お疲れさまでした

No.2264

 長村くん、樹理ちゃん、卒論報告お疲れさまでした。今後、今日の発表がどのように展開するのか楽しみにしています。
 大学院に入ってからの、2人・・・いやいや山本さんも入れて3人の進展はめざましいものがあって、この数ヶ月間で発表を聞いては「頑張ろう」と思わせられるものです。(そのわりに停滞気味なのが困ったところですが)とりあえずはゆっくり休んで充電してください。そして、次回の「放電」を楽しみにしています。
 そして、佐伯さんもお疲れさまでした。また資料館でお会いするのですが、とりあえずはごあいさつまで☆

Re: お疲れさまでした

No.2265

田中さんはもとより昨日おいで下さったゼミ関係の皆様

昨日はつたない発表を聞いてくださり、どうもありがとうございました。
昨日に至るまでの先生方のご指導や、ゼミでさせて頂いたプレ報告で得たものがすべて出せたわけではなく、30分間、周囲の様子が目に入らずに早口で報告したため、論旨が伝わったかどうかはなはだ心もとないのですが、岩田さんはじめ多くの方から(おそらく理解しようとして頂いたであろう)好意的・教育的なご質問を多く頂き、とても勉強になりました。

最後になりましたが、度々有益なご助言を頂いた佐伯さんに司会をして頂いたことが心強かった(?)ことを申し上げておきます。

みなさまありがとうございました。

Re: お疲れさまでした

平田樹理
No.2267

 田中さん、ちさ子さん、岩田さん、野口さん、山本さん、昨日はお忙しい中、わざわざお越しくださり、本当にありがとうございました。
 
 個人的な感想から述べますと、予想以上にたくさんの人がいらっしゃっていて、緊張してしまいましたが、何とか無事に終えることができました。硬くなっていた私をほぐそうとしてくださった田中さん、ちさ子さん、ありがとうございました。

 また、大変未熟な卒論に、今日までご指導いただきました先生方、何度も報告の場を与えてくださったゼミの皆様に、改めてお礼を申し上げます。といっても、もちろんこれで終わりというわけではなく、報告時にいただいたご質問や、飲み会の場でたくさんの方にご教示いただいたことを生かしていきたいと思います。

 最後に、長村君同様、当ゼミの研究指導顧問であり、多くのご助言をいただきました佐伯さんに、お礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

Re: お疲れさまでした

No.2269

長村君、平田さん、卒論報告会お疲れ様でした。とにかく無事に終ってよかったです。自分のようにガチガチに緊張していなくて、長村君も平田さんも落ち着いていました。また質疑応答の時も、ちゃんと理路整然と答えていたと思います。誰かさんのように「地元なので」などと言って失言してしまうような事態にはならなかったのでよかったです。前回は自分が発表したので他人の発表をゆっくりと聞く余裕がなかったのですが、今回はじっくり聞けました。最近(?)は中だるみ状態でしたが、他大学の院生、しかも自分と同じM1の人(上記↑の田中さんのスッレドでは忘れられていましたが・泣)の発表を聞くと、カンフル剤になります。とにかくお疲れ様でした。
また懇親会には行けなくてゴメンなさい。
ところで、自分も早く『寅さん』見ないと。

どうもありがとうございました。

No.2270

今回世話役だった佐伯です、こんばんは。
報告者の長村くん・平田さん、どうもご苦労様でした。
足をお運びいただいた皆様、どうもありがとうございました。
是非これからも、皆様には部会活動に御参加いただいて、
ご自身と周囲にとっての、刺激と活力の源としていただければと思います。
ちなみに、部会員は年中募集中です(笑)。

もっとも、当日は一番楽しませていただきました。
打ち上げでも、新しい研究会を立ち上げる相談をしたり、
自分の発表を決めたりと、新しく動き出すきっかけにもできました。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。

快挙!次は論文です。

No.2275

 おそくなりましたが、平田さん、長村君、卒論報告会、お疲れさまでした。
 前回の山本君とあわせて、この四月に大学院に進学した当ゼミメンバー全員が日本史研究会中世史部会卒論報告会で発表を果たしたことになり、これは一ゼミとして大変な快挙だと思います。
 それぞれ、充実した報告だったとの評価が高いので、ぜひ学術雑誌への掲載をはかるべく、論文化に取り組んでください。 頭がクリヤーで思う存分の時間を使って書けるのは今のうちだと思って多少無理してでも、がんばって欲しいと思います。
 なお、かれらをバックアップしてくれた当ゼミの先輩諸姉兄にお礼を申しあげるとともに、君たちも学会などでの研究発表に果敢にチャレンジするように、また論文執筆に励んでいただきたいと思います。
 「研究指導顧問(但し、無給)」の佐伯智広さんには、みんな、ひとかたならぬお世話になっているようで、特にあつく御礼申しあげます。

旅行費用に関して。

No.2261

MLと同内容です。
旅行参加者の皆様
出欠の締め切りから少し時間が経ってしまいましたが、費用の概算がでましたのでお知らせしようと思います。現地合流の方などもおられ費用にばらつきがありますので個人個人にメールでお知らせいたします。
 26日の事前学習の日に集めたいと思いますのでよろしくお願いします。個人宛のメールにも記載致しますが、概算費用と別に3000円ご用意下さい。(飲み会費用等に充当いたします)これで共通の費用はほぼまかなえますので、あとお土産などの費用を持ってきてください。
釣銭のないよう配慮いただけると幸いです。これより順次お送りいたします。明日になっても届かない場合門屋まで連絡下さい。
また、26日の事前学習に参加できない方は門屋までメールを下さい。振込みにて対応いたします。
よろしくお願いします

映画「祇園祭」(於京都文化博物館)

No.2259

みなさまこんばんは。
本日、遅ればせながら京都文化博物館に「新選組」展を見に行ってまいりました。
すると、びっくり。同博物館3階映像ホールでは、なつかしい映画「祇園祭」をやっておりました。1968年の作品で、山内鉄也監督、中村錦之助主演で、当時の歴史学界の最先端を投入した名作です。「武士の横暴に対して力強く立ち上がる町衆たち。そのシンボルとしての祇園祭」という、60年代らしい歴史観ではありますが・・・
圧巻はフィナーレの山鉾巡行。一見の価値ありです。

明日にも再演です。これを逃すと、次は数年後になるかも・・・ ビデオや
DVDにもなっていない「幻の名作」ですので、この機会にぜひ御覧ください。

上映7月17日(土)13:30~(1回目)、 17:30~(2回目)

Re: 映画「祇園祭」(於京都文

野口 洋平
No.2262

今日映画「祇園祭」を見てきました。内容は山田先生がご紹介された通りで、祇園祭にかける町衆の熱い思いが伝わる非常に内容の濃い見所いっぱいの映画でした。僕は山本長老の様に映画に詳しいわけではないので、何とも批評のしようがありませんが、一言でいうと想像以上にいい映画でした。映画には制作当時の研究成果が反映されており町衆と土一揆、馬借、幕府、河原者との関係などが映画なので多少大袈裟ではありますが当時の社会状況、町衆の置かれた立場などがわかりやすく描かれていました。

