賀茂祭(葵祭)路頭の儀

No.1962

 ゼミメンバーや小生の講義を履修している皆さんには、お暇があったらぜひ見に行くようにと言っておきたかったのですが、葵祭は行かれましたか?
 午前中は昨年とうって変わった好天に恵まれ、例年、この時ばかりは自らの「東夷」であることをしっかりと自覚させられる小生は、都人の雅やかな行列に目を奪われて参りました。今回とくに注目させられたのは斎王列にしたがう騎乗の女性で、中世の史料に散見する「女騎」を思い出しました。
 しかしながら、本日は世間の休日たる土曜日。したがって、人出は並たいてのものではなく、京阪電車も市バスも首都圏の通勤時間並みの混雑でした。
 ついでに立ち寄った市の歴史資料館もお客さんでいっぱいでしたので、配布されている「京都の歴史年表」をいただいて早々の内に退散致しました。
 ちなみに、藤原新也氏のサイン会もさぞや盛況のことと思われます。

 ☆ 白井克浩氏から御高論「『金槐和歌集』の政治的背景-鎌倉前期公武関係史の一齣-」掲載の『藝林』53-1を御恵送いただきました。あつくお礼申し上げます。また、『紫苑』2掲載の長村君の論文を高く評価されたお手紙をいただきました。

拝啓「再興中世前期勉強会」様。

No.1963

 GWの後、大学院に進学した人は勉強が本格化し、院試をひかえながらもひとまず嘱託や非常勤の仕事を始めた人も忙しくなり、四回生はゼミ報告、二回生はネット接続をしていない・・・等々の事情でメンバーの書き込みが少なくなっているようです。ひとりで書き込んでばかりいるのは申し訳ないような気がするのですが、かかる事情を踏まえて、おゆるしください。
 
 ところで、本日、関東において主に鎌倉時代史を専攻されている研究者の方々によって結成されている再興中世前期研究会の会報誌『段かづら』第3・4合併号を20部、同会事務局を担当されている角田朋彦氏から御恵送いただきました。あつくお礼申しあげます。ちなみに、角田さんは千葉県文書館にお勤めで、名著出版から野口編で『第二期関東武士研究叢書 千葉氏の研究』を刊行したさい、大変お世話になった方です。
 いただいた『段かづら』はゼミメンバーの鎌倉時代専攻者と京大の元木先生のもとで開かれている研究会に参加されている方におわけしたいと存じます。
 角田さんからのお手紙によると、同研究会のかなりの方々がこの掲示板をご覧になられているとのこと。恐縮しております。研究会メンバーの皆様、京都女子大学は鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題址を見下ろすところにございますから、御上洛のおりには、ぜひお立ち寄り下さい。
 メンバーのなかには、なつかしいお名前も散見しておりますが、今後ともよろしくご交誼の程、お願い申しあげる次第です。
 なお、お礼代わりにもなりませんが、こちらの『紫苑』も数部で恐縮ですが、お送りするようにしたいと存じます。
 当ゼミメンバーには、明日の日本史研究会・大阪歴史学会合同の卒論報告会で配布したいと思います。お楽しみに。なお、小生は午後から参上のつもりでおります。
  
 本日の葵祭の行列は予定時間よりだいぶ遅れて進んでいたのですが、その理由は馬の暴走にあったようですね。史料にも、ときどき落馬の記事が出てきますから、こういうこともあり得ることです。
 それから、藤原新也氏のサインですが、当家ではしっかりと入手いたしました。

京都市歴史資料館

田中裕紀
No.1964

野口先生、こんばんは。
資料館にいらっしゃってたんですね(^^)
今日の葵祭は、すぐ近くでやっていたにも関わらず資料館での仕事中で見ることはできませんでした。お天気の良さに誘われてお昼は外で・・・と展示室に出てみると、たくさんのお客さんがいてびっくりでした。
 さて、今日でおつとめの1週目が終了しました。朝家を出る時間が早いのがちょっと大変ですが、仕事の内容はとても楽しいものでした。初日は、京大の佐伯さんもいらっしゃる事がわかってホッとしたことから始まりました(働く場所は違うのですが)。そして、その佐伯さんも「ドキドキするわ~」とおっしゃるほど膨大な林屋辰三郎氏寄贈本は、仕事を忘れて読書に没頭してしまいそうになります(もちろんちゃんと働いていますが)。一緒に働いているのも京女大の瀧浪ゼミを今年卒業した、つまり樹里ちゃんの同級生だった女の子で、この最初の5日間の間にすっかり仲良くなってしまいました。同世代の人も多く、毎日とても楽しく仕事をしています☆(長村くんありがとう(^^))週5日間で朝から夕方までなので、始めは自分の時間が上手く取れるのか心配していたのですが、心配し損だったようです。せっかくの資料館生活ですから、ゼミの皆さんに還元できる所はしていきたいと思います。

Re: 賀茂祭(葵祭)路頭の儀

No.1965

自分は主に承久の乱前後を研究しておりますので、
白井克浩様のご研究には多大なる学恩を賜っております。
拙文をご高覧頂いたのみならず評価して下さったようで、感動の極みであります。ありがとうございます。
白井様に雑誌お送りの労をとって下さった野口先生のお心遣いにも感謝申し上げます。
・・・というわけで自称鎌倉時代専攻者なんですが、あつかましくも『段かづら』欲しがっても宜しいでしょうか??

