず、ぜひよ~く認識しておいていただきたいのは千葉氏に関する研究状況です。
 野口実「千葉氏研究の成果と課題」
に、最近の「地域顕彰史観」への逆行の問題についても、かなり婉曲的ではありますが論及しております。また、鎌倉期までの千葉氏に関する研究文献(1999年まで)として、
 平野明夫編「千葉氏関係文献目録」
があります。以上は、野口実編『千葉氏の研究』(名著出版、2000)に、昨日取り上げられた佐々木紀一氏・津田徹英氏などの論文とともに収録されています。
 
 12~13C前半における千葉氏・上総氏や三浦氏をはじめとする東国武士団については、
 拙著『坂東武士団の成立と発展』(弘生書林、1982)
 同 『中世東国武士団の研究』(高科書店、1994)
所収論文があります。後者には、平家諸本を含めて諸史料から房総半島上陸後の頼朝の動きを検討した
 「源頼朝の房総半島経略過程について」(初出1985)
をおさめています。これに関連して、
 今野慶信「東国武士団と源氏臣従譚」(『駒沢大学史学論集』第26号、1996)
も紹介させていただきましょう。  

 『平家物語』研究の立場から東国武士団について論及された論文は国文学のジャンルで多く出されていますが、そのさい、史実の確定に、当時あるいは当該地域における政治・社会状況をほとんど踏まえずに論じられているケースを、まま見受けます。さらに、歴史学ジャンルの研究成果を使用しているにもかかわらず、あたかもご本人がオリジナルな研究を発表されたかのような形で論文を出されたように判断されるものもあります。こういう論文やおかしな(悪しき意味の)郷土史的発想で書かれた<トンデモ本・論文>が研究史の中にまっとうな研究成果として位置づけられてしまいそうな「現状」は問題だと思います。こうした点も、国文学と歴史学の緊密な交流がのぞまれる所以だと思います。
 
 昨日御紹介した論文について続けたいと思います。
 伊藤邦彦氏「上総権介広常について」(『史潮』新9・10号、1981)
 外山信司氏「「原文書」における森山城」(『千葉城郭研究』第2号、1992)
 外山さん(千葉県立佐倉高校教諭)は、青山学院大学日本文学科の御出身で、千葉県史の編纂にも従事されていた方です。直接御教示を仰げば、『千学集抜粋』などについて、有益な情報を御教示いただけると思います。
 
 また、上総広常と平泉藤原氏の関係については、
 長村祥知氏「法住寺合戦について」(『紫苑』第2号、2004)
の注13をご覧下さい(このHPから読むことが出来ます)。広常については、
 拙稿「『玉藻前』と上総介・三浦介」(伏見稲荷大社『朱』第44号、2001)
もあります。

 『源平闘諍録』の成立については、「結城浜合戦」に見られるような妙見の神威譚は当然千葉氏嫡家関係者の手になるものだと思いますが、これに接合した<平家物語>がどこで成立したかということは別問題でしょう。ただし昨日申し上げましたように、すくなくとも13世紀半ばには、千葉氏の守護所をとりまく空間には、都の文化を正当に享受しうる状況が成立していたこと、千葉氏が列島規模の人と物のネットワークを掌握していたことは、押さえておく必要があるでしょう。
 なお、昨日の研究会で取り上げていただいた拙論の中に、肝心要の『軍記と語り物』38所収の「坂東平氏と『平家物語』」が無かったのが腑に落ちませんでした。

 >磯川さん  励ましのお言葉、ありがとうございました。
 「逃亡者」に御挨拶は無用です。千葉氏の研究状況について、よ~くご存じの歴史学の研究者がおられて心強い限りでした。
 御名前の件は、御論文も旧姓でお出しになられているのですから、一向に問題ありません。 

横から御礼

佐伯真一
No.2311

 野口先生、有り難うございました(と横から御礼を言うのも妙ですが)、早川さんのリクエストのおかげで、参考文献一覧、しっかりコピー&ペーストさせて頂きました。昨日も、「孤軍奮闘」かどうかはともかく、野口先生の精力的なご発言に、一同感じ入りつつビールを飲んでいた次第です。
 交流の必要性は、一つはこうした情報交換です。この点、よく言われるように、「文学の研究者は歴史の論文を読むが、歴史の研究者は文学分野の論文を読まない(もちろん例外は多くあり)」という傾向が強いとは思いますが、闘諍録のように地方史関係が必要になってくると、文学分野の人間には、どうしても野口先生のような方のガイドが必要になります(そうでないと、偶然見つけたものに頼るような事になりがちです)。
 交流のもう一つの必要性は、発想の違いの相互理解ですよね。文学研究の側は、概して作品全体を理解しようとする傾向が強い(作品の一部にのみ注目するのは「つまみ食い」として嫌われる)ので、「千葉の問題だけでは片づかない」という方向に話を持っていこうとする傾向も強くなります(必ずしも「京都」ですべてを論じようとしているわけではないと思います)。「千葉氏嫡流」の議論が「桎梏」に感じられるのは、そういう事情があると思うのですが、闘諍録研究の場合は、そうした文学研究らしい方向からのアプローチが絶えて久しいわけで、そろそろ早川さんあたりに、「桎梏」を打破する役割が期待されていると思うのですが…。

先にお礼を言われてしまいました

No.2312

 野口先生、佐伯さん、ありがとう。それに、佐伯さんには、私の思いを実に丁寧に説明していただいて感謝します。
 千葉氏にのみは、必ずしも収斂しない闘諍録をどのように読み解いたら良いのかというのが、これまでの私の闘諍録論のテーマであり(こうした課題設定は、実は私の初めの師匠であります渥美かをる先生が言われたものであることに今更ながら気付かされます)、そうした私の課題が、軍記物語研究者には必ずしも共有されていないという現実が、当日の研究会でも確認されたわけです。そうした欲求不満が、当日の研究発表会に感じられたことは確かです。
 こういうやりとりを目にして、闘諍録に興味を持っていただける方が増えたならば幸いです。ただ、とっかかりとして講談社版の闘諍録から始めるのは構いませんが、常に真字本にも目を通していただけることを望みます。同様なことは、四部本にも言えるのですが。えらそうなことを言ってすみません。

千葉介のお家再興!