映画の中で町衆や農民は武士に圧迫される弱い立場の階層として描かれています。これに対して町衆たちは武士の圧力に対して武力ではなく祭を復興する事によって敢然と立ち向かいます。彼らは不条理な力に屈伏するのではなく、また武力によって争うわけではなく祭に自分たちの存在価値をかけて戦った。その心意気と根性が果たして現代の僕たちにあるだろうか?僕は彼らを非常にうらやましく思いました。

あの映画を見た後では祇園祭に対する考えや見方がだいぶ変わってきました。惜しむらくは昨日の段階で映画を見ておけば今日の巡行もまた違った感覚で見られたと思うと残念です。まぁ来年がまた楽しみになったと思えばいいのかもしれませんが…

いろいろ長々と書いてしまいましたが、それだけ感動したという事でお許し下さい。映画の事を紹介してくださった山田先生には改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

まったくの蛇足になりますが、僕はこの映画で不覚にも何回か泣いてしまいました。特に最後の山鋒巡行の場面は最高でした。映画が終った時には部屋中で拍手が鳴り響いてました。みなさんも機会がありましたら是非御覧下さい。DVDにでもしたら絶対売れると思うのですが…

ゼミ旅行行程について

No.2250

みなさまこんばんは。ゼミ旅行の行程をお知らせいたします。
8/8
 12:00 博多駅集合
     九州・長崎自動車道 太宰府ICー多久IC
 13:30 小城町歴史資料館到着・館内見学
 15:00      〃     出発
 16:00 佐賀市内到着・夕食まで佐賀市内見学
 
 8/9
  09:00 出発
  09:30 河上神社到着
         肥前国府・実相院など見学
  11:00 出発 ・適当に昼食
  12:30~ 小城町内見学
    千葉城跡・円通寺・光勝寺・清水観音など見学予定
  16:30 小城出発
  17:00 佐賀市内到着
8/10
  09:00 出発
  10:00 久留米市 高良大社到着
  11:00 出発
   九州自動車道 久留米ICー太宰府IC
  11:30 太宰府到着 
   昼食
  12:30~太宰府見学
    観世音寺・太宰府天満宮・太宰府政庁跡など見学予定
  17:00 太宰府出発
  17:30 博多到着
  18:00 解散
という感じですが、各日の細々としたところでまだ調整していますし、皆さまへのお伺いも必要なところがありますので、26日の事前学習会でもう少し詳しいお話をするつもりです。なお、時間に関してはあくまで目安で、かなり余裕を持ってたてていますので、この通りではないと思っておいてください。

笠さんが参加します☆

No.2255

みなさま、朗報です。
笠さんとの連絡と、幹事相方の門屋氏の尽力の結果、笠さんが8/8~9の1泊2日で参加いただけることになりました~~♪みなさまが、そして勿論笠さんも、お楽しみいただけるように頑張りまーす(^o^)

事務連絡など。

No.2257

 ゼミ旅行、いよいよ具体化してきましたが、とりわけ小城に関しては事前学習をしっかりお願いします。面白さは倍加するはずです。『男はつらいよ』第42作、ちゃんと観ておいて下さい(山本君には映画としての評価をうかがいます)。
 小城では、ひょっとすると町長さんにも御挨拶できるかも知れません。田中さんが、「別名:佐賀親善大使←ほんと」になるかも?
 
 >幹事:田中さん・門屋君  諸事よろしくお願い致します。
 
 >ゼミ旅行顧問:八井さん  いろいろご支援ありがとうございます(対馬・壱岐旅行の方も)。
  
 >山岡さん  「課外教育活動計画書」というのを大学に提出する必要がありますので、お手数ですが、26日までに、田中さんから情報を得て、ゼミ旅行に参加する京都女子大生のみの名簿(名前・学年・学部・短大・学科・現住所・℡)を作っておいて下さい。

 >平田さん  昨日の報告は優れた内容で、前回に比べて大変進歩したものでした。本当に進学して良かったと思いました。佐伯さんなどから頂いたアドバイスをしっかり活かして、19日は聴衆をうならせて下さい。

 >佐伯さん  昨日はありがとうございました。当ゼミの研究指導顧問に招聘致します(ただし、無給。あるいは、元木先生より支給)。今後とも、よろしくお願い致します。なお、長村君の西洋音楽歌唱指導の方も、併任ということで。

 >元木先生  豊中での御講演と九州旅行のお話、ありがとうございました。ちなみに小山靖憲先生の御高論は、御講演を聴きに行かれた山田ちさ子さんからコピーをいただき、拝読致しました。慈光寺本『承久記』で承久の乱を再構成したいと前々から考えておりましたので、おおいに参考になりました。

 ☆ >ゼミメンバー各位  週末、福岡の女子高校に出張講義に行きます。その後、連休を利用して、対馬・壱岐に渡る予定でおりますので、不在中、クーデター・政変の類を起こさないように、よろしくお願い致します。なお、腰痛のため土産は持って帰れません。郵送・宅配便を頼むほど、こまめな性格でもありません。・・・もう大丈夫かな?

恐れ多い話です…

No.2258

野口先生 およびゼミのみなさま

佐伯です、こんばんは。
水曜日はどうもありがとうございました。
「研究指導顧問」などというたいそれたことはできませんが、
今後ともぜひ積極的に参加させていただきます。
どうぞよろしくお願いします。

>平田さん
準備報告お疲れ様でした。
19日は楽しみにしています。
がんばってくださいね。

Re: ゼミ旅行行程について

平田樹理
No.2260

>笠さん 
お久しぶりです。同じ福岡県民なのに、なかなかお会いできず…(泣)。旅行時にゆっくりお会いできることを楽しみにしています。
>元木先生
元木先生、こんにちは。元木先生の九州旅行のお話を読みながら高校の部活の記憶が甦ってきましたので、つまらない話ですが、レスさせていただきます。
 私と笠さんの母校は、高良山の近辺にあるのですが、近いがために、私の所属していたバスケット部は高良山までよく走りにいったものでした。学校から頂上まで走りっぱなしで大変でしたが、晴れた日に見渡す筑紫平野は、言葉では表しがたいほど見事なものでした。もう走って登りたくはないですが、観光当日もお天気に恵まれればと思います。

>佐伯さん
先日は本当にありがとうございました。
当日もご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願い致します。
 

ちょっとした浦島太郎気分です(笑)

笠 露子
No.2242

最近ネットから遠ざかった生活をしていましたが、
いつの間にかゼミ旅行が佐賀県小城に決まったそうで。
しかもその前には伊豆方面という案だったなんて
この掲示板はホントに目が離せませんね(^_^;)