田中さん、僕は大したことしてないですけど、いつものご恩を思えばですよ(笑)

山本さん、頑張って下さい!!

杉橋先生・元木先生、最後になりましたが、そして私事で恐縮ですが、本日はごちそうさまでした。

日本刀対ピストル、どっちが勝つか?

No.1960

『トリビア』、ご覧になっています?先週の放送で、「日本刀とピストルが戦ったら、どっちが勝つか?」というトリビアがありました(たしか、トリビアの種、だったかな)。で、確かめるために、固定した日本刀に正面から、5メートルの距離から44口径のガバメントをぶっ放す、という実験まで行ったのです。結果は、何度やっても弾丸は真っ二つ。日本刀の方は刃こぼれすらしていない、というものでした。これで、戦ったことになるのかどうか、はなはだ疑問ですが、日本刀の強さに感動した次第です。
で、昨日のクイズ・ヘキサゴンは、時代劇スター特集でした。意外にみなさん、知識が乏しいことが露呈し、笑えましたが、その一方で、時代劇に出演する俳優さんたちは、そうした伝統文化の知識を最初に叩き込まれるようで、最近、格さん役をやっている若手が、結構ちゃんと答えていたのに、びっくりしました。あの業界には、そうした文化がちゃんとあるのですね。いや~感心、感心。ところが、ある総合誌で武士道の特集をしているのですが……。(つづく)

「藤原新也の聖地 旅と言葉の全軌跡」開催

No.1961

 石浜さん、つづきを楽しみにしています。永富さんも、ゼミ報告を済ませたら連休レポートのⅡをよろしく。

 タイトルの展覧会は、大丸ミュージアムKYOTO(大丸京都店6F)で開催中です。25日(火)まで。ゼミ生必見のこと。などと言って、見逃す可能性が一番高いのは小生ですが。詳細は下記を御覧下さい。
 http://www.daimaru.co.jp/museum/schedule/kyoto/index.html

 ☆ 新刊のおしらせ
  小野一之・鈴木彰・谷口榮・樋口州男編『人物伝承事典 古代・中世編』(東京堂出版)が刊行されました。執筆者は第一線の方たちばかり。国文学で説話・伝承・軍記物を専攻されている方や歴史のジャンルで思想史関係に関心のある方には必備だと思います。
 樋口州男先生・鈴木彰先生・戸川点先生・谷口榮先生の連名で御恵送いただきました。あつくお礼申しあげます。

 ☆源健一郎先生ご来訪のおしらせ
 17日のちょうど『吾妻鏡』講読会の終了時刻頃、源先生が所要で研究室にお出でになります。ご多忙中ですが、ゼミ生諸姉兄のご挨拶程度ならばお許し頂けると存じます。

 >山本君
 いよいよ、明後日ですね。短時間に先日の報告程度の内容が出席者に伝達できれば上出来だと思います。聴講に行かせていただくつもりではおります。目下、12世紀の越前斎藤氏については貴兄が第一人者だと思ってよいでしょう。

 ※ この掲示板へのアクセスですが、どうやら昨晩から本日未明にかけての時間帯に40000件を突破したようですね。

  ところで、明日は賀茂祭、いわゆる葵祭です。

重盛は摂関家なのか

重政 誠
No.1958

学習院の重政です。
以前書き込みをしたときに、下の方をつらつらと眺めておりましたら、野口先生が『日本歴史』の高橋昌明先生の論文を紹介しておられましたが、先日入手し楽しく拝読しました。
先生のゼミで検証するとおっしゃっておられましたが、どのような議論がなされたのでしょうか?小松家の位置については専門外なのでなんとも言えませんが、後半部の高橋先生も書くのを慎重にしておられた部分は、文学系の私にとりましては非常に興味深い点です。
以前から私もその部分に注目し、重盛の『平家物語』での描写の優越性にはそこら辺の絡みもあるのではと、修士論文でも多少触れておきました。野口先生の意見をお聞かせ願えれば幸いです。

重盛と摂関家。

No.1959

 重政君、こんにちは。小生の書き込みは藪蛇だったみたいですね。ゼミではまだ、検証の機会は得ていませんが、四月から高橋先生の門下への祗候をゆるされた山本君、平田さん、如何ですか?
 高橋先生は重盛が忠実の血を引いていることを想定され、その邸である小松殿の名称も、摂関家が宇治に所有する同名の邸に由来すると考えておられるようです。また、清盛が道長を理想としていたことも指摘されていますから、摂関家との絡みで『平家物語』における平家を評価しなおしてみるのも試みとして面白いと思います。
 いずれにしても重政君自ら、高橋先生の「重盛の母」(『女性史学』7)や「後白河院と平清盛」(『歴史評論』649)を御覧になって検討してみて下さい。また、この掲示板でも紹介させていただいた樋口健太郎氏の『ヒストリア』最新号掲載の論文は平家と摂関家の関係を正面から取り上げていて有益です。
 6月26日の京女の公開講座は高橋先生と兵藤先生にお願いしていますから、兵藤先生と一緒にお出でになって、高橋先生に直接尋ねてみたら如何でしょうか。