No.2313

 佐伯先生、恐縮に存じます。歴史学の方は、中世前期における有力御家人一族の結合形態、嫡宗権の継承とそのイデオロギー的背景がどこにあるのか、というようなことを課題にしているので、文学研究者とは志向するところが当然異なる。高校生を例えにとると、国語は好きだが社会は嫌いみたいな人がもし国文学研究をやっておられるとすると、なかなか歴史学との交流の成果は生かしにくいのではないかと思っています(無論、逆の場合-国語が苦手だった歴史学者の存在-も想定されますが。実際、一昨日の研究会でも一部で大きな「溝」の存在を実感しました)。
 しかし、佐伯先生をはじめとして、歴史学者顔負けの(高校時代に社会科でも優等生だったであろうと思われる)国文学の研究者と、最近面識を得る機会が多く、両ジャンル間の交流については前途は明るいと思っています。
 ちなみに、中世以前の地域史研究において、旧来の「悪しき郷土史」の影響を脱して科学的な手法を展開しているのは、中世考古学を研究されている方に多いので、その方面の成果にも是非目を向けていただきたいと思います。近年、日本中世史は考古学が研究の進展において車の両輪の一方をになっておりますから。
 
 10月2日に千葉で千葉氏のシンポがあるそうですが、小生の子どものころから、地元ではタイトルのような風潮が「郷土史家」の間に根強く、いわば地域が未だに中世の千葉氏のイデオロギーに呪縛されているようなところがあります(19世紀に至っても、下総千葉介<1590滅亡>の子孫と称する人物が、旧領を視察して回り、千葉氏家臣の子孫がそれを歓待していたことを示す史料があります)。それを指摘すると「郷土愛」に欠けるなどと非難されたり致します。
 どこの地方にも、こういう状況は存在しますが、千葉はこういう発想と行政が一体になっているところが特徴で、それは博物館の展示などにも反映しています。
 こうしたことは、佐伯先生が『戦場の精神史』でお書きになられた日本人の武士認識の問題とも絡んでいるのではないかと思います。シンポに出席される佐伯先生には、その場の雰囲気を踏まえられて、後日、是非このあたりのことをご検討くださるようにお願い申し上げます。

やぶへびだったか

佐伯真一
No.2315

 野口先生、有り難うございました。千葉の話はしまっておいたまま、御礼を申し上げようと思ったのですが、やぶへびでした。
 『吾妻鏡』に出てくるような苗字が、そのまま選挙の候補者だったり、地元の有力者だったりする風土については、かねて存じております。また、全国から「千葉氏の子孫」の方々が集まる不思議な空間について、また、それと絶妙の呼吸でつきあっていらっしゃる歴史学の先生方については、既に一度経験して、多少の事はわかっているつもりですが、もう少し知見を深めて参りたいと存じます。

Re: 「軍記・語り物研究会」行ってきました。

源 健一郎
No.2322

 野口先生、田中裕紀さん、先日はわざわざお足をお運びいただき、ありがとうございました。実は、先日の例会の後、そのまま那智勝浦行きの夜行バスに乗り、妻の実家で温泉三昧の三日間を過ごしておりました。すっかり御礼を申し上げることが遅くなり、大変失礼いたしました。
 特に、野口先生のご発言については本当にありがたい限りで、それなしには、またぞろ文学側の自己満足的な場になってしまったことでしょう。佐伯先生の仰るように、発想や依るべき立場の違いはあるものの、文学・歴史学・仏教学等のボーダレスな交流は今後ますます必要となるはずです。闘諍録を今回取り上げたのも、そうした問題認識によるものでしたので、野口先生からお言葉を引っ張り出せた(!?)ことは、各発表者の発表内容の如何を問わず、当企画にとってはひとつの成功事でありました。
 また、私自身の報告については、蓋然性を積み重ねた上での立論で、お聞き苦しかったことと存じます。面目ありません。無責任なようですが、私自身は、今回の関東天台からのアプローチによって、千葉嫡家、庶家、あるいは板東平氏諸流、のいずれに結びついていってもよい、というつもりでした。で、たまたまつなげていった先には14世紀初頭の千葉嫡家があったということだったのですが、早川先生の仰るように、知らず知らず福田論文の「桎梏」にとらわれていた面もあったかもしれません。もう少し考えてみたいと思います。なお、早川先生の闘諍録論、できればおまとめいただければ、とつくづく思います。今回も多大なご学恩に預かりました。ありがとうございました。
 それから、佐伯先生の千葉氏シンポ、私も楽しみです。またお話が伺えれば、と思います。ただし、今回の私の研究史報告については、できるだけ「和らげて」お使い下さいますように!?
 最後になりましたが、今回の私の報告は野口先生からたくさんの資料を拝借することでなりたったものです。改めて御礼申し上げます。また、早速のお気遣いにも重ねて感謝申し上げます。千葉氏について勉強したおかげで、小城についても大変興味があるのですが、今年はさすがに「邂逅」とはいかないようです。実りのあるゼミ旅行となることを祈念しています。みなさん、お気を付けて。

源先生、お疲れさまでした

No.2328

 源先生、おかえりなさいませ。そして、先日の研究会でのご報告お疲れさまでした。源先生のご発表、私自身まだまだ勉強不足で理解するのに時間のかかることもありましたが(これはいつもそうなのです)、とても興味深くお伺い致しました。『源平闘諍録』については、野口先生から千葉氏の話をお伺いするにつけ、勉強してみたいとはおもっているのですが、当分は3月に研究発表させていただいた建礼門院関連の勉強になりそうです。法政で先生もおっしゃっていましたが、『源平闘諍録』に建礼門院が登場しないのが残念です(笑)
 また、懇親会の後で夜行バスに乗って那智に向かわれることを伺い、そしてお嬢様のかわいらしい写真をお持ちなのを拝見し、深い愛を感じました☆野口ゼミの男性方にも学んでいただかなければ!と思った次第です。

 実は、東京から帰ってくると、すでに話は盛り上がっており、すっかりスレッドに入り損なっていました。
>磯川さん 
 先日は初めてお目にかかり、もう少しお話ししてみたかったと自分の勉強不足を悔やみました。またお会いするときには、もっとお話できるように頑張りたいと思います。また、磯川さんの書き込みによって、これでまた勇気を出して他の研究者の方々も書き込んでくださると信じております。よろしくお願い致します。(本当に、今度の小城旅行は皆さんがご存じだったのです!)

