コラム①現在20000冊の本と格闘中!
No.2042
タイトルの通り、毎日20000冊の本と格闘しています。
林屋辰三郎氏寄贈の本、つまりは林屋氏がもともと所蔵していた本なので、本の間には往々にしていろいろなものが挟まれています。中でも注目してしまうのは「謹呈」と書かれたしおりです。以前、私が古本で買った『愚管抄』には校注者である岡見正雄氏の札が入っていて、驚いた覚えがありますが、林屋氏の本の多くにはそうした札がはさまれています。「謹呈 著者」という印刷の物が多い中で、今日ひときわ目を引いたのは「謹呈 網野善彦」「謹呈 石井進」という二枚の自筆の札でした。
もちろん、どちらも私にとっては活字でしか会ったことはありませんし、静止画は見たことがあっても、動画ではお目にかかったことはありません。つまりは、2次元の存在だったのです。丁寧で几帳面そうな字で書かれた謹呈の札は、亡くなられても本の向こうには実際に著者がいるのだという事を痛感させてくれました。そう思うと、本を読むのがますます楽しみになるような気がします。
資料館の仕事はまだまだ続きますが、毎日小さな発見があります。先日、本の分類も1000冊を突破しましたが、それでもあと19000冊が目の前にあります(^^;
「コラム①」としましたが、②以降があるかどうかはわかりません(^^ゞ何かあれば、また書き込みします☆
林屋辰三郎氏寄贈の本、つまりは林屋氏がもともと所蔵していた本なので、本の間には往々にしていろいろなものが挟まれています。中でも注目してしまうのは「謹呈」と書かれたしおりです。以前、私が古本で買った『愚管抄』には校注者である岡見正雄氏の札が入っていて、驚いた覚えがありますが、林屋氏の本の多くにはそうした札がはさまれています。「謹呈 著者」という印刷の物が多い中で、今日ひときわ目を引いたのは「謹呈 網野善彦」「謹呈 石井進」という二枚の自筆の札でした。
もちろん、どちらも私にとっては活字でしか会ったことはありませんし、静止画は見たことがあっても、動画ではお目にかかったことはありません。つまりは、2次元の存在だったのです。丁寧で几帳面そうな字で書かれた謹呈の札は、亡くなられても本の向こうには実際に著者がいるのだという事を痛感させてくれました。そう思うと、本を読むのがますます楽しみになるような気がします。
資料館の仕事はまだまだ続きますが、毎日小さな発見があります。先日、本の分類も1000冊を突破しましたが、それでもあと19000冊が目の前にあります(^^;
「コラム①」としましたが、②以降があるかどうかはわかりません(^^ゞ何かあれば、また書き込みします☆