 ☆ 例によって「ついでに」、京女の学生さんへ
  宗教部発行の『ふんだりけ』の今月号に、平田さんや永富さんのご活躍を前提に、新入生に向けた文章を掲載しました(野口の写真入り)。L校舎のエレベーター前などに置いてありますから、ぜひ御「笑」覧の上、感想を聞かせてください。

書評:大石直正著『奥州藤原氏の時代』

No.1957

 『歴史評論』6月号に上記書評を掲載していただきました。中世東北史研究の泰斗であられる大石先生の論文集の書評など身に余る仕事で、小生の非力ゆえの遅れと、提出後掲載まで時間を要したことで今に至ってしまいました。遅きに失したの感なきにしもあらずですが、ご笑覧いただければ幸いです。
 書評とはいえ、かなりの部分、これまで大石先生の御意見と相違する点について、発表するのに適切な場の得られなかったこと(私信などでは申しあげていましたが)を率直に展開させていただきました。すなわち、柳之御所遺跡で検出された折敷墨書の「人々給絹日記」の人名比定と「源頼俊申文」の「清原○衡」の○を貞と読むか真と読むかについての問題です。とくに後者については、投稿後のことでしたが、この掲示板で多くの方々から小生の見解に賛成する旨の御意見を頂き、美川先生をとおして田中倫子先生にもご判読いただいて、「貞」と読むべき事で決着したと考えているものです。
 最近では、東北の研究者の中にも、上記の2点について小生と意見を同じくする方が現れてきており、議論の高まりを期待したいところです。よろしく、御検討下されば幸いです。

研究発表について

No.1955

お知らせが遅くなりすみません。
次回(五月十二日)の研究発表は、私、永富絵里子が卒論にむけての経過報告という形で「三昧聖について~中世から近世の惣墓を中心に~」ということで発表させていただきます。
まだまだまとまっておらず、つたない内容で申し訳ないのですが、これから卒論を書くにあたりぜひみなさんからのご意見やアドバイスをいただけたらと思います。どうぞよろしくおねがいします。
場所は共同研究室で18:00からを予定しております。

主な参考文献は
細川涼一編『三昧聖の研究』 戒光祥出版 2001年
勝田至著『死者たちの中世』 吉川弘文館 2003年
です。よろしくおねがいします。

三昧聖と懸賞金。

No.1956

 プリンセスのご報告、楽しみにしています。ゼミメンバーにこの分野をとくに専攻している人がいないのが残念です。小生もまったく不案内ですが、昔、京都駅北側の中世「七条町」といわれた地域の発掘調査のさい、あのあたりが室町期に墓域化した際に三昧僧の活動が見られることを報告書に書いたような記憶があります。
 それから、三昧聖や惣墓については東京女子大学の高田陽介先生が精力的に研究をすすめられているようです。
 「中世の火葬場から」五味文彦編『中世の空間を読む』
 「戦国期京都に見る葬送墓制の変容」『日本史研究』409
 「三昧聖-畿内惣墓地帯の集団-」『近世の身分的周縁』1
などのご研究があります。

 ついでにて失礼ですが、昨日の演習や『吾妻鏡』の時間に紹介いたしましたように、ミネルヴァ書房では日本評伝選の刊行を記念してこのシリーズ既刊分にたいする読書感想文を募集しています。当然それなりの賞金も用意されています。そこで、提案・・・
 ☆ 元木泰雄先生著『源満仲・頼光』を読んで、懸賞金を獲得しよう。(もちろん、ほかの本でも良いのですが。)
 くわしくは、下記をごらんあれ。
http://www.minervashobo.co.jp/

 さらに、元木先生の御著作に関連して、『平清盛の闘い』の内容・記述の一部を某作家が盗用したという問題に関する資料は下記を御覧下さい。
http://members.at.infoseek.co.jp/shirohata1180/ikemiya3.html