>佐伯先生
 研究会が勉強になったことは勿論ですが、懇親会で先生とお話をして、今後勉強していくのに大きな推進力が付いたような気がしました。これから自分なりの方法で、現在の環境を生かしながらコツコツと頑張っていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。

福井県の水害被害について

No.2300

 先日の日曜日に史料ネットのメンバーの方と一緒に、今回水害に遭った福井県に行きました(帰省しました)。福井県は、過去の自然災害では、地震や豪雪はありましたが、今回のような水害は初めてでした。先日の集中豪雨で福井市の中心部を流れる足羽川の堤防が決壊して、報道で知られているような床下浸水などの被害になりました。自分の実家は大丈夫で、実際に現地に行った時には、福井市内の被害に遭った地域は、かなり復旧が進んでいました。しかし、報道ではあまり取り上げられなかった地域の方が、むしろ多く、自分が一番驚いたのは、戦国城下町の遺跡として有名な一乗谷遺跡とその周辺地域がかなり被害が大きいことでした。特に今回の豪雨で埋文センターの施設に水が入り込み、考古遺物・発掘報告書や職員の資料が水浸しになってしまいました。ただ埋文センター付属の資料館では、特別展を準備中でしたが、幸い展示資料は二階に保管していて無事だったことが不幸中の幸いでした。しかし企画展はもちろん、一乗谷遺跡自体もしばらくは閉鎖するそうです(ちなみに資料館の専用車は水に流されて今だに行方不明だそうです)。また今回の水害では、住民の方が保管されている史料(特に近世史料)の保存の問題なども重要な課題でした。特に夏である今の時期はカビの問題などや、また住民の方自体が史料そのものを廃棄してしまうなど解決すべき問題は多いです。そのような現状を目の当りにして、歴史学と現代社会の問題など自分なりに考えさせられました。自分に何ができるかわかりませんが、頑張りたいと思います。

がんばれ!山本くん!

No.2316

 昨日届いた歴史資料ネットワークのメールニュースによりますと、福井水害にたいする史料ネットの活動に参加している当ゼミ長老(いささか頼りない「あにき」)山本陽一郎君は、8月1日、福井県立歴史博物館・文書館・図書館の方たちとともに、第一回現地調査に臨まれたとのことです。
 NO.2301にも書きましたが、山本君の活躍を祈ります。ゼミメンバーがこうした活動に積極的に参加していることは、実にうれしいことです。メンバーあげて山本君にエールを送りましょう。

すごいよ!山本さん

岩田慎平
No.2317

 昨日の吾妻鏡の講読は、(中身はすかすかでしたが)無事に終えました。また九月以降に再び集まりましょう。

 山本さんたちの活動が、福井県の、ひいては日本の歴史学を擁護してくださると信じております。また後日お会いしたときにお話をお聞かせください。
 ご健闘を。

頑張れ!山本さん

山岡  瞳
No.2319

 水害の被害は深刻なようですね。テレビでその様子を見ました。レポートなど何かと忙しい時期ですが、今回の活動を通していろんなことを得ることができると思います。暑い日が続きますが頑張ってください。
 少しでもはやく復旧できることをお祈りしています。
 もちろん、山本さんの活躍も。

 >岩田さん
 中身はすかすかではありませんでした!!むしろ、密度が高いものでした。忙しい中あれだけのレジュメを作ることができた岩田さんはすごい!です。これからも良き師範代で、勉強不足ゆえの知識不足を補ってください。頑張って吸収します。

 後期にはまた時間割も変わりますので、いつ吾妻鏡の講読をするのか話し合いましょう。

Re: 福井県の水害被害について

No.2333

一昨日の五日の夜になんとか戻って来ました。先日の『吾妻鏡』講読会では、連絡ミスなど当方の不手際で野口先生や岩田さんをはじめ、みなさまにご迷惑をお掛けしました。上記↑の先生がご指摘するように「頼りにならない」自分から早く脱皮したいです。
 ところで、福井県での水害ボランティアは、史料の聞き取り調査からそれに関する準備など、自分の出来る限り手伝わせて頂きました。ただ自分の廻った所は比較的被害の少ないところでした。まだまだスタートラインに着いたばかりというのが現状であり、今回被害に遭われた方の実生活やライフラインの復旧の方を優先させることが実情です。その中で史料価値を訴えながら、活動にあたるのは難しいとともに、自然災害の多い日本にとって緊急に解決しなければならない課題になっていくと思います。
 
 

高野山大学秋季生涯学習講座

No.2290

9月12日、17日に大阪国際会議場(グランキューブ大阪)で高野山大学秋季生涯学習講座in大阪 高野山の密教文化が開催されます。
12日は「高野山とマンダラ」、17日は「高野山の学道と年中行事」をテーマに藤田光寛先生(高野山大学教授)がご講演されます。参加費は一回につき千円です。
詳しい内容はこちら→http://www.koyasan-u.ac.jp/

私は卒論に関わってくるテーマなので聴きに行くつもりです。(12日のみですが・・・)
ここで募集してもあまりこういったテーマに興味のある方は少ないことは承知しておりますが、もし一緒に行きたいという方おられましたらここのレスするか、永富までメールください。