さて、8月8~10日にこちらへいらっしゃるそうですが
8日は私も合流させていただきたいと存じます。
場合によっては9日にも参加できるかも知れませんので
皆様どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

出てこい、出てこい池の鯉(笑)

No.2244

 笠さんこんばんは。ゼミ旅行で小城が目的地に選ばれた理由の一つは笠さんとの邂逅にあったので、メンバーも大喜びのことと思います。
 このところ、ゼミメンバーは、① 前期期末試験(とくに野口のレポート) ② 卒論報告会 ③ 自動車の教習  ④ 複雑な人間関係の軋轢? 等々に追われて多忙を極めているようで、なかなか当bbsにお出ましになられません(二重敬語)。しかし、ここはお勉強の場ではなく、むしろ息抜きの場でありますから、ぜひ「逃避」にお出まし頂きたいと存ずる次第です。
 さて、ゼミ旅行の事前学習についてですが、本日、小城・肥前千葉氏に関する研究成果の検討と紹介に関する指導者の任を「越前斎藤氏」の研究で有名な山本陽一郎兄にお願いいたしました。今回のゼミ旅行で肥前千葉氏に関する新たな研究者が学界にデビューすることを期待するところです。

出てきた池の鯉です。

No.2251

 笠さんお久しぶりです。去年の年末に行ったカラオケで、危うく「あやや」を歌わせられるところだった山本です。笠さんのご指摘のゼミ旅行急変の事態については、夏休みのシーズン中の伊豆は当然料金も高くなってしまい、佐賀小城に変更とあいなりました。幸い田中さん・門屋くんが幹事職を引き継いでもらいました。
 去年と違い、生活が急変したため、書き込みも筆(ネット?)不精となってます。でもさすがに↑の先生の書き込みから出てきてしまいました(餌は論文コピー)。幹事ではご迷惑をおかけしましたが、事前学習会では名誉挽回でがんばりたいと思います。

得宗専制期の将軍の気分です(笑)

No.2252

 そもそも「で~てこい、で~てこい池の鯉♪」なんて唄は、ゼミメンバーでは長老の山本君くらいしか知りませんよねぇ。
 にもかかわらず、「先生が鯰とかメダカだと言っているのに、自分で鯉を名乗るなんて、山本さんたら~」なんて御注進に及ばんとした方もあるとかないとか?
 かの、某大先生なら「無礼者め」と一刀両断でしょうか。
 しかし、論文コピーの餌があったとはいえ、出てきてくれたその忠節心には感謝です。ほかのメンバーはこのさい『葉隠』でもお読み下さい。
 ゼミ旅行では、佐賀で一同浄衣に身をあらためて山本常朝の墓所を参拝しますかね。それにしても、「山本」というのは忠義の名字なのでしょうか。
 いずれにしても、山本陽一郎兄の「鯉の滝のぼり」のような人生の展開を期待したいところです(このところ、兆候があらわれていますよね)。

 >田中さん  上記のようなことを言っているので、すでに呆れられておられるかと思いますが、小城町立歴史資料館の古庄さんに、ゼミ旅行の件、お伝えしておきました。

 >元木先生  「東国武士論」の件、藪蛇でした。豊中で行われた文化財講演会「承久の乱と猪名川の水辺」でのお話、そのうち是非お聴かせ下さい。

呼ばれて飛び出て

No.2253

笠さん、お久しぶりです。
お会いできるとしたら、山本さんのあやや以来でしょうか。

本業の方の、公開講座「中学生にもできるロボット製作」での講義準備と講師のほうで、7月に入ってからばたばたと忙しくしていて、なかなか書き込む暇がありませんでした。

気がつけば、小城旅行の準備も着々と進んでいて
僕も参加するんだったっけ?とも思ってしまいます。(^^ゞ

先日は山岡さん宅へ電話工事に行ったのですが(工事といっても線をつなぐだけ)
やっぱり若いっていいですね。山内さんと協力して完璧に接続は出来ていました。「ケーブルってここでいいかな?いっちゃえ、えーい☆」と山内さんが接続してくれたとの事でした。歴史の研究ではどうかわかりませんが、コンピュータを扱う上では大事な態度です。大胆さと臨機応変に問題に対応できる能力が、これからの情報活用能力といった所でしょうか。

ここのところ、MLのサーバの調子が悪く、特にezWeb宛メールが遅延or未着という状況です。旅行の連絡等で行き違いがあったらしいのですが、申し訳ありません。>みなさま

ぴっちぴち☆

永富絵里子
No.2254

野口先生>「鯉」というより「金魚」になって出てまいりました!
はやく金魚鉢を脱出して「金の錦鯉」になりたいところです。(鯉ヘルペスには要注意ですが・・・☆)

笠さん>おひさしぶりです。春の九州旅行に引き続き、夏も九州でお会いできることになろうとは。。。予想していなかったです(笑)
とはいえ、春はあまりゆっくりお話することができなかったのでとても楽しみです♪

猪名川一件、九州旅行の思い出

No.2256

 野口先生、猪名川シンポの件ですが、旧倉橋荘の所在地庄本地区の出土遺物や、船着場の有無などが主な論点となり、文献のほうは補助的な位置付けでした。
 中世前期の出土品についても、同時代の大物などに比べて、規模は小さいし、質・量ともに劣位は否めないようです。やはり、猪名川・神崎川の土砂の堆積から、港湾の中心が南に移ったことを物語るようです。

 文献の方で話題になったのは、慈光寺本『承久記』に、承久の乱の発端となった地頭解任問題は長江荘のみで起こったとある点です。これについて、小山靖憲先生が、「倉橋荘と承久の乱」という論文をお書きです。小山先生によると、最も信用性が高い慈光寺本で倉橋が落ちている、史料に登場する倉橋荘はいずれも院と無関係である、したがって、乱の原因となった地頭解任問題は長江のみの問題であるとされました。また、院近臣尊長の倉橋荘が存在しており、これが乱後に没官されたことから、地頭問題の舞台と誤解されたと結論付けられたのです。
 当方に与えられた課題は承久の乱と倉橋荘との関係ですから、これに触れないわけには行きません。小山先生も当日お越しなので、言い方には苦慮しましたが、一応、慈光寺本が絶対といえるか、尊長の荘園が存在したように、院との関係は否定できない等と当り障りのないことを申しておきました。
 
 続く藤田明良氏は、歴博の弁官補任浦文書から、承久元年に倉橋の供御人と地頭との紛議があったとされ、これが地頭解任問題の実態ではないかという興味深い指摘がありました。供御人の問題なら、院領にこだわる必要もないわけですが、亀菊にからむ逸話は、やはり事実ではないことになりそうです。
 また、この史料は乱後の貞応年間のもので、その先例として承久の問題が取り上げられている点も、今後検討が必要かもしれません。
 結局、地域との関連が中心なので、承久の乱そのものの見直しなどに議論を展開することは出来ませんでした。