『愚昧記』の翻刻と注釈の御紹介など。

No.1953

 ここ数日の間に、金井静香先生から「中世末期における近衛家と島津氏の交流-近衛政家・尚通・稙家-」、福島金治先生から「下総東禅寺と鎌倉極楽寺・称名寺」「災害より見た中世鎌倉の町」、高橋昌明先生から「エドワードJ.シュルツ氏の報告によせて」「御白河院と平清盛-王権をめぐる葛藤-」「平重盛の小松殿と小松谷」「キツネ・油揚げ・トンビ」「異界との接点・戻橋」「『愚昧記』安元三年(治承元)春夏記の翻刻と注釈(下)」、鹿児島県歴史資料センター黎明館から『鹿児島県史料・薩摩藩法令史料集一』『同・旧記雑録拾遺伊地知季安著作史料集五』の御高論・史料集などをいただきました。ありがとうございました。追って、お礼状を差し上げたく存じますが、とりあえずお礼かたがた拝受の御報告をさせていただきます。
 ところで、高橋先生からお送りいただいた『愚昧記』安元三年春夏記の翻刻と注釈は、すでに刊行されている治承元年秋冬記、安元三年春夏記に続くものですが、今回はとくに平家軍制に関する記事の多いところで、平家研究に資するところが甚だ大きいと思いますので、とくに御紹介させていただきます。小生のように、翻刻史料にのみ頼りがちな者にとっては、たいへんありがたい次第です。なお、申し遅れましたが、これは神戸大学大学院文化学研究科『文化學年報』第二三号に掲載されています。
 高橋先生はもとより、最近、神戸大学大学院に在籍された、あるいは在籍されている、栗山圭子氏や樋口健太郎氏が平家に関する優れた研究を続々と発表されている背景には、この翻刻と注釈作成への取り組みがあったのだと思います(後輩となった山本君・平田さんも頑張ってください!)。やはり史料をきちんと読み込む勉強をしなければいけませんね。
 当ゼミでは入門編として『吾妻鏡』の講読を行っていますが、夏休みにはまた写真版を使った勉強会を企画したいと思います。昨年は「鏑矢伊勢宮方記」を読みましたから、今年は同じく源義朝関連で「天養記」など如何でしょうか。ゼミメンバーからの御意見を徴したく存じます。
 なお、夏の史料講読会にはゼミメンバー以外からも、とくに中世成立期の東国武士団についてご関心のある方の参加を歓迎したいと思います。詳細は後日掲示します。

 ☆ ついでながら、明日(月)の演習ならびに『吾妻鏡』講読会出席のみなさんへ
 ・本年度の総合教育科目(Ⅰ・Ⅱ講時)演習参加者は実に意欲的で、報告が楽しみなのですが、履修者が多いために、報告の時間が十分にとれず、また2コマ別の演習が連続しているために、質問等に応じることが出来ず残念です。相談などあれば、別の時間においで下さい。また、授業時間の有効利用のため、レジュメの配布など段取りをよろしくお願いいたします。
 ・『吾妻鏡』講読会(12:30~)は共同研究室で行います(Ⅱ講時の演習もここで行っています)。直接ご参集ください。小生はしばし自室で休憩の後、参上します。
 
 >野口君。 南禅寺展は如何でしたか?

報告:南禅寺展

野口 洋平
No.1954

皆さんこんばんわ。先日京都国立博物館特別展南禅寺に行ってきたので簡単に報告させていただきます。この展示は南禅寺を開いた亀山法皇七百年忌を記念に南禅寺の全面協力のもと、国宝、重文を含む名宝の数々を公開しています。
代表的なものをいくつかあげますと、狩野探幽筆「群虎図」円山応挙筆「雪景山水図」などの障壁画。南禅院「亀山法皇坐像」三門「十六羅漢坐像」などの仏像。そして注目したいのは「実ミ卿記」や「亀山殿御逆修願文集」など南禅寺草創や所領関係の文書が多くみられる事です。ほかにも「惟康親王願文」や以心崇伝の「武家諸法度」などもあり、興味のある方は是非足を運んでみて下さい。
南禅寺展では普段公開していないような名宝を間近で見る事ができます。例えば亀山法皇坐像は現存最古の天皇の頂相彫刻ですが、普段は南禅院の本堂奥にお祀りされており一般の人がこのように間近で見れる事はまづありません。他にも今回初公開のものやおそらく最後になるかもしれない品もいくつかでています。どうぞ御見逃し無き様ご注意下さい。
最後になりますが南禅寺展のもうひとつの魅力をお伝えします。それは博物館の拝観券で南禅寺の方丈、三門、南禅院も拝観できるという事です。単純に三つの場所を観ようとすれば共通券でも千円かかります。それを今回は拝観券を見せるだけで無料で拝観する事ができるのです。博物館である程度知識をつけた上で実際お寺を見て廻ればまた違った見方ができると思います(あるいは逆でもいいのですが)
言うまでもない事ですが京都の歴史を考える上で南禅寺は極めて重要な意味をもっています。今回の南禅寺展では禅宗やお寺にあまり関心がないという人でも必ず何かを得る事ができるはずです。またこれを機会に興味がもてるかもしれません。
会期ももうあとわずかになってしまいましたが皆さんどうぞ一度足をお運び下さい。

追伸>南禅院は以前ガイドのバイトをしていたのでもし希望があれば案内しますよ

連休レポートその①

永富 絵里子
No.1941

先日(といっても連休前ですが)、高木さんに誘われ京都芸術劇場へ”創生「幽玄の観樂」”http://www.k-pac.org/theatre/koen/2004/sy040429/index.htmlを鑑賞しに行ってきました。
素晴らしいステージだったのでここにレポートを書かせていただきます。