ちなみに先日は千日回峰行を二度も達成した比叡山大阿舎利の酒井さんにお会いしてきました。
もっと固いイメージがあったのですが、案外気さくな方でお話もとてもおもしろく、わかりやすかったです。

ちょっと最近息抜きなのか卒論なのかよくわからないところへ足をつっこみすぎな気もしますが、いろんなエッセンスをとりこんで頑張ります☆

Re: 高野山大学秋季生涯学習講座

No.2302

ありがとうございます!やった★

Re: 高野山大学秋季生涯学習講座

No.2303

あ、上のメッセージは野口先生宛てです。投稿先間違えました。

荒木さ~ん

No.2305

もし入力を間違えたときのために書き込み時にあらかじめ「暗証キー」(英数字で8文字以内)を設定しておけば、修正も削除も簡単にできますよ_(^^;)
修正や削除はページの一番下からできます。次回からぜひ設定しておいてください。

あ、そんなのがあるんですか。

No.2314

永富さん。教えていただいてありがとう。さっそく設定してみます。
これでも1回生の情報の授業のTAやってるんですけどね。まだまだ勉強不足です・・。

鹿児島県・横井竹ノ山遺跡の墨書土器

No.2288

 昨年末、ラ・サール学園の永山修一先生がこのBBSに書き込んでくださった上記遺跡(NO.937参照)の発掘調査報告書が鹿児島県立埋蔵文化財研究センターから刊行されました。
 例の陰陽道祭祀に用いられたと思われる五芒星が墨書された土師器などにたいする永山先生の御研究の成果が掲載されています。研究室に配架いたしますので、関心のある方は御覧下さい。
 なお、永山先生からは、この報告書のほか、御高論「平安時代前半の南九州について」掲載の『宮崎県地域史研究』第17号などを御恵送いただきました。あつく御礼申しあげます。
 冬のゼミ旅行の行き先については、川辺町教委の新地さんもおられる鹿児島という案も出ているようですね。小生など、指宿の砂蒸し温泉には夏でも行きたいのですが。

『鎌倉幕府と葛西氏』刊行のおしらせ。

No.2289

 東京都の葛飾区郷土と天文の博物館では、これまで数回にわたって、この地域の中世と、この地を本貫地とする鎌倉幕府有力御家人葛西氏に関するフォーラムを開いています。こうした企画を定期的に実現するのは大変なことで、ひとえに当博物館学芸員の谷口榮さんの御尽力によるものと思います。小生も1995年12月に「東国武士団の成立について」と題する講演をさせていただいたことがあります。
 今回、御紹介するのは、2001年12月に開かれた地域フォーラムの報告集で、入間田宣夫「鎌倉御家人葛西氏について」や川合康「武士と戦-葛西清重を中心に」をはじめ、著名な第一線研究者による斬新な研究成果が数多く掲載されています。武士論研究者には必読の文献と考えますので、この場をお借りして紹介させていただいた次第です。名著出版刊、本体3000円。

お知らせついでに。

No.2297

>山岡さんをはじめ、東洋史専攻のメンバーへ  歴史学研究会・日本史研究会編『日本史講座』第3卷「中世の形成」が出ました。このなかに神戸大学の高橋昌明先生(平田さんと山本君の指導教官)が「東アジアの武人政権」という論文を載せ、日本における武家政権の成立について宋・高麗王朝との比較で論じられています。たいへん参考になると思いますので、ぜひ熟読してください。

>永富さんおよびゼミ旅行におけるレンタカー運転担当者へ  さすがプリンセス!後輩への配慮、たいしたものです。小生も腰痛対策に、貼り付けて使うカイロは必需品です。ゼミ旅行では学ぶことが多いですね。いずれにしても、とくにレンタカーの運転を担当する人は健康管理に注意してください(睡眠時間)。また、鈴木君のように、ぜひ見学地周辺の地図を頭の中にたたき込んでおくこと。とくに高速道路のインターチェンジの形態(合流車線など)はよく確認しておいて下さい。

>鈴木君  映画「ぼくの伯父さん」における赤電話採用の理由についての推測、おそらく正解だと思います。なるほど、たいしたものです。貴兄は歴史学をやっても大家になれるでしょう!永富さん、軒先を貸して母屋をとられないようにね。

>荒木さん  相変わらずお元気で何よりです。映画の感想、おきかせ下さい。山本君にも本格的な「評論」を期待していますよ。

>ゼミの皆さんへ  京都文化博物館で開催中の企画展「京の今日」展の招待券(2名分)があります。行きたい人はどうぞご利用下さい。

野口先生へ

No.2299

「今日の京」展の招待券まだあるようでしたら是非いただきたいです。旅行の際渡していただけると嬉しいです。

はい、了解。福井水害と史料保存。

No.2301

 招待券、荒木さんに差し上げます。旅行の時に忘れないと良いのですが・・・。
 
 >山本君  一乗谷がかなり深刻なようですね。朝倉氏が本拠にしていたころは、こんなことは想定されていなかったのでしょう。近年の異常気象の深刻さがうかがえます。小生も鹿児島で1993年夏に豪雨被害を経験したことがあります。このときは、ちょうど鹿児島で中世史サマーセミナーが企画されており、事務局の柳原先生(現、東北大学)をはじめ地元の研究者のみなさんは大変苦労をされました。しかし、そのことがお互いの理解と結束に結びついた面もあり、その後しばし鹿児島における中世史研究の全盛期という事態を現出したとうかがっています。
 山本君も福井県地域史研究にとっての災いを、後で振り返って一面の「福」に転じられるように、頑張ってください。 

ムーンライト乗車組の皆様へ

No.2284

 特に2回生は、ムーンライト(夜行の客車列車)に乗車した経験が無い人が多いと思います。
 ということで、快適に乗車するためのちょっとしたノウハウをここに書いていきたいと思います。