 ところで、小城方面を中心としたご旅行の由、すばらしいご旅行になるようにお祈りしております。
 佐賀方面には1980年に参りました。当時佐賀大におられた太田順三先生がご案内くださったのですが、ハイテンションの解説で、ついてゆけなかったことを覚えています。国府、河上神社などはいかにも趣深い史跡でした。どうしたことか、小城は通ったのですが、太田先生のご関心がなかったようで素通りされてしまい、鎌倉の史跡が多いところと知っていただけにがっかり致しました。武雄温泉で置いてゆかれ、戻るわけにも行かず、しょうがないので風呂に入って時間をすごしました。

 久留米の高良神社はかなり山の上で、曲がりくねった道路をかなり登った記憶があります。夜はローリング族のメッカになるらしく、それを禁じる看板がたくさんありました。それはともかく、同社の最大の見ものは、一望に見渡せる筑紫平野の展望でしょう。おそらく、懐良親王もここから大宰府の方を望んだはずです。ぜひ好天であってほしいですね。
 なお、もし時間がおありなら、福岡西郊、今津付近の元寇防塁あとか、元舟の錨?が展示されている箱崎大社をご覧になると良いでしょう。
 もちろん、十分ご検討のうえでコースからはずされたのでしょうから、部外者が口出しすることではないでしょうが。
 道中ご無事で、実りあるご旅行になりますようお祈りしております。

御願い

佐伯真一
No.2238

 時事通信文化部のHP「今週のBOOKレビュー」
http://www.jiji.com/edit/wappen/book/2004/0702.html
によれば、武秀樹という方が、拙著の書評をしてくださっているようです(7月第2週配信)。これはWEB上では読めないようで、どうすれば読めるのか、メールで問い合わせても梨のつぶてです。
 誠に恐れ入りますが、時事通信から配信される新聞をご購読の方、もし目に入りましたら、ご一報(できればコピーなど)いただけると、大変幸甚に存じます。

司馬遼太郎『三浦半島記』を読む。

No.2239

 『戦場の精神史』の書評は小生もすべて集めたいと思っていますので、同様によろしくお願いいたします。
 ちなみに「ラスト・サムライ」論は未だに盛んで、「やはり西洋人は日本のことを分かっちゃいない(分かるはずがない)」という意見があるかと思えば、日文研の笠谷先生のように「確かな日本理解と洞察力」と評価される研究者もいらっしゃいますし、一方、ニヒルな立場から「日本人だって西洋のことなんか知りはしないんだから、「ラスト・サムライ」をどうのこうのと批判するのは天に唾を吐くようなもんだ」と片づける御仁もおられるようです。
 それにしても、この議論が(男性の間で)活発な背景には、やはり自らの生き方と歴史認識の相関があるからだと思います。日本の中世史や文学を研究対象にしたり商売道具にしている男たる者は、自分の生活体験を踏まえて、この点は、ちゃんとケジメを付けておくべきだと思います。小生の場合は、拙著『武家の棟梁の条件』において、かなり直裁に、その点を展開してみたつもりですが。
 それはさておき、今日多くの日本人の武士認識にきわめて大きな影響を与えているのが司馬遼太郎氏の作品だと思います。小生も司馬氏の作品は好きですし、その慧眼にも魅力を感じるところが多々あります。
 最近、仕事の都合で、その『街道をゆく42 三浦半島記』を読んだのですが、そこに展開されているのは、
 ① 鎌倉幕府は武士という大いなる農民がつくった政権である。
 ② 平清盛は武家でありながら太政大臣になり、皇室の外戚となり、律令体制を私物化して地方の武士を抑圧した。
 ③ 東国武士は土くさく質朴である。
といった戦前来の「健全な地方武士VS退廃した都の貴族(平家)」と、戦後の「古代を克服して中世を切りひらく武士という理解に基づく<領主制論>」の2つの図式にもとづく東国武士像でした。これによって、(江戸)幕末の人物と太平洋戦争中の軍人の生き様にも触れており、かれらの生き様と司馬氏が鎌倉時代の武士たちに見出した「節義」をオーバーラップさせるような形で話がしめくくられるように論が展開しています。
 これが書かれたのは1995年ですが、残念なことに当代一流の人気作家・司馬遼太郎には、このころすでにかなり進行していた歴史学界における領主制論克服の動きは認知されていなかったようです。司馬氏がもう10年も長く存命されたなら、高橋昌明氏の『武士の成立 武士像の創出』に出会い、さらに佐伯先生の『戦場の精神史』でだいぶ認識を変えられたと思うのですが、じつに残念なことでした。
 翻って今日、「歴史認識」において、期待できる作家は皆無のように思うのですが、いかがでしょうか。
 ところで、21世紀の日本の岐路となるであろう選挙の結果は如何。小生、ちゃんと「権利」は行使してきました。

失礼しました

佐伯真一
No.2241

 時事通信から、ようやく返事が来ました。地方紙に実際に掲載されるまでには、ある程度時間がかかるそうです。私宛には、掲載より早く、何らかの形で送ってくれるそうですので、それが届き次第、野口先生には私の方からお送りしようと思います(お騒がせした責任上)。慣れないことで要領がわからず、申し訳ありませんでした。
 司馬遼太郎の問題、実は拙著も、司馬氏の小説から得た知識を一つ二つ使わせて頂いていて、学恩を受けています。へたな「武士道」論の本を読むより、司馬氏の小説をいくつか読む方が、よほど勉強になると思います。
 ただ、史観の問題としては、野口先生のおっしゃる武士観の問題と共に、中国や朝鮮と日本の対比において、前者の儒教文化による停滞を批判するあまり、日本の柔軟さの良い面ばかりを強調しすぎてはいないかという点が気になっています。それが柔軟性として捉えられているうちはまだ良いのですが、いろいろと変化した日本文化を、妙な「一貫性」「固有性」において捉えようとする傾向が、その影響下に出てきているとすれば(司馬氏の責任とも言えないでしょうが)、問題だと思っています。 

「戦後歴史学(日本中世史)」の終焉。

No.2243

 しばしば指摘されるように、司馬氏の描く「明るい幕末や近代」はたしかに一面的に過ぎます。しかし、近代の多様性も再考の余地ありです。宮本常一の記録した近代など、若い人たちにちゃんと読んでおいてほしいところです。
 佐伯先生、書評の件、かえって申し訳ありません。しかし、「京都新聞」など共同通信配信の書評は手に入りやすいのですが、時事通信配信は存じませんので、たいへん助かります。
 小生も日頃の怠慢を反省して、新聞に書評を載せてくれるような本の執筆に取り組みたいと念じているのですが、「日暮れて、道遠し」です。