たまたま高木さんと卒論の話をしていたら話がはずんで仏教と音楽の話になり、もし興味があるなら 聲明で有名な中山玄晋さんのステージがあるよ・・・ということで連れて行ってもらうことになったのです。
このステージはどういうものなのか簡単に説明するとツトム・ヤマシタという世界的な打楽器奏者(←彼は一時期より良いサヌカイトを求めて京北町へ来ていたらしい)が能楽師、観世榮夫さんと組んで「観樂」という新しい芸術を創生し、それは音と動きと謡いと物語を融合し「観ながら音楽を楽しむ」というものです。
そこへさらに、国際的に知られている横笛の赤尾三千子さんと声明の中山玄晋さんを迎え、幽玄の世界を創り出す・・・というものです。
ステージが開演すると、ツトム・ヤマシタのサヌカイト演奏からはじまり、次第にそこへ中山玄晋さんの声、観世榮夫さんの能、赤尾三千子さんの横笛・・・と徐々に要素が加わってゆき全部がそろった時ありきたりな表現ですが、まさに自分が今さっきまで座っていた劇場からどこかの世界へ飛んでいったような錯覚を受けました。(「普段から飛んでいってるじゃないか」というつっこみはナシですよ☆笑)
また、その幽玄の世界を表現する要素として大きく関わっていたのが照明効果でした。
いわゆる普通の赤や青に変わるスポットライトだけでなく、背景として現代を象徴する映像やCGが使われていたことも印象的でした。
ツトム・ヤマシタのステージは小学校に入るかはいらないかぐらいの頃に、一度黒田小学校(京北町)で催されているのを両親と見に行ったことがあったのですが、そのときは「きれいな音やな~」と思ったぐらいしか記憶がないので今回あらためて聴くことができたこともよかったです。

もしこのようなステージに興味があられる方、おられましたら五月二十九日にまた同じく京都芸術劇場で「 聲明(しょうみょう)と雅楽(ががく)でおりなす舞楽法会(ぶがくほうえ)」http://www.k-pac.org/theatre/koen/2004/sy040529/index.htmlという公演もありますので見に行ってみてはいかがでしょうか?

以上、レポートでした♪

立命館シンポレポート(全)

No.1947

 永富さんの連休レポートの間に失礼致します。
 >永富さん カラーボックス(木目調)2コ、研究室に持って参りました。お気に入りましたら「鈴木運送のカボチャの馬車」のお手配をどうぞ。

 さて、昨日のシンポ「歴史と文学のはざま」には、主催者側のお立場で永井路子氏の送迎役をつとめられた滑川さんは別格として、田中・山岡・山内さん、山本・野口君が参集。終了後、花園大学の山田先生御夫妻とともに2時間ほど歓談にときをうつしました。
 さて、まず永井路子氏の基調講演ですが、タイトルは「歴史小説を書きながら-小説家、史料を読む-」というもので、『吾妻鏡』の曾我兄弟の仇討ちと源範頼・大庭景能・岡崎義実失脚に関する記事を提示して、仇討ち事件の背後にあるものを追究したお話しでした。すでに、多くは氏の著書で拝読したことのある内容でしたが、さすがに『吾妻鏡』を徹底的に読み込まれ、また東国武士団の動向に通暁されているだけに、たいへん面白く拝聴致しました。京都では東国武士団に関する細かい話は、する一方で、聞く機会はほとんどありませんから、その意味でも楽しかったのです。
 講演1は、大山喬平先生の「歴史の面白さ-その事実と叙述と-」。『峰相記』は地域史の歴史叙述として評価すべきこと、歴史は事実だから面白いこと、また、悪党と臨済禅の結びつきなどを指摘されました。
 講演2は、源健一郎先生の「歴史を物語る仏法-『平家物語』の作られ方・読まれ方-」。例によって実に明晰な論理展開でわかりやすく、延慶本は山門色、盛衰記は南都色が反映しているのに対して、覚一本は宗派的な偏向を排しており、それゆえに文芸作品として広く流布するに至ったというお話しでした。
 シンポでは、五味文彦先生の王殺し論にたいする永井氏の批判などがあって面白かったのですが、小生としては、永井氏の主張されるような通説的な北条氏小土豪論の克服に向けて、なによりも『北条時政』執筆の意欲をかき立てられました。
 平日の企画としては贅沢なもので、会場の立派さなど、さすが時代の先端を行く立命館だと思いました。
 
 当方主催、6月26日(土)の公開講座(NO.1717参照)は「大教室」が会場ですが、歴史学の高橋昌明先生・国文学の兵藤裕己先生という両大家をお招きしての開催ですから、おおいに充実したものにしたいと決意を新たにした次第であります。全国から多くの皆様が御参集されますことを期待いたしております。

立命館シンポ御礼

源健一郎
No.1950

昨日のシンポには、野口ゼミの皆さん、お揃いでお越しいただき、ありがとうございました。
何せ永井先生、大山先生という両碩学の間で緊張の極致にありましたので、壇上からお顔を見知った皆さんのお姿を「発見」した際には、何かしら心強く感じられ、多少は落ち着くことができました。とはいえ、聴衆に年輩の方が多かったので、ついついいつもカルチャーで喋っているような、くだけた話口調となってしまい、特に野口先生、山田先生には大変失礼をいたしました。ご容赦下さい。
また、滑川さんには当日、大変お世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。
なお、御礼がすっかり遅くなってしまいましたが、「紫苑」第2号を野口先生から頂戴いたしました。ありがとうございました。野口ゼミの皆さんの今後ますますのご活躍を祈念いたしております。
6月26日の公開講座の方も、楽しみにしております。ご準備が大変かと存じますが、どうぞ皆さんご自愛下さいますように。