 ムーンライトは、深夜に出発し早朝に到着する夜行列車です。「快速」という扱いなので特急料金は必要なく、乗車券+指定券だけで乗ることが出来ます。
 安さのわけは、「客車列車」&「簡易リクライニングシート」です。夜行バスの鉄道版と考えてOKです。寝台列車ではないので、良い旅のためには対策が必要になります。
 【参考】夜行列車利用法 http://www.din.or.jp/~a-aoki/night_train/how_to_use.html

○列車内はエアコンがかかっていて、とても乾燥しています。お茶などの飲み物を持って乗車したほうが良いです。
○また温度設定により、寒い場合がありますので、温度調節できるような服装で乗る必要があります。(バスタオルなどでもOK)
○日付が変わる直前に、列車内の照明が落とされますが、真っ暗ではなく非常灯はついています。アイマスクが必要な人は持って行きましょう。
○長時間座るので足はむくんできます。エコノミー症候群には注意☆

詳しい対策方法、体験談はプリンセスから情報提供があります↓


 

女の子のための夜行列車対策

No.2285

呼ばれたので、私の経験から思いつく限りのものをあげます。

★快適に寝るために
→スリムなデニムなどは脚やお腹が締め付けられるため、はじめての人は寝にくい場合があります。そういう人はジャージやスェット、またはゆとりのある柔らかい素材のパンツをはいてくることをおすすめします。また、最近はローライズデニムなどが主流なのでお腹が冷えたりする場合もあるので注意しましょう。

★乾燥対策
→鈴木君も書いているように車内は乾燥しています。飲み物で体内を潤すのも大切ですが、もしお肌のことなども気になる方は携帯用のスプレーローション(肌水のミニボトルがおすすめ♪)があれば便利です。顔や髪の毛に時々スプレーするだけで翌日のコンディションはかなり違います。
さらにお肌のことを考えるならお化粧をしっかり落として、クリームをべったり塗って保湿しておきましょう。朝は到着間近でお化粧直しを。(車内の洗面所は朝混雑するので早めに行くか、避けた方が無難。駅についてからのトイレでも可)乾燥で腕が痒くなったりするので、自宅でボディークリームなどを塗ってから駅へ向かう。車内って実は砂漠より乾燥しているそうだから甘く見てはだめですよ~。

★むくみ対策
→むくみの原因は水分を多く取っただけではなく、塩気のものや辛い物を食べて水分をとるとむくむらしいです。前日から気をつけておきましょう。車内ではバッグなどを足元に置き、足を乗せ、席をぐぐっと倒して出来るだけひざをのばす…これだけでもかなり違ってきますよ~。指圧をしてもOK。むくみ防止のツボを刺激するとよいらしい。
参考:むくみのツボ http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/1997q1/19970129.html

★寒さ対策
→車内は冷えます!!カーデやパーカーは必需品!!どうしても冷えて寒いときは使い捨てカイロがお役立ち!!
電車の中意外でも、お店のクーラーでお腹が冷えたときや、生理痛、また肩こりにも効きます。
冷え性の人はソックスを重ね履きしても◎

こんなところでしょうか・・・・☆
他にあれば皆さんもどんどん書き足してくださいね。
今日の事前学習会で二回生達が持ち物のことなど色々悩んでいたようですので、質問があれば電車のこと以外もここで遠慮なくきいてください。わかる範囲で相談に乗ります☆

旅行便利グッズ

No.2298

 ムーンライトには乗りませんが、夜行バスにはよく乗ります。その時にとても便利なのが、首用の枕です。空気を入れてふくらませるものが100円ショップでも手に入ります。(100円ショップにはアイマスクもありますよ)これが一つあるだけで、翌日の首や肩の痛みを防ぐことが出来ます。首が安定するので安眠もできて、一石二鳥です。
 また寒さ対策として、カーデガンやパーカーに加えて大き目のタオルを一枚持っておくと、枕にしたり膝にかけたりととても便利なのでオススメです。
また持ち物ですが、ホテルのアメニティーは全部そろっていますのでご心配なく。詳しくはこちらをご覧下さい。
http://www.mytrip.net/HOTEL/786/786.html

Re: ムーンライト乗車組の皆様へ

No.2304

田中さん>首枕、便利ですね♪最近は100均にもあるんですか~100円はあなどれない☆うん
ホテルにはたいていのものはそろっているようですね♪
ないものといえば、スキンケア類ぐらいでしょうか・・・。

ゼミ旅行事前学習会

No.2283

 みなさま、事前学習会お疲れさまでした。旅行参加者のほぼ全員に参加していただけて何よりでした。
 今日の学習会は、山本さんによる「肥前神崎荘の成立と歴史」、平田さんによる「福岡県の歴史・史跡」、そして野口先生による小城と千葉氏のお話の3本立てに加え、ビデオを借りてくれた鈴木くんがいない中「男はつらいよ」ー僕のおじさんーも鑑賞し、とても盛りだくさんな内容だったと思います。行程については、もう少し分かりやすい形で配りますので、しばしお待ちを。みなさん、勉強はもちろん、行くまでによーく地図を見て、位置関係を把握しておいて下さいね。
 途中で駆けつけてくれた、荒木さんもありがとうございました。旅行で会えるのを楽しみにしています♪
 そして、今日の事前学習会の盛会に一役買ってくださった佐伯さん、どうもありがとうございました。荘園制度のレクチャーお願いしますね☆

おつかれさまでした

No.2286

事前学習会、内容も盛りだくさんで充実しており有意義な時間を過ごすことが出来ました。
幹事の田中さん、門屋さん、先生、発表者の皆様お疲れ様でした。
今日学んだことをベースに一人一人がさらに自分の興味や関心に沿って事前勉強を固めたうえで旅行に出発できればいいですね♪私も春に行った時よりさらにひとつひとつをじっくり見て勉強できるよう頑張ります (。・_・。)