 永原慶二氏もお亡くなりになられ、いよいよ「戦後歴史学」も過去のものになりつつあるようです。日本国憲法も教育基本法も消えてゆくのでしょうか。
 今から20年ほど前、千葉県高等学校教育研究会歴史部会という長い名前の組織が主催した講演会(於、県立千葉女子高校)で永原先生が日本の中世国家についてお話をされた際、直接、言葉を交わしたことがあります。小生、ちょうど無理して博士論文を出版した直後の頃だったのですが、しかるべき研究者は誰も読んでくれていないのではないかと思っていたところ、永原先生から思いがけなく「立派なご本をお出しになられて」と言われて、お世辞でも心からうれしいと思ったことを想い出しました。心より御冥福を祈りたいと思います。

日本史の教科書

美川圭
No.2245

 永原慶二先生の訃報に接し、いろいろ考えさせられました。

 私は、『日本中世の社会と国家』というNHK市民大学講座のテキストをもとにした本で、かつて中世「国家論」の勉強をしました。古代から近世までの社会と国家の概説書として、簡潔で、よくできていて、教科書的に使うのに最適だったからです。大学で教える様になっても、しばらくテキストに使った覚えもあります。

 こういう、たくさんの先行研究に目配りした、教科書的な本は、なかなか書けないものです。「ある時代の」典型的な中世史概説といえる作品です。

 私は永原先生とは、お話したことはなく、丁重な抜刷のお返事をいただいたぐらいですが、お人柄もまさに「先生」という表現にふさわしい高潔な方、という印象があります。永原先生のご業績は、失礼ないいかたをすれば、現在の最先端の研究においては、乗り越えられるべき対象、ジャンルによってはすでに乗り越えられてしまった研究、という面があります。しかし、私と同じ世代の中世史家は、学生時代先生の本で勉強をした人が多いのではないのでしょうか。

 その意味でも、しばしの感慨にふけりつつ、ご冥福をお祈りいたします。

永原慶二先生の訃報

No.2246

 永原先生がご逝去になったという新聞の小さな記事を見つけ、愕然と致しました。
 今春、知人から先生が悪性の腫瘍を患っておられる由を聞き、心配しておりましたところ、その後快方に向かわれたと伺い安心していたのですが・・・。

 今年になって網野善彦、永原慶二という戦後中世史研究の前半・後半をリードされた先生方が相次いで鬼籍に入られ、先年の石井進先生とあわせて時代が大きく動いたという感慨を禁じえません。
 それにしても、各新聞における網野先生の訃報との扱いの違いには苦笑を禁じえませんね。大体、業績として重視されるのは学問の内容ではなく教科書裁判のことばかり。永原先生も冥界でむっとされているかも知れませんが、ただこれも客観的な業績評価という一面を否定できますまい。

 永原先生の明晰な領主制論は、それこそ上のスレッドで野口先生がご指摘になった司馬遼太郎の中世武士認識の淵源以外の何者でありません。
 膨大な史料を駆使して、中世の最初から戦国時代までを見通し、各時代の研究の規範を作られた業績は否定すべくもないのですが、まさに領主制の枠組の強固さに、戦後という時代の影響を痛感せざるを得ないと思います。
 永原先生の御著書、岩波新書の『源頼朝』は、挙兵から守護地頭あたりの達成までで筆を止められていたように思います。まさに、そのあとの頼朝の行動や事件に鎌倉時代を規定する要因があったのですが。
 ただ、今日から見た限界を指摘することはたやすいですが、中世史研究を推進し、更新の壁となり、強固な意志をもって学問の発展に尽くされたその業績の大きさは、誰しも否定することは出来ません。心よりご冥福をお祈りいたします。

 80年代の歴研大会で、永原、網野、黒田俊雄の3先生が談笑しておられる場面に遭遇いたしました。領主制、社会史、権門体制という戦後中世史を形作った理論の担い手の方々が一同に会した印象的な場面でした。
 論敵であるはずが楽しそうに(内心は存じ上げませんが)語らっておられるお姿に、大人の世界を感じたことでした。
 その三先生もすべてご逝去になったわけで、寂しさと時代の移り変わりを改めて感じた次第です。歴史学の果たしてきた役割や今後のあり方を考えざるを得ません。

 余談ですが、最近中公の日本歴史が文庫新装版で復刊されております。二巻には直木先生ご自身の解説が掲載されており、永原先生のそれも期待していたのですが。原稿は残されたのでしょうか。執筆者の先生方でご健在なのは、直木、青木、佐藤先生など、数えるほどになってしまわれました。
 このシリーズについては、某先生が印税で1965年当時稀有な全館冷暖房の豪邸をお立てになり、「人民のための歴史学などと言っているくせに」と嫉妬されたとか、お住まいの県の長者番付に載ったとか、銀座で豪遊して印税を使い果たし、税金が払えなくなったとか、話題に事欠きません。残念ながら、そんなエピソードも今となっては考えられなくなってしまいました。
 その編集長宮脇俊三氏も、旅行作家として活躍されましたが、昨年物故されました。井上光貞氏の文章に真っ赤に朱を入れた編集者としての気骨と、的確な指示があのシリーズの成功を呼んだのでしょう。

 ついでに余談。野口先生ご指摘の司馬遼太郎の鎌倉武士理解、高橋昌明先生の書物を読んでも、①と③は変わらないのではないでしょうか。

あたらしい「東国武士論」の構築を。

No.2247

 >美川先生  久方ぶりの御登場、とてもうれしく存じます。その後、ご体調は如何でしょうか。

 >元木先生  余談の御指摘ですが、「武士」理解と「鎌倉武士」理解を明確に峻別すればそのとおりだと思います。高橋先生が「鎌倉武士」に限定した武士論を展開されることを期待したいところです。もっとも、「鎌倉武士」と称するものは武士ではない、と斬り捨てられれば、それでおしまいですが。
 しかし、それこそ東国武士については、いまだに「領主制論」的発想が大手を振っている現状がありますから、あたらしい「鎌倉武士論」ないしは「東国武士論」を明確に提示する必要は大きいと思います。
 
 ちなみに、最近、院生・学部生さんたちの研究会で、東国武士関係の報告を聴くと、なにやら7~80年代以降の研究成果が踏まえられておらず、60年代に戻ってしまったような感じのものが多いのは何故なのでしょうか。関西圏に限った現象なのでしょうか?小生にはオールディーズを聴いているようで懐かしくて面白いのですが。
 
 なお、このジャンルに関しては、いよいよ川合康先生の論文集(校倉書房)が10月に刊行の予定とのことです。
 
 ところで、元木先生、清文堂の論集の方は如何ですか?