ありがとうございました。

No.1952

 源先生。御丁寧な御挨拶をいただき恐縮しています。やはり、壇上からわれわれ一団は識別できましたか。
 小生、右目はひどい近眼、左目は老眼で、合う眼鏡がなくなり、現在も古いフレームにレンズをセロテープで貼り付けた眼鏡をかけてパソコンに向かっているような有様ですから、シンポの当日もこちらからは講演者のお顔ははっきり見えず、ステージの上は照明が明るいが、客席は暗いからさらに見えないだろうと安心して、行儀の悪い格好で聴講しておりました。失礼をお詫び申しあげます。
 当日は午前中は授業の上、JRのダイヤが乱れていたとのことで、さぞ大変だったとことと思います。にもかかわらず、時間も正確に実に明快なよどみない御講演に感心いたしておりました。頭脳がフルに活動し、体力もおありになる、若い優秀な研究者こそ、市民対象の講演会などの講師にはふさわしいのだということを実感させられました。大学の授業も同じですね。
 小生、不勉強ゆえ研究会でのお話はついていけませんので、今回のような語り口のお話がちょうどよく、おおいに蒙を啓かれました。あつく、お礼申しあげます。
 今後とも、当ゼミへの御助力をよろしくお願い申しあげる次第です。

ゼミ例会発表

No.1938

山本さんの卒論発表が間近な今日この頃、昨年12月にゼミで卒論提出前発表をしていない長村です。
学校が変わったことによる不慣れや事務的な諸々で慌しかった毎日も一段落しそうです。

6月の例会、特に先約は入っていませんか?
もしよろしければ私に発表させていただけないでょうか?
第二週ですと9日、第四週ですと23日です。

なお、先生をはじめ一部の方に、5月26日に発表させていただきたい旨をお話ししておりましたが、参加させて頂いている歴史学入門講座の実行委員会があるので、その日は無理でした。
トップページでHP管理人様が気を利かして下さったのに申し訳無いです・・・

Re: ゼミ例会発表

永富 絵里子
No.1944

六月、とくに先約はございませんので今のところどちらの日でも大丈夫ですよ。先生のご都合はいかがでしょうか?

私は残念ながら教育実習中ですので、またレジュメをいただければとおもいます。よろしくおねがいします。

Re: ゼミ例会発表

No.1946

 6月は26日に公開講座が予定されておりますし、23日はその準備会になる可能性もありますので、長村君には9日にお願いしたいと思います。
 それより、長村君がキャンセルした今月26日に、どなたか報告する人はいませんか?
 あるいは、外部の方でお出で頂ける方はいらっしゃらないでしょうか?ぜひ、お申し出を!

お邪魔します。(^^ゞ

八井健太 from 名鉄
No.1930

部外者が書き込んでいいものかずっと思い悩んでましたが、この前田中さんに許可も頂いた(やんなぁ!?)ので、お邪魔させていただきます。誰やねん!?って方がほとんどでしょうが、昨年2月の鎌倉ゼミ旅行を手配させていただいた旅行会社の者です。ちなみに田中さんとは大学時代、門屋君とは中学時代からのお付き合いです。大学時代の専門は英語だったので、国文学や日本史は中途半端な知識しか持ち合わせておりませんが、鎌倉の件以来、何かのご縁と思って皆さんの書き込みを興味深く拝見しております。もともと地理は大好きなので、いろんな地名が出てくる度に「あ~、ここってこんな歴史があるんや~」と勉強させられることしきりです。

野口先生、今日は授業前にもかかわらずいろいろお話を聞かせてくださってありがとうございました。小城のお話、生粋の京都人(厳密には尾張の血が入ってますが)としてはかなり興味をそそられました。仕事ではなく、プライベートで行ってみたいと思いました。ゼミ旅行計画、お役に立てることがあれば何なりとお申し付けくださいね。

それでは、また突然現れるかもしれませんが皆様どうぞよろしくお願い致します。

おひさしぶり

No.1932

 先月の「セレブな日曜日」以来お久しぶり☆
更に気候も良くなってきたので、また鴨川で遊びませう。今度は鴨川でお昼というのも良いですな。
 こないだ言ってた平安京の地名の話は書き込みしていただけないのでしょうか?(って言ったら書き込む(笑)?)

旅行担当顧問。

No.1943

 八井さん、書き込みありがとう。当ゼミはいろいろな方たちのご支援で成り立っていますので、ぜひ「顧問」にご就任下さい。「ただし、無給」(小生もこんな但書の付いた辞令を某協会からいただいております)。部内者として、ぜひともよろしくサービスのほどを。
 ここでCM。「旅行に関係することで、お困りの方は名鉄観光京都支店営業掛の八井健太さんまで。℡075-255-2211(代表)」
 
 >田中さん 「ですな。」なんて書くと、せっかくの姫君のイメージが帳消しになって、また「田中くん」と呼ばれてしまいますよ。

ありがとうございます☆

八井健太 from 名鉄
No.1948

>野口先生
 宣伝していただいて恐縮です。京女大のトラベルサロンには負けてられません!(失礼)
 さらに“部内者”認定まで・・・(^^;) ゼミ史上初の“社会人メンバー”ですか?(笑)
 これはサービスしなくては!
 