Re: ゼミ旅行事前学習会

No.2291

 途中で抜けてしまい、野口先生のお話は聞くことが出来ませんでしたが、とても勉強になる事前学習会でした。
 火曜日が返却期限だったので、急いで「男はつらいよ」を鑑賞して返しました。
 先生が出された課題については、2つほどわからない点がありましたが、なんとか見つけることが出来ました。あまり、小城町の様子が出ていないようだったので、良かったのか悪かったのか、とにかく現地に行ってみたいという気持ちが大きくなりました。
 中学の修学旅行で北九州をまわったのですが、バスでの移動のために位置関係や行程などはさっぱり覚えていません。今回はカーナビは使うとは思いますが現地の地理などを頭にたたき込んで、旅行に備えたいと思います。旅行に行ったという実感を味わうには、パックツアーでなくゼミ旅行が一番ですね☆

宿題の答。

No.2292

 目下、前期試験のレポートの採点に頭を悩ませている野口です。要求を満たしていないレポートは「さくさくと」不可にしておられる先生もいらっしゃるようですが、心優しき小生は逡巡に次ぐ逡巡といった次第。そのうち「レポート採点レポート」でもUPしたいところです。

 ところで、NO.2274で出した宿題の答は以下のとおり。
① 吉岡秀隆演じる寅さんの甥とパーマンの本名(すわ・みつお)。
② 「赤」。緑色のものを、わざわざ赤に取り替えて撮影したとのことです。山田監督の意図は?
③ 初詣の人たちの賑わいの中で寅さんが商売をしているラストシーン。クレーンを使っての大規模な撮影だったそうです。
 須賀神社の階段は急なので、エキストラ(初詣客を演じた地元の人たち)は命がけだったと思います。
④ 小城駅前の場面(上記②)にチラリと。
⑤ 佐賀県立小城高校。なかなかの名門です。撮影の時には、エキストラに必要以上の数の生徒さんが押し寄せたそうです。
⑥ 弥生時代の建物なのに柴又の「とらや」より新しい!・・・と感嘆。
 ※ 鈴木君、答え合わせの結果はいかがでしたか?
撮影地は小城町より三日月町の方が多かったようです。 

Re: ゼミ旅行事前学習会

No.2293

①と③以外は正解でした。
ただし、⑥については「なんにもない☆」も正解になりませんか?

調べたところ、小城駅は敷地の大半が三日月町に入ってるそうです。(JR京都線の山崎駅も、ほとんどが島本町側にあります)

赤電話についてですが、緑の場合だと「横から硬貨を入れる」になりますが、赤は「上から落とす」です。電話にひじをかけて硬貨を落とすスタイルが必要になったのではないでしょうか?

P.S.寅さんはなかなか楽しめました。

Re: ゼミ旅行事前学習会

No.2294

ゼミ旅行にはいままで2回参加していますが、事前学習会は今回初めて参加しました。やっぱり事前に学習しておくのとしないのとでは学びがちがいますよね♪ってわたしが理解できたのはほんの一部なんですけど(汗)

昨日で前期の試験&レポートがすべて終了したので今日から夏休みに入ったし、ちょっとばかり歴史の勉強でもしてみようかな。とりあえず虎さん観よう!

夜行電車の対策講座役に立ちました!鈴木君、プリンスサンキュウ☆

では皆様、九州でお会いしましょーー。

No.2295

間違えた!

プリンス→プリンセスでした!!!

↑↑

No.2296

あ、もう一個間違い発見!

虎さん→寅さん

Re: ゼミ旅行事前学習会

No.2306

荒木さん>「虎さん」って、なんかタイガースファンのおやじみたいですね~笑

修行が足りなくて申し訳ないです。

尻池由佳
No.2281

 突然名前が出ていたのでびっくりしてしまったので、初書き込みしてしまいました。
 野口先生、山田先生ごめんなさい。昨日、行われた山田先生の御講演には残念ながら参加しておりません。先日、山田先生のお宅にお邪魔した際、山田先生のお話の中に昨日の御講演のことをちらっと耳にしたにもかかわらず、詳しい日時などうかがわずに帰ってしまい、自分の知的欲求の無さを思い知っているところです。義務のようにこなさなければならない強制的勉強に必死になっている私は、まだまだ修行が足りないようです。もっと自分の勉強に貪欲になりたいと思います。

 それから、山田先生、さち子さん、先日はお世話になりました。御論文は楽しく拝読させていただき、レポートも無事?完成し、次のレポートに取りかかっております。ありがとうございました。

 野口先生、木曜日に「日本の古本屋」で見かけた村井康彦先生の『平家物語の世界』改訂版を即、注文したのですが、残念ながらその日に品切れになったそうです。ショックです。同じく村井先生の『平安貴族の世界』は今日、到着すると思います。たくさん文献を教えてくださり、ありがとうございました。

 門屋さん、田中さん、本を大変長くお借りして申し訳ありません。お言葉に甘えさせていただきます。

村井康彦先生の御著書。

No.2282

 >尻池さん 先日、キャンパスプラザの京都学を受講されるかのようにうかがったように記憶していたのでごめんなさい。義務感で勉強する必要もないと思います。すべての原点は「面白いから」にあるべきです。
 村井先生のその本、自宅でアクセスしたら売りきれていたので、さっそく尻池さんが注文されたのかと思っていました。それは残念。なお、改訂版でなくても入手をお勧めします。

『平安貴族の世界』到着

尻池由佳
No.2287

 野口先生、そういうことだったのですね。いやいや、びっくりしました。
 あー、講演会など自分の興味のあることなどは義務感で行ったりしていませんよ~。私の「義務感で勉強」というのは、例えば、高校時代に、予習して行ってなければ、授業時に立たされるのでやる、とか、大学でレポート提出しないと単位がもらえないからやる、とかの類です。今回はまずレポート優先で周りが見えてなかったので、このことに関して反省しています。今までずっと、与えられた勉強はするけど、それ以上のことは「忙しい、忙しい」といった理由を付けてやらなかったので。大学に入学して以来、毎日が新しい発見でわくわくしながら生活を送り、ありふれていますが、「世界は広いのだなー」と感じています。そこで、こんな自分の性格を何とかしたいなぁ、ともがいているのが今というわけです。あまりうまく言えなくて、申し訳ないです。
 村井康彦先生の御著書『平安貴族の世界』が昨日部屋に到着!私の宝物になること間違いなしです。『平家物語の世界』も早速注文しました。もうすぐ自宅に帰省するので、自宅のほうに発送してもらいました。夏休みは退屈することがなさそうです。