東国武士論

No.2249

 野口先生、ご指摘のとおり、高橋理論において所謂東国武士は「セミプロ」と位置付けられていますので、真正な武士には入らないようです。
 以前書評で記しましたが、王権に従属する真正な武士を勇猛なセミプロが打倒するという理解は、すなわち、貴族的武士を勇猛な東国武士が打ち倒すという通説的図式に帰結してしまいます。したがって、東国武士理解も、領主制論とどのように異なるのか不明確です。
 もっとも、頼朝挙兵に参加した武士にも真正な武士が加わっているとのことですし、幕府が出来ると武士認定方法が大きく変化し、荘園・公領制に反感をもつ武士が登場するとのことですから、鎌倉時代以降の鎌倉武士に関する理解を提示してもらいたいものです。
 王権に従属する武士を基軸として分析したのでは、平安は理解できても、中世、まして近世の武士は到底理解できないと思います。
 高橋先生をはじめ、当方も含めて武士職能論の研究では在京する武士=軍事貴族が研究の中心であり、東国武士が捨象されているのは事実です。このへんに武士職能論の限界もあるでしょうし、最近の若い方々が東国武士を論ずる時に領主制論に依拠する原因もあるのかも知れません。
 仰せのとおり、新しい東国武士論が必要な段階ですが、その突破口を開き、新たな研究水準を示すのは、やはり研究蓄積、史料分析能力などあらゆる面から見て、今日の東国武士論の第一人者の方であり、「更に他者にはあらざるか」。
 別に「大天狗」になぞらえるわけではありませんので念のため。
 
 清文堂の件、あと三人です。お一人は今週中に出すとのこと。あとのお二人は、「進めている」「なるべく遅れないようにする」とのこと。近藤先生あたりを編集補佐にして、取り立ててはどうかと思いますが。
 ちなみに今週出るという項目は清少納言・紫式部、まだなのが藤原道長、白河法皇・・・。
 日程を区切って、出さないなら交代させろと編集者に強く申しております。先方はリザーブなんているわけないと高をくくっておいでのようですが。
 最悪、道長は5巻に入れる、白河は『中世の人物』に入れたらいいと思います。
 なお『中世の・・』は古代完結後に刊行されるかもしれないとのことです。妄想の中で第一巻『院政と源平の戦い』の項目、執筆者を考えたりしているのですが、生きてるうちに出るやろか。

小城ゼミ旅行について。

No.2231

 今回のゼミ旅行の見学先・方針について、小生の考え方を示しておきます。
 時間に限りがありますが、博多を経由して時間のある人は、できれば承天寺・櫛田神社・住吉神社など、博多駅周辺の史跡見学をしていただければよいと思います。中世都市博多・元寇などを勉強する上でおおいに役立ちます。
 小城についてはおそらく、ゼミメンバーはほとんど知識がないと思いますので、十分な事前学習をお願いします。鎌倉時代に肥前国小城郡惣地頭として下総から入部した千葉氏の列島規模のネットワーク支配や文化の伝播などの材料が山のようにあり、この地はまさに日本中世史の宝庫なのです。また、真正な「小京都」、羊羹・日本酒の生産地として地域振興の観点から考察してみるのも野口君などには面白いかも知れません。
 当ゼミのメインテーマは「中世前期の歴史と文化」ですから、小城は今回の旅行の見学の中心に据えられるに相応しいところです。くわしい参考文献などは、後日紹介いたしますが、とりあえず、拙著『武家の棟梁の条件』のⅤあたりを読んでおいて下さい。ちなみに、『平家物語』の一本である『源平闘諍録』は、この肥前千葉氏に伝来したのではないかと小生は「想像」しています(拙稿「千葉氏の嫡宗権と妙見信仰」)。なお、小城への文化伝播を考えるうえからも、中世の博多の機能を理解しておいて欲しいところです。
 吉野ヶ里や大宰府も見学予定に組まれていますが、大宰府の場合、天満宮や観世音寺など個々の史跡も面白いのですが、水城(元寇の際も防衛戦となる)なども含めた空間として理解できるように心がけてください。
 中世後期の北九州について、朝鮮側の視角を理解する上で『海東諸国紀』(岩波文庫)を読んでおくのもよいでしょう。山岡さん如何でしょうか。この本には、小城の「千葉殿」も出てきます。
 ちなみに、肥前千葉氏は室町時代、周防の大内氏とも関係深いものがありました。京都文化の導入という点で影響しあっている可能性もあろうかと思います。防府出身の山内さんなど関心をもてるテーマだと思います。
 吉野ヶ里は、平忠盛が日宋貿易を行ったことで知られる神崎庄の地にあたります。弥生時代ばかりが喧伝されていますが、中世前期の地層からは舶載陶磁器の優品が出土していますから、資料館などでは展示品に要注意です。肥前一宮河上神社(千葉氏はこの宮司職を掌握)とともに、院政期研究を志している山本君・平田さんに興味を喚起したいところです。
 小城については、日蓮宗中山門流の教線拡大の点からもおおくの研究が蓄積されています。メンバー一人一人の関心に沿って、主体的に事前学習を心がけて、実りあるゼミ旅行を実現したいものです。
 ※ なお、当初予定されていた伊豆については、小生は年度内に調査旅行を計画しています。

祝!インターネット開通♪

山内 梓
No.2232

 長らく情報化社会に置き去りにされていた我が家にもついにインターネットがやってきました!付属のCD-ROMを見ながらやったので、接続も簡単に出来ました。いろいろと手続きをしてくださった鈴木さん、本当にありがとうございました。

 上記に先生が書かれておられる肥前千葉氏と周防の大内氏との関係ですがとても興味深いです。山口で生まれ育った私にとって大内氏はとても馴染み深いのですが、大内氏と他の守護大名がどんなつながりを持っていたのかは全く知りませんでした。今回のゼミ旅行を機にこのようなことも勉強してみたいと思います。

>山岡さん 
 昨日はノートありがとう。助かりました★

めでたし、めでたし。

No.2233

 山内さん、おめでとう。七夕の日に接続開始とは、グッドタイミングでしたね。
 同時に接続の申し込みをした山岡さんの方はいかがですか? 2回生がこの掲示板でおおいに羽振りを利かすようになると、当ゼミの将来も安心なのです。
 ところで、↓で紹介した「新選組展」ですが、招待券が一枚だけのこっています。

Re: 小城ゼミ旅行について。

山岡 瞳
No.2234

山岡家のインターネット接続状況は現在、進行中です。
山内さんとは違い、接続に少々工事が必要で、遅くなっています。
来週には接続できそうなので、その時はまた書き込みをしたいと思います。

ゼミ旅行事前学習会のお知らせ

No.2235

みなさま、こんばんは。
 さて、そろそろ旅行参加人数も確定し、いよいよ1ヶ月後にはゼミ旅行という事になりました。今回の行き先である佐賀県小城は、恐らく「行ったことがある」という方は少ないと思われます。そこで、
☆★☆7月26日14時から、旅行の事前学習会を開催したいと思います☆★☆
 野口ゼミの旅行に参加したことのある方はお分かりと思いますが、ゼミ旅行というのは、普段の教室や研究室では出来ない、その場に立って空間を「体験する事」が目的の殆どを占めています。でも、バスや電車やクルマに乗せられて「連れて行かれた」だけでは、体験した事にはなりません。自分がどこへ行くのか、そこはどういう場所なのか、なぜ行くのかという最低限の知識が共通理解として必要です。そして、その為に事前学習会を行うのです。というわけですので、出来る限り都合を付けて参加していただきたいと思っています。
 なお、26日には主に2回生の皆さまに宿題がありますので、ぜひぜひ2回生の方は欠席しないようにお願いします。
少しだけ触れておきますと、ゼミ旅行の中で出来るだけ多くの発見をしていただく為、「現地説明担当者」というのを決めたいと思います。ここまで書くと「なんだなんだ」と思って頂けたでしょうか?思うツボです。ひっかかりましたね(笑)
 詳細は26日にお話したいと思いますので、今回は事前学習会のお知らせのみしておきます。では、みなさま参加お願い致しますね~