>田中様
 平安京の地名話は文章化するとかなり長くなりそうなので、
 整理できたら書き込んでみます。って、素人丸出しの考察に
 なりそうやけど・・・。

私も社会人!

No.1949

八井くんへ
 こら。今年は私も門屋氏も社会人です!

「社会人」以上。

No.1951

 掲示板で「こら」の文言を見るのは久しぶりですね。
 田中さんの「社会人」へのこだわり、よく分かります。一般に、学生は親がかりの半人前。就職して自分の食い扶持をかせいで一人前。それが社会人という認識があり、院生などは世間の人からは奇人扱いされるとともに半人前の待遇を余儀なくされるので、こだわる気持ちはよく分かります。
 しかし、小生は思うのです。これはせいぜい20世紀後半以降の発想ではないかと。また、ここでいう「社会」の概念は物質的な生産活動の空間にのみ限定されていておかしい。
 このゼミに集まって来てくれた、主にすでに学部を卒業した面々の生活を拝見すると、ちゃんとアルバイトをしながら一応は自立した生活を営んでいる。しかも、ここからが大事な事なのですが、学問・文化の継承・発展という明確な人生の目的をもってその実現のために努力している。かかる君たちは自らを「世間」(この言葉にもいろいろ問題がありますが)の物差しにあてはめて卑下する必要は毛頭ありません。君たちは立派な「社会人以上」です。

Re: お邪魔します。(^^ゞ

平田樹理
No.1973

>八井様
 こんにちは。お久しぶりです。昨年二月(もうそんなに経つんですね)の鎌倉ゼミ旅行では、つたない幹事でご迷惑をおかけしました。またお世話になることも多々あると思いますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

防御性集落。立命シンポ。ゼミ旅行。

No.1929

 昨日の朝日新聞に青森県八戸市の林ノ前遺跡から前例のない数の鉄のやじりと縛られた人骨などが出土したことが報じられ、10世紀後半~11世紀の東北地方は激しい戦乱社会で、従来の安倍氏による平和という認識は覆されたというコメントが付されていました。ただし、現在の盛岡市より南にはそのような遺跡は検出されていないようでもあり、東北南部と北部を分けて考えるべきなのでしょうか。防御性集落については、斉藤利男先生の「軍事貴族と辺境社会」(『日本史研究』427)をもう一度読みなおす必要がありそうです。明日の同志社での講義で、前九年合戦を取り上げるに当たって、この問題、ちょっと考えさせられております。
 
 明日といえば、午後に立命館大学人文学科開設記念のシンポジウムが予定されています(NO.1792)。永井路子氏の『吾妻鏡』論も聴けそうですから、『吾妻鏡』講読会参加者は出来るだけ聴講にお出かけ下さい。

 >田中さん  本日、久しぶりに名鉄観光の八井さんが研究室にお見えになりました。これからの観光について意見交換したり「小京都小城」の紹介やらで一時間ほど話しこんでしまいました。九州旅行のフリープランがいろいろあるようですので、ゼミ旅行担当者や平田さんとともに、小城・久留米方面のゼミ旅行について、ぜひ御検討いただければと思います(笠さんのおられるうちに)。
 
 また、平泉や鎌倉(前回参加していない2回生から)についても希望が出ていますので、希望者は率先して原案づくりをして頂ければと思います。事前勉強をしっかりやって、おおいに見聞を広めたいものです。

 ☆ トップページのアクセス数が本日、30000を突破したようです。管理人のご両人にはお手数をおかけいたしますが、掲示板以外も、みんなで協力して充実を期したいものですね。

私も興味があります。

No.1933

 青森県八戸市の林ノ前遺跡の記事、私も読みました。10世紀後半~11世紀という時期は、まさに武具が中世化する時期ですから、どんな鏃の形状なのか是非調査してみたいものです。野口先生、良かったら、ツアーを組みますか?八戸まで、東京からですと、「はやて」が開通して本当に早くなりました。

 なお、渤海などの北方アジア地方の鉄鏃や北東北の防御性集落の鉄鏃との関連から日本での鉄鏃の中世化の過程を考察した論文に、津野仁「中世鉄鏃の形成過程と北方系の鉄鏃」(『土曜考古』25号 2001年5月)があります。

私もまた興味あります

No.1934

 朝日新聞の記事は未読です。取り急ぎ図書館で読んでみたいと思います。昨夏以来、うちは京都新聞に乗り換えましたので。

 ところで、弓箭の技術というのは高度に特殊なものなのか、或いは誰でもそこそこ扱えるものなのでしょうか。
 たとえば伊賀国黒田庄の「住人」が、国使に矢を射掛けるという史料がありますが、そこでいう「住人」とはどういった人物を想定すべきなのか。普段は農業(或いは非農業)に従事している人間がいざというときは弓を手にするのか、もしくは弓箭の達者な者をいざというときのために雇ってあるのか。
 弓道の試合では、百発百中に近い命中率でないと「試合にならない」と聞いたことがありますが、黒田庄の紛争でもそうだったとすると、とても素人には手が出せそうにないように思います。ただし、弓道で使う的は反撃してきませんから、ここでの技術は所謂クローズド=スキルということになるので、敵が反撃してくる実戦での撃ち合いのなかでの技術(オープンド=スキル)とは単純に比較できないんですが。
 みなさんのご意見を頂戴したく存じます。