請う、法金剛院の現地説明会のレポート。

No.2276

 本日午前、花園の「法金剛院」旧境域において、発掘調査で検出された池庭遺構に関する現地説明会が開かれました。法金剛院は、かの角田文衞先生の御著書で有名な待賢門院璋子(鳥羽中宮)の御所のあったところで、背後の五位山には彼女と彼女の娘・上西門院統子の陵墓もある、まさに女院たちの空間といえるところです。
 小生、大いに関心があったものの、体力不足にて、残念ながら行く事が出来ませんでした。そこで、どなたか出かけられた方にレポートをお願いできれば幸いとするところであります。なにとぞ、よろしく。

法金剛院の現地説明会のレポート。

No.2277

昨日、平安京右京一条四坊十三町跡発掘調査現地説明会へ行ってきましたのでレポートします♪

 当地は、平安時代後期、鳥羽天皇の中宮待賢門院璋子が建立した法金剛院の旧境内地跡に隣接した場所です。西京極大路をはさんで、平安京外に法金剛院、平安京内に今回の調査地があるという位置関係です。1995年から1996年にかけて、(財)京都市埋蔵文化財研究所によって発掘調査が実施されており、法金剛院の旧境内地跡より三重塔や御所跡、園地、門の地業などが確認されています。
 今回の発掘調査で発見された主な遺構は、池跡です。池の汀がとてもきれいに検出されていました。池は12世紀前半から中頃に成立したと考えられています。汀の勾配や意匠からなどが、法金剛院旧境内で発見された園地とよく似ていること。『中古京師内外地図』の当概地に「待賢門院ノ仁和寺殿」「法金剛院ノ仙洞」と書かれていること。また、『中右記』『長秋記』『百練抄』などに法金剛院境内の御所以外にも新造された御所が近くにあったことなどから、今回検出された池は、法金剛院に関わる御所の施設に伴う園地である可能性が高いと発表されました(以上、現地説明会資料を要約)。
 現地説明会修了後、野口孝子先生と御堂関白記講読会のみなさまと、周辺を散策しました。JR線を渡ったところにある墓地は、一段周囲から高くなっています。これは法金剛院の園池の築山の跡だそうです。孝子先生からは、築山の空間としての性格をレクチャーしていただきました。その後は、法金剛院を拝観しました。今は蓮の花の最盛期で、法金剛院の池は蓮で覆いつくされていました。境内にある「青女の滝」は、1970年に埋没していた滝の石組みを掘り起こし復元されたものです。滝水を引いて遣水をつくり池にそそぐようになっています。誰が作ったかがわかる日本最古の滝組です。最後に、五位山の麓の待賢門院璋子の陵に参り、充実した半日を過ごしました。
 徐々に明らかになっていく法金剛院の姿ですが、今までは大きな寺院というようにとらえられてきたように思いますが、これからは院御所としての機能をもっと論じられるべきだと思いました。

法金剛院と待賢門院璋子。

No.2279

 山田さん、ありがとうございました。そういえば、今日はキャンパスプラザで山田邦和先生の鴨川に関する御講演のある日でしたね。たしか、当ゼミから尻池さんが聴講に行っていることと思います。
 なお、法金剛院と待賢門院璋子については、当ゼミ推奨HP「平安京探偵団」に適切な紹介がなされています。
 http://homepage1.nifty.com/heiankyo/tai.html

 ゼミメンバーの院生・学生さんたちも、せっかく京都にいるのですから、京都市埋蔵文化財研究所などによる現地説明会の情報を京都新聞などで積極的に仕入れ、どんどん見学に行って欲しいものです。

 ※ ついでながら、待賢門院璋子所生の崇徳天皇が、鳥羽院の子ではなく白河院の落胤であるとする角田文衞先生の説はすでに通説化していますが、これに対して、当時の政治状況を踏まえた新たな見解を示された美川圭先生の論文が、近く『古代文化』巻頭に掲載される予定です。

出張講義と宗像・対馬・壱岐の歴覧。

No.2271

 17日に福岡市の中村学園女子高校において、「武士の都としての平安京・京都」というテーマで出前講義をしてきました。初々しい生徒さんたち(と先生も)が目を輝かせて聴いてくれて、行った甲斐がありました。一人でも京都の大学を目指してくれれば良いと思う次第です。
 この日の午後、近くにある福岡市美術館で、思いもかけず長年の想い人に邂逅することが出来ました。以前、訪れたときは面会が叶わず、福岡市博物館の方にでも収蔵先が変わったのかと思っていたのですが、松永コレクションの展示室の正面に彼女は展示されていました。かつて京都文化博物館の歴史展示室に歴史情報サービスのコーナーがありましたが、そこで「京女」を検索すると現れた彼女。「家富み、食豊かな」あの「七条わたりの借上」の女性です。今なら銀行の女性頭取かサラ金の女社長か?出前授業でも話したばかりでしたから、感激は一入でした。
 出張講義、次回は11月に兵庫県加古川市の県立高校に行く予定です。