祝!インターネット開通♪ part2

山岡  瞳
No.2236

山内さんに引き続きインターネットが開通しました。
手配をしてくださった鈴木さんありがとうございました。時代の波に乗り遅れないようにしたいです。家でいろいろと検索できるようになりましたので、時間を有効活用できるのがうれしいです。

ゼミ旅行参考文献案内、その一。

No.2237

 山岡さんがゼミ旅行の参考文献の収集を開始されたようですので、とりあえず思いつくままに、いくつかの文献を紹介します。
 ① まずは、地元の高校の先生方の手になる歴史散歩シリーズのうち『佐賀県の歴史散歩』『福岡県の歴史散歩』、それから県史シリーズの『佐賀県の歴史』『福岡県の歴史』。これらは入門編。いずれも日本史の教科書で有名な山川出版社刊。
 ② つぎに思いつくのが平凡社の日本歴史地名大系と角川の地名辞典の佐賀県・福岡県。
 ③ 大宰府については、ずばり教育社歴史新書の倉住靖彦『大宰府』があります。教育社歴史新書には外山幹夫『中世の九州』もありますね。
 ④ もっと簡単で分かりやすいのが川添昭二『九州史跡見学』(岩波ジュニア新書)。高校生対象ですが(ちょうどよいか?失礼しました!)、すぐれた内容です。
 ⑤ 宗像を中心に大陸・朝鮮半島と往き来した海民の活動をテーマにした川添昭二・網野善彦編『中世の海人と東アジア』(海鳥社)も面白い。
 ⑥ そして、いよいよ小城・千葉氏関連では、川添昭二「肥前千葉氏について」(同『九州中世史の研究』吉川弘文館)、野口「千葉氏と西国」(同『中世東国武士団の研究』高科書店)、同「東国武士と京都」(山田邦和編『京都・激動の中世』京都文化博物)・同「肥前千葉氏の遺産」(『地域総合研究』24-2、鹿児島経済大学地域総合研究所)、同「九州千葉氏とその史料」(『千葉氏関係資料調査報告書Ⅱ』千葉市立郷土博物館)などがありますが、最後にあげたものは参加者にはコピーして配布します。
 ⑦ 千葉氏の肥前進出に連動して、下総から小城に教線を拡大した日蓮宗中山門流については、中尾堯『日蓮宗の成立と展開』(吉川弘文館)があります。ちなみに、小城では、京都で本法寺を開き、将軍足利義教から「鍋かむり」の弾圧を加えられたという伝説で有名な「日親」も活躍しています。
 ⑧ 中山門流の本拠である下総中山法華経寺には、小城や千葉氏に関係する多くの中世文書がのこされていますが、それらについては石井進「『日蓮遺文紙背文書』の世界」(小川信編『中世古文書の世界』吉川弘文館)、同「鎌倉中期の千葉氏」(『千葉県史研究』1)などがあります。
 ⑨ 肥前一宮河上神社については、西岡虎之助「肥前国河上宮領の発達とその地方文化的意義」(同『荘園史の研究』下巻一、岩波書店)、工藤敬一「一宮社領免田の支配構造」(同『九州庄園の研究』塙書房)があります。
 ※ 肥前千葉氏については、最近、湯浅治久氏が鎌倉期における列島規模の信用経済の存在を示した、すぐれた研究を発表されていますが、それらはまた後日紹介しましょう。

 >ゼミ旅行顧問:八井健太@名鉄 様  ゼミ旅行ではいろいろお手数をおかけしていますが、何卒よろしく。あわせて、小生の調査旅行についての手配もよろしくお願いいたします。

 >山岡さん  とりあえず、思いつくままに参考文献をあげさせていただきました。コピー代で破産しないように気を付けてください。
 山岡家のインターネット接続→「この掲示板の占領」、楽しみにしています。

ドジしちゃいました、また。

谷垣 有香
No.2240

補講期間中に介護等体験&帰省中の谷垣です。

 今日(11日)、いつものように朝刊でテレビ欄チェックをしていたら、地元のテレビ番組で、偶然にも佐賀県の小城町の紹介をする番組を発見しました。
 もちろん、「事前学習にも使えそう☆」っとビデオの予約をセット。が!相変わらず、ドジな私。またやってしまいました・・・。番組開始時間を間違えてしまったのです。なので、リアルタイムでも見れず、ビデオにも録画されずといった結果になってしまいました。ブラウン管を通してですが、小城を見れるいいチャンスだったのに・・・自業自得ながら、残念・無念です。
(ちなみに番組名は『小京都の旅』というものでした。)

>山内さん&山岡さん
 (山岡さんも、もうすぐ開通ということで)インターネット開通おめでとう!
 私もそろそろ、時代の波に乗らねばなりませんねぇ。


 

「男はつらいよ」に見る 小城。

No.2248

 >谷垣さん  残念でした。小生もよく失敗します。昨日はA3の大量の文書のコピーをとるのにB4で設定したために、大損を致しました。耄碌は即、経済に跳ね返ります。「もったいない、もったいない」。「もったいない」と言えば、↑の書き込みの下の余白ももったいないです。もっとも、小生の書き込みこそ、掲示板をもったいなく使っているのかも知れませんが?