 MLを使うべきなのでしょうが、次回5/10(月)の『吾妻鏡』の講読会は岩田が担当します。範囲は、既に山本さんからお知らせ頂いたとおりです。どうぞよろしくおねがいします。

 神護寺ツアーに参加できず残念しきりです。
 去年、大学院の授業で「文覚起請文」を読みました。文書後半の抑えの利いた規定の数々に比べ、前半の情念に満ちた文面が印象的でした。那智の滝に打たれる荒行の末、瀕死の状態から不動明王によって甦生したとされる文覚が、あの高雄の山奥でなにを思ったのか。僕も現地でいろいろ考えてみたかったんですが。

Re: 補足

No.1935

 立命館のシンポジウムには、宗文研メンバーの中からもたくさんの方が参加され、いろいろとお話があったようですね。また詳しく教えてくださいね☆

 ところで朝日新聞ですが、ほとんどの記事はインターネットで見ることが出来ます。(土曜版のBeも読めます)
 →http://www.asahi.com/culture/update/0505/002.html
該当記事はこれでしょうか?

 弓箭の技術について>
 僕自身弓道は経験がないので、詳しい話は田中さんにおまかせですが...。
 猪とか鹿を捕らえるときに弓は使ったのでしょうか?
 近代の話にはなるのですが、京北町ゆかりの山国隊は戊申戦争時に、銃の扱いに関して“いわゆる”武士にくらべて、数倍上の命中力を発揮したらしいです。普段から獣を捕まえるために使っていたから、というのが要因のようです。それと関係はあるのかな?と想像してみました。

P.S>弓と獣で、もののけ姫を思い出しました☆馬じゃなくてヤックルですが...

中世の弓箭のことなど

No.1936

 現在の弓道で、前近代特に古代・中世の弓箭戦のことを類推するのは大きな間違いです。そもそも弓・矢そのものが異なりますし、弓射姿勢も異なります。また、弓道のように固定の的を射ることをいくら訓練しても実戦では役に立ちません。やはり動く標的で訓練しなければなりません。その意味で、騎射・歩射問わず、弓箭の訓練には狩猟が一番です。これは炮術でも同じです。不動の的ばかりを撃っていた江戸時代の炮術の師範が、狩猟では獲物に当たらなかったという史料もあるようです。
 そうしたなか、黒田荘の「住人」が具体的にどういう立場の人間であるかは難しい問題ですが、百発百中だけが弓箭の使用法ではありません。敵に当たらなくても、攪乱したり、敵を近付けないようにもでるわけです。その点が飛び道具の利点ですね。それに、弓箭や刀剣などの武具は、現在人の考えが及ばないほど身近なものであったと思います。農業従事者だから武具が使えないというのは、現代的な感覚だと私は思います。

弓箭について再び

No.1939

 みなさんすごく早い応答をありがとうございます。

 鈴木くん>朝日新聞の記事はきっとこれですね。ありがとうございます。

 近藤先生>飛び道具は敵に当たらなくても、攪乱したり、敵を近付けないようにもできるわけですね。なるほど。
 反撃しない固定の的を相手にすることと、動きもすれば反撃もする敵を相手にするのでは、必要な技術が違うというのは兼ねてから私も考えていたことでした。弓道の例を引いたのは軽率でしたが。近藤先生も仰るように、弓箭や刀剣などの武具が現代人の考えが及ばないほど身近なものであったとすれば、そのなかで更に武具の扱いに関して「専門性」を持つ人たちとはどういうものなのか、また史料をみながら考えてみたいと思います。

弓箭について再び

No.1942

だからこそ、武士という存在の定義が難しいわけです。

武士論研究者は武士。

No.1945

 近藤先生、旅行のお誘いと、津野さんの御高論の御教示ありがとうございました。小生は武器そのものというより、地域の状況について関心があります。ただ、今秋、東北福祉大学の岡田清一先生のお招きで仙台に行く機会がありますので、そのおりに余裕があれば行ってみようかとも思っております。
 それから、上記の議論は、儀礼としての武芸と実戦でのそれに関する騎射をめぐるかつての論争と共通する問題だと思います。この論争の当事者は、近藤先生をはじめ、川合康先生・元木泰雄先生・高橋昌明先生・下向井龍彦先生といった錚々たる武士論研究者で、その頂点は、もうかれこれ10年ほど前、近藤先生が日本史研究会の大会報告をされたときだとうかがっております。
 小生、残念ながらこのときは出席できなかったのですが、近藤先生は大判の封筒を大鎧の袖に見立てて実演をされ、質問者はみな大柄なマッチョ風の人が多く、白熱した議論の応酬はまさに戦闘そのものであり、「武士論研究者こそ職能人としての『武士』そのものだ」という神話は、このときに成立したと漏れうけたまわっております。
 なお、小生も同じ本に執筆していますので、宣伝を兼ねて、川合先生の御高論「中世武士の武芸と戦闘」(馬の博物館編『鎌倉の武士と馬』名著出版)を紹介させていただきます。