 福岡に出掛けたついでに、宗像大社・対馬・壱岐を回って参りました。宗像大社は沖津宮・中津宮・辺津宮の三宮で構成されますが、今回行けたのは九州本土にある辺津宮のみです(三宮で祀られているのは全て女神なのですが、例によって沖津宮は女人禁制です)。辺津宮の祭神は市杵島姫神で、どうやら厳島と結びつき、平家の信仰もあつかったことでしょう。神宝館には沖津宮のある沖ノ島から発見された祭祀品が展示されており(沖ノ島における祭祀の状態については、佐倉にある国立歴史民俗博物館にも展示室が設けられています)、また、「宗像大社文書」も圧巻でした。
 対馬・壱岐はレンタカーで回りましたが、思いの外広く。山がちな対馬に比べて、壱岐は比較的平坦で水田も多く、農業生産力はこちらの方が高そうで、認識をあらためました。元寇の際も、壱岐の方が内陸部まで蹂躙され、民衆の被害も大きかったようです。元寇遺跡には、やはり近代の国策がもろに反映していました。対馬の殉国の英雄は宗助国、壱岐では少弐資時です。宗氏は鎌倉時代の中期、大宰府の権力を背景に対馬在庁の阿比留氏を追討して領主権力を確立して以後、実質的に対馬島の王のような立場に立ったような印象をもちました。厳原の万松院にのこる近世の宗家墓所は立派なものでした。
 ちなみに、宗氏が平知盛の子孫を称していることはよく知られていますが、地元には安徳天皇の子孫だという説もあり、厳原の久根田舎というところには宮内庁指定の安徳天皇陵墓参考地があるというので、一途に確認して参りました。
 壱岐は内陸部にも「千人塚」という、蒙古襲来の際に殺害された島民の墓所が各所にのこっていました。また、1019年の刀伊の入寇の際の戦跡も比定地が明確です(対馬では、刀伊の入寇に関する遺跡は確認出来ませんでした)。

 ほかにも壱岐の原の辻遺跡など多くの見学・調査ができましたが、詳細はいずれ別の機会にまた。それにしても、生来の虚弱体質がたたり、現地では痢病発動。帰洛後は疲労による帯状ヘルペスの再発、と情けないこと限りなく、ゼミ旅行の際はメンバーにご迷惑をおかけすること必定のようです。

 ☆ 卒論報告会、長村君・平田さんとも大いに得るところがあって幸いでした。

 ☆ ゼミ旅行の方は、着々と準備が進んでいるようで、ありがたいことです。

『戦場の精神史』書評。

No.2272

 佐伯真一先生より時事通信社配信と読売新聞7月18日付掲載の『戦場の精神史』書評をお送りいただきました。あつく御礼申しあげます。本書について当掲示板に書き込みを頂いている方々や、元木先生の研究会で書評を担当する予定の長村君には小生よりコピーをお渡ししたいと思います。
 なお、書評の内容ですが、時事のものより読売の方が、小生には面白く思えました。

Re: 出張講義と宗像・対馬・壱岐の歴覧。

No.2278

野口先生
出張講義のお話、興味深く拝読いたしました。本物の学問は高校生にもその面白さが伝わるということですね。
佐伯先生ご著書の書評コピー、ありがとうございます。楽しみにしています。
ところで、昨日から大学のactivemailにつながりません。もしご連絡くださっている方がいらっしゃいましたら申し訳ございませんが、ご了解ください。

京都大学のネットワーク障害

No.2280

http://www.kuins.kyoto-u.ac.jp/によると
落雷によるネットワーク障害ということでした。

急な大雨や落雷が多いですが、パソコンおよび電子機器には雷による電力の変動が大敵ですので、レポート提出間近の時などは用心してください☆(コンセントから抜けばOKです)

ついでなので借りました。

No.2266

TSUTAYAに行く用事があり、ついでですので
「男はつらいよ」第42作“ぼくの伯父さん”を借りました。

第43作“寅次郎の休日”も、ロケ地が大分なので、間違えそうになりましたが、掲示板を確認し佐賀の方をゲットしました。

月曜に事前勉強の映像資料として利用するとのことなので、田中さんとかぶらないうちに、書込みしておきます。

P.S.著作権第38条(1)に、「営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観客から料金…を受けない場合には...」著作権者の許諾を得ることなく上映することができるとありますので、気にせずかけます☆
映像・音のメディアのやりとりはいろいろややこしいですね。

ありがとう♪

No.2268

そろそろビデオを借りに行かなくちゃ~
と思っていたところでした。どうもありがとう~☆

映画『男はつらいよ』の風景。

No.2274

 >鈴木君  「ぼくの伯父さん」、ご覧になられましたか?
 
 他の諸君も、お暇な方はレンタルビデオ屋さんに一走りしてください。26日に共同研究室で全部観るというわけには行かないでしょうからね。
 ☆そこで、宿題です。
  ① 『男はつらいよ』と藤子不二雄の漫画「パーマン」の登場人物で共通するものは何か。
  ② 映画に登場する唐津線小城駅の公衆電話は何色か。
  ③ 千葉城跡にある須賀神社の階段はどの場面に登場するか。また、どのような方法で撮
   影したと思うか。
  ④ 小城の名物「村岡羊羹」の看板はどの場面に見えるか。
  ⑤ 劇中で後藤久美子の演じる泉が通っている高校は公立か私立か。
  ⑥ 吉野ヶ里遺跡の復元家屋を見た寅次郎は、いかなる感想をもらすか。
 以上をチェックしながら御覧下さい。
 
 ちなみに、小生は青春時代の一時期を、あの柴又を流れる江戸川の対岸下流(千葉県市川市・・・現在、佐伯先生・兵藤先生がお住まい)で過ごし、「いろいろ語るべきことの多い」前任の職場は、まさに対岸正面の松戸市にありました。江戸川のあのあたりは、平安時代、上総介の任を終えて上洛途上の菅原孝標が、のちに『更級日記』を著した娘とともに渡河したところで、また、戦国時代、南関東の覇権を争った里見氏と北条氏が二度も激戦を展開した国府台合戦の古戦場なのです。
 
 『男はつらいよ』のシリーズには、日本各地の美しい風景が数多く登場しますが、第29作「寅次郎あじさいの恋」には一度に京都の東山と鎌倉が、また、34作「寅次郎真実一路」には鹿児島の持躰松遺跡の背後にそびえる金峰山が最後の場面に登場します。ちなみに、持躰松遺跡について多くのすぐれた論文を執筆されている東北大学の柳原敏昭先生も、小生同様、『男はつらいよ』の大ファンであられます(また、余計なことを・・・柳原さん、ごめんなさい)。