 ところで、小城に関する視覚資料としては、「小城町ホームページ」がありますが、おもしろい映像資料として松竹映画「男はつらいよ」シリーズ第42作「ぼくの伯父さん」を紹介いたします。このシリーズは70年代から90年代にいたる日本社会を活写していて貴重ですが、おそらく若い世代には、主人公の寅さん的な対社会観に反発を感じる人が多いと思われ、実際若者ウケはしないと思うのですが、小生には「ラスト・サムライ」なんかより、よほど魅力を感じる映画です。
 それはさておき、この42作は舞台が佐賀県で小城町や吉野ヶ里遺跡が登場します。県立小城高校とか千葉(祇園)城跡、JR唐津線小城駅など、どの場面に登場するか、しっかりご覧あれ。地元の鍋島氏の顕彰を生き甲斐にしているような郷土史家という(興味深い)キャラクターも登場して、歴史を学ぶ我々としては笑ってばかりもいられないところもあります。
 主演はもちろん渥美清ですが、ストーリー上では吉岡秀隆と後藤久美子ですから、まあ若い君たちにも楽しめると思います。できれば事前学習会の26日までにレンタルビデオで、ぜひ御覧おき下さい。

高台寺茶会のご案内

No.2228

先日の「お疲れ!」会、お疲れ様でした。
滑川さんや荒木さん、末松さんをはじめ久しぶりにお話できた方々もいてとても楽しかったです。
二次会はカラオケでしたが、谷垣さん&廣瀬さんは朝までオールし、山本さん、山内さん、山岡さんは先行オールナイトで映画を見に行ったとのこと・・・みなさん若いですね♪(pにいちゃんも)
私は酔うと眠くなる体質のためカラオケのはじまりあたりからうとうとしてしまいました。チーン☆
野口くんのテーマ曲「Autmatic」は聴く価値がありました 笑
そして最後になりましたが、飲み会番長の田中さん、楽しい企画をありがとうございました♪

・・・・前置きが長くなりすぎましたが本題に入らせていただきます。
飲み会の席でも何人かの人にはお知らせしましたが、七月十五日の夕方から高台寺で催される”夕涼み「浴衣の茶会」”http://www.kodaiji.com/へ行きます。(今のところ田中さん、高木さん、山岡さんが一緒に行くことになっています。)
もし一緒に行きたい!!という方おられましたら事前予約をしますので5日までにここに返信するか永富までご連絡ください。

佐賀へのゼミ旅行について

No.2226

下のスレッドで山本さんから告知がありましたように、諸般の事情で行先を伊豆から小城へと大きく変更することとなりました。行先変更に際し、幹事を田中・門屋の両名で担当することとなりました。この段階での急な変更ですがよろしくお願いいたします。なお、伊豆旅行への参加を表明されていた方も門屋 atsu-k@ka3.so-net.ne.jp まで再び参加表明をお願いします。
具体的な行程に関しては後日再び掲示いたしますので、ここでは交通機関・宿泊などについて記しておきます。
日程:8月8から10日(厳密には7日夜から11日朝)
行先:佐賀県小城郡など
往復の交通:
経費節減の為「ムーンライト九州」を利用します。
【往路】7日 21:33京都駅発「ムーンライト九州」
         ↓
    8日 7:27 博多駅着

【復路】10日 21:09発 博多駅発
         ↓
    11日 7:03 京都着

宿泊先:佐賀市山水荘 http://www.sansuiso.co.jp/

交通費・宿泊費・レンタカー代の合計が約¥21390
です。食費などを入れても3万以内で収まると思います。

なお、ムーンライトでの往復が都合によりできない方は新幹線のチケットを押さえますのでその旨メールに明記してください。途中参加等も同様です。
新幹線希望の方は別にメールを送付いたします。

チケット確保のため返答を7日夜までにお願いします。
急な話で申し訳ありません。よろしくお願いします。

お疲れ様→→→ゼミ旅行について

No.2217

みなさま、昨日の「お疲れ!」会は本当にお疲れ様でした。飲み会番長としては、「盛り上がって、よかったわ☆」という感じでした。とにかく、これで全ての飲み会スケジュールを消化いたしましたので、飲み会番長は名前を変えてゼミ旅行に登場することになろうかと思います。
 さてそのゼミ旅行ですが、紆余曲折を経て少々内容に変更がありました。ので、告知はお願いしますよ~、山本さん、平田さん。

ゼミ旅行の行き先変更について詳細とお詫び

No.2219

 いろいろとゼミ旅行について二転三転してすいません。 
突然で申し訳ないのですが、今年の夏のゼミ旅行の行き先は伊豆から佐賀県の小城に変更となりました。
行き先は伊豆を予定していましたが、旅費が4万近くになり、従来のゼミ旅行の旅費に較べてかなり予算が高額になってしまうこと。またシーズン中のため伊豆で旅館が取りにくいこと、もしくは宿代がかなり高額になってしまうことなど、いろいろ諸事情が重なり今回の旅行先を変更しました。旅費などのことや混雑のことなどを幹事としてあまり考慮に入れなかった事や旅行参加者である野口先生・ゼミメンバーの皆様方には、情報が錯綜してしまいご迷惑をお掛けしたことと、行き先が同じ伊豆であるという関係から、いろいろと配慮していただきました学習院大学の兵藤先生や重政さん、また当ゼミの旅行顧問である八井さん等、多くの方々にご迷惑をお掛けした事を深くお詫び申し上げます。
 変更先の佐賀県小城のゼミ旅行幹事については、田中さん門屋君両人にして頂くことになりました。小城に関しては、日程はそのままで(8月8日・9日・10日)、旅費も2万5千円前後になります。小城に関する詳細は掲示板でまた告知します。
 

「新選組展」見学のすすめ。

No.2230

 東国に下って晒し首になりそうなので、近藤勇にシンパシーを感じると書き込んだばかりですが、上記の如く、おりしも予期せざる急な方針転換が発生するなど、当ゼミもいよいよ新選組的な風貌を顕わなものにして参りました。
 これから粛清の嵐が吹きぬけるものなのか?そんな感慨を禁じ得ませんが、ちょうど京都文化博物館で、その新選組をテーマにした企画展が開かれていますから、その御案内。
 たしかに大河ドラマに乗じた企画ではありますが、小生の元同僚にして畏友たる大塚活美氏(同博物館学芸員)が企画委員として参加されているだけのことはあり、中身は実に充実。展示資料も多く、ふだんは1フロアーなのに今回は3・4Fの2フロアーを使っています。
 新選組について、体制側の暴力組織としての評価は免れませんが、近藤や土方の書状などを仔細に見ていくと、それなりの思想研鑽の過程が理解でき、どうも60~70年代の学生運動のリーダーのイメージがオーバーラップしてきました。度重なる内部での粛清も、路線闘争やら内ゲバと共通するものを感じて、ただのヤクザ集団という見方は一面的だったと反省させられました。
 問題なのは、幕末の政治状況・思想状況を無視して、暴走族的目立ちたがりの発想で、これにのめり込んでいきそうな若者の多い当世の時流です。20世紀60~70年代に大学に身を置いて、すこしでも学生運動に関与した者(当時のふつうの大学生)にはイデオロギーと自己の生き様の問題が実感できると思うのですが・・・。
 もっとも、当時の普通の大学生は何処に消えたのか?今の日本は当時の普通でない大学生だった人たちの掌中にあるが如き有様のようにも思えます。
 ・・・などなどと、過去にしか身の置き所のない50オヤジは考えるわけですが、ぜひゼミメンバーも、じっくり見学して変革期の若者たちの、ある生き様を感じ取って、今と引き比べて考えてきてください。
 ちなみに、たとえ「オートマチック」でも、野口君はすくなくとも、もう二度もこれを見に行っているのです。
  会期は7月19日まで。
  京都府京都文化博物館は、地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅下車、徒歩3分。